++山根一男の徒然日記++
山根一男HP 〜やまネット〜

山根一男掲示板

7月 30日(土) お祭りのはしご
7月 29日(金) 尻に火
7月 28日(木) 暗雲
7月 26日(火) ちらし配りから社会が見える
7月 24日(日) 他候補の動向
7月 23日(土) ようやく政治団体ちらし完成
7月 21日(木) 松阪市議選応援
7月 20日(水) 衆議院候補者とかち合う
7月 19日(火) 駅立ち・ちらし配りの日々
7月 18日(月) 『脱サラ議員奮闘記』
2005年 7月
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 2005年7月3日(日)
 消防操法大会
 朝8時より可児市役所の駐車場で、消防団の操法大会があった。議員になる前は操法ということの意味さえわからなかった。消防団の皆さんにとってはこの日のために毎晩のように訓練を続けて来られたことだろう。 
 きびきびとした動きはたいへん見ごたえがある。市議は来賓としてほとんど来ていた。開会式の時は来賓席にいるが、競技が始まるとそれぞれの地元の分団のところに行って応援する。こういう催しとなると、やはり市議は地元密着型なんだと思う。党関係の議員も同じである。 
 それにしてももっと観客がいても良いと思う。一部の消防団出場者の家族が応援に来ておられるが、300人を超える参加者の割には数は多くない。消防団員にとっては晴れの場であり、もっと多くの市民の関心が向いてもよいと思う。市民のいのちと財産を守る消防団員の皆さんの努力には敬意を表したい。
 

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 2005年7月4日(月)
 森林づくり地域検討会
 コミュニティ診断士としての参加依頼で、恵那市の県総合庁舎まで行った。今後、美濃加茂や郡上などで計7回参加する予定である。何かと忙しい中、どうしようか迷ったが、岐阜経済大学の鈴木教授からの要請もあり、日程の可能な日だけ申し込んだ。交通費だけは出してもらえるようだ。 
 
 この日は、恵那地区の森林組合や緑の保全を目指すNPOの代表など十数名が来ていた。県職員も10人ほどいた。以前にPTA会長を務めていた小学校の「わんぱく山」の診断に来てくれた岐阜大講師の伊藤先生も来られていた。 
 これから先、30年くらいのスパンで岐阜県の森林の保全をどうしていくかということがテーマである。私としては専門分野ではないが、たいへん興味のある課題である。今日はサブ進行役だったので、ほとんど話し合いの流れを聞いているだけで終わった。7日には美濃加茂で同じテーマである。ワークショップ形式はとっているが、カードへの記入は県職員が代行する方式である。言いっぱなしの会議よりは良いとは思うが、ワークショップの趣旨からいうとちょっと外れる。慣れない人が多いのと、時間の制約からしかたがないのかもしれない。11日に同じメンバーで第二回目のミーティングがある。 
 
 県では新しい知事に代わって、県民の声を聞こうとするこのてのワークショップが多くなってきた。県内10ヶ所で、20回にわたる会合はたいへんだろうが、評価に値する。こういう手法は市でももっと取り上げてもらいたい。
 

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 2005年7月6日(水)
 地球ハーモニー'2005 かに 7/29
 地球ハーモニーの打ち合わせに加わった。一応自分も7月29日(土)の夜19:00に開演される『地球ハーモニー'2005かに』の実行委員なのである。これに関しては、可児おやこ劇場の会員である妻も関わっている。 
 
 南アフリカから11歳から20歳までの10人程のレインポースターズというコーラスグループである。可児では、今年3年目でその前の年には6人ほどのメンバーで、先行していた奈良県生駒市まで観にいった。 
 
 生駒市出身で、矢沢永吉バンドのキーボード奏者としてプロデビューしたジャズピアニストの河野康弘さんが、主宰して各地を回っている。河野さんは、眠っているピアノを調律して全世界の子どもたちに贈る運動を続けている。その縁から南アフリカから子どもたちを呼ぶようになったようだ。 
 
 レインボースターズには黒人も白人もいる。アパルトヘイトは終わったとはいえ、同じステージでこのように歌うこと自体が、ま珍しいようだ。彼らは1ヶ月近い日本ツァーでより強固な友情で結ばれることだろう。 
 
 コンサートの前後数日は、地元の中学生らとの交流もあり、たいへん社会的にも意味のある催しだが、そんな能書きよりもとにかく歌がうまい!特にダーレンという15歳の男の子の歌声には魂を揺さぶられる。昔、ウィーン少年合唱団の歌を聞いたことがあるが、これほどの感動はなかった。 
 
 気がつけば期日が迫っている。なんとかひとりでも多くの方にこの感動を味わってほしい。(入場料1000円:山根090-1821-4777まで)
 

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 2005年7月8日(金)
 電子投票無効 再選挙!
 ついにXデーが来た。夕方に最高裁が、県選管の電子投票無効の判決を不服とする上告を棄却するというニュースが飛び込んで来た。いつか来るとは思っていたがやはり強烈だ。明日で議員は失職となる。 
 
