++山根一男の徒然日記++
山根一男HP 〜やまネット〜
山根一男掲示板
8月 31日(水)
薬師寺管主山田法胤師講演
8月 30日(火)
第6回いじめ防止第三者機関検討委員会傍聴
8月 29日(月)
双子の葡萄
8月 27日(土)
可児市議選分析
8月 25日(木)
南帷子小『夏休みキッズクラブ』見学
8月 24日(水)
総務企画委員会 傍聴報告
8月 23日(火)
真夜中の豪雨 105 mm/時
8月 22日(月)
東日本大震災・福島の現状を聞く
8月 21日(日)
「市長が変わると、議会も変わる!?」
8月 20日(土)
可児市発、復興支援!ボラバス石巻
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2011年8月1日(月)
薬王寺・大賀ハス・交差点立ち
当選が決まった朝、いつものように6時50分から駅頭に立った。その後、7時50分からは、長洞の交差点で45分ほど立った。長洞の交差点は、犬山市のリトルワールドに向かう県道である。
結局、選挙期間中の駅立ちは西可児駅前に絞った。それも、中心は駅の改札口近くではなく、駅のロータリーを回ってご主人を送って行った後の奥さんが一番のターゲットだ。
選挙期間中は、いろいろな陣営が駅前に立つが終わったらそれっきり…。そんな思いもあって、選挙が終わって結果が出たあとも、その場所に立つようにしている。通っても落ちても。
心なしか選挙期間中よりも反応はいい。今回は、西可児駅ロータリーだけでなく、8時頃からは長洞交差点にも立った。ここは、初めて私が市議会議員選挙にチャレンジした8年前に最初に立った場所である。
私の古巣、千趣会の物流センターに通うパートの方が多く、中には一緒に仕事をした人もいる。
30分ほどで終え、近くの薬王寺に行った。ここは、初めての選挙の時から
神頼みしている場所だ。拙著『脱サラ市会議員奮闘記』では、失意の中、このお寺で手を合わせてから、運が向いてきた経緯がある。
薬王寺は「ヒメコウホネ」が有名だが、この時期「大賀ハス」が見ごろである。大賀ハスというのは、千葉県で2000年前の種子から見事にハスを咲かせた大賀博士の名前から来ている。
薬王寺では「鳩吹山を緑にする会」のメンバーがこの場所に植え、年々きれいに咲くとうになった。本当に見事で、カメラマンやマスコミの方もよく訪れている。
市民の力で大賀ハスの名所をつくられた。その影には、相当の努力があったことと思う。8月後半まで咲き続けるという。西可児駅からはわずか5分くらいのところにある。必見である。
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2011年8月2日(火)
当選証書授与式
午前10時から、当選証書授与式が可児市役所5Fの会議室であった。当選証書と議員バッチをもらった。バッチは今までのがあるのだが、少し痛んできているのでありがたい。
おなじみの顔にまじって、新たな顔ぶれが並ぶ。新人6名、(伊藤寿氏・河村浩志氏・板津博之氏・出口忠雄氏・山口正博氏・伊藤英生氏)元職2名(中村悟氏・佐伯哲也氏)と現職14名(山田喜弘議員・川合敏己議員・亀谷光議員・野呂和久議員・川上文浩議員・可児慶志議員・沢野伸議員・天羽良明議員・伊藤健二議員・酒井正司議員・林則夫議員・冨田牧子議員・小川富貴議員・山根一男)だ。
ちなみに現職議員の任期は8月10日まであり、可児市議会が新体制で発足するのは8月11日からということになる。早速、8月15日(月)午後1時からは臨時議会が開催され、議長など新体制がスタートする。
授与式のときだけ、得票数順に座る。トップは元可児市水道部長の伊藤寿氏(2458票)だ。22番目に滑り込んだのが伊藤英生氏(789票)、私は1591票で13番目であった。
ちなみに4年前の市議選では、私は1566票で19位だったので躍進とは言える。しかし、唯一の民主党公認候補としては、もう少し上位を目指していたがその点では、まだまだ努力が足りなかった。
しかし、投票率が前回より19%近いも落ち込み(前回は参議員議員選挙と同時投票だった)同じ小学校区の光陽台から出口忠雄氏が1051票で当選したこと、民主党への逆風を考えると善戦だったのかもしれない。
若葉台は4年前もそうだったが、今回も亀谷光議員(2143票)と元職の佐伯哲也氏(1613票:今年4月の県議選に出馬し落選)と私の三人が出て、三人とも当選するというある意味不思議な団地だ。
前回のボーダーラインは1318票の小村昌弘氏で、1271票だった山本外代彦氏は落選している。これまでも1300票が当落ラインだったのが、今回は789票で当選となった。
今回も前回も議員定数22名は変わらないが、立候補は前回31名に対して、今回は24名と寂しい状況だ。当事者の心情としては、競争者は少ないほうがいいというのが本音だが、可児市にとってはどうなのだろう?
