++山根一男の徒然日記++
山根一男HP 〜やまネット〜

山根一男掲示板

5月 29日(日) 岐阜コミュ二ティ創造大学 開校記念講演
5月 28日(土) プレゼン・会議・報告会
5月 27日(金) 可児市セクハラ裁判 第5回口頭弁論記述
5月 26日(木) 六月定例議会 初日は31分で終了
5月 25日(水) 通算29回目の一般質問通告
5月 23日(月) 夏休み地域児童クラブモデル事業検討会
5月 22日(日) 復興支援ボランティアバス
5月 21日(土) 第17回若葉台よもやま大学終了
5月 19日(木) 明日から東北へ
5月 18日(水) 県庁記者クラブ
2011年 5月
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 2011年5月3日(火)
 九州韋駄天往復1960km
 連休を利用して、九州にいる母親を尋ねることにした。77歳、近頃あまり調子が良くないようだ。去年、一昨年と娘夫婦を伴って行った。孫連れ、母親からするとひ孫である。 
 
 ただ、今年は三人目の子が生まれて、まだ4ヶ月ということで長旅は控えたほうが良いということになった。それで夫婦で行くことにした。高速料金上限1000円の制度も、終わるようなのでこれが最後のタイミングである。 
 
 目的地は熊本県宇城市三角長(みすみ)私の生まれた土地だ。天草五橋の一号橋のたもとに位置する。可児市からは片道1000km弱ある。かなりハードな行程である。しかも3日に帰ることにした。 
 
 過去の経験では、休憩を入れて15〜16時間。交代で運転する。1日の午前0時に可児を出た。途中、下関で事故渋滞に巻き込まれ、さらに九州に入ってからも断続的な渋滞で着いたのは午後4時。予想通り16時間かかった。 
 
 予想していたより元気な母親の姿に、少し安心した。肝臓に少し不安があり、2日に病院に行き医師から病状等も聞くことがだきたが、今のところ心配はないとのことだった。 
 
 帰りは2日の23時に三角を出た。深夜なので広島辺りまでは順調だったが、朝方少し仮眠したのが災いし、加古川辺りから猛烈な渋滞にひっかかった。渋滞40kmということだが、進むほどにさらに伸びてゆく。 
 

 京滋バイパスを選んだが、通過するのに2時間以上かかった。草津パーキングエリアでガソリンを入れようとしたら、50台以上並んでいて止めた。さらに一宮辺りまで渋滞と知り。決断した。 
 
 栗東インターで降りて、湖岸道路を長浜まで北上し、国道365号線を通って関ヶ原へ、そこからは国道21号線をただひたすら可児まで帰ってきた。渋滞するはずないと思っていた伊吹山山麓の365号線も渋滞だった。 
 
 結局、自宅に帰り着いたのは今日の22時。往き16時間、帰り23時間。三日間で70時間のうち、実に39時間を車の中で過ごした。超ハードだったが、少しだけ親孝行できた。
 

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 2011年5月8日(日)
 歌手デビュー?
 以前からお世話になっている可児市大森にあるカラオケ喫茶『たかね』が開業30周年の「感謝歌謡まつり」をやるというので、義理もありまた、応援する思いもあり申し込んでいた。 
 
 それが今日だ。アーラ(可児市文化創造センター)の小劇場で朝10時スタートだった。私の出番は午前11時30分頃、13番目ということだった。こういう歌のイベントに出るのは生まれて初めてだ。 
 
 元来カラオケは嫌いではない。上手か下手かは想像にお任せするとして、レパートリーは結構あるほうだと思う。一緒に歌う人に合わせて、演歌からニューミュージック(この辺の表現が古いか)まで歌う。 
 
今回は、年配の方が多いと踏んでいたので、三田明の「美しい十代」を選んだ。白い野ばらをささげる君に〜というやつだ。多分、私の小学校1年生くらいのときに流行った歌だが、聞き覚えのある最も古い歌だ。 
 

 アーラの小劇場は、他のことでは何度も立ったことはあるが、歌で舞台に立つのは初めてだ。出演者はなんと111人もいて、朝10時から始まって終わるのは夜の7時30分ということだ。歌ばかりでなく、今渡八幡宮太鼓保存会の演奏なども織り交ぜられている。 
 

プロの方も10人もいて、私のすぐ前が徳間ジャパンの青山花梨。他にアースゲットレコードのジョージ林、ホリデイジャパンの滝沢のぼる、キングレコードのてらその淳子、徳間ジャパンの林ミサ、樋口三紗、緑川恵子。エンドレスの吹越通、テイチクレコードの成田実。古都清乃と豪華メンバーである。 
 
 アーラの音響がいいせいか、何とか無事に歌えた。小劇場とはいえ300人の席がほぼ埋っていた。たぶん耳の肥えた方が多い。また、歌う方はプロの方はもちろん相当な方が多くてさすがだなと思った。 
 
 たった1曲、ほんの数分間だが、そこに自分の全エネルギーを集中する。歌手の方の気持ちが少しは分った気がする。おそらくこれが最初で最後だと思うが、こういう世界があることを知り、得がたい体験だった。 
 
 ひとつおもしろいことに、最初に冨田成輝可児市長があいさつをされたのだが、午後に親戚の方が出ているということで、古川雅典多治見市長も来られていて、急遽あいさつをされた。 
 
 カラオケ喫茶たかねには、地域のお年寄りたちのカラオケサークルの人たちが曜日を決めて集まって来る。健康で楽しく暮らしてゆく上で、カラオケもひとつの方法として、さらに拡がってゆくものと思う。
 

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 2011年5月9日(月)
 はぐれうさぎの会は15日【告知】
 いじめ・不登校ほっとライン 『てのひらの会』の活動の一環として、可児市中心部の公民館を利用して、月に一回のペースで相談会を実施している。不登校の子を持つ保護者など数名と、カウンセラーの先生も参加する。 
 
 この会を『はぐれうさぎの会』という。次回は5月15日 日曜日午前10時からだ。私はこの日は、行方不明者の捜索活動などもあり参加できないが、もし、このブログをご覧いただいている方の中で、子や孫のいじめや不登校でお悩みの方がいれば、ぜひ参加をお勧めしたい。 
 
 こういうのをセルフヘルプグループというそうだ。同じ悩みや不安を持つ方同士が集まって、お話することによって励まされたり、問題解決の糸口が見つかったりする。 
 
 15日が無理な方でも、たぶん来月もあるので気になる方は私のほうまでご連絡いただきたい。⇒携帯:090-1821‐4777 yamanet@ma.ctk.ne.jp(山根) 
 

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 2011年5月10日(火)
 震災ボランティア
 息子が帰って来た。朝7時に現地(岩手県大槌町)を出て、可児市福祉センターに着いたのは夜10時前だ。7日の出発の日にも送って行った。 
 
 可児市と可児市社会福祉協議会(以下社協)が協働で、岩手県大槌町にガレキの処理などのボランティアを派遣した。私が行けと言ったわけではないが、息子はダンス仲間三人で申し込んでいた。 
 
 私もよっぽど行きたかったが、四日間とはいえなかなか予定を空けるのが難しかった。今回は、市社協に登録している300人もの災害ボランティアから有志を募り、その中からさらに選抜した20名に市職員、社協職員、運転手2名を加えた26名ほどで行った。 
 
 災害ボランティア登録300人というのは、私も一応登録しているが、岐阜県全体の20%を占め、可児市は特段に多いようだ。 
 
 毎日、被災地の映像が映るたびに、自分も何かできないかと思ってしまうが、このようの市や社協が率先して人員を募って、現地に派遣するということは良いことだと思う。 
 
 息子によると、ちなみに参加費は1万円だ。4日間と言っても初日と最終日は、バスの移動だけでつぶれるので、実質は2日間、しかも宿泊場所が作業現場からは3時間ほどかかったという。 
 
 映像に映るガレキの山を見ていると、さっさと片付けられないものかと思ってしまうが、実際には20人がかりで1軒の家のガレキを撤去するだけでも1週間もかかるという状況だという。 
 
 16年前の阪神大震災の被災地へは何度もボランティアに行き、状況はある程度想像できるが、やはり行ってみないと分らないことが沢山ありそうだ。 
 
 あの時と違うのは、被災地が広範囲で遠いということだ。日帰りでボランティアという訳にはいかない。息子の友人によると、いくらでも人手は必要で、日本の大学生が皆行ってもいいくらいだという。 
 
