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   胚移植後の流産   
   17週3日 死産   
   人工死産、流産   
   7週 完全流産   
   14週 人工死産   
   23週での死産、子宮外 ....   
   胎児水腫 誕生死   
   9週 稽留流産   
   35週 子宮内胎児死 ....   
   双子の稽留流産(7週 ....   

Name: 広美    ..au-net.ne.jp
Date: 2016/03/20(日) 02:21
  返信  引用  編集 
Title: 胚移植後の流産    
顕微授精後、胚移植、3回目の妊娠でした。
陽性反応が出た時は主人と涙して喜び、6週目で胎嚢確認。
7週目には、かわいくも一生懸命動く心拍確認。
8週目さらに成長したあなたに感動していました。

8年ぶりの妊娠。
パパも8歳のお姉ちゃんも待ち望んだ赤ちゃん。
嬉しくて、嬉しくて毎日あなたが加わっての楽しい生活のことを話していました。

今日は、不妊治療の病院の卒業の日。
先生に紹介状を書いてもらって、次からは新しい産院で妊婦健診が始まる、お姉ちゃんも喜ぶだろうなと期待をしながら、いざ、診察室へ。
一瞬にして底に突き落とされました。
私の赤ちゃんは?
今日、大きくなった赤ちゃんを見る為に来たのに。
流産手術の話なんて聞くためにきたのではないのに。

まだ私のお腹の中には心拍が消えた赤ちゃんがいます。
お姉ちゃんもパパもみんなで泣きました。すごく会いたかった。
楽しみにしてたんだよ。名前も決めてたんだよ。
守ってあげられなくてごめんね。小さい体できつい思いをしていたんだね、ママ気付いてあげられなかったね。
ごめんなさい。またお腹にきてくれるかな?
おこりんぼママと、能天気パパと、お調子者のお姉ちゃんもいるよ。
みんなで待っているからね。
元気一杯のあなたに会える日を楽しみにしているね。





Name: さき    ..au-net.ne.jp
Date: 2016/03/18(金) 11:00
  返信  引用  編集 
Title: 17週3日 死産    
息子を自然分娩で出産して3日が経ち、今もまだお布団の上でサイトをみつけ投稿しております。
昨日、埋葬を終え、供養しました。

わたしの今回の原因は、恐らく子宮内が感染症を起こしていることでした。白血球が2万を超える異常な数値。
お腹の強い張りを感じた2日後、息子は天国へ行きました。

初めての妊娠、5ヶ月に入って安定期だと言うことに安心し、まさか自分がこのような経験をするなど思ってもいませんでした。
血液検査で白血球の異常がわかり、即入院となりました。
抗生剤の点滴と服薬するも、お腹の張りがおさまることはなく、初めてのわたしでさえ、このときすでに子宮が収縮を繰り返していることがわかりました。
軽い陣痛のようなものでしょう。
それからすぐに破水し、息子は、助からない。難しい。と医師から説明を受けました。
自分が破水してしまったこと、医師が言っていること、すべて頭の中で理解ができ、それからは、涙が止まることはなく、病室でひたすら泣き続けました。

翌日、陣痛促進剤を4錠定期的に服用し、8時間後に泣くことのない息子をうみました。
今でも、陣痛の痛み、分娩台に乗ったあのとき、思いかえすと、わたしは、息子を出産できたんだと実感できます。
息子は、亡くなったままではありましたが、陣痛を味わえたことで、わたしがこの子を産んだ証は消えません。
息子にありがとうの気持ちでいっぱいです。

翌日、たくさんのお花に囲まれ、息子を火葬しました。
生んだ直後に比べると、息子は、口元が少しゆるくなり、まるで微笑んでいるようでした。
息子は、天使のようでした。
可愛くてしかたなく、たくさん写真をとりました。今もなんども写真を見返しています。
綺麗で可愛くて、こんなに愛しくて、あたしの大切な一人息子です。

息子を空へ見送りました。

天気がよく、とても空が綺麗でした。だから、きっと息子は、無事に天国でひいおばあちゃんやおばあちゃんにあえていると思うんです。
うまく自己紹介できているかな?
りくと、と、名前をつけました。

