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早期胎盤剥離
21週 水頭症
19週 死産
27週 死産
17週3日 胎児水腫、横 ....
15週での流産
2回目の流産
20週0日進行流産
13週 無頭蓋症
9週 稽留流産
Name:
蒼史のお母さん
..so-net.ne.jp
Date: 2018/08/22(水) 11:02
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Title: 早期胎盤剥離
2018年6月22日23時66分
この日のこのとき、蒼史が生まれて天国に旅立ったときです。
臨月近いせいか、2、3日前から便秘気味でした。
22日の深夜に便意を感じたのでトイレに行くと出ない。
また、便意を感じていくけど出ない。
そんな繰り返しで、朝を迎えました。
朝になると吐き気が出始め、トイレにこもるようになりました。
夫から心配されましたが、私は「大丈夫。便秘なだけだから仕事へ行って」と、夫を会社へ送り出しました。
私はいつまでも改善しない便意にしびれを切らして、思いっきりいきんでしまいました。
おそらくこのことが原因だったのではないかと、今では思います。
そのあとから痛みが徐々に出始めて、9時ぐらいになると腹痛でのた打ち回るようになりました。
それでも、いままでの検診で「順調です。まったく問題はありません。お母さんがちょっと太り気味なことぐらいですね」と言われていたので、何も心配せず、便さえ出れば全てがよくなると楽観視していました。
頭痛の時に産院でもらった痛み止めを飲んで、無理矢理眠ったりして過ごしていました。
その後、お昼になっても夕方になっても出る気配がなく、痛みはひどくなる一方でした。
18時になって、さすがに病院に相談してみようと思い、電話をかけて病状を話すと「急いでタクシーを使って病院に来てください」と言われました。
処置室で看護師さんにエコーを見てもらいました。
その時にはもう、右向き以外で寝ると悶絶するほどの痛みが来るようになっていました。
その様子を見て看護師さんがこう言いました。
「お母さんの痛みは赤ちゃんの痛み。痛いならすぐにでも産院に来ないと。お母さん失格だよ」
その後来た医師が、なんども機器をおなかに押していました。
場所を変えて何度も何度も。
それから医師は言いづらそうに「赤ちゃんの心音が止まっている」そういいました。
私はわけわかりませんでした。
昨日まで当たり前にそばにいて、激しくおなかを蹴っていた息子が。
「そんなわけない」という私に医師は「おそらく早期胎盤剥離です。多分痛くなり始めたころから始まって、午前中にはもう。ここでは処置ができないので、大学病院に連絡します。」
そういって部屋から出て行きました。
そうこうしているうちに看護師が呼んだ夫が来て、夫に状況を伝えました。
夫も驚いていましたが「きっと大丈夫だよ。ちゃんと生きてるよ。俺たちの子供だよ。」と言ってくれました。
私はその言葉にすがりつき「生きているんだ。死んだりするわけがない」と心の中で祈りながら救急車で大学病院へ運ばれました。
そこでも同様のことを言われましたが、信じませんでした。
緊急手術を受けて、気がづくと病室でした。
そこへ夫が蒼史を連れてきてくれました。
ものすごく可愛くて、かつて祖母が言っていた「子供を初めて見たとき、こんなにかわいいものがこの世にあるなんて、とそう思った」と。私も同じことを思いました。
目に入れても痛くないとはこの事なんだなそう思いました。
ですが、私たちの蒼史はうぶ声を上げることはありませんでした。
その後の処理はすべて夫がやってくれて、私は1週間入院して家に戻ってきました。本当はもっと長くいるように言われたのですが、どうしても、と、30日に退院しました。
この日は蒼史を旅立たせるための日でした。
