このページは
流産・死産経験者で作るポコズママの会
が運営するページです。HPでは流産・死産経験者同士の交流ページや心のケアに関する情報が掲載されていますので、是非ご覧ください。
HP(
http://pocosmama.jp
)
こちらのページは、みなさんの流産・死産体験記を「投稿」・「閲覧」できるページです。
<体験談の投稿について>
■ご自分の体験を掲載したい時は「新規投稿」からお入り下さい。
■「タイトル」は流産・死産の週数や原因などを分かる範囲でご記入下さい。
■書き込める文字数は3000字までです。ご注意下さい。
■投稿いただいた内容は、ポコズママの会で内容を拝見した後、公開しております。掲載まで1〜3週間程度かかることもございます。
■多くの天使ママさんが読まれる体験記ですので、病院名などを記載された体験談や天使ママを不安や不快にさせる内容につきましては、該当部分を削除、または掲載をお断りする場合がございます。
■投稿いただいた体験談の著作権は投稿ご本人様にございますが、当会の活動や取材、研究などに使用させていただく場合がございますのでご了承ください。
<体験談の閲覧>
■体験談の表示には「一覧表示」「ツリー表示」「トピック表示」がございます。使いやすい表示でご利用下さい。
■個々の体験談へは返信ができません。
■表示された体験以外のものを読みたい場合は、ページの最下部に「NEXT」をご利用下さい。現在300以上の体験談が投稿されています。
■妊娠週数や原因などキーワードで読みたい体験談を検索することもできます。ご希望の方は「検索/過去ログ」をクリック下さい。
■投稿者がメールアドレスを公開している場合を除き、当会から投稿者の連絡先を教えることはできません。
<<
新規投稿
トピック表示
ツリー表示
携帯用
検索/過去ログ
ホーム
21年前の死産
3度の死産
2度目の流産
8週 胞状奇胎による流 ....
顕微授精27週での死 ....
繋留流産 9週
36週5日 心拍停止
不妊治療後、妊娠8カ月 ....
2度の流産
2回目の流産 10週 ....
Name:
akiki
..ocn.ne.jp
Date: 2018/04/08(日) 14:05
返信
引用
編集
Title: 21年前の死産
もう21年も前のことになりました。
だけど、昨日のことのようです。
あの瞬間のことが、今でも時折、フラッシュバックします。
初めての妊娠、出産でした。
予定日を1週間近く過ぎて、おしるしが来て入院。
普通分娩で陣痛が10秒刻みのところまで来てたのに、「赤ちゃんの心拍が弱い」とのことで、緊急帝王切開となり、
しかも、夜中のことで、夫も、誰も居ないところで、何が何だか・・・。
下半身の麻酔も効くか効かないかの段階で手術が始まり、切られる痛さと、心の不安とで戦っていました。
確かにお腹から赤ちゃんが取り上げられた感触があったのに、何か違う。
先生、看護師さん方のあたふたした緊張感、そして何よりも産声が聞こえない。
目が覚めると、真っ暗の病室に夫が隣に座ってました。
「赤ちゃんは?」と、夫に聞くと、「未だ、必死に頑張ってるから!」と。
私自身も血圧が急低下して、治療を受けていたようです。
それから数分もせずに、夫が先生に呼ばれました。
暫くして戻ってきました。
「だめだった‥」と。
真夜中の静まり返った病室で、声を殺して泣きました。
直ぐに葬儀屋が引き取りに来るのでどうするかと言われ、引き取られる前に一目でも会いたい、抱きたい!と病室に連れて来て貰いました。
私の身体が憔悴しきっていて抱くことが出来ず、隣に寝かせて、無理を言って夫に写真を撮って貰いました。
「肺形成不全」だと言われました。
「どうしよう。夫の母や姉に何て言われるだろう」
恥ずかしながら、1番目に思ったことはそれでした。
夫は田舎で名の通っている商売をしていて、赤ちゃんが出来る前もお腹に出来た時も、跡取りの長男を!と言われ続けていました。
第2の戦いが始まりました。
出産したのに赤ちゃんはこの手にはいない。
