++山根一男の徒然日記++
山根一男HP 〜やまネット〜

山根一男掲示板

7月 31日(日) 当選!
7月 23日(土) 夏祭り真っ盛り
7月 17日(日) 『惜別と感謝の集い』
7月 15日(金) 7.15可児豪雨災害 1年…17日に集い
7月 13日(水) 可児市セクハラ裁判 第6回口頭弁論
7月 12日(火) 可児市セクハラ被害者を支える会
7月 10日(日) 事務所開き!
7月 09日(土) 日本一元気な若者と会う
7月 07日(木) 議場に国旗・市旗掲揚?
7月 03日(日) 炎天地獄・第22回行方不明者捜索活動
2011年 7月
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 2011年7月2日(土)
 第13回西可児駅周辺を美しくする会
 午前9時30分より、第13回目となる西可児駅周辺を美しくする会の清掃美化活動を実施した。13回目ということは、年4回のペースで実施しているので4年目に入ったということだ。 
 
 通常は3で割り切れる月(3.6.9.12月)の最後の日曜日の午前9時半からと決めていたのだが、今回は私の都合で変えてもらった。6月最後の日曜日は、26日、可児川豪雨災害の行方不明者捜索の日とだぶっていた。 
 
 しかし、日付変更連絡の不備などもあって、本日集まったのは10人を欠けてしまった。ものすごい暑さで、これではたいがいの人は参ってしまいそうだ。それでも、8時頃から12時まで4時間みっちり草取りに励んだ女性もいた。 
 
 やはり、夏は特にもっと涼しい時間から作業を始めたほうが良いという意見が聞かれた。それにしても、昨年までを振り返ってもここまでの暑さはなかった。 
 
 年4回の作業日の中では、雑草が生い茂るこの夏の回が一番大変なのだが、10人に満たない人数ではとても太刀打ちできない。かなりの部分を残してしまった。 
 
 市から委託を受けているロードサポーターの責任上、今後も余った時間を利用してでも草刈りをしなければならない。 
 
 ただ、ロードサポーターとしての約束事では、年間3回以上の清掃活動の開催ということなので、草の成長の早いこの時期にあっては、年3回という回数ではとてもとても追いつかない。 
 
 できれば毎月でも設定したほうが良いのだろうが、それにはこちらが忙し過ぎる。メンバーの中には、時間の空いた早朝などに独自に草取り作業などを行う人もいる。 
 
 もっと上手に告知することができれば、もう少しは人も集まると思う。ただ、理想は犬の散歩をさせるように、ウォーキングを楽しむように、ごみを拾ったり、街路樹の世話、草刈りなど誰に頼まれなくともやれる人が増えていくのが一番いい。 
 
 公共の土地は行政がメンテナンスするものという常識をはずし、気がついた人、時間の許す方から、気軽にボランティア活動として、木々や草花の世話をする人が増えてゆく社会になってほしい。
 

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 2011年7月3日(日)
 炎天地獄・第22回行方不明者捜索活動
 先週に引き続き、午前9時30分より可児川豪雨災害の行方不明者捜索活動を行った。今日も木曽川左岸、扶桑緑地公園川辺の草木の堆積場所での発掘作業である。 
 
 掘るのは土ではなくて、草木や竹、ごみなどが複雑に絡み合った堆積物である。今日のメンバーは十数人で、プラス午前中だけTV局と新聞記者が取材に見えていた。 
 
 ただ、今日は天気が良くて、しかも風がなく湿度が高い。時おり直射日光にさらされ20分も作業をすると、めまいがするくらいに体力を消耗する。ほとんど熱射病一歩手前という状況だった。 
 
 のんびりやれば良いのだが、掘り進むうちについぞ、何か出てきそうな気持ちになる。そうすると夢中になり、汗が滝のように流れ、体力を消耗している自分にきづく。 
 
 昨年、9月に行方不明者捜索活動を始めたころの暑さの記憶がよみがえってきた。しかも、今は7月で暑さ本番は近い。 
 
次回、7月17日日曜日の第23回捜索活動は現体制での最後になる。いつも通りに可児市土田の可児川下流域自然公園の市営駐車場にいつも通り午前9時30分に集まり、付近を2時間近く捜索する。 
 

 その後、場所を名鉄アンダーパス近くの虹ヶ丘橋の下に移動して『惜別と感謝の集い』前半部分を行う。時間の都合のつかない方や、捜索には加われないという方はここからの参加でも構わない。 
 
 捜索から参加するメンバーは、当然汚れても構わないような服装で参加するので、来てゆく服についてはラフなもので構わない。 
 
 12時から、虹ヶ丘橋から可児方面への二つ目の信号右折200m位の清香苑ユニオンホール西可児で『惜別と感謝の集い』後半部分を行う。 
 
 あの可児豪雨災害から1年が過ぎ、二度とこのような犠牲を出さないためにも、私たちはこの事故(災害)を忘れないようにしたい。 
 

>> 返信
 

 2011年7月7日(木)
 議場に国旗・市旗掲揚?
本日午前9時より、第4回可児市議会臨時会議が招集された。4回というのは、今年に入ってから2回の定例議会と、2回の臨時議会があったということを示している。 
 