きっとあたしに似て恥ずかしがり屋さん。
でもパパに似て、しっかりしていると思います。
息子はきっと笑って過ごしていると信じています。
あたしをママにしてくれてありがとう。
これからもわたしの息子でいてください。

またいつか、たくさん抱っこして、たくさんお話しして。
そんな日を楽しみに、これからわたしは生きていきます。息子がわたしたちに残してくれたかけがえのないものと共に。





Name: h.y.i    ..catvnet.ne.jp
Date: 2016/03/18(金) 02:14
  返信  引用  編集 
Title: 人工死産、流産    
付き合って間もない彼との間に出来たあかちゃん。
親には当初反対されましたが、籍を入れ、月日とともに周りにも受け入れられつつあったとき、検診で首のむくみを指摘されました。
染色体異常の可能性が高く、羊水検査をしましたが、結果は違いました。
しかし骨が発達しない病気であることがわかり、生まれても長く生きられないため諦めるという選択もあると言われました。

泣き続け、私たちが決めた結果は死産でした。
5ヶ月になっていました。
陣痛を起こして普通分娩で出産した小さな我が子は、小さい以外なにも変わらない、普通の男の子でした。
しかし、先生から見るとやはり胸囲が小さかったようでした。

その後3ヶ月で次の妊娠をしました。
心配ばかりでしたが、あかちゃんは順調でした。
もうすぐ6ヶ月というとき、私は脳出血を起こして倒れました。
何年も前から脳に腫瘍があったらしく、そこからの出血でした。

幸い軽度のもので意識はありましたが、それ以上の出血を抑えるための薬を入れながら妊娠を継続するということ、また、妊娠した体で頭の手術をするということが、今の医療では未知の世界だとの説明を受けました。
また、出産まで私の命が持つという確証もなく、主人や親、みんながあかちゃんを諦めるように諭しました。
死んでも産む、と言っていましたが、残された側の気持ちを考えると突き通すことが出来ず、結局私は諦めることを自分で決めました。

普通分娩に耐えうる体ではないので、全身麻酔の帝王切開で男の子をうみました。
火葬にも立ち会えず、私は1週間後に開頭手術を行いました。
大きな後遺症もなく終わりました。

そして10ヶ月後、妊娠しました。
しかし1ヶ月で流産しました。
腹痛の中でそのまま出てきてしまいました。
先生に言われていた期間より早く妊娠したから帰ってしまったのだろうか、と自分を責めました。

もうしばらくは子供を作らないでおこうと考えていましたが、4ヶ月後、私はまた妊娠しました。
驚きと、嬉しさと、何よりも不安でした。
母子手帳をもらっても、大丈夫と言われても、安定期に入っても、胎動を感じてもずっと不安でした。
7ヶ月のときパートを辞めたとたんに切迫早産になり2ヶ月入院しました。
38週で、予定帝王切開で男の子を出産しました。

この子は、私たちを夫婦にしてくれた1人目の子と、
私の病気を知らせてくれた2人目の子と、
私に休むよう教えてくれた3人目の子、
みんながいたからうまれた命です。
いまでもこれで良かったのかと思うときがあります。
でも、すべては自分で選択してきたことです。
間違っているという人もいるでしょうが、私にこれからできることを与えられた命で全うしていかねばならないと思っています。





Name: はれママ    ..home.ne.jp
Date: 2016/03/12(土) 17:57
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Title: 7週 完全流産    
第二子を望んで、しばらくしてから検査薬で陽性反応。
5週で病院にいくと胎嚢が確認できず、子宮外妊娠が疑われると言われ、不安な日々を過ごして3日後に再診。
胎嚢が確認でき、電話で主人に報告したときは嬉しくて涙があふれ出ました。

毎日お腹の赤ちゃんに「愛してるよ」「順調に育って生まれてくるんだよ」「パパもお姉ちゃんもみんな待ってるよ」などと話かけたり、家族4人になる生活を想像しながら幸せな日々を過ごしていました。

その1週間後の夜、鮮血の出血が始まりました。
流産という言葉が頭をよぎり、ネットでいろいろ検索して、自分は腹痛がないし出血もそこまで多くないから大丈夫、お腹の子にも「がんばれー!しがみついてるんだよ」と何度も声をかけました。

