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   40週死産   
   骨形成不全U型 19週 ....   
   20週 臍帯異常により ....   
   予定日前日 死産   
   一卵性の双子 21週5日 ....   
   3度連続の流産   
   40週0日死産 1 ....   
   15週2日での流産   
   3度目の流産 9週 稽 ....   
   7か月 死産   

Name: 仁八ママ    ..au-net.ne.jp
Date: 2017/08/27(日) 07:53
  返信  引用  編集 
Title: 40週死産    
2017年8月3日に、可愛い可愛い男の子を出産しました。
第一子でした。

8月1日の定期検診で、心拍がないことを伝えられました。
妊娠生活はつわりもなく、やりたいことができて、お腹にいる時から親孝行な子どもだと幸せでいっぱいでした。
検診も毎回、異常なし。
先生のことばを信じ、過信していました。

死産を告げられる3日前が出産予定日。
お腹になんとなく張りがあり、1時間くらい横になっていた。
ネット検索してみたり、病院でもらった本を見て、病院に連絡するか迷ったが、痛みや出血がないし、予定日だし、こんなものかとやり過ごした。
胎動も普段から毎日はチェックしておらず、動きがあった時にはこちらも反応してはいたが、ない時は今日は動きたくないんだな、そんな日もあるなと呑気だった。

取り返しのつかないことをしてしまいました。
あの時、病院に相談の電話をしていたら、すぐに取り出して今頃元気だったはずだ・・・と、後悔しても、もう息子が還ってこないことはわかっているのですが、悔やんでも悔やみきれません。

命には宿命がある、確かにそうも思います。
なにも身に覚えがなければ、それを受け入れられますが、あの時、気付いていたのに気づかないふりをしていた自分がいるので、なかなか腑に落ちません。

一生、この気持ちを背負っていくのは仕方がないとは思っていますが、どう処理していたのかわからず、思わずこちらで気持ちを吐かせていただきました。





Name: よしこ    ..ztv.ne.jp
Date: 2017/07/28(金) 23:18
  返信  引用  編集 
Title: 骨形成不全U型 19週で心停止    
14週で頸部浮腫が2ミリ。
正常値だけど、一応経過観察と言われる。
羊水検査はしないと意思表示。
産まれてきた子をそのまま愛したいと思っていた。

16週で、頸部浮腫はなくなったけど、頭が・・と言葉を濁される。
紹介状を書いてもらっても、羊水検査はしませんと言うと、じゃあまた2週後にと言われる。
私は、このお医者さんは何を言ってるんだと、少し怒ってた。
我が子は元気に産まれてくると疑ってなかった。

18週。
水頭症で、ここでは産めないから大きい病院へ行ってと言われた。脳を圧迫しているので、障害もあるだろう。
ネットでどれだけ調べても、この週数ならまず障害がないことはあり得ない。

その晩、夫婦で話し合い、先に天国で待っててもらうことにした。
どんな子でも愛するって、私、思ってたのに。
自分でも驚いた。
でも、家でご飯が食べられない、医療がないと生きられないのは、生きてるって言うのかなって思ってしまった。
介護や仕事や他の家族のことも、色々考えてしまった。
でも、正直、泣き過ぎてよく分からなかった。

次の日は友人の結婚式。涙をこらえて出席。
友達の妊娠報告あり。
私と同じ思いをしたらいいのにと思った。
上手に息ができなかった。

次の日に大学病院受診。
その時には四肢短縮症と診断。
重症なので、産まれても息ができないから生きられない。
治療はないと言われた。
今後、羊水過多になるため中絶を勧められる。
悩まなくていいことにホッとした自分が情けなかった。

中絶は22週直前にしたいと決めた。
2日後に病院受診。
すぐに回答を求められたが、先にエコーをしてほしいと頼んだ。
エコーはいつも可愛かった。
でも可愛い心臓は動いてなかった。

静かなお産も辛かった。
生きているうちに産み落とすのも辛かっただろうなと思った。
浸軟した我が子は浮腫もひどくて、お腹の中が見えちゃってた。
でも、どの子より可愛くて、手を握りながら寝た。
絵本も読んであげた。キスもした。

主治医には、赤ちゃんは寿命を全うしたと言われた。
温かい言葉にも、突き刺さる言葉にも、どちらにも感じた。
私は、あの子はお空ではなく、地面に帰ってる気がする。
地表の温かいところ。
どうぞ安らかに眠れますように。

