++山根一男の徒然日記++
山根一男HP 〜やまネット〜

山根一男掲示板

8月 31日(水) 臨時議会で火花
8月 30日(火) 発言通告
8月 29日(月) 会派代表者会議と全協
8月 28日(日) 柘植さん落選…
8月 27日(土) 柘植さん選挙最終日
8月 26日(金) みどりの風
8月 25日(木) 美濃加茂市長選
8月 24日(水) 悲しい出来事
8月 23日(火) 再選されました!
8月 11日(木) 選挙カー
2005年 8月
 日 月 火 水 木 金 土
- 1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
- - -

 

 2005年8月2日(火)
 個々面談
 地元を中心にリストに基づいて、訪問している。やっと500軒くらいになっただろうか。最初、ピンポンと押すのは勇気がいったがリストに赤丸をつけてゆくうちに躊躇なく押せるようになる。 
 
 住宅地なので平日の昼間は、ほとんど人がいないと思いきや夏休みのせいもあってか、5割から6割くらいの確率で人がいる。高齢の方が多い。さすが可児市きっての高齢化率ナンバーワンの団地だ。 
 
 いろんな声が聞ける。お年寄りには西可児駅から、団地に向かう坂がことの他きついようだ。夜は暗くて不安だという。やはり医療や介護に対する不安の声が多い。電子投票については、議員に対して同情的だ。 
 
 地元中の地元だけあって反応は良いほうだと思う。「3丁目の山根ですけど…」というだけで分かる方が半数近い。一方で説明しないと分からない方も多い。びっくりするくらい愛想のいい方もいて勇気づけられる。 
 
 調子に乗ってくると、次はどんな方に会えるのか楽しくなってくる。昔、千趣会の営業マンだった頃、新潟や長野の駅前のビルを軒並み訪問した頃を思い出す。あの時も、ドアの向こうにどんなドラマが待ち受けているか楽しみながら回った。おかげで三年くらいは新規獲得で全国の誰にも負けなかった。本質的に、自分は未知なるものにぶつかってゆくのが好きなのだろう。 
 
 一日中でも訪問し続けたいが、この暑さでは三時間が限界だ。朝、行って、午後は事務処理で走りまわり、夕方から暗くなる直前までまた回る。 
そんな、日々を送っている。 
 

>> 返信
 

 2005年8月3日(水)
 事務所開きは8月7日
 今日、事務所のカギをもらった。2年ぶりに入る。2002年10月の市議補欠選挙の時に使った事務所である。窓を開けると、西可児駅の改札口が正面に見える。直線距離で40mくらいかな…、この窓から演説してもいいくらいの近さだ。 
 
 補欠選挙は残念ながら落選してしまったが、5000票近い票をもらい、全く無名だった私を市民の方に知ってもらうきっかけとなった。ゼロからのスタートだったので、落選は当たり前といえば言える状況だった。だから、再びこの場所を事務所にすることに不安はない。 
 
 8月7日(日)15:00と、8月9日(火)19:30、8月12日(金)19:30の三回に分けて「オープニングミーティング」と題して事務所開きをすることにした。都合のいい時間に来ていただけたらありがたい。もちろん、三日とも来ていただけたら、さらに嬉しい。 
 
 こんな事務所開きはないだろうけど、要はより多くの趣旨に賛同される方に来てほしいし、語りたい。どこもかしこも事務所といえば、紅白の垂れ幕を張っているが、うちはテーマカラーのグリーンの垂れ幕でいきたい。必勝のはちまきも、ダルマもいない。 
 
 日本の選挙文化は、50年前からそう変わっていないのではないか?義理や人情、お涙頂戴的な訴えが今でも主流を占めている。もちろん勝つためには、そういった要素も取り入れることもある程度はしかたがないかもしれないが、政策本位、実行力本位に変えていかなければ、日本はいつまでたっても政治的に二流と言われてもしかたがない。私は、7日間政策をしっかり訴えていきたい。1日50回のショート演説をノルマとしたい。 
 