 やはり、痛みを共有する意味でも、可能な国民は一度は被災地に行って復興を手伝う必要があるのではなかろうか。現地での受け入れ体制など、解決すべき問題は沢山あるが、社協や市がこのような機会をつくったことは評価したい。 
 
 できることなら、今回のノウハウをさらに活かして第二次、第三次の市民ボランティア隊を派遣してほしい。私も、タイミングが合えばぜひ参加したい。 
 

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 2011年5月11日(水)
 いじめ防止第三者機関検討委員会 傍聴
 午後1時半より、可児市役所5Fで開かれた、いじめ防止第三者機関検討委員会を傍聴した。傍聴者は私を含めて4人、遅れて公明党のお二人の市議も来られた。すべて顔見知りである。 
 
 この委員会は、冨田市長の肝いりで選挙公約にもあったいじめ根絶に対する、まったく新しい取組みとして私もたいへん注目している。学校でのいじめに対しても、学校や教育委員会に任せるのでなく、市長部局であるまちづくり推進課を中心に人権擁護という見地から取り組むところが新しい。 
 
 どのような組織をつくることが望ましいのかを、検討するために7名の委員が選ばれ、市長・教育長はじめ9名の市職員とのディスカッションという形で進められた。 
 
 このような委員会では、市長は冒頭の挨拶だけで退出されるケースも多いのだが、冨田市長は2時間半最後までいて、積極的に議論をする姿が新鮮だった。 
 
 今日は二回目ということで、コーディネーターには中部学院大学子ども学部子ども学科教授の喜多一憲さんだ。この方は、偶然というか息子が3月までお世話になっていた先生である。 
 
 この他、可児市人権啓発センター事務局長の川手靖猛さん。この方は元市議会議員の先輩として、たいへん尊敬している方だ。他にスクールソーシャルワーカーや、元PTA会長、子育て支援ネットワークの会員、私も所属する「いじめ・不登校ほっとラインてのひらの会」からもメンバーが参加している。 
 
 7名のうち4名が女性という、この手の委員会としては珍しく(女性の比率が高い)平均年齢も40歳くらいでかなり若い部類だ。 
 
 この委員会に与えられた課題として、学校現場でのいじめを解決し、なくしてゆくための第三者機関をつくることである。平成23年度可児市一般会計予算では、前年度に比べ192万5千円ほど、人権啓発センターの補助金が増加し772万5千円となっている。この差額が、今回の新たな政策に向けての予算であろう。 
 
 執行部からは、小中学校長からの意見や、スクールカウンセラーなどの相談件数、先行事例として宮城県・埼玉県熊谷市・東京都・京都市・尾張旭市などの事例が示された。 
 
 だが、単に第三者機関といっても、現時点ではそれぞれイメージがばらばらで、これという確固たる形は見えてこなかった。それをこれから創るのであるから当然だが、かなり大変な作業になりそうな予感だ。 
 
 ある委員からは、子どもは知っている人にしか心を開かない…という指摘があり、現在のスクールサポーターをもっと活用する提案があった。 
 
 それもそうだと思う。現在は1小学校と五つの中学校にスクールカウンセラーやスクール相談員がいるが、その相談件数は一番多い蘇南中で年間28件程度、全部合わせても116件と低調だ。 
 
 私は、この第三者機関に子どもが直接連絡して来ることはあまりないと思っている。むしろ保護者から、あるいは学校からの相談が多いのではないだろうか。 
 
 ここからは私の意見だが、弁護士やカウンセラーなどを含む第三者機関を設置し、その事務局を人権啓発センターに置くとして、各中学校区にもそれぞれ、拠点があるべきだと思う。 
 
 地域のことは、その地域の方にしか分らないことが多いからだ。可児市には五つの中学校区があり、それぞれにEduce9(エデュースナイン)という仕組みあり、子どもたちの育成を地域全体で取り組んでいる。 
 
 私は西可児中学校区のEduce9に5年間携わり、それなりに基礎を創って来たという自負はあるが、校区により活動力にはかなり差があると思う。しかし、こんなときこそ出番である。 
 
 本来なら、Educe9がしっかり機能していれば、いじめなど起きないはずだ。なので、Educe9の各組織に5名程度のいじめ防止部会を設けてもらい、第三者機関と連動して問題解決に当たる。 
 
 何よりもお願いしたいのは、第三者機関は問題をぜひオープンにしてもらいたい。もちろん個人的なプライバシーには配慮すべきだが、ある学校でいじめ問題があればぜひそのことを公開し、例えば地域の方が順番に参観に来るとかの対処方法を検討してほしい。 
 
 学校や教育委員会は、どうしても問題を隠そうとする。これはある意味しかたのないことだ。第三者機関なら、どこどこ中学校でどういう問題が発生しているか公開し易い。 
 
 まず、いじめがあることを認めることから始めないと、前に進まない。以前にこのブログでも触れたが、市内の小規模中学校でいじめが原因で、今でも3人ほどの生徒が不登校のままだ。 
 
昨年12月18日の私のブログから『道徳授業を参観』↓ 
http://www.th21.jp/adiary/diary3.cgi?id=yamanet&action=view&year=2010&month=12&day=18#12_18 
 
 学校も教育委員会もそのことは認識していても、手が出せない。いじめている子、もしくは傍観している生徒を何とかしない限り、この問題は解決しない。こういうケースこそ、第三者機関が機能すべき事案だろう。 
 
 宮城県のいじめ問題学校支援委員会では、いじめている児童生徒に対して、出校停止を含む毅然とした指導が必要であるとしている。 
 
 いじめが原因で不登校になった子らは、教育を受ける権利を奪われ、夢や希望を描いていた進路の変更を余儀なくされてしまう。場合によっては、命され投げ出す子もいる。一刻も早く、第三者機関がしっかりと機能し、少なくともこの可児市からいじめを追い出してほしい。 
 
 
 

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 2011年5月12日(木)
 板津忠正さんに会いに行く
 5月22日(日)午後1時30分から、若葉台集会所(可児市若葉台3-21)で予定している第17回若葉台よもやま大学 戦争体験者の証言『特攻の真実と平和』の講師、板津忠正さんのご自宅を訪問した。 
 
 当日の打合せが目的だ。同じ若葉台で一緒に若葉台よもやま大学を運営している亀谷光市議も一緒に行った。亀谷市議は、こういった歴史や文化、地元帷子(かたびら)のことにはめっぽう詳しい。 
 
 板津忠正さんのご自宅は、お隣りの市、愛知県犬山市である。ご年齢は86歳ということだが、少々耳が遠い以外はまったく年齢を感じさせない方だ。今日も午前中は3時間、テニスをして来たという。なんでも東海地方の80歳以上のタイトルを持っているそうだ。 
 
 奥様もお元気だ。なんと今日がダイヤモンド婚式、つまり結婚してから、ちょうど60年目だという。 
 
 お話を聞くほどに、板津さんがいかにすごい方かわかってきた。私はまだ行ったことはないのだが、板津さんは鹿児島県南九州市にある、知覧特攻平和会館の初代館長である。 
 
 この平和記念会館には、1036柱の隊員の遺影が出撃戦死した月日順に掲示されている。その遺影や遺品などのほとんどは板津さんが全国を回って集めてきたものだ。昭和48年頃から、特攻隊員遺族を回りはじめ多いときは3年間に10万kmも車で回ったという。 
 
知覧平和記念会館↓ 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A5%E8%A6%A7%E7%89%B9%E6%94%BB%E5%B9%B3%E5%92%8C%E4%BC%9A%E9%A4%A8 
 
 一言で遺族を回るというが、それは湿舌に尽くしがたい苦労の連続であったと思う。そもそも名簿なるものがないのだ。進駐軍らの追及を恐れ、多くの特攻隊員は出身地を隠していた。 
 
 まず、手紙でご遺族の方に打診する(遺書や遺影の提供)するのだが、ほとんどが宛先不明で帰って来たという。はがきにびっしりと依頼の文章を書いた宛先不明の郵便を300通以上見せてもらった。 
 

