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11週 稽留流産
6週 流産
13週3日 死産 前期破 ....
7週 稽留流産
8週 稽留流産
21週 子宮内胎児死亡
8週 稽留流産
20週 臍帯過捻転
20週 一卵性双生児 ....
11週 稽留流産
Name:
アサミ
..jp-t.ne.jp
Date: 2010/11/27(土) 16:28
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Title: 11週 稽留流産
昨日、お腹の赤ちゃんが私から旅立って行きました。
上の子が1歳になり、生理が再開してすぐに授かって、本当に幸せな気持ちをくれました。すぐに悪阻も始まり、体調は悪くても「お腹にいるよ」と教えてくれてるなって、日に日に愛しく思えました。
3回目の検診で心拍の確認ができて、その帰りに母子手帳も貰い、早速記入出来る所は全部記入して、予定日を書く時は本当に心が温かくなりました。
2週間後の検診で「まだ分からないからあまり気にしないで。また、明後日に来て下さい」と、先生から言われました。
でも、私は涙が止まりませんでした。まだ生きてると信じたくても、涙が止まりませんでした。
その後の検査で、やっぱり赤ちゃんはもう心拍がなくなっていました。
産んであげられなくてゴメンね、守ってあげられなくてゴメンね、と、赤ちゃんを愛してた事を伝えたくて、いっぱい泣きました。
こんな泣き虫なママをほっとかないで、またママの所に帰ってきてね。今度こそママにギュッとさせてよ。その日までママはパワーアップして待ってるからね。
ポコズママの皆様、皆様の言葉、涙で私はとても強くなれました。ありがとうございます。
Name:
くらら
..mesh.ad.jp
Date: 2010/11/25(木) 17:02
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Title: 6週 流産
不妊治療を受けていました。
妊娠がわかったときは本当に嬉しくて、お腹のつっぱるような痛みも愛おしくて、自分たちに宿ってくれた赤ちゃんと、夫と、3人でいる時間が幸せでした。
でも、医師に言われた「胎のうが見えません。hCG値も低い。この時期からすると、異常妊娠です」の言葉にショックを受け、帰り道は涙があふれました。
その後、腹痛とともに出血が始まり「ああ、お空に行ってしまうんだ」と、思いました。
楽しみにしてくれていた主人に報告するのも申し訳なく、また街なかで赤ちゃんを見かけると、平常心ではいられない日々が続きました。でも、主人が「今回の赤ちゃんは、僕たちでも妊娠できるって知らせてくれたんだよ。とてもいい子だったね。でもくららが泣いてたら、もう一度来てくれないよ。僕も同じくらい悲しいけど、がんばろうよ!」と励ましてくれ、ようやく心が落ち着いてきています。
今は毎日、空を眺めながら、呼びかけています。
赤ちゃん、もし私たちを見ていてくれるのなら、夫婦二人で、またがんばるからね。あなたのパパはとても思いやりがあって、誰よりもあなたに会える日を楽しみにしているよ。だから、安心してまた私たちの元に来てね、と。
Name:
aki
..eonet.ne.jp
Date: 2010/11/25(木) 12:34
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Title: 13週3日 死産 前期破水
体外受精で授かり、6週頃から出血が続いていました。
妊娠初期の出血に関しては何もできることはないと判断して、自宅で安静にすごしていました。
出血はあるものの、順調に成長していたので油断していたのかもしれません。
できるだけ横になるように心がけてはいたものの、子どもがいるので安静にしていたとは言い難く、出血は13週に入っても止まりませんでした。
13週に入ってすぐの検診で、何やら先生の様子がおかしいことに気づきました。
赤ちゃんの心臓は動いていたものの、羊水がほとんどない状態でした。