帝王切開の為、入院期間が長い。
そして私自身の体調が悪く、2週間の入院生活。地獄でした。
隔離されたように、病室は薄暗い1番端っこの個室。
それでもお構いなく、私の前後に出産した赤ちゃん達の泣き声が昼夜関係なく私を襲う。
そして、飲ませてあげる赤ちゃんはいないのに、搾乳をしなければならない悔しさ。
その後、母乳を止める薬を飲まされ、あんなに大きかったお腹はペチャンコなのに、その証がいない。
そして帝王切開の痛みや目眩、吐き気と戦いました。
産後健診の診察の時、出産したママ達と一緒に待合室で待たされ、そのママ達の手にはみんな可愛い赤ちゃんが。
惨めでした。針の筵でした。
帰りは、看護師さんに頼んで、他のママ達とは会わない非常階段からひっそり帰りました。
涙が止まりませんでした。
退院も1人。
日曜でも有り、先生や看護師さん方の見送りも無く、最後までひっそりと何か悪いことでも私がしたかのように息を潜めていた入院でした。
その後、自律神経失調症になり、鬱になり、また戦いました。
夫も私に何と声を掛けていいのかどう接すればいいのか分からなかったようで、毎日、毎晩、外に飲みにでかけ、家に居ませんでした。
ずっと私は1人でした。1人泣いて過ごしました。
夫の家が田舎の老舗でもあるので、それはそれは大変でした。
世間体で離婚も出来ず。
次の歳に、次男を妊娠し、出産しました。その子が20歳を迎えます。
今の時代のように、話したくても話せる場所がなく、溜めて溜めて、1人で我慢して来たことも有ってか、引き摺ったままです。
この見えない十字架を、きっと一生1人で背負ったままだと思います。
もうすぐ、その亡き長男の21歳の誕生日です。
Name:
ぶるう
..home.ne.jp
Date: 2018/04/03(火) 17:16
返信
引用
編集
Title: 3度の死産
長男を出産後、3人の息子、娘を死産しました。
次男・三男は、安定期に入ってからの原因不明の死産。
娘は、33週で臍帯真結節でお空に返してしまいました。
私は妊娠したらいけないんだ。
私のお腹にくるとみんな亡くなってしまう。
本当に毎日泣いてばかりです。
なぜうちの子はかり3人もお空に返さなくてはいけなかったのか。私が何かいけないことをしたからみんなお空に返ってしまったのか。
娘の妊娠期間は、とても順調だったので、産まれてきてくれるものだとばかり思っていました。
先生には「今回のことは、本当に偶然起こってしまったことで、誰も悪くないし、赤ちゃんが元気すぎたんですよ」と言われました。
そんなふうに言われても、女の子だったし、旦那もすごく楽しみにしていたのに。
緊急帝王切開で、1746gの、息子にそっくりなかわいい娘を出産しました。
娘は見るのもかわいそうな姿をしていました。
涙が止まらなかったです。
私も旦那も立ち直れるのか不安です。
ただ長男がいるので、多少ですが、気は紛れています。
Name:
クリス
..ocn.ne.jp
Date: 2018/03/16(金) 14:33
返信
引用
編集
Title: 2度目の流産
初めの流産は、稽留流産。
手術で休みを取る為、社長にだけ話した。
2度目の妊娠は、ある程度安定してからと思い、職場の誰にも言っていなかった。
その中での出張。
不安に思いながらも、東京へ行った。
途中、出血があり、お腹が張り始めた。
それでも仕事を終え、帰りの新幹線に乗り、これで一安心と思った瞬間、ドバッと水と血の混ざった物が大量に床に落ちた。
急いで新幹線のトイレに入ると、ゴポゴポと大量の出血。
直ぐに病院に電話するも、「残念ですが、もうどうする事も出来ないので、明日病院に来てください」と。
正直、今、この状況が酷すぎて、助けを求めたいのに、酷い対応だった。
夫に連絡したら「今すぐ緊急ボタン押して、助けを求めて、新幹線から降りて病院いけ!」と。
ゴポゴポ、ゴポゴポ。
もう流れているのは明らかで、この状況から動く事も出来なくて。けど、このままではいけないと思って、緊急ボタンを初めて押した。