5万人に1人の珍しい病気。
でも、あの子に会えたのは、何億人に1人の確率。
母と息子として出会えた運命を、ずっと大切にしたい。
感謝したい。





Name: かよ    ..au-net.ne.jp
Date: 2017/07/06(木) 23:29
  返信  引用  編集 
Title: 20週 臍帯異常により流産    
1人目を、5年前に小児がんで亡くしました。
離婚後、保育園に通うようになってすぐに検査でわかりました。
年長の時に、また保育園へ通えるようになるまで回復し、
小学校入学した直後、転移がわかり、4ヶ月後に亡くなりました。

それから約3年後、今の夫と出会いました。
第2子を妊娠し、色々な葛藤がありながらも、順調に過ごしていました。

亡くなった娘は、早期胎盤剥離で1ヶ月早く、緊急帝王切開で出産していたので
傷口が大きく、子宮が大きくなればなるほど、危険だと言われていたので、
第2子は34週で帝王切開をする予定でした。

第1子の娘は、出産時から、亡くなるまでつらい思いをさせてしまっていたので、第2子には、すごく慎重になっていました。

夫の御両親、御兄妹にもすごく助けてもらいながら、それでも仕事は辞めず、生活していました。

検診の日、それまで特に痛みや出血もありませんでした。
内診をし、エコーをして
それからのお医者様の言葉は、ほとんど覚えていません。

落ち着いたときにはベッドの上でした。

まだ、この時、夫とは籍を入れてませんでした。
私には家族がいないので、全て自分で終わらせました。淡々と。
第2子は男の子でした。

いなくなった我が子を受け入れることができず、流産したことを隠して過ごしていました。
お腹には、もういないのに、お腹は大きくなってきていました。
術後の経過を診察に行った時、想像妊娠だと言われました。

赤ちゃんの服や、物を買ってきてくれる御両親。
身体を気遣っていろんな物を作ってくれる夫。

お腹にはもういないのに、お腹を見るたび、触るたび、膨れたお腹にはいるんじゃないかと思っていました。
手術をしてから約4ヶ月、予定日に近づいた時に、夫から、切り出されました。
赤ちゃん、いないんやろ?と。
切り出されるまで、御両親にも、御兄妹にも夫の周りの人達にも
真実を言えず、自分は妊婦だと過ごしていました。

夫は、責めませんでした。
この事実を知って、籍を入れました。

一人で苦しかっただろう、誰も責めないから。
あたしが、生きてて良かった。
ほんまに、つらいけど、一緒にゆっくり乗り越えようと言ってくれました。

精神的には、まだ正常ではないと思います。
だけど、ゆっくりゆっくり、受け止めながら前に進んで行きたいと、思えるようになりました。





Name: 24まま    ..au-net.ne.jp
Date: 2017/07/06(木) 22:21
  返信  引用  編集 
Title: 予定日前日 死産    
6月27日が出産予定日でした。

6月24日のお昼過ぎ、おしるしのような出血があった。
もうちょっとで産まれると思うと、嬉しかった。
それから少しして、前駆陣痛であろう痛みを感じた。
念の為、シャワーをあびた。
それから、痛みの間隔をはかってみた。
すでに3分間隔だった。何かが変だと思った。
シャワーを浴びているときにほんの一瞬だけ、胎動を感じた。
でもそれ以降、感じることはなかった。
お腹が張っている。
お腹の形がいつもは前に出てるのに、平らに感じる。
やっぱり変だと思った。

20時過ぎ、母に付き添われて、いつもの産婦人科に行った。
助産師さんが胎児の心拍を確認する。無言でひたすら探す。
「まさかな。そんなことないでしょ」そう頭の中では考えていた。

その助産師さんが、別の助産師さんを呼ぶ。
二人目の助産師さんもひたすら胎児の心拍を探す。
助産師さんたちは「先生呼んで」そう言った。
「あぁ、動いてないんだ。死んじゃったんだ」そう思った。

先生が来て、改めて心拍を探す。
画面に見えたのは胎児の心電図のような画面。
いつもは波打っていたものが、今は真っ直ぐ一本線になっていた。先生が色々と何か説明している。何も聞こえない。
母もすごく驚いていた。

