++山根一男の徒然日記++
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山根一男掲示板

4月 30日(土) 霞 祥子&霞ファミリー チャリティライブ
4月 29日(金) 松本へ
4月 27日(水) 西可児中PTA総会
4月 25日(月) 大西隆博さん岐阜市議に当選!
4月 24日(日) 第18回行方不明者捜索活動
4月 21日(木) 議運傍聴 議会改革の行方
4月 20日(水) 土岐市議 小栗恒雄氏応援に
4月 18日(月) 5/22に『戦争体験者の証言』開催【告知】
4月 14日(木) 議会改革アンケート集計
4月 13日(水) マツバギクの季節到来!
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 2011年4月1日(金)
 帷子公民館のサクラ咲く
 帷子(かたびら)公民館の玄関前のサクラ(たしか彼岸桜)が見ごろを迎えつつある。毎年、この近辺ではまっ先に、この帷子公民館のサクラが咲くので有名だ。 
 
 
少し肌寒かったが、さすがに四月だ。空は快晴。私の季節到来だ!(4月生まれという意味で…)手放しで春の訪れを喜びたいところだが、今はそういう状況にない。 
 
 一つは花粉症。今年はひどい!昨年はお世話にならなく済んだのだが、今年は早々に八百津の中島薬局(岐阜県加茂郡八百津町八百津4134 TEL0574-43-0135)まで走った。 
 
 以前にこのブログで紹介したことがあるが、ここの花粉症(アレルギー性鼻炎)向けの漢方薬は絶大の効き目がある。一包み150円で、一日2回服用が標準とのことだが、くしゃみ、鼻水、鼻づまりなどでくしゃくしゃな一日が、これで解消できるなら安いものだ。 
 
 もう一つは今日から始まった選挙戦だ。今日から岐阜県議会議員選挙運動期間が始まる。4月9日まで続く。民主・自民・公明党各岐阜県連は紳士協定を結んでおり、初日と最終日を除く毎日、午前8時から10時。夕方6時から夜8時までは、街宣車運行を自粛することになっている。 
 
 可児市選挙区においては、自民党公認候補陣営と話し合い、夕方の個人演説会への呼び込みアナウンスはOKということとした。選挙運動まで自粛するのが、いいことなのかそうでないかは、議論の分かれるところだが…県連レベルでもう約束してしまっているので、それに従うしかない。 
 
 ただ、無所属の陣営には強制できない。今日から選挙選がきって落とされた。
 

>> 返信
 

 2011年4月2日(土)
 がんばろう日本「黄色いリボン」で心をひとつに
 村上こうし後援会長 浅野 靖さん(西可児医院院長)の提唱によりメンバーらは「黄色いリボン」を上着の左の胸や肩につけている。 
 
 これは東日本大震災で被災された方への、お見舞いと復興へのエールを表している。この未曾有の国難に対して、私たちにできることとして、まず、私たち自身が元気になり、つながってゆことが大切だ。 
 
  震災や原発不安による工業生産の落ち込みや、農産物への不安、「自粛」による経済活動の低下などによって、さらなる苦難がこの国を襲う可能性が高い。 
 
 コップの中でのつまらない争いはもう止めにして、より多くの人がこの国の復興のために、やれることを模索し、心をひとつにしてゆくことが求められている。 
 
 黄色の由来は 
古くイギリスにおいて黄色は「身を守る色」といわれ、ハンカチやネクタイに使われてきた。アメリカでは「愛する人の(戦場での)無事を祈り、帰還を願う」(映画「黄色いリボン」)シンボルになっている。 
 
 フィリピンでは元アキノ大統領が黄色のシャツを市民革命に使ったのは有名である。日本でも、高倉健主演の「幸せの黄色いハンカチ」で夫婦愛として、また24時間テレビ「愛は地球を救う」のシンボルカラーなどに使われている。 
 
 オリンピックの五輪のマークにもあり、黄色は「命にかかわる大切な色」「愛と信頼と平和をあらわす色」として知られている。 
 
 そしてリボンは、「人と人を結ぶ、つなぐ、かかわる」ことを意味している。 
 
 つまり黄色いリボンをつけることは、「世の中の人と人とがつながり、平和と希望を求める心」を表す。同時に自分自身や大切に想う人の「無事」を祈り、自分と家族・友人・地域社会とのつながりを大切にする気持ちの象徴でもある。 
 
 私たちは、東日本大震災の被災者の方々を心から応援する。がんばろう東日本、がんばろう日本! 
 
 

>> 返信
 

 2011年4月6日(水)
 中日(なかび)
 選挙戦も中盤となった。あと4日で終わる。当初の民主・自民・公明党の協定通り午前8時から10時、午後6時から午後8時までの街宣車の運行は自粛しているが、選挙区内の政党公認候補同士の合意により、個人演説会の呼び込みに限り限定的に行っている。 
 
 今日ははじめて政連車(何の略称だか知らない)に乗って回った。これは政党の街宣車で、候補者は乗らないし名前の看板もない。2時間ほどだったが、帷子から春里・土田と回った。 
 
 ついつい自分のスタイルで、短い辻演(辻演説)を連発した。天気も良く虹ヶ丘から帷子を見下ろすような場所でやった辻演は最高に気持ちよかった。 
 
 もちろん、ストレス発散のために辻演をするわけではないが、見通しのいい場所で、気兼ねなくスピーカーと喉のボリュームも最大限に出せる場所でのそれは政治家冥利につきる。 
 
 考えてみれば、選挙期間中でなければ、このようなことはできない。あと4日、こういう機会があるかどうか分らないが、最後まで悔いの残らないように目いっぱいがんばりたい。 
 
 今日も帰りは22時を回った。明日も5時半起きだ。あと4日はこういう日々が続く。
 

>> 返信
 

 2011年4月7日(木)
 鉢合わせ
 昨日の朝の駅立ち、新可児駅に三陣営(村上こうし・小原ひさし・佐伯てつや/敬称略)が終結した。市議選なら三陣営、四陣営が朝の駅立ちで重なることは珍しくないが、県議選で立候補している三候補が全員並び立つというのは珍しい。 
 
 しかも、スタッフの一人が6時に駅に着いたときには、すでに一陣営が来ていたというのだから凄まじい。これから終盤戦にかけて、ますます過熱化していきそうだ。 
 
 


  スタッフは一人5時半より詰めていて、5時45分に他一陣営が来られたのです。一応訂正をば。
訂正求む ..4/8 16:28(金)
>> 返信
 

 2011年4月8日(金)
 慶事が五つ重なった日 4/7
 4月7日は私の54回目の誕生日だった。これが一つ目の慶事。今年も期待通り、私の誕生日に合わせて桜が満開となった。(笑) 
 
