|
Name: ココママ ..ucom.ne.jp
Date: 2014/06/21(土) 14:40
|
削除 |
Title: 21週 前期破水
|
|
結婚して2年、年齢的に、不妊治療が必要なのかもしれないと思っていた矢先の自然妊娠でした。
嬉しくて嬉しくて、初めての妊娠でわからないことだらけでしたが、とにかく妊娠したら元気な赤ちゃんが産まれてくると疑いもしませんでした。
初期から微量の出血が続き、張り止めの薬と止血剤を飲んでいましたが、出血は止まらず、切迫流産で入院となりました。 つわりもひどく、妊娠悪阻で水すら口にできず、24時間点滴をしながら、嘔吐、吐血、胃痛で、辛い日々でした。
この子のため、どんなに苦しくても10ヶ月で必ず終わるからと励まされ、なんとか安定期に入りましたが、頚管の長さが短くなったり、結局、ずっと入院して過ごしました。
6か月に入るころ、頚管長もよくなったとのことで、退院許可も出ましたが、母親は他界しており、主人も自営業で多忙のため、家事や日時生活を手伝ってもらったり、安静にしているのは自宅では難しいということで、入院を続けさせてもらいました。
21週に入ったその日の朝、ベッドで横になっていたら、生温かい水のようなものが大量にでた感覚。 ずっと出血していたのでナプキンをつけていましたが、トイレで確認すると、薄いピンク色で、ナプキンがずっしり重い。 慌てて看護師さんに伝え、ナプキンを調べて戻った看護師さんから、破水したみたいだと言われました。 その後も止まらず、羊水はほとんどなくなりました。
良くないのはわかっても、それが何を意味するのか、そのときの私にはまだよくわかっていませんでした。 救急搬送で周産期医療センターに運ばれ、人工羊水を注入し、止まらない羊水流出に、点滴のように持続的に人工羊水をいれ、張り止め点滴も24時間、尿管カテーテルも入り、MFICUで食事もトイレも寝たままの完全に寝たきりで過ごしました。
そんなにしても、赤ちゃんはきちんと生きられるまでの成長をする間お腹に入れておくことはできないだろうとのことで、人工死産となりました。
21週のあいだに死産しなければならず、ラミナリアで子宮口を広げると説明をうけていましたが、結局先生が手でこじあけ、痛さで叫びながらベッドで飛び上がりました。
赤ちゃんは出血にも破水にも負けず、生きてくれていました。 未知の陣痛や出産よりも、我が子の命を失う出産が恐ろしくて気が狂いそうでした。
21週6日、3月14日に442g、27cmの小さな女の子を産みました。 出てきたときにはもう息を引き取っていました。 泣き声も聞こえない静かなお産でした。
それでもそのときは、悲しみよりも、娘を見たくて会いたくて、かわいくて仕方ありませんでした。 生きて産まれた赤ちゃんのように、カンガルーケアをしてもらい、へその緒をもらい、産着を着せてもらい、一晩一緒に過ごしました。
隣の部屋からは赤ちゃんの泣き声が聞こえました。 腕の中の私の小さい小さい娘は、天使のような眠ってるような顔で、目を開けることも、泣き声を聞くこともありませんでした。 ごめんね、ごめんね、と泣きながら抱っこしました。
火葬前に自宅に連れて帰り、一晩親子3人で過ごしました。 私は一晩中、ドライアイスと一緒に娘を抱き、作った服に着替えさせ、おもちゃや時間の限り手紙を書いて折った鶴や、お菓子や生花、写真などを棺に入れ、娘は見えないくらいいっぱいになりました。 死んでしまっていても、火葬して、姿形がなくなり、この手に抱けなくなるのが怖くてたまらなかった。
小さな娘はしっかり骨を残してくれました。 3カ月経った今も毎日悲しくて泣いています。 会いたくて会いたくて、愛しい可愛い娘をいつも想っています。 ずっと一緒にいたかった。 笑顔が見たかった。 声を聞きたかった。 愛情も教えてあげられず一人で逝かせてしまった。 もうこの手に抱くことも二度とできない。 どれだけ想っても会えない。
一緒にいた時間はもうずいぶん前のことのように、長い年月が経ったように思うのに、本当ならまだ娘はお腹にいました。 小さく小さく産まれたはずでした。
辛いとしか思えなかったつわりの時期も、今思えば、娘がお腹にいてくれただけで、元気に生きていてくれただけで、どれだけ幸せだったかと思います。
本当は死んでしまいたかった。 耐えられない悲しみだった。 でも同じ悲しみを抱えながら支えてくれた主人をこれ以上悲しませるわけにはいかなかった。 大好きな私の娘、あなたに会える日をずっと待っています。