 議案は二つ、いずれも専決処分、すなわちすでに執行済みの案件に対する承認であった。その他に発議として、議会推薦の農業委員4名についての提案が議会からあり承認された。 
 
 条例改正は、可児市税条例の一部を改正する条例で、6月に国会で成立した地方税法の改正に伴うもので、市民税や固定資産税、軽自動車税等に係わる不申告に関する過料を、3万円から10万円に引き上げるというものだ。 
 
 もう一つも税に関する条例で、可児市都市計画税条例の一部を改正するものだが、いわゆる条項づれと言われるもので、第何項の何という文言の番号が替わるだけで、議論の余地はないと言っていい。 
 
 前記の条例改正は、市民への負担増になる事案だが、現実のところこの過料を科するような事例はほとんどないという説明であった。結果的には28分で第4回臨時議会は終了した。 
 
 ただ、その後の議会全員協議会が1時間以上に及んだ。協議題1の本会議場での国旗・市旗の取扱いについてだけで1時間弱の議論が続いた。ひとつの協議題で、これほど議員間の議論があること自体かなり珍しい。 
 
 ことの発端は、六月議会への陳情で議場に国旗と市旗を掲揚してほしいというのが某保守系政党の有力議員からあったことだが、六月議会はすでに終了しているので、さらにまたここで議論することの不自然さの指摘があった。 
 
 確かに「陳情」は、ほとんどの場合、管轄常任委員会の「聞き置き」(嫌な言葉だ)とされる。今回のように議会運営委員会で協議され、さらに議会全員協議会にも諮られるということは極めて珍しい。 
 
 しかし、その件については議長からの説明があり氷解した。議長ご自身が歴代の議長とも相談した上で、国旗掲揚を進めたいというのが本音のようだ。最古参議員からは、その国旗は33年前にロータリークラブから市と議会に寄附されたものだという事実も披露された。 
 
 いわば33年前からの懸案だったのだろう。しかし、そのような重大なことを残り議員任期わずか1ヶ月程しかないこの時期に決めなければならないのかという疑問は湧く。 
 
 国旗に対する思いはそれぞれの議員間で大きな隔たりがある。私自身は国旗に対して敬意は持っているし、式典などでの国旗掲揚や君が代斉唱に違和感を持つ者ではない。オリンピックなどで日の丸が揚がれば嬉しくなる。 
 
 右でも左でもない。ごく普通の市民感覚で国旗に接していると思っている。やはり程度の問題であり、強制されるべきものではない。 
 
 議場の場合は別の事情もある。私たち議員でも本会議場に入ることは、一定例議会で平均4日間、臨時議会を含めても年間20日間もない。それもあってか、議場は神聖な場所という感覚がある。議員も執行部も本会議場に入るとき、出るときに議長席に向かって軽く一礼するのが慣習となっている。 
 
 私なりに解釈すれば、議場(本会議場)というのは、市民の代表が集まって協議する場所であり、市民政治の象徴的な場所である。その中心が議長席である。そういう意味で議長席に対して敬意をはらう。 
 
 その議長席の後に、日の丸の国旗が挙がっていたらどうだろうか…。誰が見ても国旗に一礼しているように見える。 
 
 私は国に対して尊重する気持ちは持っているが、議員としての立場であれば、まずは国よりも可児市民に対して忠誠を尽くす心根を持っている。原発の問題や沖縄基地の問題など、国と地方の利害が対立する事案は多い。 
 
 地方自治体は、国の従属物ではなく地方政府という言い方もあるように、 
ある意味では自主独立した存在であるべきである。国旗に対しては議会内でそうであるように、市民の間でも様々な思いがある。 
 
 その絶妙のバランスの上に現在が成り立っているのであって、ことさらそれを推し進めようとしたり、過剰に反発したりすれば軋轢を生むことになる。 
 
 結局、協議は平行線となり、改選後の議員の中からまたそういった提案があればそのときにまた協議することとなった。 
 
 

>> 返信
 

 2011年7月9日(土)
 日本一元気な若者と会う
 最近は新聞を読むひまもなく、人に電話するひまもなく、まともに寝床に入ることも少なく、机の前や車の中やソファに坐ったまま朝を迎えていることが多い。 
 
 神輿に乗ったような選挙をやれる人ならそんなことはないのだろうが、ほとんどのことを自分で準備しないといけない身にとっては、この時期はまさに一分一秒が貴重だ。 
 
 自分が3人くらいいればいいと思うのはこのときだ。過去5回も選挙をやっているのだから、もう少し効率的にできてもいいはずだが、やはりその都度状況が違う。今回は最も遅れているかもしれない。 
 
