++山根一男の徒然日記++
山根一男HP 〜やまネット〜

山根一男掲示板

9月 30日(金) 電子投票廃止案『討論』原稿
9月 29日(木) 日本のNPO政策この7年
9月 28日(水) 市長との面談
9月 27日(火) 役員ポストと民意
9月 26日(月) M君に会う
9月 25日(日) 机上整理
9月 24日(土) 病院脱走
9月 23日(金) 劇症肝炎
9月 22日(木) 経済福祉委員会・フェロシルト
9月 21日(水) 総務企画委員会傍聴 5対1
2005年 9月
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 2005年9月1日(木)
 ガイアシンフォニー 9/24 上映
 ついに9月に入った。まだ、選挙の最終会計報告ができていない。臨時議会も終わりホッする間もなく、9月8日(木)から9月議会が始まる。9月15日・16日の一般質問・議案質疑に向け準備を急がなければならない。 
 
 9月24日(土)14:00〜の可児市文化創造センター主劇場での、映画『ガイアシンフォニー第一番』(地球交響曲)の上映会は、もう三ヶ月ほど前から予約していた。この日を逃すと、アーラ(文化創造センター)の土・日の主劇場・小劇場は3月か4月まで開いていないのだ。 
 
 予約した時は、まさか自身の選挙があるとは予想していなかった。さすがに選挙前にはガイアの準備は何もできなかった。あと24日で、1000人の劇場を埋めるべく準備をしなけらばならない。まあ、1000名は無理にしても、せめて前回、5月8日の約400名くらいは来てほしい。 
 
 これでこの映画は私自身、9回目の自主上映となる。すでに全国で4000回以上自主上映されており、200万人以上の方が足を運んだ伝説の映画なのだ。前回の上映会では、なんと87%の方が、ぜひ次(ガイアシンフォニーは第一番から五番まである)も観たいといってくださった。私にとって、この映画を上映することはライフワークといってもいい。 
 
 この映画を観たり上映することによって、私は本当に沢山のものを得て来た。一番は、ひとのつながりだろう。あるいは、こんなちっぽけな自分であっても、この社会をなんとかしていく力があるはずだと気づかせてくれた。登場人物はいずれも現在の常識を越えたことを成し遂げた方たちだが、観終わったあと、何か自分にもできるんだ…という気持ちにさせてくれる。 
 
 この映画を観ることは大きな感動を呼ぶこと間違いなしだ。さらに、この映画の自主上映に携わり、感動して会場を出てゆかれる観客を見送ることがさらに大きな満足感を与える。誰かが上映しないと、この映画は観られないのだ。ぜひ、観に来てくれる方、スタッフ(当日だけでも可)をしてみたいという方ご連絡ください。⇒090−1810−4777(山根) 
 

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 2005年9月2日(金)
 ネコが4匹
 我が家には4匹もネコがいる。ちなみに犬も1匹いる。もともと子どもの頃から動物を飼うのが好きだった。小鳥やハムスター、金魚・ニワトリなども飼ったことがあったがネコは天敵だった。 
 
 何度も野良ネコにそういったペットをやられたことがあって子どもの頃はネコは好きになれなかった。7年程前に借家から、今の家に移って来て。中学生だった長女がどうしてもネコを飼いたいというので、奮発して「メイクーン」という、飼い猫では最も大きくなる種類のネコを買った。 
 
 メルという名で雄ネコだ。なんと誕生日が私と同じ4月7日だということで、気が合った。今では8kgくらいあって下手な子犬より大きい。たまに脱走することがあるが、目撃した人は度肝を抜かれるだろう。カナダ原産でアライグマと見間違えられやすい。 
 
 その後、また長女がシマという日本のキジネコを拾って来て、どうしても飼いたいというので飼うことになった。するとまだ10ヶ月くらいの娘だったシマに大きなメルがちょっかいを出して4匹のハーフネコが生まれた。とても可愛かったがとても全部は飼えないので、あるペットショップの里親探しの会に出したらすぐに貰い手がついた。 
 
 でも、今度は下の女の子がどうしても1匹は残したいというので、飼うことにした。チョビという名の雄だ。父親が父親だけに今では、母親であるシマよりははるかに大きくなった。オシッコ癖が悪くて往生している。 
 最後に下の女の子が1年ほど前にまた、捨て猫を拾ってきた。チビ太というクリーム色のネコだ。気味の悪い泣き声で鳴くのと、シマと犬猿(?)の仲なのが頭痛のタネだ。でも一番、人なっこいかもしれない。 
 
 ネコがいると家の中がきれいになることはなく、開けっ放しにもできない。遠出もできない。たまに脱走して、ご近所に迷惑をかけるので肩身が狭い。しかし、飼い始めると4匹、4様で皆性格が違うのが面白い。いないと気になる。我が家は、子どもが三人もいて十分賑やかな家だが。ネコも犬も欠かせない家族になっている。 
 
 

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 2005年9月3日(土)
 アフガニスタン
 新聞で尾道の中学校教師男女二人が、アフガニスタンのカンダハルで遺体で見つかったとあった。ご冥福を祈りたい。 
 
 この記事を見て遠い過去の記憶が甦ってきた。1977年冬、一人でそのカンダハルからパキスタンのクエッタに陸路で抜けたことがある。荒涼としたステップ(中央アジアの乾燥した草原)や峡谷をオンボロバスで進む。屋根の上にも鈴なりの人が乗っていた。ひとつ間違えると谷底にバスごと落ちそうだった。国境の役人たちが曲者で、私のカメラを抜き取って数人で回され返してくれない。ボールペンか何かのワイロを渡して、なんとか取り返した。 
 
 壁にはライフル銃が立ててある。私がアフガニスタンに行った頃は、ソ連の侵攻の1年前でまだ、治安はいいほうだったのだろうが常に危険はあった。首都カブールのすぐ裏山に一人で登っていたら、若い男がつけて来た。これはまずいと思いつつ、歩いていたら兵士数人に会えた。怪しげな男もあいさつしてきて、何のことはない記念撮影をして別れた。 
 
 私もまだ19歳の頃で、こわいもの知らずだったかもしれない。インド・パキスタン・アフガニスタン・ネパールと一ヶ月で5400kmの汽車とバスの旅だった。今の生活からするとあまりにも遠い世界の出来事のようで、本当に自分はその世界に行っていたのか不思議な気がする。でも、部屋の棚にその時訪ねたパキスタンのモヘンジョ・ダロの遺跡の石がある。 
 
 二十歳前に父親の反対をも押し切って、アジアの旅に出たことが多分、その後の私の人生に影響を与えている。ただ、運が悪ければそこで死んでいたかもしれない。天が命の日数を決める。やれる時に、やれるだけのことをしたいと思う。やらなかったことを後悔するくらいなら、やってしまったことを後悔するほうがまだいい。
 

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 2005年9月5日(月)
 選挙運動費用報告
 今日が、この度の可児市議選再選挙の収支報告の締め切りだった。昨日はほとんど一日、そのことにかかりっきりだった。やはり、これが終わらないと終わった気がしない。 
 