駅員さんに、医務室的な所に連れて行ってもらって、トイレとベットを往復した。
赤ちゃんどこ?と探しても分からない。
大切な命なのにトイレに流れいく。捨てているみたいで、辛い。
こんな形でなく、赤ちゃんを探して取り上げて欲しかった。
自分の中が空っぽになっていく。
最寄り駅に到着して、車椅子で移動した。
母と妹が駅まで迎えに来てくれた。
母の顔を見てホッとしたのか、涙が止まらなかった。
車の中で母は、「子供が出来ない事でなく、あなたが辛い思いをするのが一番辛い」と涙を流し、
自分の所には赤ちゃんが来てくれないのかもと泣く私に、妹は、「姉の為に私が産むから。養子にもらって」と。
妹の思いに、涙が止まらなかった。
お腹の中に宿った命を失うという事は、本当に辛い。
家族を悲しませる事も、本当に辛い。
私のせいで、みんなごめんなさい、何度も心の中で謝った。
家に着いて、旦那が泣く事は無かったけど、寂しそうな表情だった。
元々感情的にならない人だから、特に何か言ってくれたとか、そうという事は無かったけど、私が不安と悲しみで、そばにいたり、甘えたい時はふんわり受け入れてくれる感じだった。
次の日は病院へ行った。赤ちゃんは、やっぱりいなかった。
ただ、流れきれていない赤ちゃんを守るものが少し残っていると。来週、それが流れきっていなければ、手術をして取り出すとのこと。
仕事も明日からでも大丈夫と。
赤ちゃんが流れてしまっているので、流産の原因はわからないけど、不育症の可能性があるから、検査をした方がよいとの事だった。
けれど、私は自分が出張へ行ったせいだと思った。
もし妊娠した事を報告をしていれば出張へ行かなくてよかった。
流産する事も無かったかもしれない。
まわりへの配慮と思っていたけど、何より大切なのは、赤ちゃんだったのに。後悔してもしきれない。
その後、出張の仕事の続きを始めた。
何事も無かったように2店舗の店長と連絡をとりながら、自店を含め、3店舗分の仕事をした。
涙を流しながら家で仕事をした。
次の日も、出血はずっと続いていて、腹痛が酷く、仕事が出来る状態ではなかった。
腰を90度曲げていないと、立つことすらできないくらい痛い。
職場には、風邪をひいて、腹痛が酷くて仕事に出られない。という理由で、2日間の休みをとった。
流産して4日目、仕事に復帰した。
職場には何も言わず、何事も無かった事のように。
だけど、出血は1週間続いた。
2度の生理がきたら、また妊活してもいいらしい。
そして、不育症の検査の為、病院の紹介状をもらった。
不育症だったらどうしよう。この先、どうなるのだろか。
夫と二人で、義父と義母に会う約束をした。
私の嫁ぎ先は、寺。
義父が住職、夫は長男で次期住職で、現在は公務員と寺の仕事のかけもち。
姉二人も寺に嫁いでる。
私は、ずっと自分は寺の嫁として、ふさわしくないと思っていた。だからこそ、自分の仕事をがんばって、上の役職へ昇進する事で認めてもらいたいと思っていた部分もあった。
御門徒さんが沢山いる以上、公務員のような堅い仕事なら誰からも認められるからだ。
それでも、義父と義母は、温かく私を迎え入れてくれた。
義父はいつも笑顔で優しく温かい。
義母は、いつも私を気づかってくれて本当に優しい。
ただ、寺の嫁として嫁いだ以上、私は子供を産まなくてはならない。それも、出来れば男の子。
誰から何を言われたわけではないけど、わかっている。
だけど、こんな事になってしまって、合わせる顔が無かった。
私は寺の嫁として、ふさわしくないかもしれない。
申し訳なくて、会うのが怖かった。
義父と義母は、いつもと変わらず、温かく迎えててくれた。
そして、なかなか言い出せない私を気づかって、夫が話し始めた。
しかし、義父と義母が話してくれた内容は意外だった。
まず、義姉のこと。
義姉は2人出産しているが、結婚してなかなか子供が出来ず、流産も4度経験したこと。
その中には、安定期もすぎてだいぶ経った後に流産して、産むときも大変だったこと。
