++山根一男の徒然日記++
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山根一男掲示板

6月 30日(木) 可児に場外馬券場?
6月 28日(火) 可児市議会議員選挙立候補関係者説明会
6月 26日(日) 7月17日に『惜別と感謝の集い』【告知】
6月 20日(月) 被災犬お預かり
6月 19日(日) 29日に『被災地支援を考える会』【告知】
6月 18日(土) 3月11日製造のとうふ
6月 13日(月) 復興支援!ボラバス 現在25名
6月 12日(日) 第20回可児川豪雨災害行方不明者捜索
6月 10日(金) 炊き出しボランティア
6月 08日(水) 仙台にて
2011年 6月
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 2011年6月1日(水)
 可児市セクハラ裁判証拠改ざん疑惑報道
 どのみち裁判で明らかになることだったが、5月27日付けのブログでお伝えしたセクハラ訴訟に係わる、可児市提出書類の一部改ざん疑惑が本日付け中日新聞朝刊社会面で報道され、それを知った報道各社が一斉に取り上げた。 
 
 15時頃、市役所に行ったらTV局らしいカメラが市庁舎を撮っていた。下記TV局のサイトから動画が見られる。 
 
中京テレビ↓ 
http://www.ctv.co.jp/newsctv/index_loc.html?id=64805 
 
CBCテレビ↓ 
http://hicbc.com/news/detail.asp?cl=c&id=0002F78D 
 
 またもや、不名誉なことで可児市の名前が出てしまい、残念この上ない。前市長のときに起きたこととはいえ、電子投票無効裁判のときにも発覚した職員の隠蔽体質が、まだ残っているとしか思えない。 
 
 もともと今回明るみに出た、接待だったかどうか…ということは、裁判の主要な争点ではなかった。接待だったのは明らかで、それが証拠に、この公民館では以後、お酒を介する懇親会は行われなくなった。 
 
 当たり前といえば当たり前の対応だが、それを接待など命じていないと非現実的な主張をするから墓穴を掘る結果となった。ただ、非を認めて、今後このような場面はつくらないと謝罪すればそれで終わっていたのだ。 
 
 どの時点で改ざんされたか分らないが、徹底した情報公開と弱者の視点に立った施政を標榜する冨田市長の顔にも泥を塗ったことになる。この上は徹底した原因究明と、原告と裁判所に対して謝罪すべきだと思う。決してうやむやにはしないでいただきたい。
 


   事実なら中学生が本人訴訟しているレベルですね。
 裁判の時は当然、誰でも気をつけています。 
 特に、パソコン関連は原本と写しの
概念が未だに難解な部分はあります。

 コピーと原本が異なったら、即ばれる事くらい誰でも解かります。
誰かみたいに全部証拠捏造する方が賢い。
顧問弁護士なにしているのか?

 市は真剣に時間外手当支払う
義務が無いと考えていたとする
話も以前伺っているけど...
常識的概念すら無い地方公務員....こんな国難時、おめでた過ぎる。
記事になった時恥ずかしいとか
思わないとしたら終わってますね。
どうなっているの??

 恐るべきレベルの低さが又、露呈してしまい私としても恥ずかし過ぎます。
 他にも市に都合の良いような改ざん、
私は思いつきますよ。皆さん後注意を...
議員も何してるのかしら普段。
職員等 ..6/2 21:38(木)
>> 返信
 

 2011年6月2日(木)
 一般質問初日・渡辺重造議員引退表明
 今日が可児市議会六月定例議会一般質問初日だ。二番目に登壇した渡辺重造議員は今年8月の任期切れを持って引退すると宣言され、その後1時間質問を展開された。これまでの7期28年に渡る、重厚な活動実績に裏づけされた迫力ある質問は、説得力があり最後には全会派から拍手が湧いた。それくらい、感動的な一般質問だった。 
 
 こんなことは私が知る限りはじめてだ。質問は7.15豪雨災害や東日本大震災を受けての市の防災体制の見直し、太陽光発電への助成策、ささゆりクリーンパーク(廃棄物処理施設)で発生する溶融スラグの活用に関する提案、公務員の定年延長等についてだった。 
 
 もともと、可児市議会では、ベテラン議員でコンスタントに一般質問する議員は渡辺重造議員しかいない。(共産党の冨田牧子議員は別格)財政や行生全般についての知識や経験も豊富で、数字にめっぽう強い。 
 
 議会だよりも、次の8月10日号で創刊10年になるが、今のような形まで育て上げ、一応は可児市議会が岐阜県では最も公開度の高い議会として、評価されたことについては渡辺重造議員の功績が絶大だったと思う。 
 
 しかし、これほど市議会や可児市政に貢献されてきた渡辺重造議員であるが、最大会派に所属して来なかったこともあり、一度も議長席に坐ることがなかったことは可児市にとっても残念なことだ。 
 
 ともあれ、議員としての引き際の見事さを身を持って教えていただいた。ぜひ、重造議員の議員魂を引き継いで行きたい。
 

>> 返信
 

 2011年6月3日(金)
 可児市における『放射能汚染対策』は?
 昨日、今日二日間の一般質問で合計13名が壇上に立った。昨日が7名、今日が6名。私は例によって一番最後、午後2時過ぎに順番が回って来た。一番最後というのは、紅白歌合戦とかならフィナーレを飾れていいが、一般質問の場合は前の人にほとんど言い尽くされてしまうという欠点がある。 
 
 特に、今回のように東日本大震災のような大事件が起きると、当然皆同じような防災に関する質問をする。今議会でも13名中10名が、震災関連の質問をした。 
 
 私もそのうちの一人だが、『放射能汚染』に特化したので…それほどかぶらないないかなと、少しは期待したが、やはりそれを特に問題にした議員が私の他に二人いた。 
  
 今日の朝一番、共産党の伊藤健二議員と、それに続くみどりの風小川富貴議員だ。小川富貴議員は、一昨年まで一緒に会派を組んでいた方だ。みどりの風は私にとって古巣でもあり、その会派名は小川富貴議員といっしょに考えた。環境保護を政策の真正面に置くことを意味する。 
 
 二人とも可児市議会議員きっての論客で、一般質問の巧みさでは私は太刀打ちできないくらいだ。伊藤議員は豊富な知識と経験に裏打ちされている。小川富貴議員はある意味天性の資質かもしれない。 
 
 原稿なしでもどんどん切り込んでゆく。時として切り込み過ぎるところもあるが、傍聴していても最も聴き応えのある二人が放射能汚染のことを中心に一般質問したのでたまらない。 
 
