***diary***********

 ものづくり・子育て・遊び・・・
 日々の暮らしの中で感じたこと

2007年 1月
SunMonTueWedThu FriSat
- 1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
- - -

2007. 1. 21. Sun ビーワンサロン体験
2007. 1. 17. Wed 震災から12年。
2007. 1. 10. Wed えべっさん
2007. 1. 07. Sun 雪やこんこ
2007. 1. 04. Thu 身代わりひょうたん
2007. 1. 01. Mon 祝☆2007年


 
 2007. 1. 1. Mon
  祝☆2007年
あれよあれよとあっという間に新年が明けてしまいましたが、 
改めて新年明けましておめでとうございます。 
本年もどうぞ宜しくお願いいたします。 
 
昨日は地元の神社へ最後のお礼参りを終え、今日は生田神社に初詣に行ってきました。初詣はよくこの神社に行くのですが、さすが紀香&陣内が式を挙げるとあってか今年は今までにないくらいの参拝客で、人数制限しながらの参拝となりました。 
 
いいなぁ〜ここで結婚式かぁ。。きっと素適だろうなぁ〜 
 
 
さてさて、毎年恒例のおみくじですが、今年は 
主人→大吉 私→中吉 サラ→小吉 
と、大中小ゴロ良く並びました。 
 
中身もそれぞれにとって不思議といつも当てはまることが書いてあって、 
今年は大事に仲良く3人揃ってお持ち帰りしました。 
 
さぁ、新しい年の始まり。 
今年は時間の早さに飲み込まれてしまわないように、しっかり自己管理しながら 
時間を大切に、自分にもっときびしく1日1日を送っていこうと思います。 
 
行き当たりばったりや、自然の流れでーーってのがどちらかと言えば好きな性分の私には、結構重い課題だったりするのだけど(^^ゞ 
でもコレだけ毎日時間が早く過ぎてしまうと、無駄にしてる時間の多さに嫌でも気づかされるというか・・。 
 
「時間を有効に使う」をモットーにこの1年励んでいこうと思います。 
 
  

|Comments (0) |

 
 2007. 1. 4. Thu
  身代わりひょうたん
今日は宝塚にある清荒神さんに行ってきました。 
 
ここはたくさんの神様がいる神社で厄除けでも有名です。 
敷地も広く、山の方に建ってるので緑もいっぱい。 
ずらっと立ち並ぶ露店にもなかなかの風情を感じるし(特にたこ焼き!だしがすごくおいしい!) 
とにかく行くと「すーーーっ」と気持ちよくなるのです。 
 
主人の母がもうずいぶん何年も前からここに毎年お参りに行っていて、私も初めて連れて行ってもらって以来すっかりここが好きになりました。 
 
ここで毎年必ず買うのが写真の「身代わりひょうたん」。 
干支ごとに分れているんだけど、この形と大きさがなんともいえず可愛くって。 
 
中を覗けば、ちゃんと守り神もいるんですよ。 
 
実はこの身代わりひょうたん、主人のものは必ずと言っていいほど1年の間に途中でなぜかパキンと割れてしまったり、ブチッとちぎれて飛んでいったりするらしくって・・ 
 
とっても不思議だけど、仕事の関係で主人は危険な場面にも遭遇することが多いので、まさしくこのひょうたんが身代わりになって守ってくれていたのだと思わざるをえません。 
恐るべし!身代わりひょうたん。 
ほんと不思議なんですが。。。 
 
 
話は変わって、夜は家で「がばいばあちゃん」のドラマを見ました。 
一番真剣に見ていたのは意外にも娘のサラ。 
 
なんと最後のお別れのシーンでは口がへの字になりながら涙ポロッポロこぼし、ヒックヒックして肩を揺らして号泣してるではありませんか(笑) 
今までにもテレビなどで泣くことはありましたが、ここまで泣いてるのを見たのは初めてで、ドラマもさることながらわが子の成長にとても感動してしまいました。 
五歳ながら、もう十分わかってるんですね。 
 
優しい心が育ってくれてることに感謝です(*^^*) 
 
  

|Comments (0) |

 
 2007. 1. 7. Sun
  雪やこんこ
やぁっとというかーー 
ついに降りましたね!! 
 
寒いのは苦手だけどなぜか「雪」となると別物。 
自分の中の子ども心がムクムクと騒ぎ出すから不思議です。 
 
前回の冬に比べるとぜんぜん積雪量は少ないし、お昼過ぎからはお天気になって残念ながら溶け始めてしまったけど、それでも嬉しーーっ!! 
 