翌朝診察し、まだ子宮内に赤ちゃんがいることが確認できたときは、とても安心しました。
安静指示のため主人に家事や子守をまかせ、なるべく横になっていました。
しかし出血は一向に止まらず、増える一方。
もうだめかもと思いながらも、きっと赤ちゃんも頑張ってくれると信じました。

翌朝ズズズッとお腹の中で何かが降りてくる感覚があり、目覚めると、陰部に少し痛みと違和感を感じました。
トイレに行き座ろうとした瞬間、するっと塊が出てきました。
ふわふわの膜に包まれたそれは、すぐに赤ちゃんだとわかりました。
そのときはなぜか冷静にその子を手に取り、自然と「がんばったんだね」「えらかったね」と声をかけている自分がいました。

主人は会社に行ってしまったあとだったため、すぐに電話をかけて、赤ちゃん出てきちゃったと伝えた瞬間から涙が止まらなくなりました。
その後娘が起きてきて、1歳になりたてで言葉もまだ話せないのに状況がわかっているのか、しばらく大泣きしていました。
「ごめんね、赤ちゃん出てきちゃったの」と伝え、娘を抱きしめました。

出てきた赤ちゃんを持って病院にいきました。
子宮内はきれいになっているため手術は必要ないとのことでした。病理に出した赤ちゃんは返してもらえないかと聞きましたが、それはできないとのことでした。

帰りにお花を買って帰り、家族の写真の横に飾りました。

まだ、ここ数日のことのため、現実を受け入れられていません。
目覚めるたびに夢じゃなかったんだと思ってしまいます。
思いつめて辛い時間のほうが多いのですが、
赤ちゃんは一旦お空にかえっただけでまた戻ってきてくれると前向きな気持ちになれるときもあります。

短い間でしたがお腹にいてくれた赤ちゃんはたくさんの幸せをくれました。そして命の尊さを教えてくれました。
主人、娘をこれからも大切に思い、お空にいった赤ちゃんが戻ってきてくれるのを家族で待とうと思います。





Name: のりママ    ..bbtec.net
Date: 2016/03/07(月) 23:11
  返信  引用  編集 
Title: 14週 人工死産    
初めての妊娠は悪阻もほとんどなく、順調でした。
次年度の仕事の相談や、産前産後の生活など、少しずつ準備を進めているところでした。
2回目の検診で、お腹の上からのエコーが見づらく、超音波検査の内診をしていただいたところ、赤ちゃんの頭部に異常が見つかりました。
無脳児の可能性が高いということで、すぐに人工死産を勧められました。
いろいろ考えた結果、セカンドオピニオンとして、別の病院でも見ていただきましたが、同じ診断でした。

赤ちゃんのためにも、自分のためにもと納得して赤ちゃんとお別れすることになりました。なんだか悪い夢を見ているような気がしました。夢ならいいのにと、何度も思いました。

入院前には、病院の助産師さんが赤ちゃんとのお別れの準備なども丁寧にご指導くださいました。
そのおかげで、落ち着いて入院の日を迎えられました。
陣痛促進剤を使ってから約8時間後、予定日より6ヶ月も早く赤ちゃんと対面することになりました。
かわいい男の子でした。
私や夫のこと、病院の先生や看護師さん、助産師さんのことも考えてくれたのか、早く産まれてきてくれました。

赤ちゃんは無脳児、脊椎も上手に形成されていませんでした。
でも、にっこり笑った口元と鼻筋は確かに私たちの面影を宿していました。
前日に作った洋服を着せ、布団に寝かせてあげました。
助産師さんにとっていただいた手形足形は大切な宝物です。
分娩当日は安心感と疲労で早く寝てしまいましたが、次の日からは喪失感で押し潰されそうでした。
幸い夫が仕事を休んでくれ、母と妹も駆けつけてくれたので、心強かったです。
1週間後に、仕事に復帰しました。
仕事をしている間は、辛さから逃れることができます。

なぜ私たちなのだろう、真っ直ぐ生きてきたのに何がいけなかったのだろう、などと考え、ネガティヴになってしまうことも多いです。
妊婦さんを見て羨んでしまう自分に嫌気がさすこともあります。
身体は回復していますが、こころの回復にはまだ時間がかかりそうです。
周りは、もう大丈夫そうだね、とか、次がんばりなさいなどと言います。何も言わない人も、きっと私はもう平気だと思っています。
周りに甘えられず、弱みを見せられないので、ここに書き込みたいと思います。