 可児市では唯一、東帷子(古瀬)の柳生諭さん(少尉・写真)が知覧特攻平和会館に遺影が展示されている。昭和20年4月12日、沖縄戦で戦死された。大正11年生まれということなので、享年24歳ということになる。 
 
 ※柳生諭さんの写真に少尉と記されていたのですが、特攻による戦死で二 階級特進となり、大卒である柳生さんは大尉となれています。  
 亀谷さんによると現在の芝浦工業大学を卒業されているらしい。当時の特攻隊員でも学卒者は少なく、相当優秀な方だったと思う。柳生諭さんの書かれた遺書があるのだが、達筆で候文で書かれている。多くの遺書が平和会館にも展示されているが、候文で書かれているのは柳生さんだけだそうだ。 
 
 もし、ご遺族の方の了解が得られたら22日の講演会当日に、この柳生諭さんの直筆の遺書を展示させてもらうよう、交流のある亀谷光市議からお願いしてみることになった。 
 
 もうひとつ貴重な物を見せていただいた。(写真)飛行帽とゴーグル、飛行時計、そして当時の知覧町立高等女学校の方が作られた「必勝」のはちまきだ。(5月22日の講演会にて公開予定) 
 

 飛行帽は、パイロットの証でもあり、持っているだけでGHQなどから追及されるという噂で、多くの飛行機乗りは処分してしまったらしい。飛行時計はずっしりと重く、歴史の重みを感じる。 
 
 「必勝」のはちまきは、選挙などでおなじみだが、まさしくこのはちまきをして死地へ赴いた若者たちを想うと、選挙などで使う必勝はちまきが空しくなる。 
 
 日の丸は紅い生地を縫い付けてある。端のほうにつくった女学生の名前が記されている。ただ、知覧高女による特攻隊員の応援は、恋愛に発展する可能性があるということで、数ヶ月で取り止めになったという。 
 
 板津さんによると、特攻隊は片道のガソリンだけで飛んで行ったという話があるが、それは嘘だという。ガソリンは満タンで出撃していた。このほうが敵艦に命中したときのダメージも大きいのだ。 
 
 また、すべての特攻隊員は強制されて隊員になったのではなく、志願して特攻任務についたのだという。板津さんは、2007年5月に封切られた東京都知事、石原慎太郎氏総指揮・脚本の映画『俺は、君のためにこそ死にに行く』の監修も務められ、まさに歴史的生き証人として活躍されている。 
 
 
俺は、君のためにこそ死にに行くHP↓ 
http://www.tsutaya.co.jp/cinema/sp/chiran1945/index.html  
 
 私も今まで知らなかったのだが、有名な神風特攻隊は海軍であり、板津さんの所属は陸軍であった。陸軍では振武隊などと呼ばれていたようだ。ウィキぺディアによれば、旧日本軍の特攻による戦死者は1万4千人にも及ぶようだが、そのほとんどの記録は闇の中だ。 
 
 陸軍に板津忠正さんがいたおかげで、知覧平和記念会館ができ、私たちは特攻の事実を目の当たりに見る事ができる。特攻の事実を歴史的にどう捉えるかは、とても難しい。 
 
 ひとつ間違えば戦争賛美ともなる。私は決して右翼的な人間とは思わないが、やはり日本人として特攻の事実があったことは知っておく必要があるし、真摯に受け止めるべきだと思う。その上で、今日の平和、これからの日本と世界の繁栄を考えるべきだと思う。 
 
 板津忠正さんは、かけがえのないお仕事をされた方だ。22日は、自治会の集会所とはいえ100名以上は優に入る。駐車スペースもけっこうある。名鉄広見線西可児駅からは歩いて12分ほどだ。 
 
 若葉台の地域の方はもちろん、戦争を知らない層、中学生や高校生なども含め教育関係者などにもぜひ、来てほしい。岐阜県内での板津忠正さんの講演は平成7年の可児市教育委員会主催の可児市福祉センターでの講演以来16年ぶりである。(開催協力金 300円必要:ティーサービス付・問合せ⇒090-1821-4777山根一男まで) 
 
 


  さらっと目を通しました。文章は読みやすく内容もGOODです。1つだけ大変な間違いあり。柳生諭さんは大卒で少尉ではない。大尉です。なお板津忠正さんを知ったいきさつも書くべきでは。また写真などを載せる場合は
本人または所有者の了解をとる事が鉄則です。以上思いついたままに。
サンデー 大谷 ..5/20 4:00(金)

   サンデー大谷さんご指摘ありがとうございます。ご指摘にしたがって注釈を加えました。大尉と書くべきでした。板津さんとの出会いについては、実は4月12日のブログ『戦争体験者の証言』開催告知で触れていたので、ここでは省略いたしました。ご本人に関する写真については、ちらしなどに使うことは承諾いただいており、出来上がったちらしをお渡ししても特に何もなかったので承諾を得たものと思っています。柳生諭大尉の写真については、私の独断でご遺族の方の了承までいただいた訳ではありません。ただ、この写真は知覧特攻平和会館に展示されたているものと同じということと、没後66年経っているということ、さらに何よりも、ある意味郷土『帷子』の英雄として、このような方がいらっしゃったということを知ってもらいたかったからです。もし、ご遺族の方から抗議があれば、おわびして削除いたします。
山根 一男 ..5/23 0:19(月)

  Thatツ痴 more than sensilbe! Thatツ痴 a great post!
Ice [URL] ..5/30 21:57(月)
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 2011年5月13日(金)
 原発事故から避難してきた方のお話しを聴く会
 標記のタイトルにつられて、夕方6時30分から岐阜市のハートフルスクエアである講演会に向かった。東日本大震災の被災地の状況、特に放射能の汚染が拡がっている地域の情報が欲しかった。 
 
 パソコンメールには、毎日いろいろな情報やお誘いが来る。以前はよく名古屋だ岐阜だと出かけて行ったものだが、ここ数年は地元可児市のことだけでも手に余るくらいなので、なかなか他所へは行けない。 
 
 それでも、やはり今まさに必要な情報に関しては、どこへでも飛んでいくだけのフットワークはある。今回の講演会の主催者は、放射能のゴミはいらない!市民ネット・岐阜である。 
 
 代表の兼松秀代さんには、5〜6年前に可児市や東濃地区、瀬戸市などで起きたフェシルト問題のときにたいへんお世話になった。岐阜県内の自治体議員十数名と市民団体で、三重県庁まで抗議に行ったりしたときに理論的な支柱になってくれた。名うての市民活動家だ。 
 
 さて、タイトル名の講演会だが、講師が病気のため急遽勉強会に変更されていた。少しがっかりしたが致し方ない。会場には50名ほど集まっていて、しかも20歳代の若い人が半数くらいいて、この問題の関心の高さに驚いた。 
ほとんどの方は、私と同じようにネットを通じて集まって来られたようだ。 
 
 考えてみれば、市民活動家の間では、今回のような原発事故は16年前の阪神大震災のときにも予見されていた。淡路島から神戸へ続く断層の延長線上には敦賀の原発銀座があったからだ。 
 
 地震国日本にあっては、いつか起こりえることが起きたというべきだ。放射能事故が恐いのは、誰もその場所に助けに行けないことだ。 
 
 今回の事故で、日本は大きな大きな犠牲を強いられた。やはり、人智を尽くしても処理できない燃料に頼るべきではないのだ。表面上のコストは他に比べて安く、二酸化炭素も出さないというメリットはあるかもしれないが、その負のエネルギーは尋常ではない。 
 
 電力会社の一つや二つ、あるいは国家さえ吹っ飛んでしまうほどのリスクであることが証明された。地震や津波だけなく、テロや戦時のターゲットにもなる。絶対安全だなどと言えるわけはない。 
 
 持続可能な日本のため、私たちはそろそろ頭を切り替えなければならない。お金より命のほうが大切である。 
 

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 2011年5月15日(日)
 第19回豪雨災害行方不明者捜索活動
 今日も晴れだった。昨年9月から続く、可児川豪雨災害行方不明者のご家族を応援する会の第19回目の公式捜索日である。 
 
 しかし、困ったことがあった。今日は私の地元、帷子(かたびら)公民館まつりの日である。地元市議と呼ばれる議員は、現在私を含めて5人いる。かろうじて9時15分からの開会式には出ることができた。 
 