サラと雪玉をぶつけ合ったり、ちっちゃめの雪だるまを作ってみました。(変な顔がポイントです。) 
 
写真はだいぶ溶け始めの頃。 
 
 
 
 
 
  

|Comments (0) |

 
 2007. 1. 10. Wed
  えべっさん
「商売繁盛、笹もってこい!!」 
てなわけで、今日は毎年恒例のえべっさんに行ってきました。 
 
場所はJR兵庫駅南側の「柳原えびす」。 
私がまだ小さかった時から行ってる懐かしの場所です。 
もう長年ずーーっとここばっかり。 
一度くらいは「福男」で有名な本場の「西宮えびす」にも行ってみたいけど、 
なぜかやっぱりこっちばかりに来てしまうの〜(^^ゞ 
高校の時にバイトしてた喫茶店も未だにあるしね、ちゃんとお店が開いてるの見たらホッとするのよね。(当時はまだカフェなんておしゃれなものはなかったんだよなぁー) 
 
しっかし、今日はほんとびっくりするほどの人だった〜〜(@_@;) 
神社の境内に向かうまでの夜店が建ち並ぶ道路も、ずらーーっと道いっぱいに 
人で大賑わい。 
いつもはそこそこしかお客が入ってないようなつぼ焼き屋やたこ焼き屋なんかも 
ぎっしりお客でにぎわってて、まさしく『商売繁盛』してました。 
こんな光景はここ数年珍しいかも・・ 
 
 
もしかして景気がかなり回復してきた証?? 
 
世間ではそうなのかもしれません(^^ゞ  
(うちはまだぜんぜん実感できないけど。笑) 
 
単に人が多いだけでなくって、お賽銭もそこそこすごかったし、商売繁盛のお飾りも大きいやつ買ってる人多かったような(^^) 
 
境内までの順番待ちの間は「うちもあやかりたいわ♪」 
なんて自分ちの景気回復のこと思ってたけど、実際に順番がまわってきたら 
「世界中の子ども達が皆笑って平和に過ごせますように・・」ってお願い事してる自分がいました。 
 
やっぱり平和が一番だなぁ。。 
景気回復しながら、世界の平和も相乗効果でよくなりますように!! 
 
それにはまず、それぞれ自分の心が平和であること。 
そう、きっと心が平和でない時は何も受け取れなくなっちゃうのだと思います。 
受け取れないし、だから自分からも与えられない。 
 
時には乱れてしまっても、長引かずに短い時間で心の平和を取り戻せる自分でいられるように。 
そんな風にちゃんとコントロールのできる人になっていきたい。 
 
YES☆HAPPY!! 
 
  

|Comments (0) |

 
 2007. 1. 17. Wed
  震災から12年。
あの日から12年の月日が経ちました。 
 
あの日・・ 
私は今住んでるところから車で10分くらいの神戸市北区の自宅で被災しました。 
 
結婚3年目。まだ子どももいなく、ちょうど主人は京都の舞鶴の方に出張に出ていて、ひとりでわが家にいる状態での被災でした。 
 
ベッドに寝てると突然、下から突き上げるような激しい縦揺れ。 
何がどうなってるのかわからないまま、まるでトランポリンの上に横たわっているかのごとく何度も何度も激しく体を上下に跳ね上げらました。 
なすすべもなく、ただただ「恐怖」の二文字に激しくおびえる私。 
あまりに恐くて、目を開けることすらできませんでした。 
 
「あぁ・・このまま天井が落ちてきて、私・・もう死んでしまうかもしれない・・」 
 
一瞬ですが「死」を意識しました。 
体を動かそうにも、全く動かすことも出来ず・・・。 
そう、情けない話ですがこの時初めて私は「腰が抜ける」ということを体験したのでした。 
 
どうにか起き上がれたのはだいぶしばらくして、誰かがうちの家ドアを「ドンドンドン!!」と強くたたく音と「だいじょうぶかぁっ!!!」の声に気づいてから。 
 
やっと我に返り、なんとかよろよろ起き上がって玄関の戸を開けると、同じ北区に住む主人の会社の人でした。 
すごく安堵感でいっぱいになりました。 
「ひとり」の無力さと同時に、「人」のありがたさというものを改めてしみじみと感じた一瞬でした。 
 