 朝日・中日・岐阜と三紙から取材を受けた、明日の朝刊に出るかもしれない。あまりにもお粗末な可児市の準備と、事後対応を考えれば当然の帰結といえるが、当事者に自分がいることを考えたら複雑な心境だ。来るべきときが来たと思えばいいのだが、今抱えている沢山の課題を処理しつつ、選挙に向かって突き進まなければならない。収入もなくなる。 
 
 これまで係争中で逃げてきた市長が、どのような責任をとられるのか明日の報道を注視したい。9:30から議会全員協議会があるので、その席でなんらかのコメントがあるかもしれない。 
 とにかく波乱万丈の50日間が始まった。
 

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 2005年7月9日(土)
 全協(?)市長の責任
 一夜明けた。9時30分から全協(議員全員協議会)があった。しかし、総務省の見解も二転三転したようだが、昨日、最高裁が棄却宣言した時点でわらわれ議員は失職していたらしい。つまり、今日土曜日は議員でもないので、堂々と市役所5Fの会議室を使うことさえ問題といえば問題になる。 
 
 まあ、召集通知は昨日あったので咎められることはないと思うが、一夜にして全員議員バッチをはずすこととなった。否、全員ではない。5月末の選挙で選ばれた、合併した兼山選挙区の小村さんだけは議員なのだ。これから50日間、可児市議会は小村さん一人の議会となる。 
 
 全協には25人の議員は全員出席した。冒頭でマスコミの写真撮影があった。10社くらいは来ていた。その後、締め出された。原則として全協は傍聴禁止なのだ。市民に開かれた議会を標榜しながら、マスコミの取材さえ拒否し続ける悪しき伝統はまだ続いている。 
 
 市長からお詫びの言葉があった。25人の議員のうち21人は電子投票条例を採択した経験者であり、心なしか市長への同情派が多いように思う。中にはしょぼくれる必要はないと激励する議員もいた。厳しいことを言ったのは2〜3人くらいだった。私は言うべきことは言うと決めていた。 
 
 私はこれまで3回ほど一般質問でいつも市長の責任を追及してきた。しかし、その度に「係争中」ということで逃げられてきた。決着がつけば責任を明確にすると答えておられた。なるほど昨日の記者会見で、辞意を示され一連のことを片付けてから辞任するということだ。まずは再選挙の施行や、電子投票トラブルに関する関係者の処分、業者へ賠償問題などを挙げておられる。 
 
 山田市長の任期は来年11月までである。賠償問題など1年以内に解決するとは思えない。辞意を表明しながら、ほとんど任期満了に近い時期まで居座るつもりではないかと勘ぐりたくなる。 
 NHKなど不祥事を起こした組織の長はたいがいそのように言うが、いつ辞めるか分からない首長に、どれだけの求心力があるのだろう。だいたい、事件を起こした最高責任者が、どのようにして関係者を処分できるのだろう。 
 
 業者を訴えるというが、1985万円もの業者に対する支払いを2年も滞らせ、国からもらえるはずだった800万円も逃し、全て税金で支払うとしたら即座に住民監査請求の対象となるだろう。もしかしたら今回の再選挙の費用、4800万円も市長の退職金から払えという訴えも起こされるかもしれない。 
 
 また、3月議会では次の任期満了にともなう市長選から、また電子投票を実施するという条例を提案し可決している。私と共産党の冨田議員で出した電子投票条例の廃案については一時不再議で却下された。どうしてそこまでして2000万円も余計に費用のかかる電子投票に固執するのか、私には分からなかった。 
 
 それが無効判決が出た瞬間、可児市では絶対的な信頼性が確立しない限り電子投票は実施しないという方針に変わっていた。理由を聞いたら、総務省の役人に無効判決が出たら可児は電子投票はしないと突きつけていたからという。それでは、最高裁判決を少しでも有利に導くために、再度電子投票条例を採択したといってもおかしくない。 
 
 今でも機械さえ問題なく動いてくれたら…という思いが強いようだ。事前の準備不足や、事件発生後の対応のまずさ、隠蔽工作などに一言の謝罪もなかった。議員24名と一緒に辞任されたらという私の意見にはノーコメントだった。山田市長は10年以上に渡って可児市政を順調に導いて来られた。73歳の晩節を穢すことのないよう祈りたい。
 

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 2005年7月10日(日)
 電子投票の『闇』
 昨日、今日で十数人から激励の電話やらメールをいただいた。地元可児だけでなく大阪や、愛知・三重からも…日記以外更新していないホームページもいつもは1日10くらいのアクセスが、30〜40に増えている。 
 
 やはり可児市の電子投票のことがこれだけ取り上げられると、認知度も高くなる。電子投票を失敗したまちとして可児市は記憶されるのだろう。災難といえば災難だが、十分な準備をしていれば避けることができた災難だ。 
 
 しかし、考えようによっては可児市は体をはって(?)電子投票の問題点を明らかにした点で、日本の民主主義の歴史に残るかもしれない。可児がこんなことになっていなければ、もっといろいろな自治体で行われていたのは間違いない。でも、それは大変危険なことだ。 
 