葬儀場へ行くのは夕方だったので、夫と私と蒼史とで海を見に行ったり、散歩したり、絵本を読んだり、精一杯3人の思い出を作りました。
病み上がりには蒼史が重たくて、よくこんなに育ってくれたねと思ったものです。
いざ納棺となると惜しげもなく号泣しました。
「なぜこんなにかわいい息子を手放さなければいけないのか」
怒りでいっぱいで、悔しくて、止めどない悲しみでした。
いまでも、あの時こうしていればとか、夫に頼んで病院へ行っていれば助かったのかもとか思う日々ですが、
少なくとも蒼史は泣いて臥せってばかりいる両親を見て喜ばないと思い、夫は仕事場へ復帰し、私は今就職先を探しています。
天国で蒼史にあった時、胸を張れるように頑張るつもりです。
願わくば、また蒼史に会えるようにといつも思っています。
Name:
さなえママ
..au-net.ne.jp
Date: 2018/07/25(水) 23:25
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Title: 21週 水頭症
生理不順、鈍い性格の私が妊娠していることに気付いた時には20週になっていました。
主人が私に「太った?」と聞いてきたのがきっかけでした。
「子どもはいらない。2人で一緒にいようね」といつも話していたのに、検査薬で陽性反応が出た日から主人も私も笑顔で
「男の子かな?女の子かな?どっちでも元気で明るい子に育ってほしいね。」と話していた数日後の検診。
「エコーみますね」と言った次の瞬間、先生の表情が曇り、すぐに他の先生を呼ばれました。
一緒に来ていた主人も待合室から呼ばれ、お腹の子が水頭症、片手が欠損している可能性が高いと言われました。
生まれても重度の障がい、長く生きられない可能性もあることを聞かされ、しかも気付くのが遅かった為、短期間で選択しなければならないとのこと。
3日間考える時間をもらって、2人で決めたのは子どもとの別れでした。
出産当日、痛がりの私を気遣ってくれたのか、驚くほどの早さで生まれたさなえちゃんは、とても可愛い女の子。
さなえちゃんの顔を見た主人が「こんなに可愛いのに、なんでウチの子が・・・」と、泣きそうになりながらポツリと言った直後、どこかの部屋から元気な泣き声。
羨ましさと悲しさで何も言えなくなりました。
さなえちゃん、元気に産んであげられなくてごめんなさい。
そして、主人と私の子どもになってくれてありがとう。
パパとママはさなえちゃんが大好きだよ。
Name:
かけるママ
..ocn.ne.jp
Date: 2018/07/13(金) 10:42
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Title: 19週 死産
結婚8年目にして不妊治療の末、ようやく授かりました。
妊娠初期から出血が続いたので安静に過ごし、ようやく安定期の5ヶ月に入った矢先に突然の破水。
お腹の中には全くと言っていいほど羊水は残っていませんでした。
それでも懸命に心臓を動かしている我が子。
出血も止まらず、このままだと私の命も危ないと、泣く泣く出産しました。
この世にこんなに静かで悲しいお産があるなんて初めて知りました。
その後、奇跡的に自然妊娠で息子を授かり、今は元気に1歳を迎えました。
お兄ちゃんが導いてくれた命を大切に毎日育児に奮闘しています。当時、このサイトを毎日見てとても心の支えになりました。
とても辛い経験をしましたが、すべて意味がある事だと思えるようになり、ゆっくりでいいので前を向き日々を過ごして行って欲しいです。神様はちゃんと見てます。
Name:
ひかりちゃんママ
..dion.ne.jp
Date: 2018/07/07(土) 23:55
返信
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Title: 27週 死産