ママにしてくれてありがとう。 短い間だったけど、お腹にあなたがいてくれて、一緒に過ごした幸せな時間、あなたをこの腕に抱いた感触、ずっと忘れない。 大好きなここちゃん、あなたに会いたい。
|
|
|
Name: 5月の子牛 ..access-internet.ne.jp
Date: 2014/06/18(水) 22:30
|
削除 |
Title: 37週 常位胎盤早期剥離で死産
|
|
先生も驚くほど健康な妊婦でした。 特にお腹が張ることもなく、つわりも1週間程度の軽いもの。 36週に入ると、先生から意識してお腹を張らせるようにという指示があり、毎日10km程歩いていました。
37週になり「もう生まれてきていいよ〜」と話しかけてもなかなかお腹が張るような事もなく・・・。 そんなある日の夜、お腹が急に張ってきました。 痛いけど、まだ陣痛には遠い痛み。 前駆陣痛だろうと、そこから荷物の整理、部屋の片付け等していました。 最後にアイロンをかけていると、痛みは増していき、今度はトイレに行きたいような、そんな感覚になりました。 嫌な汗を全身にかきながらトイレに入って少しすると、パンッと音がして、すぐジャバジャバという音がしました。 咄嗟に破水だ!と思いましたが、中を覗き込むと、トイレの中は血でいっぱいでした。
夜用ナプキンを当て、リビングに移動する間にナプキンはいっぱいになり、座ったソファーも、足元も血でヌルヌルになりました。 主人がマンションの前まで車を回して、荷物と2人の子供を乗せている間に、出血のせいか、立つのも辛い位になりました。 かかりつけの病院に着くと、慌てた様子でお腹に機械を当てて赤ちゃんの心音を確認しようとしますが聞こえません。 エコーで赤ちゃんを見ると、既に心臓は止まっていました。
わけも分からず、そのまま救急車で大きな病院へ転院させられました。 DICを既におこしており、両腕、首、手首に点滴用の注射針を刺されました。 そこから、鎮痛剤のお陰で落ち着いた私はしばらく眠りました。 朝になり,母体が落ち着いてきたので促進剤で出産。 3,000g、51cmの可愛い女の子でした。 本当に綺麗な愛らしい女の子でした。 初めて見たその子は丸い後ろ姿。愛らしい我が子。他の子と違うのは肌が紫がかっていたこと。 ああ。死んじゃったんだ…初めて大声で叫びました。 「ことりちゃん。ことりちゃん。ことりちゃん…ごめんね…。」
7リットルもの出血をしたので、暫く寝たきりの生活でしたが、先生に無理を言って6日で退院させてもらいました。 退院翌日、ことりちゃんはお空に帰りました。 私と、主人。誕生を心待ちにしていたお兄ちゃん、おねえちゃん。私の母と叔母、そして従兄弟に見守られながら、雨の日の晴れ間に飛んで行っちゃいました。 きっとまたママのお腹に帰って来てくれると信じて。
|
|
|
Name: ねねママ ..ocn.ne.jp
Date: 2014/06/17(火) 14:16
|
削除 |
Title: 39週 臍帯過捻転
|
|
3人目の妊娠でした。 新しい夫との間の第1子でした。 家族4人で生まれてくる赤ちゃんを心待ちにしていた矢先… 39週で、朝から陣痛が来ているにもかかわらず夕方になっても本格的な陣痛にはならず、何か変だなと思って病院へ行くと、心臓が止まっていました。 思えば2,3日前から胎動がとても少なく、私はそれをもうすぐ生まれてくるから頭が下りてきて動きが少なくなってきたんだなと思っていました。
「もう亡くなっている」と医師から告げられても、現実味がなく、手術をすればまた蘇生するんでしょ?と、ぼんやり思っていました。 子宮口が開いていたので、その場で促進剤を打って出産しました。赤ちゃんの力を借りずに自分ひとりの力で産めるのか、ただただ不安で、でもこの子を無事出してあげなきゃ、一目でいいから早く顔を見たい、その一心で、産みました。
産まれてきて、助産師さんが私のおなかの上に載せてくれた時のあの子、本当に本当にかわいかった。 まだ温かくって、ただ寝ているかのようで。なぜか涙は出なくて、上の子たちを出産したあの時と同じ喜びの気持ちだけでした。
喪失の実感がわいてきたのは数時間後。 一人ではいられなくて、誰かにそばに居て欲しくて、夫が隣りに居なくなると、私はこれからどうなってしまうのかと不安に駆られました。
