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Name: 二児のママ ..bbtec.net
Date: 2014/08/11(月) 23:19
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Title: 8週稽留流産
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3人目の子が欲しくて、でもなかなか出来ずに不妊外来に通い始めた矢先の妊娠。 嬉しくて、友達にも職場にもすぐ報告してしまいました。 1人目も2人目も何の問題もなく産まれてきてくれたので、この子もそうだと思い込んでいました。
けれど、6週、7週と過ぎても胎嚢しか確認出来ず、一度も心拍が確認出来ないまま流産していることを告げられました。 診察室を出ると、お母さんに連れられた、娘と同じ年ごろの女の子が赤ちゃんをあやしていて、それを見たら、うちもこんな風になるはずだったのにと、涙がこぼれました。 今週、子宮内膜掻爬の処置をします。
お腹の赤ちゃんがもっと大きくなっていたらもっと気持ちが違っていたのでしょうが、赤ちゃんの形にもなり切れなかった小さな小さな命が何の予兆も無く簡単に消えてしまったのが不思議に思えます。
思えば6週過ぎた頃からつわりが急に軽くなっていきました。 それが唯一私に感じられた赤ちゃんからのメッセージでした。 出血もお腹の痛みもなかったんです。 エコーには空っぽの胎嚢だけが写っていて、家だけ残してどこへ行ってしまったのだろうと思います。
義母からは赤ちゃんに名前をつけて水子供養をするよう勧められましたが、今はそういうことを受け入れる気持ちになれません。 せっかく私のところに来てくれた赤ちゃんがもう一度戻って来てくれるのを願うばかりです。
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Name: まりりん ..plala.or.jp
Date: 2014/08/10(日) 19:32
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Title: 8週 稽留流産
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平成26年8月6日第2子を流産しました。
7年前には第1子を初期に流産してしまいました。
今回は不妊治療をして、4回目での移植で何とか妊娠判定を貰って、素直にその時はすごく泣きながら喜びました。
でも、最初から何もかもが小さいこともあり、心ではどうなのかなとは思っていましたが不安は的中して結局は流産という形になってしまいました。
やっとのおもいで辛く果てしない治療から卒業できると思ったのにまた治療に逆戻りです。
二度流産して私は自分の子供を抱けるときが来るのだろうかとすごく不安になりますが、前に進まなければ何もならないし、妊娠できるのか不安に思っていたので結果的にはダメでしたが、それでも妊娠できたという事実はあったので、また治療を再開できた時には今度こそと思って頑張っていこうと思います。
自分が諦めたら何もかもそこで終わりになってしますので、まだまだ頑張れる所まで頑張ろうと思います。
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Name: yuraママ ..mesh.ad.jp
Date: 2014/08/09(土) 21:12
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Title: 38週3日常位胎盤早期剥離
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上の子2人が男の子で、少し間があいたこともあり、待望の女の子でした。 ピンクの服も用意していました。 予定日は8月2日でしたが、夏休みにも入って2,500gをこえたので、いつ産まれてもいいといわれており、 早く会いたくて、今すぐにでも産まれてほしいと思っていました。
7月21日は朝から草取りや散歩をして、動きまわっていました。翌日の10時に健診予定になっていました。 子供のラジオ体操に付き合うために、6時前に起きて顔を洗っていると、右の横っ腹をおもいっきり蹴られておもわずイタッと声を出してしまうほど、赤ちゃんは元気でした。 ラジオ体操の場所へ子供たちを送っていき、私は一旦帰宅して、病院へ行く準備をしていたときのことです。