 数日前に放射能に関する本を数冊買い込んで、原稿づくりに励んだが、やはり知識の拡がりや、深さでは二人に敵わない。それでも、私の場合は可児市における放射能汚染対策に視点を置いたので、少しは違いを出せた。 
 
 しかし、伊藤議員、小川議員と私(山根)の三人だけが放射能汚染にまで踏み込んだ質問をしたというのは意味があるかもしれない。この三人は、可児市久々利の新滝が洞溜池の水質汚染を追及してきたNPO水源汚染問題ネットワーク・可児のメンバーであり、5〜6年前のフェロシルト問題のときにも共同して動いた経緯がある。 
 
 私がこの質問をしようと思ったのは、市民の関心の高さだ。それはとりもなおさず、それだけ市民(国民)が不安に思っているということだ。いたずらに風評被害を助長してしまうことも自問したが、やはり正しい知識と情報がないことが不安や風評被害の原因であり、そこは情報公開を旗頭とする可児市とあっては是非推進してもらいたい。 
 
 ひとつには、新聞等では県別に空気中の放射線濃度をシーベルトという単位で公表しえいるが、可児市はどなんだろうという素朴な疑問だ。岐阜県は各務原の数値が出ている。ちなみに今日6月3日の数値は、0.063マイクロシーベルト/毎時だ。 
 
 数値についての説明など始めると長くなるので割愛したい。当然、各務原でこの数字なら、可児市も近い値で、健康上心配するような数値ではないと思う。だが、どこで誰が計っていて、その数値は公開されているのか? 
 
 心配はないとしても、やはり正確な数値は知っておきたいという気持ちはあるのではないだろうか?実はこのことは、400ページにも及ぶ分厚い可児市地域防災計画に努力義務として書いてある。 
 
 204頁の原子力災害対策のところで、『市は平常時の環境放射線モニタリングを実施し、緊急時における対策のための基礎データとするよう務める。』となっている。 
 
 このことを質問したが、計測はおろか可児市役所には放射能を測定する計器もないということが分った。努力義務だし、これまでは放射能汚染のこと等、防災対策上もほとんど話題になることもなかったので、取り立てて責めるつもりもないが、3.11以降は少しは考えて欲しかった。 
 
 しかし、このことは一般質問前に、環境課への質問等で私は知っていた。その分、可茂消防署の南署で、毎日10時と16時に調べて県の防災課に連絡しているというので、少しは安心していた。 
 
 ところが、この件は小川富貴議員へ対する回答でもあるが、南署の値はいつも0.4マイクロシーベルト/毎時なのだという。理由は、それ以下の値はその機器自体が持つ放射線量を読み込んでしまうので、計れないそうだ。 
 
 これでは、単純に県の数字より10倍近い値になってしまう。人体には問題のない数値なのだろうが、これでは心もとない。それなりの性能がある計測器だという説明だったが私には信じられない。 
 

 というのは、つい先週、被災地支援のボランティアバスの企画の件で、6月10日から12日に計画している、富加町の桜井食品という会社を訪ねたのだが、そこのホームページには岩手県産の強力粉の説明として、その計測器で測った値が写真で出ていて0.037マイクロシーベルト/毎時で、岐阜県の値の半分位だと表示してある。これは説得力ある。 
 
 社長に聞くと、この機械は竃x場製作所の放射線サーベイメーター(PA-100)で、定価13万円くらいの機器だという。もともと桜井食品はオーガニックの食品提供で有名な企業なので、今回の災害で放射能に関する消費者の不安に応えるには正確な情報を伝えるしかないと考えたという。 
 
桜井食品株式会社HPから↓ 
http://www.sakuraifoods.com/news/20110525/hosyaryo_sokutei.pdf 
 

 ただし、この堀場製作所の機器は現在、あまりにも引き合いが多くて注文に応じきれない状況だと社長は話してくれた。民間企業は、特に食品会社となれば当然このような対策は講じる。 
←桜井食品全容(富加駅そば) 
 
 私への一般質問への回答に中で、総務部長は可児市役所も計測機器を購入するという考えを示してくれたが、やはり市民の生命・財産を守ることが市の使命であることからすれば、言われなくてもそれくらいのことは準備しておいてほしかった。 
 
 平時にできる放射能汚染対策について、他にもいろいろ聞いた。何よりも岐阜県の場合は、若狭湾や敦賀の原発群から100kmしか離れてなくて、しかも1年の4分の3は風が、若狭湾方面から東濃地方に吹いて来るというデータもある。 
 
 非常事態の場合は、可児市も危険区域になることや、瑞浪市にある超深層研究所についての疑念もぶつけた。ここは独立行政法人日本原子力研究開発機構が運営しており、放射性物質は扱っていないとはいうが、すでに300m地下まで掘り進んでいる。 
 
 日本の原発54基から出る使用済み燃料1万3千tの捨て場所がない中で、ここは、国際法上規定されている地中300m以上という条件をクリアしている。 
可児市もこの施設があるまちに隣接しているというだけで、平成22年決算で580万円の交付金を国から貰っている。 
 
 瑞浪市や近隣市は、数千万から億単位の交付金をもう十数年前からもらっている。いわゆる原子力マネーだ。浜岡原発停止で話題になった御前崎市をはじめ、原発のある市町はほぼ例外なくこの交付金をあてにしている。 
 
 年額580万円というのは、この交付金の規模からはわずかな金額とも言えるが、可児市も6年前の兼山町との合併時から、その恩恵に預かっているという事実は、知らない市民が多いのではないか。 
 
 もし、核の廃棄物が持ち込まれるような疑惑があるときに、しっかり交渉できるのかと、かなり聞きにくいことを聞いたが…当然、その心配はないという説明だった。瑞浪市と原子力研究開発機構の間に、放射性物質の持ち込み等はしないという協定ができているということだ。 
 
 そんな危険性のない研究所なら、なぜ近隣の市町に億単位の金をばら撒き続けなければならないのか…私にはよく分からないが、市は大丈夫と言ったので、それ以上は突っ込まなかった。 
 
 参考:瑞浪超深地層研究所に関わる交付金(2010年)実績 
瑞浪市5億1000万・恵那市3億6600万円・土岐市4億2600万円・御嵩町7910万円・八百津町6180万円・可児市579万円(放射能のゴミはいらない!市民ネット・岐阜調べ)
 