Name: るるるーと    ..ppp.bbiq.jp
Date: 2016/02/26(金) 09:54
  返信  引用  編集 
Title: 23週での死産、子宮外妊娠、3度の流産    
今からちょうど22年前、初めての赤ちゃんを緊急帝王切開の末、妊娠23週で亡くしました。
子宮頸管無力症との診断でした。
帝王切開の傷口から感染症に罹ったために1ヶ月以上退院することが出来ず、よその赤ちゃんの元気な泣き声を聞きながら過ごす入院生活は、今振り返っても、とても辛くて悲しい日々でした。

それから何とか立ち上がろうと、次の妊娠にのぞみましたが、今度は子宮外妊娠。
また赤ちゃんを助けられませんでした。

3度目の妊娠は赤ちゃんがお腹の中で大きくなれずに稽留流産。
その次のときは妊娠初期から強い腹痛と出血があり、進行流産。ちょうど大晦日で、翌日はお正月でみんながおめでとうと言っていて、辛かった。

5回目の妊娠は1カ月入院して安静にしてたけど、心拍が確認出来ず、稽留流産。
検査をしても原因もわからず、もう私には赤ちゃんは授からないのかなと思い始めていた頃、6回目の妊娠。
また初期からの出血はあったものの、今度は心拍が確認できて、妊娠4ヶ月で退院。
また妊娠23週でわずかに出血があり、病院へ行くと、すでに子宮口が開いてきていて、卵膜も出てきていて緊急入院になりました。2週間後、帝王切開で出産。
この子は超未熟児で、命の危険もありましたがお陰様で乗り越えることが出来て、今、高校生になりました。

その後、もう一度妊娠に挑戦しましたが、妊娠17週でまた子宮口から卵膜が出てきてしまって流産。
男の子でした。

色々あったけど何とか乗り越えて来れたのは主人の支えがあったからだと思います。感謝の気持ちでいっぱいです。
今日は娘の祥月命日でした。
22年、あっという間だった様な気がします。
少しずつ悲しみは薄れていったけれど、やっぱり時々涙が溢れます。





Name: nohana    ..pikara.ne.jp
Date: 2016/02/25(木) 10:55
  返信  引用  編集 
Title: 胎児水腫 誕生死    
第一子です。妊娠は順調そのものでした。
しかし7ヶ月検診で胎児腹水、羊水過小が見つかったため、その後、大学病院に管理入院しました。

心拍がさがったため、妊娠8ヶ月で緊急帝王切開。
1,200gの女の子を出産しましたが、2日でお空に帰りました。
最期は私の腕の中で息をひきとりました。

もう一度娘に会いたいです。
できることなら抱っこしてあげたいです。





Name: さとこママ    ..panda-world.ne.jp
Date: 2016/02/23(火) 14:06
  返信  引用  編集 
Title: 9週 稽留流産    
少し前まで、喜びと不安の入り混じった、きらきらした毎日でした。
31歳、結婚から1年が経とうという頃、夫が精神科の内服中で、性線機能の障害があやぶまれ、仲良しの回数も減ってしまう中で
妊娠がわかったときは、奇跡だと思いました。

つわりの症状が急に軽くなり、心配になって迎えた2回目の健診で、心拍を確認。
微かにピコピコ動く心臓、私からはっきりは見えなかったけど、
先生はわかったようでした。
まだ赤ちゃんが小さいので、排卵が遅れてたのかも、
2週間後にまた来て。予定日を教えるよ。
そのあとは母子手帳もらってきてもらうからね。

吐き気、胸の張り、便秘など、まだ実感ないけど、確かに赤ちゃんがいるのかしら、と感じながら、2週間を過ごしていました。

赤い血の混ざった茶色いおりものが下着についていて、
あ、と思った。
まさかね。心拍もみえて、一安心、のはずでしょう。
妊娠初期の出血はよくあると、ネットにも書いてあり、気持ちを落ち着けようと一生懸命でした。