 捜索活動は9時30分集合だが、帷子公民館から集合場所の可児川下流域自然公園市営駐車場までは、うまくいけば5分で行ける。少し遅れたがなんとかスタートできた。 
 
 実は今日は、いつもと違う点があった。集合場所を2ヶ所にしたのだ。前回の下見と、運営会議での検討により、今日は可児市を離れ木曽川左岸の扶桑緑地公園内の草木の堆積場所を探すことにしていた。 
 
 それで、小牧や犬山から来られる10名ほどは、直接扶桑緑地公園に集まってもらった。ここは奥さんが行方不明の細田さんが以前から気にされていたスポットでもあった。 
 

 木曽川が緩やかに蛇行する場所で、何故かここだけに大量の木の枝やアシの枯れ茎がテトラポットの上に堆積している。その量は半端ではなく厚いところは3mくらいあり、恐らくダンプ数十台分はある。 
 
 明らかに昨年7月15日の豪雨時に堆積したものがだ、警察もこの堆積物を掘り返すようなことまではしていない。行方不明者のご家族の心境としては、全部撤去して中まで探してもらいたいのは当然だ。 
 
 気温はどんどん上がり、ほこりもすごくかなり体力を消耗する。つい先頃まで寒さに震えながら探していたのに、あっという間に暑い季節がやってきた。 
 

 今日も手掛かりさえ見つからなかった。この膨大な堆積物を取り除くのにどれだけかかるか想像もできない。でも、新しいチャレンジとしてやれるだけのことはやった。あと二ヶ月で、あの豪雨災害から1年になる… 
 
 
 


  Youツ池e the one with the barnis here. Iツ知 watching for your posts.
Roseanna [URL] ..5/30 22:32(月)
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 2011年5月16日(月)
 ついに200,000km
 昨日のことだ。ついに私の愛車、緑色のファンカーゴが20万kmに達した。たしか平成15年12月に、5万4000kmの中古で買ったので、自分で乗った距離は14万6000km、これを7年半だから年平均19,466km。 
 
 けっこう走っている方だと思う。最近、専属の整備屋さんにお願いするようになり、エンジンその他足回りもすこぶる調子が良い。燃費もそう悪くはない。 
 
 娘が松本に行ったので、自転車ごと積み込むようなことはなくなったが、行方不明者捜索や西可児駅周辺を美しくする会のときなど、かなり沢山の荷物を積み込むが平気である。 
 
 
携帯空間というくらいで、後部座席を前部座席の下に収納することができ、かなりの荷物を積み込むことができる。前回の選挙のときには、この車が選挙カーにもなった。 
 
 まだ、しばらくファンカーゴとのつきあいは続きそうだ。
 

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 2011年5月17日(火)
 消防団操法訓練 市長激励
 5月29日の消防団の操法大会に向けて、市長、消防団長、消防署長らによる激励訪問があった。 
 
 はじめて議員になった頃、そうほう大会とはいったい何のことか分らなかった。操法とは消防ポンプ車の操法だと知った。その操法を競う可児市の大会が29日(日曜日)午前8時から、可児市役所駐車場である。 
 
 消防団の面々は、この4月から入団した新人を含め、現在毎晩のように訓練を続けている。皆それぞれ、昼間の仕事を持った人たちで、中には名古屋や愛知県内に通っているサラリーマンも少なくない。 
 
 私はもの心ついてからは、主に大阪で育ったので消防団という存在は全くといっていいほど知らずに育った。だから、あまり多くは語れないが連日の訓練はたいへんだと思う。 
 
 可児市の消防団は4分団に分かれていて、今日は午後8時過ぎから市長らは4ヶ所を巡って激励した。 
 
 帷子地区は第3分団第3部と第4部からなり、今日の激励は春里地区の第3分団第1部と2部を加えて、帷子小学校校庭で行われた。市長一行が帷子小学校に到着したのは21時45分を回っており、それまでの間に地元自治連と市議団による激励もあった。 
 
 私も挨拶に立ったが、どうも敬礼という仕方がしっくり来ない。考えてみればこれまでの人生で敬礼の正しいやり方を教わったことがないので、仕方ないかもしれない。 
 
 しかし、やはり敬礼に対しては敬礼で返すほうが様になるのは確かだ。消防団は命を懸けた職場でもあるので、軍隊調になることはやむをえないことだと思う。 
 
 
初めて4部隊が同時に操法を披露するのを見た。壮観だ。時刻は22時をまわっていた。夜間照明に映し出されたきびきびとした動きは、とても美しいと思った。議員や自治会長だけでなく、多くの地元の方も応援できるといい。彼らの日々の努力のおかげで、私たちは枕を高くして眠れるのだ。 
 
 
 

>> 返信
 

 2011年5月18日(水)
 県庁記者クラブ
 午後から、久々に岐阜県庁に行った。NPOなんでもサポートセンター岐阜の中島幸雄理事長と共に、5月29日(日)から始まる『岐阜コミュニティ創造大学』の広報および取材依頼のために、県庁3Fにある記者クラブを尋ねたのだ。 
 
 ついでに(?)5月22日(日)午後1時30分から若葉台集会所で開催する、戦争体験者のお話『特攻の真実と平和』の案内も別途準備して係員に渡した。これはこれでニュース性と知る人が知れば必ず行きたくなる講演だと思ったからだ。 
 
 自治会の集会所でやる講演会の告知を県庁記者クラブでお願いするのもどうかとは考えたが、岐阜県内では16年ぶりの板津忠正氏の講演であり、累計1600万人もの見学者がある知覧特攻平和記念会館の産みの親であることを考えれば、それくらいはすべきだと考えた。 
 
 岐阜県庁記者クラブに持ち込むには、案内文をつけたちらしを25部用意しなければならない。これを受け取った記者クラブの幹事記者が、ニュース性があると認めれば、記者クラブに登録している新聞社やテレビ局など25社のそれぞれのボックスに投げ入れてもらえる。 
 
 ちなみに、可児市役所の記者クラブの場合は9社だ。特攻の真実と平和の案内は県庁記者クラブでお願いしたあと、可児市役所記者クラブにも投げ込みをお願いした。 
 
 あとは、この件に興味を持った記者から打診を待つのである。取るに足らない案内であれば一件も来ない。だから、いかにこのイベントなり事柄が重要でニュース性があるかをA4一枚の紙面上で表現しなければならない。 
 
 この辺のノウハウは、十数年前大阪ボランティア協会の常任運営委員をしていた頃学んだ。案内自体は数枚になっても構わないが、記者の方は忙しいので表紙1枚で、取材するか記事にするかを決めるという。 
 
 書くことのプロに対して、簡潔明瞭にして読みやすく、的を得た文章で勝負することになる。さて、結果はいかに?
 

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 2011年5月19日(木)
 明日から東北へ
 急遽、宮城県岩沼市へがれき処理のボランティアへ行くことにした。今井雅人衆議院議員の関係から情報をいただき、下呂市で災害救援活動をしているグループが計画するボランティアバスに同乗して行く。 
 
 出発は明日20日(金)の20時、美濃加茂市の日本昭和村駐車場を起点に、21時には下呂市金山町、21:30に下呂市森、23:30に高山市に寄り、全部で36名の有志が参加する。名簿によると、可児市民も私を含めて5名参加する。 
 
 仙台市に近い岩沼市に21日早朝到着し、その日一日がれきの片づけ作業等を行い16:30、作業終了。スーパー銭湯に寄って汗を流してから19:30頃に帰途に着く。22日日曜日、午前7時頃美濃加茂市日本昭和村に到着予定。 
 
 参加費は1万円。往きも帰りも夜行バス車中泊、現地で作業できるのは21日土曜日一日だけという超ハードな内容だ。全行程中の食事や飲料水の支給はなし、ボランティア保険だけは全員加入する。 
 
 シンプルで、短期間、かなりハードだけど、だからこそ参加できる。22日日曜日の午後には、『特攻の真実と平和を語る』のイベントを抱えていて、迷ったが時間的に可能なので、ご縁を大切にすることにした。 
 
 ご縁というのは、このような情報がもたらされたことだ。まずは一度行ってみないとわからない。現場主義を徹底したい。下呂市でこのような活動をしている方たちとも知り合っておきたいと思う。 
 