 心は焦るが、選挙直後から応援してくれた方へのお礼はもちろんのこと、柘植さんの選挙応援や臨時議会、ガイアシンフォニーの準備など息つくひまもなく課題が押し寄せる。今日も柳津まで行って18日のテリーフォックス・ランシンポジウムの現地打合せに行って来た。 
 
 結局、締め切りの迫ったことから片付けていくしかない。ただ、締め切り間際にすごいパワーが出るのも事実で、ついそこに甘えてしまう。 
午前三時頃までかかって、ほぼ収支報告書をつくった。市選管からもらっているのは手書きのフォーマットだが、私は市民派議員の横のつながりからExcelの計算式の入った簡易ソフトを手に入れていたので助かった。100枚近い領収書を一枚一枚添付し、報告書に仕上げた。 
 
 総額は103万815円。これには公費負担されるポスター代も含まれているので、実質費用は62万円ほどだ。寄附が前回よりも多く、21万2千円ほどあったのでたいへん助かった。供託金を30万円出しているが、今回は2年ぶりに手元に返ってくる。思ったほど費用はかかっていないようだが、約40日間失職状態にあったことを考えるとよくやれたと思う。2年10ヶ月の間に3回の選挙はこたえる。 
 
 選挙運動費用の内訳は、人件費(アナウンス)9万、選挙事務所関連で約18万。交通費5万4千。広告・印刷費約9万。文具・備品・雑費等9万5千円。食糧費6万4千円ほどだ。これに選挙カーなどの公費負担分を含めると総額では125万5千円となる。公選法上の今回の選挙費用の限度額は約375万円なので、おそらく低いほうだと思う。この選挙でなんらかのお手伝いをしていただいた方は、実質で100人を超える。本当に多くの皆さんに助けていただいた。 
 
 気がつけばあさっての16時までには、9月15・16日にやる一般質問の通告書を出さなければならない。沢山の方のご支援をいただいた恩返しは、やはり議会でお返しするのが議員の務めだと思う。今回は、準備期間があまりにも少ないがしっかり質問・質疑をする。 
 どなたか、ぜひこれを取り上げてほしいということがあれば明日中にご連絡ください!
 

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 2005年9月6日(火)
 小泉首相が可児に
 今日の4時頃、小泉首相が可児市役所近くのふるさと川公園に来た。市役所に今日中に出さなければならない用事もあったし、ナマ小泉首相を見ておくことも必要と考えて行った。我ながらミーハー的だとは思う。珍しく政治にはほとんど興味のない上の娘も見たいというので現地で合流した。 
 
 なんと市役所の1km以上手前から車は大渋滞していた。しかたなく車を置いて歩いて行った。公園に着くといるわいるわ、同じような首相の顔を一目みたいという市民が5000人とも1万人とも検討がつかないくらいた。私は可児でこれほどの群集を見たのは初めてだ。 
 
 上空にはヘリが舞い、SPらしい黒服の警察官らしき人、会社を抜け出してきたらしいOL達、とにかくいろんな層の人が集まっていた。時の首相が来るということがこれほどの事件になるとは改めて認識を新たにした。 
 
 小泉首相の声は完全に嗄れていて、言っていることの2割くらいしか聞き取れなかった。アクションだけはよくわかった。だいたいは新聞紙上などで聞いていることのようだった。姿を見ただけでけっこう大勢の人は帰り出した。多くの人は、ただナマ小泉首相の姿を見に来ただけだというのがよく分かった。 
 
 しかし、大衆の興味を惹きつける手腕には恐ろしいものがある。大衆は単純明快な話し方や、義や情の訴えに弱い。小泉さんはそういった手法を巧みに活用しながら、本当に議論しなければならないことを後回しにしている。アメリカと手を組み、日本を危ないところへ引っ張って行こうとしているように見えてならない。私は、9月11日で政権が変わることを望む一人である。
 

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 2005年9月7日(水)
 9月議会一般質問通告
 今日の16時が9月議会の一般質問の通告の締め切りだった。15時45分頃に行ったら最後だった。11番目なので二日目の午前中、つまり9月16日の11時頃かな…というところだ。 
 通告内容は、 
@ラブホテル建設規制条例の制定を求める(環境福祉部長へ) 
   国道41号沿い、ドライブイン元越跡にラブホテルが建てられた。名目上はビジネスホテルだ。すぐそばにはブラジル人学校があり250人の子どもたちが学んでいる。子どもの健全育成や、地域の生活環境を守る上で、このようなホテルが無節操に建てられないよう規制条例の制定を求める。 
 
A不快な屋外広告物の規制と美しい景観を守ることについて(建設部長へ) 
   市内の各地に目障りな広告が目立つ。今後、景観法の理念と効力を生 
かした景観行政を住民主体で進めてほしい。 
 
B新滝ヶ洞溜池の水質異常対策の覆土工事は効果をあげているのか(建設部長へ) 
   新滝ヶ洞溜池の水質異常の解決策として、ベントナイトによる全面覆土工事が採用された。その効果はどうか?新たな対策が講じられているようだが、住民に対する説明がされていないのではないか。 
 
C電子投票トラブルの後始末をどうつけるのか(市長へ) 
   2年前の電子投票による市議選は最高裁の判定により、選挙無効となり再選挙がなされた。臨時議会では三役の1〜3ヶ月減給処分が可決された。しかし、最高裁判決は、可児市の有罪判決のようなものである。市議24人も失職し、本来やらなくてもよい選挙を余儀なくされた。三役の減給だけで済む問題ではない。市長は判決直後、辞任を口にしながらほとぼりがさめると続投すると翻った。事件の総責任者として潔くない。 
 
 以上4件、制限時間は1時間だ。可能な方は9月16日傍聴に来てほしい。 
 
  
 

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 2005年9月8日(木)
 初日 大波乱あり!
 今日の午前9時30分より、可児市議会9月議会が始まった。 
初日は、たいがい市長のあいさつや議案の説明を聞くだけなので、割と気楽なのだが今日は違った。 
 
 議員発議で『電子投票条例の廃止』を提案説明することになっていたのだ。議員発議というのは極めて少ない。今回は決算1、予算7、条例7、人事2、その他1案件あるが、他は全部執行部(市長を頂点とする市役所組織)提案だ。今回の議案はきわめて少なく、いつもは議案が40も50もある。 
 
 電子投票廃止は、私が提案者で、賛同者として小川ふきさんと共産党の二人の議員がなってくれた。正確に言えば3月議会で、私と共産党の冨田議員で一度提案したものだ。その時は、一時不再議で却下されてしまった。 
 出された議案に修正案も代案も出せないというのは、議会運営上おかしいのだが、その時は引き下がった。今回の選挙では、おかしいことをおかしいと言える議員が二人増えた。 
 
 可児市はこのままいくと、任期満了にともなう次の選挙から電子投票で行うことになっている。私は、おかしいと思う。 
 理由の第一はコストがかかり過ぎること。電子投票は可児市レベルで約2000万円余分な経費がかかる。税金の無駄遣いだ。 
 
 第二にリスクがありすぎる。全国で13回行われた電子投票のうち、9回トラブルがあった。実に69%の事故率だ。無論、その中で最大にして最悪のトラブルを起こしたのは可児市だ。再選挙費用だけで5850万円の余分な費用がかかっている。 
 
