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22週 子宮内胎児死亡
第二子 16週無脳症 第 ....
流産
29週で死産 24週より ....
19週 子宮内胎児死亡 ....
妊娠25週 第二子死産
気持ちの整理がつけら ....
稽留流産
まわりの報告が辛い
2回早期流産
Name:
M
..static.akamaitechnologies.com
Date: 2026/03/11(水) 15:42
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Title: 22週 子宮内胎児死亡
22週1日目、いつもと同じように検診に行った。
超音波室の前で今日こそ性別がわかるとワクワクしながら待っていた。今日も待ち時間ながいな、早く終わってお昼ご飯行きたいな、レストランのメニューをみていた。
しばらくして診察室に呼ばれた。
まずは助産師さんに赤ちゃんの心音を聞いてもらった。その時点で、先生と助産師さんがいつもと違う様子だった。エコーをみはじめると、先生は黙ったまま。しばらくして、「赤ちゃんが少し小さくて」「心臓も動いてはいるけど、不安定、血流も優先的に脳に行くようになっている。」と説明があった。血の気が引いた。内診を終え、診察室に戻ると誰もおらず、外で先生と助産師さんがバタバタと相談しあってるのが聞こえた。ただごとではないのだと思った。
そこから大学病院へ入院になる、これから向こうと連絡を取ると、気持ちが追いつかないまま説明を受けた。涙を必死に堪えた。
急いで帰ってきてくれた夫と合流し、雨の中帰宅した。不安でたまらない、でもお腹は空いていたのでヒレカツ丼を食べた。赤ちゃんに少しでも栄養を、と悪あがきでもあった。
赤ちゃんなら大丈夫、我々の子供だから、もしものときはそれを受け止めていこうと夫と泣きながら話した。次の日、朝になっても胎動がまったくない。
病院に連絡したところ、すぐに来てくださいと言われた。あくまで念のため、という感覚でいたのでそこまで深刻にとらえていなかった。分娩台に横になり、お腹のエコーを診てもらった。エコーをみて、いつもなら動いてる部分が動いてない。素人目でもわかった。それでもまだ生きてるんだとまだ大丈夫なんだと思い込ませてエコーの画面をみていた。そんな希望も虚しく、先生から聞きたくない一言が聞こえた。
「とても悲しいことだけれど、お腹の中で赤ちゃんが亡くなっています。」
夫が後ろを向いて泣いてるのが見えた。
これは現実なのか?信じたくない。なんで我々なんだ。外からは産声が聞こえる。こんなに悲しいことがこの世にあるのか。
「いろんな声が聞こえる場所でごめんなさいね。」先生が申し訳なさそうに言った。
しばらく部屋は夫とわたしだけになった。
夫が見たことないくらい泣いていた。自分のことを責めていた。そこでやっとわたしも涙がでてきた。助産師さんが声がけをしてくれた、涙が止まらない。しばらくして個室に案内され、母子間で影響がでてないか血液検査をした。
検査結果を待ってる間、ゴミ箱がティッシュいっぱいになるまで泣いた。
しばらくして、先生から今後のことについて説明があった。ラミナリアをいれて子宮口を5cmくらいあける、その後促進剤で分娩。話を聞くだけで恐ろしかった。
赤ちゃんには申し訳ないけど、もうすでに亡くなっているのに、痛い思いをしなくていけないのか、全身麻酔で意識のないままお腹を切ってすすめてほしいと思った。
でも先生、助産師さんは親身になって対応してくれた。この先生なら安心しておまかせできると思った。
そこから3日間入院まで自宅で過ごした。
亡くなったお腹のなかの赤ちゃんに何もできないまま過ごすのはとてもつらかった。
3人でお家で過ごす最後の3日間、一緒に公園まで散歩したり、
声をたくさんかけたり、お手紙を書いたりした。赤ちゃんとの時間を悔いのないように過ごした。
幸せな人たちが憎かった。ベビーカーを押してる夫婦をみると怒りがわいた。子供を見るのもつらい、腹が立つ。不幸せになれと思った。
そんな中友達から出産の連絡が来た時は、瀕死のところにトドメをさされたような感じがした。この時はとてもじゃないけど返事はできなかった。泣いてることに気づいた夫がそばにいてくれた。とても心強かった。
夫と一緒に泣きながら、分娩の不安を抱えたまま3日間を過ごした。