忘れません。 6時47分、突然、お腹に下痢の時のような痛みがきました。 とりあえず時計で間隔をみることにしました。でも痛みはおさまることがないので、7時過ぎに実家の母に電話をし、陣痛とは違う気がするんだけどお腹が痛いのがおさまらないと報告をしました。
母がこちらへ向かってくれている間にも、どんどん痛みが増してきました。 病院にも電話をしながら、痛みが何かおかしいなぁと思っていました。 もう我慢できなくなって、向かいのおじさんに頼んで病院に送ってもらうことになりました。
病院に8時過ぎに到着、車から降りて救急の受付をしている最中に倒れこみました。 腹痛と吐き気で意識が朦朧とする中、分娩台に乗せられ、看護婦さんたちが赤ちゃんの心音をさがしだしました。「みつからない」 私は心の中でへたくそな人だなって思っていました。 心音がないわけがない。
医者が到着して何かしていましたが、あまりにもの痛みで、所々記憶がとんでいました。 痛い!痛い!早くなんとかして!と叫びながらも全く何の説明もなく、何やらバタバタしているのはかんじました。
すでに病院に到着していた母が「どうなっているんですか?」と、聞くと「ざんねんですが、すでに赤ちゃんの心音がありません。お腹の中で亡くなっています。」 頭の中が真っ白になりました。そんな馬鹿な!嘘だ!叫びました。 「帝王切開の必要があるかもしれないから、旦那さんを呼んでください」と、言われ、混乱している中で、私は「お腹切っても何でもいいから早く赤ちゃんを出して」と叫びました。 すると医者は強い口調で「お母さん、もう赤ちゃんは助けられません。あとはいかにしてあなたを救うかなんです。それにはできれば帝王切開は避けたい」とのことでした。 もう私はどうでもよくなりました。 赤ちゃんが死んだ。なのに産んでなんになるんだ、痛い、もう嫌だ。そんな言葉ばかり浮かんできました。
幸い、早くに子宮口が全開になったので経腟分娩で出産することになりましたが、途中、何度も血圧が下がって意識がとびました。 赤ちゃんの頭が出ているのに、なかなか出てこない、死んでしまっているからかな?と、ふと思いました。
出産が終わって助産師さんに赤ちゃんに会われますか?と聞かれ必死でうなずきました。 心のどこかで何かの間違いで赤ちゃんは生きているんじゃないかって夢だったんじゃないかと思っていたけど、間違いでも夢でもなかった。 運ばれてきた赤ちゃんは上のお兄ちゃんのような大きな目に下のお兄ちゃんに似て色は白く、女の子らしいきれいな爪に細長い指、すごくかわいい女の子でした。 でも泣きもせず、動かず、顔は紫がかった色をしていました。 なんで?なんで?その言葉しか出てきませんでした。 38週だったんです。2,580gでした。 1日でも、いえ1、2週間早く産まれていても大丈夫だったんです。 朝、起きたときはお腹を蹴っていたんです。 10時には病院にいたから、あと数時間遅かったら助かっていたかもしれない。 昨日が祝日でなかったら、いつも通り検診の予約を月曜日にとっていたら・・・。 昨日だったら旦那も仕事が休みですぐにでも病院に行けたのに。 なんで?なんで?そればかりでした。 死んでしまっているのにかわいくてかわいくて。
草採りしたり、動き回って無理したから、胎盤が剥がれてしまったのか?私が勝手に早く会いたいがためにこの子を殺してしまったのか?と聞くと,胎盤早期剥離は原因不明で関係ないといわれました。 ただ、動いていたおかげで子宮口の開きが良く、帝王切開でなく普通に出産できたから私は助かったとのことでした。
お葬式、火葬もすんでお骨になってしまった今もまだ赤ちゃんの死に納得ができず、うえの子供たちのためにも元気にならなきゃという気持ちと反して通常の日常が許せなくなったり、上の子の友達のママに元気にふるまう自分、でもそんな元気にしてる自分も嫌になったり、赤ちゃんを連れている人をみると辛くなったり、毎日が矛盾だらけで自分が醜くくて・・・ みんなが赤ちゃんが私を助けてくれたのだと・・・でも素直に喜べず死んでいたら会えなかったわかっていても、私よりも赤ちゃんを助けてほしかったと思ってしまいます。
去年の8月に不全流産しました。タイミング的に正直、産むか産まないか迷いました。でもやっぱり産もう!と決めた矢先の流産でした。それからやっぱり赤ちゃんが欲しかったなぁって思い、数ヵ月また授かることができ、タイミング的にも良く、帰ってきてくれたんだぁってただただ元気に産まれてきてくれると思っていました。 もう一度帰ってきてほしい、でも医者から1年は避けてくださいと 日々いなくなってしまったという現実を受け入れることができません。もういつ産まれても良かったです。納得できないんです。 もう一度、優良に会いたいです。