 スターティグセレモニーは、8月14日(日)午前9時からの予定だ。その前に、ポスター210ヶ所午前中に貼れる算段をしなくてはならない…
 

>> 返信
 

 2005年8月4日(木)
 選挙戦はどうなる
 各陣営とも事務所を開いてる。候補者ポスターの掲示ボードもまちの中のいたるところに立てられ、いやおうなくムードが高まってきている。市議選は相手が誰というのではなく、候補者本人やその実績を、選挙民がどういう評価をするかということだと思う。 
 
 だから、誰が出ようが出まいが、まず自分自身の訴えができればそれで良いのだろうが、やはり他の候補の動きは気になる。厳密には8/14 の告示日に立候補を届け出ない限り、候補者という呼び方すら今はできない。 
 
 今ある情報は、立候補予定者説明会に定員24のところに、27陣営が聞きに来たというだけだ。そのうち2陣営は、候補予定者すら決まっておらず、地域の代表者が来ていた。何よりも不自然なのは、前職市議のうち、4名が説明会には来なかったことだ。今回は再選挙なので、通常なら任期途中なのだ。この時期に辞退するというのは変だ。 
 
 理由はともかく、地域にもよるがこれは大きな影響が出るだろう。中には無投票を望む声もある。逆に無投票にしないために出るという人もいるらしい。選挙は民主主義の根幹である。最高裁で無効を言い渡された選挙が、無投票になるようなことがあれば、これは可児市にとって恥の上塗りと言っていい。 
 
 政治家であり、税金で活動する以上、選挙民からの評価は必ず受けるべきだと思う。候補者にとって、1週間、大きなマイクで市民に市政の問題点や、政策を訴えることができることは大きな意味がある。もっともそれをしない人があまりにも多い。
 

>> 返信
 

 2005年8月6日(土)
 火事
 夕方、若葉台9丁目で支持者回りをしていたら、緊急放送が流れた。若葉台1丁目で火災発生だという。すぐさま駆けつけた。こういう時、地元の市議はまずは駆けつけなければならない。 
 ほとんど同時に、近隣の二人の元市議が飛んできた。その他に、消防団員はもちろん、警察や自治会長、自治連会長、市役所防災係、総務部長など、皆来た。幸い、火事というよりボヤですんだ。一人暮らしの高齢の男性が、てんぷら油を火にかけたままTVを観ていて、火が出たようだ。 
 
 若葉台は、可児市の中でも高齢化率ナンバーワンであり、独居のお年寄りも多い。今後も、この手のアクシデントは起きる可能性が高い。近所の人が煙を見て、早期に通報されてことが火事を最小限にくい止めた。住人の方は、煙を吸っており、大事をとって病院に行かれたが命には別状ないようだ。消防署が帰ったあとの事後処理には地元の消防団員が当たってくれていた。本当にご苦労なことだ。 
 
 今日は、朝から全国ボランティア研究集会以来のつきあいがある若い友人が来てくれて、一日で事務所をそれらしい雰囲気に仕立て上げてくれた。他に隣の多治見市議や、美濃加茂市議で懇意にしてくれている方が事務所に来てくれた。一気にムードが盛り上がって来た。 
 
 夜は、PTAと青少年育成市民会議、民生児童委員の方たちと帷子地区の夏休み特別補導で見回った。こういう時期とはいえ、PTAの役は手が抜けない。明日15時からは、いよいよ第一回目のオープニングミーティング(通常で言う、事務所開きのようなもの)だ。何人くらいの方がみえるか、電話くらいはしたかったのだが、火事騒ぎと補導とで誰にも電話できずに終わってしまった。
 

>> 返信
 

 2005年8月7日(日)
 事務所オープン
 昨日の知多半島から駆けつけてくれたF君のセンスで、見違えるように事務所らしくなった。何しろ、可児市で一番乗降客の多いといわれる『名鉄西可児駅』の目と鼻の先なので目立つ。 
 
 早速、山根一男の連絡事務所の申請を可児市の選挙管理委員会にしたので、2枚の看板は出している。クーラーが故障していたが、支持者の方の知り合いの電気屋さんが、日曜日の朝にもかかわらず来て直してくれた。 
 