部屋は・・・いろんなものが倒れ、乱れ、割れ、すごい有様になっていました。 
 
電気もガスも水道も、みんな止まっていました。 
 
 
昼に弟がバイクに乗って、うちに無事を確かめにやって来てくれました。 
うちの実家も何とか大丈夫だったことを知ってひとまず安心しました。 
うちの実家は長年住んでた所を半年前に引っ越したばかりで、震災を逃れたのでした。もし引っ越してなければ・・全壊の区域にありました。 
 
夕方には10時間かけて出張先の舞鶴から、やっとやっと主人が戻ってきてくれました。 
玄関を開け顔を見るなり、 
「生きててよかった・・」とぎゅっと抱き合いました。 
 
そしてすぐ車に乗り込み、未だ連絡のつかない長田区の主人の実家や親戚のうちへと向かいました。 
 
いつもなら30分で行ける場所。 
・・が、長田区に近づくにつれ、信じられないような光景を次々に目の当たりにすることとなります。 
信号機は全て止まり、道路にはあちこちで段差や亀裂が入っていて、すでに道が道でなくなっていました。 
そして・・ぐちゃっと崩れ原型をいっさいとどめていない家が軒並み続いていて、 
赤く燃えていている家が何件も目に入りました。 
 
いつも見慣れてるはずの変わり果てた町の姿にただ呆然とするばかり、完全に言葉を失っていました。 
 
どうにかこうにか、やっとの思いでたどり着いた親戚の家も例外ではなく、 
2階建ての家がべちゃんと押しつぶされていて1階部分が跡形もないような状態になってしまっていました。 
 
・・背中が凍りつきました。 
 
「おばちゃーーん!!!」 
「おっちゃーーん!!!」 
 
主人と必死に呼びかけるものの何の返答もありません。 
何度も何度も呼びつづけました。 
 
やっぱり返答はありません。 
 
「また後で来るから!もしここにおるんやったら、それまで絶対がんばっとってや!!!!!」 
 
そう言いながらも、 
 
「お願い!どうか無事避難してくれてますように・・・」と、祈る思いでその場を去り、今度は主人の実家にと向かいました。 
 
その間もあちこちで赤い炎と煙が渦巻いていて、完全に壊滅している町の中を 
放心状態で通りながら、 
あまりにむごい光景に、とても現実とは受け入れられない、受け入れたくない、 
「こんなん、うそや」って、そんな気持ちでいっぱいでした。 
 
主人の実家にたどり着くと・・全壊はまのがれていたものの、すでにかなり傾いていて、次の余震がくれば今にも倒れそうな、きわどい状態になっていました。 
 
主人が幼い頃からの思い出がいっぱい詰まった家。 
その家を涙いっぱいためながら主人は無言で見上げていました。 
 
 
すでに空はもう真っ暗になってました。 
 
 
主人の両親を探しにすぐ近くの小学校へ行きました。 
 
真っ暗な教室にぎっしり、そして廊下にも人がいっぱい避難していました。 
懐中電灯で照らしながら、各教室を回って・・ 
主人の母が体育館にいるのを発見し、お父さんの無事も確認できました。 
 
 
次の日は主人の実家が度重なる余震で、ついに全壊してしまいました。 
ほとんど何も家から取り出すことはできず・・。 
 
けど何より気がかりなのは、未だ行方不明のままの親戚。 
主人と一緒にいろんな場所をまわりました。 
 
おばちゃんにやっと会えたのは、4日後のことでした。 
 
なんと、おばちゃんは3日間、あのぺちゃんこになった瓦礫の中で生き埋めになっていたのです。 
 
わずかな隙間の中で、偶然にも仏様にお供えしていたりんごを手に、3日間がんばっていたと言うことがわかりました。 
 
震災の当日、崩れた家の前でおばちゃん達のことを呼んでいた私達の声も 
瓦礫の中ではっきり聞こえていたらしいのです。 
 
「無事でよかった。本当によかった・・。」 
主人と3人で抱き合って泣きました。 
 
 
・・が、おじさんは 
残念ながら生きては帰ってきませんでした。 
 
 
遺体を安置しているという公民館の地下に行きました。 
 
階段を下りる足が震え、すくむのがわかりました。 
 
そして下りていった先には・・・おびただしい数の遺体が毛布に包まり 
狭い通路の床の上に、両サイドにずらっと並べられていました。 
 
思わず目をそむけそうになりながら、(いや、そむけたらあかんねんや)って自分で強く言い聞かせ、おじさんの遺体を捜しました。 
 
そして・・パジャマ姿のまま冷たくなったおじさんと対面しました。 
 
ついこないだ、「また遊びに来いよ!」と言ってくれたばかりなのに・・ 
 
こんなことで亡くなってしまう人ではないはずなのに・・ 
 
 
 