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Name: 遠子 ..au-net.ne.jp
Date: 2014/08/03(日) 02:15
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Title: 3度目の流産
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2013年8月、病院で投薬とタイミング療法の不妊治療を受け、待望の3人目の妊娠が判明しましたが、胎嚢も確認できないまま5週目で流産しました。 このときは、まだ主人以外に妊娠を伝えていなかったので、がっかりはしましたが、わりと前向きな気持ちでした。
その数ヶ月後、年末に再び妊娠がわかりました。 年明けには胎芽・心拍も確認され、親や長男、友人にも少しずつ妊娠を報告しました。 つわりが始まり、母子手帳ももらってウキウキと臨んだ10週目の妊婦健診。 エコーにうつった赤ちゃんは妙に薄暗く、8週の大きさのままでした。 前回は見えた心拍もみつからず。稽留流産でした。 あまりに突然のことでまさに青天の霹靂。信じられない。受け入れたくない。 病院を出るまでなんとかこらえましたが、車に乗ってから声を出して泣きました。
1週間後の手術。妊娠の報告をしていた人に流産の報告をし、そのたび深まる傷を感じました。
そして2014年7月、再び治療のち妊娠。 まさかもう流産はないだろうと思っていたのに、6週目に急にオリモノが増え、半日たつとうっすらピンク色になり、 更に半日たつと鮮血に変わりました。 出血はどんどん増え、生理二日目の量より多い感じになってきました。 まさか。まさか。と思いながら病院に連絡。 動転して手が震えていました。 受診までの間にも出血は増え、やはり流産との診断をうけました。1週間前のことです。
2度目の流産のあと、ずっと気持ちに暗い部分があって、やっとここから抜け出せる、前に進めると思ったのに、茫然としています。この1年で3度の流産を経験し、上の2人をトラブルなく産めたことが今となっては信じられません。
でも産みたい。お母ちゃんはあなたに会いたい。 お父ちゃんも、にぃにもねぇねも待ってるよ。 無事に生まれてくることがいかに奇跡的なことなのか、ありがたいことなのか、おしえてくれてありがとう。 今はまだこわいけど、不安だけど、きっと乗り越えるから、生まれておいで。
この掲示板に出会えて、共感して涙を流して少し勇気づけられました。ありがとうございます。頑張ります。
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Name: なぁや ..spmode.ne.jp
Date: 2014/07/31(木) 00:19
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Title: 9週 稽留流産
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2度目の流産しました。 昨年11月に流産し、その後、不妊治療を経て妊娠しました。
ようやく来てくれた赤ちゃん。 前回は胎のうしか確認出来なかったけど、今回は心拍の確認が出来たので、一安心かと思っていました。
あの日の午前3時頃、何となくお腹が重たいような感じがして、目が覚めました。一瞬だったので、そのまま、また、寝ていました。 朝になって病院に電話すると、気になるなら受診する?と、助産師さんが言ってくれたので、すぐに病院に行きました。
内診の結果、赤ちゃんの心拍が確認できませんでした。 大きさも、前回(10日ほど前)とほとんど変わっておらず、「おそらく、前回の検診の直後に心拍停止したと思う」との話でした。 気がつくと、エコー写真をみながら、先生と看護師さんの前で、泣いていました。 数日後、手術をすることにきまりました。
当日は主人に付き添ってもらいました。 手術が終わり、麻酔が覚めかけた時、赤ちゃんが居なくなったお腹に手をあて、ずっと泣いていました。 主人に涙をふいてもらい、手を握ってもらって、その手の温かさにまた泣きました。
家に帰ると、私の両親と留守番していた長女が両手を広げ、涙を流しながら、私を抱き締めてくれました。 この子がいるから、もう次の子はいいかな?と思う反面、やはり、亡くした赤ちゃんのこともこの手で、この腕で、抱きしめたかった。 今頃は亡くなった赤ちゃん二人、お空で仲良くしてるかな?