 次に、午前中は地元の西可児中学校の入学式、そして午後は南帷子(みなみかたびら)小学校の入学式だった。これが、今日の二つの慶事で合計三。 
 
 なんと西可児中学校の新一年生が174名で5クラスだったのに比べ、南帷子小学校の新一年生はわずかに53名で2クラス。西可児中は南帷子小と春里小の六年生の多くが進むのだが、たった6年でこの減り方は凄まじすぎる。 
※春里小の新一年生は66名ということなので、単純に6年後の西可児中新一年生は119名となり、現在よりも32%減少することになる。 
 
 南帷子小校区のほとんどは、団地ということで、世の少子化の傾向とそのまま比べられるものではないが、恐ろしいスピードで少子化は進んでいる。 
 
四つ目は19時からあった総決起集会。とても感動的なものだった…だからこれも慶事。だがこれ以上は今は書けない。ただ、とても不思議なことがある。私の他にもうひとり、村上選対の中核を担う方の誕生日が同じ4月7日なのだ。 
 
 人生において、自分と同じ誕生日の人に会う確率は極めて少ない。それが、同じ目標に立ち向かう同士であるということは偶然とは思えない。総決起大会はそんな縁起(?)のいい日に行われたのだ。 
 
 五つ目が2011年4月7日で、このブログ『山根一男の徒然日記』が10万アクセスを達成したことだ。7年と3ヶ月ほどかかっている。実際には5年ほど前の一時期、市長選に挑選した頃に、音声ブログに移行した時期があり(今でもそのブログはネット上に残っている)そちらが5000アクセスほどある。 
 
 世の中にはすごいアクセス数を誇るブログはいくらでもある。だが、私はただ数が多ければ良いというものでもないと思う。これだけ文章量の多いブログに付き合っていただいている方は、きっと心優しく、辛抱強い方だと思う。これからもおつきあいくださいますようお願いいたします。 
 
 
 


  おめでとうございます!
忙しいお誕生日でしたね。
4月10日は、いい事がまっていると思います!
慶事 ..4/8 16:51(金)

  久しぶりにこのデバイスに来させてもらう

ある役人にも言われた 「最近ブルーさんは書き込みをしないですね」との問いに答えた私の返事は 今でも変わらない

私は よりリアルな情報の発信と伝播に翻弄するが故 今は まさにリアルネットワークでの行動に出ている

山根さん 貴方にも おとつい ホットラインでお伝えしましたよね?

事は すでに ある程域まできています
私は貴方の熱烈な支持者だ そう ずっと昔から
私が ずっと昔から提唱してきた ゙誰もが 安心して暮らせる社会゙を 私が今も尚 それを実現する為に動いていることは 貴方は知っている おとついも伝えた

貴方は 本来の 貴方が抱いた信念を真っ当して欲しい
くれぐれも 政治屋にならぬように
ブルー ..4/9 0:51(土)
>> 返信
 

 2011年4月9日(土)
 選挙戦終了
 本日、20時をもって事実上の選挙戦は終了した。9日間の選挙運動期間はあっという間に終わった。ただ、結果が出ていないので、まだ終わった気はしない。個人的にはまだやれることはある。 
 
 心地よい疲労感とともに、やり足りないことへの悔いが残る。これが終われば次は自分の番だ…(本年7月市議改選)という思いもつのる。 
 
 本来は朝8時から夜8時まで、選挙カーを運行するのだが、今回は自粛で午前中の二時間、夜の二時間は選挙カーによる街宣活動はなしということで、かなりしばられた選挙だった。 
 
 明日は投票日。少しのんびりできるが7.15可児川豪雨災害行方不明者の捜索活動の活動日にしているので、今晩はまだその準備が終わっていない。 
 
 カタクリの花が咲いているので、いつもの可児川下流域自然公園駐車場は 
いっぱいかもしれない。 
 
 明日、見つかるといいけど… 
 

>> 返信
 

 2011年4月10日(日)
 投票日 17回目の捜索活動
 嵐のような選挙戦が終わった。今日は朝からいい天気、やっと春を満喫できる日和となった。岐阜県議会議員選挙の投票日とあって、心落ち着かない状況だったが捜索日にあてるには今日しかなかった。 
 
 昨年7月15日の可児川豪雨により、行方不明になっているお二人の捜索活動を昨年9月より続けている。これまでの17回の捜索で雪は2回あったが、雨には一度も降られたことはない。 
 
 そう思うと、自分は(?)晴れ男なのかもしれない。今日もいい天気過ぎて、いつもの集合場所、可児川下流域自然公園の市営駐車場やその周辺の道路は、カタクリの花を見に来られた方の車でいっぱいだった。 
 
 前回3月20日の捜索から三週間ぶりなので、どれくらいボランティアの方が集まるか不安だったが、行方不明の佐藤正二さんの会社の方が12人も来てくれて、合計30人ほど集まった。 
 
 
今日は、主力を可児川の木曽川合流点、日帰り温泉施設『湯の華アイランド』駐車場直下で行った。堆積した砂などの除去作業である。その他、一部の方は、はね橋上流100mで堆積物の除去作業等を行った。 
 
 先日の雨のせいか水かさが増しており、極端に岸辺が少なくなっていた。これからは草が生い茂り、ますます大変になってゆく。残念ながら、何も手掛かりになるようなものは見つけられなかった。 
 
 いったいどこを探せばいいのか、途方にくれる。ただ、捜し続ける限り、可能性はゼロではない。一緒に捜していただける方は、次回、捜索活動日、4月24日(日)午前9時30分、可児川下流域自然公園駐車場に集まっていただきたい。 
 
 

>> 返信
 

 2011年4月11日(月)
 やった!村上こうしさん当選
 本当にどきどきの選挙だった。私は村上こうし選対事務局長という立場であったので、責任はかなり重い。実は敗戦のあいさつをする覚悟で開票に臨んだ。 
 
 というのも8日(金)の佐伯陣営の総決起集会で、350人ほど集めたという情報が入っており、かなり焦っていた。村上陣営も、その前日の7日にアーラ小劇場にそのくらいは集めたのだが、佐伯陣営は組織を持たない。いわば口コミだけで集めてきた人数であるだけに脅威を感じた。 
 
 敗戦を覚悟しつつ、最終日9日は事務局長として、これまでに応援してくれている方や、自分の知り合いに徹底して朝から晩8時まで電話しまくった。私の危機感が感染し、中には50人以上に電話してくれた方もいた。 
 
 結果的には、その引き締めがよかったのだろう。もちろん、連合や名鉄労組、私鉄総連、KYB労組など労働組合の強固な組織票の基礎票があったこと 
が一番の勝因である。冨田市長の後援会が応援してくれたことも大きい。 
 