 私は今は、電子投票は選挙には向かないと思っている。 
理由は簡単だ。ゼッタイ壊れない投票機がつくれないだろうということと、投票機のソフト部分について、誰にも公正に判定できる第三者機関なんて存在しないからだ。プログラマーの方に聞くと、投票機のソフトに仕掛けをすることはどの段階でもできるという。事前の検査では正常でも、本番の投票時だけ不正を働くようなソフトは簡単につくれるらしい。 
 
 疑い出したらきりがないけど、自分が入れた票がその通りに入っているかどうか投票者には分からない。ごく一部のIT専門家だけが解析できるのだ。でもそれはおかしい。選挙は民主主義の根幹であり、誰でもわかるかたちで執行されるべきだ。 
 
 結局、電子投標機メーカーを潤すためにあるようなものだ。レンタル代だけで可児市で約2000万円。四日市市で約3800万円だ。選挙がバラバラならまだいいが、統一地方選や国政選挙で使うとなると、膨大な量の機械が必要である。しかも、年に一回くらいしか使わずに、4年たったらもう古くなって新しい機械に変える必要が出てくるだろう。 
 
 おそらく何千億というお金が必要になってくるが、地方自治体にも国家にもそんなことに回せるお金があるとは思えない。年に1回あるかないかの選挙くらい従来通りの紙でいいのではないか。
 

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 2005年7月11日(月)
 再選挙投票日は8月21日(日)
 可児市電子投票トラブルに起因する再選挙の日程は8月14日(日)告示の8月21日(日)投票日と決まった。7月28日には選挙説明会がある。候補者はまずこの説明会に出るので、この頃には概要がわかる。 
 棄却後50日以内ということで、ぎりぎりの28日かと思ったが…それよりももっと早かった。恐らく地方自治体とはいえ、政治的空白期間を少しでも短くするための配慮だろう。確かにどうせやるなら条件は皆同じなのだから早いほうがいいかな…とも思う。 
 
 しかし、準備は大変だ。今日も事務所を探した。以前に使ったところが使えない。空店舗などを探すが、以外に西可児周辺には少ない。あんまり地域から離れるわけにはいかない。よくプレハブを建てる人がいるが、あれだと40万以上かかる。とても私には無理だ。今までは空店舗を10日間ほどで16〜7万で借りた。遠くから泊り込みで応援に来てくれる若者もいるので、アパートも一緒に借りないといけない。 
 
 次に大急ぎでやらなければならないのは選挙はがきの作成だ。本当なら選挙の3ヶ月位前にできていなければならない。市議選なら2000枚まで、公費で送ることができる。できるだけ沢山の方に推薦のことばと合わせて書いてもらうことが大切だ。選挙運動中の1週間では、とても無理なので、かなり早い時期から依頼はできることになっている。 
 
 今日、村井宗明君から激励のTELがあった。君づけしてしまうが現職の国会議員だ。先の衆議院選で見事富山一区から当選した。大阪で一緒に環境活動などをやってきた若い仲間だ。可児にも代議士になる前に二度ほど来てくれた。元民主党本部職員なので選挙にはめっぽう詳しい。とにかく一軒一軒まわらないと二期目は落ちるよ!と檄を飛ばされた。 
 
 書き出せばきりがないくらい、やることがある。といって今まで続けているPTAの役割とか、NPOの予定とか9/24にやるガイアシンフォニーの準備とかも投げ出すわけにはいかない。かつ収入がなくなったので、何かしら生活の糧を得るような働きもしなければならない。どうなるか自分でも分からないが、きっとなんとかやっていくと思う。自分を信じるしかない。
 

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 2005年7月12日(火)
 フェロシルトについての岐阜県の回答
 去る6月22日、「放射能のゴミはいらない!市民ネット・岐阜」と「くらし・しぜん・いのち岐阜県民ネットワーク」の連名で、岐阜県に投げかけていたフェロシルト撤去についての要望書についての回答が文書であった。 
 指定した日程どおりで、県健康福祉環境部大気環境室長・同水環境室長・不適正処理対策室長の三名の連署であった。 
 
 午後1時半に市民団体関係者、土岐市議2名、本巣市議1名、他可児からは私を含め大森と久々利(フェロシルトが埋められている地区)の関係者5名を含む計13名で県庁に乗り込んだ。私は選挙のことでそれどころではないとも言えたが、以前からの約束だったし元議員としての責任もあるので参加した。 
 
 質問の内容はフェロシルトの搬入場所の調査や、土壌調査の徹底、地下水や河川水の化学分析、撤去計画や実施における情報公開を要望したものだ。 
 
 ひとつ驚いたのは県の役人は、土壌の含有量調査について頑なに認めないことだ。つまりこれまでの調査は、すべて溶出調査で土壌そのものにどのような成分が含まれているかの調査はしていない。そんな中で六価クロムが規定値の15倍もの数値を示している。県も石原産業も何故、六価クロムが出てきたのか説明できないとしている。しかし、そのようなことを解明するのは原因者である石原産業か三重県だという。県としては石原産業から全面撤去の回答を引き出したのだからそれでいいだろうというスタンスであった。 
 