二人目を望むことは贅沢なのでしょうか? 今はまだ、不妊治療を再開するか否か、決めかねています。 何度経験しても辛いこの現実。 まだふとした時に、前回と今回の赤ちゃんのことを思い出し、涙が溢れます。 ウジウジしてるのは良くないと分かっているけど、今は前も後ろも見たくない、そんな気分です。 とりあえずは、心身共に元気になれるように、まずは、普通の日を普通に過ごそうと思います。
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Name: はるきママ ..openmobile.ne.jp
Date: 2014/07/19(土) 01:29
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Title: 38週 常位胎盤早期剥離
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待ち望んだ、初めての妊娠でした。 経過は順調で、何も問題なく予定日を迎えようとしていました。
予定日まであと10日となった日の夜22時頃、 シャワーに入ろうと下着を脱いだら生理のような出血があった。 出血量はそんなに多くもないし、痛みもない。 胎動も感じてたので、『おしるし』かな?と思っていた。 その後、夜中の3時頃まで、お腹をこわしたような軽い痛みが続いたがそのまま眠った。 そのときには、出血は止まっていた。
8時頃起きたが、なんとなくまだ時々痛いので、もしや陣痛かもしれない? と、痛みの間隔を計りながら食事したり、入院荷物を確認したり、横になったりして過ごした。
しかし、痛みの間隔は2分だったり、30分だったりと定まらない。 しかも、お腹を下しているのか、何度もトイレにいく。
15時半頃になって、間隔はバラバラだが1時間に6回以上の痛みに襲われるようになってきたので、産院に連絡し、昨晩の出血から今までの経過を説明した。 あと1時間様子を見るように言われた。
16時半頃、それまでと違う急激な痛みに襲われた。 もはや立てない。声が自然に出る。 再度産院に連絡すると、すぐ来るように言われる。 タクシーを呼び、支度をしていたが、一度来たタクシーが帰ってしまうというトラブルもあり、 タクシーに乗り込んだのは17時半頃になっていた。
すでにいきみたい感覚に襲われ、痛みの中でどうしていいかわからない状態で、タクシーの後部座席で横になり、痛みに耐えていた。しかし、産院につく前に赤ちゃんの頭が出てきてしまった。 どうにも抑えがきかなかった。
産院に着くと同時に、医師や助産師さんたちが駆けつけ、タクシーの中で赤ちゃんをとりあげてもらい、先に処置室へ連れていった。 私は、あとから車イスで分娩室へと向かった。
このとき、まだ赤ちゃんが亡くなってるとは微塵も思わなかった。助産師さんたちも「大丈夫だからね」と言っていた。
分娩室でわたしの会陰縫合とか子宮の中を確認とかしたあと、担当の医師が来た。 「赤ちゃん、ダメだったよ」と、そこで告げられた。 頭が真っ白になった。
医師はそのあと、胎盤が剥がれて心肺停止状態で生まれてきたこと。 蘇生も試みたが、時すでに遅しだったこと。 出血も少なく、母体が助かったことだけでも有難いこと、など、色々話してたが、頭に入らなかった。
それから、きれいにしてもらった赤ちゃんを胸に抱いた。 今生まれたと思えないくらいキレイで、しっかりした顔立ち。 ふにゃふにゃで、あったかくて、死んでると思えなかった。
かわいいかわいい私の赤ちゃん。 泣き声もあげずに、お空へ旅だってしまった。
自然分娩と同じなので5日間の入院だった。 入院中は好きなときに赤ちゃんを抱かせてもらえたし、手形や足形をとったり写真とったりもした。
退院から1週間後、火葬をした。 ちっちゃな骨壺に、いっぱいになった。 元気に育ってくれてたんだなと実感した。
いま100日が過ぎ、私自身も少しずつ日常を取り戻しています。 仕事にも復帰しました。
赤ちゃんがいなくなってしまったことは、一生悲しい。悔しい。辛い。 でも、私たち夫婦のもとにきてくれたこと、本当に本当に感謝してる。9ヶ月という短い期間だったけど、私たちは間違いなく親子でした。 幸せな時間をくれました。 いのち というものの尊さを教えてくれました。 愛することを教えてくれました。
はるき、本当にありがとう。 寂しいけど、はるきにまた会えるまで頑張るね。
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Name: ふたごちゃんママ ..au-net.ne.jp
Date: 2014/07/07(月) 04:49
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Title: 24週 双胎間輸血症候群の疑い(一卵性双生児)