1人目、2人目と、何も異常なく、健康に、女の子と男の子を出産しました。
今回は女の子と言われていて、なんとなく男の子がほしかったので、女の子かあとか 2人共パパ似だったので、今度は私に似てるといいなぁ とか。
運動会頃が予定日だったので、運動会みたいなぁとか、今となれば、本当、ひどいことばかり言っていたなぁと思います。
そんなのどうでも良かったのにね。
無事産まれてきてくれれば、それでよかったのに。
きっとこんなママがいやになって、戻っていっちゃったのかな。
本当にごめんね。
とっても元気なひかりちゃん。
お腹からお姉ちゃんの顔をけとばしてたね。
お姉ちゃんはゲラゲラ笑っていたよ。
とても楽しみに待ってたよ。
お兄ちゃんも、お兄ちゃんになって可愛いがるって楽しみにしてたよ。
無事に産んであげれなくて本当ごめんね。
7ヶ月、27週のとき、家でボーッと寝転がってたら、胎動がない?気のせいかな?夕方は子供の世話でバタバタしていて、お風呂で確認。
やっぱり動かない。
でも寝る前なら、よく分かるし・・・。
布団に寝転がっても、やっぱり動かない。
寝かしつけてたら夜中になってしまって、病院に電話して看護師さんに相談するも、まだ週数が小さいから、様子見て、朝また気になったら来てみて、といわれ、
そうだよね、大丈夫だよね、なんて気にしないフリして。
結局、朝 子供達と病院へ。
心音を測る機械を当てるも、なかなか見つけられない。
エコーに替えて、人もベテランさんに代わるが、背骨がここなんだよね、うーん、先生によくみてもらおうね。
この時点で、血の気がひいてきて、頭が真っ白に。
でも子供がぐずりだしたので、オヤツをあげたり、平然を装って先生にみてもらう。
頭のサイズ、太腿の長さ、いつも通りチェックして。
そして、背骨、心臓、心臓ここですね。
ここなんだけど、動いてませんね。
え?え?え?そんな,なんで・・・なんで・・・。
涙があふれ、みていた娘がハンカチをくれ、先生の説明を聞いた。
その後 パパはすぐ来てくれ、次の日から入院。
ラミナリアで子宮口を広げ、バルーンで広げ、促進剤で陣痛が起き、本陣痛から5時間で出産。
娘と息子とパパによく似た可愛い女の子でした。
大泣きしようと思っていたのに、赤ちゃんの可愛さ、やっと出してあげれた安心感、赤ちゃんを抱ける幸せに自然と笑顔になり、とても幸せでした。
火葬、納骨、とすべてが終わり、子供の世話に終われはじめると、心がガランとした感じで、とても淋しいです。
時間薬という言葉があるみたいですね。
今は、ただただ寂しいばかりです。
Name:
りぃ
..spmode.ne.jp
Date: 2018/07/06(金) 13:50
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Title: 17週3日 胎児水腫、横隔膜ヘルニア
15週での検診の日。
いつもは1人で病院に行くのですが、夫が有休を取って一緒に行く予定でした。
2人で「もしかしたら性別わかるかもね」「エコーよく見なきゃ!もしわからなかったら見えるまで先生にお願いしよう」なんて、冗談を言いあいながら、とても楽しみにしていました。
名前を呼ばれ、先生にエコーを見てもらうと、いつもはすぐに「うん、元気ですね、順調ですよ」と言ってくださるので、この日もそう言ってくださるものだとばかり思っていました。
ですが、先生は「うん。元気だとは思うけど、ちょっと赤ちゃんの浮腫みがありますね、染色体異常かな横隔膜ヘルニアだと思います。心臓が真ん中にありますね。残念ですが今回は諦めた方がいいと思いますが、とりあえず1週間様子を見て、来週ゆっくり時間をかけて見ましょう」と言われました。
楽しい日になるはずだったのに、頭が真っ白になり、1週間、たくさん泣きました。
ネットでいろいろ調べたり、夫と沢山話しをしました。
障害を持って産まれたら育てられるか?