 本当にこれは他人まかせで、県民のいのちを守る立場にある公務員の姿勢とは思えない。すべて事件の当事者に任せるなんてどうかしている。県は県で独自の調査をして六価クロムが溶出したメカニズムを解明してほしい。それともうひとつブーイングだったのは、これらの土壌検査を施行しているのは、あの御嵩産廃問題で有名な「寿和工業」なのだ。 
 
 もちろん資格をもった企業なのだろうが、なぜよりによって寿和工業なのかというのが、ほぼ全員の疑問だった。社会的なイメージを考えているのだろうか。住民は検査結果を知り安心したいのだが、その名前では逆に不安をあおるというのがほぼ全員の共通した意見だった。 
 
 県の説明では、入札でそこが一番安かったからだという。契約なので今年度は、寿和工業に頼むしかないという。その時の落札価格や二位以下の企業の状況はどうだったかと聞いても、それは課で協議してからでないと明らかにできないということだ。岐阜県の情報公開の遅れを痛感した。 
 
 県は口では自分たちも被害者(石原産業や三重県に対して)だといいながら、市民感覚との大きな隔たりを感じた。六価クロム汚染の原因究明を求める4件の要望書を新たに提出した。8/10までに文書にての回答をお願いする。会談後、広報室で30分ほど簡単な記者会見をして、課題点を記者に伝えた。これらの動きをすべて準備した兼松秀代さんは本当にすごい方だと思った。 
 
 

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 2005年7月13日(水)
 供託金30万還る
 平成15年7月2日に、美濃加茂の法務局に供託した30万円が還ってくるという通知が選挙管理委員会から届いた。(12日)2年前に書いた供託書と供託原因消滅証明書を持って法務局に行き、そこで証明書をもらって近くの銀行に行けば戻ってくるのだろう。 
 
 しかし、また8月には同じ金額を供託することになる。思えば、最高裁の判決が出るまで、2003年の電子投票選挙に出馬した29人合計870万円は凍結されていた。冗談で利子はつかないのかと憤る議員もいた。 
 供託金とは、選挙に出る時に法務局に申請して供託しなければならないお金だ。通常、選挙が終わったら、よほど惨敗すると没収されるが、通常はすぐに戻ってくる。それが2年間も塩づけにされていい迷惑だ。 
 
 何故、結論が出るまでに2年もかかったのか?今日の夕刊(中日)に可児市選管の職員が、電子投票トラブルで投票せずに帰った人の数を過少報告していた疑いがあるということで、岐阜地方裁判所が訴えを受理したと出ていた。 
 原告の人はよく知っているので、そのような状況は当初から聞いていた。このような公文書の偽造らしきことや、隠蔽工作が随所に見られた。それが、裁判を長引かせることになった。岐阜選管は通常3ヶ月くらいで結論を出す作業に1年もかかった。このような工作が、トップからの指示であることが証明されたら刑事事件に発展する可能性もある。 
 
 クライアントサーバー方式での電子投票は、全国で初めてのことであり100歩譲って、トラブルはやむを得なかったにしても、その後の対応があまりにも見苦しかった。事件が起きた時ほど、市民に謙虚な行政であってほしい。
 

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 2005年7月14日(木)
 供託金に利子がついた!
 お隣の美濃加茂市にある法務局に行って来た。2年前に預けた(?)供託金(30万円)を返してもらえるのだ。…小切手の金額を見てささやかな感動を覚えた。300,128円!なんと利子がついていた。 
 
 議員の中で冗談で利子はつかないのかと騒いでいた人がいたが、まさかつくとは思わなかった。もっとも立候補にともなう供託金を2年も凍結されること自体が異例中の異例なのだ。 
 
 供託金返還の書類とともに、立候補のために新たに納める書類ももらった。その書類を持って、十六銀行美濃加茂支店まで行って手続きをした。何のことはない…供託金は手元に戻ることなく、また納められた。還ってきたのは128円のみだ。 
 
 それにしても、この30万はすぐに還るものと甘くみて、信販系ローン会社から借金までして納めたものだ。これまでに毎月、多額の利息を払い続けている。いったい誰に文句を言えばいいのだろう…。悔しいので128円で缶コーヒーを買って飲んだ。ほろ苦かった。 
 

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 2005年7月15日(金)
 テリーフォックス・ラン シンポジウム
 去る6月4日に羽島市〜岐阜市間で行ったがん撲滅のためのチャリティイベント『テリーフォックス・ランinぎふ'2005』であるが、9月にシンポジウムをするということで公表している。 
 
 実行委員会の中で、テリーフォックス青年が亡くなった町である、カナダのサンダーベイ市と姉妹都市である柳津町で、国内の他の地でテリーフォックス・ランをやっている三重・神戸・東京の関係者に来ていただいて「シンポジウム」をやったらどうかというアイデアが出された。 
 