診察の3日ほど前から、やけに水っぽいおりものがでると思っていましたが、もともと出血があったため、初めは気にしていませんでした。
ちょっとおかしい、ばい菌でも入ったのかな?と不安になったのに、お腹は痛くないし、もうすぐ診察の予約日だし、と、様子を見ていました。
今思えば、不安になった時、すぐに病院にいっていれば助かったかも、もう少し長く生きていてくれたのかも、と、悔やんでも悔やみきれません。
「3日も前から破水していたのなら、感染症の危険もある、週数が早すぎてお腹の赤ちゃんは助からないから、すぐに入院して赤ちゃんを出したほうがいい」と言われました。
子宮口を広げる処置に2日かかりました。痛みはまったくなく、いよいよ促進剤を使おうかという日の朝、診察がはじまるとすぐ、赤ちゃんが産まれました。まったく痛みもなく、産まれたことにも気づかず、先生に言われても呆然としていました。
望は、出血があってもいつも元気な姿を見せてくれて、頑張っていました。「破水」と言われた診察の時も、私と主人に心臓が元気に動いている姿を、最後まで見せてくれました。
産まれるときも、私がものすごく痛みに弱いのを知っているかのように、何の痛みもなくするりと産まれてきて、ずっと頑張ってくれてたのに、私は何もできませんでした。
11cm、24g、たぶん男の子の赤ちゃん。
小さいけれど、目も耳も鼻も、小さな手には爪もあって。私たちにも周りの人たちにも、望まれてできた子だから、望と名づけました。
その日、火葬するまでのしばらくの間、主人と3人で病室で過ごしました。
主人は検診にも付き添ってくれていたので、ずっと私を支えてくれました。感情を表にだすタイプではないので、必死に涙をこらえて、ただ私の手を握り、抱きしめてくれました。でも目が真っ赤で、そんな主人を見ると、申し訳なさでいっぱいになりました。
私がもっと安静にしていれば、もっと早く破水に気づいて病院に行っていれば。
私のところに来たのじゃなければ、望は無事に産まれていたのかも。
ただ後悔ばかりです。
赤ちゃんはまだ戻ってきてくれるよ、とか言われるけど、こんなママのところに戻ってなんてきてくれないよ、って思います。こんな思いも時間が解決してくれるのかな。
Name:
MR
..ocn.ne.jp
Date: 2010/11/24(水) 21:19
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Title: 7週 稽留流産
9月28日、4週過ぎで判明した妊娠でしたが、10月19日に稽留流産の確定診断を受け、翌々日、流産手術を受けました。
多嚢胞性卵巣の為、自力での排卵が難しく、結婚半年後からずっと続けてきた不妊治療の結果がこのように終わり、とても辛かったです。
1ヶ月が過ぎた今、次にまた奇跡的に子どもを授かることがあれば、元気に産んであげたいと強く思います。
仕事には、手術の2日後から復帰し、何とか立ち直ろうと頑張って日常生活を取り戻してきました。
でも、家族からの突き刺さるようなアドバイスやきつい言葉、不妊治療や流産を通ってきたとは知らない、周りからの何気ない言葉に傷付き、立ち直っている最中にまた逆戻りすることがあります。
こんな気持ちで、また不妊治療を再開したところで、どうなるかと不安です。
でもまた妊娠したい、元気に産んであげたい、その気持ちは日増しに強くなっています。
なので、妊娠できる可能性があることを教えてくれた天国の子に感謝して、医師と相談しながら、踏み切れるタイミングがきた時には、恐れず、次の妊娠に向けて臨んでいきたいです。
Name:
yumi
..catv02.itscom.jp
Date: 2010/11/22(月) 12:20
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Title: 8週 稽留流産
娘が3歳を過ぎ、そろそろ2人目がほしいなと思い始めた矢先に妊娠がわかりました。
大喜びの娘は、おなかの赤ちゃんに「ぴこちゃん」と名前をつけ、
「ぴこちゃん、おはよう!」「ぴこちゃん、元気?」などと、毎日話しかけていました。