 もう20年以上経つが幻の名機といわれる(?)ボーズのスピーカーシステムを運び入れ、音楽もばっちりだ。何かテーマソングを決めたらという提案があったが、なかなか決まらない。 
 
 3時から事務所を開くと一部の方にはお伝えしていた。それに先立ち、近所の女の方が掃除やら準備を手伝ってくれた。以前にはなかったことだ。ただ、肝心の3時になってもぱらぱらとしか人が来ない。 
 
 地域を回ったり、書類の準備などに駆けずり回っていて、きっちりとしたお願いができていないことを反省する。まだ、9日(火)と12日(金)の19時半にもオープンミーティングを予定しているので、何とかお願いしてみよう。 
 
 しっかりとしたお願いをしていないのに、今日来てくれた方は、本当にありがたいメンバーだ。確かな手ごたえと、一抹の不安が錯綜する。
 

>> 返信
 

 2005年8月8日(月)
 事前審査
 8月14日の告示に先立つ事前審査があった。27陣営それぞれ、時間を決められ、立候補の届出書、供託(30万円)証明書、宣誓書、戸籍謄本等を審査し、問題なければそのまま封印してしまう。あとは、14日の8時半に持っていくだけでいいようになっている。 
 
 同時に、選挙公報の原稿チェックとポスターの内容チェックもあった。選挙公報の名前にふりがなを入れるのと、48歳の歳の字を才にしてしまっていたので、不合格になったが再度出直しOKとなった。選挙公報は、新聞紙大の紙に全候補者の名前や政策、アピールなどが載る。可児市の全世帯に新聞折込などで選挙期間中に配られるのでありがたい。 
 
 事前審査は無事終わって、ひとつのハードルを越えた。次は12日に選挙カーの審査を受けに警察に行かなければならない。その他に、ポスターや選挙カー、ガソリンスタンド、選挙カーの運転手との契約書や、有給の車上運動員(マイク係等)の報告などまだまだ10種類くらいの書類をつくらなければならない。 
 
 今日の事前審査、事実上の立候補登録といってもいいと思う。何人済ませたか…興味のあるところだが、特に聞かなかった。他の人のことより、自分のことでせいいっぱいだ。選挙選1週間をたたかうには、相当の人の協力がなければできない。いろんな人に、せめて電話でお願いしたいのだが、電話できる時間帯に、いつも雑用が入ってきて全然進まない。 
 
 一方で支持者回りも拍車がかかっており、こちらも全く手が抜けない。明日には事務所に電話が入り、第二回目のオープンミーティングを夜7時半より予定している。一人でも協力してくれる方に来てほしい。 
 
 ※連絡 8月5日より、何故かメールが着信しなくなっております。早急にプロバイダーと相談いたしますが、もしメールを送ってくれている方がおられましたら失礼をお詫びいたします。
 

>> 返信
 

 2005年8月10日(水)
 他市議員の応援
 東濃地区のある市から、市議が応援に来てくれた。フェロシルトの関係で知り合った若手議員だ。期間中三日間も来てくれるという。他にも兵庫県三田市、茨城県水戸市、隣の多治見市、愛知県・三重県の市議・町議が応援に駆けつけてくれる予定だ。 
 市議選は地域の選挙だから地元の支持者が核となるのが理想だが、市民派の場合、選挙の手法や考え方が従来と違うところがあるので、その辺りのことを熟知している他市町の議員に応援に来てもらうのは本当にありがたい。 
 
 他陣営の多くは、それぞれの地区の自治会が丸抱えで動いているケースが多いようだ。地域の公民館を選挙事務所にしている人も多い。中には自治会 
の回覧で応援日程やら動員依頼が来ることもあるらしい。以前よりはましになってはいるということだが、自治会丸抱えの選挙は公選法に抵触する。 
 
 普通の人が立候補しようとした場合、一番のハードルはやはり選挙だろう。しかし、そこを変えてゆかない限り、しがらみのない市民の立場で発言し行動できる議員は生まれてこない。 
 