育てられないかもしれない。
だけどお腹の中で生きている我が子の命を終わらすことなど出来ない。
もしかしたら障害を持って生まれるかもしれないけど、それでもいいから生みたいと言う結論になりました。
1週間後、ハイリスク外来を受診するとベテランの先生が見てくださりました。
モニターを見ると、私でもわかりました。
赤ちゃんの心臓が動いていませんでした。
「見てもらったからわかると思うけど、赤ちゃん、心臓が動いていません。胎児水腫だと思います」と言われました。
赤ちゃんは、私達が決断を下す前に自らの道を選んだようです。
2018年7月5日12時38分、17週3日という短さでお空へ返ってしまいました。
体重92g身長17cm、男の子でした。
息子と過ごした幸せな時間は、私達夫婦のかけがえのない大切な思い出です。
名前をソラと付けました。
悲しくて寂しくて辛くて泣いてばかりですがソラの為にも少しずつ前に進めたらいいなと思います。
Name:
ちびママ
..mesh.ad.jp
Date: 2018/05/31(木) 21:59
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Title: 15週での流産
第2子を15週で流産してしまいました。
1人目のときは特にトラブルもなく、無事に出産できたこともあり、今回も初期の不安な時期を乗り越えたことで、安心しきっていました。
ある日、突然茶色のおりものが出て、生理痛のような下腹部痛もあったことから病院を受診。
先生は特に問題ない、安静にする必要もないから普通に生活していいと。
しかし、茶色のおりものから本格な出血に変わり、下腹部痛もどんどんひどくなりました。
2日後に再度病院を受診すると、念のため入院して安静にしましょう。赤ちゃんは大丈夫、数日入院すればよくなる、と言われ、安心して入院しました。
しかしその翌日、陣痛のような強い腹痛の後に破水、赤ちゃんが出て来てしまいました。
原因は恐らく、子宮内の感染だろうとのことでしたが、詳しくはわからないそうです。
病院を受診した時点でわからなかったのかとか、何かできたんじゃないかとか、救えた命だったんじゃないかとか、ずっと今でも悔やんでいます。
妊婦さんを見るとすごく辛い。
亡くなった子は、私じゃなくて他の女性のお腹に宿れば無事産まれることができたんだろうなと思うと、本当に申し訳ない。
子供が欲しいけど、また妊娠するのが怖いし、そもそも授かれるのかわからないから不安です。でも、私のお腹にまた戻ってきてほしいです。
Name:
きらきら
..spmode.ne.jp
Date: 2018/05/30(水) 15:36
返信
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Title: 2回目の流産
結婚して1年で自然妊娠。8週で稽留流産。
その後、顕微授精で妊娠。息子を出産。
5年ぶりに顕微授精で第2子妊娠。
今日、11週で稽留流産だと言われました。順
調だったのに、心拍が確認できないと言われました。
息子はお兄ちゃんになるんだ!と意気込み、毎日お腹を撫でてくれていました。
エコーでは私でもわかるぐらい赤ちゃんが育っていなく、あぁ心臓動いてないなと思いました。
またあの手術を受けないといけない。
やっと妊娠したのに、なんで私だけ…としか今は思えません。
Name:
りとるついんすたーずママ
..home.ne.jp
Date: 2018/05/12(土) 20:07
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Title: 20週0日進行流産
二卵性の双子を妊娠中、20週0日で突然陣痛がきました。
分娩時間8時間半、その日に退院して、4日後に火葬という、人生で感じたことのない嵐のような時の流れでした。
夜21時頃、少しお腹が痛い気がする。恥骨辺りも痛い気がすると思い、ソファーで横になりました。
症状を検索すると、子宮が大きくなる時期で下腹部痛や恥骨痛はあるとのこと。
暫くすると痛みはおさまりました。
また出血もお腹の張りもありませんでした。
最近お腹が大きくなってきたので、子宮が大きくなっているのかな、これから2人はどんどん大きくなるのかなと思いました。
その痛みが22時50分頃から激痛に変わりました。それも2分間隔で。
痛みの無い2分の間に夫に声を掛けて、急いで病院に連絡をして直ぐに向かいました。
2分はとても短く、すぐに次の痛みが来ます。
これは陣痛でした。
妊娠6ヶ月で予想もしていなかった陣痛到来。
車の中でも、病院に着いても強い痛みはおさまりません。