それから3日目の夜、鮮血が下着についたとき、血の気が引く思い。
翌朝一番に、夫と産院を受診。
今流産するなら、運命だから受け入れようという冷静なわたしと、
意外と大丈夫で、心拍がみえて、母子手帳もらいに行くのかもと
楽観的な気持ちが、半々。

エコーでの診察。沈黙が10秒。
長く感じた10秒。その間に、ああ、だめなんだなと悟りました。

翌日に手術の予約をして、涙をこらえて帰ってきて。
心は弱いけど、優しい夫に慰められて、いまようやく気持ちが落ち着いてきた。
この2か月、私をママになる希望で満たしてくれた、私たちの最初の赤ちゃん。

命を生み出す喜びより先に、我が子を失う悲しみを知ることになるとは。
どこか他人ごとでいた自分。
深い悲しみを知って、人として、もっと優しくなれるかな。

天使に還ってしまった、わたしの赤ちゃん。
あなたに人生をあげられなかった、お母さんを許してね。
短い間だったけれど、あなたのお母さんでいられた日々は、本当に幸せだったよ。
ありがとう。
また逢う日まで。待っています。
お父さんもお母さんも、日々一生懸命がんばるから、お空から見守っていてね。





Name: さくら    ..spmode.ne.jp
Date: 2016/02/23(火) 05:21
  返信  引用  編集 
Title: 35週 子宮内胎児死亡 母児間輸血症候群    
2月7日母児間輸血症候群による子宮内胎児死亡で長女を天国に見送りました。
結婚して2年半。なかなか授からなくて悩んで悩んで。
そんな中、やっと授かった待望の妊娠でした。

9ヶ月まできたら、もう産み落とすのを待つだけだ。
そんな安心感の中、胎動が無くなったと感じ病院に行きましたが、心拍が停止している、その言葉が受け入れられなくて泣き崩れました。

2日間の陣痛に耐え、産み落とした瞬間は産声を上げない悲しさでいっぱいでした。
珍しい病気とのこと。
周りのみんなは無事に産まれてるのに、なんで私にあたったんだろう。
なんで私たち夫婦にあたったんだろう。
答えのない思いが今でも何度も頭を巡ります。
何をするにも、本当は赤ちゃんと一緒に過ごす今だったのに、と、涙が出てきます。
もっと早く胎動の変化に気付いてあげられてたら助かったかもしれない。
ギュッと強く抱きしめてあげたかった。
おっぱいをあげたかった。
旦那さんにも抱っこしてあげさせたかった。
1人になるとこんな思いばかりが浮かんでしまって涙が出てきます。

赤ちゃん、元気に産んであげられなくてごめんなさい。
旦那さん、楽しみにしてくれてたのに元気に産んであげられなくてごめんなさい。
いつまでもウジウジ、めそめそ泣いている自分が嫌なのに、頭に浮かんできてしまって、涙が止まらなくて。
時間が解決してくれるとよく目にしますが、前のように仕事をして家事をして笑顔でいれる自分が想像できなくて。
どうにか変わりたくて。けど、赤ちゃんを忘れたい訳じゃない。
葛藤の中にいます。

まとまりのない文を申し訳ありません。
こちらの体験談を読んで、自分だけじゃないと少し力をもらっています。
こちらに思いを吐き出させてもらって少し気持ちが楽になりました。
こんな私でも前を向けるでしょうか。
拙い文章を読んでいただきありがとうございます。





Name: 香月・美月ママ    ..zaq.ne.jp
Date: 2016/02/21(日) 17:52
  返信  引用  編集 
Title: 双子の稽留流産(7週・8週)    
29歳で結婚して2年経過しても妊娠せず、不妊治療を開始。
治療内容のステップアップを重ねて3年しても全く着床した形跡もないので、そろそろ治療卒業を考えていた時、2人は私達の所に来てくれました。

4度目の顕微授精で3日目胚を2つお迎えし、後日、医師から初めて妊娠していると告げられた時は、診察室で涙が溢れ、診察後すぐに主人に連絡して喜びを分かち合いました。

その後、エコーで嚢胞が2つ見え双子であることが判明。
でも1つはかなり小さいと伝えられました。
出産時には37歳になるし、不妊治療に貯金を崩していたことから、正直戸惑い「どうしよう?」と困惑しました。
しかし、帰宅した主人に話すと「2人なら賑やかになるね」と言ってくれて、小さい嚢胞も持ち直す、無事に生んで育てたいと2人分の名前、香月・美月を考えて付けました。