 第三には、時間がないことだ。このまま市長が居座った場合、来年の10月末に電子投票となる。しかし、その間に業者を選定し、システムを構築してゆくには時間がなさ過ぎる。そこでまた、トラブルを起こせば全国の笑いものだ。 
 
 第四には、現在の電子投票機には100%の信頼がおけないことだ。公正さを証明できる第三者機関もない。専門家によれば、投票ソフトをいじって票の操作をすることはそれほど難しくないという。検査の時は正常でも、投票時間の数時間だけ裏の計算式を走らせることもたやすいという。 
 前回、電子投票で落選した2人が、今回紙による投票では30%前後も票数を伸ばしている(伊藤健二議員・小川ふき議員)のも奇異に感じる。行政にとっては最もうるさがたの二人なのだ。うるさい議員を選挙で合法的に排除していける投票機があれば、当局はのどから手が出るほどほしいだろう。 
 
 第五に、市長自ら最高裁判決直後に、可児市は電子投票はもうやらないとおっしゃっていたからだ。(最も、最近はまた心変わりしたらしい) 
 結論から言って、全国の自治体のO.3%しかやっていない電子投票をメンツにこだわって可児市がこれ以上やるのは、どう考えてもおかしい! 
 
 ただ、発議が議会で可決される可能性は極めて低い。可児市議会の良識が問われるところだが、議会はそういう論理では動かない。数とメンツで動く。 
 
 それはさておき、上記の内容の私の議案発議説明の直後、信じられないことが起きた。明日の新聞に載るだろうが、林則夫議員が、おもむろに発言を求めて登壇し、最高裁判事の中で可児市電子投票無効を決めた、判事を罷免せよという演説を始めたのだ。議長が止めにかかった時には、発言は終わっていた。 
 数分の出来事だが、あまりにも非常識な行動に議場は騒然となった。午後から議運で、本人から全面取り消しの申し出があったが、あまりにも不可解な言動だった。これが議員歴8期の大ベテランのすることとは思えない。傍聴人も多数いる中で、可児市議会に汚点を残した。 
 
追伸:可児市・美濃加茂市周辺の方:明日、地元のFMでんでん【76.8MHz】に生出演します。9日13時20分頃からです。ガイアシンフォニーの宣伝が目的です。 
 
 

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 2005年9月10日(土)
 富山1区へ
 昨日の夜、私の選挙の選対部長を務めてくれたO君と二人で可児を出た。 
富山1区選出の前衆議院議員村井宗明氏の応援である。10日はPTAの行事があったり、テリーフォックスの会議やら、ガイアシンフォニーの準備やらいろいろあったがすべてキャンセルして、いざ富山に向かった。 
 
 やはり政治家にとって選挙はなにものにも優先せざるを得ない。たとえ自分の選挙でなくとも、相当の重みを持つことがある。他のことの多くは、後日に埋め合わせが可能だが、選挙は結果が出てからではもう遅い。 
 
 村井宗明氏は大阪時代からの盟友で、彼のホームページの中で私のことをNPO界の師匠とまで言ってくれている。2年前に、あの岐阜県以上に保守的な富山県から最年少代議士として、30歳の若さで民主党から初当選した。 
 
 私の初めての選挙の時や、二度目の時にも可児まで来てアドバイスして行ってくれた。共通の友人のN君は、エコリーグ(全日本学生環境連盟=正式名称と違うかもしれませんが、日本中の大学の環境サークル等のネットワーク組織)の全国代表まで務めた男で、その人望と顔の広さで多くの学生が応援に来てくれた。 
 
 富山にも十数人の学生や、OBなどが来ていた。三週間前の私の選挙に来てくれていた仲間もいた。大阪時代に一緒に環境活動などをした、若い友人とも会えた。朝8時から終日、主に辻立ちの応援をした。2年前の選挙の時も富山まで行ってが、格段に反応が良く、彼自身の演説技術や選挙運動の手法も磨きがかかっていた。いわゆイケメン議員でもあり、32歳の若さもあってか車の中から手を振る女性が多く感じた。 
 
 前回は小選挙区で自民党候補に敗れたものの、惜敗率の関係で比例で当選した。今回は知名度アップなど前回より好条件があるが、小泉自民党の宣伝上手に取り込まれる可能性もあり油断ならない。 
 
 富山県選出の6人の国会議員の年間質問総数は40回だが、そのうち彼が26回を占めているという。ぜひ、村井氏のようなこの国をなんとかしたいという気概をもち、若くて性格の良い人間に国政を引き続いて担ってほしいと思う。村井氏は私のいる岐阜4区の民主党候補、熊谷正慶氏とも同じ歳で友人だそうだ。いい結果が出ることを祈りたい。
 

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 2005年9月11日(日)
 村井君当選!
 昨日、富山まで行って応援した村井宗明氏が再選を果たした。小選挙区では自民候補に敗れたものの、惜敗率の関係で比例で当選した。これだけ民主党に逆風が吹いた中、よくがんばったと思う。 
 
 可児市を含む岐阜4区は、保守系二人の激戦で注目されたが金子氏が制した。可児市の多くの議員たちは藤井氏を応援していたので、今後どうなっていくのか先行きが見えない。 
 
 開票は民主党の熊谷正慶(くまがいまさよし)氏の選挙事務所で聞いた。大臣をも務めた保守系二候補に敢然と立ち向かい、わずか二ヶ月に満たない活動の中で3万9千票あまりを獲得したことは立派だ。 
 
 事務所には60名以上の支持者が集まっていたが、その層の若さに驚いた。おそらく可児高校の同級生らを中心に支持が広がってきたのだろう。敗れたとはいえ、こんなにも熱気に満ちた敗戦表明は初めてだ。彼の魂からの言葉が会場を魅了し、一体感をつくりだしていた。 
 
 なんと今日は、熊谷氏の誕生日だという。皆で支援者の一人がつくってきたケーキを分かち合って食べた。今日が新しいスタートの日といえそうだ。熊谷正慶氏は32歳、美濃加茂市出身で、可児市在住だ。まだ、じっくりと話し込んだことはないが、この岐阜から日本を変えて行きたいという思いには共感するものがある。これから地域に根ざした活動を続けていくうちには、必ずやチャンスがめぐって来ると思う。党派を超えて若い彼にエールを贈りたい。
 

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 2005年9月12日(月)
 自民圧勝
 このたびの衆議院選は、小泉自民の圧勝に終わった。衆院を解散した当初は、誰がここまでの結果を予想しただろう。メディアに乗って郵政民営化ひとつに論点を絞った小泉首相の作戦勝ちだ。 
 
 これまで改革を旗頭にしてきた民主党がまったく逆の立場に追い込まれた。選挙戦術などいろいろ問題はあったかもしれないが、要はテレビにどれくらい多く登場したかで決まってしまった。投票率が上がって、これまで投票に行かなかった人が選挙に参加したことは喜ばしいことだが、投票率のアップがそのまま自民党圧勝につながった。 
 
 巧妙といえばこれほど巧妙なことはない。小泉自民党は、郵政民営化の影に120もの公約を掲げている。防衛庁を防衛省に格上げすることもその一つだ。昔の特高警察の復活といわれている人権擁護法案や、ほとんど収入のない障がい者にも負担を強いる障害者自立法案、憲法改正など…衆議院で3分の2を確保したことは、すべて自民党の思いのままにできるということだ。 
 