死産から3日後、火葬しました。 その間に、近所の公園を夫と赤ちゃんと私と3人で散歩したり、上のお姉ちゃんに抱っこしてもらったり、買っていたベビー服を着せてみたり、家族写真をいっぱい取って、最後の夜は一緒のお布団で寝て、おむつを替えてあげて、やりたいと思ったことは全てやらせてもらいました。
あれから、6ヶ月が経ちました。 今は普通に仕事もしているし、笑うこともできるようになりました。 それでも、ふとした時、あの子がいれば…と思います。 あの子の為に買い揃えた服やくつ、おんぶひもは、捨てることはおろか、しまうこともできません。 死産直後の頃よりも、小さい子供連れのお母さんを見るのがつらいです。元気がなくなった時は、あの子のお墓参りに行くと、少し元気が出ます。 あの子のことについて、誰かに話したくてしかたありません。 生きている我が子の1歳の誕生日が待ち遠しかったのと同じように、あの子の誕生日が待ち遠しいです。 これからも、そう思い続けるのだと思います。
でも、わが子を失ったこと以上に怖いことなんてないと、いろんな意味で前向きになれました。 色んな事情と私の希望とで、私がもう一度妊娠することはないと思います。もう一人産むと、この子の存在が小さくなるような気がして、怖い。生まれ変わりじゃなかったら…と思うと前に進めない。夫には申し訳なく思うけれど、踏み出すことができない。
でもそれでいいと思えるようになりました。 末っ子は生きてはいなくても、我が子はずっと3人兄弟です。 あの子が、残された私たち4人を本当の家族にしてくれた、そう思えてなりません。 上の子2人も、たびたび、あかちゃんがいてくれたら…とさみしがります。今は、この悲しみを分かち合える我が子と夫がいることが幸せだと思えます。
この子が生きて産まれていたら気が付かなかった大切なことに、たくさん気が付きました。我が子を失って、得られるものもあります。あの子には、感謝してもしきれません。 私の娘として産まれてきてくれて、本当にありがとう。
|
|
|
Name: kotoyan ..hi-ho.ne.jp
Date: 2014/06/12(木) 20:11
|
削除 |
Title: 14週での死産、流産
|
|
娘と息子がすでにおり、去年の夏3人目を14週で死産しました。 望んで得た子でもあったので、とてもつらい体験でした。
明確な兆候はなかったものの、体がむくんだり下腹が異様に冷えたり、後で思い返せば気付くことができたのでは?と思えることばかりで、フルタイムで仕事していたことと、夫が単身赴任で二人の子供の世話をひとりでしていたこと、2人目の産後太りがなかなか戻らず運動不足だったことなど、思い当たることがありすぎて自分を責めてばかりいました。
そんな中、春にも妊娠の兆候があり、病院を受診したものの病院でははっきり妊娠しているとは言われず、様子見となり、結局流産しました。
処置の予定も入れてましたが、夏に死産した時と同様、自然に排出され、今回は初期とはいえ、やはり尋常ではない体験をして自分でも思いのほかショックを受けています。
夫の仕事の関係で実家からも離れ、心配させてはいけないと親にも言えず、ときどきぶり返すような悲しみを持て余しています。 子供たちも突然泣き出す私に不安を覚えるみたいです。 今は仕事をしていないせいもあり、慣れない土地でなかなか知り合いもできず、夫にばかり負担が行く不安もあり、自分が苦しんでいることを誰にも打ち明けることができません。
本当に苦しくて苦しくて、子供がすでにいるのに3人目を2度も失ったことが、自分は母親失格だからだと責められているようでつらいです。
子供を望むこと自体が罪のように思えて、子供を作ることに対して自問自答の日々です。
他の方の投稿を見て、確かに新たな命が授かっても失った命と同じではありません。でもそれを切望してしまう自分をとても危うく感じます。 来年の春までに子供が授からなければ諦めようと思っています。
たくさん時がたてば、失った子供たちのことを思い出さずに済むでしょうか。こんな風に突然の悲しみが日々襲ってきたりしなくなるのでしょうか。 本当にとてもとてもつらいです。
|
|
|
Name: ひかり ..spmode.ne.jp
Date: 2014/06/12(木) 11:00
|
削除 |
Title: 12週 人工死産 前全脳症
|
|
5月、大型連休明けに入院、出産というかたちで処置を受けました。
