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7月 17日(日) 『惜別と感謝の集い』
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 2011年7月17日(日)
 『惜別と感謝の集い』
午前9時30分から、いつもの可児川下流域自然公園駐車場に集まり、第23回目の可児川豪雨災害行方不明者の捜索活動を行った。灼熱の太陽の下、とても長時間の捜索活動は無理そうだった。 
 
 今日は11時半から『惜別と感謝の集い』があることもあり、最近では一番多く30人は軽く超え、40名近く集まったかもしれない。マスコミの方が20人近くいて、いつになく落ち着かない雰囲気の中でのスタートとなった。 
 
 皆を送り出してから、一度自分の事務所に戻った。参議院議員の小見山よしはる議員が事務所を訪ねて来られることになっている。小見山議員は国土交通委員会に所属されていて、7.15豪雨災害でも、岐阜県民や可児市民のために粉骨砕身の努力をされた。 
 
 11時過ぎに虹ヶ丘橋たもとの花束を可児川に流す現場に行くと、もうマスコミの方が大勢待っていた。駐車場をお借りする老人介護施設サンビュー可児にあいさつして、現場にワイヤレスマイクを持ち込んだ。 
 
 実はシナリオもストーリーもほとんど私の頭の中にあって、ぶっつけ本番に近い。行方不明者ご家族の細田さんや佐藤さんはともかく、亡くなられた三宅秀典さんのご家族は、お母様しか面識がなく、お母様はとても可児川へは近づけないということで、お父様とお姉さんが献花していただくことになっていたが、なかなか見つけられずに焦った。 
 
 それでもなんとかお会いでき、市長や衆議院議員の今井さん(昨年10月に捜索活動に参加されている)も駆けつけてきていただき、猛烈な暑さのなかだったがしめやかに花束と親族や、捜索に参加したボランティアらによってお花が可児川に流されていった。 
 
 会の代表である海道清信名城大学都市情報学部教授から、これまでの経緯やら今後のことについてお話をいただいた。海道先生が代表を引き受けてくださり、いろいろと相談にものっていただいたので、会はずっと継続することができた。 
 
 とにかく暑くて、それ以上の話聞いてもらえるような状態ではなかった。終了後だったが、お二人ほどめまいがして日陰でうずくまってしまった。熱射病一歩手前だ。 
 
 12時から、虹ヶ丘橋から車で5分ほど、可児市坂戸の清香苑ユニオンホール西可児という会場で『惜別と感謝の集い』を実施することになっていただ、15分くらい遅れ気味となった。 
 
 虹ヶ丘橋下では70人ほどの参加者だった。ユニオンホールでは60名ほどに減ってしまった。やはり捜索活動に参加していない方の中で遠慮された方がいるようだ。 
 
 『惜別と感謝の集い』後半戦は衆議院議員今井雅人さんからのメッセージで始まり、その後、これまで22回の捜索の様子などを紹介する15分程度のDVDが上映された。 
 
 ほとんどすべての写真は、事務局である私が撮影した写真を使って制作されているので、よく認識している写真がほとんどなのだが、雪の降る中での捜索シーンなどを観ていると思わずウルウル来てしまった。 
 
 市長からのあいさつも、ご遺族や行方不明者ご家族の心に届くものだった。細田さんからは事故を風化させないために慰霊碑を建てることを要望する場面もあった。 
 
 『集い』は約1時間ほどで終了した。さすがにほっとした。ほぼイメージ通りの集いが展開できた。ボランティアの常連や印象深い方の中で、参加できなかったかたが多かったのが少し心残りだった。 
 
 ただ、余韻にひたっている時間はない。この準備のために費やした時間を早急に取り戻さなければならない。これからの一週間は政治活動一色となる。 
  
 
 

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