 岩沼市災害ボランティアセンターHP↓ ボランティアが不足しているようだ 
http://msv3151.c-bosai.jp/index.php?module=blog&eid=14390&blk_id=10868
 


  真夏並みの猛暑が予想されています。
水分の補給を十分にして頂き、体調管理にはくれぐれもお気をつけ下さい。
レオン ..5/20 12:01(金)

  レオンさん、いつも温かいお気遣いありがとうございます。無事に帰って着ました。確かに、午後の作業は暑さとのたたかいでもありました。でも、せいぜい数時間のことでしたので、休み休みやれば大丈夫です。私たちが被災地に行くことで、現地の方からはずいぶん感謝されました。やはり、お金や物だけでなく、直接会うこと、身体を動かすことは大切だと悟りました。
山根 一男 ..5/25 0:44(水)

  Your answer was just what I ndeeed. Itツ痴 made my day!
Lilly [URL] ..5/31 0:21(火)
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 2011年5月21日(土)
 第17回若葉台よもやま大学終了
 おや?と思われた方もいるだろう。若葉台よもやま大学『特攻の真実と平和』講演会は5月22日(日曜日)に終了した。このブログの構造上、一日に複数のコマは入れられない。 
 
 したがって、一日のうちに書きたいことが二つも三つもあると困る。同じコマに入れると長くなり過ぎ、関連性のない出来事をひとつのタイトルでくくることもできない。 
 
 それで、22日のことを21日のスペースに書くことをお許しいただきたい。時系列でいくと22日のコマに書いた『復興支援ボランティアバス』が、この若葉台よもやま大学より先に来る。 
 

 若葉台よもやま大学は、4年前から地元若葉台の数人で始めた。高齢化最先端の団地若葉台では、アーラ(可児市文化創造センター)はおろか、地元の帷子公民館でさえ遠くて足が運べないという方が大勢見える。 
 
 65歳以上の方だけでも1100人以上いる。この中で、老人会(光寿会という)には行っておられるのはせいぜい50名ほどなので、ほとんどの方はそれぞれに生活されている。 
 
 シルバー生活を謳歌されている方も大勢おられると思うが、独居の方も100名以上おられ、中には孤立しておられる方もいると思う。それで、いろいろなテーマで(よもやまとは四方八方という意味)それぞれの方が興味を持たれそうな講演や演奏会を、歩いて行ける集会場で行うことを続けている。 
 
 それが『若葉台よもやま大学』だ。生涯学習の一貫とも言えるが、完全な民間ベースだし、会場が自治会の集会所であり自由がきく。当初は夜開催することが多かったので、イベント終了後に飲み会をセットしていた。学習というよりも、交流を主眼に置いている。 
 
 初年度は、市のまちづくり振興助成金5万円をもらっていたので、年8回というペースだったが、昨年からはすべて開催協力金300円の中でやるようになり、今年はこれが第一回目だ。 
 
 どれくらいの方が来てくれるか、皆目検討がつかなかったが、何回もやっているとある種、直感のようなものが働く。それにしたがって椅子を並べると、不思議なことにたいがいその通りに人が集まる。 
 
 集会所といっても、若葉台の場合は人口が3200人あり、小さなまちの公民館くらいの大きさである。希望は100名以上だったが、100名を超えたのはオペラコンサートのときだけで、講演会では50名を超えることはなかった。 
 
 50〜60名くらいかと思ったら59名、スタッフ入れて63名だった。テーマが『特攻の真実と平和』ということで、今までになく男性層が多かった。 
 
 メディアもケーブルテレビ可児、中日・岐阜新聞と取材に来てくれた。中学校の校長先生や青少年育成市民会議の代表の方も来ていただいた。県議の村上こうしさんや衆議院議員の今井雅人さんも来てくださった。いつになく多彩な方に来ていただき嬉しかった。 
 
 私もこれまでに数多くの講演会やシンポジウムの司会をやってきたが、86歳というご高齢の講師は初めてだった。その板津忠正さんのお話は、年若くして散っていった多くの特攻隊員のそれぞれのエピソードや時世の句の暗唱、遺書の朗読など…まるで講談師のように興味深い話が続く。 
 
 2時間近く、こちらから休憩を入れましょうと言うまで、ずっと立ったままで話し続けられた。実戦の話や不時着の状況、知覧特攻平和会館設立の苦労話など、すべて実際に体験されてきた話なので重みがあった。 
 
 特攻隊員を応援していた地元の知覧高等女学校の女性徒が、想いがつのって憧れの特攻隊員の飛行機に紛れ込んで、一緒に死のうとしたことなど、映画の題材にでもなりそうな実話を披露してくださった。 
 
 当時のパネル写真や遺書のコピーなど、多くの資料も貸していただいたので会場は、まるで知覧の特攻平和会館が引っ越してきたかのような賑わいだった。60名ほどの中ですでに知覧特攻平和会館に行ったことのある方が10名ほどいたのには驚いた。 
 

 この日は、朝8時過ぎに被災地宮城県岩沼市から帰ってきて、家に帰る間もなく軽トラを調達して、手伝いの人とともに帷子公民館に舞台を借りに行った。舞台を返しに行った頃には17時を少し回っていた。当面の課題がひとつ終わった…。 
 

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 2011年5月22日(日)
 復興支援ボランティアバス
 昨日20時15分、宮城県名取市を出発し、今朝8時頃美濃加茂市の昭和村駐車場に着いた。途中、高山市・下呂市・下呂市金山町でボランティアを降ろしながら来た。 
 
 二夜連続の車中泊は大変そうだが、意外に特に被災地での作業後、名取市のスーパー銭湯『極楽の湯』で汗を流してから帰途についたのだが、その後はどこをどう通って来たかも分らないくらい熟睡しており、普段よりよっぽど睡眠時間が取れた。 
 
 金曜日の夜スタートし、土曜一日被災地で働き、風呂に入って日曜日の早朝に帰って来るというパターンは、超ハードなようだがなかなか合理的で使い勝手の良いスケジュールだと思った。 
 
 勤め人にとっては日曜日一日休めるし、たまたま日曜日の午後にイベントをかかえ、さらに午前11時から、告別式も重なっていた私にとってもスケジュールに穴を明けることがなかった。 
 
 参加費1万円というのも、学生にはちょっと高いかもしれないが、社会人には決断しやすい金額だ。長い距離を走って行って、たった一日ではもったいないように思っていたが、まずはその一日が大切なのだと思った。 
 
 宿泊込み3日、4日となると参加費は高くなるし、特に仕事を持つ社会人にとっては参加が難しくなる。宿泊することによって、現地にお金を落とすという考え方もあるが、そうできる方はそうすればいい。 
 
 今回、下呂市の金山印刷の鎌倉庄司さんらの呼びかけで36人が、宮城県岩沼市へ行った。鎌倉さんは、4月に別の団体のボランティアバスで現地に行き、今度は自分で企画したのだという。 
 
 政府は8月までにがれきを撤去するというが、現地を見るかぎりそんな短期間でできることではないことが分る。岩沼市はテレビでよく報道される、南三陸町とか陸前高田市ほど壊滅的な状況ではないかもしれない。 
 

それでも100名以上の死者をだし、海岸近くは今でも放置車両がごろごろしているし、家屋もまったく手がついていない。 
 
 岩沼市防災ボランティアセンターからは36人を12人と24人のグループに分れ、二軒のお宅のガレキ処理た、汚泥の除去に当たった。私は、24人のほうであった。海岸からは2km以上内陸で、付近は倒壊家屋も少なかったが、それでもその1軒の家の処理の何分の一しかできなかった。 
 

 とにかく乾燥し始めた泥の山が随所にあり、それを一輪車数台で100mほど離れた、汚泥や木片の集積所に運ぶのだが、ほこりはすごいし相当の重労働である。特に、暑くなる午後は30分と持たない。 
 
 参加されている人は、高山・下呂・美濃加茂・可児、中には滋賀県から来ている人もいた。年齢層は思ったより高くて、平均は45歳くらいの感じだ。それでも可児からは学生三人が参加していて、夏休みには長期のボランティアを計画しているようだ。 
 
