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   7週 化学流産 20週 子 ....   
   16週 子宮内胎児死亡   
   9週 初期流産   
   13週 胎児水腫 ・  ....   
   10週目 稽留流産   
   3度の流産   
   初期流産   
   絨毛癌   
   8週・7週  稽留流 ....   
   15週 前期破水   

Name: まな    ..yournet.ne.jp
Date: 2017/02/22(水) 02:42
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Title: 7週 化学流産 20週 子宮内胎児死亡 17週 血腫完全破水 人工死産    
先週、3番目の赤ちゃんの火葬と納骨を終えました。

2度目の妊娠の時、女の子だと判明して安定期を迎えた直後に心拍停止による子宮内胎児死亡。
産声を上げない我が娘を出産しました。

そして数ヵ月後の検査で抗リン脂質抗体症候群である事が判明。
元々膠原病患者なので覚悟はしていました。
また、子宮内膜症・子宮線筋症・子宮後屈といった症状とともに、
30代後半での出産というハイリスクも。

2年後、3度目の妊娠。
抗リン脂質抗体症候群の認定を受けていたので、今回はヘパリン&アスピリンが使用出来る事でとても安心していました。
苦手な注射も頑張りました。

けれど、17週で血腫による完全破水。
週数が足りない事、羊水がゼロに近い事、
羊水が無いという事は今後、肺が育たず、骨の成育にも障害が出るという事、
破水したという事は数日中に陣痛がくるかもしれない、と。
たくさんの説明を受けました。
取り急ぎ、感染症を防ぐ為の抗生物質の点滴を使いつつ、様子見でそのまま入院になりました。

けれどそんな中、赤ちゃんは元気に心臓を動かしていました。
羊水の無い窮屈な子宮の中で頑張って生きててくれました。
まるで赤ちゃんが「ママ大丈夫だよ!僕頑張るから!」と言ってくれてるみたいで、エコーと心音を聴く度に涙が止まりませんでした。
私に出来る事といえば、3食の病院食を無理でも食べて、赤ちゃんに栄養を送る事だけでした。

そして陣痛どころか、何の痛みも無いまま数日が過ぎていきました。
もしかしたらこのまま順調に週が過ぎていき、無事出産を迎えられるのではないかと錯覚してしまいそうなほどに。
しかし現実は甘くなく、羊水は戻らず厳しい状況が続きました。
そして夫と何度となく話し合う中で『人工中絶』の言葉が。
「これ以上、赤ちゃんと私を苦しめたくない」と言って夫は泣きました。

理由にしたくなかった。
諦めたくなかった。
けれど、私と夫は決断しました。

娘の時と同じ過程で出産しました。
18cm、168gの可愛い男の子でした。

娘の時は生きて欲しかったと願い、息子は自らの決断で命を奪ってしまった。
今も葛藤しているし、悔しさや悲しさで胸が張り裂けそうな毎日です。
また同じ事が起こるかもしれないと思うと、次の妊娠が怖くて仕方ありません。
もう失いたくない。





Name: 31歳のママ    ..ap.mvno.net
Date: 2017/02/10(金) 00:26
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Title: 16週 子宮内胎児死亡    
お腹を自然と撫でる癖、お腹に語りかける癖が、いつの間にか自分のなかで出来ていました。

診察台に横になり、先生に見てもらっているとなんだか表情がくもってきて・・・
「赤ちゃん心臓が止まってるね」と言葉を聞いたときには、頭が真っ白になった。
なんで?いつ?どうして?
すぐに主人は来てくれた。
「今日か明日に入院して、出産するよ」
迷わず明日にした。
少しでも赤ちゃんと一緒にいたい。撫でてあげたい。声をかけてあげたい。

翌日13時には入院だったので、少し早く家を出て赤ちゃんへのプレゼントを買った。
買い物中に泣けてきた。
使っている姿が見たかったな。

入院してすぐにラミナリアを挿入。痛かった。
初日はラミナリアのみ。
生理痛みたいに腰とお腹が痛いけど、我慢できる痛みだった。
2日目はラミナリアを取り出して、陣痛促進膣剤を入れた。
2回目の促進剤のあとからしばらくして痛みがきた。
いきみ逃しの呼吸をしてると…破水?すぐに処置室へ運ばれ処置台へ。
陣痛が始まってから30分ですべてが終わった。