市議はそんなに魅力のない職業なのだろうか?例えば今回なら、20歳代の候補や新顔の女性候補なら、きっと当選できたと思う。市長も私の事務所開きのあいさつの中で、立候補予定者が少ないことを残念がっておられた。
今後、議会改革への取組みの中で議員定数については課題とすべきであろう。ただ、残念ながらこのことは議員の中からは難しい。…と今までの経緯の中で思う。
選挙が終われば市民の議会に対する関心も急激に薄れる。議員と議会をチェックする議会オンブズマンのような組織があるといい。
当選おめでとうございます、そしてお疲れ様でした。
候補者紹介の資料を拝見していつも思うのですが、全ての候補者において公約が漠然としており、具体策や実現性について一切触れられていないのが気になりました。
「住みよい街にします!」「水道料金を下げます!」「少子化対策を実施します!」等など。
耳障りは良いのですが選挙が終われば一瞬で消えさるような公約ばかり。
「コレをこうして、いつまでにこうします。」と明確なビジョンを掲げた候補者はいなかったようです。
街頭演説あるいは詳細資料では説明されたのでしょうか・・・
山根さんはこちらのブログで日々の活動をUPされていますので、議員の方が普段、何をやっているのかを知る事ができますがその他の多くの議員の方々は情報を発信する術を持たず、(というか発信せず)選挙の時だけ、「私は住みよい可児市にします」の連呼ではねえ〜
>議員と議会をチェックする議会オンブズマンのような組織があるといい。
仰るとおりだと思います。
レオン ..8/3 17:23(水)
レオンさんのおっしゃるとおりです。
たまに議員に直接会いに行くだけでも
違うと思います。
冨田市長の公約も抽象度が高いままで
変化を感じません。
日本一市民主権?? 大風呂敷も良いところだと思います。
法廷内ですらアレなので
普段の隠ぺい体質は、おして知るべし。
やはりマズイ事は穴掘ってうめるべえ!!
となるのでしょうね。 中国かここは。
職員等 ..8/4 23:43(木)
「水道料金を下げます!」と言ってた佐伯さん、以前職員を伴った水道料金の説明会では
『高額なのは仕方無い。』が結論だったけど
気が変わったのか新アイデアが浮かんだのかな(笑)。
大昔から繰り返してる話らしいけど。
職員等 ..8/4 23:49(木)
>> 返信
2011年8月3日(水)
下恵土で火事?