30分ほどして、母に呼ばれた夫が到着した。
夫を見た瞬間、涙が出た。
院長先生が夫に説明をする。
陣痛も来ているから、そのまま産むことになる。

その日から入院した。
陣痛は来ているものの、一向に産まれる気配がなかった。
今思えば、赤ちゃんは死んでしまっているから降りてこなかったのかな、と思う。
促進剤を入れて、ようやく48時間後、首にへその緒を巻いて、産声をあげることなく出産した。

しばらく、夫と二人で我が子と対面。
泣くこともなく、動くこともない。どこを触っても冷たい我が子。それでも、本当に可愛い。世界一大切な子。

数日後、火葬をする。
火葬の前にまた会うことが出来た。2回目の対面。
でもそれが最後。
息子はさらに小さくなって私の元に戻ってきた。
でも、私の大切な息子に変わりはない。





Name: ありす12    ..bbtec.net
Date: 2017/07/02(日) 10:25
  返信  引用  編集 
Title: 一卵性の双子 21週5日 流産    
すでに長女、長男、次女と3人の子供がいますが、双子ちゃんだとわかった時は、とても嬉しかったです。

3人の子育てと姑さんとの同居で毎日バタバタと大変でした。
妊娠10週から卵巣が腫れてきたことにより入院となりました。
一時退院しましたが、妊娠20週のときに、頸管が26mm、お腹の張りがおさまらず再入院になり、ウテメリンの24時間点滴を受けていました。

それから1週間後、子宮口が開いてきて、高位破水、お腹の張りもあり、先生からもう持たないと言われ、ウテメリンをやめて、そのまま出産となりました。

後々、ネットなどをみると。子宮口が開いて高位破水があっても 陣痛がなければまだもつ人もいるらしいし、あの時ウテメリンをやめる=本格的に陣痛を起こすという選択をしてしまった自分をすごく責めてしまいます。
私があの子達の命を消してしまったと。
お腹の子は出てくる数秒前まで動いていました。

まだ亡くなって2週間。
周りの人たちは元気に産んでいるのに、私はなんで産んであげれなかったのかと、あの子達の残してくれた遺骨をみながら涙してします。

こんな時、上の子達がいてくれてよかったと とても思います。
妊娠すれば元気な子が産めると思っていましたがそうではなく、出産は奇跡だと思いました。





Name:    ..au-net.ne.jp
Date: 2017/06/28(水) 14:46
  返信  引用  編集 
Title: 3度連続の流産    
本日、3度目の流産の確定診断を受けたところです。
まだ不安定で涙が出てきます。

1度目は昨年9月。
2度目は今年の4月でした。
不育症がわかり、ヘパリンとアスピリンでの治療を受けながらの3度目の妊娠。
今度こそと思いましたが、心拍停止。
今回は9週目で、赤ちゃんも二頭身、エコーでは手足も耳も口もわかるようになっていました。
とても可愛い横顔でしたが、動いておらず胎嚢の底にくったりと横になっていて。
ただただ残念でなりません。

不妊治療でお世話になっていた先生は、とても穏やかで、念のためもう一人の先生にも見て貰おうと言ってくださって。
最後に可愛い姿を2度も見ることができてよかったなと思っています。
染色体検査をすすめられました。
迷いましたが、明日手術をしてきます。

2度あることは3度あるんですね。
確率論としては、3度目の妊娠はかなり低いはずなのに。
現在、体外受精で授かった2歳の息子がいます。
3度も流産を繰り返した事で、この子が本当に奇跡の存在なのだとわかりました。
まだ手術を控えて辛くて何にも手につきませんが、息子のためにも明るく前を向いて進めるように早く立ち直りたいです。





Name: まい    ..dtn.ne.jp
Date: 2017/04/24(月) 16:07
  返信  引用  編集 
Title: 40週0日死産 10週流産    
2012年12月、結婚してすぐできた待望の第一子。
年明けと共に妊娠検査薬で判明した子。
何の異常もなく、臨月まで迎えることができました。
検診の前夜、寝る前に今までに無いくらい大きな胎動。
思い返せば、これが最後の胎動だったのかな。

朝起きて、胎動の事は気にもしていなかった。
前回の検診で、子宮口が2センチ開いていて、だいぶ柔かくなっていると言われていたので、出産の日をわくわくしながらの検診でした。