 私は無党派・市民派自治体議員と市民のネットワークという緩やかなネットワークに所属している。この会は、決して選挙のための応援組織ではないが、メンバーの選挙の時には駆けつける、持ちつ持たれるの関係ができている。まだまだ大きな組織ではないが、もう少し大きくなれば、普通の人が本気になって選挙に出ようと思った時の強い味方になると思う。 
 
 

>> 返信
 

 2005年8月11日(木)
 選挙カー
 あっという間に日が迫る。今日も地元の支持者回り、選挙カーのガソリン供給スタンドとの契約、選挙はがきの整理、事務所の整理など次から次へと課題をこなしてゆく。 
 
 事務所に近所の小母さんたちが常駐してくれるようになった。明日からは、九州から母親とその友だちが応援に来てくれる。手伝いの人、カンパを持ってきてくれる人、公選はがきを取りに来てくれる人…など来訪者が増えてきた。しかし、来られるのは夕方から夜が多いため、その応対をしていると肝心の選挙期間中の運動員や運転手、マイク係(ウグイスともいう)のお願い電話ができない。 
 
 しかも今日は、選挙カーの受け取りを約束していたので、電話はまったくできなかった。選挙カーは市民派議員どうしの横のつながりで、いつも山県市まで取りにゆく。妻が同道してくれた。最新鋭のスピーカーシステムやワイアレスマイク、照明装置を積んだものだ。明日、警察で設備外積載等の検査を受けに行く。 
 
 帰ってきたら23時を過ぎていた。いよいよという感じだ。気になるのは、マイク係の女性が手薄なことだ。ひとりは慣れた人にいてもらえそうだが、この暑いさかりに8時から20時まで、ひとりだけでマイクを持つことは不可能だろう。8月の選挙は応援も含めて初めてだ。どうなることやら…
 

>> 返信
 

 2005年8月23日(火)
 再選されました!
 8月21日。おかげさまで再選されました。しかも2年前の初当選時より、約400票増え1810票もいただきました。順位も前回の20位から10位へと上がりました。これも多くの皆さんの熱い応援のおかげです。ありがとうございました。 
 
 なお、選挙運動期間中の更新は自粛しておりました。というより何故か8月11日頃より、昨日までネットにアクセスができなくなってしまいました。やっと昨日、ITにめっぽう強い友人に来てもらい修復できました。メールに関しても8月4日頃より不通になっておりました。結果的にその間に届いたメールはすべて削除せざるを得なくなりました。失礼がありましたら深くお詫びいたします。 
 
 さて、今回の選挙、本当に苦しいたたかいでした。結果から見れば楽勝のようにも言われかすが、特に同じ若葉台という団地(1250戸)から三人も立候補が出て一時はどうなるかと思いました。 
 
 今回も地元の方(PTAの女性含む)+前回も来てくれた東京他の学生および社会人+東海三県中心の市民派議員ネットワークなど、多彩にして強力なメンバーの力が合わさって当選することができました。 
 
 相変わらずの組織のないネットワーク型選挙でなんらかの形で、1週間の間に応援してくれた方は延べ100人を越えていたかもしれません。私も7日間で368回、特に最終日8月20日には92回の街頭演説で声を振り絞り、今も声が嗄れたままです。 
 
 毎日が自転車操業のような日々でしたが、なんとか1週間乗り切ることができました。本当にいろんな方のご支援で形になりました。暑い盛りで真っ黒に日焼けしました。課題はいっぱいありますが、まずはやれることをやりきった選挙でした。 
 
 結果的に当選できたことと、多くの方が私の選挙を通じてつながり合ったことが二次的に嬉しいことです。選挙ってほんとドラマチックです。いっぺんには書けませんので…またおりおり書きます!ありがとうございました。
 

>> 返信
 

 2005年8月24日(水)
 悲しい出来事
 今日、お通夜があった。 
6年前の市議選で、私が初めて可児市の選挙に接し、市民派の議員候補がいることを知った。その人が小川ふきさんだ。彼女を応援し、見事初当選を果たした。その後、一緒に可児市を変えてゆこうと私を市議に誘ってくれたのも彼女だった。 
 