 ボランティアセンターには各地から団体で支援に来ていて、この日手伝い行った二軒の方からも、とても感謝された。単なる肉体奉仕という枠を飛び越えて、被災地の方との交流はとても大切だと感じた。 
 
 誰もができるわけではないが、義援金を送ったり、被災地の物産を購入したり精神的に応援するだけでなく、やはり一度は被災地に足を運び、直に現地を感じ、思いを形にするべきだと思った。 
 
 同じ参加者の中で可児市に住む桂川さんと意気投合し、美濃加茂市の方とも連携しぜひ、可児市・美濃加茂市をベースに復興支援のボランティアバスを出そうということになった。 
 
 私にとっては議会もあり、選挙も近く容易なことではないが、それでも現地を見てきた者の責任として、次のステップ、より多くの方に同じように現地に行き愛と元気を届けに行きたい。 
 
 7月は選挙だし、6月は12日・26日の日曜日は、『7.15可児川豪雨行方不明者の捜索活動』でふさがっており、残るのは議会最終日6月17日金曜日の夜に可児市・美濃加茂市を出て、18日現地で活動し、19日日曜日の早朝に帰って来るというパターンしかない。 
 
 バス会社をどうするとか、参加費をいくらにするとかまだ何も決まっていないが、今回参加したパターンを参考にしたい。もし、このブログを読まれている方の中で、一緒に企画したい方、もし決まれば1万円くらいなら参加してもいいという有志の方がいれば、ぜひ、とりあえず私のほうまでご連絡いただきたい。 
 
 5月中には、企画案をまとめる予定だ。 
連絡先:山根一男(携帯:090-1821-4777 メール:yamanet@ma.ctk.ne.jp) 
  
 
 
 

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 2011年5月23日(月)
 夏休み地域児童クラブモデル事業検討会
 夜7時から、帷子公民館で夏休み地域児童クラブ南帷子小学校区モデル事業の検討会があった。10日ほど前に議会事務局を通じて、市議会議員には概略の検討案がFAXされてきた。 
 
 発信は健康福祉部こども課である。そこに本日、検討会があるというので、他ならぬ自分が住む学校区でモデル事業をやるというので、特に関心をもち検討会への参加も申し込んでいた。 
 
 ただ、行ってみると南帷子小学校区を中心に帷子地区の自治会長や民生児童委員、PTA関係者、子ども会関係者、青少年育成市民会議、体育振興会、児童クラブ指導員、健友会(老人クラブ連合)防犯パトロール隊、みなかたサポーター等おなじみの顔が揃っていた。 
 
 健康福祉部や公民館職員を含めて38名ほど、市議は私一人だった。もともと市議の参加は想定していないようだった。それで私も傍聴に徹することにした。 
 
 この事案は、冨田成輝市長の選挙公約のひとつ働くお母さん、子育てママへの応援策のひとつとして、現在小学校3年生までが対象の放課後児童クラブを小学校6年生まで延長するということに対応するものだ。 
 
 三月議会では、選挙公約の目玉に挙げながら、平成23年度可児市一般会計予算に予算計上されていないと、一部の議員から指摘されていた。 
 
 可児市には11の小学校があるが、兼山小学校を除く10の小学校にはそれぞれ児童クラブが設置されている。利用している児童は全部で約600人、保育料として月5000円が必要だ。 
 
 しかし、保護者負担金だけでは指導者の人件費などは賄えない。国から1700万円、市から2400万円ほど補助金を出して運営されている。ちなみに指導員は市が雇用する。保育士や教諭資格を有する方が中心である。 
 
 単純に4年生から6年生まで延長するとなれば、人件費もさることながら施設の拡充などかなりの費用がかかる。そこで考え出されたのが、地域の力を借りながら運営する方法だ。 
 
 まずはそのモデルケースとして、南帷子小学校区が選ばれたことは、内心嬉しく思っている。他所の校区のことはよく分からないが、この地区は結構児童の見守りやみなかたサポーターなど子育てのサポートに熱心な方が多い。 
 
 まずは一番ニーズの高い夏休みに限定した児童クラブのモデルケースを実施することになったのだろう。ただ、今年の夏休みといったらもうすぐ先である。検討会でも、さすが帷子というくらい多岐に渡る意見が出された。 
 
 やはり、子どもの安全確保に関することが一番だが、既存の児童クラブとの住み分けや、新たな運営組織を立ち上げる段取り、主体はボランティアとはいえ無償では無理とのことで、やる人をどう集めるか…など 
 
 厳しい意見、前向き名意見、さまざまな議論がされて終わったのは午後10時近かった。主管となる子ども課としては、相当課題をつきつけられた形だが、全体としてなんとか先行事例となるよう実施してゆこうというムードだった。この辺が帷子のいいところだ。厳しい意見は言うが、新しいことを先端きって実現してゆこうという気質がある。 
 
 もう一度、より詳細なニーズ調査をやった上で、運営の主体となる人を募り実施に向けて動き出すこととなった。最初なので仕方がないところはあるが、なるべく行政の手をかけないようなやり方で実施してほしいものだ。 
 
 
 

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 2011年5月25日(水)
 通算29回目の一般質問通告
 明日、5月26日(木)から可児市議会六月定例議会が始まる。したがって本日の16時が、一般質問の締め切りだった。例によって、今回も通告書提出は16時間際で、結果的に13番目最終バッターとなる。 
可児市役所玄関前のバラは満開  
 六月議会一般質問は、6月2日(木)〜6日(月)の予定だが、未だかつて(おそらく…)可児市議会では一般質問が三日間に及んだことはない。私は多分、二日目6月3日(金)の午前中一番最後か、午後一番くらいだろう。 
 
 現在、可児市議会は定数22名に対して、二人欠員の20名なので、そのうち13名が一般質問するというのは、比較的多いほうだ。おそらく、これが任期中最後(全員8月10日で任期満了)なので、いつもより少し多いのかもしれない。 
 
 さて、今議会の私の一般質問だが、たいへん難産だった。正直、今日のお昼頃まで迷い続けた。これが、任期最後だということも多少影響している。 
 
 それで、これまでに行った、全一般質問の項目を洗い出してみた。初めての一般質問は、平成15年(2003)初当選直後の九月議会である。最初の質問が『今回の電子投票トラブルに対する市長の責任について』という、のっけから挑戦的なものだった。 
 
 以来、今回平成23年六月議会で29回目。質問大項目で、今回3項目なので通算94項目となる。当然、何回か同じような件についての質問もある。一問目の放射能汚染については、まったく初めてである。議事録検索にも出てこないので、可児市議会史上初めてかもしれない。 
 
 三問目の公民館に関することは、実に平成15年(2003)12月議会『時代と地域のニーズに対応した公民館のあり方』以来8年ぶりである。 
 
 では、これまでの例により、質問項目と要旨を公開しておく。特に放射能汚染については、まだ情報・知識不足の点もある。公民館他についても、もしご意見や情報があれば、まだこれから正式原稿を書くので、よろしければご提供いただきたい。 
 
 では、以下平成23年可児市議会六月定例会 山根一男の一般質問通告書より 
↓↓↓↓↓↓ 
質問:  件名@ 当市における放射能汚染対策は 
■答弁を求める者:総務部長          発言時間:10分 
質問要旨:  
  東日本大震災による福島第一原子力発電所の放射能漏洩は、国民に大きな不安を投げかけている。当市においては、放射能汚染に対してどのような監視体制、危機管理体制を敷いているのか。 
 
質問:  件名 7月15日をどのように迎えるのか 
■答弁を求める者:・総務部長          発言時間:10分 
質問要旨:  
  7.15豪雨災害から、もうすぐ1年になる。未だに二名の行方不明者は発見されていない。この1年間の復興の度合い、安全対策、再発防止策などを踏まえて、総括いただきたい。 
 
 
質問:  件名 公民館を地域のまちづくりセンターとして整備できないか 
■答弁を求める者:・企画部長・市長        発言時間:10分 
質問要旨:  
  可児市内には各地区に立派な公民館がある。それぞれに地域活動の拠点として活用されているが、公民館機能と連絡所機能の線引きがはっきりしない。さらに効率的に活用する方法は何か。 
                              以 上 
 