朝起きたとき、何となくだけど弱い胎動があったような気がした。
NSТをしようとしても心拍が拾えない。
前回もなかなか拾えなくて、人が代わったら見つかったので、また今回も下手な人にあたったと思っていた。
でも、人を代えても心拍は拾えず、エコーを見てみることに。
心臓は動いていませんでした。

医師から「残念ながら赤ちゃんは亡くなっています」と告げられました。
不思議なことに、自分では何故か『やっぱり』と思っていました。


即日入院。その日の夜、再度心拍がないのを確認した後、ラミナリア。
翌朝バルーン→人工破膜→陣痛促進剤→出産となりました。

産声はないものの、生きている子と同じようにお風呂に入れてもらいカンガルーケアを。
可愛い男の子で眠っているようで今にも目を開けそうでした。

子どもは亡くなっているのにも関わらず、両家両親+夫、祖母は仕事を休んで駆けつけてくれました。
みんなで生まれたこを涙を流しながら抱き、誰に似てる?など言い合いました。

一般的に亡くなって産まれた子にはお通夜も葬式もしない。と言われてましたがもう産まれてもおかしくなかった日数ということで、お通夜も葬式もしました。
真夏で暑い日だったので通常の倍以上の保冷剤を入れてくれて、きれいな顔のままお別れできました。

その後、2015年11月、10週で流産しました。
母子手帳をもらってすぐの事でした。
もともと悪阻もほとんど無く、不安という不安も何もなかったのですが、虫の知らせ?なのか、その日は病院に行きたい!という感覚になり、腹痛もあったので病院へ行くと、お腹の子の心拍はありませんでした。
この子も自然流産で産みたいと希望したものの、早く妊娠したいのであれば手術すべきと言われ、手術の日まで日数が空くためそれまでに出て来なければ手術と言う事で同意しました。
結局、その日までに出てこず、吸引手術になりました。





Name: いっくんママ    ..au-net.ne.jp
Date: 2017/04/18(火) 07:41
  返信  引用  編集 
Title: 15週2日での流産    
1人目が1歳の誕生日を迎えてから2人目を考え始め、順調に妊娠、経過していました。

14週のときに体調を崩し、発熱。出血もしていました。
40度近く発熱することもあり、何度も産科や内科に通いました。なんとなく、キューっとお腹が定期的に固く張る感じもありましたが、経過観察。
今考えると、それが陣痛だったように思います。

その日、午前中の診察。
出血は認めるが、他に異常はなく、赤ちゃんも元気に心臓を動かし、手足をばたつかせていました。
入院はせずに、自宅安静。
張り止めが処方されました。

その後もなんだか定期的に張り、なんとなく痛みのようなものもありましたが、1人目の陣痛が30時間以上続いたせいもあってか、全然耐えられる痛みでした。
むしろ便秘が気になるくらいで。

しかしその後、なんだか尾てい骨あたりも一緒に押される感じが。あれ、これ、この感覚知ってる!
そう、1人目の陣痛がそんな感じでした。
おかしい。
そこで再度、病院に電話。
その最中にベッドから起き上がると、まるで膣付近で風船が膨らんだような感覚。
そして破裂した感じがして、そこで大量出血。

急いで病院へ行きましたが、しかしそのときには痛みも遠のき、この後訪れることに対して、なんとなく予想しつつも、僅かな可能性にかけていました。
病院に着き、内診台に上がる前に、つるんと何かが出た感覚。
思わず手を伸ばし、右手で受け止める。
下着を覗くと、赤ちゃんが出ていました。
「あ。もう・・・」その瞬間、感情が爆発しました。
大人になって、こんなに人前で泣くことはなかった。

その後の処置は痛かったけど、心の方が痛かった。
赤ちゃんは15cm、70g、男の子でした。
穏やかな表情で、小さな箱に収まりました。

主人の仕事の都合があり、火葬までの5日間、毎日泣いていました。どうしてこうなってしまったのか。なんのために悪阻に耐えてきたのか。私のせいなのか。無理し過ぎたのか。もっと体調を細かく伝えていれば。後悔ばかりで、気が狂いそうで。
そんな中、骨壷など仏具を揃え、赤ちゃんは小さなお骨を遺してくれました。