11週でエコー検査の結果から異常があることが分かり、その後、2度検査を受けました。 診断は出ませんでしたが、おそらく無頭蓋症か前全脳症ではないかとのことでした。 夫婦で話し合い、母体を第一に考えて人工死産を選択しました。
私には8歳になる子供がいますが、その子が生まれる前に胞状奇胎と完全流産を経験し、今回の妊娠前に繋留流産を経験しています。 何度かの辛い経験が自分や夫を強くしていたのかもしれません。 入院し、個室の病室で一人泣くことはあっても、誰かの前で涙が出ることはありませんでした。 ひたすら前向きに前向きにと考えていました。
出産という形をとった今回、一番辛かったのはLDRにて処置を受けることでした。 ピンク色の壁紙、可愛らしい装飾、置かれている物全てが幸せな出産を迎える人の為にあるようで、そうでない自分を嫌という程感じてしまい辛かったです。 でも、生まれてきた子には心から感謝しています。こんな私をお母さんにしてくれて、短いながらも幸せな時間を与えてくれた。 性別もはっきりしなかった子。その子 光にはありがとうという気持ちでいっぱいです。
その後、火葬、埋葬を無事に終え、自分の体調も戻ってきたので仕事に復帰しました。
何とか日常をこなす中、血液とおりものが混じったような物が出るようになり、今日,再び産婦人科を受診しています。 辛いことを忘れるようにして過ごしていた一ヶ月が嘘のように、あの時の気持ちが戻ってきてしまいたまらなくなります。 早く、健康な体に戻ってそれまでの日常を取り戻したい。そんな気持ちで過ごしています。
|
|
|
Name: RK ..au-net.ne.jp
Date: 2014/06/11(水) 16:00
|
削除 |
Title: 2度の流産
|
|
皆さんの投稿を読んで、少しでも前をむいて歩いていけるお役に立てたらと思い、投稿します。
私が1度目の流産をしたのは20歳の時です。 当時はつわりが酷く、1日中トイレで吐いてすごしてました。 その日は検診の日でした。朝起きると吐き気がなくなっていました。 病院に行くまではつわりが終わったんだと思ってました。 これからはしんどくない!!よかった!!と、思っていました。 でも診察に入ると、聞こえてくるはずの赤ちゃんの心拍は聞こえず、代わりに先生の「あれ?」と言う声が聞こえてきました。 その後、先生から説明があり「残念です。へその緒が赤ちゃんに巻きついたのではなく、へその緒が捻れて赤ちゃんが・・・」と言われました。 つわりがなかったのは赤ちゃんがいなくなったからなんだと、頭の中で反響するとともに、私が何かした?という疑問、なんで?どうして?という思いでいっぱいでした。
今回は残念だったけど、絶対、必ず赤ちゃんは来てくれる。2人で頑張ろうと言ってくれて、2人目を妊娠する事ができました。 でも2回目の検診の時に先生から「もしかしたら・・・」と言われました。 その後すぐに出血するようになり、3回目の検診前日、夜に家で胎盤がでてきました。 夜だったので、いつもとは違う病院に行くと、最初に出た先生に「なんでかかりつけに行かないの?見てわかると思うけど、もう赤ちゃんはいないよ」と、言われました。持って行った胎盤を、看護師が先生に「どうしますか?」とたずねると「捨てて」と言っていました。
私は、なんで自分ばかりこんな目にあうの?これからどうしたらいいの?赤ちゃんは私がママになるのが嫌なの?自分の何がダメなの?と、自分を攻め続けました。
仲が良い友達は、私が流産した時期に2人姉妹を出産していました。可愛いし、良かったね、おめでとう。と思う反面、素直に喜んであげられない自分もいて、自分の事が本当に嫌いでした。
旦那ともケンカばかりするようになっていたのですが、それでもいつも横にいてくれたおかげで、3人目を妊娠しました。 初期は出血があったり、お腹の張りがあったりしたのですが、無事に生まれてきてくれました。その時に2人のお兄ちゃんお姉ちゃんがママに力をかしてくれたんだと思いました。
流産の経験は言葉にできないくらい悲しいし、自分への怒りがありました。でも前を向いていかないとお腹に宿った赤ちゃんに、我が子に、申し訳ないと今では思います。
みなさんも今はまだ辛い、悲しい、自分に腹がたつと思いますが天国で会えた時、あなたと心の中で一緒に、あなたの分までママは幸せにすごしたよ。と笑顔で報告したくないですか?