 5月・6月・7月と土日はほとんどが可児川豪雨災害の行方不明者捜索と、東日本大震災の被災地支援に駆けずり回っていることが一番の要因だ。それは覚悟で選択してきたこととはいえ焦る。 
 
 4年前ならこの時期、軽く1万軒以上はポスティングして回っていたが、今はまだ千軒に満たない。明日10日日曜日は、午後2時からいよいよ事務所開きを迎える。いろいろな人に連絡したくとも、その時間がない。 
 
 
そんな中で、日本一元気な人を自称する岐阜市在住の及部一堯(およべかずたか)君とアーラで会った。 
 
 今年、1月だったか参議院議員の小見山幸治(こみやまよしはる)氏の新年会でパフォーマンスを披露していた彼と名刺交換していたところ、今日可児市のヤイリギターに来るというので連絡して来てくれたのだ。 
 

 及部君は総合エンターティナーという肩書きで手品や音楽、バスケットボール、横笛、就活の講師など…びっくりするくらい様々なことをやっていて、しかもそれぞれのことが相当高いレベルなのだ。 
 
 それでいてNTT西日本の社員だったりする。名刺には「世界中の人に元気と夢を与え続ける!今を本気で生きることの大切さを伝える!」と書いてある。こんな破天荒に元気な若者が、一見地味で保守的な岐阜から出たことが奇跡のように感じる。 
 
 こんなにがんばっている若者を見ると気持ちいい。ぜひ応援したくなるものだが、今日はこちらが元気をもらった。 
 
及部一堯(およべかずたか)HP↓ 
http://ameblo.jp/kazutaka-oyobe/ 
 
 


  万引きって犯罪ですよね
伊良部無念 ..7/29 23:01(金)
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 2011年7月10日(日)
 事務所開き!
 今日の14時、事務所開きを行った。先負というので、午後を選んだ。こういうところは少しは縁起を担ぐ。ただ、ものすごい暑い時間帯となった。幸い室内でやれたのでよかった。 
 
 事務所というのは、後援会事務所ということになる。後援会というのは『山根一男と可児をより良く変えてゆく市民のネットワーク』である。今回、地元若葉台で自治会長を務めたことのある方が、後援会長を引き受けてくださり感謝感激である。 
 
 事務所の場所は西可児駅改札口から徒歩2分!西可児郵便局の二軒手前の東進ビル1Fだ。(可児市帷子新町3−18 TFL0574‐65‐9901) 
 
 事務所はすこぶる広く奥行きがあって、さらにL字型に部屋があり、泊まりも可能なくらいの部屋数である。元は眼科クリニックであったそうで、受付の窓口など名残がある。 
 
 しかし、広いように見える事務所だが、今日にように70人近くも入ると手狭となり、強力な空調機があるにもかかわらず、熱気でムンムンとなった。 
 
 国会議員や首長などそうそうたる来賓の方に来ていただき、身が引き締まる思いだ。早々に遅れを取り戻さなければならないが、来週に迫った7.15可児川豪雨災害行方不明捜査活動『惜別と感謝の集い』を一週間後に控え、こちらにも忙殺されそうな状況にある。 
 
 すべて自分で選択してきたことで、誰にも文句は言えない。ひとつ一つ山を越えるように前に進むしかない。ゴールなんてないかもしれないけれど、 
一歩でも前進すべく歩みを止めるまい。これから三週間は特に、毎日がドラマになる。
 


  誰でも良いから選挙前に地方議員の存在価値に関して反論が欲しかった。
http://www.th21.jp/adiary/diary3.cgi?id=yamanet&action=view&year=2011&month=4&day=21&resmode=on
職員等 ..7/11 23:38(月)
>> 返信
 

 2011年7月12日(火)
 可児市セクハラ被害者を支える会
 明日13日(水)14時30分より、岐阜地方裁判所御嵩支部にて、第6回目の口頭弁論記述がある。これは、先月発覚した可児市側による証拠書類の改ざん疑惑で、本筋とは違うところで注目を集める結果となった。 
 
 したがって、明日はTV局はじめ、マスメディア各社など報道陣を中心にかなりの人数の方が傍聴に来る可能性がある。証拠書類改ざん疑惑が報道されて以来、裁判所に問合せが殺到し、明日は御嵩支部としては、きわめて珍しく傍聴券が配布されるという。 
 
 14時15分からの配布というが、24席しかないので原告を支援している私でさえ入れる保証はない。ともあれ、市側もばかなことをしたものだ。 
 
 もともとこの事件は、今は原告の女性から人を介して私に相談があった時から社会性を持つものとなった。2年前の7月30日私のブログがその発火点になったのだ。↓(2009年7月30日山根一男の徒然日記) 
 
http://www.th21.jp/adiary/diary3.cgi?id=yamanet&action=view&year=2009&month=7&day=30#7_30 
 