 結果は、村上こうし(11,019票)、小原ひさし(17,218票)、佐伯てつや(7857票)(敬称略)という票差になった。さすがに自民党は強かった。小原陣営は初日夕刻になってもポスターが貼られていないボードがあり、どうなってるのかと危ぶんだが…そこは自民党だ。いざとなれば結束するのだろう。 
 
 私にとっては組織選挙では、はじめて中枢ポストに就いての選挙であった。労働組合を中心に各種団体など150団体が推してくれた。慣れないことばかりだったが、村上さんの出身母体である名鉄労組や私鉄総連の方たちが実務面をしっかり固めていただいたので、なんとか重責をこなせた。 
 
 これで少しは枕を高くして眠れる。そして、いよいよ次は今年7月31日の可児市議会議員選挙、つまり自分の選挙だ。 
 
 このところ可児市内の選挙では、一昨年夏の今井雅人さんが当選した衆議院議員選挙、昨年夏の小見山よしはるさんが当選した参議員議員選挙、秋の冨田成輝さんが当選した可児市長選、そして今回の県議選と4連勝しているので、この勢いに乗って行きたい。
 


  戦勝おめでとうございます。村上こうし議員の組織力もさることながら、山根さんの努力は、戦功第1であると思います。
 これは、山根さんの日頃からの、人を思いやり、弱い者にたいして、手を差し伸べ、一緒に努力して改善しようとする地道な努力が、この選挙において、力を発揮したのです。
 本当に、おめいでとう。この勝利の意味は、本当に大きい。
JACK ..4/11 5:13(月)

   当選おめでとうございます。
選挙の時だけにならぬよう、民意を汲んでいただきたいです。 
職員等 ..4/11 14:32(月)
>> 返信
 

 2011年4月12日(火)
 ドッグショー
10日に可児市で本格的なドッグショーがあったことをほとんどの可児市民は知らなかったと思う。私もその日まで知らなかった。そもそも、犬は飼ってはいるが血統書とかとは無縁で、ドッグショー等には縁がない人生を送っている。 
 
 ただ、まちづくりの観点から犬については興味がある。5年ほど前だったか、新聞で東京世田谷区の駒場運動公園内のドッグラン(犬を囲いの中で自由に遊ばせる施設)が人気で、犬も入れるレストランができたり、中には犬のため近所に引っ越す方までいると聞き、単身世田谷区まで視察に行ったことがあった。 
 
 なるほど、犬を介していろいろな方が出会い、楽しそうに犬談義をしている。自然発生的に、犬のしつけや飼育相談など受ける方が現れ、犬を介しての人に交流がどんどん広がっている光景を見た。 
 
 場所も、それほど広くなく、テニスコートより少し広い程度で、柵があるだけなので建築費もそれほどかからない。公設ドッグランは今でもそう多くはないようだが、私は今でも、それを可児につくるべきだと思っている。 
 
 このことで一般質問したり、市長選挙出馬のときの公約に入れたりしたが、いまいち反響がにぶいのでそのままになっている。中には犬より人間が先だろうと批判する人もいた。だが、私が言いたいには犬を介しての、人のつながりである。人がそのまちに住み続ける一番の理由、それは友人や知り合いがいっぱいいるということだと思う。 
 
 さて、脱線した。肝心のドッグショーだが、たまたま7.15可児川豪雨災害行方不明者の捜索に来ているボランティアの方が、セントバーナード犬の有名なブリーダーの方で、ドッグショーの主催者などとも交流のある方なので、捜索後のわずかな時間だが少しだけ見ることができた。 
 
 場所は、花フェスタ記念公園南隣のふれあいパーク緑の丘である。ここの芝生広場は、地元の人にはそれほどのインパクトはないかもしれないが、大阪からこちらへ引っ越してすぐ、この公園に来たとき息を呑むような感動を覚えた。これほど広大な芝生広場にほとんど人がいなかったからだ、大阪の万博公園などイモを洗うように、人がうようよいる公園に慣れ親しんで来た身には感動的な公園だった。 
 
 会場は芝生広場ではない、駐車場の一角だったが、それでもかなりの広さだ。そこにキャンピングカーやバスなど数百台が停まっていた。主催はJKC岐阜東濃ブリーダーズクラブで、社団法人ジャパンケネルクラブ(JKC)の後援である。 
 
 見たこともないような珍しい犬や、大きな犬、おしゃれな犬、精悍な犬…とにかく高級そうな犬がわんさといた。全部で400匹ほどだという。人も関東から鹿児島まで300人以上集まっている。 
 
 これで中規模な大会だそうだ。実はこのブログでも触れたことがあるが、もっと大きなドッグショーの話が可児市に来ていたのだが、それを公園を管理する一部署の判断だけで断ってしまった経緯がある。 
 
 ただ、規則に芝生広場に犬や猫を入れてはいけないという項目があるのが理由だった。見れば分るがドッグショーに来るような犬は、そこら中で糞尿を撒き散らしたりはしない。 
 
 同じ市役所でも商工観光課などは、なんとかして可児市にお客さんを呼べないかと心を砕いている。全国各地からほぼ泊りがけで可児市へ来るのである、当然お金も落ちるし、知名度も上がる。ここに住みたいと思う方が現れるかもしれない。市長が代わり、このようなちぐはぐな対応はないだろうが、せっかく全国から可児市に来た方へ、何か名産品の販売とかあってもよさそうだが、何もなかった。 
 
 どのような形であれ、可児市を訪れていただいた方に、少しでもいい印象を持っていただけるよう官民あげて取り組む必要があると思う。人口が減少してゆく中、訪れてくれる方がどれだけいるかがまちの活性化に直結すると思う。ぜひ、こういったことの情報はしっかり受け止め、市民にももっと知らせてほしい。 
 
 

>> 返信
 

 2011年4月13日(水)
 マツバギクの季節到来!
 県議選も終わり少しほっとした。気がつけば春真っ盛りである。土曜日に雨が降るという天気予報を受け、少し余った時間を利用して妻と二人でマツバギクの手入れをすることにした。 
 
 西可児駅周辺の街路樹下などの植栽マスに、マツバギクを植え始めてから4回目の春だ。『西可児駅周辺を美しくする会』の活動としてやっているが、年4回の活動日(次回は6月26日日曜日午前9時30分から)だけではとても足りない。 
 
 マツバギクは5月〜11月にかけて、ショッキングピンクの花が次々に咲き続ける多年生の花で、乾燥に強く、肥料もいらず、差し芽だけでどんどん増える手間いらずの花である。 
 
 あまり深く根を張らないために、街路樹に対して悪影響を与えることはない。逆に表土を乾燥から守り、雑草の繁茂を抑止する。何よりもピンクの可憐な花は見る人の心を和ませる。 
 