 それで会場として、ランでお世話になり、より多くの方に来ていただけそうな柳津のトヨタ系の商業施設「カラフルタウン」でできないかということになった。それで昨年より社長さんらとも面識のある、私がお願いにあがることになって、昨日お会いできた。 
 
 カラフルタウンは土・日になると3万人以上の人出が繰り出すという岐阜県屈指の商業施設である。テリーフォックス・ランだけではなく、ボランティア産直市場など、さまざまな社会活動にも協力してくださっている。シンポの件も快諾いただき、9月18日(日)で調整することになりそうだ。ただ、シンポジウムでは固すぎるので、もう少し子どもたちにも参加できるような工夫をしましょうということになった。その通りだと思う。 
 
 選挙まであまり日がない。今は、いろいろと準備しなればならない時期なのだが、何しろ急なことだったので、これまでに責任を持って進めて来たことを途中で投げ出すこともできない。でも、これで何とか道筋はつくれたので後は岐阜のメンバーにお任せしたいと思う。 
 

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 2005年7月16日(土)
 新滝ヶ洞溜池の水質異常問題
 可児市久々利の水質異常の問題で、今日久々に調査に行くことを以前から約束していた。愛知県から住民本位の水質や生物の調査をしてくれる、いわば市民派の専門家が来てくれることになっていたのだ。同時に六価クロムが基準値の15倍も検出された、久々利大平地区のフェロシルトの廃棄現場も再度視察した。 
 
 この問題については、昨年9月と12月に連続して一般質問をした。東海環状自動車道建設にともなう残土処理を、可児市久々利のゴルフ場敷地内の谷を埋め立てるという名目で行ったところ、その残土を埋め立てた場所の下流域にある新滝ヶ洞溜池の魚が大量に死ぬという事件が一昨年4月にあったのだ。 
 
 原因はこの地域の土壌にもともと微量ながら含まれていたカドミウムなどの有害重金属が、酸性の強い水に触れることによって溜池や川に流れだしたものだ。原因者は国土交通省ということになる。 
 
 残土処分を請け負う形で、可児市は国交省からすでに10億円以上を受け取っている。ゴルフ場敷地内に、すでに90万立方m近い残土を捨てている。酸性水がカドミウム等の有害物質を溶かしてしまうことから、残土捨て場にベントナイトという粘土質の土で覆土して、雨水の流入を防ぎ、結果的にカドミウム等の重金属溶出を抑えようという研究がされている。 
 
 残土捨て場のことを、公式には公共ストックヤードと呼んでいるが、これは明らかに住民の反対を封殺するための方便だ。ストックヤードという言い方には「一時仮置き場」というニュアンスがある。しかし、ここに入った建設残土は出ることはない。つまり最終処分地なのだ。行政がこのような不誠実なことをやっていては、住民は何を信じていいかわからなくなる。 
 
 この問題、書けばいくらでも長くなってしまう。要はこのことでも電子投票トラブルと同じような、可児市の先延ばし体制、隠ぺい体質、権力(国)に対する弱腰などの特質が如実に出ている。今日のところは、独自のルートで水質などのチェックを行い、行政のやり方を監視することである。すでに事故発生から2年以上経って風化し始めている。しかし、住民の安心はまだまだ担保されていない。 
 

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 2005年7月17日(日)
 準備
 一番気がかりだった選挙事務所のあてがついた。前々回の補欠選挙に出た時の建物で、西可児駅の正面。歩いて10秒という距離だ。もともとお寿司屋さんだったが現在は休業している。最高のロケーションといっていい。 
 
 ポスターのデザインも昨日夜中まで打ち合わせして、ほぼ固まった。ありきたりではなく、かといって奇をてらったものでもなく、かなりインパクトのあるものになった。公選はがきも、ほぼ同じデザインでいく。内容や文言については明日までに固め、休み明けにすぐ印刷に出す予定だ。 
 
 岐阜に市民派議員御用達のカメラマンがいて、いつもお世話になっている。Macのパソコンを前に何時間でも相談に乗ってくれて、納得のいくデザインに落とし込んでいく。とてもありがたい存在だ。 
 
 それと電子投票トラブルに絞り込んだ市議会通信第5号ができた。今回の無効判決を受けての市長の責任追及なども含んだ厳しい内容のものだ。さっそく配り始める。休み明けには久々に、西可児駅で通勤途上の市民に配る予定だ。文章づくりを含めて、いろんな事務作業と実際のアクッションを同時に進めなければならない。
 

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 2005年7月18日(月)
 『脱サラ議員奮闘記』
 もう21ヶ月も連続して、毎月今頃原稿を送っている。このホームページのトップページからもアクセスできるが、検索画面から脱サラ議員奮闘記 山根一男でもアクセスできるずだ。 
 
 古巣、大阪ボランティア協会をベースにした市民ライター通信というメールマガジンに毎月投稿しているのだ。連載物で、3年前、初めての選挙に落ちたことから最近は2年前の選挙のエピソードなどを書いていた。そのうちに本にでもできたらいいなぁ〜と密かに思っている。 
 