ところが、3度目の健診で、稽留流産の宣告を受けることになりました。
自覚症状は全くなく、何の疑いもなく、お腹の赤ちゃんは元気に育っていると信じていました。
「これは悪い夢なんじゃないか」と、何度も思いました。
何より辛かったのは、検診に同行していた娘が、先生と私の会話から何かを察したらしく、
「あかちゃん、どうしたの?あかちゃんは どこ?」
と、パニック状態で泣き出してしまいました。
本当にかわいそうなことをしました。
同い年の子を持つママ友さんたちは、最近、二人目ラッシュで、娘も「うちのあかちゃん、いつうまれるの?もうすぐでてくる?」と、とても楽しみにしている様子でした。
その後、手術を受けました。
自然に出てくるのを待つ、という選択肢もありましたが、幼稚園の入園考査を控えており、当日までに体調を万全にしておくためには早めの手術をすすめられ、悩みましたが、受けることに決めました。
術後の経過は問題なく、3回くらい生理を見送れば、また問題なく妊娠できるとのことでした。
手術からもうすぐ1ヶ月たち、体調はだいぶ良くなりましたが、気持ちがまだまだ不安定です。
焦らずにゆっくりと自分自身の気持ちを癒して、心身ともに元気を取り戻せたと感じた時に、また娘にきょうだいを迎えてあげることを考えたいな、と思っています。
Name:
さっち
..so-net.ne.jp
Date: 2010/11/17(水) 19:29
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Title: 21週 子宮内胎児死亡
結婚4年目、不妊治療を経て授かった待望の我が子。
成長を楽しみにしていた21週の検診で、子宮内胎児死亡と診断されました。
自分の体調に変化もなく、痛みや出血もなく、おなかの赤ちゃんの異変に約3週間も気がついてあげることができませんでした。
母体に合併症などもなく、胎児側のはっきりした原因も不明だといわれました。
とってもショックだったのですが、初期の検診で「週数より少し小さめ」と言われたり、診断される日の数日前、夢で母乳のかわりに大量に血が出る夢を見たりして、「もしかしたらこの子は生まれてこないかもしれない」と漠然と思っていました。
いろいろな本を読むと「流産する赤ちゃんは、早い段階でお母さんに心の準備をさせてくれることがある」と書いてあり、おなかのあかちゃんも私に準備をさせてくれたのかなと思いました。
短すぎる命と知りながら、私達のもとにやってきてくれ、おそらに帰ってしまった意味を探し続ける日々です。
Name:
pokopoko
..bb4u.ne.jp
Date: 2010/11/17(水) 19:11
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Title: 8週 稽留流産
昨日の検診で、稽留流産の診断を下されました。妊娠8週です。
頭が真っ白になってしまいました。
不妊治療を始めて3ヶ月。
初めてのの人工授精での妊娠でした。
この先長く続くであろう不妊治療に悩んでいたときの吉報に、夫と二人、心底喜びあいました。
年齢も高いので、本当に嬉しかったです。
その後は、不妊治療を経ての妊娠のため、毎週、診察に通っていました。
そのたびに大きくなる胎嚢に、わが子の成長を実感し、嬉しく思っていたのですが、6週を過ぎたころ、胎嚢の中は真っ黒で何も映っていないことが気がかりではありました。
それでも来週にはきっとはっきり映るはず、と、淡い期待を抱きつつも、やはり胎嚢の中は真っ黒なままでした。
このころには、さすがにまずいと思いはじめましたが、先生は特に何もおっしゃらず、「また来週ね」と予定を組んでいきます。
先生が何も言わないのだから、きっと大丈夫だと思っていたのですが、昨日の診察で、とうとう流産だと告げられてしまいました。
同時に手術の予約も入れるよう言われましたが、どうしても信じられず、もう1週間猶予をもらって、来週、手術をする前にもエコーで見てもらうことにしました。
それでもどうしても諦めきれず、今日、別の病院でも診てもらいました。
そこでも結果は同じでした。
もしかしたら何か映るのではと期待していたのですが。