しかし7週の検診で、嚢胞が大きく成長していないので1人は流産と診断されました。
もう1人は心拍が確認できたので手術はせず、自然に吸収されるのを待つと言われました。
次回の診察で不妊治療クリニックが卒業になるので、転院する産科を決めておくようにとも言われました。
私が戸惑ったせいかな、とか、自分を責めて辛かったけど、残ったもう一人の為にも頑張るしかないと思い直し、つわりなどと向き合いながら日々を過ごしました。
お肉やフライドポテトが美味しくなくなり、間違いなく女の子だと確信。
お腹にも話しかけるようになっていました。

ところが8週目の診察、エコーを見る医師が言葉もなく必死に何かを探している様子を見て「心拍が見えませんか?」と尋ねると、静かに「はい。詳しくは診察室でお話しします。」と。
心拍が停止しており、大きさも6週相当であるので稽留流産であり、手術が必要なことを説明されましたが、私は突然のことで涙を止めることが出来ませんでした。
最終的には少しでも一緒にいたくて、手術は一番遅い8日後の予約をして帰りました。
帰りの電車でも涙を止めることが出来ず、うつろとしながらクリスマスで賑わう町を通り、どうにか家に着いて鍵を内から閉めたとたん、声を上げて号泣しました。
主人に連絡したら慌てて電話がかかってきて、私の心配ばかりしてくれました。
でも、その優しさが逆に本当に申し訳なくて、謝ることしかできませんでした。

それから手術までの朝は本当に辛かった。
夢じゃない現実と、美月ちゃんとお別れしなければならないカウントダウンを止めることが出来ず、毎朝、声を上げて布団の中で泣いていました。
今までの人生で一番大声を上げて、ひたすら泣きました。
そして主人と話し合い、手術までに感謝の気持ちを伝えて笑顔で送ってあげようと決めました。
お別れまでに色んな景色を見せてあげたり、生まれて来たらしてあげたかったことをできる限りしよう、と。
ベビーボールなどを一緒に食べたり、姉のように慕っている人にも会いに行きました。
毎日のように出かけて、動物園や大阪城も家族3人で思い出を作りに行きました。
徐々におりものの匂いが変わり、美月ちゃんもお別れの準備をしているのを伝えてくれました。
それで腹を決めました。
手術の前準備などは痛いらしいが、これは私の出産なのだがら頑張ろうと。

手術自体はあっけない程、早く済みました。
麻酔で朦朧としている時に蝶の羽をつけた赤ちゃんの夢を見ました。光の中をフワフワ浮いていて、上手にお空に帰れるから大丈夫だと言っているように感じました。
麻酔が覚めてお腹に手を当てても、不思議なもので、美月ちゃんがいないことが分かりました。
トイレに行く度、出血を見て、現実に打ちのめされました。
とにかく寂しくて切なくて淋しかった。
出血は1週間位で止まりましたが、心はずーっと苦しかった。

初詣に行った時に厚い曇りが急に晴れ、鳥居と社の向こうにきれいな月が見えました。「明日はきっといい日になる」が聞こえてきて、二人が私を心配して話しかけているように感じました。
子供に心配をかけてはいけない、そう思えるきっかけになりました。

2カ月が経過した今でも、突然泣きたくなる時もあるけど、自分が二人を殺してしまったんじゃないかと思う日もあるけど、それでも二人が私の所に来てくれた事に後悔はありません。
本当に短い間だったけど、私は大切な二人のママになれました。
二人は私を苦しめようとは絶対に思っていない。
きっと二人は生まれたかったから頑張って頑張って子宮にくっついて、それでも難しくて命が絶えたのだと思います。
きっと私を守ってくれたんだとも思います。
そんな素敵な子供たちだから、どんなに辛くても、将来二人に会えた時に真っ直ぐ向き合って抱きしめてあげれるように、二人のママとしてこれからも心は一緒に生きていこうと思っています。






 
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