 本当は今晩あたりに送らなければならない。しかし、公選はがきの打ち合わせで岐阜まで行って帰ってきたのが午前1時を回っていた。明日が最終なので、明日にしてもらおうかと思いつつこの日記を綴っている。やはり、締め切り前のパワーというのに期待しよう。 
 
 ただ、今回は特別編として、2年前のことよりも、今現実に進行している再選挙や電子投票にまつわるさまざまな情報を書くことにしている。そして、来月はちょうど選挙期間中にあたることもあってお休みの予定だ。
 

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 2005年7月19日(火)
 駅立ち・ちらし配りの日々
 電子投票トラブルのことを中心にまとめた市議会通信ができたので、久々に西可児駅で朝の通勤客らに配った。大きく二方面から人が来るので、今日は、主に自分の住む若葉台方向から歩いてくる方が多い通路を選んだ。 
 
 顔見知りの方もいるので、伝えやすい。でも若い人は、3割くらいの人しか、ちらしを受け取らない。名古屋方面に通勤する方の中には、地元の政治的なことには一切、関心のない方が多いように感じてしまう。 
 
 午後は支持者の方に会いに行き、今後の方策を詰めた。その後、ある古い団地に出かけた。選挙の時、街宣者では何度か行ったのだが、歩いて回ったことがなかった団地だ。1時間くらいで終わると思って行ったのだが3時間はかかった。家によってはポストがとても分かりにくい場合や、ない場合がある。さまざまな家があり、さまざまな生活がある。やはり、市民の方に自分の意見や考え方を伝え、お話を聞くことに一番充実感を覚える。
 

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 2005年7月20日(水)
 衆議院候補者とかち合う
 今日も、西可児駅にちらしを配りに行ったら、若い民主党の候補者が演説をしていて唖然とした。運動員も10名ほどいて、民主党の前市議も応援に来ていた。そこに混じって一番前で、ちらしを配った。こちらは、長坂や光陽台方面からのバスが着くところで、今までにもよく立ったところなので、反応はよかった。十数人の方からがんばりなさいよと励まされた。 
 
 演説をしていたのは、民主党の岐阜四区の公認候補で、熊谷正慶(くまがいまさよし)さんという。32歳の若さで、以前から名前は聞いていたし連絡ももらっていたかもしれない。ここで会えるとはおもしろい出会いだ。 
 
 ちらしを配っていると、先方から挨拶に来てくれた。聞けば私もよく知っている村井宗明議員や泉ケンタ議員、水戸市議の川崎アツシ議員と懇意だという。東京三菱銀行を辞めて、民主党の国会議員公募に応じて合格したらしい。美濃加茂市の出身で、可児高校卒業だという。可児高校の同級生が応援役をしていてうらやましいと思った。 
 
 岐阜4区といえば藤井孝男代議士がおり、総裁候補の一人でもありそう簡単には席は奪えないと思う。それでも挑戦する姿に共感を覚えた。各務ヶ原の園田さんや、友人の村井君もそうだが、前回の衆院選では今までは全くの自民党の牙城といえる地区から惜敗率の順位で当選した。可児市は多治見市とともに、岐阜県では珍しく民主党支持者の多い土地なので、がんばれば風穴を明けられるかもしれない。 
 
 私は無党派であるが、一匹狼というわけではない。それは裏返せばどの党派の人とも政策的に合意できれば、一緒に行動できるということである。ただ、市政レベルの仕事の中では党派はあまり必要ないと思っている。市議はあくまでも市民の代表である。ただ、国政レベルとなるとそうはいかない。 
 
 昔、村井君らとともに菅直人の息子氏らとカラオケに行ったことがある。 
岡田代表とも4年程前に、四日市の演説会でお会いして名刺をもらった。友人などの多さからも民主党とは比較的近い距離にあると思っている。 
 

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 2005年7月21日(木)
 松阪市議選応援
 所属する「無党派・市民派自治体議員と市民のネットワーク」の仲間が、三重県松阪市議選に出ている。2年間ほど現職だったのだが、合併にともない選挙となった模様だ。34の議席を52人の候補者が争う激戦だ。 
 
 候補者も私の選挙のことを気遣ってくれた。しかし、前から応援に行くことは約束していたことだし、彼は、2年前の私の選挙では応援に駆けつけてくれた。こういうのにも仁義がある。それに、この時期に他の選挙の現実に触れることは大いなる発奮材料になると踏んだ。 
 
 朝、7時に可児を出て、帰ってきたのは23時を回っていた。丸々10時間近くは選挙カーに乗った。声を出しすぎて、すこし嗄れかけている。今回も私の声は、下手なスピーカーよりも遠くに届き驚かれた。まあ、これが票につながるのかどうかは分からないがに賑やかしにはなっただろう。 
 