|
|
|
Name: ぴよ ..au-net.ne.jp
Date: 2014/06/07(土) 19:56
|
削除 |
Title: 10週 進行流産
|
|
私は31歳です。結婚して8年、ずっと赤ちゃんが欲しいと思ってました。 不妊治療をしてましたがうまくいかず、今度うまくいかなかったらやめようと思ってた矢先の4月に陽性判定がでました。 「やっと」という思いと、嬉しくてたまらなかったです。
しばらくしてから毎日出血するようになり、入院したり自宅療養をしてました。 2回目の入院をした翌日に、経験したことのない腹痛と出血で、進行流産と診断されお別れをしました。 悲しくて苦しくてたまりませんでした。 意識がなくなってしまい、出血性ショックになりました。 貧血がひどく、入院期間も長引きました。 入院中も赤ちゃんの声が聞こえると涙が出て、退院してからも、家で1人泣いてばかりです。
あれから3週間が経ちました。 このままではいけないと思うけれど、空いてしまった穴をうめることができず、正直どうしたらいいのかもわからない感じです。
お別れの日、ずっとそばにいてくれた看護師さんが、赤ちゃんが教えてくれて、お母さんを助けてくれたんだよって言ってくれたことは覚えてます。 おおげさかもしれないけど、私が生きてるのは赤ちゃんのおかげなんだなって思ってます。 でも、赤ちゃん産みたかった。だんなさんに抱かせてあげたかったなって。 空からみてくれてるかなぁ。また私達夫婦のもとに戻ってきてほしいです。
ここに出会い、辛い悲しいさみしい体験をしたのは自分だけじゃないと感じました。 時間がかかるかもしれないけど、これから少しずつ前に進めたらいいなと思います。
|
|
|
Name: rei ..spmode.ne.jp
Date: 2014/06/04(水) 01:57
|
削除 |
Title: 6週 稽留流産
|
|
1人目、引っ越しの荷造りしている時に出血し、6週ぐらいで流産。 2人目、8週ぐらいで稽留流産と診断され手術。 3人目、無事出産。 4人目、7週ぐらいで稽留流産の手術。
今回5人目、生理予定日には妊娠と分かっていたけど、また稽留流産だと言われるのが怖くて、9週に入った頃病院へ。 その際、心拍は確認できたみたいでしたが、動いている画像は見せてもらえませんでした。 大きさは6週ぐらいとのこと。
受診5日後の夜11時半、トイレに行ったらおりものシートを通り越して下着にまで付く薄いピンクの出血があり、すぐに横になって安静にしていました。 次の日、出血は止まっていたものの、心配なので病院へ連絡すると「すぐに来て下さい」とのこと。 受診すると、担当の先生では無い先生に「心拍は確認できないし、お腹の中にはかなりの出血があります」「ほら」と、エコーに付いた血を見せられました。
「明日、担当の先生が見て心拍が確認できない場合は、手術になります。安静にしていないと流産しますよ」と。 パソコンのカルテには稽留流産と書いたのに、流産するってことは未だ可能性があるの?また稽留流産なの?と、頭の中はパニックになりました。
お腹の痛みも出血も無いけど、とにかく安静。 翌日、再受診すると、やっぱり心拍は確認できないため、その日のうちに手術するとのことでした。 病室へ向かう時に旦那は 「無理して2人目をつくることないじゃん。次があっても薬をたくさん使わなきゃいけなかったり、安静のためにずっと入院するとか大変じゃん」と。 私は処置のための何かを入れられた後でお腹は痛いし、手術のことで頭が真っ白なのに、そんなことを言われて。もう2人目を妊娠しないとなると、今まで会えなかった子達にも、もう会えないのかというおもいで頭の中はぐちゃぐちゃになりました。
何故私なのか。 私がちゃんと育児ができていないから、みんな私のところに来たくないのか。 太っているからか。あまり動かないからか。 旦那の風邪がうつってすごく咳込んでいたからか。堂々巡り。
手術室に向かうストレッチャーから見えた空はとてつもなく綺麗な青い空だった。
また守ってあげることができなかった。 こんなお母さんでごめんね。 又遊びに来てねとも言えなくなってしまった。 麻酔が掛かる前に涙が出そうだった。
あれから1週間。 このサイトを見つけて初めて涙が止まらない。 皆同じように辛い思いをしているんだと。今までの子に付けた名前を私だけが知っているのではなく、ここに書いても良いんだと思えた。