赤ちゃんとの対面。
可愛かった。目を閉じてる姿が主人にそっくり。
しっかりと男の子のものがついていた。
会えた喜び。別れの寂しさ。いろんな感情がいりまじっていた。
そばにいてやれない悔しさ。
犬のぬいぐるみをママの代わりに側に居させてもらった。

もっと一緒に居たかった。
もっと全力で守って、もっと愛してあげたかった。
沢山のことを教えてあげたかった。

泣き虫なママでごめんなさい。
それでも、ママのお腹を選んでくれてありがとう。
ママにしてくれてありがとう。





Name: あすか    ..au-net.ne.jp
Date: 2017/01/09(月) 13:51
  返信  引用  編集 
Title: 9週 初期流産    
28歳で初めての妊娠して、初期流産でした。

かなり早い段階で病院へ行って、小さな袋が見えていると言われ、すぐに主人に報告し、喜び合いました。
何回目かの検診のときに、袋が大きくなっていないから、残念だけどだめですねと言われました。
気のすむままこのままでいていいよと言われましたが、手術を受けることにして、予約しました。

暫くして、別の日にドロッとした塊が出てきて、ああこれが赤ちゃんの塊なんだと思いました。
たーちゃんという名前を付けていました。
楽しみにしていました。

悲しくて悲しくて人生で一番たくさん泣きました。
できたことをもっとちゃんと喜んであげていたら違ったのかなとか。
身体がだるかった時に無理したのがいけないのかなとか。
後から後悔がたくさん出てきました。
初期流産なので染色体異常とか、ほとんどこちら側に原因はないってわかっていても、考えてしまいます。

今思えば、それまでずっと風邪のような症状でだるかったのが急によくなったんです。
きっとそのタイミングでたーちゃんは天国に行ってしまったのかなと思います。

もうすぐ流産から一年が経ちます。
立ち直れていないのかな。
妊婦さんを見るのが嫌で仕方ないのです。
職場の忘年会なんかで同じテーブルになっても嫌で仕方ない。
そんな心が狭い自分も嫌です。

昨日、主人の同僚達と飲むことがあり、そのうちの1人が妊婦の妻を連れてきていて、またうまく説明できないで悲しい気持ちになりました。
主人が悪いわけではないのにそのことでもやもやします。





Name: 08251128    ..bbtec.net
Date: 2016/12/27(火) 13:12
  返信  引用  編集 
Title: 13週 胎児水腫 ・ 8週 不全流産    
この6ヶ月の間に二人の子供を亡くしました。
1人目は7月の頭に妊娠がわかり、切迫流産も経験しましたが、12週初めまでは順調に育っていました。
次の3月に生まれてくるはずでした。

茶色のおりものがうっすら出て、おかしいなとは思いました。
走ったり、重いものを持ったり、仕事をしすぎたとかもなく、まったく心当たりがありませんでした。
なんとなく嫌な感じがして産院を受診したところ、
「赤ちゃんの首とおなかにむくみがある」と言われ、
隣の市の大きな病院を紹介されました。
この時点であまりよくないと言われました。

紹介された病院で告げられた病名は「胎児水腫」というものでした。
妊娠初期での生存率はほぼ絶望的。
万が一生まれてこられたとしても長くは生きられない。
それが数時間なのか、数週間なのか、数年なのかはわからないけれど。
そして私たちの子は、先生の見立てによるとこのままお腹の中で死んでしまうだろう、と。
そこまで酷く症状が出てしまっていたようです。

今週中に決断すれば初期中絶で処置できるが、もう少し迷うなら中期中絶処置になる。週数が進めば進むほど、精神的にも身体的にも辛くなりますよと言われました。

夫は私の体を優先して、初期でいった方がいいと考えが固まっていたようですが、私はすぐに決断ができませんでした。
なかなか決められないでいる私に「そんなすぐに決められないよね。悩んで当然だよ、この子のおかあさんだもん」看護師さんが優しく声をかけてくださいました。
「こういうことは本当に人それぞれだから。心拍が止まるまでおなかにいれときたいっていう人もいれば、早く楽にしてあげたいっていう人もいる。あなたの気持ちに従うことが一番大事」
そう言われて気持ちが少し落ち着くと同時に、この子が生まれてくることは万に一つもないのだと悟りました。
初期中絶でいくことに決め、病気発覚から入院手術まであっという間のできごとでした。