 前市長のときである。まあかその後、市をも訴えるという展開までは予想していなかったが、その後の市側の対応が悪く、訴訟にまで至った。その恥の上塗りが今回の証拠改ざん疑惑である。 
 
 明日の陳述、市側から何らかの説明なり謝罪があるのだろうが、どうひいき目に見ても市側の旗色は悪い。 
 
 私の立場は複雑だ。議員であり、市民の代表として、市の全事務事業をチェックする責任を負っている。市の不祥事はそのようなチェックができていない自分にも責任の一端はある。 
 
 7月7日の私のブログ「議場に国旗・市旗掲揚?」のところで、国と市の利害が対立したとき、私は市の側に立つだろうと書いた。今回のように、市と市民が争う場合、事柄にもよるが市民の代表である自分は市民の側に立つだろう。 
 
 原告女性自身も現職の市職員だという、さらに複雑な状況もあるが、何故そこまでしなければならないかと考えた場合、とても大きな動機がある。金銭や名誉のためではない。 
 
 すなわち、可児市役所がもっと風通し良く、自由闊達な役所に変わっていってほしいということであり、さらに、日本全土で今晩も起きているであろう、飲み会でのセクハラ行為に対して敢然とNOを突きつけているのだ。 
 
 今回の事件で原告女性の精神状態はさらに悪化し、眠れない夜が続くという。私は最初に相談を受けた者として、原告を支援している。可児市セクハラ被害者を支える会のメンバーである。 
 
 可児市役所も、これを機会にもっとオープンに、さらに何かが起きたときにきっちりと責任を取れる役所になってほしい。非を認めるところは認め、改善すべきところは改善してゆく…そのほうがきっと市民の信頼感も厚くなると思う。 
 
 
 

>> 返信
 

 2011年7月13日(水)
 可児市セクハラ裁判 第6回口頭弁論
 14時30分からの開廷ということだったが、13時頃に岐阜地方裁判所御嵩支部に行ったらTV局の車や、報道関係者らしき人だかりがあった。傍聴券を交付してもらう列に並ぶこと15分、13番目だった。       ←記者会見の模様 
 
 後にもかなり並んでいた。傍聴席は24席しかないので、入れなかった方もいたかもしれない。並んでいる人は20歳代、30歳代が多くほとんどはマスコミ関係者かと思われる。 
 
 驚いたことに、14時30分の開廷後(裁判官が席についた後)2分間だけ法定内でのTV撮影があった。被告側の弁護士はいない中での撮影だった。 
 
 14時30分に開廷するやいなや、二〜三点の書面についての確認作業等があったが、とくに弁護士同士のやりとりはなく、すぐに次回の日程調整に入った。次回は、9月9日(金)13時30分からである。 
 
 たった10分で閉廷となった。この中で確認されたことはひとつ、被告である可児市は問題となっている(接待の二文字が削除されている文書)証拠書類を取り下げるということだ。 
 
 ただ、接待という文言を使ったことは認めるが、お酌による接待行為を指示したことは認めないという苦し紛れの主張だ。さらに、なぜ『接待』の二文字が削除された文書が提出されたのかの理由として、担当者が平成22年度用の資料として書き換えたという。しかも、その接待を削除したほうの元データは残っていないという。 
 
 したがって、誤って証拠書類として出してしまったということだ。だが、こんな子どもだましみたいな方便を信じる人がいるのだろうか?およそ、行政職員が行事が終わった直後に、次年度の式次第等の資料をつくるはずはない。 
 
 来年度、その職員がその部署にいるかどうかも分らないし、事実、この公民館では22年度の懇親会は公民館ではやらなかった。来年の行事の式次第をつくるほど可児市役所はひまなの…と冷笑を浴びることだろう。 
 
 15時30分より『可児市セクハラ被害者を支える会』主催の記者会見が、可児市役所3Fの記者クラブ室で行われた。かなりのマスコミが来ることを想定し、当初記者会見場所を裁判所に近い、御嵩町の中公民館に打診したが、断られた。記者会見は公民館でやることはふさわしくないようだ。 
 

TVカメラだけでも6台はあり、20名以上のマスコミ関係者が集まった。可児市役所駐車場には名古屋TV.CBC.中京TV.東海TV.NHKなど、5社の中継車が並んだ。どうして可児市はこういうことでしか名前が出ないのかと暗澹たる気分になった。 
 
 狭い部屋によく入ったものだ。弁護士(女性)と原告からの説明や感想の後、質問が相次いだが25分くらいで終えた。16時から、今度は市側からの記者会見が予定されていたからだ。 
 
 原告の女性は顔を隠すこともなく堂々とインタビューに応じた。これはとても勇気のいることだ。私利私欲の動機ではできないことだ。ましてや何の被害も受けてない人が(被告はセクハラ行為を否定している)ここまでできるはずはない。 
 
 彼女はたたかっているのだ!本来は可児市役所はその対象ではなかった。不手際を詫び、セクハラ根絶に向けての体制をしっかり固め、原告にしっかり寄り添うことができれば、訴訟の対象にさえなってなかった。 
 
 この訴訟の本当のターゲットは、世の中の習慣や感じ方だ。会社や役所の飲み会の席で女性のお尻にタッチするような輩は、私の個人的な想像ではあるが、決して少なくはない。 
 
 そんなことは何とも思わない女性もいるかもしれないが、悔し涙を流す女性もいるはずだ。今までの日本の歴史の中で、飲み会で軽くお尻を触られただけで裁判を起こした女性がいただろうか? 
 