「99%流産です」とのことでした。
でも「それは仕方のないことで、不運としか言いようがない」と。
不運。
そう言われたら仕方ないと思いつつ、まだまだ受け入れられない自分がいます。
いつになれば心に蓋ができるのか。
ただ、わが子と過ごせた1カ月。
本当に幸せで満ち足りた日々でした。
Name:
ゆうだいママ
..jp-k.ne.jp
Date: 2010/11/16(火) 17:57
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Title: 20週 臍帯過捻転
11月12日、20週で死産しました。
その5日前くらいから、今までにない激しい頭痛や呼吸困難があり、あらゆる病院を受診していました。
片頭痛と喘息というだけで、特別な病気ではありませんでしたが、今思えば、それは赤ちゃんからのメッセージだったのかもしれません。
頭痛が段々と激しくなって耐えきれなくなった日、ちょうど20週の健診日でした。2歳の息子がいるので主人に仕事を休んでもらい、初めて産婦人科へ付き添ってもらいました。
今日は性別がわかるかなぁと、ドキドキした気持ちでエコーを見るのを楽しみにしていました。
いつもすぐ終わる内診が、今日はなんだか長いなぁと思っていたら、先生より「ここが赤ちゃんの心臓なんだけど、動いてないんだよね」と告げられました。どういう訳かすぐ理解できず、無言でいました。
その後の事は曖昧にしか覚えていませんが、待合室で待っていた主人に「イヤーっ!!」と泣き叫ぶ声が聞こえていたそうです。
あの時、主人がいてくれてよかったです。
赤ちゃんがそうしてくれたのかもしれません。
翌日から入院する事になり、陣痛促進剤で分娩しました。
分娩するまでの間、涙が枯れるくらい泣いて、ボーッとしていました。お腹の中にずっといてほしい。痛くもないし、出血もないし、現実を受け止められず、お風呂に入る時、着替えをする時、少し膨らんでるお腹を見ては号泣していました。
ほんとに苦しい陣痛は15分ほどでした。
赤ちゃんはきっとお腹の中で苦しかったのではないかと思うと、私ももっと苦しみたいと思って、もっと痛くてもいいのに、なんで私だけ楽なの?と、感じていました。
破水もせず、胎盤ごと羊水に包まれた状態で生まれてきてくれました。「こんなに親孝行な子はいない」と、助産師さんもおっしゃってくれました。
原因は、臍帯過捻転の可能性が高いという事でした。臍の緒の一部が細くなってしまって、栄養や酸素がストップしたのかもしれないとのことでした。
20cm、140gの、小さなかわいい男の子でした。
悲しみの中、この子と会えたという喜びのほうが不思議と大きくなっていました。
主人はあまり感情を見せない人で、私だけが悲しい思いをしていると思い込んでいました。
火葬の前日、この子に手紙を書きました。
主人の手紙を読ませてもらって、私が間違っていたことに気付きました。普段、喧嘩も多くてストレスも感じやすく息子にも辛い思いをさせていた事をこの子から気付かされたのかもしれません。
今までのストレスや不満などがスーッと消えていきました。
この子に感謝しなくてはいけないと思いました。
あれから数日が経ちますが、今思うと不思議な事があります。
あんなに痛かった頭痛が、入院したとたんに消えて、今は薬も飲んでいません。
その日、主人の腕時計と、何十年も止まることのなかった実家の掛け時計も止まったようです。
あと、分娩が終わった日のちょうど1時に、病室の時計が止まりました。
不思議でなりませんが、赤ちゃんが何か伝えたかったのかなと思うと嬉しいです。
もう1つ、赤ちゃんがまだお腹の中にいる時、息子に赤ちゃん何か言ってる?と聞くと、いつも「エンエン泣いてる」と言っていました。
妊婦の友人たちには「かわいい。ねんねしてる」と言っていたので、息子にはわかっていたのかもしれません。
今、リビングに骨壺を置いているのですが「赤ちゃんどこにいる?」と聞くと、何も教えてないのに骨壺を指差します。
悲しい気持ちと嬉しい気持ちを体験させてもらっています。
この子が私の元へ来てくれた意味を、ずっと忘れないようにしたいです。
