Title: 7週 稽留流産
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初めての妊娠でした。 検査薬で陽性を確認後、6週を待ちきれずに5週で受診。 胎嚢が確認でき、その日のうちに夫に報告し2人で喜びました。 この頃は幸せでした。 男の子、女の子それぞれの名前を考えたり、編み物が得意なのでベビーニットの本を買ってみたり。
しかし翌週の健診で心拍確認できず。 まだ大丈夫、そんなこともあるだろうと思いながらも不安で一杯で、図書館で調べたり、ネットで体験記を繰り返し読んだり、8週で心拍がやっと確認でき、その後無事出産したという方のブログを読んでそれにすがったりしました。 しかし、結局9週になっても心拍確認できず、稽留流産と診断されました。現実味がなく、涙は出ませんでした。 この間、何故か1週間に2〜3回の頻度で病院に来るよう言われました。他の妊婦さんを見るのが本当に辛かったです。
そして今月、手術を受けました。 コロナのせいで、待合室も、手術の前後も夫の付き添いは許されませんでした。 当日の朝、わずかな出血がありました。手術を断ろうかと迷ったのですが、先生に悪い気がして病院に行きました。 この選択を今でも後悔しています。 手術の後半、麻酔の効きが弱かったのか、周囲の会話が聞こえてきました。そこに、笑い声が混じっていたんです。 術後、向かいの部屋で休んでいる時、自然と「ごめんね」と繰り返し呟きながら、診断後初めて泣きました。 しかし手術を受けた部屋の清掃が行われていたようで、会話が聞こえてきました。大声で笑っている声も。 わかってるんです。手術で使われた分娩室は普段お産に使われているのですから、笑い声や雑談しながらの清掃が当たり前のことだってことは。手術中だって同じかもしれません。ただ、私には苦しかった。 そして帰宅前の問診で、次の妊娠のタイミングについて話されました。正直、耳を塞ぎたかったです。
手術時の先生や看護師さんたちの会話、笑い声が今も耳から離れません。 私のもとに来てくれた子。その子はとっくに亡くなっていたかもしれないけど、私にとってはわずかな時間でも幸せをくれた、かけ替えのない我が子だったんです。 その子の死が、なんでこんなに軽く扱われなければならなかったのか。
私、流産の可能性を告げられた時も、診断を受けた時も、手術を受ける前も泣けなかったんです。ショックがあまりに大きかったのと、先生や看護師さんに迷惑をかけたくなくて。 だから、平気だと思われてしまったのでしょうか。 あの時私が泣いていたら、せめて笑い声はなかったのではないか、少しだけでも悼んでもらえたのではないかと思わずにはいられません。 お腹の子が自分から出てこようとしてくれたサインはあったのに、手術を受けることを選んだことを未だに後悔しています。 手術の先生たちの談笑。術後の部屋で空っぽの痛みがあるお腹に手を当てて泣いているところに他人の笑い声が聞こえる。その光景が頭から離れません。 私が泣かなかったから、私がこの病院を選んだからお腹の子の最期は人間扱いしてもらえなかった。そんな思いでいっぱいです。
子どもが欲しいという気持ちはある一方で、妊娠が怖くてたまりません。 来てくれたら絶対に幸せにします。けれど、次同じことがあったら耐えられません。きっと次妊娠したとしても実際に産むまでは不安から解放されることはないでしょう。 どうしたらいいのか、分かりません。ただただ頭の中の光景が辛いです
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