先生にも看護婦さんにも本当恵まれ、生きている子とおんなじように扱ってくださったのが嬉しかった。
手術後、病室で目を覚ますと「おかあさん、頑張ったね。今赤ちゃん連れてくるから、いっぱい抱っこしてあげてね」と白い綺麗な箱に入った赤ちゃんを連れてきてくださいました。
赤ちゃんの体はバラバラになってしまっているので箱は開けさせてもらえなかったけれど、箱に「〇〇(私の名前)ベビー」と付箋が貼ってありました。
先生がへその緒も残してくださいました。
か細くて弱弱しくて、でもちゃんと赤ちゃんとつながっていた証。

火葬する日の前日に母乳が出ていることに気付き、さらに悲しくなりました。もう飲んでくれる子はいないのに、私の体は育児をしようとしている。
夫に報告すると「間に合ってよかった」とぽつりと言いました。
お別れをする前におっぱいが出たから、天国まで行く途中おなか減らずにすむね、と。
一度も涙を流さない人でしたが、私と同じくらい悲しんでいるのだと気づきました。

病院への付き添いや書類の手続き、火葬の手続き、自宅と病院の往復・・・夫は悲しむ暇もなく淡々と進んでいく現実に奔走し、泣き続ける私に寄り添ってくれていました。

産後休暇をもらって約2か月後に職場へ復帰しました。
私の勤めている職場は妊婦さん向けの事業や赤ちゃんの健診など、母子保健事業を行っている職場です。
悔しかった。
幸せそうな妊婦さんや、赤ちゃんを抱っこしたお母さん、目に映るものすべて聞こえてくるものすべてが、羨ましくて妬ましくて気が狂いそうでした。
この人たちと私はなにが違ったんだろう、なんで私の赤ちゃんが・・・この人たちの赤ちゃんも私の子と同じ病気になってしまえばいい、堕ろすか死ぬのを待つか選ぶことになってぐちゃぐちゃに悩めばいい、そんな最低なことを考えながら仕事をしていました。
そんなことを考える自分がすごく嫌だったし、恐ろしかった。
他のみんなは、妊婦さんや赤ちゃんのために一生懸命仕事をしているのに、自分のような人間がここにいていいのか、笑顔を張り付けて健やかなふりをして、心の底では妬ましく思いながら、この職場にいていいのか。

自分もちゃんと赤ちゃんを産むことができれば、きっとそんなことを考えずに済む。
元の自分に戻ることができる。

そう思って先生のOKが出てすぐに妊娠を意識し始めました。
11月半ば、生理予定日から2週間経ってやっとうっすら陽性反応が出ました。
嬉しいはずなのに、不安ばかりが膨らみました。
この子も病気になってしまったらどうしよう、またダメだったら不育症?私に何か原因があるのかな?
無事に生まれてくるというイメージが全く持てませんでした。

一方で、もしこの子が順調に育って生まれてきたら、前の子のことを想う時間が減ってしまう、前の子が寂しがるんじゃないか、裏切ってることにならないか、と申し訳ない気持ちにもなっていました。

8週目でようやく胎嚢が確認でき、来週には心拍が確認できるでしょうと言われた矢先に出血。
日曜日だったことと、腹痛はなかったので、診察を受けず、一日安静にしているようにと指示されました。
翌日受診したところ、もう赤ちゃんはいなくなっていました。
内容物が少し残ってしまっていたので、その日の午後に手術をしました。
麻酔が完全に切れるまで病室で休んでいたのですが、赤ちゃんの泣き声やお見舞いに来た人たちの幸せそうな笑い声が聞こえてきて、声を殺して泣きました。

もし無事に生まれてきていたらどんな子だったんだろう、男の子だったのかな、女の子だったのかな。
今回きてくれた子を想うことができたのは、手術から一日経ってのことでした。
おなかにいるときに考えてあげればよかったのに、もうあの子はいない。
せっかくきてくれたのに結局私は自分のことばっかり、前の子のことばっかりで、あの子を置き去りにしていた。寂しい思いをさせてしまった。
自分はなんてことをしてしまったんだろうと、言いようのない後悔に襲われました。

3日間有給休暇をいただして出勤すると、ちょうど赤ちゃんの健診の日でした。
いつも見ている健診室がものすごく遠い場所のように感じました。自分には一生辿り着くことができない場所。

