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Name: ママ ..eonet.ne.jp
Date: 2014/09/30(火) 22:55
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Title: 8週目 稽留流産
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第2子の妊娠でした。 排卵検査薬で排卵日はだいたい分かっていたので、それを踏まえて初診に行ったのですが、 その時は胎嚢もみえず「あれ?」と思いました。
そして2回目の診察。 心拍確認はできました。 でも持って帰ったエコー写真を見るとやっぱり胎芽が小さくて、卵黄嚢が大きい。
先生には何も言われなかったけど、ネットで調べると、卵黄嚢が大きい方は、ほぼ流産していると分かりました。 悲しかったけど覚悟をしました。
次の診察は2週間後だったけど、1週間後に行きました。 やはり先生から「今回は残念ですが・・・」と伝えられました。
妊娠したら産まれてくるのが当たり前と思っていた。 お腹にいてくれた間、もっと話しかけたり大事に 思ったりしたら良かった。 上の子が元気で産まれてきてくれたのは、凄い事なんだと 分かった。 私が母に産んでもらって、この歳まで元気に生きてこられた 事も・・・。 大切な事を教えてくれてありがとう。
そして最後にこちらの皆さんの体験談を読んで 「私だけじゃないんだ」と心が慰められました。 ありがとうございました。
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Name: 青空ママ ..spmode.ne.jp
Date: 2014/09/17(水) 16:28
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Title: 死産
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第2子が胎児循環不全、羊膜による臍帯絞扼で死産になりました。
異変に気付いたのは、9月8日の夜のこと。 寝室で寝んでいる時、ビクンッと大きな胎動があった途端になくなり、11日までお腹を撫でたりしていました。 冷えてきたように感じて12日に受診すると、死産と診断されました。
12日に分娩した時、病院の説明では 「この病名は当病院では2例目で非常に珍しい」との事でした。 ネットで調べると12000人〜15000人に1人の割合で起こるそうです。
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Name: きょうこ ..e-mobile.ne.jp
Date: 2014/09/16(火) 15:25
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Title: 流産 11週6日
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32歳です。 アルバイトをしていますが、肉体労働ではありません。 只今、手術後のベッドの上です。 先日の検診でお腹のなかで第2子となる赤ちゃんが亡くなっていることがわかり、先ほど手術を受けました。 流産が判明した日で、11週6日でした。
お医者様は第1子の妊娠時からお世話になっている地元でも評判の良いクリニックで、 今回の診断も、手術の処置も、信頼してお任せ致しました。 それでも流産がわかった直後は、流石に頭が真っ白になりました。それは第1子があまりにも妊娠経過が順調で、初産ながらも8時間かからない安産で元気いっぱいで生まれ、 その後も病気ひとつせずスクスクと育ったので、 お腹の第2子もてっきりそうなるものと信じて疑わなかったからです。
しかし、色々と調べますと、流産は決して珍しいことではないことや、主人は41歳、私は32歳と決して若い夫婦ではないことから、前々からある程度このようなことも起こりうるであろうことを覚悟していたこともあってか、冷静に受け止めることができたと思います。
診断から手術までの4日間は、手術への恐怖心や、亡くなったお腹の子が不憫で、涙がとまりませんでした。 しかし、明けても暮れても涙を流している中で、改めて主人の優しさや支えが如何に大きいものであるかや、 健やかに日々成長している第1子が如何に奇跡的なかけがえのない存在であることかを再認識し、 より一層家族の絆が深まる出来事でもあったと思います。
確かに、お腹の中にいようが外に生まれ出ていようが 、自分たちのかけがえのない子供を亡くした悲しみは相当に深いものがあります。 でも、夫婦揃って悲しみから逃げずに向き合うことで、順調な妊娠・出産だけでは得られない大きな気付きを得られたことも、揺るぎ無い事実です。
無事手術を終えた今、亡くなったお腹の子への感謝の涙が時折溢れております。 「私達を成長させてくれて、本当にありがとう。」
