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   40週3日 子宮内胎 ....   
   40週3日 子宮内胎 ....   

Name: ムーミン    ..ca.comcast.net
Date: 2014/03/09(日) 15:18
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Title: 40週3日 子宮内胎児死亡A    
9月27日に、息子の火葬が終わって、息子がようやく天に還っていったんだとほっとしました。
雲一つない、きれいな青い空が広がっていた1日でした。風もなく、まるで、まっすぐ天国に行けたことを息子が教えてくれているみたいな穏やかで静かな美しい空でした。
お見送りの会の前の日から、夜中に必ず凍えそうに寒くて目が覚めて、息子はまだ冷たい部屋にいるんだと思って、ただ泣けた毎日だったから、こうして火葬が終わって、小さくなったけど息子がわたしたちの側に戻ってきてくれて、そして、きっと魂は天国に還っていったんだって思いました。だからほっとしました。
お見送りの会に来てくれた方たちやお花を送ってくれた方たちには、お見送りの会が終わった日からすべて方たちの顔を思い浮かべながら一日中手紙を書き続けていました。3日ほど手紙を書き続け、投函してきました。
わたしのことを心配してくれている、すべての方たちにこれ以上心配をかけたくなくて、そして、もうこれ以上家族を泣かせたくなくて、一生懸命自分の気持ちを立て直そうとがんばってきたこの2週間と数日。
前にちゃんと進んでいこうと、一生懸命がんばって。きっともう大丈夫だって思っていました。
今までだって妊娠、出産に関しては辛いことを経験してきたんだから。自分の気持ちを立て直すのは大丈夫だと思ってました。
だけど、息子を天に見送って、手紙を全部投函しおわって。そうしたら、わたしが息子に注ぎたかった愛情が溢れはじめて、溢れて、溢れて、どうしていいのかわからなくて、気がつくと涙がかわりにボロボロとばかみたいに溢れてきました。
お別れの会では、息子はちゃんとわたしの心の中にいることが分かっているから、近いうちに前を向いて歩いて行けるってみんなに言えたのに。
みんなに宛てて書いた手紙には、心配かけないように、前向きな言葉をちゃんと書けたのに。
普通の日常に戻ることができないわたしが、なんだか一人おいてけぼりみたいでさみしくて。
自分自身を責めて、きっと避けられなかった運命だったのに、時が戻ってほしいと祈って、夢だったらいいのにと願って、やっぱり現実なんだと気づき、そしてまたばかみたいに泣いていました。
息子を出産してからの2週間と数日はわたしにとって、何ヶ月もたったかのような長い長い時間でした。過ぎてしまえばあっという間だったんだろうと思うのですが、だけど、息子を産んだあの日が、うそみたいに遠い日に感じていました。
前向きになろうとして、無理矢理に自分を立て直していたけれど、やっぱりそう簡単にはいきませんでした。
息子に会えたことが本当に幸せだったと、そして息子を産むことができたことも本当に幸せだったと、いつか思う日がくると思うのだけれど。
だけど、息子に会ってしまったから。眠るように穏やかな顔で、かわいい顔で。死んでいるなんてうそみたいに、わたしの両手にしっかり重みを感じさせてくれた息子に会ってしまったから。
これからもわたしの心の中に住んでいく息子への愛情を注ぎ続けるつもりだけれど。
愛情が溢れて、溢れてとまりませんでした。
娘に、夫に、そして、大事な家族や友人たちに注ぐ愛情とは別にちゃんと用意していた息子へのわたしからの愛情を。
これからどうしたらいいのかと、途方にくれました。
気持ちをコントロールするのはやっぱりそんなに簡単ではありませんでした。
だから、いつか、こんなわたしの気持ちも全部含めて、息子との思い出になる日がくるに違いないと信じるしかありませんでした。

    〜40週3日 子宮内胎児死亡B へ続く





Name: ムーミン    ..ca.comcast.net
Date: 2014/03/09(日) 15:17
     削除 
Title: 40週3日 子宮内胎児死亡@    
少し長くなりますが、息子の死から1年半たってようやく自分の気持ちを整理でき、この1年半葛藤したことが、このサイトにいらっしゃる方の少しでも励みになればと思い書かせていただきました。