 +  +  +  +  +  +  +  +  +  +  +  + 
 
 
あれから12年が経ちました。 
 
震災後はもう怒涛のごとくほんとにいろんなことがありました。 
 
当時勤務していた会社もビルが倒壊し、遠い場所へしばらく移転することとなり通うことは不可能だったのですぐに退職届をだしました。 
何より私には、被災した主人の家族や親戚をわが家にて「受け入れる」立場としての大きな役割がありました。仕事をしてる場合ではありません。 
 
「がんばろう。少しでもみんなの力なれるように・・」 
 
当初は片道2時間かけて親戚の家に皆でお風呂に入りに行ったり、トイレの時はお風呂の溜め水をつかって少しずつ流したり、その他もろもろとにかく資源の大切さを身にしみながら毎日生活していっていました。 
 
辛さ悲しみの中にあっても 
「生きていただけでもほんとよかったね。」と励ましあったり。 
 
非日常が日常で、日常が非日常のような日々を毎日過ごしながら、 
最初はそんな感じで、一緒に暮らす家族が増えて喜びさえ感じていた私でした。 
 
・・が、次第にだんだん思いとは裏腹、少しずつ少しづつ空回りばかりが続くようになってきました。お姑さんともぎくしゃくし始めてきました。 
 
今思えばまったく無理もないのですが、 
あの時はみんながみんな、もうほんとに精神的にも、肉体的にも、限界スレスレのところにいて、気持ちの余裕というものは全くなくなってしまっていたのです。 
 
一瞬で長年住んでいた家をなくした主人の両親。 
あの時間同じ家にいながら、一瞬にして旦那さんを失ってしまったおばさん。 
 
普通にいられるほうが、きっと難しいことでしょう。 
 
暗くトゲトゲとした空気が1日中家の中を包むようになってきました。 
私もだんだん自分の器の小ささ、ジレンマや自己嫌悪というマイナスに陥りはじめ、受け入れる側である私の心も病んでいってしまいました。 
 
自分が今まで好きで一生懸命携わってきた仕事に関しても・・服飾デザインや雑貨関係という仕事に対して、こういう人の命が関わる大切な時に、結局何の役にも立たないという現実を直視して、「私は今まで何をやってきたのだろう・・」って、そのことでも悩み落ち込んだりもしました。 
 
唯一の心の支えであるはず主人も、震災復旧のため早朝から深夜まで働きずくめで、帰ってきてもすでにぐったり疲れきっていて、会話することもほとんどできないような状態が続きました。 
 
みんなと暮らしながら、人に囲まれてはいながら、なんなんだろう、このすれ違い・・。ひとつ屋根の下に暮らしながら、次第に心は孤独でいっぱいになっていきました。 
 
こんな時こそ支え合うのが家族なのでは??・・が、現実はそれぞれのいろんなもやもやした感情が、今にも爆発寸前・・きっとそんな状態だったと思います。 
その時の私には、まだそんなみんなの思いをうまく受け止めたり、包み込んであげれるような優しさや包容力にも欠けていました。 
 
でもあの時、自分の気持ちをごまかさずに、とことん悩んだり、主人やお姑さんともおもいっきりぶつかるところはぶつかって、不器用なやり方しかできなかったけど・・自分なりにいろんなことを乗り越えてきたと思います。 
 
あの期間・・自分のこともいっぱい見つめる機会をもてたし、それまでずっとくすぶっていたものがやっとふっきれたっていうか、あの震災の体験のおかげで何か大事な「原点」のようなものをやっと自分なりに掴んだのだと思います。 
 
あの時よく自分に言い聞かせていたのが、 
 
「自分に乗り越えられない壁は、やってこない。」 
「すべては、自分の魂を成長させてくれる『良き事』だと思え。」 
 
たとえ災難であっても、必ず「その人の器の大きさに応じて」災難はやってくるのだと。 
そして一見災難であったとしても、乗り越えた先には必ず大きな『宝物』を発見するのだと。 
 
大きな災難に見舞われた人ほど、自分の器が大きい証拠。 
そして必ずそれを乗り越えられる力があるという証拠。 
乗り越えた先にはより大きな自分、成長した自分に会えるということ。 
だから強く強く自分を信じてーーー 
 