入院して2日目に、子宮口の空き具合をみると、明日には出産できると言われた。
しかし夜の検温時に体温が37.7になった。
助産師さんが先生に相談し、内診することになった。子宮口がどれくらい空いてるか確認していた。子宮内感染の所見がでているため、点滴で抗生剤を投与して様子を見ることになった。破水をしたようで、羊水と血がドバドバとでてきた。
もう心身ともに限界で、夫を呼んでもいいですか?と助産師さんに泣きながら訴えた。
そこからすぐに夫がタクシーを使ってとんぼ返りで戻ってきてくれた。
寒気がとにかくすごくて、奥歯と身体がガタガタ震えた。ここまでの寒気ははじめてだった。寒気を繰り返し、熱は39度台まであがった。
死ぬかもしれないと本気で思った。右の下腹部に生理痛のような痛みが出てきた。痛みの間隔が短くなり、分娩室へ移動することになった。
途中から、大きいなにかがでてきている感覚があった。陣痛がくるたびに降りてきている。AM6:57無事に出産、痛みも許容範囲でとても安産だった。
赤ちゃんありがとう。はじめてみる赤ちゃん。ほっぺと頭に触ることができた。
かわいいちんちんもついていた。安産にしてくれて本当にありがとうという気持ちが大きかった。赤ちゃんの身長、体重測定をしてくれた。312g、30cm 。部屋に戻り、しばらくゆっくりすごした。助産師さんが赤ちゃんを部屋に連れてきてくれた。かわいいお洋服も持ってきてくれた。手形をとったり、お風呂にいれたり、お洋服を着せたりすることができた。産む前は、亡くなってるのにお風呂に入れたりするのはつらくなるだろうと思っていたが、そんなことはなかった。温かい時間が流れていた。両親に見守られながら、夫と、優しい助産師さんと一緒に赤ちゃんをお世話できて本当に良かった。夫がきれいにとってくれたかわいい手形は宝物だ。葬儀屋さんが到着し、お線香をあげる部屋に案内された。外が晴れていて、日光が差し込んで部屋はとても明るかった。赤ちゃんをを赤ちゃんベッドから木の棺にそっと移動。赤ちゃんの顔をみると涙が止まらなかった。赤ちゃんが亡くなったことを知った日は雨だったけど、この日はすごく晴れていた。妊娠がわかって4ヶ月、赤ちゃんからたくさんのことを教えてもらった。とても幸せだった。まだまだ涙は出てくるし、赤ちゃんを連れた人を見るのもつらい。時間をかけて前向きに過ごしていけるようになりますように。
Name:
皐とこっぴかっぴママ
..ucom.ne.jp
Date: 2026/02/14(土) 10:44
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Title: 第二子 16週無脳症 第三子 17週進行流産
2度の死産を経験しました。
第二子は、15週の健診の際に、頭の骨がないと言われて、
そ大学病院で中絶手術を行いました。女の子でした。
エコーで見た最後の元気そうにバタバタ手足を動かしている姿が、
忘れられず、今でも涙が出てきます。
その後3年後に第三子を妊娠。
前回のこともあり、フォリアミンという葉酸の薬を飲み、
対策もしていましたが、第二子の週数が近づくに連れてとても心配が勝ってしまいました。
そんな中、インフルエンザに罹患。発熱で苦しい中、ベットで寝てると、
ドロっとした感覚。トイレに行くと、大量出血と血の塊が。。
ふらふらの状態で、タクシーに乗り込みました。
車中も、陣痛のような痛みが数分間隔できていました。
病院に着きエコーで確認すると、
すでに心拍がなく、赤ちゃんが出かかっている状態ですと言われました。
自然分娩で分娩台にあがりました、何度かいきむとするっとでてきました。
今回は男の子。第二子と比べると少し大きめで、ちゃんと手形も取れました。
産声のない出産を2回経験して、今は病室のベットの上。
第三子を産んだ病院は、第一子を無事に産んだところだったので、
今回は絶対大丈夫!とジンクスをかけてましたが、、ダメだったみたいです。
もともと不妊治療をしており、採卵し受精卵の卵があと3つ残っている状況。
不育症の治療を進めて、並行で再度不妊治療を続けるか、
もう2人目は諦めて、今の第一子と旦那と3人家族で過ごすか、、
とても迷っています。
Name:
ぷるん
..enabler.ne.jp
Date: 2026/01/29(木) 12:58
返信