  現状からみて可児市の公民館長は非常勤であっても、社会教育法に定められた館長の職務である各種事業の企画実施、必要な事務執行、所属職員を監督するというライン業務の位置づけにあることを徹底しないと、館長の責務認識や職員の職制認識に各館の温度差が生じる要因となっているのではないでしょうか?公民館主事兼務である連絡所長の報告・連絡・相談において地域コミュニィの内容が含まれないと公民館事業への反映がしにくい環境となっているのが可児市公民館の喫緊の課題と思われる。館長の職制上のライン化が不可能であれば、コミュニティセンター移行が市民の要望とすれば、市長部局管轄下あるいは指定管理者制度の導入などステップを踏んで検討するべきでしょう。
可児市民 ..6/2 14:43(木)
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 2011年5月26日(木)
 六月定例議会 初日は31分で終了
 午前9時から第3回可児市議会定例会議(六月議会)が開会された。会期は、今日から6月17日までの23日間が会期である。ただし、今議会は極端に議案が少ない。 
 
 そのうち、平成22年度予算の専決処分に関する承認案件が4件、人事案件が1件。この5件は、即決議案といって、常任委員会への付託なしに、本日採決がとられる。 
 
 ちなみに人事案件とは、人権擁護委員候補者の承認で、三名の方がいずれも再任だが承認された。6期目となる田代正美氏、この方は(株)バローの社長だ。その他、ともに2期目で元校長先生の林 善彦氏と山田 博司氏。10名の人権擁護委員のうち3名が改選された。 
 
 残り4件は、常任委員会に付託されるが、正直それほど議論になるような議案ではない。そのうち、2議案は塩河地内の市道の認定の改廃に関するもので、ただ承認するだけの話である。 
 
 唯一、チェックが必要なのは議案36号平成23年度可児市一般会計補正予算についてだが、これも272億円の一般会計に対して、4370万円の補正(追加)をするもので、この4370万円の内容が適切かどうかという位のことだ。 
 
 ひとつ、額ははっきり説明されなかったが、民生費児童福祉費の3000万円の増額補正の中に、先日帷子公民館で検討会のあった、南帷子小学校区で今年の夏休みに実施予定の夏休み児童クラブの予算が盛り込まれている。 
 
 年四回開かれる定例議会だが、議案の多い定例議会だと50議案くらいあることもあるのだが、今議会は拍子抜けするくらい議案が少ないので、わずか31分で終了した。 
 
 理想を言えば、こういう時こそ議員提案で何か議案を出すのがいいのだろうが、残念ながらそのようことはほぼない。 
 
 明日から一般質問のある6月2日まで、6日間議会は休会となる。この期間のことを精読期間という。議案をよく検討する期間ということになるのだろうが、今回はそれほどの時間は要しないだろう。ただ、一般質問のほうをじっくり練ることができるのでありがたい。
 

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 2011年5月27日(金)
 可児市セクハラ裁判 第5回口頭弁論記述
 午前10時30分から、御嵩町の岐阜地方裁判所御嵩支部で、可児市も被告になっているセクハラ裁判の傍聴に行った。前市長のときに起きた事件で、加害者という意味での被告である元民生委員はいるのだが、当時の市役所のこの事件に対する対応が悪く、可児市役所にもその責任が問われている。 
 
 以前から、私のこのブログをお読みいただいている方は、承知していると思うが、この事件が表に出たのは2年前、平成21年7月30日付けの『セクハラ事件』の記述であった。↓↓↓ 
http://www.th21.jp/adiary/diary3.cgi?id=yamanet&action=view&year=2009&month=7&day=30#7_30 
 
 その責任上もあり、その後も何度も取り上げている。この裁判の特異さは、原告が現職の市職員だという点である。ただし、臨時職員である。飲み会の席でお尻を二度触られただけ…で終わらなかったことに、この裁判のすさまじさが秘められている。 
 
 飲み会の席上でのおさわり行為というのは、日本中でもしかしたらごく当たり前のように起きていることかもしれない。これが、不特定多数の出入りできるところで行われれば即、強制わいせつ罪となるのだが… 
 
 顔見知りによる行為であれば、ほとんどの場合は女性の側の泣き寝入りで不問に付される。裁判にまで発展することは皆無に近いのではないか。それを、この原告の女性は、全女性の悔し涙を代弁する覚悟で訴訟にまで持ち込んだ。 
 
 当初、被告は「酔っていて記憶がない、迷惑をかけたなら謝りたい」と言っていたというが、弁護士がつくようになると、一貫して何もやっていないとセクハラ行為自体を否認している。 
 
 しかし、何もないのに…女性公務員が、極度の精神的不安定に陥ったり、弁護士まで雇って、職を失うリスクもある中、ほとんど面識もなかった70歳過ぎの男性を訴えたりするだろうか? 
 
 可児市の場合は、原告女性を雇用している立場である。公民館内で公然と(前)市長も交えた酒の席で、公民館女性職員を職務として接待係として使ったことが第一の問題点である。※(ここは係争点であり後に説明) 
 
 平成21年6月14日の事件発覚後も適切な処置をせず、原告女性を放置した。(市の言い分は原告女性から相談が来るのを待っていた…)結果的に私が原告女性から相談を受け、当時の秘書課長に質し、7月30日付けのブログに載せたところからやっと動き出したという経緯がある。 
 
 その後の市のセクハラに対する動きも鈍い。無記名の女性職員全員に対するアンケート調査により、12名ほど、現在もセクハラを受けているという回答が出ているのに何も対処していない。 
 
 セクハラ防止マニュアルは出来たものの、市のホームページ上でダウンロードできるなど、対外的なことは配慮されず、あくまでも内部的な問題として処理されている。 
 
※上記に市のホームページ上でダウンロードできない…としていますが、実際にはダウンロードできるようになっていました。お詫びして訂正いたします。(6/1追記)↓↓ 
http://www.city.kani.gifu.jp/view.rbz?nd=152&ik=3&pnp=148&pnp=152&cd=2770  
 
 議員にも説明はない。アンケート調査によれば、セクハラ加害者のひとりは元議員だという記述があったのだが、無記名のため不問に付されている。 
 
 可児市役所のセクハラ事件は、マスコミにも何度も報道されているのに、市はその汚名を抜本的に晴らそうとはしていないとしか映らない。それと、もうひとつとんでもない事実が発覚した。 
 
 前述の※印の点だ。原告女性は、職務として平成21年6月13日の市政懇談会の後の懇親会に参加している。時給は支払われているし、会費3000円は払っていない。テーブル上の自席の料理には手をつけていない。 
 
 市は、お酌をするなど接待行為を指示してはいないという。つじつまを合わせるように市側が裁判官に提出した、当日の役割り分担表から「接待(○○・○○…)」という一行が削除されていた。 
 
 だが、市の元データにはその文字が入っている。何者かがこの一行を削除し、証拠隠滅を謀った疑いが濃い。その辺り、今後の裁判で明確にされるであろうが、これが事実なら可児市はかなり不利になるだろう。 
 
 次回、口頭弁論記述は7月13日(水)14時30分から、岐阜地方裁判所御嵩支部である。誰でも傍聴できる。名前の記述さえ必要ない。市はどんな言い訳をするのか、目が離せない。 
 
 


  可児市役所の不都合な真実・真相解明に、関係者におかれましては全力を尽くしていただきたいと切に願います。
可児市民 ..5/30 18:42(月)

  >時給は支払われているし、
>会費3000円は払っていない。
>テーブル上の自席の料理には手をつけていない。

意外に良心的だとも思います。 
減るもんじゃなし、さわられるのも暗黙の業務のうちと言う慣習だったのでしょう。
 そういえば、市役所前の風俗、無くなってきましたけど、関係あるのか無いのか。
職員等 ..6/2 21:55(木)
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 2011年5月28日(土)
 プレゼン・会議・報告会
 この土日は究極の忙しさだ。明日もあるので、さらりと書きたい。 
先ずは13時から、可児市総合会館分室2Fで、平成23年度まちづくり活動助成事業発表会があった。 
 
 私は2年ぶりに申請者として、審査を受ける側、つまり企画案をプレゼンテーションした。このまちづくり助成金とは、5名以上の可児市民の団体が提案する市民公益事業に対して、審査により最大20万円まで助成する制度である。 
 
 総予算は180万円、スタート助成という部門の場合は、上限5万円である。ただし、半額助成なので、20万円の助成を貰おうとすると40万円以上の事業をしなければならない。 
 
