Title: 6週 進行流産
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お腹に赤ちゃんがいると確定された時点で、すでに出血があったこと、私の年齢、週数の割には赤ちゃんが小さいことから、90%このまま流産するだろうと言われました。
10年以上も、待って待って待ち望んでいた子でした。 検査薬で陽性反応が出たとき、夫は一瞬とっても嬉しそうな表情を見せたのですが、私の様子を見て喜びを押し込めてしまったようでした。 待っている間に,当然自分たちも歳をとり、超高齢出産と言ってもいいほどの年齢になっていました。 年齢からくる自分の体力への不安や、赤ちゃんに障がいがある可能性など考えると、私は正直手放しで喜ぶことができませんでした。 妊娠出産に関して、ようやく諦めがついた頃でもありました。 どうしてもっと早く来てくれなかったんだろうと思ってしまいました。
その上、病院で9割育たないと言われてしまったショックもあり、私は本当にどうしていいのか、パニック状態でした。
その日の夜、夫が言いました。 産まれて来れない命ならどうしようもない。 でももし、10%の確率で育ってくれて産まれてくれるなら、 命がけで産んで育てるだけ、親にできることはそれだけだろう。 何をそんなに考えることがあるんだ?
あぁそうか、親ができることの根本て、確かにそれだけだなと思いました。 この子が産まれて来たいのなら喜んで迎えよう。 例え、どんなハンディを持った子であったとしても。
そう気持ちが固まった矢先、出血が一気に増え、翌朝には普通の生理の2日目ほどの出血量になってしまいました。 慌てて病院に行くと、もう流産を止められないこと、このまますぐに手術すると言われてしまいました。
そのまま入院することになり、夫に連絡をしてすぐに来てもらうようにしました。 全身麻酔だったはずなのですが、もともと麻酔や薬が効きにくい体質の私は、この時もやはり、意識も感覚もありました。 たださすがに朦朧とはしていたので自制が効かず、恐怖と痛みと悲しさで、ものすごく叫んだし暴れました。
赤ちゃんに愛情どころか、実感もまだないままだったのに、あんなに悲しいものだとは思っていませんでした。 あれから何日も泣き続けました。
今回は赤ちゃん自身に力がなかったせいで誰のせいでもなく仕方ないと産科医に言われて、それは理解してるし納得もしています。 産まれて来れない命とわかっていながら私たちのところに来てくれた赤ちゃんには感謝の気持ちでいっぱいです。
ただどうして、新しい命を手放しで喜んであげられなかったのかと自分を責める気持ちはまだ消えません。 私がストレートに喜んでいたら、夫も私のお腹に触れたり、赤ちゃんに話しかけたりできたと思うのです。 最後まで触れることもなく、一度も話しかけもしなかった夫が、実はどれほど辛かったのかを考えると、赤ちゃんにも夫にも申し訳ない気持ちが残ったままです。
それからお腹から出てきた赤ちゃんを見るかどうかも聞かれず、私自身も見せてもらうなんて頭がなかったことが今も悔やまれます。 まだヒトの形すら成していなかった子でも、一目見ておきたかった。
あの子の姿を思い出すことすらできないのです。 最初の診察の時に渡された膣エコーの写真一枚しか、あの子がいた証は残りませんでした。
でももし、一日ずつでもずれていたら、写真にすら残らなかったし、夫と2人で見送ってあげることもできませんでした。 きっと、そのタイミングまで必死に頑張ってくれていたのだと思います。 こんな健気な頑張り屋の我が子が、愛おしくてたまりません。
男の子か女の子かもわからなかったので、どちらでもいいようにと、夫が『のぞみ』と名付けてくれました。 本当に、望んで望んで待ちわびた子でした。
今はのぞみの周りをお花やぬいぐるみでいっぱいにして毎日のぞみに話しかけながら、平凡な日常に戻りつつありますが、のぞみのことを忘れることはありません。 こんなにいい子なのだから、ご先祖様たちにたくさん可愛がってもらえていると信じています。
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