 選挙制度にも大きな問題はあるとはいえ、これは国民の選択した結果というしかない。真に国民のためになる改革はどんどん実行してほしい。しかし、今後の4年の間にはかならずゆり戻しが来るだろうと思う。多様化した今の社会構造の中で、そう単純に政権を維持できるとは思えない。 
 自民であれ民主であれ政治家は、広く国民ぜんたいの幸せのために政治を行ってほしい。
 

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 2005年9月13日(火)
 質疑通告締め切り
 今日の16時が、9月議会の議案に対する『質疑』の締め切りだった。一般質問が市政に関することなら、なんでも質問したり意見表明できるのに対して、質疑は提案された議案に対する質問しかできない。 
 
 また、各議案のほとんどは4つの委員会に付託され、そちらで慎重審議されることになる。一般質問は、毎議会ごとに10人前後立つのに比べ、質疑をする人はあまりいない。2〜4人くらいだ。委員会で検討されるので、本会議であえて質疑する必要はないということのようだが、市民に分かりにくい議案や、重要と思われることは、より多くの人に知らしめる意味でも本会議で質疑すべきだと思う。 
 
 議員として提案された議案に対して何の疑問もないということは、有り得ないと考える。そんなイエスマン議員では、市民の代表とはいえない。今日は、水道会計において有収率が落ちていることと、建築確認申請において、新たに27000円の手数料が発生する条例に対して質疑の通告をした。 
 
 また、私自身が発議者となっている電子投票廃止条例案に対して、二人の議員から質疑通告をされた。答弁する立場に立つのは初めてのことである。多くの議員が可児市の電子投票がいかにひどいものであったかということと、可児市が再度電子投票を行うことが、いかに危険であるかということを認識していない。 
 
 15日・16日の一般質問に立つ私を含めて11名の議員のうち、実に7名が電子投票について触れるようである。多分、擁護論のほうが多いかもしれないが興味しんしんである。とりわけ15日午後、7番目の小川ふきさんの質問は峻烈を極めることだろう。私は11番目最後なので、16日10時半以降になると思う。電子投票トラブルについては、その後始末をどうするかということを市長に問う。
 

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 2005年9月14日(水)
 一般質問原稿書き
 午前3時、15・16日の一般質問の原稿を書いている。4つも質問するので大変だ、しかも一問一答。この質問に対して、相手(環境経済部長・建設部長・市長)がどう答えるかを想定して、次の再質問を想定しておかなければならない。 
 
 3月議会までは、ひとつの課題に対して質問は三回までだったが、無制限になった。ただ、1時間の制限時間を意識しなければいけない。私のように4件も質問する者(あまり他にはいない)には時間配分が難しい。 
 
 他の多くの議員のように、せいぜい二つくらいの質問にとどめたら楽だと思うのだが、毎回4件は質問することを自分で決めている。4件づつ質問しても追いつかないくらい可児市政には問題が山積している。これまで、8回の定例議会で33項目に渡って質問してきた。自分の一般質問を網羅してゆくと、可児市活性化のローカル・マニュフェストになってゆくことが目標だ。 
 
 もちろん、多ければいいというものではない。4件の中には当然、強弱をつけており、まずは市民の皆さんに、こういう問題がある…ということを提示するのが目的なものもある。執行部側にしても、一般質問で取り上げられることによって予算がつけやすくなる場合もあるようだ。 
 
 それはそうと、今回は11番目なので、どうしても二日目になるということでまだ、全部書ききれていない。二日目の16日は、一般質問終了後の議案質疑も二件、通告書を出しているので登壇する。 
 
 さらに、発議9号「可児市電子投票条例廃止条例」への質疑に答えなければならないので、三度登壇する。頭では回答はできているが、その原稿もつくらなければならない。ただ、明日の夜は、PTA会長を務める西可児中学校の評議員会がある。これも休むわけにはいかない。なんとかなるでしょう…
 

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 2005年9月16日(金)
 ラブホテル問題・また電子投票?
 一般質問は最後(11番目)で、珍しく午後一番となった。一般質問が二日目の午後までづれこむのは、私は初めての経験だ。そのあと、議案質疑(立ったのは3人だけ)、休憩をはさんで提出議案『電子投票条例廃止案』への質疑(二人の議員から)と息つく間もなかった。 
 
 結局、前日は朝7時半までかかって原稿を仕上げた。夜中に三時間ほどうたた寝をしてしまったので、なんとか持った。 
 昨日の夕方、一般質問で取り上げる『ラブホテル問題』の被害者であるブラジル人学校の代表者に会いに行った。現場主義を掲げているいじょう、全く現場に関わらないままに質問するのはよくないと考えたからだ。 
 
 現場に行って来たおかげで質問にも実感がこもったと思う。可児市ではブラジル人学校のすぐ横にラブホテルが建てられた。法的にはいまだにこのホテルは、ビジネスホテルという登録になっているという。 
 
 おかしな話だ、誰が見てもラブホテルなのに、条例では普通のホテルだという。モーテルという概念はあるが、ラブホテルという概念はないようだ。これでは、今後も街中にある日突然、ラブホテルが建つことは阻止できない。執行部はラブホテル建設規制条例をつくるとは言わなかった。それなら議員提案で出すしかない。 
 
 電子投票トラブルの責任をとって、市長は辞任しないのかどうか最終確認をした。市長は否定した。それはそれで本人の判断だからしかたがないが、残念な選択をされたと思う。電子投票に関する質問をした7人中、5人までは電子投票擁護、市長辞めるな…という論調だった。 
 
 今度はうまくやって、汚名を挽回しようという意見が大勢だ。自分としてはこれ以上、可児市が電子投票を続けようとする意図が理解できない。多額の経費を使い、トラブルがあれば選挙無効になる可能性が大きい電子投票。全国の99%以上の市町村が二の足を踏む電子投票を何故,可児市がやらなければならないのだろうか? 
 
 電子投票をやった10の自治体で、国から電子投票に関する補助金をもらっていないのは可児市だけだ。すべて市民の血税でまかなっている。国が推進したいのは分かる。なぜ可児市民が推進しなければならないのだろう?まるで可児市はピエロのようだ。
 

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 2005年9月17日(土)
 小学校運動会
 今年春までPTA会長を務めていた南帷子(みなみかたびら)小学校の運動会があった。地元市議として来賓としての参加だったが、どうにも落ち着かない。去年、一昨年と運動会といえば、忙しい思いをしてきた。 
 
 今は子どもたちはテントの下で観戦する。紫外線にる悪影響を考慮して、2年前に提案して実現したことだ。今年は定着していて安堵した。と同時に嬉しく思った。自分の代から始めたことが引き継がれているのはうれしい。 
 ただ、教育長が来られたので聞いてみると、今はどこの小学校もテントを張るようになったようだ。確実に紫外線はきつくなっているので、これは時代の流れだろう。 
 
 この地区には議員が多く、この日も私以外に4人来ていた。運動会を観戦しながらいろんな話ができた。今度は9/24の中学校の運動会、10/1の幼稚園の運動会でも顔をあわせることになる。 
 