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Title: 流産
三人目でした。
初めての流産。5週で胎嚢確認。7週で胎嚢は大きくなったが中身空っぽ。8週途中で出血はじまり、手術。
上の子に比べつわりも軽かった。赤ちゃんの姿は一度も見なかった。でも、三人目が生まれた時の想像はしてたし、心拍確認されたら子供達に言うのも楽しみにしていた。軽い気持ちで、手術前日に先生に次の妊娠の話をしたら・・35過ぎてるから高齢だね、一度生理見送ったら人工受精二回、その後体外受精、すぐ妊娠しても高齢になればなるほどダウン症などふえるからね、卵子へるし・・医学的な説明だとわかっていても、更に落ち込み。手術室で先生が来る前に、看護師さん二人が今日予定日の妊婦さんの話やベイビィの話し同僚の悪口を話していて、麻酔前で足には手術のためのカバー、点滴の人がいるのに、、何よりも辛い時間でした。二人いるから、ちゃんとしなちゃとおもいつつ、まだ心にぽっかり穴が空いています。
Name:
はむ
..bbtec.net
Date: 2025/07/22(火) 15:51
返信
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Title: 29週で死産 24週より腸閉塞発症 37歳第1子
37歳まで不妊だと思っており、9年連れ添った方と離婚後、再婚相手との一年と少しでの自然妊娠喜び大きく衝撃走る。
妊娠初期猛烈な下痢1ヶ月生理遅れぎみにより検査にて妊娠発覚。最初から体調が悪く辛い日々。
元々腸が悪く、腸捻転生後5ヶ月。腸閉塞を26、28歳で経験。
最悪なことに赤ちゃん大きくなるにつれお腹の調子が悪くなっていく…そして24週で腸閉塞発症二週間絶食治療の入院。
退院後も調子悪く食べられない日々続く。
しかし赤ちゃんは元気に育っているとの診断。安心しきっていた…。大きくなってきたし大丈夫だろうと…。
28週…腸閉塞予防の漢方薬出してもらう飲み始めるが次の日から浮腫みが異常…一週間飲んでみる…身体が浮腫む…なんだか調子が悪い。検診までまだあるが受診の予約を入れ病院で見てもらったところ心拍確認出来ず…先生が目の前で倒れる…私もなにが…何だか。腸が活発過ぎて胎動との違いがずっとわかっていなかった…もう動いていなかったなんて…。
皆にごめんなさいと謝っていた。
別の病院に行き3日間陣痛を促す点滴でやっと出産1500gだったけど、かなり痛く大変だった。
初めての我が子元気に産んであげられず悔しい。ずっと謝っていた。先生達には感謝しかなかったし、旦那もずっと寄り添ってくれていた。両親もずっとサポートしてくれていて、もう謝るしか出来ない。
病気との戦いもあり苦しい8ヶ月だった…耐えきれなかった自分の身体か憎い。次を考えると怖い。
でも私をお母さんにしてくれたあなたを愛しく思います。
Name:
Hoshi
..bai.ne.jp
Date: 2024/12/12(木) 16:10
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Title: 19週 子宮内胎児死亡 3人目 待望の男の子
19週の妊婦健診の時に、エコー検査で、明らかに医師の顔がこわばって、「何かありましたか?」と聞くと、「心臓が動いてない。。。」と言われました。
その時の瞬間のことを半年たった今でもフラッシュバックします。
上2人に娘がおり、前の検診で男の子と分かり、初めての男の子に家族みんな楽しみにまっていました。長女は「ママのお腹の中に赤ちゃんがいる!」ととても嬉しそうにしてくれていました。
それからすぐに大学病院に紹介され、様々な検査をおこない、さむい分娩室で促進剤をうち、産声のない出産をしました。
産まれてきた我が子は長女にそっくりのとても可愛い男の子の赤ちゃんでした。夫といっぱい写真を撮りました。
それから火葬をおこない、数回大学病院に通いました。
今でもなんで私がこんなこと経験しないといけなかったのか。
なぜあの子はお空に帰っていたのか。
なんでなんで。。。?と毎日思い出しては胸が苦しくなり、泣いています
家族や死産を知らせた友達は、私になんと接していいか分からず、戸惑っています。それも余計に私を孤独にさせて悲しくなります。。。