私よりはるかにもっともっと辛い体験をされた人にはそんな言葉をかけたり、心の中でエールを送っていました。 
 
 
そして、 
 
「何があっても後悔しないように、『今』を生きよう。 
自分がやりたいと思ったことは、ちゃんとやっていこう。」 
 
これは本当に強く強く心にとめました。 
 
 
それまでの私は、どちらかというと「今」よりも「もっと先の将来」に焦点を置くタイプだったかもしれません。 
そして「苦労や忍耐は美徳」みたいに思っていたところもあります。 
 
でも『今』の積み重ねが『未来』をつくっていくのですよね。 
 
なら今をもっと楽しもう。 
自分が「これは!」と感じたら躊躇せず、直感に正直になって、やりたいことはどんどんやっていこうーーーー。 
どうせ同じ生きていくのなら、「喜びや楽しみの心」を中心に持って、自分の未来を作っていこう。そして引き寄せていこう。 
 
 
このことは今となっては私の中で「ベース」となってる考え方ですが、 
振り返ればあの震災があったおかげで、その時にいろんな体験をさせてもらったからこそ、自分なりに掴んだ大切な教訓なような気がします。 
自分がこれからの人生生きていく上での大きな軸になったことは確かな事実です。 
 
 
 
神戸・・「神(かみ)の戸」と書きますよね。 
震災でよくこの「神の戸が開いた」といわれますが、 
ひとりひとりの心の中にある 
「神の戸」を、「震災」によってきっと開けてもらえたのでしょうね。 
 
ありがたいことです。 
 
まだまだ震災後12年経ったとはいえ、きびしい現状も、そして癒えない傷もあると思います。 
 
でも全ては自分がどう思い、何を気づき、そしてどう行動していくかで思いも現実もよき方向にと変わっていく事ができるはずだと思います。 
 
たとえ過去の現実は変えられなくとも、唯一自分自身は変わってゆけるのです。 
 
「災い転じて福となる」 
 
今、地球上で起こっているいろんな災いが転じて福となり、 
どうか平和で愛いっぱいの地球に生まれ変わることができますように・・・。 
 
合掌。 
 
HOME 
  

|Comments (0) |

 
 2007. 1. 21. Sun
  ビーワンサロン体験
ところで皆さん、「ビーワン」ってご存知ですか? 
 
「環境に優しい商品」というのはすでに市場にもたくさん出回ってますが、 
このビーワンというのは、「環境に優しい」のは当然のことながら 
環境を「蘇生してくれる」というすごいシステムや商品のことなんです。 
 
それを今、環境破壊の激しい業界=「美容理容業界」の人たちが立ち上がって、 
懸命に活動を進められています。 
 
美容院といえば、女性がきれいになれる所・・のはずですよね。 
 
けどちょっと待ってください。 
きれいになるつもりで美容院に行って、みんながパーマやカラーをすればするほど、パーマ液やカラーリング剤は、たくさんそのまま排水溝へ直結、垂れ流し状態となってるのが現状なのです。 
 
実験によるとなんとパーマ液は除草剤よりもキツイらしいとの事(怖)。 
 
そんなものが毎日どんどん当たり前に排水溝に流されていってるとなると・・・ 
これではいくら他で環境のことを実践していても、本末転倒ですよね。 
 
パーマやカラーをしてきれいになったつもりでも、実は環境をとめどなく汚してしまってた・・そういうことだったのです。 
 
そういう私も、ビーワンに出会うまでは「パーマもカラーも体にも環境にも悪そう」ってわかっていながら、でも今のところ仕方がないし・・と具体的に何かいい方法に出会うこともなくあきらめていました。 
 
が、おととしの春、てんつくマンのイベントで小豆島に行った時に出会った人に、この「ビーワン」の存在をはじめて教えてもらったのです。 
 
カットだけならいつもの美容院でやってもらってたのですが 
少し色を変えたくなったので、去年初めてビーワンサロンで「カラーリング」を初体験しました。 
そして今回は初めて「ビーワンパーマ」にもチャレンジしてみました。 
 
普通の美容院と違うのは、まず「プレ処理」といって、先ほどのビーワンという環境蘇生水をまずパタパタと頭皮全体に丁寧にたたきこみ、とにかくそのお水を頭皮からたっぷりとたくさん吸わせるのです。 
するとそのままダイレクトに体の中に良いお水が吸収、循環することになります。 
 
ほんとにていねいにパタパタパタパタ・・・ 
 
この時はパタパタしてもらいながら目を閉じてリラックスするのが一番いいそうで、 
「寝てしまうくらいでいいんですよ。」 
 
と言われ、今回は1時間ほどウトウト眠っていました(笑) 
 
去年初めて行ったときは、何をするんだろーって興味深々で、あまりウトウトはできなかったんですけどね。 
 
けど美容師さんいはく、そのリラックス感がとても大事なんだそうです。 
 
で、ていねいにプレ処理してもらってからが驚きなんですが、 
普通の美容院って、パーマもカラーの時も 
美容師さんは手が荒れないようにゴム手袋をしっかりはめていますよね。 
 
手が荒れないようにって事はもちろん液がキツイということの裏返しなんですが、 
でもこのビーワンサロンでは美容師さんは素手のまま。 
 
これってすごくないですか?? 
 