医師に告げられたのは進行流産で羊膜が見えているとのこと。
すぐに分娩台へ移されました。
子宮収縮を抑える点滴を受けましたが、陣痛の間隔は開かず、2分間隔のままでした。
初めは足の間に何か挟まっているという感覚だったのが、水風船が挟まっているという感覚に変わりました。羊膜がほぼ出てきていたのです。これはもう危ない状況だと自分でも分かりました。
この時夫は、羊膜の中で元気に動く赤ちゃんを見ました。
「パパ、僕こんなに動けるんだよ」と元気に動く姿を見せてくれたのかな。
お空へ帰ってしまうことを承知で、生きている赤ちゃんを産む。
本当はもっとお腹の中で育ててあげたい、もっと一緒にいたい、一緒に遊びたい。
でも不思議と「きっと今、赤ちゃんも苦しいんだろうな。お互いここまでよく頑張ったよね。苦しいよね。出てきていいよ。ありがとう」という思いでした。
すると「準備を始めます!」と助産師さんが言い、点滴が外されました。分娩が始まります。ついにこの時が来ちゃった…。
生まれてきた2人は、すやすやと寝ているようでした。
そして、2人はただただかわいかった。
暫くすると涙がとまりませんでした。
さっきまであんなに冷静でいられた自分はどこへ行ったのか。
それからの1週間は我が子を探してばかりでした。
2人が命をかけて私の命を守ってくれたのかなと受け入れたと思えば、守れなかった自分を責めたり。
どんなにつらくても朝はやってきます。前へ進まなければ。
命はこんなにも儚いものなのか。
2人が命をかけて伝えてくれたことはなにか、これからの人生で集めて行きたいです。
どうか今出産を控えている方とその赤ちゃんが、母子ともに元気に出逢えますように。
Name:
あき
..yournet.ne.jp
Date: 2018/05/10(木) 13:18
返信
引用
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Title: 13週 無頭蓋症
たった13週と2日の命でした。
新婚旅行後、すぐに妊娠がすることができました。
とてもとても嬉しかったです。
口にヘルペスが出来てしまっり、身体の体質が大きく変わってしまって苦労しましたが、成長するのを本当に楽しみにしていました。
しかしながら、その子は胎嚢のみしか育たず、9週で稽留流産の手術を受けることになりました。
とても悲しかったです。
なんとか事実を受け入れ、乗り越えて、きっと帰ってきてくれるはずだから・・・と、前向きに頑張っていたところ、
それから2ヶ月後、すぐにまた妊娠することができました。
今度は胎芽もちゃんと見ることができて、7週目で心臓が動いてるのが見えた時の感動と愛しい気持ちは本当に忘れられません。
不安だらけでしたが、私にとっての「魔の9週」を過ぎたので、もう大丈夫だろう、2度も辛いことが起きることはないだろう、悪阻もあるけど、それも嬉しいことだ。
仕事もほどほどにして、頑張って育てようと意気込んでいました。
11週になり、だいぶ大きくなり、エコーで我が子を見たとき、ピョンピョン跳ねる姿が見えたり、両手で顔を隠す姿が見れたり、本当に可愛くて可愛くて仕方がなかったです。
先生からまた2週間後に診察に来てねと言われ、あれ?そろそろ1ヶ月に1回の診察になるはずだよね?チケット足りるかな?と不思議に思っていましたが、またエコーが見られるから嬉しいし、むしろ2週間でも待ちきれないと楽しみに思っていました。
13週と1日目。
旦那にもピョンピョン跳ねる我が子を見て欲しくて、一緒に来院。
そこで先生はいつも通りエコーをしてくれ、またまた愛しい我が子と対面でき、また大きくなってる!動いてる!とはしゃいでいました。
でも、先生は何も言いません。
あれ?なんで何も言ってくれないの?と思っていたら突然、
「この子ね。とても元気だけど、頭に障害があるかもしれません。頭蓋形成が上手くいっていないかも。下からのエコーでも見てみるね」と、言われました。
崖から突き落とされた感覚でした。
下からのエコーでも頭の形をハッキリ確認することができず、大学病院から来る別の先生にも診てもらうことになりました。
翌日、結果は一緒でした。
「無頭蓋症」でした。。
初期の発達の段階で、おでこから上部分だけがうまく育たず、お腹の中では生きられるが、外に出てからはすぐに死んでしまう病気でした。
原因は、葉酸不足だったり、ビタミンAの摂り過ぎだったり、染色体異常だったり、遺伝子異常だったり、いろんな説があるけれど、
でも原因は不明で、文献には2000分の1の確率で起きると書かれていました。
葉酸はサプリでとっていたし、前回流産してしまったのに、なんでまた私?