 
 私たち市民は一応、国や県、市を信じるしかない。ただ、このような施設が私たちの住むまちの目と鼻の先にあることは知っておくべきだと思う。 
 
 参考までに放射能のゴミはいらない!市民ネット・岐阜のホームページ『れんげ通信』とリンクしておく。ここの代表兼松秀代さんには、フェロシルト問題のときに大変お世話になった。心配な方は開いてみてほしい。 
 ああ、また今日も長くなってしまった… 
 
放射能のゴミはいらない!市民ネット・岐阜HP↓ 
http://www5b.biglobe.ne.jp/~renge/ 
 


  内閣不信任決議案の茶番劇についての説明をしてください。
また、前総理が現職総理に対してのペテン師発言についてもきちんと説明してください。
肝心なことにはスルーですね・・・
民主党はいらない ..6/6 15:24(月)

  民主党は福島の子ども達に対する放射線被曝許容量を20ミリシーベルトにするとした時点で終わっている。現政権は核廃棄物処理場を必死で捜している。岐阜県知事も可児市長も同調せざるを得ない立場にある。貴君も含めて原発に対しての明確な考えをしめしていない。いいとこ取りばかりのパーフォーマンスが目立ち責任転嫁が常態化しているのは民主等全体の性格のようだ。
X ..6/7 8:12(火)

  「政治とカネ」の問題が解決していない、しかも党員資格停止中の小沢がいまだに影響力を持つ民主党。今回の騒動でなぜ小沢を除籍にしないのですか?貴君の意見を聞きたいですが・・・
民主党はいらない2 ..6/8 9:53(水)

  単なる党員の山根さんを責めるのは気の毒。
 下の地震兵器発言や、その根拠がゴルゴ13の6話とか言ってる方が気になります(笑)。
 有権者本当に気を付けないといけないと思う出来事。

民主党広島県議会議員 梶川ゆきこ先生
http://www.kajikawa-yukiko.jp/
http://twitter.com/#!/yukiko_kajikawa
職員等 ..6/9 19:48(木)

   単なる党員じゃないでしょ。議員なんだから。たしか菅さんにも投票しているはず。
 でもこのサイトの私のセールスポイントを見ると笑えるけどね。
taro ..6/9 22:20(木)

  貴君は単なる党員なんですか?それは残念。貴君に期待しているからこそ今の現状をみてどう思っているか、今後どのようにしてくれるのか貴君の意見を求めたのであって、単なる力のない単なる党員では無理ということですね・・・期待した私が間違っていました。もう何もきたいしません。これで終わりにします。
民主党はいらない3 ..6/10 8:15(金)

  >単なる党員じゃないでしょ。議員なんだから。

私もそう考えてましたが、党の推薦、公認議員では無い場合、単なる党員扱いです。
職員等 ..6/10 13:43(金)

  山根さんは、民主党岐阜県連の常任幹事ですよ!それでも単なる党員ですか?
http://www.gifu-dpj.jp/index2.htm
民主党は県連の常任幹事の議員を単なる党員としているのですか?
民主党得意の責任逃れのためですか?
そんな政党に政権任せられないですね!
? ..6/10 16:20(金)

  皆様、民主党に関することでいろいろご意見をいただきました。私も党につながる一員として忸怩たる思いで見ています。このブログは基本的に、私の身の回りに起きていることや考えていることについて書いています。世の中の動きや政局について、評論家的に論評するようなことはしないように努めています。
山根 一男 ..6/13 2:16(月)
>> 返信
 

 2011年6月4日(土)
 東北へ行こう!【告知】
 先にご案内した6月17日夜から、被災地向へ向けて可児・美濃加茂からボランティアバスを出す企画がまとまった。 
 
 会の名前も決まった。『復興支援!ボラバスねっと・かにかも』だ。代表には可児市川合で学習教材の企画販売をしている桂川博文さん、副代表には美濃加茂市で保険事務所を営む小原将生さん、私は事務局を担う。 
 
 5月20日〜22日に、下呂市のKIプロジェクト鎌倉庄司さんらが企画した、宮城県岩沼市行きのボランティアバスに乗り合わせた3人で立ち上げた。 
 
すでに会のブログも立ち上がっている↓ 
http://volubus.blog89.fc2.com/blog-category-1.html 
 
 0泊3日、往きも帰りも夜行バスというのは、一見きつそうに感じるが…多少体力に自信ある方なら、これが最も安価で、時間を有効に使って被災地の方々に愛と元気を伝えられる最良の方法だ。 
 
少なくとも東北まで片道10時間以上かかる、ここ中部圏には最適だと思う。昼間走れば、往復2日間はただバスの上の人で、とてももったいない。 
 
 それに、現地ではいくらでも人手は必要で、たった一日の活動でも30人〜40人とまとまった人手は被災地にとって歓迎される。個々に行ったのでは、現地の受け入れ側の対応も大変だし、何より運転が大変だ! 
 
 義援金も支援物資提供など、ほとんどの市民は一通りは済んでいる。次に必要なことは、もう一歩踏み出した支援、手ごたえの感じられる支援だ。それはたった一日でも現地に入って働くこと、現地の空気と人に触れることだと思う。 
 
 私の可能な日程が、この6月17日夜〜19日早朝帰着という日しかなかった。 
その前後の週は、可児川豪雨災害の行方不明者捜索の日であり、7月になると選挙がある。8月は暑すぎるかもしれない… 
 
 ものごとはタイミングだ、5月20日〜22日に参加したのも偶然のようだが、必然だったかもしれない。無理を承知で6月17日夜出発のプランを進めた。ちなみに6月17日は議会最終日でもある。その日の夜に出る。 
 
 日程は6月17日(金)21時に可児市役所駐車場集合で、人数が揃いしだい21時30分を目処に、美濃加茂市役所駐車場でまた人を乗せる。車で来た人は、そのまま各市役所駐車場にマイカーを置いておいても良い許可をもらっている。 
 
 その後は美濃加茂インターから東海環状自動車道に乗り、中央高速、新潟周りで翌6月18日(土)午前8時には、宮城県岩沼市の災害ボランティアセンターに着く予定だ。その前に、コンビにに寄って朝食なり、昼食は各自で用意してもらう。 
 
 完全自己完結型のボランティア活動である。こちらで用意するのは、クーラーボックスと飲み水くらいだ。 
 
 その後、岩沼市災害ボランティアセンターの指示によって、各現場に入る。40人で行くと言ってある。シャベルや一輪車等の道具なども極力持参してほしいそうだ。仕事の内容は、泥だし作業が多いという。 
 
 16時前には作業を終了し、ボランティアセンターに報告して終了。その後、スーパー銭湯極楽の湯に寄り、食事やお土産も現地で買い、なるべくお金を落としてから帰途につく。 
 