さて以下は、手術の体験を書きたいと思います。 稚拙ではありますが、これからこのような手術を控えていらっしゃる方や検討されていらっしゃる方のご参考になればと思います。
手術当日は、開院の9時までに受付を済ませ、最後の内診を受けました。主人が同伴してくれました。 お腹の子の死亡を再度確認し、待機室兼回復室へ案内されました。ここで看護師さんから手術の説明を丁寧かつ親切に頂き、不安がだいぶ無くなりました。
こちらの院はお医者様は先生お一人でまわしていらっしゃるため、外来の患者さんの診察が一通り終わるまで、案内されたお部屋で主人と談笑し、順番を待ちました。
11時頃に看護師さんから「そろそろ順番が来ます」とご案内頂き、その際に術後服用するお薬のご説明を頂きました。 手術中は、主人は一旦帰宅することになりました。 恐らくは、術中に患者さんが無意識の中で苦しんだりもがいたりする様子を近親者に見せないようにする配慮かと思います。
お薬の説明の後、いよいよ手術台へ。 先生お一人と看護師さんお二人が、笑顔で迎えてくださいました。 不安と恐怖も最高潮となり、思わず先生に 「私、お酒を相当に飲むんですが、麻酔が効かないんじゃないかと不安でしょうがないんです!」と言ってしまったら、 先生に「お酒が強い人は効かないな〜、困ったな〜(笑)」と冗談を仰って頂き、一気に気持ちが和みました。
そんなやり取りをしながらも、点滴や心電図を装着して、看護師さんからの「麻酔を入れますよ。一緒に数を数えて下さい」の合図と共に、フワフワとした気持ちいい感覚が徐々に強くなっていきました。 眠りに堕ちるよりも早く、スッと意識が薄れました。 まるで良いお酒をたくさん頂き、そのまま布団で眠ってしまうようでした。
気付いたときには、看護師さんお一人が点滴を片付けていらっしゃるところでした。 まだ深めのほろ酔いのような気持ちの良い感覚が身体に残っていましたが、子宮の辺りの軽い生理痛のような痛みで、手術が終わったことがわかりました。
術中の様子を看護師さんに訪ねると、どうやら初めは無意識の中で「痛い、痛い」と言っていたようですが、実際は何一つ痛みなど感じませんでした。 付き添われ、待機室兼回復室へ。
気づかぬ間に痛み止の座薬を入れて頂いたようで、軽い生理痛のような不快感も数分のうちに消えてなくなりました。 また、麻酔のほろ酔い気分も徐々にぬけ、爽やかな気分になりました。
苦痛や吐き気は一切無く、むしろ最近は流産の悲しみや手術の不安で良く眠れなかったことから、手術で深くぐっすりと眠れて身体が楽になったくらいです。
お腹は当然ながらペタンコになってしまいましたが、悪阻のだるさもスッキリと消えてなくなりました。
お腹の子を亡くした悲しみに加えて、手術への恐怖心でずっとモヤモヤとしておりましたが、 幸いにも初期流産だったことと信頼のおける先生の的確な判断と処置のお陰さまで、一切の苦痛無く無事に手術が終わりました。
いままで塞ぎ込んでいた気持ちは、かなり楽になりました。また前向きに日常に戻っていければど思います。
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Name: ママ ..bbtec.net
Date: 2014/09/10(水) 23:08
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Title: 2度目の流産
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3週間程前、腹痛に耐えられなかったので医者に行き、トイレに入ったら破水してしまい、赤ちゃんが出てきてしまいました。 あっという間の出来事で、自分でどうすることも出来ず、助けを呼びました。 残念ながら間に合いませんでした。 私の赤ちゃんは天国に還ってしまいました。
後から聞きましたが、子宮顕菅無力症でした。 突然だったのでどうすることも出来ませんでした。
もっと早く医者に行ってれば、あのときトイレに行かなかったらと、今でも自分を責めることがあります。 泣かない日はありません。
先生、看護師さん、そして旦那様は「自分が悪いわけじゃない。あれは事故だったんだから」と言います。 私にすれば、自分の不注意だったとしか思えなくて。
でも、ちゃんと産んであげられなかったけど、天国に還ってしまった子が新しい赤ちゃんで帰って来てくれるように、早く立ち直れるように少しずつでも前に進めるように、頑張りたいです。
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Name: りかこママ ..zaq.ne.jp
Date: 2014/09/10(水) 14:26
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Title: 34週 原因不明 子宮内胎児死亡