義母自身も、出産が難しいと言われながらも、色々な病院をまわり、子宮を半分とる手術を受けて出産した経験があること。
大変な思いをしている人は、私だけではない。諦めなければ、希望があるということ。
ここに来て、辛い思いをすると思っていたけど、逆だった。
私の為に辛いことを話してくれて、温かい言葉を沢山頂いた。
私は寺の嫁にふさわしくないとか、御門さんの期待に応えれないかもなど、寺の事ばかり気にしていたのに、義父と義母が心配しているのは、私の体の事だけだった。
私はバカだ。本当に自分は恵まれている。
義父と義母のもとに嫁ぐ事が出来て、本当に幸せものだ。
いつか、必ず恩返ししたい。
今度こそ元気な子供を産んで、喜んでもらいたい。そう心から願った。
Name:
-
..sannet.ne.jp
Date: 2018/03/09(金) 02:04
返信
引用
編集
Title: 8週 胞状奇胎による流産
待望の2人目妊娠が妊娠検査薬で判明。
不妊治療でタイミング法を指導され、がんばって3周期目での妊娠。
驚きと感動を覚え毎日がわくわくでした。
5週目で胎嚢が見えたので、次は心拍確認だね、名前どうしよう?気が早いね、などと夫と話していたところでした。
ある土曜日の朝、粘りのある茶色い出血がありました。
病院へ電話すると、すぐ来て、と、緊急で受診。
胎嚢がいびつで、育たないかもしれない。
そう言われたときは本当にショックと不安でした。
初期の流産は仕方のないこと、という知識はありましたが、とにかく安静を心がけました。
安静にしているうちも、不安ばかりでした。
次に受診すると、心拍がなく、胎嚢がますますいびつに。
異常妊娠かもしれないと言われました。
胞状奇胎の可能性があると。
まだ信じられず、つわりもないので(胞状奇胎はつわりが重いとネットで見ていた)夫も信じられない様子でした。
胞状奇胎の疑いということでクリニックから大きな病院へ紹介されました。
私はショックで意識を失いかけました。
やはり心拍なく、ホルモン値が高いため、2度の手術。
本当に本当につらかった。
経過観察の採血。
1年間は妊娠禁止。
命があること、当たり前のことじゃないんだ。奇跡的なことなんだ。
生きよう、と思えました。
ただ、周りで複数の子連れや赤ちゃんを見ると涙が出ます。
見たくない、消えろ!とも思います。
いつまでこの荒れた気持ちが続くのか。
また次の妊娠が怖くて。
タイミング法をがんばってましたが、
無理な妊娠はしないほうがいいのかなと思えてきました。
Name:
はるママ
..ocn.ne.jp
Date: 2018/02/21(水) 13:35
返信
引用
編集
Title: 顕微授精27週での死産
40歳で結婚し、不妊治療を始めました。
6回の人工授精でも効果なく、体外受精へ移行を考えていた矢先、41歳の時に自然妊娠。
しかし、6週で心拍を確認することなく流産。
そして体外受精を開始し、42歳、顕微授精で妊娠しましたが、胎嚢のまま赤ちゃんにならず2度目の流産。
43歳となり、凍結受精卵の最後の一つにかけて胚盤胞を戻し、妊娠。
今回は安定期まで来たと安心していた7か月に入ったある日、
いつもの胎動が少なく弱い。
数日前にエコーしたときは問題なかったけど、ゆすっても起きなかったので また寝てるのかな、と思っていました。
でも、やっぱりいつもと違う。
休み明け受診すると、すでに赤ちゃんは亡くなって少し時間がたっていたのです。
早く受診しなかった自分に後悔と赤ちゃんへの申し訳なさで涙が止まりませんでした。
少し具合が悪いのかもしれないと思っていたけど、まさか亡くなっているなんて。
これまでの治療で採卵が難しかったので、赤ちゃんに兄弟は産んであげられないだろうと思っていました。
きっと最初で最後の赤ちゃんだから、大事に大事にって思っていたのに。
悲しくて悲しくて、今はどうしていいのかがわからないくらいです。
ひとまわり近く若い夫は優しく支えてくれますが、子どもが大好きで、亡くなった赤ちゃんを抱いてかわいいかわいいと何度もつぶやいていました。