 あとは泥のように眠りこけながら、目が覚めたら美濃加茂・可児に19日日曜日の午前7時30分〜50分頃には帰り着く予定。日曜日は、ゆっくり休むなり、何か活動することもでき時間が無駄にならない。 
 
 梅雨なので18日の天気が心配だが、とにかく現地には行く、程度にもよるが雨でもできる作業を探してもらう予定だ。 
 
 参加費は10,000円。学生は7,000円だ。高校生の参加も可能だが親の同意書が必要となる。実は学生を7,000円とすることは、かなりのリスクを負うことになる。バス代関係で30万円近い金額となるため、学生の比率が高ければそれだけで赤字になる。 
 
 それでも、学生ならこのタイミングで行けば、長い夏休みにまた友人を誘って行く可能性が高い。実は私の息子がそうだった。5月初めに可児市社協が市と協働で企画した岩手県大槌町に行き、帰ってから学生らを集めてまた被災地へ行きたいと動いている。 
 
 少しでも若い学生らに、参加しやすい料金で行ってもらうため、また、今回行ったメンバーが、今度はまた別の場所でボランティアバスを仕立てて往くときに、少しでも財政的なリスクを回避するために募金も始める。 
 
 自分は行けないけど、若い人にはぜひ行って私の分まで働いて来てほしい…と願う。ボランタリーな方!ぜひカンパをお願いします。 
 口座:東濃信用金庫 可児支店 普通 0978732『ボラバスねっと』迄 
 
 
実は美濃加茂市からは、同じような0泊3日型復興支援バスが、前の週6月10日夜発。後の週、6月24日(金)発。と三週続く。この動きが、岐阜県各市町や愛知県まで広がってほしい。 
 
 参加した人が、今度は主催者になってわが町で復興支援バスを企画する。木金休みの会社も増えるので、水曜日の夜発のバスも可能かもしれない。この地域から東北へ愛と元気を届に行くバスがどんどん増えることを想像している。我と思わん方はぜひ、6月17日可児市発東北行きのバスに乗ってほしい! 
 
 ※すでに、前回のブログを見てお申し込みの方が数人います。参加ご希望の方は満席になる前に、ぜひお申し込みください。連絡は携帯090-1821-4777、E-mail:yamanet@ma.ctk.ne.jp 山根一男まで、折り返し申し込み用紙を送ります。 
  
 
 

>> 返信
 

 2011年6月8日(水)
 仙台にて
 今朝7時に岐阜県庁前からバスが出て、18時頃仙台に着いた。民主党の地方議員らでつくる民主ネットワーク主催の多賀城市での炊き出しボランティアに参加してここまで来た。 
←会津磐梯山  
 
 こちらは参加費3万円と多少お高いが、ホテル2泊が含まれているのでそれくらいは妥当なところだろう。という訳で、今日はアークホテル仙台のパソコンから打っている。 
 
 岐阜市からだとたっぷり11時間はかかる。距離にして約800kmだ。途中、長野県の梓川サービスエリア、新潟県の米山サービスエリア、福島県の磐梯山サービスエリアに寄った。 
 
 とにかく遠い!昼行バスだと景色は楽しめるけど、やはり1日かけての移動というのはもったいない気がする。あさって10日には可児市に戻るが、この忙しい日々の中で二日とられるのは痛い。 
 
 ただ、前回の泥出しボランティアに続き、明日は昼と夜の二回炊き出しボランティアを経験することになる。避難所に入るのも初めてだ。 
 
 いろんな種類のボランティアを経験することで、そのことを次に活かしたい。17日からの復興支援!ボラバスねっと・かにかも主催のボランティアバスは、まだ広報し始めたばかりで参加予定者は10名に達していない。 
 
 昨日、申請していた可児市と美濃加茂市の後援名義がおりた。また、可児市役所と美濃加茂市役所の記者クラブに参加者募集の件、広報記事の依頼をした。可児市内14の公民館へのポスター掲示とちらし配布も教育委員会生涯学習課のほうで快く引き受けてくれた。 
 
 その他、防災安全課を通じて、可児市役所内、総合会館、総合会館分室へのポスター掲示、福祉センターや変わったところでは料理処の『かまど』にもお願いをして来た。 
 
 私もこれまでの人生で、数多くのイベントを手がけてきたが、バスの乗車客を集めるのはこれが初めてだ。締め切りの15日まで、まだ多少の余裕があるが、不安もある。この三日間、自分が地元で動けないのが痛い。 
 

>> 返信
 

 2011年6月10日(金)
 炊き出しボランティア
 実は、こちらのボランティアのほうが先日、5月20日〜22日に岩沼市に行く前に申し込んでいた。とにかく一度、現地を訪れてみたいという気持ちが高まっていたのだ。そこへ電撃的に、先のボランティアバスに乗り、現地を体験した。そして、今度は自分たちでバスを仕立てる結果になった。 
 
 正直、3万円は痛いし、こちらは止めようかとも思ったが、一度申し込んだものを撤回するのも気が引けた。それに、炊き出しとはどのようにやるものなのか、避難所はどのようになっているのか、何事も経験だ。 
 
 結果として行ってよかった。炊き出しは、泥出しボランティアに比べれば、よほど楽だが、とにかく短時間に数百人も並ぶので忙しい。 
 
 9日木曜日、昼は稲庭うどんと筑前煮、それに味ご飯、夜は中華丼かオムライスプラス野菜スープだ。料理自体はプロの料理人が、これもボランティアで6人も参加していたので、調理はお任せだった。 
 
 私の仕事は、昼はただひたすらネギを稲庭うどんの、かまぼこの横に盛ること、夜は中華飯のご飯を適量、盛ることだった。避難所にいらっしゃる方は300名弱ということだが、一度に並ぶので大変だった。 
 
 でも、とても美味しかったと感謝されたり、盛り付けのときなど会話を交わしたりで、けっこうお話することができた。岐阜から11時間かけて来たというと、とても感謝された。 
 
 泥だしとは違う、満足感がある。ただ、300食もの食材や調理機器の運搬など、よほどしっかりした組織でないと炊き出しはできない。それでも、多賀城市体育館避難所はピーク時には1000人を超えていたというからすごい。 
 
 近くの野球場には、きれいな仮説住宅が出来ていたが。中には、仮説住宅へ入っても、避難所生活が懐かしく、避難所に戻りたいという人もいるそうだ。確かに、避難所はプライバシーがない代わりに、孤独ではない。 
 