また友達の出産報告や、男の子なの!という報告も返事はなんとか返しますが、しばらくスマホが見れなくなります。
半年たった今でも、上の子の前で泣いてしまうこともあり、またちょうど子宮内で死亡した週数日数が、上の子の幼稚園での納得のできないトラブルがあった時とかぶっており、それに関係する人達にたいして、どうしようもない怒りが湧いてきてしまいます。。。本当はそんな思いもちたくないのに。。。
ついさっきも3人目の出産報告があり、どうしようもない気持ちになり、この掲示板を見つけて、自分の思いを整理するためにも、投稿を書かせていただきました。
たくさんの方が同じ悲しい経験をされており、みなさんの投稿をみて私だけではないんだと思っております。
ありがとうございます。
Name:
ゆき
..panda-world.ne.jp
Date: 2024/10/04(金) 05:42
返信
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Title: 妊娠25週 第二子死産
24週の頃、下腹部に痛みがあり丁度妊婦健診だったので伝えました。
診察ではお腹の子に異常なし。元気に育っていて問題ないとのことでした
逆子で足が入口の方にあるのでキックすると痛いのかもと聞き一旦帰宅しました。
その日の夜、10分や15分感覚で下腹部痛と腰痛があり第一子の陣痛を思い出させる痛みで
夜間でしたが急遽また病院に行きました。見てもらうと、やはり問題はなし原因不明で
張り止めを処方され様子を見ようと言われました。次の日は仕事でしたが
念の為お休みをいただき、相変わらず下腹部痛は続きました。
感覚は長くなって我慢できるくらい。胎動も元気に感じていたので
次の日は出社しました。会社のトイレで少量の出血を確認して
内診を受けたせいかと思いましたが、続いていたので早退して
また病院へいきました。みてもらうと、あかちゃんが少しだけ入り口に近づいている
しばらく安静にして、来週また診察して早産の兆候があれば早産が可能な病院に転院も考えましょうと言われました。テレワークを許可してもらい翌日からは
しばらくテレワークに切り替えさせていただきました。
翌日もあいかわらず、少量の出血と下腹部痛はつづきました。
胎動も感じていました。午後になって、胎動をお尻の付近で感じるなと
思っていると下腹部の痛みが強くなりました。第一子が産まれる直前の陣痛に感じて
仕事を切り上げ、病院に伝えて、動けなくなってきたので救急車を呼びました。
救急車が来る直前に破水して、乗り込みました。かかりつけの医院に救助隊の方が
連絡すると破水したなら受け入れられない、救助隊で受け入れ可能な病院を探してください言われたとのことでした。受け入れ先の病院を探してもらう中
陣痛はどんどん進み、いきみそうになるくらいまできていました。
5から6つほどの病院に断られて内心どん底でした。救急車で産まれてしまうことも
覚悟した時、やっと大きな病院に許可をいただいたようでした。
もう、きっと産まれてしまうけど、助かるかもしれない。そんな思いでいましたが
なんとなく医師や看護師さん達のやり取りから可能性が低いのかもしれないと伝わりました。いきんで、入り口を切開して、なんどかいきむと産まれてきてくれました。
早く産んでしまってごめんという気持ちで号泣しました。
産声も聞こえず、顔も見せてもらえず、ただただ脱力しました。
医師が戻ってきて、こちらの病院についたときにはすでに娘の心肺は止まっていたことを
聞きました。早産のことを考えずに病院を選んだこと、陣痛みたいな痛みに感じた時にもっと強く言えば、行動すれば、と後悔ばかりが込み上げました。
夫と第一子娘のお兄ちゃんがかけつけていて娘と一緒に対面しました。
かわいくてかわいくて、お兄ちゃんの小さい頃にそっくりな女の子でした。
そのまま入院して1日目は眠れず。翌日はひたすら泣いていました。
泣き疲れて眠って、起きて、これからの娘との向き合い方を考えている時に
こちらを見つけました。落ちつきたくて、整理したくて書きました。
みなさんの書き込みにも助けられました。入院中、娘とずっと一緒にさせてもらっています。ごめんね、大好きだよ、ずっと一緒にいようね。またお腹に戻ってきてねとたくさん伝えます。明後日お別れの日が決まりましたが、お家に連れて帰ってずっと一緒に過ごします。毎日大好きだと伝えたいです。
Name:
rimi