 今年は、いつになく参加団体が少なく、スタート助成2団体、活動助成9団体だった。応募締め切りは4月28日で、私でさえ募集期限を見過ごすところだった。もう少し、告知をしっかりやってもらいたい。 
 
今回の提案は、かたびらボード設置事業というもので、西可児駅前に誰もが情報の受発信ができる掲示板をつくって、情報の共有、地域の交流を盛んにすることによって帷子地区を活性化させようというものだ。 
 
7分間のプレゼン、3分間の質疑応答だ。本当は最後の方だったのを、一番最初の団体にお願いして交代してもらった。発表会自体は16時までの予定だったが14時に失礼させてもらい岐阜へ向かった。 
 

15時から民主党岐阜県連の常任幹事会があった。正式に常任幹事となって初めての出席だ。3分ほど遅れて入ったが、マスコミの方が沢山いて驚いた。国会議員だけで9人もいるのだ。 
 
主な議題は、統一地方選挙の総括だった。民主党は相変わらずの逆風の中で苦戦を強いられたが、岐阜県連においては思っていたよりは善戦した。選挙区によっては現職が落選したところもあり、厳しい意見が飛び交った。 
 
 結論としては、それぞれの選挙区をしっかり固めることが優先される。民意をしっかり受け止め、政策に反映してゆくことしかない。国会議員・県議会議員・市町議会議員・連合・各種団体のメンバーが直接面と向かい、議論し合えるというのは素晴らしい。 
 
 会議は2時間以上続いた。終了後、可児市に急いで帰り、15分で夕食を済ませてから美濃加茂市の生涯学習センターへ向かった。美濃加茂市役所の隣で、最近まで中央公民館と呼ばれていたところだ。 
 
 余談だが、3日の私の一般質問に関係するのだが、岐阜県内では、美濃加茂市だけが公民館を、教育委員会の管轄からはずして市長部局へ移し、公民館という名前も無くしてしまった。私もそれが良いと思っており、隣市に先を越された気分だ。 
 
 
19時から、ここで『東日本大震災・支援活動報告会』というのがあり、なんと主催は可児市NPO協会だ。この協会はかにNPOセンターを運営するNPO法人で私も個人会員のひとりである。 
 
 他市で主催事業をするというのが意外だったが、それはそれで今までの枠を飛び越え、発展的な挑戦なのだろう。発表団体は6団体、ひとつ臨済宗薪流会というは異色だったが、他は美濃加茂と可児と恵那の社会福祉協議会、それに美濃加茂市役所職員有志の会ということで、どちらかと言うとかなり行政に近い団体による発表会だ。 
 
 6団体の発表だけで2時間を超え、本当はこちらからも今度の復興支援ボランティアバスのことなど発信したかったのだが、そういう時間はなかった。報告を聞くのも良いが、現場の状況はどんどん変わっている。 
 
 過去のことよりも、これからどういう支援ができるかということが重要だと思う。その点、本日の参加メンバー(約60人くらい)を中心に『東日本大震災復興支援ネットワーク・もうやっこ』という連携組織を立ち上げたということになっている。 
 
 事務局はかにNPOセンターになっており、対象地域は濃尾地域となっているのでかなり広範囲である。こちらとしては、早速6月17日〜19日の宮城県岩沼市方面へのボランティアバスを出すにあたって協力してもらえそうで有難い。 
 
 実はまだ、バス会社が決まっていなくて焦っている。6月はバス会社にとって繁忙期であり、料金も高くなりそうだ。一社34万円程度のところがあるが、もう少し安いところを探したい。 
 
 協賛してくれる企業や団体、あるいはチャリティイベントを探して、なんとは参加費1万円以内、特に学生は7000円程度に抑えたい。この次期、学生の参加があれば、彼らは夏休みに友人を誘ってまた被災地に行くだろう。 
 
 先日、可児市社協主催のバスで岩手県大槌町へ行った息子も、これに参加したいという。まだ、詳細は決まっていないのだが、結構参加希望はありそうな手ごたえを感じる。 
 
 それでも、参加が35名以下の場合には赤字になる可能性が高い。苦労して企画して、時間も精力もとられた上に、お金まで余分に払わなければならなくなる事態だけは回避したい。 
 
 事を起こそうとすると、リスクはつきものだが、そのリスクを少しでも回避できるシステムがあると有難い。具体的なことをいえば、これからのニーズは被災地に人を送ることだと思う。 
 
 それは、一度でも現地に足を踏み入れた人ならそう思うだろう。すでに多くの方が多額の義援金を出しているが、これからは目的のはっきりした寄付金が大事だと思う。 
 
 自分は両夜行バスで現地に行くのは無理だが、学生など若い人に行ってもらいたい。3000円カンパするから、少しでも行き易い金額で彼らが行けるようにしたい…というような奇特な方が沢山現れることを期待したい。 
 
 そして、一度現地に行った人が、今度は自分たちで企画してボランティアバスを出す。そのような連鎖によって、復興支援に多くの方が具体的に関わる。そのための基金のようなものができると安心してボランティアバスを企画できるのだが… 
 

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 2011年5月29日(日)
 岐阜コミュ二ティ創造大学 開校記念講演
 ついに雨が降った。梅雨入りということであれば仕方ないかもしれない。 
 
 というのは、今日は第20回目の可児川豪雨災害行方不明者捜索の予定日だった。昨年9月から、過去19回、雪は二度ほどあったが、雨で流れたことは一度もなかった。だが、これだけはっきり雨が降ると中止するしかない。 
 
 
だが、この雨の中でも第30回目となる可児市消防操法大会は、午前8時から市役所駐車場で行われた。行方不明者捜索は午前9時30分からなので、それまでの間、開会式と地元3-4分団の競技は応援することができた。 
 
 9時半に可児川下流域自然公園の市営駐車場に行った。行方不明者のご家族の方など数名は集まった。今後のことなど、雑談して分かれた。正式には6月4日(土)19時15分からアーラ(可児市文化創造センター)和室で第21回目となる運営会議で話し合う。 
 
 さて、捜索活動が中止になり、午後2時からアーラ美術ロフトで開催された 
冨田成輝可児市長による岐阜コミュニティ創造大学記念講演と15時からの大学の開校式に心おきなく参加できた。 
 

 冨田市長は、ちょうど操法大会が終わった直後で、昼食もまともに食べる間もなく消防の防災服のまま演壇に立たれた。 
 
 ちょうど1時間『参画と協働による市民中心のまちづくり』をテーマに講義をされた。ほぼ一番前、真正面で聴いていたが、終始笑顔を絶やすことなく、本当に分り易い言葉で話された。 
 
 記念講演を聴きに来た方は100名を超えていた。私のとなりは岐阜コミュ二ティ創造大学の講師のひとりで名古屋から来ていた女性だったが、しきりに感心して可児市の市長は柔和で説明責任をしっかり果たしているとべた褒めだった。 
 
 1時間という限られた時間だったが、もちろん原稿などはなく子どもの頃の話から、現在の日本や可児市が直面している課題、財政的な見通しや、代表的な10の政策公約について説明された。 
 
 話の組み立て方がとても上手い。『情報公開と対話』『職員のやる気向上』がキーだという。人口減少時代を迎えているのに、私たちは未だに右肩上がりの時代の感覚が色濃く残っている。 
 
 意識の変換が大切である。ただ、縮小モデルと言っても、何でも切る訳ではなく、必要な投資はしてゆく。何よりも人が財産であり、人が住みたくなるまち、それはとりもなおさず、今住んでいる住民の満足度の高いまちである。 
 
 『可児市の財政状況と新しい取組み』という、7ページの小冊子を用意して、今後の可児市の財政状況などを、目で見える形で説明された。 
 
 高齢化に連動して、増え続ける介護や医療費に対して、人口は減少し税収は横ばいであることがすぐ分る。なんでも行政にお願いする時代ではない。自分たちでできることは自分たちでやるのが当たり前なのである。 
 
 昔から日本はそうだった。ただ、高度成長期のほんの一時期だけ異常だったのだ。…参画と協働による、市民中心のまちづくりが何故必要なのか…多くの方の腹に落ちた講義だったと思う。 
 
 

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