 グランドカバーとしては最適の一種だと思う。岐阜県土木課でもその効果を認め、岐阜市内などでこの花を植えている。雑草除去費用が三分の一になったという報告もあるが、それでも地元の人の協力は欠かせない。 
 
 花は生き物だから当然だと思う。それでも花いっぱい運動のように、やりたくない方も含めて大量動員したり、巨額の費用(平成22年度予算で花苗・種代750万円)が必要なわけではない。差し芽でどんどん増えるために、花苗代はタダである。 
 
 では、どのような手間がかかるのかといえば、伸びすぎた部分をカットして、まだ根が張っていないところに移植することである。雑草の除去も必要だ。完全に植栽マスを覆うようになれば、雑草自体が生えにくくなる。 
 
 西可児駅周辺には植栽マスは二百以上ある。以前は雑草しか生えてなかった。今は7割程度はマツバギクが生えている。5月になれば、ピンクの花が咲き始めるので分ると思う。 
 
 公共の土地に市民が働きかけることをアダプトプログラムという。里親制度になぞったものだ。西可児駅周辺はほとんど市道で、この近辺の美化はかにロードサポーターとして『西可児駅周辺を美しくする会』に委ねられていて、年間維持管理費用5万円もいただいている。 
 
 それだけに責任重大だ。花を植えて美観を保つところまでは求められてはいないが、西可児駅周辺を美しくする会の方針として認めていただいている。 
 
 自分の家の庭は驚くほどきれいにする人は多い。その情熱を公共の場所へ注いでもらえばまちはぐんときれいになる。 
 
 そして、それをやることによっての満足感も大きい。誰もが、もっと気楽に公共の場所へ対して奉仕作業ができるようになるといいと思う。 
 

>> 返信
 

 2011年4月14日(木)
 議会改革アンケート集計
 可児市議会 議会基本条例調査研究プロジェクトチームの発案で今年3月に実施した『可児市議会改革のためのアンケート調査』の集計作業をした。 
 
 可児市民2000名を対象にアンケート用紙を送ったところ、810通、40.5%の回答を得た。回答を選択で選ぶだけでなく、ご意見や感想・提言などを文章で書いてもらう項目があり、その部分を打ち込んだ。 
 
 このアンケートは議会として行っているので約800通の打ち込み作業も議員が手分けして行っている。エクセルへの打ち込みなどができる若手中心に8人の議員が、二人一組でそれぞれ200通のアンケート結果の打ち込みした。 
 
 私は川合敏己議員と組んでやった。実はすでに3月末の県議選告示前に、数値部分については終えていた。これだけで5時間を費やした。二人とも選挙前の超忙しいときだったがアンケート集計を優先した。 
 
 今日は、文章回答の部分の打ち込みだったが、これが大変な作業である。中には紙面一面にびっしり書き込んでいる人もおり、遅々として進まなかった。結果、明日も続きを打ち込むことになった。 
 
 アンケートの内容は、議会に関する関心度などだが、中には月40万円の報酬が高いか安いか、22名の定員が多いか少ないかなどの設問もあり、当然名古屋市議会での問題が話題になっていた時期であり、多くの方が高すぎる、多すぎるという評価である。 
 
 ただ、根拠になるものが何も示されていないので、この結果は当然かもしれない。文章回答も、議員は何をやっているのか分らない…等、相対的に厳しいものが多い。 
 
 ふだんは政治的に無関心だという方の意見も多くあり、たいへん参考になる。回答者のほうも、このアンケートをきっかけに市議会に対して興味がわいたなどの意見も見受けられた。 
 
 正式に、このアンケート結果を公表するのは、次回『可児市議会だより』の発行を待たなければならない。それは8月中旬である。現在の、可児市議会議員20名(二人欠員)の任期は、今年8月10日なので、発表は改選後(可児市議会議員選挙は7月31日)となる。 
 
 可児市に限らないが、多くの方にとって議会は遠い存在のようだ。行政に情報開示や説明責任を求める前に、市民の代表である議会は、もっと市民の側へ飛び込んでいかなければならない。 
 
 それができていないから、名古屋市議会のような問題が起きる。私自身もまだまだ努力不足だと思う。ただ、唯一このブログは、多少とも議員がふだん何をしているのかという一つの事例を示す程度のことはできていると思う。 
 
 ただ、私の活動パターンは、地方議員としては特異な部類に入ると思う。他の議員がふだんどのような活動をしているのか、実は私自身もよくは知らない。 
 
 

>> 返信
 

 2011年4月18日(月)
 5/22に『戦争体験者の証言』開催【告知】
 選挙というのは、さまざまな人との出会いである。深く関われば関わるほど、より深く、より広い出会いがある。選挙というのは本音と本音のぶつかり合いであり、劇的な出会いもある。 
←板津忠正氏 
HP⇒http://www.itatsutadamasa.jp/shinzitu/shinzitutoheiwa.html 
 
 村上こうし県議を応援した今回の選挙でもさまざまな人と出会った。その中で神風特攻隊の生き証人である板津忠正氏(86歳)とお会いできたのは偶然なのか、必然なのか実に不思議な状況だった。 
 
 板津さんは元特攻隊員・知覧特攻平和会館の初代館長である。現在は犬山市に住んでおられるが、たまたま岐阜テレビに出演され、その放送を愛知県で観られないため、可児市でご自分が出演しているテレビ放送を観ておられるときにお会いした。 
 
 板津さんは昭和20年、沖縄特攻作戦に志願、鹿児島県の知覧基地より決死の覚悟で飛び立つも、エンジントラブルで不時着し、帰還された。そして、生き残った者の責任として、散っていった全国1036人の遺品収集に奔走し、知覧特攻平和会館を築いた。 
 
 可児市にもお一人だけ特攻隊員として、太平洋に散っていった方がおられることを知った。東帷子古瀬出身の柳生諭大尉、昭和20年4月12日没享年22歳。この方の遺書が公開されている。 
 
 私は出会いを大切にしたい。これまで十数回続けてきた『若葉台よもやま大学』にて、板津忠正さんの戦争体験「特攻の真実と平和」についてお話をしていただくことをお願いした。 
 
 板津さんは60年間にわたって、全国各地で戦争体験を語り継がれている。とても有名な方なのだが、若葉台の集会場での講演をご承諾いただけた。もっと大きな会場でとも考えたが…身近な場所で、より多くの方に聴いてもらうために若葉台よもやま大学での講演とした。 
 
 詳しいちらしなどはこれからだ。会場が若葉台集会所だからといって、若葉台の方だけに限定するものではない。100人以上はゆうに入れる会場なので、ご関心のある方はどなたでも来てほしい。 
 
 5月22日(日曜日)午後1時30分開演〜2時間程度…である。まだ、これからいろいろ準備しなければならないので、スタッフも募集したい。あの戦争のことを生で聴ける貴重な機会である。中学生なんかにも聴いてほしいと思う。 
 