..static.akamaitechnologies.com
Date: 2024/07/26(金) 00:15
返信
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Title: 気持ちの整理がつけられない
結婚式が終わった5月末に初めての妊娠がわかりました。不妊かもしれないから早めに妊活を始めようと思っていた矢先のことです。
8月に新婚旅行に行く予定だったこともあり今思えば嬉しさよりもどうしようという思いが強かったのかもしれません。それでも天からの授かりものには違いないため中絶は全く頭にはありませんでした。母子手帳ももらい、母としての自覚が出てきだした頃のことです。医師からは心拍が確認できませんと告げられました。おそらく8週相当だったと。
最初からどこか不安はありましたが一度心拍を確認していたこともあり、もう大丈夫だと思っていました。来週手術をします。(母親としての愛情が足りなかったからかもしれません。)今は毎日泣いていますが、文章や言葉にすることで少しでも受容していこうと思い投稿させて頂きました。
Name:
あやめ
..spmode.ne.jp
Date: 2024/05/17(金) 16:07
返信
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Title: 稽留流産
結婚して10年になる年に初めて自然に授かりました。
中学生の頃から付き合っていた旦那とは14年の交際後、27歳で結婚し、当初からすぐに子どもがほしいと思っていました。ところが、この10年間、一時期は不妊治療も受けていましたが全く授かることがありませんでした。この間、周りからは一人目、二人目、時には三人目の報告を受け、心を閉ざしてしまうこともありました。ここ数年は、私が出産することなどありえないんだと開き直っており、辛い妊活は諦めて、旦那とも、40歳頃に縁があれば、養子を迎えいれようかと話していました。
そんな時に、急に具合が悪い日が続いて、「まさかね」と思いつつ妊娠検査薬を使うと、くっきりとした陽性が!!!!これまでに何度検査しても陽性の線はうっすらも出なかったので、幻だと思っていた2本線が、くっきりと!!!
でも信じられないという気持ちが強すぎて、素直に大きな喜びが溢れるという感じではありませんでした。
でも、、、嬉しかった。
家族、仲の良い親戚、旦那の家族、みんな大喜びしてくれました。
ちなみに、私には二人の妹がいるのですが、下の妹はちょうど二人目を妊娠していて、8ヶ月。そして、私が病院で妊娠していることを確認して1週間後に、昨年結婚したばかりの上の妹も妊娠していることが判明しました。一気に3姉妹が妊婦になったことで、母親はとても喜んでいました。
最初の受診ではまだ心拍は確認できなかったので、2週間後に旦那と一緒に受診しました。医師がエコーで念入りに調べながら、「まだ心拍が確認できませんね…」と小さな声でおっしゃった声が忘れられません。その直後の説明で、はっきりと稽留流産だと伝えられました。最終月経から数えると9週3日。私の月経周期が40日ほどなので、それを考慮にいれると7週後半。ほぼ稽留流産だと考えて間違いないだろうと伝えられました。
妊娠検査薬の陽性から稽留流産が判明するまで、ずっと信じられないという気持ちが大きかったので、説明を受けているときも、強いショックの感情が湧き起こったというより、ただ呆然と医師の話を聞きながらサラサラと涙が流れてきました。
数日後に子宮内容除去手術を受けて、その翌日、ようやく哀しみが溢れてきました。とても短い夢を見ていた感覚です。つわりは辛かったし、将来ちゃんと育てていけるのかなという不安も抱いていたけど、お母さんになるんだという幸せを感じていた数週間でした。稽留流産と告げられる前日が母の日で、来年は自分もお祝いできるんだな、と。
振り返ると、妊娠期間中にとても特別な出来事がありました。ゴールデンウィークの晴れ渡った、風の気持ちいい日でした。前日まではつわりがあってあまり外に出られなかったのですが、5/4のその日は朝起きると気分がスッキリとしていて、旦那と一緒に軽食を持って1時間程度の散歩に出かけました。普段は滅多に散歩などしないのですが。この日初めて歩いた公園に数本だけ、とても綺麗な濃い紫色のあやめの花が咲いていました。私の名前が彩なので、子どもには莉彩とか紗彩とつけようかなと考えていましたが、このあやめの花をみて、旦那も私もあやめ(彩芽)がいいねと意気投合しました。