仕方がないという言葉では簡単に片付けることが出来なくて、現にお腹の中で元気に動いてるこの子がいるから本当に辛く、泣くことしかできませんでした。
13週目なので本来であれば分娩するところですが、赤ちゃんもそう大きくなく、母体の負担を考えて、との先生のはからいで、掻爬手術を行うことになりました。
分娩と違って、赤ちゃんをバラバラにして取り出してしまうため、生きてる命をそのようにしてしまうと思ったら本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
手術の日。
処置開始直前で先生が「エコー見ますか?」と声をかけてくれました。
最後まで我が子の姿を見たいとの思いから見ると即答し、見せてもらいましたが、バタバタと足をバタつかせて元気いっぱいに動いていました。
その脚の形が旦那にそっくりでつい笑ってしまいました。
エコー見ながらお腹に手を当て、ごめんね、ありがとね、また会おうねと伝えました。
術後は自分でも不思議なくらいスッキリしていました。
先生と我が子のおかげで、すぐに回復しました。
落ち着いた頃に看護師さんが来て、
「赤ちゃんバラバラになってしまってますが、見られますか?」と声をかけてくださり、会いたい一心で「見る」と即答していました。
赤ちゃんは、たしかにバラバラで、なんとか人の形に整えてくれてたって言うくらい可哀想な姿でした。
でも、ちゃんと、小さな手と足もあって、それぞれの部分はしっかりしてて、よくこんなに育ってくれたね、ありがとうと、とってもとっても可愛くて愛しくて仕方がなかったです。
その見た目から性別は判断出来なかったけど、前日のエコーで股からそれっぽいシンボルが見えたのできっと男の子だったんじゃないかなと、思います。
明日、火葬してきます。
赤ちゃんの箱を、花とお菓子とオモチャでいっぱいにして、しっかり見送ってあげたいと思います。
こんな形でお別れするとは思わなかったけれど、命の尊さ、繋ぐことの難しさ、支えてくれる方々への感謝など、数えきれないほどのことを教えてもらったと思います。
こんなパパママを選んでくれて本当に本当にありがとう。
たった13週2日だったけど本当に楽しかったよ。また会おうね。
昨日の空は本当に綺麗だと思いました。
〜その後〜
火葬を終えました。
術後の診察を受けた後、赤ちゃんを迎えに行き、
お家に帰って、時間まで家の中を案内したり、小さな箱の中に私たちの好きな色のお花や粉ミルクやお菓子やアンパンマンのイラストなど、入るだけ入れました。
赤ちゃんの顔をみて、旦那と一緒にたくさんたくさん泣きました。
この子のために泣いてあげることが、私たちにできることじゃないかと思って、思いっきり泣きました。
火葬場で最期に会いました。
どうしてもお骨を持ってまた一緒に家に帰りたかったのですが、小さ過ぎて残ってないんだろうなと半ば諦めていましたが、奇跡が起きました。
小さな小さな肋骨1本を見つけてくれたのです。
嬉しくて仕方がなかったです。
用意したハート形の骨壷に大切に納め、大事にくるんで一緒に帰ろうとひたとき、先ほどの方が
「待ってください!もう一つありましたー!」
と後ろから呼び止めてくれました。
私たちもすぐに駆け戻り、見ると、たしかに、しっかりとした肋骨がありました。
「こんなに大切に思ってくれてるお父さんお母さんだったから、なんとかまだ見つけられないかなぁと思って、目を凝らしていたら見つけられました。肋骨は心臓守るために1番早く作られて、その分しっかりしてるからこんなに小さな子でも残ったんだろうね」と、言ってくれたのがとても嬉しかったです。とても救われました。