 子どもたちの真剣な姿は、自分の子ではなくても感動する。最近、車の中で去年の卒業生のCDを聞いている。一人ひとりが6年間の思い出などを短くスピーチするのだが、運動会のことが多い。子どもたちにとっては、とても大切な日なのだなと思いつつ観戦していた。 
 
 来賓席から出て保護者席を歩くと多くの人が会釈してくれる。2年間会長をしていたのと選挙直後なので、皆さん顔を覚えていてくださるようだ。きっと多くの方が応援してくれたのだろうと感謝しつつも、妙に照れくさく感じる。益々責任を感じる。
 

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 2005年9月18日(日)
 テリーフォックス記念イベント
 24日のガイアシンフォニーのことが気になりつつも、今日は自分が副代表を務めるテリーフォックス・ランinぎふ実行委員会の啓発イベントの日だ。日程もカラフルタウンの社長にお願いして、今日に決めたいきさつから行かないわけにはいかない。 
 
 テリーフォックスとは、カナダの一青年の名前で、骨肉腫(がんの一種)に侵され片足を失いながら、アメリカ大陸横断の『希望のマラソン』を一人から始め、約6000kmを143日走ったところで、がんが肺に転移して亡くなった。彼の不屈のチャレンジ精神を受け継いで、今ではカナダの3500ヶ所、世界58ヶ国、日本では東京・神戸・三重・岐阜で行われている。 
 
 今日は、チャリティランではなく、がん予防の啓発イベントということで柳津町のカラフルタウンの協力を得て行われた。カラフルタウンはとてもおしゃれなショッピングモールで、休日には数万人の人出となる。今日も真面目なイベントなので、人が入ってくれるか心配したが、どうにか格好がつく程度には人が集まった。 
 
 来賓には町や県の代表の他、カナダの領事のルイピエール・エモンさんが名古屋から駆けつけてくれた。先代の領事も走ってくれた。前の領事もそうだったが、奥さんが本当にきれいなのには驚く。来年、5月か6月にやるテリーフォックス・ランには参加していただけるという。 
 こりゃ来年もやらなきゃならない。自分がきっかけをつくったイベントでもあり、なかなか離れられそうにない。来年は5周年だ。
 

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 2005年9月19日(月)
 ガイアな一日
 いよいよ24日のガイアシンフォニーの上映会が迫って来た。正直、これまで9回の上映経験の中で、これほどの準備不足はない。突然の再選挙ですべての予定は狂ってしまった。 
 
 終了後もお礼回り、美濃加茂市長選、衆議院選挙、臨時議会、9月議会、テリーフォックス記念イベントと、昨日まで息つくひまもない毎日だった。合間合間にガイアは準備してきたけど、予約は数十枚程度しかない。 
 
 何人か手伝ってくれる人はいるが、実行委員会をじっくり育てていこうとしていたが、そんな時間もなく過ぎ去ってしまった。これで1000人の会場でイベントをやろうというのだから我ながら恐れ入る。 
 
 今度ばかりはダメかもしれない。1000人の会場に100人や150人では、格好がつかない。現実問題として300人以下なら確実に赤字だ。5月8日の第5番上映会では400人ほど来てくれたが、それでも7万円ほどの赤字となった。 
 
 十分な時間があり、やり方さえ間違わなければガイアシンフォニーの上映活動は決して赤字にはならない。大阪でやった7回はすべて黒字で、市民活動イベントの立て直し資金などとして役立ててきた。 
 
 ところが今は自分自身に時間がない。今日は、近くの各務原市で同じガイアシンフォニー一番を上映する団体があったので元気をもらいに行った。24日のちらしを参加者に配布してもらうためでもあった。 
 
 するとそこで思わぬ出会いがあった。大阪で8年前に一緒にガイアの上映ををしていたメンバーが、そこにいたのだ。結婚して愛知県に越して来たらしい。何かまた、運が開けてきた予感がした。一番の導入部分を観るうちに、とにかく一人でも多くの方にこの映画を観てもらうように、あと5日間やれるだけのことをやろうという気になった。そんなパワーのある映画である。
 

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 2005年9月20日(火)
 ポスティング・脱サラ議員奮闘記
 時間の合間をぬって、今日は長坂と禅台寺の各団地でポスティングをした。700軒くらい。やはり1時間に250軒くらいが限界のような気がする。 
以前に名古屋でポスティングの会社へ仕事を探しに行ったら、1時間3000軒くらいが目途だと聞いてびっくりした。 
 
 マンションが沢山ある地域ならできるのかもしれない。結局そこでは説明を聞くだけで終わったが、マンションから攻めるということを学んだ。しかし、可児市のマンションはしれている。80戸くらいが最大級だ。マンションは夜でも配れるので、すでにガイアのちらしも市内の主なマンションや雇用促進住宅には配っている。 
 
 昨日は、あるスタッフと二人して長坂で配っていたら、落ち合えなくなった。携帯を持っていない方なので、夕暮れ時でもあり焦った。30分くらい行ったり来たりした後、やっと会えた。 
 
 ポスティングは効率が悪いのは承知しているが、一番思いを確実に届けられるように思う。時間があって体力があれば、一日中でも配って歩きたい。今回は政治ビラではないが、ガイアシンフォニーを紹介する活動は、政治とは違う方向から可児市を活性化する活動だと思っている。たとえ足を運ぶ人はわずかでも、読んでくれた人には何かが残ると信じたい。 
 
 自分はポスティングが好きらしい。ポストを見ると無性にお手紙を入れたくなる。そこから何かが生まれそうな気がする。そして、出会いの可能性を求めて前進している充実感がある。 
 
※脱サラ議員奮闘期 第23回目《特別編2脱サラ議員再選を果たす!》アップしました。(毎月20日発行のメールマガジン:市民ライター通信)アクセスはこのHPのトップページまたは、検索エンジンから脱サラ 山根一男でも探せます。
 

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 2005年9月21日(水)
 総務企画委員会傍聴 5対1
 9時半から、委員会審議の初日『総務企画委員会』があった。私は経済福祉委員会に所属しているので、今日は傍聴だ。一緒に『みどりの風』という会派を組んでいる小川ふき議員は総務企画のメンバーだ。 
 
 補正予算や指定管理者制度に関することなど、いくつか議案はあったが今日の最大の関心事は、私が提案者でもある「電子投票条例廃止案」の委員会採決についてである。 
 
 提案者である私は参考人として呼ばれてもおかしくはなかったが、特にそれはなかった。委員長は質疑の有無を確認したが、いきなり討論に入ることになった。討論とは、その議案に対して賛成・反対のスタンスを明らかにして自分の意見を述べることだが、採決の一歩前で議論にはならない。 
 
 もう少し執行部も交えて、意見をたたかわせてほしかった。昨日、可児市の後に電子投票をやって、一応成功だった三重県四日市市が電子投票条例廃止にむけて進んでいるというニュースが入ってきたが、そんな話題もなかった。はじめから議案には反対(つまり、これからも可児市は電子投票を続けて行く)のレールが敷かれているようだった。賛成したのは小川ふき議員だけで、あとの5人は民主党・公明党在籍の議員を含めて議案に反対した。 
 