夫にも上司にも「まだ若いんだから大丈夫、次があるよ」と言われましたが、次ってなんだろうと思ってしまいます。
だってもうあの子たちは帰ってこない。

赤ちゃんなら誰でもいいんじゃなくて、私はあの子に会いたかったのだと、叫びたい。
お顔を見たかったし、抱っこしておっぱいを飲んでほしかった。
ハイハイする日、ママと呼んでくれる日、ランドセルを背負う姿。あの子たちの成長を見たかった。

一人目の病気がわかってからずっと沈み込んだままの私に、文句も言わずイラつきもせず、優しく支えてくれる夫のためにも早く元気にならなくてはと思いますがなかなか前を向けずにいます。
どうしたらいいのかわかりません。
また笑顔で赤ちゃんを授かれる日が来てほしい。





Name: こた    ..au-net.ne.jp
Date: 2016/12/14(水) 00:40
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Title: 10週目 稽留流産    
第2子の育児休暇があけて仕事に復帰した直後、体調が悪い日が続き、もしかしてと思い妊娠検査薬をしたところ陽性反応が。
旦那とは、経済的にも時間的にも2人が限界かなと話していた矢先、予定外の妊娠でした。

その週末に産婦人科を受診、妊娠5週目ということでしたが、しっかり胎児が確認できました。
お腹の中の我が子を見て、すごく嬉しい気持ちになり、頑張って育って欲しいと強く思いました。
が、同日に子宮内で出血しており、切迫流産と診断され、仕事も休み自宅安静の生活になりました。

夫にほとんどの家事、育児をこなしてもらい、これ以上ないというくらいの安静な生活を続け、1週間ごとの診察で、徐々に出血も改善、妊娠7週目には心拍も確認でき、ひとまず安心していました。
8週目の検診でも問題なく、母子手帳ももらいに行きました。
長女も「赤ちゃん何て言ってる?産まれたら一緒に遊ぼうね」と話したりと、次の検診を心待ちにしていました。

待ちに待った妊娠10週目の検診、エコーを見たときに、心臓の動きが見えなくて一瞬、時がとまりました。
「先生、心臓動いてますか?」と聞くと、一生懸命機械の向きを変えたりして探してくれていましたが、見つからず、
「残念やけど、心臓が止まってる状態。大きさが前回と変わってないから検診直後に止まっちゃったのかな」と言われました。
冷静に聞いていたつもりでしたが、内診が終わって診察室から出るときに急に涙がこみあげてきました。

妊娠が分かってから次女の断乳もして、これでもかというくらいに安静にもしていたのに、なぜ?
2週間もの間、何も気付かずにいてお腹の赤ちゃんに申し訳ない気持ちなど、色んな思いがこみあげてきました。
まだ悪阻続いてるので、早急に手術をしないといけないことになり、週末を挟んでいたこともあり4日後に入院、明日手術の予定です。
上の子供たちもいてるし、このままの状態で急に出血などしても困るし、早く手術を受けないといけないことは頭では分かっているつもりですが、明日になると本当にお別れをしないといけない。
そう思うと、悲しくて涙が止まりません。

妊娠初期の流産は胎児の染色体異常のことが多いので、自分を責めないでといいますが、妊娠が分かったときに、不安も大きかったのは確かだし、その不安がお腹の子供に伝わりお空に帰っていったんじゃないか、悪阻で何度も吐いていたから腹圧をかけ過ぎたのではないかなど、考えたらきりがないくらい自分を責めてしまっています。

妊娠中、赤ちゃんは一生懸命お母さんのお腹にしがみついていますが、何らかの問題で母体に危険が及ぶと思ったときに、自分はもう助からないと判断すると、自らその手を離してしまいます。
母体の安全のために。
と、いう話を聞いたことがあります。
だとしたら、赤ちゃんは自分の命と引き換えに私を守ってくれたのか。
本当ならば私が守らなければいけなかった命。
元気に産んであげれなくてごめんね。
この手で産まれてくるあなたを抱きたかった。
申し訳ない気持ちや、たった8週間だけど、あなたのお母さんにしてくれてありがとう、妊娠期間中お腹にいてくれて幸せだったと感謝の気持ちなど、色んな気持ちが入り混じってます。

まったく気持ちの整理ができていない状態なので、自分の気持ちを整理するためにここに書かせてもらいました。
一生忘れない出来事だけど、今は全く気持ちの整理もできていない状態ですが、これから先時間がかかってでも気持ちの整理をして、いつか前にすすめたらなと思います。