 食事なども、配給されひとつの村みたいになっていた。多賀城市の職員は、たった一人だが、岐阜県職員が4人、三重県職員が7人、愛知県職員が6人、その他メンタルヘルスの専門職の岡山県職員が数名と、さらに給水係として自衛隊員が常時2人いる。 
 
 医務室もあれば、警察官の立ち寄り場所もあり、ひとつのコミュニティが出来ている。そして、その運営の中枢を担っているのが、もともとこの体育館の指定管理者であったNPO法人だ。 
 
 全く、平常時とは違う仕事内容なのに、すばやく対応し、契約条件も変えたということだが、このNPO法人の適応力の高さには驚いた。 
 
昼食と夕食の炊き出しボランティアの間、少し時間ができたので、職員の方に案内してもらい津波の被害が大きかった、七ヶ浜町と仙台市宮城野区へ行った。皆、声を失った。 
 
 数キロ四方に渡って、壊滅的な惨状が続く。そして、一番驚いたのは、その数キロ四方に人がいないことだ。完全にゴーストタウン化している。手の施しようがないのだろうか?どこも復旧させようとはしていない。 
 
 そういえば、岩沼市でもそうだった。本当に被害のひどい地区は、何も手がつけられていない状態だ。本当に気が遠くなるほどの手間隙と、時間がかかるだろうと簡単に推測できる。 
 

 とても体が重々しくなった気分だ。唯一、微笑ましかったのは迷彩服の若い自衛隊員が、幼い女の子の相手をしている姿だ。被災地では、いたるところに自衛隊の姿があり、市民にとって頼もしく、身近な存在になっている。 
 

>> 返信
 

 2011年6月12日(日)
 第20回可児川豪雨災害行方不明者捜索
 どんよりとした天気だったが、雨は降らず5月15日以来の捜索活動ができた。ただ、前回雨で流れたこともあり、今日の参加者は過去最低の12名となった。 
 
 全員で木曽川左岸、扶桑町緑地公園内の木屑の堆積場所で作業した。曇りでよかった。日差しが強ければとても長時間の作業はできないだろう。 
 
 とにかく、膨大な量の堆積物で、ほとんどが木の枝やアシ、ゴミなど比較的軽いもの。ところにより3m以上の堆積があり、この人数では1年かけても終わらないかもしれない。 
 

テトラポットの上や周りに堆積しており、気をつけないとずぼっと落とし穴のように沈み込むことがある。木の枝や竹などが、複雑にからみあっており、まるでパズルをばらすような感覚で、やり始めると時間を忘れる。 
 
 ただ、遅々として進まない。あまりにも量が多いのだ。それでも、かき分ける都度に見つかるような期待感がある。堆積物の中のほうまでは、誰も探していないので、見つかる可能性はゼロではない。 
  
 ただ、70km以上にも及ぶ、木曽川流域のこの場所だけでもこれだけ時間と手間がかかることを思うと、探し当てることは奇跡に近いのかもしれない。 
 
 先日の行方不明者の両ご家族も参加した会合で、この活動を来月7月17日(日)の捜索日で、一応の区切りをつけようということになった。 
 
 あの、豪雨災害から7月15日で丸一年になるのだ。ただ、そこで完全に終わりにするのではなく、ご家族と有志で細々とでも続けてゆくことは確認した。ご家族の方の希望である。1年ではまだ、死亡認定はしたくないという。 
 
 家族や親族だけで探すことは、応援する会としてはしのびない。これまでのような月二回のペースは無理だけで、可能な範囲で続けたい。 
 
 
ただ、7月17日は一つの区切りということで、社会的にも発信したい。まだ、詳細は決まっていないが、通常通りの捜索活動の後、午前11時頃に三人が難に遭った、名鉄アンダーパス付近から花束を可児川に流したい。 
 
 その後、12時頃よりいつもの集合場所、可児川下流域自然公園駐車場付近でご苦労さん会のような中締めの会を催したい。これまでに捜索活動に参加された200名を超える皆さんにも声をかけてしめやかに行いたい。 
 
 このような会は、どこにもお手本があるわけではないので、どのようにやるか、これから頭をひねらなければならない。当然、河川を管理する土木事務所など関係機関とも調整しなければならない。
 

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 2011年6月13日(月)
 復興支援!ボラバス 現在25名
 6月17日(金)21:00に可児市役所、21:30に美濃加茂市役所を経て、18日早朝に宮城県岩沼市へ向かう復興支援ボランティアバス、今日時点で25名の方に申し込んでいただいている。 
 
 可児市の方は8名、美濃加茂市の方が4名、遠い方は京都府の長岡京市の方がいる。女性は8名、最高齢は71歳、一番多い年齢層は20歳代で8名、うち大学生が4名(うち女子2名)いる。高校生も1名いる。あとは30歳代〜60歳代までばらけている。 
 
 皆、熱い人たちだろう。ただ、定員の40人まではまだ足りない。受け入れ先の岩沼市災害ボランティアセンターには40名と伝えてあるので、すでにアテにされている。何としても集めねば! 
 
 すでに、中日新聞には募集案内を載せてもらった。なんとか岐阜新聞と朝日新聞、毎日新聞の記者に直接お願いした。家の近所で1000軒以上ポスティングもしている。(結果1名申し込みあり)地元の名城大学都市情報学部にも広報のお願いに行って来た。 
 
 すでに復興支援!ボラバスねっと岐阜で、ブログもできていて6000アクセス以上ある。↓(ボラバスねっとで検索可能) 
http://volubus.blog89.fc2.com/blog-entry-11.html 
 
 あと三日でたぶん埋るだろう。もしかしたらお断りするようになるかもしれない。その場合、次週にも別団体で美濃加茂市発で岩沼市行きのボラバスがあるので紹介できる。 
 
 どんな人が集まってきて、どんな出会いやドラマがあるのだろう。往き帰りのバスだけでも20時間以上一緒にいる。復興支援の(たぶん)泥だし作業や現地の方との交流が一番の目的だが、こうして熱く燃えたそれぞれの年代の方同志が出会い、同一行動を取るということに、すごい可能性を感じる。 
 
 また、自分たちと同じようにボランティアバスを企画する人や仲間が増えること期待している。大学生は夏休みにでも、独自企画を立てて再度、被災地に入ることを期待する。 
 
 出会うための仕掛けも考えたい。帰ってから1週〜2週間後に、再び可能な方だけでも集まって、思いを語る会を催したい。準備するほうは大変だが、これも産みの苦しみというもの…新しい価値を生み出せることは喜びだ。 
 