 弁護士の方とも過去の判例を探したが、このようなケースはなかった。つまり、どこにでもありそうなだけに重要なのだ。私は、原告女性に付き添って警察にも行ったが、結論は特定少数の飲み会での軽微なタッチ行為には罪状がないのだ。 
 
 これが、電車の中など不特定多数が出入りできるところでの行為なら、いくらでも罰する法律があるのだが、会社や組織、顔見知りなどの範囲内でのタッチ行為には、それを取り締まる法律自体がない。 
 
 つまりは、そういったことを一々法律で罰していては、人間関係がぎくしゃくするからということなのだろうが、そのこと自体がセクハラの温床と成りえる。 
 
 原告女性は、当事公民館に入って3ヶ月目という新顔であり、被告の七十代の男性は、この地域の名士とも言える役職を持つ人だった。強弱の差は明らかである。たいがいの場合女性は泣き寝入りとなる。が、原告女性はそれが我慢できなかった。 
 
 今日の裁判の前に、傍聴者向けに『可児市セクハラ被害者を支える会』の説明文書に原告女性がコメントを寄せている。そのまま、公表させていただく。 
 
<原告コメント> 今現在も職員であり続けながらの係争。そして雇用主である可児市の不適切な対応によって二次被害も被りながら歩んできたこの道のりの険しさは、組織の中で被害を訴える人間の共通の苦悩でもあります。セクハラの労災認定基準の見直しの動きがある昨今、私は被害者ひとりひとりが勇気を持って声を上げることの大切さも実感しております。 
 
 マスコミの皆さんはどうしても事件性のある、証拠書類の改ざん問題に飛びつくのは致し方ないが、ぜひこの裁判の本質部分について取り上げてほしい。おそらく今までに沢山の女性の悔し涙の歴史があったと思う。 
 
 可児市セクハラ被害者を支える会は、ともすれば現実社会の重圧に押しつぶされそうな原告女性を支えているが人数はごく少ない。ぜひ、一緒になって彼女を支えてほしい。 
 
 これは男女共同参画につながる意識改革活動だと思う。本当のターゲットは可児市役所ではなく、女性の人権を踏みにじる一部の人間と、そのことを『その程度のこと』と済ませてしまう多くの人の意識改革である。ご協力いただける方は私、山根一男までご連絡いただきたい。 
 メール:yamanet@ma.ctk.ne.jp 携帯:090-1821-4777 
 
 
  
 


   触る行為は本質かも知れないが微罪だと思う。 
 そんな微罪ですら誠実に対応出来ない市役所の体質こそ大きな問題と私は考えます。
 
 本来、話し合いが正常ならば裁判まではいたらない事件。

 市役所の『証拠書類は単なる間違い』が事実だったとしたら、知的水準が低いと言う事です。誰でも間違いは犯すが、重要な争点の部分だし、組織としての結論なのだから。
『市役所の誰一人として間違いに気がつかなかったのか?』と言うなさけない状態、他にもたくさん有ります。

 私は、ほとんどの場合、気がつかなかった状態とは思えません。 気がついた事を発言すると、臨時職員など簡単に雇い止めですから見て見ぬふりしか出来ないのです。
市役所に臨時職員の相談窓口なんて無い。

 今回は誰の目にも公文書偽造及び偽証の罪としか見えないですね。
 
職員等 ..7/15 16:56(金)

       これでよいのか!可児市役所・・・疑問点の数々

(1)懇親会の主催者は「自治連合会」という事実・・可児市は公民館の主催ではないこの行事に対して、夜間の時間外勤務手当(市の人件費)を公民館事務員(原告)へ支払っている。そして臨時職員がここまで「公務」をさせられている勤務態勢は、はたして適切であるのか?もしも、それが適切であると言うならば、地域の子ども会やPTA主催の行事にも、同様に市の職員が夜間であっても公務として運営に携わることも可能となる。

(2)事件の現場(酒席)が公民館という事実・・社会教育施設である公民館での飲酒は認められているのか?そうあれば、公民館を利用しているサークル活動の仲間で飲酒も可能である。

(3)「裁判所への提出書類を間違えたという釈明」・・可児市は重要案件に関する書類の提出を間違えるほど無責任な仕事をしているのか?提出書類の決裁はどのように行われているのか?また提出した現在進行中の案件の原本がないということも、文書管理の観点からあまりにもお粗末すぎる。