 私の初チャレンジの補欠選挙の時は、3日間マイクを持って応援してくれた。その後、2年前の電子投票で、彼女は落選してしまう。あれだけ議会で発言が多く、24人のうちたった3人しかいない女性候補が何故、落選してしまうのか不思議だった。でも、今回の再選挙で見事カムバックされた。 
 
 その小川ふきさんを、いつもいつも支えて来られた冨士井尚子さんが一昨日、交通事故で亡くなられた。54歳。中津川に選挙カーを返しにゆく途中だったとのことだ。交通量の多い、国道19号でセンターラインをオーバーしてしまったらしい。少し、顔に傷はあったが安らかな死顔だった。 
 
 今までさんざん苦労してきて、やっとふきさんを当選させて、なぜその日にあの世に行かなければならないのだろう。とても温和で、いつも一生懸命で、でも目立つことは苦手で誰からも慕われていた。 
 
 小川ふきさんのショックは、計り知れない。一緒に会派を組もうと、2年半お預けになっていたのが、やっと二人同時に当選できた。つらいスタートになるけど、小川ふきさんにはがんばってほしい。 
 
 私も今日、選挙カーを山県市まで返しに行った。いつもは妻と併走して行くのだが、事故のことを知った選挙応援団長(?)が、代わりに付き合ってくれた。とても嬉しかった。23時に無事帰って来られた。ほっとした。
 

>> 返信
 

 2005年8月25日(木)
 美濃加茂市長選
 友人が市長選に出ている。すぐ隣の美濃加茂市、投票日は28日だ。まだ、完全に自分の選挙の後始末が終わったわけではないが、同じ市民派で、同じNPO(NPOなんでもサポートセンター岐阜)の理事でもある柘植宏一氏を応援するのは当然のことである。そしてそれは今しかない。 
 
 三人の立候補者がいる。なんと28年ぶりの市長選だという。それだけ保守的なまちなのだ。保守系の候補者二人に対して、柘植さんは無党派・市民派として美濃加茂に『新しい風』を吹かせようとしている。51歳三人の子持ちで経済的にも苦しい中での挑戦だ。 
 
 朝から4時間近くマイクを持ったり手を振り続けた。農村部にもかかわらず驚くほど反応がいいのに驚いた。やはり28年も市長選がなかった土地であり、若くて何かやってくれそうな候補者への期待は大きい。 
 そして、美濃加茂市と可児市は、木曽川を隔ててすぐ目と鼻の先なので、市民派の市長が誕生したら必ず、可児市にも波及する。明日も行くことにした。 
 
 今日で私の選挙事務所の電話機はすべてはずし、鍵も返した。まだまだやらなければならないことは多いが、選挙カーと事務所を返すと一段落した気分になる。後は引き続き、支持してくれた方へのお礼と選挙費用の決算(9月4日まで)だ。
 

>> 返信
 

 2005年8月26日(金)
 みどりの風
 朝一、美濃加茂の柘植さんの事務所に行った。予定をチェックし、すぐに可児市役所に行き、今日提出の書類を提出した。一番大事な書類は、会派届けで今日の午前11時半が締め切りなのだ。 
 
 ただ、今日は日本PTA全国研究大会が名古屋であり、ずっと前から出席することになっていたので書類は午前8時前に守衛室に預け、名鉄電車に飛び乗って会場である鶴舞公園の愛知県勤労会館に向かった。 
 
 さすがPTAの全国大会だ。合計10ヶ所の分科会からのスタートだが、分科会なのに1000人も参加者がいる。分科会のテーマは『解決!学力低下問題』と題して、あの百枡計算で有名な陰山英男さんが講師である。データを駆使して、とても分かりやすい説明で学力低下問題を論じていた。 
 
 結論から言えば、今よく言われる学力低下問題は、学校教育の欠陥が原因ではなくゲームや、テレビに毒され睡眠不足に陥っている子どもたちの家庭環境に大きな原因があるという。私もそう思う。 
 