 一度決めたことは、少し失敗したくらいで変えるべきではない…とか、電子投票は視覚障害者などに優しい投票方法なので続けたほうがいい…とか、可児市民の誇りのために継続すべきだ…とかいう、精神論、一般論ばかりで全然説得力がない。 
 
 そんなに電子投票がいいのなら、岐阜市や名古屋市や多治見市や、美濃加茂市は何故やらないのか?答えは簡単、コストとリスクがありすぎて検討に値しないのだ。まだ機械も制度も発展途上にある。肝心なことは、可児市民の税金を使ってお金がかかる(2000万円)、そしてリスクだらけの電子投票を何故これ以上続けなければならないのか?につきる。 
 
 最初にチャレンジしたことは間違ってはいなかったと思う。ただ、うまくいかなかったのだから、あっさり非を認めて止めればいい。それが市民感覚だと思うのだが…非を認めることは市長や、電子投票条例を可決した議会をも否定することになるという雰囲気を感じる。 
 
 
 

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 2005年9月22日(木)
 経済福祉委員会・フェロシルト
 今日は自分の所属する経済福祉委員会だった。予想はしていたが、今日も議会の理不尽な対応に悲しくなった。地域住民が出していたフェロシルト(放射性物質を含む土壌埋め戻し材)の早期撤去に関する請願を2対3で、不採択としたのだ。 
 
 これは、三ヶ月前の6月議会での請願を継続審議とし、その後、再選挙などがあり今に至った経緯がある。現在ではフェロシルトの問題は、東海三県では大きな問題になっている。 
 
 いち早く可児市大森の各自治会が立ち上がり原因者である、三重県四日市市石原産業や三重県庁の役人まで地元公民館に呼び、解決を迫った結果、東海三県ではもっとも早く撤去にこぎつけた。 
 
 三ヶ月も経って、状況が進展していることは確かだが、継続審議にしたのは議会の責任であり、継続にした上に不採択はないだろう。岐阜県や三重県に対して、一日も早く住民の安心を確保するために業者を指導してほしいという文面の意見書だ。 
 
 こんなまっとうな請願を却下するようでは、議会は市民の代表なのかと疑われてもしかたない。地域住民に背を向ける行為だ。さらに不採択にしておいて、多少文言を変えた意見書を岐阜県に出すことを決めた。 
  
 要は請願の紹介者に私や公明党の議員、つまり少数会派の議員が名を連ねているのが気にいらないのだろう。委員会の残りの4人は最大会派なので採決は自由にコントロールできる。住民の願いよりも、自分たちのメンツを重んじた結果といえる。市民の多くはこのような悲しい議会の実態を知らない。
 

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 2005年9月23日(金)
 劇症肝炎
 いよいよ明日はガイアシンフォニー上映会だ、ゼロからスタートしたイベントだけに運命の日でもある。果たしてどれくらい来てくれるか?金沢市から観に来るという女性がいて感激した。 
 
 中日新聞が可児・東濃版で写真つきで記事にしてくれた。これが唯一の明るい話題だ。FAX等での申し込みは30枚程度、前売りはそれ以下でしかない。今日も最後に残ったちらしを美里ヶ丘に撒いてきたが、肝心のところへの紹介がかなり抜け落ちている。やはり実質3週間での準備では間に合わないことが多い。 
 
 それに明日は可児市の全中学校が運動会だ。近隣のまちでも運動会が多い。自分自身中学校のPTA会長なので、明日のあいさつを考えておかなければならない。 
 どのような結果になろうとも、そこに来てくれる人がいる限り、やる意味はある。次につなげていきたい。 
 昨日、大阪の友人から今,死の淵をさまよっているという連絡が入った。劇症肝炎という急病で大阪の病院に入院しているという。致死率が高く、肝臓移植しか助かる方法はないようだ。ところが今、入院している病院は肝臓移植などの高度医療の技術はない。 
 
 阪大医学部付属病院か京大医学部付属病院に転院したいが、医師は病状を診ながら考えると言うばかりで、らちがあかないという。いろいろと調べた。劇症というだけに急激に容態が悪化することもある。 
 ともかく会ってみなければわからない。ガイアが終わったらすぐに大阪に行くことにした。 
 

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 2005年9月24日(土)
 病院脱走
 やれやれ24日が終わった。中学校の運動会でのPTA会長としてのあいさつはぶっつけ本番で、なんとかこなせた。昨日は友人(仮にM君としよう)の劇症肝炎のことで、ガイアシンフォニー上映についての細かい準備ができなかったが、どうにかなった。人数はスタッフ入れて180名ほどで、前回の半分にも満たなかった。 
 
 しかし、3週間しか準備期間がなかった中で、よくやれたと思う。第一番ということで12年も前のフィルムだったが多くの方が感動された。何よりも、終わったあと、今回は大幅な赤字が予想される中、次回(ガイアシンフォニー第二番上映会)を決めようと盛り上がり、来年4月29日(土)にやろうと合意ができたことが嬉しかった。今度は、多くの方を巻き込んでしっかりとやりこなしたい。 
 
 昨日、大阪に行こうと決意していたが、肝心のM君がとんでもないことをやらかしてくれた。病院不信が高じて、ついに昨日の夜中に入院していた病院を勝手に抜け出してしまったのだ。 
 劇症肝炎は意識の異常をきたすということだが、そのせいもあるのかもしれない。ただ、以前から彼の行動は奇抜なところはあった。 
 
 大阪の病院を抜け出したという。明日をも知れぬ命であるが、もう少し生き方について考えたいという。今日も両親につれられて大学医学部付属病院に行ったそうだが、4時間以上待たされたあげく、今日は休日で担当医が休みのため、別の日にしてほしいと言われたらしい。 
 
 医療機関に対する彼の不信感は頂点に達したようだ。しかし、皮肉なことにそれが彼に生きる元気、立ち向かう気力を再生させのかもしれない。昨日の電話は今晩中にでも死ぬかもしれないという雰囲気だったのが、怒りに燃えながらも何か生きる目的を得たようで、すごく元気になっていた。 
 
 しかし、今だ予断をゆるされない状態だ。10分以上は携帯で話すのもえらいという。いましばらくひとりで考えたいらしい。ともかく会って話をしなければ分からない点がある。明日かあさってには会って話をしよう。 
 
 
 

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 2005年9月25日(日)
 机上整理
 久々に落ち着いた朝を迎える。7月8日の電子投票無効判定から、再選挙、昨日のガイアシンフォニー上映会まで常にプレッシャーがあった。収支を計算するのが恐ろしい気がするが、ともかく終わった。 
 
 ただ、終わった瞬間に次のことが立ちはだかる。本当は、終わったことを十分検証し、関係者に礼をつくして次につなげるようなことをしたいのだが、容赦なく次の事案が待っている。 
 
 一番急ぐのは『団塊世代塾』昭和21年〜24年生まれの方だけを対象とした、NPOやコミュニティビジネスの講座である。岐阜県との協働事業と認定してもらっていて予算も確定している。5回シリーズで年内に終了しなければならない。本来は7月〜9月の予定だったが遅れている。 
 