>> 返信
 

 2011年4月20日(水)
 土岐市議 小栗恒雄氏応援に
 統一地方選後半戦、24日の投開票日をゴールに各地で市議選、首長選が展開されている。近くでは多治見・土岐・犬山・岐阜・関・大垣各市議選、山県市では首長選等にお世話になった方や知り合いが出ている。 
 
 ひとつ難しいことは、現在正式な民主党議員となっている自分としては、行きたくても行けないケースがありそうだ。少なくとも民主党公認の候補への激励を優先しなければならないだろう。 
 
 それはそうとして、義理を重んじる世界でもあり、以前に世話になった方、自分お選挙に応援に駆けつけてくださった方に対して無視を決め込む訳にもいかない。政治家にとって選挙は最大の…で、 
 
 …の部分の適切な言葉が思い浮かばない。イベントというには軽すぎるし、有権者に失礼だろう。ある意味、生きるか死ぬかの人生を賭けたチャレンジであり、このときに来てくれた方を最重要視せざるを得ない。 
 
 もちろん議員なり首長に当選すれば、等しく選挙民に対して忠誠を尽くすことになるが、本音のところでは選挙のときに駆けつけてくれた方を大事に思うことはいたし方の無いことだと思う。 
 
 それは、人が病気のときに、災害に遭ったとき、葬式のとき…つまり、一番困っているときに来てくれる方を大切に思うことと同じである。政治家にとって選挙はそれくらいの非常事態なのである。 
 
 そんなことを4年に一回、繰り返す生き方というのは、その道を選んだ人にしか分らない苦労がある。ただ、一方でほとんど何の苦労もなく、当選される方もいることも事実だ。 
 
 通常は、4年に一度のことだが、私は5年間に5回も選挙戦をたたかった経験があるので、人一倍危機感は強い。 
 
 土岐市で3期目に挑選されている小栗つねおさんは、そんな苦しい時にいつも強力に応援してくださった方だ。6〜7年前の久々利・大森のフェロシルト廃棄問題のときに、東濃地域の自治体議員が連携して三重県や四日市の石原産業に抗議いたことがあり、その頃に知り合った。 
 
 正義感が強く、現場主義で何事にも積極的な方で議員として尊敬している。選挙のときは応援演説等だけではなく、選挙カーの運転手から電話がけまでお世話になった。 
 
 土岐市議選は、定員18名のところに20名が立候補している。首長選も同時進行している。小栗つねおさんは、無所属で一人会派、大勢に迎合するタイプではない、組織票があるわけではないのに、前回は2206票でトップ当選を果たした。 
 
 初当選した8年前は約1100票。落選した12年前は550票だったというので、毎回票数を倍増してこられたが、今回は厳しいという。トップになると、あなたは大丈夫だと言われる。つまり褒め殺しである。 
 
 選挙ではこの「あなたは大丈夫」という言葉が一番こわい。現実に、同じ地域に新人が二人立候補しており予断を許されない状況にある。 
 
 行ったときは、ちょうど個人演説会があり50名ほどの方が来ていた。土岐市も自粛ムードで午前8時〜10時、夜6時〜8時の選挙カーによる街宣活動を自粛する取り決めになっているという。 
 
 このため、いつもに比べて静かで関心も薄いように感じるとの声を聴いた。いつの選挙でも、選挙カーがうるさいという声はあるが、四年に一度一週間くらい、まちを挙げて、まちの未来のことを考える機会と捉え受け止めてもらいたいものだ。
 

>> 返信
 

 2011年4月21日(木)
 議運傍聴 議会改革の行方
 朝9時から始まった議運(議会運営委員会)を傍聴した。約2時間半に渡って三月議会で初めて設置された予算特別委員会についての反省や、各種審議会委員への市議の参画の見直しなど、主に議会改革について協議された。 
 
 議員の各種審議会への参加については、報酬の二重取りだとか、市長の諮問機関である審議会の決定を、さらに議員の立場で採決するという構図について一部批判がある。 
 
 自治体によっては、議員は一切審議会委員に名を連ねないところもあるようだ。可児市はこれまでに何度か検討され、現在でも議員が参加している審議会は、執行部側から特に要請の強い6審議会だけだ。 
 
 このうちのひとつ土地開発公社の理事3名については、公社側からの要請がなくなり次期からは議員の参加はなくなることになった。 
 
 民生委員推薦会2名と都市計画審議会5名については、法的な根拠があるとして、今後も継続する。また、小学校・中学校通学区域審議会8名については、学校教育課からの要請もあり継続となった。 
 
 問題は、総合計画審議会5名と、私も現在所属している国民健康保険運営協議会4名については、現在のところ共に議決事項であるために本来は議員の参加は好ましくない。 
 
 ただ、総合計画審議会は第四次総合計画立案が終わったところで、今後3年間は必要ないため、今後の推移を見ながら検討してゆくことになった。国民健康保険運営協議会は、実情として議員が参加しないと議論が成り立たない現状があり、執行部からの要請もあることから当面現状通りとなった。 
 
 結局変わったのは、土地開発公社への議会から理事への就任がなくなったというだけで、これは公社側から要請が無くなったことから当然といえる。 
 
 もうひとつ議論になったのが、議会基本条例調査プロジェクトチームが行った『議会改革のためのアンケート調査』の扱い方だ。可児市民2000名への問いかけに対して810名が回答してくれている。 
 
 5月末〜6月初旬にかけた次期に、市民に対しての報告会を行うという方向だが、可児市議会として行うのか、プロジェクトチームとして行うのかが問われた。 
 
 いずれにしても議長の諮問を受けて行ったことなので、議会として発表することになるが、プロジェクトチームとしての報告会と、市議会としての報告会では重みが違う。 
 
 話の流れでプロジェクトチームとしての発表という形を取ることにはなったが、質問中味が議員定数を今のまま(22名)で良いか…とか、議員報酬月額40万円は高いか安かなど、多く方が関心を寄せている項目もあることから、それなりの対処の方向性を議会の合意の上に進めておく必要があるということになった。 
 
 ただ、この問題は議員に直接跳ね返る問題で、7月に控えた選挙にも影響を与える可能性があるために、極めて慎重さが要求される。望ましいのは、議会としてこの要求(定数・報酬削減)にどう対処するかを明確にすべきだが、任期はあと3ヶ月ほどしかなく、到底議論は尽くせない。 
 
 議員定数は法の基準では30名であるところを22名定数でやっているので、かなり少ないほうに入る。多治見市24名、関市25名、大垣市26名、各務原市26名、美濃加茂市18名…などと比較しても妥当か、少し少ない。 
 