 たいへん理路整然としたお話で、もっと聞きたかったが午後1時から、初めての会派代表者会議があるので中座した。なんと1分前に会議に間に合った。 
 
 31日の臨時議会の流れや、委員会構成など調整した。私は小川ふきさんと会派『みどりの風』を立ち上げ一緒にやっていくことにした。命名についてはふきさんから任されており、相当悩んだがお互いの共通項として『みどり』を入れることにした。内容については機会を改めて触れたい。ともあれ、今日は新たなるスタートの日だ。
 

>> 返信
 

 2005年8月27日(土)
 柘植さん選挙最終日
 昨日は夕方6時以降しか手伝えなかった。今日は美濃加茂市長選最終日、泣いても笑っても今日が最後なので、全面的に手伝うことにした。特に、昨日の電話の感触がとてもよかったので、1日電話掛けしてもよいと思った。 
 
 7時半頃に選挙事務所に行くと、政治団体の街宣車のマイクを持つ人がいないというので、そちらに乗ることになった。こちらは候補者の名前を言うことができない。でも、マイクを持つうちに力が入って絶叫調になっていた。 
 
 自分の選挙の余韻もあって、思わず力が入る。男の場合はウグイスとは言えずカラスというが、かなり熱を込めて話すので、多分美濃加茂の方には、下手なウグイスよりはるかにインパクトがあったのではないかと自画自賛している。なにせ、28年間も市長選挙がなかった土地柄である。あまりにもボルテージを上げすぎて、後半にはいよいよ声が出なくなってきた。 
 
 ほとんど今日一日で、美濃加茂中を回った。夕方6時以降は、さすがに車に乗る気力がなくなった。それより、電話のほうが自分の持てる力を出せると思った。こう見えても千趣会時代、トップセールスを張っていたことがある。その頃は、1日200件以上の電話セールスは当たり前であった。 
 
 実際、声が嗄れ、搾り出すような声で、電話でお願いするとすごく反応がいい。わざとやっている訳ではないが、かなり切実感が伝わるような感触を得た。棒読みの電話ではいけないが、真剣な電話ならば相当、票を稼げるのではないかということに自ら気づいた。電話作戦をもっと重視しよう。 
 
 夜8時まで、みっちりやって、それから岐阜市まで走り、お留守にしていたテリーフォックス・ランの9月18日のイベントに関する会議に参加した。帰ったら12時近かった。猛烈に忙しい毎日が続きそうだ。
 

>> 返信
 

 2005年8月28日(日)
 柘植さん落選…
 昨日までの嵐のような日々だったが今日で終わった。三日連続、ふとんで寝ることがなかった。書類づくりなどでパソコンに向かっているうちに椅子に座ったまま、気がつけば朝になっていた。今までにもよくあることだが、三日続いたのは初めてだ。 
 
 諦めて寝ればいいのだが、やりきれないくらい多くのことを抱えている時によくある。実際に選挙ですべてが止まってしまったが、それまでに手掛けていたことが終わったわけではない。 
 選挙後の後始末も、本当は自分に投票してくれた1809名のすべての方にお礼を言いたいが、できる相談ではない。それでもお世話になった方は100人を下らないだろう。祝勝会や慰労会の企画もある。選挙管理委員会にも会計報告を出さなければならない。 
 
 急な選挙で、9月24日(土)14:00から可児市文化創造センターで上映する『ガイアシンフォニー第一番』の準備が何もできていない。すでに1ヵ月をきっている。夜、何人かの仲間と相談した。9月2日(金)19:30〜下恵土の『ココス』で急遽、実行委員会を立ち上げることになった。関心のある方はぜひ、集まってほしい。 
 
 夜、10時半頃美濃加茂の柘植さんの選挙事務所に行った。ちょっとしんみりしていた。2回目の開票で、他の2候補が3200票なのに、柘植さんは1500票だった。多分、柘植さんは全体から票を取るだろうから、これから挽回するだろうと望みを託した。 
 
 しかし、願いは空しく、ほどなく残酷な電話がかかってきた。柘植さんの3005票に対して渡辺氏は13711票、次点三宅氏は7294票と大差をつけれれて落選が決まった。 
 これほどの大差は予想していなかった。これほどまでに美濃加茂の保守層が強力だとは驚いた。あれだけ反応がよかったのに…選挙は、はっきりと数字で勝敗を分ける。しかし、28年間市長選のなかった美濃加茂市において、政策不在の選挙にマニュフェストを掲げて新しい風を巻き起こした柘植宏一さんの勇気には盛大な拍手を贈りたい。
 