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一卵性双生児、可愛い女の子2人を死産いたしました。 上の子が2歳過ぎたので、そろそろと願っていたところでの妊娠でした。 7週目の検診でまさかの一卵性双生児が判明。 もともと3人欲しかったので、この時は正直不安よりも双子ちゃんなんて楽しみ!と喜びの方が大きかったです。 初めての妊娠で稽留流産も経験しているので、あの時の子がお友達を連れてきてくれたのかなとも思いました。
途中までは2人の大きさもバランス良く、経過は順調でした。 しかし、ある日の検診で大きさの違いを指摘されました。 その時の体重差は倍ほどで、その後一週間おきに検診でしたが、やはり倍ほどの差は変わらず成長していきました。
一卵性双生児は胎盤を共有しており、吻合血管があるので、血流バランスが崩れると体重や羊水に差ができる双胎間輸血症候群を発症する事があります。 羊水の深度が8cm以上、かつ2cm以下だと吻合血管を焼き切る治療の対象になるのですが、最終的には11cmと2.7cmで治療の対象にならず、経過を見ている間での子宮内胎児死亡でした。
その日は、より動いていた大きい子の胎動を感じないなと思ったものの、もともと2人ともあまり動くほうじゃなったので、その日は就寝しました。 でも、夜中になっても、翌日になっても動く気配はありません。 慌てて駆け込んだ病院でエコーに映ったのは、ピクリとも動かない2人の姿でした。
そのまま入院して子宮口を広げる処置を受け、促進剤を使っての分娩に挑む事になりました。 坐薬を入れたおかげか、ラミナリアを入れる処置もあまり痛くなく、3回目で入れる量が2回目で入ってしまったほどでした。
そして入院3日目。いよいよ分娩の日です。 今から産声を聞けないと分かっててお産するのに、不思議と涙は出ませんでした。 促進剤を使って7時間後、強い陣痛がきました。 いきみも何もしてないのに、お姉ちゃんがつるんと出てきてくれました。 その後は一度遠のき、約1時間後に妹ちゃんが一度いきんだだけで出てきました。 715g、32cmと、555g、28cmの、よく似た可愛い女の子でした。 お姉ちゃん、妹ちゃんともに子宮口を降りてくる感覚が実感できたし、最後にあの子達と力を合わせられたのは、なんだか神秘的な体験でした。
翌日退院し、その次の日に火葬。 一つの棺に仲良く入った2人の周りに、お花や家族が折ってくれた折り紙、お空で仲良く遊べるようにと小さなぬいぐるみをそれぞれに手向けました。 娘たちのお兄ちゃんもパパと飛行機を折ってくれました。 「この紙飛行機で、赤ちゃんお空にのぼって遊べるね」と伝えると、まだ生や死を理解できないであろう息子が「赤ちゃん、もう飛行機乗ったかなぁ?」と言葉にする度に涙が溢れました。
まだまだこの心の傷は癒えそうにありません。上の子がいるおかげで笑って過ごせているけど、ふとした時に、あの子達は苦しんで逝ったのに、どうして私はこうやって笑ったり、ご飯食べたりしてるんだろう‥‥と悩みます。 産声も聞けなかった、おっぱいもあげられなかった、皮膚があまりにも弱く、抱っこすらできなかった。 胎動にもう少し敏感になっていれば‥先生にもっとこまめに診察してくださいとお願いしていれば‥一人だけでも助からなかったかな‥それとも2人仲良くお空にいけたからそれはそれでよかったのかな‥色んな考えが浮かんでは消え、消えてはは浮かびます。
実際にレーザー治療の対象になっていたとしても、2人のへその緒の位置が近く、吻合血管を見つけにくく困難な手術になること、妹ちゃんは単一臍帯動脈で、さらに胎盤の占有面積がすごく狭かったこと。 治療の対象になったとしても2人とも助からなかったかもしれない。もっと予定日近くとか、産まれから亡くなってしまうとか、それよりは良かったのかなと思うようにしていますが、やはりなんで私の子だけという思いはぬぐいきれません。
今は、仲良く骨壷に入った二人に、家族三人でおはよう、いってきます、ただいま、おやすみと話しかけています。 いつになったら前向きになれるのかわかりません。 でも今はたくさんたくさん泣いて、あの子達の事を思ってあげたいと思います。
死産からもう直ぐ1週間。主人から2人の話をすることはなくなりました。でも私はあの子達が確かに私のお腹にいた事、7ヶ月まで一生懸命生きてくれた事の証を残しておきたい。この掲示板に出会って本当に救われました。私だけじゃなく、皆さん辛い過去を乗り越えようとしているんだとわかりました。私も少しずつ、一歩ずつ進んでいきたいと思います。
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Name: すみれ ..home.ne.jp
Date: 2014/07/02(水) 11:45
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Title: 9週目 流産
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待望の2人目でした。