 選挙カーといってもタクシーを運転手ごと借り上げ、屋根に看板とスピーカーを取り付けたものだ。マイク係(ウグイス)もテープ代用で少し違和感があった。市域も広すぎるのか、ほとんど他陣営の車にかち合うこともなく、まち全体に選挙ムードが感じられない。 
 
 候補者は新聞記者あがりで、毎月素晴らしい議会通信を出している。批判精神も行動力も抜群だが、果たして選挙民はそのような彼の姿勢をしっかりと捉えているかどうか分からない。あと、二日間で選挙運動は終わる。今からやれることに限界はあるが、すべてやりつくして栄冠を勝ち得てほしい。
 

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 2005年7月23日(土)
 ようやく政治団体ちらし完成
 やっとのことで後援会案内ができた。「山根一男と可児をより良く変えてゆく市民のネットワーク」(略してやまネット)という、政治団体があるのだ。県にも政治団体として届け出ている。代表は私。よくある後援会だが、正直それぼど組織力があるわけではない。 
 
 この後援会会員募集という、いわゆる政治活動は選挙期間中以外は許される。だから、この時期、いろんな方の後援会案内が投げ込まれていると思う。早い人は、もう事務所開きまでしているらしい。 
 
 こちらはやっと手作りの後援会ちらしができたくらいだから、相当遅れている。気がつけば選挙説明会まで5日しかない。運転手の手配や、公選はがきを書いてくれる人(できれば100人くらい)、告示日のポスター265ヶ所を貼ってくれる人、(これも多いほうが良い)事務所開きと出発式のだんどり、市域外の友人にカンパのお願いをすることなど、まだ何も進んでいない。 
 
 心は焦っても同時にできることはひとつ。最低限、押さえるところは押さえつつ日々をこなしてゆくしかない。
 

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 2005年7月24日(日)
 他候補の動向
 いずれ7月28日の候補者説明会が来れば、ある程度分かることだが、どうも意外なことが起こりそうだ。 
  
 今回の選挙は、再選挙なので7月まで現職だった24名の全員と、2年前の選挙で落選した5名の29名で選挙戦が争われるのが妥当な姿だと思っていた。ただし、落選した5名は2年間のブランクもあり、その中でもお二人は完全に票が足りなかったので辞退することはあり得るとにらんでいた。現職だった24名は、電子投票さえ問題なく行われていればあと2年、すなわち2007年8月まで任期があったわけなので、全員出馬すると見ていた。 
 
 ところがいろんな情報によると現職だった24名ののうち3〜4名は今回出ないらしい。理由は、現市長がそのうち辞任するということで、その後釜を狙っている人、自治会の取り決めにより二期までしか出られないとか、まったく意味不明だったりする。後継者を立てる人もいれば、そうでない人もいるようだ。 
 
 いずれにしても、直接本人から聞いたわけではないので、実際にどのような選択をされるのかは最終的には8月14日まで分からない。いろんな事情はあるのだろうが、政治家である以上、有権者に説明のつく行動をとってほしいと思う。
 

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 2005年7月26日(火)
 ちらし配りから社会が見える
 昨日の日本ライン今渡駅でのちらし配りに続いて、今日は新可児駅で配った。JR可児駅も隣接していることから、思った以上に乗降客が多い。嬉しいことに一人若い助っ人が来てくれた。 
 まだ二十歳そこそこで、以前にメールをくれた彼だ。人権擁護法案に反対して名古屋や東京まで駆けつけるという熱血漢だ。彼は東京や名古屋に比べて、新可児駅のちらしの受け取り率の高さに驚いていた。 
 
 高いといっても3〜4割程度だ。相変わらず、まったく無視する人や手で拒絶する人も多い。こちらの思いとしては、あなた自身が支払っている税金の使われ方を明示しているつもりだが、もとよりそのような思いまでは伝わらない。風俗や金融ローン等のティッシュ配りと同列に扱われてもしかたないのかもしれない。 
 
 ちらし配りは、もちろん政治活動の一環として、今、行政で起きていることや、自分の見方、考え方を市民に伝えるのが第一の目的である。ただ、それ以外に私としては人を見る貴重な場だと思っている。中には絶対受け取らないと思う方が、気持ちよく受け取ってくれたり、その逆もよくある。決してひとを外見で判断してはいけないという学びの場だと思う。 
 
 ひとつ気になるのは、皆さん一応に眉間にしわをよせて、疲れた表情で歩いていることだ。多分、自分も電車通勤していたころはそうだったと思う。今の世相を考えれば、いたしかたないことだと思うが、多くの人が他人に対しても明るくすがすがしい表情を向けられるようになれば、きっと世の中、明るくなると思う。
 

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 2005年7月28日(木)
 暗雲
 午後1時半から候補者説明会があった。全部で27陣営が来ていた。予想通り4人の前職議員陣営は来ていない。27陣営のうち、2陣営は候補者の名前を明らかにしていない。代表者ということで、説明会に参加していた。 
 