その後の検査で、私は敗血症一歩手前になっていました。
原因は不明。
ですが、赤ちゃんがいなくなってから熱も下がり、みんなから「赤ちゃんがママを助けてくれたんだね」そう言われました。
陣痛も痛みが少なく、入院することも器具や薬を使うこともなく、流産を宣告されることも自分でも決めることもなく、突然。
それを辛いと感じる方もいると思いますが、私は赤ちゃんの優しさだと思いました。

できるだけ短時間で、痛がりの私を助けてくれたんだね。
ありがとう。でも、ごめんね。
秋が予定日、ずっと一緒にいたかった。
手を離さないでほしかった。私なんかのために。

1人目の出産は辛すぎて、生まれてきてくれた感動より疲労が強く、今回の妊娠も順調に進む。そう思ってしまっていました。
妊娠・出産が奇跡であることを軽視していました。それもきっと教えてくれたのでしょうね。
今はまだ、不意に涙は流れますが、家族や友人の温かな支えの中、心身の休息を第一にしています。あまり妊娠中構えなかった上の子がやたら甘えてきて、もしかしたらお姉ちゃんになるのも少し早かったのかもしれない、だからママの悪いところと一緒にお空に一旦帰ったのかな、そうも感じています。

いっくん、幸せな4か月を本当にありがとう。優しい優しい、良い子だったね。ずっとずっと、忘れないよ。次は自分の身体も大事に無理しないから、遠くない未来にママのお腹に帰ってきてね。約束だよ。大好き。





Name: mayu    ..spmode.ne.jp
Date: 2017/03/26(日) 19:10
  返信  引用  編集 
Title: 3度目の流産 9週 稽留流産    
昨日、赤ちゃんの心拍停止を確認しました。
9週0日でした。
赤ちゃんの大きさが、ほぼ20mmでしたので、昨日か一昨日まで生きていたのかなと、思います。

昨年初夏に初めて妊娠し、そのときも、同じ9週0日で流産しました。
1週間出血が続き、そのまま完全流産しました。

年末に2度目の妊娠をしました。
けれど胎芽が確認できないまま、7週で自然流産となりました。

3度目の流産です。
明後日、手術することになっています。
主人は何も言わず、黙々と家事をこなしています。

誰かと話したくて母に電話しました。
けれど、3回目の流産報告はさすがの母親でも聞きたくない話だったのでしょう。
すぐに電話を切られてしまいました。

気力が無く、ただ横になっています。
心臓は止まってしまったけれど、赤ちゃんはまだ私のお腹の中にいます。
最初の時のように流れて消えてしまうことなく、まだここにいます。
赤ちゃんもまだ生きようとしているのかもと思います。
でも心臓が動かなくて、どうしようか困っているんじゃないかと。

この子が生まれてきたいと思っているなら、私はもう一度、頑張らないといけません。
でも、今は妊娠が怖いです。
もう妊娠はしたくないと思ってしまいます。
3度も流産したのは、私が母親になるのは無理だと、教えるためじゃないかとも思ってしまいます。
赤ちゃんの気持ちが知りたいです。






Name: もも    ..home.ne.jp
Date: 2017/03/14(火) 22:47
  返信  引用  編集 
Title: 7か月 死産    
2016年8月末、生理が遅れていることに気づいてわかった、初めての妊娠。
正直、最初は今後の生活とか、仕事とか、どうしようという気持ちのほうが大きかった。
でも、今の会社で産休・育休をとって産むと決めて、9月に入籍、10月に新居に引っ越した。
すごくバタバタしてたけど、大きくなっていくお腹が愛おしくて、幸せだった。

つわりは妊娠初期から始まり、安定期に入ってもおさまるどころか酷くなっていった。お腹の張りも出てきて、お医者さんから診断書をもらった。
でも、仕事は替えがきかなくて、休みながらも出勤していた。
お腹の赤ちゃんがどうか無事でありますようにと毎日祈りつつ、仕事してた。

元々、長時間残業しなければ終わらない職場だったこともあり、マネージャーに相談して、12月には現場を異動させてもらう予定だった。
でも、人事異動がうまくいかず、結局異動の話はなくなった。結構絶望的だった。