半年前に胎のう確認後に流産したことがあり、 今回は心拍確認までできたので「今度こそ」と、夫婦で喜びました。 万が一ということがあるので息子に話すのはまだ早いかとも思いましたが、つわりが重く寝てばかりだったので「お腹に赤ちゃんがいてしばらくお母さんは寝なくちゃいけないの。遊べなくてごめんね」と伝えました。
すると、息子は今までに見たことの無いような笑顔を見せ、大喜びしてくれました。 それからは家事を熱心に手伝ってくれて「オレが使ってた服とか哺乳瓶を赤ちゃんにあげるんだ」「一緒に幼稚園に行けるかな」「名前は何にする」「男かな女かな」と毎日嬉しくてたまらない様子でした。
検診の日「お母さんは今日病院だから終わったら幼稚園に迎えに行くね」と伝え病院に向かいました。 内診室でのエコー。 画面を見ると前回チカチカしていたものが見えません。 先生が無言で何度も角度を変えても動きがありません。 自分から「心臓が動いてないですか」と聞きました。 そこから病院内での記憶はあまりありません。
なんとか冷静を装い幼稚園に息子を迎えにいきました。 息子に会うとニコニコして「赤ちゃんの写真もらえた?」と 聞かれました。その場ではさらっと「今日は写真が無いんだ」と 伝え、帰宅後、落ち着いたところで事情を伝えました。
息子はそこでは泣くのを我慢していましたが、数日後の手術の日 、主人と迎えにきてくれた車内で号泣していました。 ひたすら「ごめんね」と抱きしめるしかありませんでした。
後日、息子のクラスで「○○さんのおうちに赤ちゃんが生まれました。おめでとう。」と言う発表があったようで、その日は「うちにも赤ちゃんが来てがしいよ…」と悲しそうに帰宅しました。
今は、初期に息子に妊娠を伝えてしまったことをひたすら悔いています。 1度流産しているので、2度は無いだろう。今度こそは4人家族になれると思い込んだ私たちが愚かでした。 家族3人、表面上は普通の日常生活を送っていますが 重い気持ちを抱えたままです。
赤ちゃん、優しいお兄ちゃんが待ってるよ。また戻っておいで。
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Name: ももちゃん ..spmode.ne.jp
Date: 2014/06/28(土) 20:28
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Title: 二度の流産
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流産。何週での流産でもつらいですね。 実際に流産を経験してわかりました。
一度目は5週くらいで成長がとまっていました。 二度目はそれからすぐに妊娠したときのこと。 最後に11週の大きさで確認したのちにまた成長がとまってた。 本当に信じられない。
あさって手術。 さよなら私のかわいい赤ちゃん。 無事に産んであげられなくて申し訳ない。 楽しみにしていた家族にも申し訳ない。 みんなごめんね。
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Name: 実樹 ..vectant.ne.jp
Date: 2014/06/27(金) 16:16
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Title: 10週 稽留流産
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私のお腹の中には、胎児死亡の宣告を受けた赤ちゃんがいる。
10日前、自宅近くの産婦人科で初めて赤ちゃんの心音を確認。 お腹の中で赤ちゃんが生きている事を実感。
近い距離ではあるが里帰り出産をする予定であった為、実家近くの産婦人科に昨日訪れ、分娩予約を・・・と思った矢先。 モニターを見ながら医師が「何かぱっとしないなぁ…」 ん?なにが?と言おうとした瞬間、自分でも気付いた。 先週までピクピク動いていたものが見当たらない。
「残念だけど」と言われた後、頭は真っ白に。 待合室に戻ると涙が込み上げて、すぐにトイレにこもった。
一日中泣いてすこし落ち着きを取り戻した今日、心音を聞いた自宅近くの産婦人科に再度訪れた。 エコーを使って血液の流れがないことを再確認し、赤ちゃんが弱い体質であったことを説明された。
明日入院して、まだ2センチ程の赤ちゃんを出してあげることを決定した。 明日の手術に備え、採血をして心電図をとる間、看護師さんの「辛いね」の言葉がまた涙を溢れさせた。
たったの2カ月ちょっとだったけど、とても幸せな時間を過ごさせてくれたお腹の赤ちゃんに心から感謝。 今日は一緒に過ごせる最後の夜、まだ小さなお腹に手を当てて眠りに就こうと思う。
ありがとう、また逢える日まで
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