 陣営…というのは、候補者自身が来ているケースはむしろ少ないのだ。俗に言う選対部長とか事務長にあたる人など、選挙の中枢にあたるひとが来るのが一般的で2〜3人で参加するのが標準的だ。 
 平日の昼間でもあり、年配の男性がほとんどだ。私は元職場の同僚がつきあってくれた。事務的なこともある程度やってくれるという。とにかく選挙管理委員会からの諸注意や、各種書類の書き方から、警察、郵便局、法務局など2時間半にわたって、びっちり説明があった。書類だけで3cmくらいの厚みになる。これから書類づくりとも格闘することになる。 
 
 27陣営ということは、2年前の最終立候補者29名より少ない。立候補の締め切りは8月14日の17時なので、まだ増えたり減ったりする可能性はある。現在、立候補を考えている人の数としては、前回より少ない。 
 
 しかし、私にとっては大変な事態が起きた。同じ若葉台地区から、もう一人候補者が来ていたのだ。その方は元自治会長で、前々回の補欠選挙では、私の応援までしてくれた方だ。6年前の市議選で立候補されたが、740票(最下位当選=1131票)で落選された。その時、62歳だったので現在は、68歳の方だ。 
 まさかこの再選挙に出て来られるとは思っていなかったが、仮にも自治会長までされ、30年以上若葉台に住んでおられる方なので、ある一定の若葉台票はその方に流れるだろう。 
 
 前回の私の得票数は、1418票(最下位=1361票)なので、仮に前回と同じ状況なら57票以上の若葉台票が、その方に流れたら私は落選する。にわかに暗雲がたちこめてきた。地元である若葉台票を固めるのと、他からもしっかりとって来ない限り、このままでは危ない。 
 

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 2005年7月29日(金)
 尻に火
 とにかく突き進むしかない。どのような状況になろうとも、やれることを最大限にやりきるしかないのだ。若葉台は1250軒あるが、全軒訪問するくらいの気持ちであたる。それ以外の団地なども、これまで何度もニュースを配り歩いたところを中心に回る。 
 
 公選はがき2000枚は、ともかく5人でも10人でも書いてくれそうな方にお願いする。中には100枚単位で引き受けてくれる方も何人かいる。それでも2週間で2000枚の割り振りは大変だ。 
 
 今日、選挙事務所の正式契約ができた。8月4日から8月22日まで。これで約13万円。可児市で一番乗降客が多いという名鉄西可児駅の真正面という立地を考えたら、安いのかもしれない。元お寿司屋さんなので、2階に和室が5室ほどあり、遠くから来た人もこころおきなく泊まれる。  
 
 テーマカラーであるグリーンのTシャツを10枚ほど買った。同じデザインがあればと思ったが、2枚づつくらいしかない。まあ、色が似通っていれば、かえってデザインは違うほうが良いかもしれない。10枚で約1万円。 
 
 そんな中で政務調査費の報告締め切りが今日だったので、大急ぎで仕上げ、議会事務局まで持って行った。3ヶ月半で約7万円。きっちりと領収書や報告書をつけて、市民の方は誰でも閲覧できるようになっている。名古屋市のように月55万…なんて市もあるがいったいどうやって使うのだろう。 
 
 この時期、ひとりでも多くの市民に会いたいのだが、片付けなければならない文書作成などの事務作業もどんどん増える。やれることには限界がある。こうして、あっという間に当日が来てしまうのだろう。
 

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 2005年7月30日(土)
 お祭りのはしご
 今日は、可児市内の多くの自治会で夏祭りがあった。議員には招待状が来る。この辺りは昔からの流れなのだろう。私は地元、若葉台と長坂、光陽台、虹ヶ丘と4つの自治会から来た。2時間くらいの間に、4つ回ることになる。 
 私の住む帷子地区は、先の4つを含めて7つの大きな団地がある。団地といっても集合住宅ではなく、一戸建ての住宅の集合体だ。一番規模の小さな虹ヶ丘でも約400世帯、一番大きな長坂だと1500世帯はある。約三十数年前から、名古屋への通勤圏として開けた。 
 
 帷子地区の人口は約23000人で、可児市の1/4近くを占める。そこに7人の議員がいる。25人の定員の比率からすると多い。単なる地域代表だけでなく、民主党・公明党・共産党の議員もそれぞれ1人づつ含まれている。2年前までは6人だったが、そこに私が加わって7人になった。 
 
 7人の議員のうち、この2年間毎議会ごと(全部で8回)に、一般質問をして来た議員が、私も含めて5名もいる。毎回一般質問する人は、可児市議会全部でも6人くらいなので、帷子の議員は比較的活動的だといえるだろう。私は、毎回するのは、議員として当然の務めだと思うのだが、中には2年に1度くらいの方もいるのだ。 
 
 会派や政党が違っても、同じ地域であれば一緒になる機会も多く、少なくとも表面上は皆、仲が悪いわけではない。ただ、今回は初めて選挙を控えた時期での夏祭りとあって、あっちこっちのお祭り会場で他の議員に会ったが妙に落ち着かなかった。どんなに仲のいい議員でも、選挙の時だけは敵と味方、食うか食われるかという厳しい世界がそこにはある。
 

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