*可児市役所を行政指導・勧告する必要がある。これ以上この異常な組織体制を放置しておいては、市民が不利益を被ることは必至である。





一般市民 ..7/15 23:48(金)

 
法廷は茶番劇場

被告弁護士はコメディアン

泣く子も笑う迷弁論

傍聴チケットぴあ ..7/16 4:01(土)

  >可児市役所を行政指導・勧告する必要がある。

 賛成だけど、権限の有る人が居ない。
この臨時職員も特別職扱いだろうから公平委員会も無関係。
 結局、裁判くらいしか無いようです。
職員等 ..7/16 18:57(土)

  私は、約一年前、この事件に関して、山根さんのブログに、あえて、あえて、被告とその家族のことも考えて、和解が成立するよう願い、大変被告にも穏健的なる掲載文を投稿した。それは、長期間掲載されたため、御記憶の方も多いと思う。
 しかしである。裁判の経緯を見たに、被告の卑劣さ、ふてぶてしさに、大いなる憤りを感じるようになった。
 それは、可児市役所の証拠文書偽造も問題であることもさりながら、あくまで本件は、被告の民生委員である。
 被告は、市役所をたてに、隠れ蓑にし、この裁判をやりすごそうとしている姿勢がありありと感じられる。
 自身のしでかした不始末であるにもかかわらず、役所をかくれみのにし、貴重な市民の税金をこの裁判に投入させるとは、何事か。
 その卑劣なる振る舞い、もはや許し難い。
 この被告は、民生委員にあった。ということは、一人暮らしの女性宅などに長期間出入りしていたということである。極めて危険な状態が続いていたということである。
 役所の責任は、むしろここにあるのではないか。
 さらに、この被告は、女性に対して性的接触を行ったにもかかわらず、全く罪の意識を持っていない。
 このような男性が、刑事告発も受けず、のうのうと可児市内をかっぽしているのである。
 民生委員を辞した被告のその生活は、しかとはわからないが、いとも簡単に、しかもね良心の呵責なく、異性にたいして、性的接触をするこの被告。
 この被告の居住する地区は極めて危険である。
 被告とその家族に、最後の穏健的なメッセージを送る。今後の御家族の名誉とその尊厳を持って、可児市で末永く、生活していくつもりであるならば、早急に被害者と和解すべきである。
 さもなくば、どんどん話は大きくなり、その不名誉はあなたがたを、裁判終了後も長く苦しめることになるでしょう。
 その損害のほうが、被害者への賠償よりもはるかに高い代償になると悟るべきだ。
 
JACK ..7/23 12:13(土)
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 2011年7月15日(金)
 7.15可児豪雨災害 1年…17日に集い
 あの日のことがまるでうそのような、晴れ渡った一日だった。左の写真は暗くてよく見えないかもしれないが昨年7月15日、午後8時ころ可児市役所のすぐ横にある子守大橋の様子だ。 
 
 橋の欄干すぐ下まで水位が来ている。ふだんはちょろちょろしか流れていない可児川だ。豪雨災害から1年ということで、新聞やテレビなど様々なメディアで特集が組まれている。 
 
 私も今日の18時30分ころに流れたTVニュースで少しだけ映ったようであるが、インタビュー映像などはカットされた。時期が時期だけに仕方あるまい。 
 
 7月17日(日)午前11時30分、名鉄広見線土田アンダーパス近くの可児川にかかる虹ヶ丘橋の下で行う、7.15可児川豪雨災害『惜別と感謝の集い』を準備していることもあり、新聞やTV局からの問合せが絶えない。 
 
 合わせて当日の進行計画や受け入れ体制、あいさつをいただく方への連絡などで忙殺されている。午後12時からは、会場を虹ヶ丘橋からはほど近い、清香苑ユニオンホール西可児に移しての集いとなる。 
 
 案内状はこれまで、捜索活動に参加された174名の方にお送りした。ご夫婦の方もあるので総数は200名近い。その他、行方不明者の佐藤さん、細田さん、亡くなられた三宅さんの関係者の方など…どれくらいの人数になるかはふたをあけて見なければ分らない。 
 
 私もこういう催しは初めてのことで、ある程度はその場の雰囲気に合わせて臨機応変に対応するしかないと思っている。目先の課題が多すぎて、少し先のことを考える余裕がない。 
 
 17日は、行方不明の二家族と、亡くなられた一家族で、合計三つの花束を可児川に投げ入れる。あの日のような濁流ではない。むしろ穏やかな流れだ。 
 
 それでも、三家族のうちの何人かは未だに、アンダーパスには近づけない。それどころか名鉄線にさえ乗ることができないという方もいらっしゃる。肉親をこのような事故で亡くすということは想像を絶するストレスなのだろう。 
 