かわいそうで解剖など詳しい検査はしませんでした。
染色体検査もしませんでした。
臍帯が長めで首にかかっていたけれど、締まってはいなかった。
臍帯が捻じれて細くなっていた部分があったがけど、血流が途切れるまではいなかった。それだけがわかりました。
まだ、赤ちゃんがなくなって1週間しかたっていないので ただただ泣くばかりの毎日です。
これから夫のためにも前をむかなくてはとは思っていますが、まだ時間がかかりそうです。
Name:
ヤマト
..au-net.ne.jp
Date: 2018/02/11(日) 16:54
返信
引用
編集
Title: 繋留流産 9週
昨年、両側卵巣腫瘍で片方摘出し、もう子供は望めないのかなぁと諦めていた矢先に第二子を授かりました。
第一子から4年。待望の第二子でした。
一度は諦めていたママになれる喜びでいっぱいでした。
9週目の診察で、心拍がないことが分かりました。
8週目まで成長はしていた。愛しい愛しい子。
頑張ったね。ママのとこに来てくれてありがとう。
お姉ちゃんに会わせられなくて、ごめんね。
忘れないからね。お空で見守ってね。
Name:
はな0730
..ocn.ne.jp
Date: 2018/02/07(水) 15:49
返信
引用
編集
Title: 36週5日 心拍停止
初めての妊娠でした。妊娠中は産休に入るまで仕事をしていたので、体調が悪くても、自分とお腹の赤ちゃんに頑張れと言い聞かせていました。
今思うと、だいぶ無理をしていたかもしれません。
ちょうど、友達も出産する子が多く、次は自分の番だと当たり前のように思っていました。
お腹の赤ちゃんを労わることもなく、妊娠した奇跡に感謝することもありませんでした。
検診日の5日前、胎動を感じないことに気がつきました。
臨月に入ると胎動が減ると聞いたので判断が難しく、不安なまま1日様子をみていました。
次の日の朝一番に病院に電話をして、受診しました。
エコーで確認をするまで、私も電話対応した助産師さんも先生も胎動を感じないのは気のせいだくらいの雰囲気でした。
エコーを見た先生の表情を見て、気がつくと、私の目から涙がこぼれていました。
他の先生や助産師さんがバタバタと出入りした後、心拍が確認できないと先生から説明されました。
そのまま大きい病院に移動して、すぐに入院になりました。
信じられない事態に気持ちがついていけず、すぐに旦那や両親に連絡することができませんでいた。
しばらくしてかけつけてくれた旦那の顔を見たら、ああ現実なんだと実感し、ただただ「ごめんね」と泣きました。
旦那も黙って泣いていました。
それから陣痛促進剤で3日間。
初めての我が子に会う瞬間まで、どこかで赤ちゃんは生きているという期待が捨てられませんでした。
確かに赤ちゃんは私のお腹の中で元気に動いていました。
Name:
さくらくんママ
..rev.vmobile.jp
Date: 2018/02/07(水) 12:55
返信
引用
編集
Title: 不妊治療後、妊娠8カ月、30週、臍帯ヘルニア
晩婚のせいもあり、不妊傾向で、1年間に採卵4回しても妊娠できず、
仕事を辞めて転院して、不妊治療2年でやっと授かったさくらくんを子宮内胎児死亡で亡くしました。
妊娠25週から切迫早産で入院していたが、羊水少し多め、胎児少し小さめも原因がわからず、お腹のなかで亡くなる前日に初めて臍帯ヘルニアが判明した。
朝、看護師さんの心音確認でいつも元気に聞かせてくれたさくらくんの心音がなくなった日のことを思い出すのは怖く、今でも泣いてしまいます。
病気があるのをわからなかったから、毎日さくらくんに大きくなあれと話してごめんね。
不妊治療で、高齢で、やっと授かった赤ちゃんに病気があり、生きて生まれてこれないなんてと、本当にこれからどう生きていったらいいかわからなくなりました。
さくらくんは、いつもママ思いで、仕事中は出血がなかったし、出血があったときはパパがいるとき、お腹の病気もママが心配するからずっと隠して、ただ、さよならの前日にはママに覚悟を促し、亡くなった日はパパがお休みで、出かける前でしたね。