だって素手で液をさわっても大丈夫ってことなんですから。 
細かい説明や理屈なんてものは、「これを見ればもう必要ないやん」と 
一目瞭然、そう思った瞬間でした。 
 
そしてもうひとつ驚きが・・ 
 
普通はパーマ液もカラーリング剤も、目に染みますよね。 
臭いもきつくて鼻をつくし、 
「あっ、体に悪いことしてる」と思える瞬間でもあります。 
 
が!!不思議なことにビーワンサロンでは液が目に染みたり、あの独特の刺激臭が鼻をついたりということがないのです。 
若干の臭いはほんのり残ってはいるのですが、でも「うっ」と顔をしかめるようなことは一切ありませんでした。 
 
 
不思議ですよね。 
 
 
これで最後に実際の出来上がりはどうかって事なんですが、 
ちゃんとカラーもパーマも問題なく仕上がってるんです(^○^) 
 
で、驚くことにカラーをすればするほど、パーマをすればするほど 
髪も頭皮もきれいになっていくそうなんです。 
 
そして、排水溝から流れ出たビーワン入りのパーマ液やカラー液が、 
今度は環境を蘇生してくれるというのです。 
 
これはほんと、一石二鳥以上のものですよね。 
 
余談ですが、私が紹介してもらって行った神戸市西区の「スタジオ803」というサロンでは、奥さんの手アレがビーワンに変えてから直ったらしいのです。(こちらのお店はご夫婦ふたりで仲良くお仕事されています。) 
 
ビーワンって「環境蘇生」が大きなテーマなのらしいですが・・使ってるうちに 
まず自分の体内から蘇生していくんですよね。自分が蘇生しながら、同時に環境も蘇生していく。すばらしい原理だと思います。 
 
そして、このビーワンってお水は誰でも買うことができて、私もサロンで買ってみました。 
 
これを市販の化学物質の入ってるシャンプーやリンスに1対1の同量の割合で混ぜると「ビーワンシャンプー」の出来上がり! 
 
化学物質が悪さをすることなく、たちまち髪にも環境にも良い「蘇生シャンプー」ができあがるから驚きです。すごいでしょ!? 
なので私ももちろんずっと使っています。 
 
女性の場合は、頭皮から入ったものが直接「子宮」に届いてしまうから 
シャンプーやリンスだけは本当、慎重に選んで使わないと危険です。 
 
 
余談ですが、じゃあそんなに良いお水なんだったらと、 
実はお仕事でのお名前Tシャツにも混ぜて使ってるんですよ。 
いろんな意味を込めてね。 
 
Tシャツのお名前の部分って、ちょうど胸のまん中に名前がくるようになっているのだけど、ちょうど「心」の位置だから、まず「心」って環境の根っこって事で、 
「その心がいつも澄んできれいでありますように・・」 
ってな感じの思いを込めて混ぜています。 
 
もちろんちびっこちゃんたちの場合は皆まだピカピカのピュアな心の持ち主だから、 
「これからもずっときれいな心のままで、大人たちに気づきをもたらしてね♪」 
なんて願いながら描いています(*^○^*) 
 
そういうわけで、長くなってしまいましたが 
あなたの町のビーワンサロン、一度ぜひ体験してみてくださいね。 
 
使命感に満ちてる美容師さんの集まりだけあって、みんな熱い人が多いと思います。 
ちなみにてんつくマンも通ってるそうです。 
 
思った以上にお店も増えてて、今全国で770店舗くらいあるそうですのでぜひ 
最寄のお店をチェックしてみてくださいね。 
 
ビーワンサロン全国一覧→http://www.bsc-web.net/shop/dealerlist05.html 
(※ページに飛んだら、都道府県を入力してくださいね。) 
 
HOME  

|Comments (0) |




| 携帯用 | | RSS | | 検索 | | Home |


++ Powered By 21style ++