Title: 一卵性双子 27週で一児死産。 生後1ヶ月での誕生死
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私はもともと生理不順で、薬で生理を起こしつつタイミングで妊娠しました。病院には2年ほど通っており、待望の赤ちゃんでした。初産でした。
7か月まで何も問題がなく、病院からも普通に出産することもあると話が出るくらい順調でした。 しかし、二つあった胎動の片方を感じず病院で見てもらったところ、右ちゃんが亡くなっているといわれ、そのまま緊急入院し、31週で左ちゃんを出産しました。 原因は不明です。 入院中は気が狂いそうでした。 片方の子は亡くなっていて、片方の子は生きている。 お腹にとどめておくことは、亡くなった子にとっては苦しく、生きている子にはありがたいことだと、先生方の説明を私なりに解釈して、そう感じました。
そして、一卵性のため片方が亡くなると、もう片方の子にも影響があるかもしれないこと。でも、もしかしたら何も影響はなく元気な可能性もあること。 しかし、週数や体の大きさからすぐ出すことも難しく、様子を見ることになりました。
亡くなった子を思うと、亡くなった子の体がボロボロになる前に、早く出してあげたい気持ちになりました。 そして、入院中なので元気な赤ちゃんの泣き声や幸せそうなお母さんたちの声が嫌でも聞こえてきました。 私は声を殺して泣きました。 周りのお母さんたちはミルクを3時間おきに絞ったりあげたりしてて、寝不足だろうし、まだこれから出産の人も周りにいて、迷惑をかけたくなかったし、なによりこれから出産のお母さんたちを不安にさせて他の赤ちゃんに何かあったら嫌だったからです。
でも、私は辛かった。苦しかったんです。 どうして、わが子が死んでしまったのに声をあげて泣くこともできないのか、悲しんであげられないのか、母親失格だと思いました。でも、片方の子はまだ生きてる。 悲しんで、泣いてばかりだと片方の子に何か影響がいかないか不安で、落ち着かなくてはと考える自分もいたりして、どうしていいかわからなくなりました。 本当に気が狂いそうでした。 なんでこの子だけこんな目にあわなくちゃいけないの、なんで私だけ、私たちだけと思いました。
その後、31週で2人を出産しました。 片方は産声なく、もう片方は、か細いけど可愛い泣き声でした。 小さいけど2人とも可愛くて。元気に生まれていたらきっと仲の良い姉妹だったんだろうな。
一人はすぐにNICUへ。 一人は身ぎれいにされて、数時間後に私のもとに来てくれました。小さくて、目を閉じてかわいい子でした。かわいいお鼻とお口、閉じた瞼。 私は一生忘れない。まだちょっとあったかかった。 亡くなっていたけど、抱っこできてうれしかったです。 嘘です。 本当は、生きて会いたかったし、声を聴きたかったし、私と夫を、その目に映してほしかった。 ママって呼んで欲しかったし、おっぱいだって吸ってほしかった。七五三、入学式、卒業式、成人式、結婚式。 たくさん一緒に過ごす時間が欲しかった。 当たり前が、普通が遠く、辛く、羨ましく感じました。 亡くなった子とは出産してから1時間も一緒にはいられませんでした。 夏場だったことと、病院の設備の関係で体の損傷が心配されたからです。 一緒にいたかったけど、今までがんばってくれた子をこれ以上頑張らせたくないと思ったので、業者の方にお願いしてより良い状態で保存してもらうことにしました。
三日後に火葬。体はまだ痛かったです。 火葬される扉の前で号泣しました。 なんで、私よりも長生きしてほしかった子を私が見送らなくてはならないのか。これは悪い夢で、私のことではないのではないかと、現実に向き合えませんでした。
出産してから胸は張って痛いし、おっぱいは出るしで辛かったです。もう一人の頑張ってる子にもやはり亡くなった子の影響があり、腎臓がうまく機能できませんでした。 出産から2日くらいにその状態は先生から聞き、絶望的な気持ちでした。心のどこかで、「きっと大丈夫」と思っていた自分がいたからです。 生きている子が飲んでくれると、おっぱいも頑張って出そうとしていた矢先に、そう告げられ、今度は無理におっぱいを出さなくてもいいと看護師さん達からもいわれました。 これはきっと、優しさから来た言葉だったと思います。 亡くなった子のことを思うと出すのもつらいだろうと。 でも、私は生きてる子のために頑張りたかった。 その子の命も危なくて、おっぱいを出しても飲めない状況なのかもしれないけど、私がお母さんとしてできる唯一のことだと思ったからです。 でも、出しても仕方ないのかと思うときもあって、3時間おきに絞るのをやめたら乳腺炎で熱が出て、踏んだり蹴ったりでした。
でも、私が辛いのは良いから、代わりに赤ちゃんを助けてと祈ってました。 1週間程度で私は退院しました。 もう一人の赤ちゃんは生まれてちょうど1か月で亡くなり、家族3人で家に帰ることができました。 約1か月、毎日赤ちゃんに会いに行きました。 少しずつ出なくなる、飲んでもらえるか分からない母乳を凍らせて。凄く濃い1か月でした。 抱っこしたり、綿棒でおっぱいをあげたり、歌を聞かせたり。 ほとんど保育器にいたし、薬をいっぱい打たれていて眠った状態でしたが、幸せでした。 このまま時間が止まればいいのにと本気で思いました。 最後は私の腕の中で息を引き取りました。 穏やかな顔で、寝ているだけなんでしょう?って思いました。
今、家には、使うはずだった赤ちゃん用品と、使うはずのなかった簡単な仏壇があります。私はまだ現実を受け入れたくなくて、お線香をあげられません。毎日声をかけるだけで精一杯です。 生まれてから色々大丈夫なように、ママ友も作ってました。 地域の人にも挨拶してました。 私がやってきたことすべてが、私に牙をむいているように感じます。 いずれママ友にも、地域の人にも言わなくてはいけない。 伝えるだけのことなのに、それが辛くて苦しい。 今まで絞っていたおっぱいも全て凍った状態で帰ってきました。 頑張らなければよかったと後悔もしています。 でも、頑張れたのはあの子たちがいたからで、生まれる前からすごいパワーをもらっていたんだとも感じます。 だから、今が辛いです。 あの子たちと一緒に過ごすはずだった今が辛いです。 どうやって生きて行けばいいのかわかりません。
夫も辛いのお仕事を頑張ってくれています。 私が泣いてばかりではいけないと思うし、心配をかけたくないから、夫の前では泣きたくないんです。 でも、辛いんです。 いつになったらこの辛さがなくなるのか。 なくなってほしいと思う自分もいれば、なくならないでほしいと思う自分もいて、自分でもよくわからないこと言ってるなって思います。 少しずつでいいから、あの子たちのことを、笑顔で思い出せる時間が増えると良いなと思ってます。
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