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   9週 稽留流産   
   38週 常位胎盤早期剥離 ....   

Name: なぁや    ..spmode.ne.jp
Date: 2014/07/31(木) 00:19
     削除 
Title: 9週 稽留流産    
2度目の流産しました。
昨年11月に流産し、その後、不妊治療を経て妊娠しました。

ようやく来てくれた赤ちゃん。
前回は胎のうしか確認出来なかったけど、今回は心拍の確認が出来たので、一安心かと思っていました。

あの日の午前3時頃、何となくお腹が重たいような感じがして、目が覚めました。一瞬だったので、そのまま、また、寝ていました。
朝になって病院に電話すると、気になるなら受診する?と、助産師さんが言ってくれたので、すぐに病院に行きました。

内診の結果、赤ちゃんの心拍が確認できませんでした。
大きさも、前回(10日ほど前)とほとんど変わっておらず、「おそらく、前回の検診の直後に心拍停止したと思う」との話でした。
気がつくと、エコー写真をみながら、先生と看護師さんの前で、泣いていました。
数日後、手術をすることにきまりました。

当日は主人に付き添ってもらいました。
手術が終わり、麻酔が覚めかけた時、赤ちゃんが居なくなったお腹に手をあて、ずっと泣いていました。
主人に涙をふいてもらい、手を握ってもらって、その手の温かさにまた泣きました。

家に帰ると、私の両親と留守番していた長女が両手を広げ、涙を流しながら、私を抱き締めてくれました。
この子がいるから、もう次の子はいいかな?と思う反面、やはり、亡くした赤ちゃんのこともこの手で、この腕で、抱きしめたかった。
今頃は亡くなった赤ちゃん二人、お空で仲良くしてるかな?

二人目を望むことは贅沢なのでしょうか?
今はまだ、不妊治療を再開するか否か、決めかねています。
何度経験しても辛いこの現実。
まだふとした時に、前回と今回の赤ちゃんのことを思い出し、涙が溢れます。
ウジウジしてるのは良くないと分かっているけど、今は前も後ろも見たくない、そんな気分です。
とりあえずは、心身共に元気になれるように、まずは、普通の日を普通に過ごそうと思います。





Name: はるきママ    ..openmobile.ne.jp
Date: 2014/07/19(土) 01:29
     削除 
Title: 38週 常位胎盤早期剥離    
待ち望んだ、初めての妊娠でした。
経過は順調で、何も問題なく予定日を迎えようとしていました。

予定日まであと10日となった日の夜22時頃、
シャワーに入ろうと下着を脱いだら生理のような出血があった。
出血量はそんなに多くもないし、痛みもない。
胎動も感じてたので、『おしるし』かな?と思っていた。
その後、夜中の3時頃まで、お腹をこわしたような軽い痛みが続いたがそのまま眠った。
そのときには、出血は止まっていた。

8時頃起きたが、なんとなくまだ時々痛いので、もしや陣痛かもしれない?
と、痛みの間隔を計りながら食事したり、入院荷物を確認したり、横になったりして過ごした。

しかし、痛みの間隔は2分だったり、30分だったりと定まらない。
しかも、お腹を下しているのか、何度もトイレにいく。

15時半頃になって、間隔はバラバラだが1時間に6回以上の痛みに襲われるようになってきたので、産院に連絡し、昨晩の出血から今までの経過を説明した。
あと1時間様子を見るように言われた。

16時半頃、それまでと違う急激な痛みに襲われた。
もはや立てない。声が自然に出る。
再度産院に連絡すると、すぐ来るように言われる。
タクシーを呼び、支度をしていたが、一度来たタクシーが帰ってしまうというトラブルもあり、
タクシーに乗り込んだのは17時半頃になっていた。

すでにいきみたい感覚に襲われ、痛みの中でどうしていいかわからない状態で、タクシーの後部座席で横になり、痛みに耐えていた。しかし、産院につく前に赤ちゃんの頭が出てきてしまった。
どうにも抑えがきかなかった。

産院に着くと同時に、医師や助産師さんたちが駆けつけ、タクシーの中で赤ちゃんをとりあげてもらい、先に処置室へ連れていった。
私は、あとから車イスで分娩室へと向かった。

このとき、まだ赤ちゃんが亡くなってるとは微塵も思わなかった。助産師さんたちも「大丈夫だからね」と言っていた。

分娩室でわたしの会陰縫合とか子宮の中を確認とかしたあと、担当の医師が来た。
「赤ちゃん、ダメだったよ」と、そこで告げられた。
頭が真っ白になった。

医師はそのあと、胎盤が剥がれて心肺停止状態で生まれてきたこと。
蘇生も試みたが、時すでに遅しだったこと。
出血も少なく、母体が助かったことだけでも有難いこと、など、色々話してたが、頭に入らなかった。

それから、きれいにしてもらった赤ちゃんを胸に抱いた。
今生まれたと思えないくらいキレイで、しっかりした顔立ち。
ふにゃふにゃで、あったかくて、死んでると思えなかった。

かわいいかわいい私の赤ちゃん。
泣き声もあげずに、お空へ旅だってしまった。

自然分娩と同じなので5日間の入院だった。
入院中は好きなときに赤ちゃんを抱かせてもらえたし、手形や足形をとったり写真とったりもした。

退院から1週間後、火葬をした。
ちっちゃな骨壺に、いっぱいになった。
元気に育ってくれてたんだなと実感した。

いま100日が過ぎ、私自身も少しずつ日常を取り戻しています。
仕事にも復帰しました。

赤ちゃんがいなくなってしまったことは、一生悲しい。悔しい。辛い。
でも、私たち夫婦のもとにきてくれたこと、本当に本当に感謝してる。9ヶ月という短い期間だったけど、私たちは間違いなく親子でした。
幸せな時間をくれました。
いのち というものの尊さを教えてくれました。
愛することを教えてくれました。

はるき、本当にありがとう。
寂しいけど、はるきにまた会えるまで頑張るね。



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