 報酬可児市議会の40万円は、17年前から固定で大垣市55万3000円、高山市42万7000円、多治見市49万円、各務原市48万5000円、関市41万6000円…などに比べてもかなり低いほうだ。 
 
 とは言っても、名古屋市議会の報酬半減に端を発した多くの方からの議員に対する風は冷ややかである。議員の報酬は歳費と言われ、いわゆる労働対価ではない。時給換算できるものではないのだ。 
 
 であるからこそ、雇用主でもある市民の意思は重要である。議員としては報酬に見合った、否それ以上の働きをしなければ市民は納得いかないだろう。だが、その根拠を示すことはいかにも難しい。 
 
 当事者である議員同士での一致は至難の業だと思う。私は、これだけ世の中が疲弊していく中で、議員も少しは身を切る覚悟でないと多くの市民から糾弾されかねないという思いが強い。 
 
※一部削除5/20
 


   なんでも削減すれば良いというものではないと思うので一概に報酬を下げるのはどうかと思うが、山根さんの報酬の例に挙げた中に美濃加茂市が無いのが恣意的に感ずるのは私だけだろうか。
taro ..4/23 21:09(土)

  美濃加茂市は人口が可児市の半分程度、5万人弱なので省きました。ちなみに36万2000円です。近いところでは人口6.7万人の羽島市が41万5000円、6.1万人の土岐市が39万3000円、4.0万人の瑞浪市が37万5000円、5.5万人の恵那市が34万2000円です。
山根 一男 ..4/25 3:16(月)

   1年間の労働日数(時間)と、その結果が問題ではないでしょうか。
地方の場合、議会は年間70日が平均らしい。 それも8時間労働では無いはずです。

 矢祭町の例もあるように、時給は難しいとしても 日給など有る程度換算できるはずです。 選挙の応援とか、冠婚葬祭は労働なんですかね。 http://mytown.asahi.com/kanagawa/news.php?k_id=15000151009290001
職員等 ..4/26 16:52(火)

  市民の“つぶやき”
「議員歳費、まずは、充分な保証を!」

名古屋市議会報酬検討会議で「議員活動が見えないと言われるが、見ようとしない市民が多い」。という意見が出たそうである。正にその通りで、投票率をみれば歴然である。
議員報酬は、政治活動の自由と自立性を担保するものでなければならない。まず、初めに一律いくらにするという金額が保証されていてはじめて、各議員は政策の実現にそれをどう有効に使おうかあれこれ考えることができる。
議員の仕事ぶりの評価は、原則4年毎のガラガラポンとなる選挙での投票行為で決着すべきもので、まずは、充分な報酬を保証することこそ必要である。
一方、有権者も何もせずに、ただ「議員が何をやっているかわからない。」では、当然、選挙権を有する者の見識も問われ、有権者としての責務を果たしていることにならない。
また、立候補者も、地縁・血縁、組織に頼った選挙、名前を売るだけの無意味な連呼戦から脱却して、どこまで有権者に、政策で選んでもらえる選挙戦に変えていくかが問われることになる。
議会側も、議員の活動や報酬の妥当性を有権者に十分理解して貰う努力を怠っている。
議会改革に取り組む中で、選挙の在り方が従来通りでいいのか、選挙戦で有権者に議員の考えや政策を伝える機会を議会活動の一環として検討して戴きたいものである。
honebuto ..4/26 22:02(火)

  昨今、減税日本等の躍進に見られるように
「議員は給料が少なければ少ないほど良い」
というような論調が流行っているんですかね。
職員等さんもその意見の同調者のお一人とお見受けしますが。

議員の給料を減らす。

国会議員であっても、地方議員であっても、
額面上は非常に高額な給料を貰っていると言えます。
杉浦タイゾウが壁に手をつきながらカメラに向かってその高額さを自慢げに話していた映像が国民の目に焼きついていることでしょう。

しかしながら、はたしてそれが本当に高額かどうか。
という事です。

職員等さんが「労働かどうか」と疑問点にあげている冠婚葬祭。 選挙という就職活動を四年に一度向かえる「議員」にとって、これは必要不可欠な職務でしょう。
よって香典や祝儀などはほぼ経費となります。
自治会や地域の集まりに出れば会費を取られる。しかし出なければ議員を続ける事は出来ない。
そういう出費がかさむのが議員です。

これを例えば給料を半減したり、日給制にしたらどうなるのでしょうか。

正直言って、生活が成り立たないと思います。

これを読んでいる方は
「じゃあ、最初からそれでも生活が成り立つ人だけ議員をやればいいじゃないか」
と思うでしょう。

しかしそれだと金持ちしか議員になれない。
富裕層の意見しか政治に反映されないシステムが出来上がってしまうのです。

一般市民の、「議員は高額な額面の給料貰いやがって」という小さな嫉妬が原因で、
一般市民が置き去りにされる政治システムが確立されていくわけです。


そんな社会を一部の富裕層以外誰が望むのでしょうかね?職員等さんはそういう階層の方でしょうか?

はっきり言って、議員歳費程度の支出に子犬のように吠え掛かっているから国民の、庶民の生活は良くなっていかないんですよ。
小林隼人 ..4/27 2:32(水)

  >小林隼人さん
久しぶりに論理を伴った反論かとうれしく思ったのですが...

>正直言って、生活が成り立たないと思います。
バイトや他の職業(本業?)してますよ。

下記は問題が あったら削除で対応していただきたいが
川上議員のブログが大変正直です。

以下引用
-------
http://blog.kawakamifumihiro.com/?month=201102
議会はいらない?(朝日新聞)
2011.02.15 Tuesday 13:00 | - | - | -
全国の地方議会のうち、首長が提出した議案をこの4年間で一本も修正や否決していない「丸のみ」議会は50%、議員提案の政策条例が一つもない「無提案」議会が91%、議員個人の議案への賛否を明らかにしない「非公開」議会が84%――。

朝日新聞の全国自治体議会アンケートで、こんな議会のていたらくがはっきりした。いずれにも当てはまる「3ない議会」は全体の3分の1に及ぶ。
■■
可児市議会では、首長議案の修正ゼロ、議員提案政策条例ゼロ、議員個人の賛否公表は昨年から行っているのが現状で、首長の議案丸のみ50%、議員政策条例ゼロ91%の議会の中の一つです。
 ----------------------------
>議員歳費程度の支出に子犬のように吠え掛かっているから国民の、
>庶民の生活は良くなっていかないんですよ。

子犬とは私に対する誹謗?
正当な費用対効果があれば 月40万でも安いと思うが、上記の状態で
どうなのだろうか。 

 川上さんの日記にさらに追記するなら、議員個人の賛否公表を見ても、
反対をするのは、共産党か、小川ふきさんくらいだ。

ほとんどの議員は異議なーしで終わり。 
市役所の執行部に ほとんどお任せ状態ではなかろうか?  政治家の仕事として正当な状況と言えるのだろうか。 
俺話恐縮だが素人の私ですら、ボランティアで条例の見直しをさせているのに 議員歳費程度?と言っても貴重な税金で給料いただいて
これで庶民の生活が良くなっていくのか。 以上
職員等 ..4/27 20:47(水)

  反論拝見しました。
本日は遅いので後日返信します。
小林隼人 ..4/30 2:11(土)

  月40万など月収での表現は、なぜだろうか?