今、同じような経験をされたかた、また過去されたかたなどのすべての方、どうか前を向いて進んでいき、幸せになりますよう、心から願っています。





Name: まみ    ..ucom.ne.jp
Date: 2016/11/16(水) 23:42
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Title: 3度の流産    
29歳の時、10歳年上の夫と結婚。
キャリアチェンジを目指して、大学院に在学していたので、あまり真剣に「子どもを持つこと」を考えることはありませんでした。
何より、妊娠・出産に恐怖感がありました。
生育歴も関係しているのかもしれません。

32歳になり、妹が2人目を妊娠したこと、体調を崩したことにより、初めて自分の身体と向き合う決意をし、まずは、基礎体温をつけ始めました。
その次の月に、偶然にも妊娠!
その頃は、心身の変化や出産の痛みを考えると、むしろ、妊娠を継続することの方が怖いくらいでした。
何の問題もなく、長女を出産。

初めての育児が始まる同時に、義母の闘病が始まり、なかなか次の妊娠を考えることはできませんでした。
義母を看取り、世間でちょうど「卵子の老化」が騒がれた頃、私は36歳になっていました。
初めて妊娠のタイムリミットを意識し、数ヶ月で再び妊娠。
この時も、何の問題なく、無事長男を出産。
出産直後に「もう一人産みたい」と思うほどの安産でした。

そんな私が、まさか39〜40歳のたった9ヶ月の間に、3度も流産するとは・・・
一度目は4週、二度目は7週で自然流産。
三度目の今回は、明後日、稽留流産手術を受けます。

もちろん、年齢が年齢だけに、簡単と思ってはいなかったけれど、不育症の検査も受け、アスピリンを飲み、不安もありながらも、9週まで順調に来ていたので、
「今回こそは大丈夫」と思っていました。

繰り返す流産の理由はわかりません。
医師は、「染色体異常の可能性が高い」と言います。
年齢のせいならば、もう少し早く、妊娠・出産を考えれば、良かったのかもしれません。
それでも、「その時々で、私なりにベストを尽くしてきた」
「これが私の生き方なんだ」と、胸を張って言える自分もいます。

今は、2人の子どもたちが、健康に生まれ、成長していることが奇跡であり、心から幸せを感じています。
自分を客観視すれば、もうあきらめて、2人の子どもたちに、愛情を注ぐべきなのかなとも思います。

その一方で、自分が死ぬ時に、唯一の心残りとなることが今からわかっているので、すっぱりあきらめることもできません。
本音を言えば、1〜2年は何も考えたくないのですが、年齢を考えると、そういう訳にもいきません。

・・・これからどうやって生きていけばいいのか、わかりません。
涙もなかなか止まりません。





Name: うた    ..starcat.ne.jp
Date: 2016/11/15(火) 16:59
  返信  引用  編集 
Title: 初期流産    
心拍の確認まであと1週間だったのに、真っ赤な血の海に居る夢で目が覚めた。
怖くなってすぐトイレへ。
出血はほんの少しだったけど、腹痛もあったため、朝一にでも病院へ行こうと思って朝食を作ってたら酷い腹痛に吐き気、
立ってられないほどのめまいに過呼吸なんとか旦那のいる寝室までたどり着いて病院へ連れて行ってもらった。

支えられながら診察するも、赤ちゃんの位置が動いてて、前回から全く育ってないね。流産です。

それから意識が朦朧としてるなか、子宮の中を綺麗にする手術をすることに。

食事も水分もとることができず、泣きながら1時間ほど待ち、再び診察台へ。
麻酔を打たれ、10数える前に意識はなくなり、頭痛と吐き気で目が覚めた。
麻酔が効いてて頭はぐらぐら。
何もお腹に入ってないから出てこないのに吐いた。
たくさん泣いた。

歩けるようになって家に帰って、旦那によく頑張ったねありがとうと言われた。
その一言でまた泣いた。

今日は家に1人。
外から聞こえてくる子供の声、赤ちゃんの泣き声。辛い。
何で私だけ?
周りのみんなは産んでるのに。
私の赤ちゃんは何でかえってしまったのかと憎くて仕方がありません。
何も考えなくても涙がでます。
お笑いを見ても、なんでこの人たち笑ってるんだろうと涙がでます。