 まだ、募集中!参加費、一般1万円、学生7000円。自分は行けないけど、若い人に行ってもらいたいというボランタリーな方のバス代等のカンパも募集している。ぜひ、東北地方に愛と元気を届けに行こう! 
 問合せ、申し込み 上記ブログか、山根一男(090-1921-4777)(yamanet@ma.ctk.ne.jp)まで
 

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 2011年6月18日(土)
 3月11日製造のとうふ
 宮城県岩沼市下野郷地区、仙台空港のすぐ南にあたる。空き地のがれき処理をしていて見つけた。3月11日製造のとうふだ。パッケージには穴が明き、水分はかなり抜けていたけど100日たった今でもとうふの形はしていた。 
 
 海岸から3.5kmも内陸であるこの地区だが、近隣の方に聞くと1m近く浸水して、車や家電が打めになったという。このとうふもどこからか流されてきたのだろうが、まるであの日から時間が止まったような衝撃を受けた。 
 
 実際、もう少し沿岸に近いところに行くと、今でも田んぼに車や船が置き去りにされたように無残な姿をさらしている。空港近くでは、セスナ機の残骸が道路のすぐ近くにころがっていた。 
 
 一言で被災地と言っても、被害の程度によってまるで別世界の様相である。それほど報道されていない岩沼市でも、市内で発見されたご遺体は180体を数えるという。 
 
 全壊699戸、大規模半壊が421戸、半壊が636戸…田畑は塩害により使い物にならない状況だ。私たちが災害ボランティアセンターの仲介を経て、手伝いに行く家や地域は、比較的被害が少ない場所が多いように思える。 
 
 家を失った方は、避難所や県外にいて復旧ボランティアを要請することすら出来ないのではないかと想像する。本当に悲惨な方々に少しでも早く救いの手が差し伸べられるように祈りたい。
 

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 2011年6月19日(日)
 29日に『被災地支援を考える会』【告知】
 東北から帰ってきた。この一ヶ月に3回、宮城県に入ったことになる。初めて参加した5月20日から、1ヶ月経たない間に、今度は自分たちで企画してボランティアバスを出せた。 
 
 前回、同じバスに乗り合わせ、意気投合した桂川博文氏と小原将生氏がいたからできた。それと前回主催者の下呂市の鎌倉庄司さんらが全面的にノウハウを伝授してくれたから出来た。 
 
 鎌倉さんらは、来週、また同じように宮城県岩沼市行きのボラバスを企画している。自分たちの参加者が減る可能性があるのに、全面的にあと押ししてくれた。 
 
 これは商売では有り得ない。大げさに言えば深い人類愛に根ざした、崇高な行為だ。今週6月24日、金曜日20時に美濃加茂市の日本昭和村駐車場から、下呂市、高山市経由で宮城県岩沼市を目指す復興支援バスもぜひ多くの参加者が集まることを祈る。 
 
鎌倉さん(金山印刷所)HP↓ 
http://www.coms1.jp/blog/2011/04/post_373.html 
 

 写真は本日早朝に可児市役所に着いたところだ。17日の往きのバスではなかなか眠れなかった人もいたようだが、現地で働いたあとの昨晩は皆、熟睡していたようだ。 
 
 結局、参加者は38名。日系ブラジル人の方や大学准教授、TVデレクターや美濃加茂市議、可児豪雨災害で家族が行方不明の方など多彩なメンバーだった。高校生5名、と大学生4名、今年大学を卒業したばかりの社会人1年生も4名いて全体的に若い。 
 
 被災地では、ちょうど震災100日目で、岩沼市でも合同慰霊祭が行われていた。そのためか、普段よりボランティア依頼は少ないとのことだったが、38名を10名と28名のグループに分け、それぞれの現場で作業した。 
 

 私が直接関わった現場は、仙台空港の南、海岸からは3.5kmも内陸だが、ここでも床上20cmまで津波が襲ったという。所有者の安否が分らない空き地のガレキ撤去作業だった。 
 
 この辺りは周りは、ほぼ復旧しているのだが、その空き地が手付かずでヘドロもたまっていて、腐臭がするので近隣からの苦情により地域自治会からの要請であった。 
 
 100坪ほどの土地で、最初は果たして今日一日で片付くかどうか不安だったが、28名と午後からは、別の現場に行っていた10名も加わった。またたく間にきれいになり、近隣の住民からも感謝された。 
 
 やはり志を同じくする人の集団というのはすごい。心配していたが、高校生たちもとても熱心に働いていた。女子大生も慣れぬ手つきで一輪車を扱っていた。 
 

 分かれる頃には皆仲良くなり、別れが名残惜しいようだった。袖ふれあうも他生の縁というのに、33時間ほど行動を共にしてきたのだから無理はない。また、それなりに出会いもコーディンネートもした。 
←一緒に行った高校生たち、左端は代表の桂川さん 
桂川さんHP↓  
http://www.ctk.ne.jp/~m-stage/ 
 
 被災地支援のこれからのあり方として、一人でも多くの方に一度でもいいから被災地に行って汗を流してほしい。いくらTVを観て心を痛めても、心からのエールを送ったとしても被災地には届かない。 
 
 義援金や物資を送ることも大切だが、被災地の方の手元に渡るまで相当かかる。具体的に何かを残すことが大切だ。被災家屋のたった1軒分でさえ、完璧には復旧できないが、それでも前よりはきれいになり、近隣の方にも岐阜から集団できて汗を流してくれたという事実は心に残る。 
 
 こういった動き、被災地までの足を確保する活動が全国に拡がることを願っている。今回のボラバスに参加した人を中心に、他の主催団体の方もまみえて6月29日(水)午後7時からアーラ(可児市文化創造センター)2F和室にて『被災地支援を考える会』を催すことになった。 
 
 主催は『復興支援!ボラバスねっと・かにかも』である。今回のボラバスの報告会、反省会、同窓会的な部分もあるが広く外部にも参加を求めて、このような動きが拡がってゆくことを模索したい。 
 
復興支援!ボラバスねっとHP↓ 
http://volubus.blog89.fc2.com/
 

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 2011年6月20日(月)
 被災犬お預かり
 この歳になると、友人や知り合いが新聞やテレビにとり上げられていて、驚くことが良くある。しかし、今日は驚いた。復興支援バスで宮城県岩沼市に向かった日、すなわち6月17日(金)の夕刊を何げなく観ていた。 
 
 すると新聞紙面(中日新聞)の半分以上を使って、しかもカラーで『被災犬お預かり』という記事が目に入った。写真に写っている山口常夫という名前に聞き覚えがあった。 
 
 よく読むと岐阜県富加町のNPO法人日本動物介護センター理事長とある。そこでやっとつながった。7.15可児川豪雨災害の行方不明者捜索ボランティアを始めた頃、昨年9月・10月に見るからに精悍そうなシェパードとゴールデンレドリバーを連れて行方不明者捜索に来てくれた方だ! 
 