年収700万円だから、月収に直すと58.3万円以上。ボーナス等を入れないと他の地方とも比較し難いと思います。

議会が平均的に年70日あったとしたら、
ちょうど日給10万円です。
8時間働いたと仮定したら、時給12,500円。
市役所の非正規職員も市議同様、特別職ですが、私の知るところはでは 時給800円前後です。 
 非正規で働いていても、なにかとお金が必要かつ公務員として責任をも伴うのですが....。


職員等 ..5/1 17:26(日)

  議員報酬、可児市は700万円はありません。昨年の私の報酬額は669万6000円でした。
山根 一男 ..5/5 3:27(木)

   裁判なら、反論無き場合、擬制自白が成立し私の主張が認められます。
 ここで誰も抗弁なども無いのは残念ですね。
山根さんの主張では五十歩百歩でしょう。
川上議員のブログでは700万円になっていますし。
 ここで、“いや、可児の市議会議員は毎日こんなに仕事してます!”と反応無いのは情けない。

職員等 ..6/2 22:14(木)
>> 返信
 

 2011年4月24日(日)
 第18回行方不明者捜索活動
 晴れ男の本領発揮か、昨日までの雨はすっかりあがり、最高の天気となった。これまで18回の捜索活動定例日で雨が降ったことがない。(雪は2回ある) 
 
 ただ、かなりまとまった雨が降ったので、木曽川・可児川ともかなり増水しており、前回捜索の中心だった可児川が木曽川に合流する地点は、まったく岸辺がなくなっており、常置していた一輪車も水没していた。 
 

 今日も30名近くのボランティアが集まったが、はたとどこを探そうか迷った。結局、16日の運営会議で話し合われた被災現場の名鉄アンダーパスに近い虹ヶ丘橋から可児川左岸沿いに木曽川合流地点までを再度探すチームと、木曽川左岸の捜索ポイントをずっと下流まで点検する4人チームに分れて行動した。 
 
 木曽川左岸下流チームには、奥さんが行方不明の細田さんとお父さんが行方不明の佐藤さんの娘さんが加わり、犬山〜江南〜一宮〜笠松まで捜索ポイントを探しに行った。 
 
 一ヶ所、これは以前から細田さんが気にされていたが、扶桑町の木曽川扶桑緑地公園内に大量の流失物ががれきのように堆積している場所があり、ぜひ今後はもう少し人を増やして捜索したいという結論になった。 
 
 笠松は、佐藤正二さん(当時54歳)の車のバンパーとナンバープレートが発見された地点だが、災害当時に比べると草が枯れて倒れているので、全体的に見渡し易いという。 
 
 あと3ヶ月で、豪雨災害から1年となる。ここまで昨年9月は月4回、それ以降は月2回のペースで捜索活動を続けている。ここ数ヶ月はこれといった遺留物なども発見できていない。 
 

両ご家族の意向を大切にしながら、気になる場所は徹底して探していきたい。今後の捜索予定日は5月15日・29日、6月12日・26日である。いずれも日曜日、午前9時30分に可児川下流域自然公園の市営駐車場に集まって、各現場に向かう。 
 
 東日本では大震災による、万単位の行方不明者がいると報道されており、とても気になるが、誰もが探しに行けるわけではない。今できることに全力を尽くしたい。この地域で二つの命の行方が分らない。協力できる方はどなたでも構わないので、行方不明者のご家族と共に捜すのを手伝っていただけるとありがたい。 
 ※直接、当日来ていただいても構いません。お問合せは『可児川豪雨災害行方不明者のご家族を応援する会』事務局の山根一男(携帯:090-1821-4777)まで 
 
 

>> 返信
 

 2011年4月25日(月)
 大西隆博さん岐阜市議に当選!
 統一地方選後半戦が終わった。ここ数日は、近隣の市町の民主党公認候補者等の事務所へ激励に回った。といっても先日書いた土岐市1人と多治見市2人、岐阜市5人を回るのが精いっぱいだった。 
 
 合計で8人の事務所を回ったが、残念ながらそのうち岐阜市の民主党公認候補すみ守昭さんと、以前にうぐいすまでやってもらったことのある高橋かずえさんが落選した。 
 
 多治見市の井上あけみさんと岐阜市の和田直也さんは、それぞれトップ当選だった。井上さんは4年前の県議選で民主党推薦で出馬されたが、惜敗し今回市議に返り咲いた。もうひとり訪ねた、多治見市の民主党公認候補の石田さんも、見事上位当選された。 
 
 岐阜市議選の和田さんは、4年前に26歳で岐阜市議選に出て当選し、今回が二期目への挑選だったが見事、トップ当選となった。彼とはお父さんとテリーフォックスランの活動で一緒で、和田さんも私の可児市の選挙では応援弁士等で駆けつけてくれていた。 
 
 「市議会議員」と検索すると、なんと和田直也さんのホームページがトップで出てくる。彼はもともとホームページのデザイナーでもある。HPには彼の毎日の活動の詳細が書いてある。ここまで、情報開示している議員は他にはいないだろう。私も見習いたいが、とても真似できない。 
 
 彼が、4000票以上集めて岐阜市議のトップに立ったのも、そのホームページを見るだけで当然と思ってしまう。 
和田直也岐阜市議HP⇒ 
http://www.wada-naoya.jp/ 
 
 開票のときにどこに行くか迷った。激励は儀礼的な場合も多いが、開票時にその場所にいるということは、当落の瞬間を共有することである。結局、過去において一番自分が選挙時に関わった大西隆博さんの事務所に行った。 
 
 今回の選挙戦では、まったく手伝いはしていないが、昨年2月に彼が岐阜市長選に挑戦したときは、丸一週間関わった。教職を辞めて、政治の世界に飛び込んでこの社会を変えてゆこうとする、彼の心意気を尊敬している。 
 
 市長選の遊説の最中でも、いじめを受けて悩んでいる子どもや、その親からの相談の電話が携帯に入り、ていねいに対応していた姿や、直前まで勤めていた中学校の横を選挙カーで通過しようとしたときに、まるで学園ドラマのように沢山の中学生たちが駆け寄って来た様が忘れられない。 
 