Name:
ベベちゃん・ベビちゃん
..bbtec.net
Date: 2010/11/15(月) 09:45
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Title: 20週 一卵性双生児 死産
不妊治療の末、私は妊娠しました。出産予定日は私の誕生日。
それだけでも幸せなのに、4ヶ月検診のとき、かくれんぼしていたもう一人が、私たちの前にあらわれてくれました。
一卵性双生児。
幸せで、幸せで、おなかの中に宿った命を大切に育てようと思いました。
どんなにひどいつわりでも、二人がきちんと成長してくれていると思えば乗り越えられました。私は二人にべべちゃん・べびちゃんと愛称をつけました。
「二人、仲良く元気に育ってね」その言葉を、毎日、おなかをさすりながら話しかけていました。
仕事や私生活が多忙を極め、これが終わったらようやく落ち着いた毎日を過ごせると思っていた11月7日。
その夜、家にある水槽から水が足りないというブザー音が鳴り響きました。
今までそんなことはなかったのに、その日、大きなブザー音が我が家に鳴り響きました。
それから、私は寝付けなくなりました。悲しい気持ちにおそわれ、わけもわからず涙が出てきました。
今思えば、二人が私に心の準備をさせていたのかもしれません。
翌日は検診の日。
二人の心臓は止まっていました。
すぐに大きな病院へ移って入院しました。20週の双子の赤ちゃんは、おなかの中でなくなっているのに、私のおなかは膨らんだまま。
その現実をうけいれることができないまま、翌日、双子の小さな小さな男の子を死産しました。
お医者さんには「死後たっているかもしれないから、きれいなまま産めないかもしれません」と言われていたけれど、ようやく逢えた小さな小さなわが子たちは、目も口も鼻も耳もきれいに残っていて、私と主人は泣き崩れました。
小さな小さな白い箱に二人は一緒にはいって、その日の夜、病室で家族四人で眠りにつきました。
小さな小さな二人の坊やたちを失ったこの気持ちを、まだまだうまく整理できません。毎日泣いています。自分を責めています。
けれど、私を心配してくれている主人、家族、友達、職場の人たち。
その人たちの優しさに包まれながら、ゆっくり前へ進んでいこうと思います。
べべちゃん・べびちゃん。
お母さんはあなたたちと過ごすことができて、とても幸せでした。本当に本当にありがとう。
Name:
mayu
..so-net.ne.jp
Date: 2010/11/13(土) 22:00
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Title: 11週 稽留流産
今年5月に結婚し、9月初めての妊娠がわかった。
元々、生理不順のうえ若くもないので、正直、子どもは諦めていた。
だからこそ、妊娠が判ったときは飛び上がるほど嬉しかった。
すぐに産婦人科を受診した。
「最終月経から計算すると7週目だけど、小さいからまだ判らない」と、言われ、1週間ごとに産婦人科を受診した。
「一緒に生きようね」と、願う事しかできかなった。
そんななか、3回目の受診で微かな心拍が確認できた。
翌週には、ちゃんとした心拍が確認できて、胸を撫で下ろした。
「次回は3週間後で良い」と言われ、そんなに間をあけていいのか不安だったけど、次回の検診日を楽しみにしながら過ごしていた。
久々に我が子の姿を見られると、ウキウキしながら受診すると、心拍は止まっていた。素人の私が見てもすぐに判った。
医師から「残念だけど、赤ちゃんは亡くなってしまったようです」と告げられ、涙が止まらなかった。
10月25日、手術を受けた。
今でもまだ涙が止まらない。何がいけなかったのか、答えのない問いばかりが頭に浮かんでしまう。
天使になった我が子。何もしてあげられなくてごめんね。
暖かい温もりをありがとう。私が母親としてしてあげられることは、忘れないでいることしかできないけど。
今度はこの手で抱きしめてあげるからね。
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