>> 返信
 

 2005年8月29日(月)
 会派代表者会議と全協
 朝9時30分より第2回目の会派代表者会議があった。31日の臨時議会に向けて、議会内の調整のために6つの会派から代表が出て話し合う。6つの会派といっても二人会派が4つと三人の会派がひとつ、14人の会派がひとつである。 
 
 前にも触れたが会派というのは、法的には何の根拠もなく、政策的に一致しているかと言えばそうでもなく、単に便宜的に集まっているものである。可児市の場合14人の新政可児クラブが牛耳っているといっていい。この会派に入っていなければ議長や、委員長のポストはまず回ってこない。 
 
 今回の選挙で前期まで一人会派だった私と、共産党がそれぞれ二人になった。今後、議会運営の中核を成す、議会運営委員会は今まで二人以上の会派の代表と4つの委員会の委員長4人、計8人で構成されていたが二人会派が増えたため結局、条例を改正してまで定員を10名とした。これに議長・副議長も加わるので12名となるが多すぎるように思う。最大会派は今回の選挙で、二人、人数を減らしたが議会運営委員の人数は減らしたくないようだ。こんなことでもめるのは時間の無駄なのでやむなく賛成した。 
   
 共産党の議員から苦言が出た。市長が電子投票トラブルの責任をとって、辞任をしない理由に、先の議員全員打合せ会で議員から辞めろという声がなかったと新聞にコメントを載せたことについてである。 
 
 全員協議会(打合せ会)は、議案や市政の方向について説明を聞くところで、議論したり決定する場ではないはずだ。私も、一度辞意を示しながら、回りが辞めるなというから辞めずに、減給3ヶ月でお茶を濁そうとしている市長の姿勢にあきれかえっていたが、当選した翌日でもあり、意見は本会議でと決めていたので黙っていた。共産党議員の言う通りだ。 
 
 最古参の議員と少々やりあった。全員協議会で十分議論して、本会議ではしゃんしゃんと済ませるのが議会のあり方だという。私はマスコミにも市民にも非公開で議事録も残らない、いわば密室状態の「全員協議会」で必要以上の議論はおかしいと思っている。本会議で堂々とやるのが筋だ。 
 
 午後1時からその全員協議会があった。市民による監査請求の説明をめぐっておもしろいやり取りがあった。長くなるので今日はやめておこう… 
 
 

>> 返信
 

 2005年8月30日(火)
 発言通告
 明日は臨時議会だ。議長や委員会など、今回選出された議会の構成や役割が決まる。実際にはすでにほとんどの事柄は決められている。ただ、議長・副議長は決まっていない。多分、最大会派(新政可児クラブ)の中では、もう決まっているのだろう。本来は4年任期があってもいい議長職だが、毎年回り持ちのように変わる。 
 人事については、私はほとんど関心はない。どこまで行っても会派の壁を乗り越えることは難しいだろう。そんなことにエネルギーを使うのは時間の無駄だ。 
 
 今日の正午が、明日の臨時議会の質疑と討論の締め切りだった。あらかじめ発言に内容などを連絡しておかなければならないというのも、一般的な社会常識から考えると変だが、議会の場の重さを考えたら致しかたないのだろう。ただ、討論だけは賛成か、反対だけで自由にものが言える。 
 
 質疑の一つはアスベスト対策の費用だ。可児市は回りの自治体よりもかなり早く調査をしており、7ヶ所でアスベストの使用が見つかった。私がつい先ごろまでPTA会長を務めていた、南帷子小学校の体育館も含まれている。 
 可児市は7ヶ所のアスベスト対策費用として1億3400万円を臨時補正予算として計上しているが、入札方法など適正な価格で発注されているのかどうかをチェックする必要がある。安全面と12月まで体育館が使えないということいだが、その間の対応方法についても確認するつもりだ。 
 
 もう、一点は電子投票トラブルについての責任の取り方だ。明日の議会で市は三役(市長・助役・収入役)の減給3〜1ヶ月で、事を収めようとしている。責任をとって辞意まで示していた市長は、その後回りの方から辞めなくていいと言われて気持ちが変わったようだ。 
 
 いったい市長は最高裁の判定をどう理解しているのだろうか?市議全員を失職させ、しなくてもよかった選挙をするはめに追い込み、5900万円も余計な税金を使うことになった責任をどう受け止めているのだろうか? 
 