1年半前、このサイトを知り、毎日のようにみなさんの体験を読んで、自分に起こった出来事を現実をして受け止めようとしていたことを思い出します。

その節は本当にお世話になりました。

以下がわたしの体験になります。

2012年9月18日、息子が静かに誕生しました。
陣痛が来て、5分間隔になって、そして病院に到着したら、息子の心肺は停止していました。
今までに自分でも聞いたことのない声で、叫び続けながら息子を出産しました。
頭の中は、ちゃんと産まなきゃ。という思いだけだったように思います。
もしかしたら産んだら誰かが助けてくれるんじゃないかという錯覚もして。
産まれた息子はやっぱり産声をあげず、肌はきれいなピンク色なのに、唇だけが紫色で。わたしの体温がまだ息子をあたためていたからか、抱き上げた息子はとてもあたたかくて。
髪の毛は黒くフサフサとしていました。
やっぱり目を開けない息子を抱っこしながら、きっとこのあたたかいぬくもりとやわらかな肌の感触がすぐに失われてしまうのだろうと直感していたのか、この感触をずっとを覚えていなければいけないと、私は産まれた息子のほほをずっとなでていました。

息子が産まれた夜は家族だけで過ごしました。
産んだ後のことは細かくはよく覚えていないけれど、涙だけがずっととまらなかったのを覚えています。どこかで、これは夢かもしれないと思っていたのか、とても静かに、声もでず、涙だけがずっと流れ続けていました。わたしはなにを考えているのか、何を感じているのか、それすらもよく分からずに、夫や母に手を握ってもらって過ごしていたように記憶しています。
娘は産まれた赤ちゃんをイイコイイコしていました。わたしのこともイイコイイコしてくれていました。
眠れない夜だったけど、昼間も眠れませんでした。現実に直視しつづけていたらどうにかなりそうだったら薬をもらったのだけど、飲む気力もなく、呆然としていました。
一晩ずっと側にいてくれた母と娘にはいったんおうちに帰ってもらいました。
ずっと側にいてくれた夫にも少しソファで寝てもらいました。
一晩過ぎたら今度は怖くなりました。
息子のように、みんながわたしのもとからいなくなってしまったらどうしよう。
ひとりぼっちになったらどうしよう。
ひとりぼっちになるくらいならわたしがいなくなってしまった方がいいのかもしれないということさえ思いました。
夫は誰もいなくならないって言ってくれました。娘は「ママをマモルよ」って言ってくれました。母は家族みんなでちゃんと生きていけるよって言いました。
わたしは静かに家族の言葉をひたすら反芻し、ベッドの脇の手すりを見ながらずっと自分の気持ちを整理しようとしていたように思います。
だけど、手すりを見ていても気持ちは整理されなくて。そして、その時に整理していることもきっと忘れてしまうと思いました。
だから、前向きに、夫と娘と生きていくために、わたしは今の気持ちを書き留めておかなくてはならないとそのときに思いました。だから、パソコンを取り出してこんな風に書きました。
『これからもっと大きな喪失感がくると言われました。怒りも感じ、気持ちも落ち込むと言われました。
多分そうなんだと思います。
でも、だからこそ、そんな近い未来のわたしに手紙を書きます。
夫がいてくれる。娘がいてくれる。両親もいてくれる。おともだちも側にいてくれる。みんなわたしを心配してくれる。
きっとわたしがひとりぼっちになることなんてない。
だから、強く生きて行かなくちゃ。
娘を守って、夫を支えて、両親に親孝行して、おともだちと笑い合って、楽しい時間をこれからだって過ごしていくんだもの。
息子のキレイな顔を忘れない。産まれてきてくれた瞬間の感触を忘れない。腕に抱いたときの重みを忘れない。
息子がわたしのもとに来てくれた事実を忘れない。
しばらくは泣けちゃう日々が続くと思うけれど、落ち込んだり、悲しかったり、腹がたったりもするんだと思うけれど。
わたし、がんばれ。大切な人たちが側にいてくれることを忘れないで。』
そんな風に書きました。
息子が産まれた日を境にわたしの内面は今までとはまったく違うわたしになったような気がします。

      〜40週3日 子宮内胎児死亡Aへ続く



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