 議会も30日の採決を前に、電子投票廃止案の最終討論をまとめなければならない。あれやこれややるべきことが数珠繋ぎになっている感じがする。しかし、今日は机の上の整理をすることにした。2〜3週間放っておくと机の上はとんでもないことになる。 
 
 なんでこんなに書類が増えるのだろう。A4ファイルは500冊くらいあるかもしれない。どんどん増え続ける割には、捨てることがなかなかできない。結局、A4ファイル用の三段棚を増やした。 
 
 中には内容も見ずに、ただファイルしているだけの書類もある。三時間かけても机の上は半分くらいしかきれいにならなかった。多分、一日かかっても整理しきれないだろう。納戸を利用した三畳に満たない書斎は、すべての壁面に本やファイルやCDなどがひしめき、もう空いたスペースはない。人生のどれくらいの時間を書類整理と探し物に費やしているのだろう。 
 
 こうしている間にも劇症肝炎のM君から電話が入るかもしれない。もし、可能ならM君を静岡県裾野市で東洋医学の療養園をやっている友人の元へ連れて行こうと思う。本人が医師を信頼できない以上、どのような治療もうまくはいかないと思う。
 

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 2005年9月26日(月)
 M君に会う
 9時30分から、文教委員会(教育委員会に関すること)を傍聴した。この委員会は、毎回議案が少ない。この日も補正予算の所管部分だけだった。他にアスベストへの対応などについて説明があったが40分くらいで終わってしまった。おかげで午前中にいろんな事務処理の時間ができた。 
 
 午後は、ガイアシンフォニーのチケットを預かってくれたり、ポスターを貼らせてくれたお店などを回った。お礼参りと代金回収である。でも、悲しいかなほとんどチケットは売れていなかった。10日くらいしかなかったのでしかたない。それでも地元若葉台の入り口にある健康食品店『かどげん』さんで7枚売れていたので感激した。 
 
 M君からは連絡がなく、こちらから携帯に連絡しても出ない。もしや危篤状態に陥っているのでは…気が気ではない。ふと思い立って、もう暗くなっていたが若葉台近くの薬王寺にお参りに行った。 
 
 このお寺は『脱サラ議員奮闘記』の中で紹介しているが、初めての選挙のとき、告示10日ほど前になっても選挙戦がたたかえる状況にもならない時に初めてお参りに行き、そこである人に出会えたことから運が開けたお寺である。ただし、本堂ではなくそのずっと奥の祠が大切なスポットだ。 
 
 私はふだんは神仏に手を合わせることはあまりない。でも仏教系の団体とも交流があるし、聖書を愛読していた時期もある。ガイアシンフォニーを通じてダライ・ラマのファンでもある。特定の宗派にはこだわらないが、あらゆる宗教に共通する真理があるように思う。 
 きっと元はひとつなのだろう。だから、宇宙全体を支配する目に見えない大きな力があることを信じている。それを神と言っていいのか、仏と言っていいのか、ご先祖様と言っていいのか、今の私にはわからない。一生かかって探求し続けるのだろう。 
 
 意を決して、住所を頼りにM君の実家まで行くことにした。もう7時半を回っていた。郊外の住宅地で番地が4桁である。これは探しにくいと覚悟を決め、懐中電灯を持って出た。近くに着いたら9時を回っていた。15分くらい探すうちに神社の境内に住宅表示板を見つけた。 
 
 そこにM君の苗字があった!彼の実家に間違いない。9時半頃に突然の訪問とは非常識だとは思ったが、M君の命がかかっている。思い切ってピンポンを押す。怪訝な表情で彼の母親らしき人が出てきた。そしてすぐに引っ込んだ。 
 ほどなくM君の奥さんが出て来た。少しほっとした。奥さんがついているなら安心だ。M君の奥さんに会うのは三度目だ。最初に会ったのは大阪でガイアシンフォニーの上映会をやった時に二人して来てくれた時だ。気がつくと玄関にM君が座っているのが見えた。いかにもつらそうで、どす黒い顔色をしていた。 
 
 生きていた…。それだけ確認できればよかったので、友人が院長を務める伊豆高原(裾野市ではなく伊豆高原だった)の『身心養生苑』の案内だけを奥さんに渡して、1分くらいで失礼した。本人にその気があり体力が許すなら、伊豆高原の友人の元へM君を連れてゆくつもりだ。彼には10年ほど前に、乳がんで、ほとんど死を宣告されていた妹を助けてくれた実績がある。 
 
 
 

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 2005年9月27日(火)
 役員ポストと民意
 午前中は建設水道委員会を傍聴した。傍聴者は一人。たいがいそうだ。終わり近くに同じ会派(みどりの風)の小川ふきさんが来た 
 
 建設水道委員会は6名の議員で構成されている。不自然なことがある。委員長は三期目の小原氏だが、三期目といっても補欠選挙で選出されてため、議員としての経験は三年に満たない。副委員長は、この7月の再選挙で選出された山本氏だ。この方は69歳の新人で議員としての経験は1ヶ月しかない。 
 
 一方で経験豊富な議員もいる。結局、6人中4人を占める最大会派の思い通りの人事がまかり通る世界なのだ。多くの議員が委員長、副委員長、議長などのポストを欲しがる。だから会派の方針には逆らわない。 
 
 かくて住民の声よりも、会派の方針に従うようなことが起こる。今回、継続審議となっている「フェロシルトに関する岐阜県・三重県に対する請願」の却下(30日に採決)はその典型だ。議員は住民の代表である。常に住民の視点に立った表決を選択すべきだと思う。 
 
 

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 2005年9月28日(水)
 市長との面談
 会派として、山田市長との面談をすることになった。小川ふき議員と二人で市長室に入る。午後2時半から2時間近く話した。途中から秘書課長が立ち会った。きっかけは小川ふき議員が、市長が電子投票に関して、総務省でどのような話をされてきたのかを聞きたいと伝えたことだ。 
 
 話によると総務省は、ことのほか可児市を大事に扱ってくれているようだ。想像するに、総務省は、ここで可児市が電子投票条例を廃止して、二度と電子投票はやらないという結論を出したら、それこそどこも電子投票をやらなくなると危惧しているように思う。 
 
 成功したと言われる四日市市ですら廃止の方向に向かっている。現状の機器の性能や法整備の進捗状況を考えれば、先陣きってやるのはあまりにも冒険すぎる…というような持論は改めてお伝えした。小川ふき議員も、投票機に対する不審感や法律違反の数々を再度持ち出した。しかし、それらのことはすでに議会でお伝えしたことである。 
 
 おそらく30日の9月議会最終日には、私などが提案した「電子投票廃止案」 
は否決される。ということは来年10月末の市長選は電子投票で行うこととなり、再び全国の注目を集めることになるだろう。 
 
 電子投票に関しての話は、別段進展はなかったが下水道のことなど、その他の市政推進に関して、今後も相談していきましょうと言われた。前期の一人会派の時はそのような声もかけてもらえなかったが…少しは存在感が増したのかなと思った。いずれにしてもしがらみがなく、何でも思ったことを発言する市民派議員は、最もうるさい存在であるに違いない。 
 