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半年前、子宮内胎児死亡で我が子を亡くしました。 原因は不明でした。
検診の3日前くらいから、胎動が少ないような気がして、でも動いてるなあ・・・なんて考えながら、 検診前夜になって、やっぱり動いてない?と、不安になりました。
家族に、動いてる様な気がしないよと、急に心配になって相談したら、明日検診だから大丈夫だよと、言われました。 検診当日も、動いてない・・・と不安がっている私を察知してか、主人が、仕事を休んで検診に付き添ってくれました。 待合室で、なんだかソワソワしたのを、覚えています。 名前が呼ばれて、エコーをみると・・・真っ暗でした。 先生から「心臓が止まってしまっています。胎盤も羊水も何の異常もありません。自然死です」と、申し訳なさそうに告げた先生の表情も、あの時の私の気持ちも、忘れられません。 気を張っていたせいか、涙一つ出ませんでした。 まだ、信じられない気持ちだったからでしょうか。
その1週間後に入院してバルーンで子宮を広げながら、点滴で陣痛をおこし、翌日 普通分娩で出産。 出産の翌日に退院、退院の翌日に火葬をしました。
流産のことは、よく知っていましたが、死産という言葉があることも知らず、自分の身に起きたことすら、信じられない出来事でした。 我が子をお腹の中で亡くし、初めてこちらのサイトを知りました。 気を張って、涙も流さず歯を食いしばり強がりながら過ごす毎日から、こちらのサイトに出会い我が子を思い、たくさん涙を流しても いいんだな。と、思える様になりました。
未だに、新生児を見ると、なんで私の子は…と、1人でいると、ふとした時に、考えます。 子供を授かる事も、出産し育てることも、本当に奇跡なんだなぁ、と、私自身この歳まで何事もなく生きてることに、感謝しながら 家族に毎日ありがとう!
そして、お腹の中でずっと一緒にいた我が子にも 毎日ありがとう!って、思っています。 当たり前の幸せを教えてくれた、我が子は 意味を持って私のもとにきてくれたのだと思っています。 自分や家族、誰のせいでもない、誰を責めるわけでもない。 少しづつでも、前に進んで行きます。
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Name: すみす ..shiga-med.ac.jp
Date: 2014/09/10(水) 13:54
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Title: 2度の流産
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子宮腺筋症のため、早く妊娠しないと赤ちゃん産めなくなると言われていました。 1人目を妊娠したものの、7週目で稽留流産しました。 涙が枯れるほど泣きました。
2年後に1人出産しました。 出産から1年後に、2人目を妊娠5週で流産し、その2年後に、また2人目を出産しました。
2度の流産を経験しましたが、初期の流産はの原因の70%は胎児の染色体異常だと医師から聞き、なんとか元気を取り戻して2人の子を産むことができました。
亡くなった2人の子供たちが、無事産まれた子供たちに何かをたくしてパワーをくれたのだと思います。
辛いときは思いっきり泣いて、気持ちを切り替えて前向きに考えれば道は開けると思います。
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Name: 柊 ..em-net.ne.jp
Date: 2014/08/29(金) 17:06
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Title: 4度目の流産
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2014年8月25日、4度目の流産。 ちょうど7週に入ったところでした。
3度目の流産の後、不育症の検査を受け、今回は治療をしながら臨んだ妊娠でした。 今回はうまくいく、そう信じていました。 まさか、今回もこんなに苦しい思いをするなんて。
世の中には何の問題もなく妊娠、出産を迎える夫婦がたくさんいるのに、なんで、私だけが・・・ 今はそんな気持ちから立ち直れずにいます。
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Name: うめこぶ ..au-net.ne.jp
Date: 2014/08/25(月) 21:30
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Title: 7週6日 稽留流産
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第二子を妊娠。 喜びも束の間、7週4日の診察で稽留流産の診断がくだされました。 胎嚢は大きくなっていたものの、中身がからっぽでした。 初診で胎嚢が小さかったので、心のどこかで今回はダメなんじゃないか?と思っていました。 しかし、流産の診断をくだされた時には、改めてショックで、涙を流している自分がいました。 1週間後の手術の予約をしました。