 市長の回りでは、辞めなくてもいいという人が多いのだろう。それは市長がイエスマンとしか会わないからだ。まさに裸の王様だ。私の回りではいったん辞意を表明した方が、どうして居座るのかという声をよく聞く。 
 11年近くに渡って、可児市をここまで導いて来た方だけに、晩節を汚してほしくないものだ。 
 

>> 返信
 

 2005年8月31日(水)
 臨時議会で火花
 今日は臨時議会だった。議長には柘植定氏が19票/25人、副議長には可児教和氏が17票/25人で就任した。どうしたって14人もいる新政可児クラブの思いのままだ。ただ珍しく総務企画委員長に自由民主クラブの加藤新次氏が、文教委員長に可児市民クラブの渡辺重造氏が就任した。経験も実力もある方なので、当然といえば当然だが、最大会派以外から二人も委員長が出るなんてことはあまりなかったのではないだろうか? 
 
 それは、そうと今日は会派『みどりの風』のデビュー議会でもあり、さっそく二人して(もう一人の市民派女性議員・小川ふきさんと)良くも悪くも議会を引っ掻き回した感じだ。 
 
 他には共産党の女性議員くらいしか発言しないので、みどりの風の二人で全体の3/4くらいの発言時間を費やした。後でベテラン議員からチクリと言われた。「本会議でわかっていることを聞くな!」これが長年議員をやっている方々の常識らしい。市民派議員として教わったこととまるで逆だ。質疑や質問は、すべて分かりきったことを聴くのが正しい姿だ。 
 
 何故なら、全員協議会や担当者といくら話しても、市民には届かない密室の議論にすぎない。本会議ならTV中継があったり傍聴もできる。議事録にも残る。議員の本当の仕事は、本会議でどれだけの発言をするかだと思う。 
 
 今日の小川ふきさんの質疑は、行政の常識が、市民の非常識となっている典型的なものだった。今回の選挙費用のうち、投・開票事務従事者等手当に1133万円ほど予算計上されている内訳を聞いたものだ。 
 
 21日の開票の日、249名の投票所での事務従事者と、20時以降の開票作業では119名の開票作業従事者が働いた。すべて市職員だ。報酬は新人でもベテランでも一律37,300円+夜の開票作業も手伝った人には5400円から17300円が支払われる。この日一日で約5万円の収入だ。 
 
 すべて条例に則って支払われる適正なる報酬だという。でも、市民感覚としてはあまりにも常識を逸脱していると言わざるを得ない。なるほど一日中、机の前に座って投票者の世話をやくことは大変な仕事だろう。夜の12時頃までの開票も大変だ。でも、それで5万円もらえるなら誰でも喜んでやる。私もサラリーマンだった頃、たまに日曜日の会社主催のバザーなどに刈りだされ2万円程度の休日出勤手当をもらってホクホクした覚えがある。それもバブル期の頃で、その後は安いバイトに代わっていった。 
 
 このような投・開票従事者に対する常識はずれの報酬は、20年以上前から続いているようで、バブルが崩壊しようが景気が低迷しようが、常に報酬は右肩上がりできた。議会も、何も言わない。私は、執行部が出してきた条例案を議会が否決した姿を一度も見たことがない。99%異議なしで通る。 
 
 ただ、このことを市役所の人にいくら話しても20年間続いてきたことは常識であり、ほとんど何の疑問も持っていないと思う。このままでは、この国が破産するのも、そう遠くないと思えてならない。(否、本当はもう破産している!?)郵政よりも役所を民営化すべきではないか? 
  
 

>> 返信




| 携帯用 | | RSS | | 検索 | 

++ Powered By 21style ++