 他にも数団体、災害救助犬(この場合は捜索犬)でお世話になった。ただ、山口さんの団体だけは全くの無償で駆けつけてくださった。他の団体は埼玉や兵庫で、遠かったということもある。 
 
 また、NPOの活動は必ずしも無償性が問われている訳ではない。むしろ適正な費用は請求してもらいたかったが、一円も受け取らなかった。 
 
 現在の捜索メンバーのひとりから、山口氏の活動については、一応把握していたが、ここまですごいとは思っていなかった。 
 
 記事によると「被災地で犬の世話ができない人」が必ずいると見て、当初だけで28匹の犬を連れて帰って来て富加のセンターで預かっているという。すでに訓練センターは満席の状況なのだが、さらに20〜30匹被災地の犬を預かりたいという。 
 
 そのためにエサやワクチン等必要なお金が、年間約600万円ほどになるという。やると決めたら、どこまでもやる。ほんとうにすごい人だと思った。 
 

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 2011年6月26日(日)
 7月17日に『惜別と感謝の集い』【告知】
 今日は第21回目の可児川豪雨災害行方不明者の捜索日だった。朝からどんより曇り空で、雨が心配されたが15時30分の終了時までもった。むしろ、ときおり厳しい日差しとなり、かなり体力を消耗した。 
 
 たぶん炎天下の元では、20分くらいしか作業は続けられない。今日は、曇りでよかった。今日も午前中は、行方不明の佐藤正二さんの会社の方が10名近く来てくれて総員に二十数名での作業となった。 
 
 場所は、ここのところ三回ほど連続で木曽川左岸、愛知県扶桑町の扶桑緑地公園下の河岸である。どうしたらこれほども沢山の木片、ごみ、葦、竹が集まるのだろうというくらい堆積している。 
 

 正直、どこの部分が、昨年7.15豪雨災害による堆積なのか計りかねるところはあるが、通常水位よりははるかに上まで堆積しているので、直近では昨年の豪雨時と考えるのが自然である。 
 
 あの災害から、そろそろ1年になる。もし、見つかるとしても原型を留めていないかもしれない。可児川合流地点から下流の木曽川流域約70kmのうち、ここの一ヶ所だけでも、この人数では数ヶ月かかりそうだ。 
 
 それでも、探し続ける限り、見つかる可能性はゼロではない。3mも堆積している木の枝や竹を取り除いていく。今まで誰も手をつけていないのは明らかだ。 
 
 私は事務局(可児川豪雨災害行方不明者のご家族を応援する会=略称:応援する会)なので、捜索もするがメインの仕事は、捜索活動全体のコーディネートである。その際一番考慮しているのは行方不明者ご家族の気持ちだ。 
 
 7月15日で豪雨災害から1年になる。時が経つほどに、増してこの間には東日本大震災も発生し、桁違いの犠牲者、行方不明者が出ているなかで忘れ去られてしまうことが一番淋しいことだという。 
 
 娘さんの目の前で奥さんが流されてしまった細田さんは、自分の妻が行方不明であるにもかかわらず、先日一緒に東北地方へ行き、泥出し作業等に汗を流した。恩返しの気持ちが強い。 
 
 先日も一部告知したが、7月17日(日)が『応援する会』の第23回目の捜索日に当たっている。この日の捜索終了後に『惜別と感謝の集い』を実施する予定だ。 
 
 7月17日(日)の午前11時30分より、遭難現場の名鉄アンダーパス傍の市道50号線にかかる虹ヶ丘橋の下で行方不明者2名と亡くなられた三宅さんとの惜別の意味を込めて花束を三つ可児川に流す。 
 
 この際、現場は足場は悪いが虹ヶ丘橋たもと、可児川右岸5mほどのところから川岸に下りて行ける。駐車場は、老人介護施設のサンビュー可児の前のスペースをお借りすることで快くご了承をいただいている。 
 
 黙祷のあと、場所を虹ヶ丘橋から市道50号線を少し可児方面に走り二つ目の信号を右折して200mほどにある『清香苑ユニオンホール西可児』(可児市坂戸934−30574−62−7938)に場所を移して行う。 
 
 当初、可児川下流域自然公園の駐車場付近で…と思っていたが、炎天下でもあり雨がふるかもしれない。これまでに捜索ボランティアに参加された200人近い方に声をかける。 
 
 もちろん、捜索活動に参加していなくとも、行方不明者や亡くなられた方に惜別の念をお持ちの方ならどなたでも参加していただいて構わない。市長にも参加をお願いしている。 
 
 何かと忙しい時期にあたり、私にとっては過酷なスケジュールとなりそうだが、行方不明者ご家族のためにも『惜別と感謝の集い』を充実したものにしたい。 
 

 捜索作業終了後、可児川下流域自然公園に戻ってきたとき、細田さんが四つ葉と五つ葉のクローバーを見つけてきて、当初から捜索活動に参加されている方にプレゼントしていた。幸せになってね…と。 
追記:一部説明不足でしたので、追記します。四つ葉のクローバーは他の捜索協力者からお父さんが流されて行方不明の佐藤さんの娘さんらにもプレゼントされました。幸せになってほしい…あのとき以来、夫と連絡がとれないままのお母様も、目を細めて見ていました。
 

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 2011年6月28日(火)
 可児市議会議員選挙立候補関係者説明会
 午後1時30分から、可児市役所向かいの総合会館5Fで7月24日告示、7月31日投開票の可児市議会議員選挙の立候補関係者説明会があった。 
 
 25陣営が参加した。可児市議会の議員定数は22名である。定数が同じ22名だった4年前の立候補者説明会では30陣営が参加していたので、この数字を見る限り少数激戦となる可能性が高い。 
 
 ただ、説明会に出ずに立候補する方もいるし、説明会に出ても立候補しない方もいる。事実、3陣営は候補者未定で参加しているということなので、様子見なのかもしれない。 
 
 いずれにしても、選挙は告示日の17時まで、ふたを開けて見なければ分らない。ひとつ言えることは、4期以上のベテラン勢が6名ほど大挙してお辞めになるので、可児市議会は前回に引き続き大幅な入れ替えとなる可能性がある。 
 