何もする気も起きずに適当にサイトを見てたら、ここにたどり着きました。
皆さんの投稿を見てまた泣いてます。
それと同時にかえってしまった赤ちゃん、自分のことを憎く思ったことが、凄く恥ずかしく思いました。

1度でも私のお腹の中で一生懸命生きようとしてくれた可愛い可愛い私の赤ちゃん。
ありがとう。まだ心が追いつけてなくて泣いちゃうけど、また私の元にかえってきてくれるよね。
その時には強いママになるから、今度はその可愛いお顔が見たいです。
名前もない私の赤ちゃんありがとう。





Name: エリハ    ..ocn.ne.jp
Date: 2016/11/11(金) 19:59
  返信  引用  編集 
Title: 絨毛癌    
流産からの絨毛癌でした。
私がみてもらった病院では5年〜10年にひとり程度しかいないようでした。
たまたま直前に、同じく絨毛癌に罹患した方がいたようで、EMACOがよく効き、今では仕事に復帰もしています。

流産自体は、「まあ、しょうがないし」と思っていますが、今いる子供に手をかけてやれず、気がつくともう小学生、ということが悲しいです。

夫はできれば二人目が欲しいようですが、癌を経験した今となっては、無事に生まれてくるかもわからない子供よりも、今ここに生きている子供を大事にしたいと思っています。





Name: あーしゃ    ..so-net.ne.jp
Date: 2016/11/04(金) 17:54
  返信  引用  編集 
Title: 8週・7週  稽留流産    
第二子を希望し、2015年夏に自然妊娠。心拍確認ののち、8週で稽留流産しました。
10月に掻爬手術を受け、少し休んだ後、再び妊娠を目指しました。

なかなか授からなかったので、翌年9月から不妊治療のクリニックに通院を開始。
その1周期目で妊娠しました。
心拍確認しましたが、その後7週で稽留流産。
11月2日に掻爬手術を受けました。

2回続けての流産。
なぜか頭はしんと静まり返っており、
流産が分かった日に家族みんなで泣いて以来、涙が出てきません。

辛い、悲しいといった感情はどこへいってしまったのでしょうか。
私はおかしいのでしょうか。





Name: まるみ    ..so-net.ne.jp
Date: 2016/11/02(水) 19:02
  返信  引用  編集 
Title: 15週 前期破水    
10月24日未明に、15週の男の子を亡くしました。

1週間ほど前に、夜中に水が垂れるような感覚で目を覚ましました。
起きてみるとナプキンがぐっしょりと湿っており、
尿とも違う匂いがしました。
生臭いような匂いに、破水を疑い
次の日の朝1番に病院にかかりました。

経膣エコー、経腹エコーで確認、
羊水検査もしましたが
羊水の量に異常はなく、また羊水検査でも
反応は微妙なところでした。
しかし、大事を取って入院となりました。

1週間の入院でも羊水の量に変化はなく。
経過も順調で、そのうち退院できるという話をしていた矢先でした。

10月24日未明、
ベッドに横たわっているとき
ぐぐっとなにかが下がってくる感覚がありました。
大変なことが起こった、と思い
叫んでしまわないようトイレに向かい
ショーツを降ろした瞬間でした。
赤ちゃんの頭が出てきてしまっているのが
見えました。
頭と、小さな小さな手。
初めて直接みた大事な赤ちゃんは、
もう私のお腹の中には居ませんでした。

その後、叫びながら処置室に運ばれました。
ずっと泣いていました。
全部出てきてしまっていたので、
あっという間に処置は終わりました。
ほぼ痛くもないまま。

あれから1週間が経ちます。
まだ火葬も終わっておらず、
起きたことを現実として受け止められません。
私の大事な大事な赤ちゃんは
助けてあげることができなかった。
病院にも早めにかかっていたのに。
どうして?という気持ちが湧いています。

今はこの悲しくてつらい気持ちを
抱きしめていくしかないとわかっていますが、
1日がすぎるのがとても遅く感じます。

また、会いたい。
そう思います。
また来てくれるのか、とても怖いです。
でも私はまた赤ちゃんに会いたいです。

夜中のトイレで受け止めたあの子は、
その後きちんと紙でできた棺に入れてもらいました。
最後に会わせていただいたとき、
夫の顔にそっくりで少しふしぎに思いました。

身体と心をゆっくり休めて、
いつか、また、赤ちゃんに会いたいと思います。






 
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