ママにしてくれてありがとう。
ママを守ってくれてありがとう。
まだ死産から2ヶ月弱、生理がまだなくて、楽しみがもてない、
さくらくんのもとにいきたいと思ったことも何度かあるけど
このポコズママの会とパパにだいぶ救われてます。
死産からしばらくは情緒不安定になり、楽しみがなく、
やる気がなく、いきてるのをやめたくなったり、
毎日泣いたりするのは当たり前の変化感情だとわかったからです。
それだけで何度も救われてます。
まだまだ1日1回は泣きますし、泣くとすっきりします。
さくらくんのママは私しかいないと思うと、
さくらくんにずっと好きでいてもらえるようにしたいです。
さくらくんとたまごちゃんを迎えにいけるように頑張りたいです。
経験した人しかわからない、本当に辛い経験をしたポコズママの皆様の願いが叶い、穏やかに幸せになりますように。
目には見えないが、ポコズママが全国各地で毎日耐えて頑張ってるのは励みになります。
死産に負けずにもっと幸せになりましょう。
私達は天使くん、ちゃんに見守られてるから最強なのです。
Name:
mie
..mesh.ad.jp
Date: 2018/02/05(月) 03:59
返信
引用
編集
Title: 2度の流産
2013年3月の朝、大量の出血。
初めは生理?と思ったら、血が止まらないので、病院へ。
医師より流産だと診断されました。
その日を境に、鬱が発生しました。
旦那を始め、周囲からは、私が悪いと責められました。
兆候はあったかもしれないが、旦那の入院の付き添い等で片道2時間掛けて1ヶ月間毎日通っていて、ホッとした矢先の出来事だったので、ショックが大きかった。
それから、月日が経ち、去年の秋頃、妹の妊娠が判明。
笑顔で祝福できない自分がいました。
そして先月、2度目の流産が判明しました。
今回に関しては、職場の上司以外話していません。
先輩からは、子どもがいない家庭はダメな人間だって遠回しに言われてしまいました。
この5年間、誰にも話せずにいる自分が悪い、自分の不注意などマイナス思考に考えてしまいます。
Name:
となり
..bbtec.net
Date: 2018/02/03(土) 18:00
返信
引用
編集
Title: 2回目の流産 10週 稽留流産
前回は7週で稽留流産。悲しかったけど、偶発的とのことでサプリを飲んだり 体を暖めるなど生活改善をして次の妊娠に臨んだ。
妊娠5週で胎嚢確認。妊娠7週で心拍確認。
前回の事があるから流産しないか不安で不安でたまらなかった。
6週目から出血が見られ 絨毛膜下血腫の診断でさらに不安が強くなった。それでも旦那に家事や子供のお世話をお願いしてひたすら安静。
個人病院から産科のある大病院へ紹介され初診時もとても緊張しましたが 赤ちゃんは元気だと言われホッとした。
出血は続いたけど、赤ちゃんは元気に育ってると思うと不安も和らいだ。
そして10週目の検診時、エコーを当てている先生が無言。
「ほかの先生連れてきて」と、声が聞こえる。
その瞬間、心臓動いてないんだなぁと流産を確信。
直後は呆然として泣くこともなく、淡々と医師の話を聞くことが出来た。
自然排出でも手術でも良いと言われ帰宅。
今、稽留流産が確定して1週間が過ぎた。
自然排出か手術か決めかねている。
ただ、ふとした時に涙が出る。
旦那にもキツイ言い方になるし 娘の世話も気後れする。
流産確定後も悪阻が続いてて、何もかも嫌になっている。
そんな自分が申し訳ない。
NEXT
>>
[
1
,
2
,
3
,
4
,
5
,
6
,
7
,
8
,
9
,
10
,
11
,
12
,
13
,
14
,
15
,
16
,
17
,
18
,
19
,
20
,
21
,
22
,
23
,
24
,
25
,
26
,
27
,
...
]
削除・編集
管理者画面
RSS
+ Powered By
21style
+