 自分は入れ替わりにならないことを祈りたい。ひとつ、画期的なことがあった。シルバー人材センターによるポスター貼り請負である。 
 
 これは、もしかしたら選挙の歴史を変えるかもしれない。選挙戦において、何が一番ハードルが高いかといえば、可児市でいえば224ヶ所に及ぶ掲示板へのポスター掲示である。 
 
 それも告示日の午前中には貼りきらなければ泡沫候補と言われかねない。雨でも降ろうものなら、大変な苦労だ。ただ、ポスターを貼ること自体が支持を拡大してゆく活動と捉えることもできる。 
 
 シルバー人材センターは、市内を17地区に分け、ポスター貼付を依頼する候補者が多いほど、費用が安くなる。一ヶ所あたり150円〜60円まで巾がある。仮に100円だとすると224ヶ所で22,400円だ。これは魅力だ。何十人もの人に拝み倒して貼ってもらうことを思えば2〜3万円のことならお願いしたくなる。 
 
 これは市議会でも酒井正司議員が一般質問していたが、224ヶ所の選挙ポスター掲示板に、例えば25陣営がそれぞれに車などで乗り付けて貼っていたのでは、二酸化炭素の排出量等も含めて、たいへん効率が悪い。最初からポスターを掲示したものを設置できないかというものだった。 
 
 それが形を変え、シルバー人材センターへの貼付委託という形で実現したのだろうが、選挙のハードルを下げることは確実だ。これが全国に波及してゆけば選挙運動のあり方自体が多少変わってくることになるだろう。まだ、もう少し時間があるので、悩んでみたい。
 

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 2011年6月30日(木)
 可児に場外馬券場?
 午前9時から議会運営委員会があり傍聴した。昨日、Faxが自宅にあり気になる項目(協議題)があった。笠松競馬場外馬券販売所の計画について…である。そんな話は初めて聞いた。 
 
 説明によると、可児市中恵土地内、国道21号線を挟んでラスパ御嵩(商業施設)の対面辺りに敷地面積650坪、建坪約100坪の『笠松競馬ミニシアター可児』(たぶん仮称)という施設の建設計画が明らかになったという。 
 
 場所は、ほとんど可児市と御嵩町の境で、すでに事業者から中恵土・川合地区の連合自治会長および、市の建築指導課には事業説明があったという。 
 
 馬券売場の窓口は3窓口で、うち2窓口は自動発払機であり年間稼働日は320日を予定している。営業時間は、午前10時から午後5時で、1日平均の利用者数は100〜200人程度と見込んでいる。 
 
 ただし、開設の条件として@地元町内会の同意が得られ、地域の協力が得られること。A地元自治体の同意が得られること。B管轄する警察署との協議が整うこと…となっている。 
 
 執行部側としても27日の庁議で明らかにされたばかりで、詳細については把握していない模様だ。ミニシアターというからには、スクリーンがあって笠松競馬等での出走の様子が観られるようになっているのだろうが、詳しくは分らない。 
 
 市としては地元である中恵土連合自治会等と歩調を合わせたいという意向だが、これに対して議員からは、地元に委ね過ぎではないか?という意見があった。収入や経済的な波及効果など、まだ何も検証されてはいない。 
 
 現状では固定資産税がプラスになるくらいではないかという、総合政策課の見方が示されたが、市の方針は定まっていないようだ。 
 
 ずっと以前に可児市でも場外ボート券売場の話があったというが、通学路との関係から頓挫した経緯があるという。立地場所にもよるが、慎重な検証が必要だと思う。 
 
 実は私は9年前に可児市議の補欠選挙落選した後、しばらくいろいろなアルバイトをする中で、『シアター恵那』という笠松競馬場の場外馬券場でガードマンの仕事をしていたことがある。 
 
 恵那市でもかなり山奥で、かんぽの宿とか恵那峡グランドホテルなどがある辺りで、観光施設というイメージだ。競馬は公営ギャンブルであり、パチンコ屋などと比べてもスマートなつくりだ。 
 
 ガードマンなので、怪しげな人をチェックしたりもするのだが、ほとんどそういう方は見受けられなかった。シアター恵那には窓口は、はっきり記憶はないが6つや7つはあったと思う。 
 
 可児市に計画されているのは、恵那に比べればかなり小規模なものだ。私は競馬は一度もやったことはないが、パチンコ等と同等か美しい馬の走る姿をスクリーンで観ながらのギャンブルなので、少しは格調高いかもしれない。 
 
 私はマージャンはやり方を忘れてしまったし、パチンコは1500円賭けたのが人生最大の賭けだった。自分に賭けているので、ギャンブルには興味がない。(女房に言わせるとそれが一番危ない賭けだ。) 
 
 多分、風紀の乱れとかが議論の対象になるのだろうが、地域の活性化との兼ね合いの中で十分な検証と意見の集約が求められる。 
 
 
 


  title 場外馬券販売所に関して疑義を持つ議員は市内に数多くあるパチンコ屋に対しても疑義を持つべし。

可児市内には数多くのパチンコ屋がある。
この時点で異常だと感じる事が出来ない政治家が「公営ギャンブル」たる競馬に関連する私設の建設に何の異議を挟む余地があるのか。

口を挟むのであればまずは多くの市民が時間を、資産を奪い取られ、市民の心の安寧を、風紀を乱している異邦賭博に等しいパチンコ産業に対してモノを申してからにしろといいたい。

一市民 ..7/3 2:22(日)

  誤字訂正

異邦 違法
一市民 ..7/3 2:23(日)

  一市民さん、おっしゃることの意味は、私も一個人としては共感できます。私はトイレを借りるときくらいしかパチンコはやりませんので、多くの方の時間とお金を奪っている(私の勝手な見方)パチンコ店を苦々しく思うことはあります。開店後数年で儲けたあげく、初期投資を回収したあとは、店をつぶして無残な姿をさらけ出しているお店も多々あります。決してまちづくりに健全な影響は与えません。
 ただ、公職にある者として、より広い価値観で物事を見なければなりません。パチンコやギャンブルは、法的に認められていないわけではなく、そのことを生きがいにしている方やそのことを生活の糧とされている方も大勢いらっしゃいます。ある意味、パチンコ屋や公営ギャンブルは社会の必要悪として存在しており(私の個人的な見方)法で認められ、それを必要とする人がいる限りにおいて、頭から否定することはできません。
 そういう観点から、今回の場外馬券場については、現時点では賛成でも反対でもなく、設置地域の方々のご意見と、経済波及効果などの客観的なデータの開示による多くの議論によって、望ましい方向へ向かうことを期待しています。
山根 一男 ..7/8 9:56(金)
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