 それでも無視したり、居丈高に構えることなく常に話し合いの場を求める市長の姿勢には好感が持てた。私も市長が憎くて、辞任したほうがいいと言っているのではない。むしろ立派な業績を持つ方だけに、これ以上傷つくのが忍びないのだ。たしか市長は、8年前に亡くなった私の父親と同じ年の生まれだ。
 

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 2005年9月29日(木)
 日本のNPO政策この7年
 午前中、議運(議会運営委員会)があった。早々に12月議会の予定も合意された。12月議会は12月1日から12月22日まで、一般質問は8日9日となる。9月議会は、いよいよ明日が最終日、採決の日だ。 
 
 二つ討論の通告をした。どちらも自分が提案者だったり、紹介者である議案である。一つは電子投票廃止条例案、もう一つはフェロシルトの適正処理に関する請願だ。だが、残念ながらどちらも否決される見通しだ。悲しいけど、それが議会の現実だ。 
 
 電子投票を継続するという選択はきわめて重い。今度の市長選挙は議会が責任を負うことになるだろう。フェロシルトに関する住民からの素朴な請願の不採択は、東海一円でこの問題に取り組んでいる人たちの失笑を買っている。まあ、どちらも明日結論が出る。 
 
 気を取り直して、午後から一緒にNPO法人をやっている理事長と名古屋に行った。『日本のNPO政策この7年』というシンポジウムに参加するためである。市民フォーラム21・NPOセンターの主催である。 
 
 シンポジストのほとんどが以前にお世話になった方ばかりなので参加を決めた。まずは昨年アーラで講演していただいた前志木市長の穂坂邦夫氏、4年前にコミュニティ研修をしていただいた、せんだい・みやぎNPOセンターの加藤哲夫氏、NPO協働の件で質問に行った前三重県NPO室の出丸朝代氏、市民税の1%をNPOに寄附できる条例の成立で2月に視察におじゃました千葉県市川市のボランティア・NPO活動推進課の寺沢和博氏、可児市にも講演に来られた名古屋大学の後房雄教授と元山岡町長の山内章裕氏など、多彩な顔ぶれだ。 
  
 3時間程の盛りだくさんなシンポだったが、たいへん刺激を受けた。キーワードは、事業系NPOの推進とNPOによる地方自治体の改革支援だ。可児市ではいまだに行政から何かをしてもらうことを望むNPOが多いように感じるが、名古屋や仙台ではNPOが構造改革や行政評価サポートするという図式が進展しつつある。やはり全国の空気を吸いにいくことは必要だと感じた。 
 
 

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 2005年9月30日(金)
 電子投票廃止案『討論』原稿
 今日が9月定例議会の最終日、つまり採決の日であった。補正予算や指定管理者制に関する条例など、執行部提案の議案は特に大きな異論もなく、可決されていった。やはり大きな議論となったのは、私が提案者である「電子投票の廃止条例案」と、紹介者である「フェロシルトの適正処理に関する請願」だった。それぞれ討論者(壇上で賛成・反対の意見を発言する人)が4人・3人と活発な論戦が展開された。 
 
 ただ、採決では圧倒的な人数を擁する、最大会派の反対でどちらも否決された。残念だが、今はこれを現実として受け止めざるを得ない。電子投票に関しては、時がその成否を判断してくれるものと思うが、現時点では約1年後の可児市長選は再び、電子投票で行われることとなった。 
 
 少し、長くなるが本日の私の電子投票条例廃止に関する賛成討論の全文をお伝えしたい。お付き合いいただければ幸いです。 
 
5番議員。『みどりの風』山根一男です。通告に従いまして私は、発議第9号『可児市議会議員及び、可児市長の選挙における電磁的記録式投票機を用いて行う投票に関する条例を廃止する条例』についての賛成討論を行います。 
ご承知の通り、この発議第9号は私自身が提案者であります。提案説明でも5つの提案理由を挙げて説明いたしましたが、やはり共同提案である以上、申し述べられることにも限界があります。 
 
 加えて、他市のことではありますが提案説明以降に新たな動きがありましたので、その点を付け加えさせていただきます。その新たな動きというのは四日市市に関することです。 
 
 ご存知のように四日市市は、当市よりも後に電子投票を実施しまして一応成功したといわれているまちです。人口は23万人ということで、今までに電子投票をやったまちの中では一番大きな都市です。電子投票にかけた経費も3800万円と聞いています。 
 
先日、その四日市市の議会で、電子投票見直しの検討がされているというNHKのニュースが流れました。四日市市議会の総務委員会のメンバーに知り合いがいますので聞いてみたところ、一年半後にある市議会議員選挙を電子投票でやるかどうかを総務委員会に閉会中の検討項目として付議されたようです。ことの発端は、可児市の電子投票が無効になったことが一番大きな原因だということでした。 
 
 今現時点では、四日市市がどのような選択をされるかどうか分かりませんが、これは市政を預かる立場からすると、きわめて当然の対応だと思います。 
 
 今議会を通じて多くの議員から電子投票についての、肯定的な意見を聞きました。障害を持つ方にとって有益だとか、一度くらい失敗したくらいで止めてしまうのは市民の誇りを傷つけることになる…とかいう一般論や情緒的な意見がほとんどであったように思います。 
 
 しかし、ごく一般的な市民の目線で考えて、そんなに電子投票がいいことなら、どうして多治見市や美濃加茂市はやらないのかということです。岐阜市も名古屋市も、この辺りではどこもやってません。 
 
 やらないには理由があります。コストがかかり過ぎること、リスク大き過ぎることです。まだまだ法整備が出来ていないし、投票機器の信頼性も地に落ちたままです。だから成功したと言われる、四日市市ですら今後については二の足を踏んでいるのです。はじめて電子投票を実施した、岡山県新見市や、福井県鯖江市も財政難などを理由に、次々に電子投票条例廃止を決めています。 
こんな中で…可児市が電子投票を継続するということを議会が決めてしまうとこれは、たいへん大きなニュースになるでしょう。総務省は涙を流して喜ぶに違いありません。でも、多くの市民、これは可児市民だけではありません。全国の多くの方は、これだけの大失態を演じながら『懲りない可児市』と写るでしょう。中にはいい根性していると喝采してくれる方もいるかもしれません。 
 
でも、可児市は一地方自治体なのです。どうして、市民をそのような危ない橋を渡らせてまで、電子投票にこだわるのでしょう。今まで13回中9回は何らかのトラブルを起こしてきた電子投票です。まともに行える可能性のほうが低いのです。例え、電子投票が国策であったとしても私は、これ以上、電子投票を可児市が推進することには反対です。 
 
 もし、電子投票をこの次の市長選でやるとなれば…今度は、逆風が吹く中、その決定をした議会が全責任を負わなければならないと思います。もし、今度失敗したら議会を解散するくらいの覚悟が必要だと思います。 
 
 私には、そんな覚悟は到底ありません。2年前の電子投票トラブルによる、選挙無効を本当に反省するなら、ここはまず電子投票条例を廃止し、国やよその自治体が電子投票をどうしてゆくのか様子を見るべきだと思います。 
よって私は、発議第9号の『可児市の電子投票に関する条例を廃止する条例の制定について』賛成するものです。 
                             以 上
 

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