妊娠6か月に入ったあたりから、ちょくちょく胎動を感じ始めてた。
朝7時、出勤中の電車の中、お昼の12時、夜寝る前23時。
家にいるときは話しかけたり、朝の電車の中では、お腹に手をトントンしてお返事してた。
定期検診も、どんどん大きくなる我が子がとっても可愛らしく、エコーで見るたび、つわりの辛さを忘れられた。
性別も男の子と分かり、旦那は大喜びだった。

11月の半ばを過ぎたころから、胎動の回数が減っているような気がした。
すごく心配で、病院にかけこんで、エコーで我が子を見せてもらった。
そのときはちゃんと心臓が動いてて、元気いっぱいドクドクと心拍が聞こえた。
ほっとしたけれど、あとかた思うと、これが息子の元気な姿をエコーで見る最後の日となった。

年末、仰向けになったとき、ふと、あれ?お腹小さくなってる?
お風呂に浸かって温まっていたとき、あれ?おへその周りだけ白くで冷たい。
心の中がザワザワ。
どうか、気のせいでありますように。
12月30日、これが感じた最後の胎動だった。

新年が明け、1月6日に定期検診。
息子の心臓は止まっていた。
なんとなく、頭の中にちらついていたことが現実になってしまった。目の前が真っ暗になった。

なんで?なんで私の息子なの?春に産まれる予定だったのに。
ちょうど7か月に入ったところだったのに。
幸せから一変、涙の日々になった。
連休明けに出産の予定になった。
今まで入院なんてしたことなかったのに、人生で初めての入院がまさか死産での入院になるとは思わなかった。

看護師さんの計らいで、個室にしてもらえた。
ぼうっと病室から外を見ていたら、窓に小さな子供の手形がうっすらあることに気づく。
前の人が子連れで、その子がイタズラしたのかな?って思ったけど、あとで掃除の人が来て、窓を拭いていった。
翌日、また外を眺めていたら、手形が残っていた。
「あ、息子なんだ」と、なんとなく思った。
「よし、明日は分娩日。産むぞ!ママ、頑張るからね!」って心の中で息子に話しかけた。

分娩日、初めての陣痛とか出産とか、不安は色々あったけど、もうひたすら息子の名前を心の中で叫び続けた。
1時間ちょっとで産まれた。
お腹の中で亡くなって時間が経ってるから、体が損傷してしまうかもしれないといわれていたけど、五体満足で産まれてきてくれた。
手の指の形は旦那そっくりで、立派なちんちんもついてて。
本当に天使だった。
息子に会えて、こんなに穏やかで愛おしい気持ちになったのは初めてだった。
しばらく、母と旦那と、息子の可愛らしい姿を眺めていた。

そのあとは葬儀屋さんと息子のお別れ会や火葬の日程の話し合いになった。
お別れが近づいてくる。
病室で息子に手紙を書いた。
天国に届きますようにと願いを込めて。

お別れ会は旦那と私の親族が集まった。
冷たくなってしまった息子の頭をいっぱい撫でてやった。

火葬の時、息子に書いた手紙とお花をいっぱい棺に入れた。
小さな小さな棺だけど、重みはしっかりあった。
あんな小さな体だけど、私のお腹の中で元気いっぱい生きててくれたんだと思うと、愛おしさでまた涙が溢れた。

焼きあがったお骨を旦那と丁寧に拾い集めた。
小さな骨壺でも十分すぎるくらい、お骨は小さく、可愛らしかった。

家に帰って、早速息子のコーナーをつくった。
祖母が編んでくれた毛糸のおくるみで骨壺を包み、お花を飾り、お菓子と、アンパンマンの人形をたくさん飾った。
1月は毎日毎日泣いた。泣いて泣いて泣きまくって、夜になると不安と寂しさが襲ってきた。

今は泣く回数は減ったけど、それでも受け入れるにはまだまだ時間がかかると思う。
我が家の天使は、私たち夫婦、家族に大切なことを教えてくれた。結婚するまでは旦那と喧嘩する日々だったけど、息子が来てくれた時から、すごく仲良しになった。
当たり前に授かって、当たり前に産まれて、当たり前に元気に育つわけじゃない。
人生は、この世は、いつ何が起こるか分からない。
息子のおかげで、今まで当たり前だと思っていたことに、改めて感謝しようと思えた。
息子に沢山のありがとうと、愛を送り続けたい。






 
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