 安定した職業を投げ打ち、市長選に挑戦するも得票率が足りずに供託金の100万円は没収され、その後の1年数ヶ月の間にも職を変えながら、今日の日を信じてがんばって来られた。 
 
 結果は41人の岐阜市議定員のうち40番目だったが、とにかく当選した。苦労の末の当選だけにこれからの彼の活躍が楽しみだ。岐阜市議選では、全部で14人の方が落選した。とても厳しい選挙だった。 
 
 


  本当にありがとうございました
大西たかひろ ..5/2 21:47(月)
>> 返信
 

 2011年4月27日(水)
 西可児中PTA総会
 午後から西可児中学校のPTA総会に来賓として呼ばれていた。平成17〜19年まで、三年連続PTA会長を務めた、勝手知ったる総会である。メンバーは代われども式次第や会の運営のシステムは変わらない。 
 
 それがPTAのすごいところかもしれない。平成23年度のスローガンは『学び育てよう豊かな心と生きる力〜増やそう家族の会話 そして笑顔〜』という…なかなかいいと思う。 
 
 このスローガンひとつ決めるにも、いろいろ苦労があるのだ。心なしか今日は参加される保護者の方も多く感じられた。全校生徒数は484人とのこと。30年ほど前の開校当初、広陵中学校を分離する前は1600人もいたというのだからその激減ぶりには驚嘆する。 
 
 平成23年度のPTA予算は126万8600円とのことだ。保護者や先生からそれぞれ2600円の会費を集めるお金だが、実はPTAにはもう一つ別会計がある。予算がなくて、会計報告だけがある会計だ。 
 
 それは資源回収の収益金であり、西可児中の場合、年に二度の資源回収で平成22年度で約450万円ほどであった。昨年度からの繰越金等を含めると600万円を超える会計規模となる。 
 
 数ある地縁組織の中で、PTAはダントツに裕福な団体であると言える。ただし、その収益金はほとんどが、部活動の充実や備品購入や、学習環境の整備等に使われる。 
 
 資源回収の収益金450万円のうち、約173万円は資源の売り上げではなく、市からの奨励金である。1kgにつき7円の奨励金がつくのである。この奨励金が今年度から1円下げられる。 
 
 PTA等の資源回収の意欲が削がれるとの議論もあったが、実態からしてこの程度は妥当だと思う。今回も西可児中で約200万円を、次年度に繰り越している。もともと、ダンボールなどの資源の価格が極めて低かった…それどころか引き取りにお金を払わなければならない時代に生まれた制度である。 
 
 この資源回収の会計自体、その制度はあっていいと思うが、実際問題として本予算に比べて大きくなり過ぎて、PTAとして持て余しているという状況だと思う。 
 
 PTAの本部役員はほとんどが毎年代わるので、この大きな予算を主体的に采配することは難しい。たいがい学校側の意向がそのまま通ってゆく。それも子どもたちのためという御旗のもとに悪いことではないが、もう少し地域への還元があっても良いのではないかと思っている。 
 
 資源回収は、それこそ地域住民の協力があって成り立っているのだ。だが、前例を変えて行くことは、単年度主体のPTAには至難な技であることは間違いない。
 

>> 返信
 

 2011年4月29日(金)
 松本へ
 食器棚とかをホームセンターに買いに行けないというので、娘が下宿を始めた松本へ行った。夫婦で行くつもりだったが、すでに嫁いでいる長女もついて行きたいというので、こぶ三つ付き、すなわち4歳と2歳と0歳の孫三人連れての珍道中となった。 
 
 娘は信州大学の近くの家賃3万7千円のマンションに下宿している。松本は1年だけで、二年生からは長野市に移ることになる。最近、塾の先生のバイトを始めた。 
 
 可児から松本は約200km。普通は2時間余りで着くのだが、今日は朝6時に出たのだが、連休初日と事故渋滞にはまって4時間以上かかった。 
 
 松本は、会社に入って最初の任地で1年10ヶ月過ごしたまちであり、勝手知ったるまちである。しかし、それも30年も前のこと、まちの様子は大きく変わっている。 
 
 ちなみに松本市は花いっぱい運動発祥のまち、そして市議会の公開度NO.1のまちということだ。北アルプスの峰々や美ヶ原の高原がきらきら輝く、素敵なまちだ。ただ、冬は滅茶苦茶寒い。私もマイナス16℃というのを体験したことがある。 
 
 帰りに市内にある温泉、浅間温泉に入って来た。サクラが見ごろなのを期待したが、先週が満開だったらしい。山もいっぱいあるし、松本がぐんと近くに感じた。 
  
 
 

>> 返信
 

 2011年4月30日(土)
 霞 祥子&霞ファミリー チャリティライブ
 以前に若葉台よもやま大学にも出演いただいた、霞 祥子さんと長男の各務宗一郎さん、お父様のテリー小山さんが、アピタ美濃加茂店でチャリティライブをやるというので応援に行った。 
 
 霞 祥子さんは、昨年秋、可児川豪雨災害の行方不明の捜索活動を始めた頃、金銭的な支援を申し出ていただき、アーラ(可児市文化創造センター)で開催したコンサートの売り上げ金から多額の寄附をいただいたことから交流が始まった。 
 
 霞さんは、八百津町にお住まいで二十数年学習塾を経営されてきたが、以前からの夢であった『歌手』になることを実現するために一歩踏み出された。 
 
 そんな矢先に83歳になるお父さんのテリー小山さん(芸名)が、脳梗塞で倒れ、そのリハビリも兼ねながら息子さん、娘さんと親子三代での音楽活動に勤しんでいる。 
 
 一時は、ほとんど言葉をしゃべれないほど言語障害がひどかったお父様も舞台に出て、人前で唄うことでめきめき回復した。自らシルバーアイドルと呼んで、とてもおしゃれで、茶目っ気たっぷりのお父様である。 
   
 2010年3月にはファーストシングル「こころ/尊きあなたへ」をリリースし、現在は福祉施設などを中心にボランティア活動なども精力的に行っている。 
 
 長男の各務宗一郎さんも、今年立命館大学(滋賀県)を卒業し、本格的に歌手としての活動もこの地域で始めた。家族で唄えるなんて、とても羨ましい。観る人に家族の優しさと、チャレンジするこころを伝えてくれる。 
 
 
11時30分と14時と二度あったが、両方とも行った。アピタ美濃加茂店は、この辺りでもかなり大型な商業施設である。買い物に来たお客さんの足を止めさせるだけの魅力ある40分コンサートだった。 
 
 冨田成輝可児市長の思いに『安心して楽しく暮らせるまちづくり』ということがあった。歌や音楽の持つパワーははかり知れない。霞さんは可児市民ではないが、この地域を舞台に活動されている。楽しく暮らす…のキーになるのは音楽だと思う。
 

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