その日以降、つわりがみるみる良くなって、5/8にはほとんど気持ち悪さが消えていました。その時は、その症状を深刻にとらえていたなかったけれども、その頃にお腹の赤ちゃんは亡くなってしまったんですね。
今考えると、あの日あやめの花を見たのは3人の最後の時間だったのかもしれません。それか、お別れを告げるために赤ちゃんが導いてくれたのかなとも妄想してしまいます。
あの時のあやめの写真が本当に美しくて、今はまだそれを見ると涙がとまらないけど、落ち着いたらプリントアウトして家に飾りたいな。とても短い間だったけど、お腹の中に宿ってくれてありがとう。とても幸せだった。
心残りは、手術の当日まで実感が湧かず、直接お別れの言葉をかけてあげられなかったこと。お腹の中にあなたがいない今、あやめの写真を見ながら、お空を見ながら、「また戻ってきてね。いつでも歓迎だよ。だから戻ってこれるように、お母さん妊活に向き合ってみるね。大好きだよ。」と告げています。
Name:
ff
..spmode.ne.jp
Date: 2024/04/25(木) 21:20
返信
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Title: まわりの報告が辛い
12月に初めての妊娠がわかり、心拍確認もできていましたが9週目の壁を越えられませんでした。
流産した直後に仲のいい友達2人が出産、最近になって同い年の同僚にも安定期に入ったと報告を受け、正直つらいし妬ましい気持ちでいっぱいです。
旦那が育休を取っている同僚の家に行き、おむつを変えさせてもらったという話を聞いてもどこがそう感じたのかは自分でもわかりませんが、責められているように聞こえてしまう始末です。
流産をしたのが1月なのである程度期間はたっていますし、ずっと落ち込んだ気分でいてもしょうがないこと、世の中には同じ経験をしている人もたくさんいるし、もっともっと辛い思いをしている人がいるのはわかっているのですが、周りの友達や同僚が順調なことを聞くと、私も順調だったら今頃安定期を迎えていたのにな、とかなんで私は産めなかったのだろう、とどうしても素直におめでたいと思えないのです。
こんな気持ちでいたら赤ちゃんも私のところには来てくれないのではないか、また妊娠できたとしてもこのまま一生自分の子どもの産声を聞くことはできないのではないかととても悲しい気持ちになります。
こんな気持ちは友達に話しても困らせるだけなのでこちらに投稿させていただきました。
こんなどうしようもないこと言ってごめんなさい。
Name:
しほ
..cust.vodafonedsl.it
Date: 2024/04/02(火) 05:03
返信
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Title: 2回早期流産
昨年8月心拍確認後6週で稽留流産しました。海外在住のため、日本の治療方針とは異なることが多く、自然排出でからになるまで4ヶ月を要しました。医師からのokサインをもらい3ヶ月後に自然妊娠し次こそは大丈夫と信じて病みませんでしたが、6週目で心拍確認できず、8週の再診でもやはり成長していないことから稽留流産と診断されました。日本にいれば絨毛染色体検査なども勧められるようですが、こちらではもう高齢だから染色体異常で間違いない、わざわさ侵襲のある方法でなく薬か自然排泄をと勧められ来週(本来なら10週)に薬で治療予定です。心拍確認できなかったことから覚悟はしていたため流産と言われた直後は落ち着いていましたが、1週間経ち「つぎもまた流産したらどうしよう。もうたえられない。こどもを授かれないのでは」と疑心暗鬼に駆られ閉じこもっています。主人や義家族の優しさがつらく1人になりたいとからにこもりました。主人は気分転換にランニングに出かけ失神し頭をうち病院に運ばれました。彼のストレスも相当だったにもかかわらず自分しか見えていなかったことが悔やまれてなりません。いまは彼が無事回復し家に帰ってきてくれることを望むばかりです。
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