 可児川を流れてゆく、三つの花束が行方不明者を見つけてくれないかと…ほのかな期待を持っている。ご遺族や行方不明者ご家族にとって、17日の会合が次につながる新たなスタートになると嬉しい。 
 
 なお、『惜別と感謝の集い』は、一般の方でもこの問題にご関心のある方なら参加できる。参加費用は無料だが、カンパは歓迎だ。旧交を温め、さらに新しい出会いが数多く生まれるのだろう。
 

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 2011年7月17日(日)
 『惜別と感謝の集い』
午前9時30分から、いつもの可児川下流域自然公園駐車場に集まり、第23回目の可児川豪雨災害行方不明者の捜索活動を行った。灼熱の太陽の下、とても長時間の捜索活動は無理そうだった。 
 
 今日は11時半から『惜別と感謝の集い』があることもあり、最近では一番多く30人は軽く超え、40名近く集まったかもしれない。マスコミの方が20人近くいて、いつになく落ち着かない雰囲気の中でのスタートとなった。 
 
 皆を送り出してから、一度自分の事務所に戻った。参議院議員の小見山よしはる議員が事務所を訪ねて来られることになっている。小見山議員は国土交通委員会に所属されていて、7.15豪雨災害でも、岐阜県民や可児市民のために粉骨砕身の努力をされた。 
 
 11時過ぎに虹ヶ丘橋たもとの花束を可児川に流す現場に行くと、もうマスコミの方が大勢待っていた。駐車場をお借りする老人介護施設サンビュー可児にあいさつして、現場にワイヤレスマイクを持ち込んだ。 
 
 実はシナリオもストーリーもほとんど私の頭の中にあって、ぶっつけ本番に近い。行方不明者ご家族の細田さんや佐藤さんはともかく、亡くなられた三宅秀典さんのご家族は、お母様しか面識がなく、お母様はとても可児川へは近づけないということで、お父様とお姉さんが献花していただくことになっていたが、なかなか見つけられずに焦った。 
 
 それでもなんとかお会いでき、市長や衆議院議員の今井さん(昨年10月に捜索活動に参加されている)も駆けつけてきていただき、猛烈な暑さのなかだったがしめやかに花束と親族や、捜索に参加したボランティアらによってお花が可児川に流されていった。 
 
 会の代表である海道清信名城大学都市情報学部教授から、これまでの経緯やら今後のことについてお話をいただいた。海道先生が代表を引き受けてくださり、いろいろと相談にものっていただいたので、会はずっと継続することができた。 
 
 とにかく暑くて、それ以上の話聞いてもらえるような状態ではなかった。終了後だったが、お二人ほどめまいがして日陰でうずくまってしまった。熱射病一歩手前だ。 
 
 12時から、虹ヶ丘橋から車で5分ほど、可児市坂戸の清香苑ユニオンホール西可児という会場で『惜別と感謝の集い』を実施することになっていただ、15分くらい遅れ気味となった。 
 
 虹ヶ丘橋下では70人ほどの参加者だった。ユニオンホールでは60名ほどに減ってしまった。やはり捜索活動に参加していない方の中で遠慮された方がいるようだ。 
 
 『惜別と感謝の集い』後半戦は衆議院議員今井雅人さんからのメッセージで始まり、その後、これまで22回の捜索の様子などを紹介する15分程度のDVDが上映された。 
 
 ほとんどすべての写真は、事務局である私が撮影した写真を使って制作されているので、よく認識している写真がほとんどなのだが、雪の降る中での捜索シーンなどを観ていると思わずウルウル来てしまった。 
 
 市長からのあいさつも、ご遺族や行方不明者ご家族の心に届くものだった。細田さんからは事故を風化させないために慰霊碑を建てることを要望する場面もあった。 
 
 『集い』は約1時間ほどで終了した。さすがにほっとした。ほぼイメージ通りの集いが展開できた。ボランティアの常連や印象深い方の中で、参加できなかったかたが多かったのが少し心残りだった。 
 
 ただ、余韻にひたっている時間はない。この準備のために費やした時間を早急に取り戻さなければならない。これからの一週間は政治活動一色となる。 
  
 
 

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 2011年7月23日(土)
 夏祭り真っ盛り
 しばらくご無沙汰してしまった。書きたくても書けない、猛烈な忙しさの中にいた。 
 
 今日は夏祭りを五つはしごした。光陽台⇒若葉台⇒長坂⇒石原(西帷子)⇒鳩吹台である。毎年、恒例である。県議会議員の村上こうし氏と回ったところがいつもと違った。 
 
 各団地とも、微妙に盛り上がり方が違い興味深い。帷子地区では初めて地元の西帷子石原にも足を運んだ。大きな山車があり、ちょうちんが沢山ぶら下がっている。こんな大きな山車が帷子にあるなんて知らなかった。 
 