それから3人でまた家に帰ることができました。
お菓子やお花や人形と一緒にリビングで、見守ってくれています。
そこに、息子がいると思うだけで心が温かくなります。
この子にたくさんの笑顔を届けてあげられたらなって思います。
正直、本当はまだ寂しくて寂しくてたまらないですが、息子が残してくれた沢山の奇跡、私たちにとっての宝物たちを、ずっと大事に大事にしていきたいと思います。
最期の日も本当に晴れ渡っていて、綺麗な空でした。
息子にがんばってと言われている気がしました。
Name:
あさ
..ap.nuro.jp
Date: 2018/04/18(水) 19:34
返信
引用
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Title: 9週 稽留流産
はじめての妊娠で、稽留流産を経験しました。
6週目で初めて産婦人科に行き、胎嚢を確認しました。
結婚前で、突然の妊娠だったのにも関わらず、先生の説明後はパートナーと手を取り合って喜びあいました。
妊娠が判明してからは、今のお腹の子の状態や、これからどう育っていくのかなどをネットで調べたり、雑誌を購入したり、男の子か女の子か、名前はどんな名前にしようかなど、常に考えていました。
つわりの代表とされる吐き気も全くなく、たまに大丈夫なのかなと心配にもなりましたが、検診でエコーを見ては無事に育っている姿に安心していました。
8週目になり、初めて心拍が確認できました!
小さいながらも、一生懸命パクパクと動いているのを見たときは、これで一安心かなと思って、とても嬉しかったです。
母子手帳をそろそろもらってきてと言われるかなと、わくわくしていました。
9週目、エコーを見た私は大きくなっている赤ちゃんの姿に感動していたところ、先生からは唸るような声が。
ちょっと今日は心拍が見えないので、また明日来てくださいとのこと。
急な出来事に頭が追い付かず、とりあえずパートナーに連絡しました。
泣きたくもありましたが、今日たまたま見えなかっただけで、明日になったら確認できるかもしれない、と、自分に言い聞かせ翌日の検診に向かいました。
結果は変わらず。昨日と同じで心拍確認できず、お腹の中で赤ちゃんが亡くなっていると告げられました。
病院では周りに人もいるせいか涙はでてきませんでしたが、家に帰ってからはずっと泣き続けました。
この前までは心臓が動いていたのに、急にお空にかえっていってしまった。まだお腹にいるのに亡くなっているなんて。
流産を経験している方は多いと聞いていましたが、どこか他人事でした。
吐き気などもなく、普通に仕事も食事もしていて、病弱な訳でもないから普通に生まれてくると思っていたので、まさか自分が流産で子供を失うなんて思ってもみなかったです。
流産が発覚してから手術までは、あっという間でした。
術後の通院は本日が最後でしたが、胎動を感じる事もできず、母子手帳ももらえないまま妊娠が終わってしまったことを思うと、待合室ですごく、やるせなく惨めな気持ちになってしまいました。
こんなことを思う自分もすごく嫌なのですが。
このサイトを知り、自分の気持ちが吐き出せるような掲示板があることに感謝します。
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