あの時あぁしていれば生きてくれていたのか?自分を責めました。妊婦さんを見ると、あの人は順調なんだ...と妬ましく思う自分もいやでした。 その夜、近所の花火に行く予定でしたが、流産の診断後の暗い気持ちではとても行く気になれませんでした。 しかし、娘は変わらず笑顔で接してくる。 この子のために行こう、そして産まれてくるはずだった赤ちゃんにも「世の中にはこんな素敵なものがたくさんあるんだよ」と見せてあげたいという気持ちになりました。 この花火を一生忘れないと思います。
7週6日の朝3時頃、生理痛のひどいような痛みに耐えられず、うずくまったり、かがんだり。 そのうち痛みが弱まり、疲れて寝てしまいました。 起きた時に違和感があったのでトイレへ行くと、赤ちゃんの袋、胎盤らしきものが出てきました。
ママを苦しませないために、自分で出て来てくれたんだね。 ちゃんと大きくしてあげられなくてごめんね。
赤ちゃん、またパパとママ、お姉ちゃんのところにやってきてね。この世の中にはたくさんの楽しいこと、素敵な景色が待っているよ。 それまでお空から見守っていてね。 ママを、私達家族を、選んでくれてありがとう。
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Name: ゆのんママ ..au-net.ne.jp
Date: 2014/08/23(土) 00:26
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Title: 24週6日 死産
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死産してから3年。 年月は過ぎてったけど私の心は3年前のままです。
結婚式を一週間後に控えたある日、旦那に一目でもいいから我が子が元気に動いてるエコーを見せたいと思い、 初めて検診に付いてきてもらいました。
その1週間前から胎動が無かったことに気づいてましたが、仕事も忙しくて気にもとめていませんでした。 看護婦さんに「一週間前から胎動がないんですよ」といって、エコーをとってもらいました。 その時の看護婦さんの表情は、いまでも忘れられません。
慌てた様子の看護婦さん。 その様子をみて「あー、だめなんだ」と、冷静に考えてる自分もいました。 お医者さんに確認してもらうと、動いてない我が子がエコーにうつってました。
その後はバルーンをいれ促進剤をうって出産しました。 午後1時36分。 女の子でした。
私は母にいわれたので、我が子を見ることもできませんでした。 火葬にも付いていけず、ほんと母親としての役目をなにも果たすことができず終わってしまいました。 唯一、看護婦さんが「かわいい赤ちゃんだよ」と言ってくれた言葉に救われました。
今、周りは子供の事にもふれてきません。 命日も旦那と2人です。 まるでなにも無かったかのように振る舞われる毎日。
今、周りが、出産ラッシュで辛いです。 もし・・・とか、もっと早く気づいてあげてれば・・・とか、後悔ばかりです。 早く次の子供を。という人も多いですが、また同じ様になったらどうしようと思ってしまい、なかなか前には踏み出せません。
人前では泣く事もできず、きついです。
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Name: ゆき ..spmode.ne.jp
Date: 2014/08/13(水) 14:31
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Title: 7週3日
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切迫流産で安静中なのに、主人のお弁当を作ってしまったからでしょうか。 その夜、赤ちゃんの心拍が止まりました。 ずきんと鈍い痛みが走り、何かおかしいと思いました。 夜であったので、翌朝、もう一度検査となりました。
主人が、入院を勧める病院から、自宅に連れ帰ってくれました。 もう赤ちゃんが動いていない、その事実が受け止められなくて。 泣いて泣いて。 お腹がすいていたのかな、疲れてしまったのかな。 もう大きくならならない赤ちゃんの写真を見て、泣いて泣いて。
毎日指折り数えて、誕生を待っていました。 赤ちゃんの写真は何時間見てもあきませんでした。 お母さんにはなれないと思っていたわたしに、決心をさせてくれた。
元気に産んであげられなくて、ごめんね。 お父さんにしてあげられなくて、ごめんね。
冷たくなったお腹。 お腹をなでる癖。 もう赤ちゃんはいないのに。
わたし元気になれるんでしょうか。
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