団地の夏祭りも元気があっていいが、いわゆる昔から人が住んでいた地域については、伝統行事でありとても風情がある。 
 
 どこの会場でも、自治連や公民館の役員や他の議員と出会う。今日は車を運転していたので、お酒は飲めなかったが、各所で懐かしい方、がんばってみえる方に出会えた。 
 
 いよいよ明日、24日が告示日である。このブログも1週間ほど、お休みをいただくことになろう。暑い熱い夏がやって来る。 
 
 
 


  セクハラとかとりあげてますけど、万引きに関してどう思われていますか?
伊良部無念 ..7/29 23:06(金)
>> 返信
 

 2011年7月31日(日)
 当選!
 一週間にわたる選挙戦が30日で終わった。22議席に対して24候補がしのぎを削る少数激戦だ。欠員2名で20名だったところ、6名のベテラン議員が引退し、現職14名、元職2名、新人8名という構成だ。 
 
 私は3期8年。4期目に挑選ということであった。8年で3期というのは、2年目で電子投票無効判決による再選挙、さらに再選後1年目で市長選にチャレンジして落選、その後の市議選で当選して3期目というわけである。 
 
 結果を言えば1591票で当選が決まった。応援いただいた方には感謝したい。かなり苦しい選挙選だった。辻演説も200回近くやり、相当車から降りて走った。前回の票数よりわずかに増えただけだが、投票率が約19%も下がり、約49%と極めて低調だった。 
 
 もう少し票が伸びそうな感触はあったのだが…これが現実なのだろう。選挙運動期間中、よく民主党を掲げて出るね…と言われることもあったが、堂々と民主党を名乗り、表に出しながらたたかった。 
 
 私自身6度目の選挙だが、これだけは何度やっても慣れないし、その都度状況が変わる。最近4年間は、自分の選挙がなかったので、少し感覚が遠のいていた。その前には5年間に5回自分の選挙をたたかったのだ。 
 
 これまでとは違い、民主党を掲げての選挙である。他には公明党と共産党の議員が2名づついるだけで、あとは皆無所属となっている。これでゆくと自民党がいなが、無所属議員の大半は自民党系である。 
 
 選挙戦の数々のドラマを書き綴ってゆくと、寝る時間がなくなってしまう。長くて短い1週間だったが、なんとか回すことができた。今回、顔写真入りの選挙カーを初めて使ったが、これは結構反響があったのではないかと思う。 
 
 1590人の附託をいただき、これから4年間せいいっぱい動きたい。4期目といえば22名の中でもベテランの部類に入って来る。議会の中での立場も自ずから変わってくる。 
 
明日から早速、会派構成とか議長・委員長ポストの争奪戦とか、現実的な動きが始動する。市長との距離感がひとつの機軸になろう。私はもちろん市長を支えてゆく。しかし、言うべきことはしっかり言う。 
 
 常に市民の視点、市民の目線、市民に優しい市政の実現が私のキャッチフレイズである。さて、明日から山根一男の新たな楽章が始まる。 
 


   山根さん、当選おめでとう。
 山根さんが当選したことで、また可児市において、弱き立場の人たちが、少しでも救われるかと思うと、なぜかほっとする。
 山根さんは、可児市の良心である。
 よかった。本当によかった。
 心からおめでとうといいたい。
JACK ..8/1 6:21(月)

  市民の“つぶやき”
「新人議員よ、しっかり働けと言いたい!!」

まずは、当選おめでとうございます。
今回は、選挙戦1日目で、泡沫候補は決定していたように思われる。
民主党系の組合員は投票に行かなかったのではないかと推察する。
その結果は、投票率49.76%と低調であったことを物語っている。

CTKの解説者、堀田英之助氏は、市長派(民主系)、誠風会(自民系)の勢力図がどう変わるのかと、盛んに政局選挙を協調していたが、選挙民の投票行動は、西帷子の激戦区、投票率52.5%に見るように、政局ではなく、地域の代表として誰に投票するかで選んでいるように思える。
しかし、最下位当選789票では、こんなことで、地区の代表といえるのかと思うと、ほんとうに情けない。
得票数 1200票以下は、恥ずかしいと思わなくてはいけない。

女性の候補が4人くらい立候補してくれれば、盛り上がる選挙になること必至である。次回に期待したい。
honebuto ..8/1 19:12(月)

  今回の選挙は「当選したが選挙は完全に負けた。」という感じですか…。

今夏の選挙では山根議員の今までの実績を評価されるべき選挙であり、また、今後も起こりうると考えられる。災害問題、防災問題の訴えがもっと必要であったと考えます。
選挙結果から中心部の開票が終わり、周辺の開票から伸びなくなり得票することが出来なかったと考えられるのは、地域に密着した議員活動をしていない評価とも取れます。
選挙活動方法を再考し、自分の議員としての立ち位置を確立することが、次回の選挙までの見直すチャンスかもしれません。
辛口の評価はここまでで、当選おめでとうございます。
感想 ..8/5 14:50(金)
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