りょうちゃん、しょうちゃん、ひかるちゃん、そらちゃん。 お母さんの所に遊びに来てくれてありがとう。 又遊びに来てねと言えなくなったけど、お母さんがそっちの世界に行った時は会いに来てね。 君たちが男の子か女の子かも分からないし、顔も分からないけど、君たちのこと大好きだよ。 ちょっとの間、お母さんにしてくれてありがとう。 皆で仲良く暮らして居てね。
|
|
|
Name: 絵理葉 ..spmode.ne.jp
Date: 2014/06/03(火) 23:31
|
削除 |
Title: 8週 稽留流産
|
|
30歳にして、2人目を授かりました。 一人っ子の予定だった上、上の娘とは5歳離れていました。 年齢的にも体力は落ちているし、正直どうしようか迷いました。 そんな中、娘が「お母さん、赤ちゃんの音がするよ。おうちに来たいって」と言った言葉に、腹をくくりました。
20代の頃とは出来ることは減ったかもしれないけど、頑張ろう!と思いました。
初診の日、先生からは「ちょっと小さいね」と言われました。 大きさは6週にして5ミリ。その時には薄々気づいていました。 多分この子は無事に生まれてこない。
2週間後、心拍は止まっていました。やっぱりな、と思いました。 そのまま手術してもらいました。 旦那には上の子の世話を頼んでいたので、何も連絡せず、ひとりで手術にのぞみました。 不思議と悲しくはありませんでした。心構えをさせてくれていたのでしょうか。
先週の土曜日のことでした。
月曜日からは普通に出勤しました。 パートタイムではないので、日々フル出勤です。 出血はありましたが、もともと仕事が好きなのでたいして気になりませんでした。 お腹の大きなお客さんが来ても何も感じませんでした。 ただ、自分と同じ体験をしないで欲しいと、そう願うばかりでした。 やはり自分が体験して辛いことは、他の人にも経験してほしくなかったので。
職場の上司や友人からも「2人目できた♪」と幸せな報告を耳にしました。 「2回生理を見送ったらすぐに次の子供が欲しい」と、思いました。 しかし同時に気づいてしまいました。 私はただ、子供が欲しいわけじゃない、失った子供を取り戻したいだけなんだ。 また妊娠して、無事に生まれたとしても、その子は流産してしまった子じゃないのに。 決して同じてはないのに。
妊婦さんや赤ちゃんを見ても、何も感じることはありませんが、今の私の心は取り戻せないものを何とかして取り返したい、そんな気持ちでいっぱいです。 メンタルが落ち着くまではまだ少し時間がかかりそうてす。
恐らく再び赤ちゃんを抱くことはないと思います。流産した子を忘れられそうにありません。
|
|
|
Name: しーママ ..spmode.ne.jp
Date: 2014/05/24(土) 09:24
|
削除 |
Title: 10週 枯死卵 7週 不全流産
|
|
2014年2月に待望の3人目を妊娠。 つわりが酷くて脱水症状えで入院になったのですが、 一向に胎芽・心拍が見えず、枯死卵で流産しました。
その2ヶ月後、1回の生理を見た後にすぐ妊娠が判明。 今度は、つわりがほとんどなくて不安いっぱいでした。
7週まで待って受診すると、心拍が確認できたので大喜びしたのもつかの間、 翌々日から焦げ茶色の出血が始まり、赤い血も混ざりはじめたので緊急で受診しました。 心拍はちゃんと見えたので安心したものの、初期は安静しかないと言われ、トイレと食事以外は寝たきり生活をしていました。 しかし、診察の翌々日に強い腹痛・大量出血があり、そのまま赤ちゃんが流れ出てしまい流産してしまいました。
膣内に残っていた、胎嚢と胎盤を見せてもらいました。 ピンポン玉位の袋のなかにぼんやりとあった、 赤ピンク色の赤ちゃんの姿が忘れられません。
着床位置が下位だったので、始めから流産の確率が高かったそうです。
2度連続の流産です。 悲しい事がなぜ私に2回も起こるのかと切ないです。 でも、きっと必ずまた赤ちゃんは来てくれると信じています。
妊娠はほんと奇跡の連続なんだと身をもってわかり、2人の子供たちが余計にいとおしく感じています。 怒ってばかり、イライラしてばかりの私に子供たちの存在価値を教えてくれたのかと今は思います。
|
|
|
過去ログへの書き込み・返信は出来ません。
|