21時22分、防災無線放送で火災発生の同報無線放送が流れた。選挙事務所の撤収作業等を終えて、帰宅寸前だったが…これは行かねばと思った。
下恵土は可児市の中心街で、私の住む帷子地区からは少し離れてはいるが、下恵土にも知人はいる、支援者もいる。何より市議として4期目が始まろうとするこのとき、消火体制をこの目で見ておく必要がある。
ただ、場所が聞き取れなかった。すぐさま、0574−62−1548に電話する。この番号で防災無線放送の音声内容が確認できる。下恵土の斉藤耳鼻咽喉科の近くと分った。
しかし、地元ではないのでその斉藤耳鼻咽喉科が分らない。しかし、なんと妻に電話したらすぐ分った。食品スーパーBIG LIVEのそばらしい。そこへ急行してみると、消防車がたくさんいた。ざっと15台以上。
さすが各消防団は早い!加茂消防署はもちろん、ほぼ全分団来ているようだった。ただ、火は見えない。
地元の市議と新聞記者がすでに来ていたので聞いてみると、BIG LIVEのダクトから煙が上がっているとの通報で、消防署員らも店内に入ったが、煙は充満しているものの火元が確認できない。
天井裏などにももぐって探しているようだが、見つからない。確かに店内は異臭をともなう白い煙で満たされているようだった。結局、23時頃まで現場にいたが何時になるのか分らないので帰ることにした。
私の地元である3−4分団(東帷子)のポンプ車があったので、ご苦労様と言い残して帰った。消防団の皆さんは、それぞれ明日も仕事だろうに、たいへんご苦労なことだ。
単なるぼやだったようだが、ざっと200人近い消防団員や消防署員が駆けつけて来ていたと思う。頼もしい限りだ!
>> 返信
2011年8月6日(土)
19日に石巻行きボランティアバス!【告知】
復興支援!ボラバスねっと・かにかも主催の東北行きボランティアバス第二弾を今月8月19日(金)夜9時、可児市役所発(予定)美濃加茂市役所経由(予定)で走らせることになった。
行き先は石巻市である。6月17日〜19日(0泊3日)に宮城県岩沼市に行ったのに続く第二弾である。あまり準備期間がないが、やはり一度きりでは趣旨に合わないし、夏休み期間であるこの時期を逃すべきではないという判断だ。
今回も、6月と同じ金曜日の夜9時に可児市を出て、美濃加茂市役所に寄った後、宮城県を目指し土曜日(8月20日)は、現地での泥だし作業やガレキ撤去作業を行い、終了後スーパー銭湯で汗を流してから帰途につき、翌日曜日(8月21)の朝6時頃には、可児市に帰って来るというハードスケジュールである。
しかし、避難所で暮らす方たちの苦労を思えば二夜連続の車中泊というのはどうってことはない。(ただし、体力に自信のある方のみご参加ください)
また、このパターンが最も時間を効率的に使え、費用も安く抑えられる。ちなみに参加費は1万円。高校生以上の学生は7000円だ。食事等は各自、コンビニ等で調達してもらう。完全自己完結型のボランティアバスだ。
被災地のニーズの関係で、今回はより被害が大きい石巻市に行く。40人を目標に参加者を募る。まだ一度も現地に足を踏み入れていない方、一度は体感してもらいたい。テレビで観るのとは違う感覚を得られると思う。
もちろん物見遊山ではない。現地の方も岐阜から定期的にボランティアが来てくれていることを喜んでくれている。帰りにはしっかりお金も落としてきたい。(お金のある人は…)
今回はぜひ、市職員にも行ってもらいたい。もちろん個人の資格でいい。お隣の御嵩町は町の政策だが、消防団員も含めて4回に分れて、120人もの職員が現地に行くことになっているという。
防災を担う役割りの方は特に、今この時期の被災地を体感し、復旧復興にわずかでもいいから参加してもらいたい。それがきっと今後のために役立つ。この日程なら仕事を休まずに行ける方が多いはずだ。
記
2011年8月19日(金)21時 可児市役所発(予定)
21時30分美濃加茂市役所発(予定)
8月20日(土)宮城県石巻市にて復旧作業手伝い
16時頃 作業終了 帰途
8月21日(日)午前7時頃、美濃加茂・可児市帰着予定
詳しくは下記↓【復興支援!ボラバスねっと・かにかも】HPへ
http://volubus.blog89.fc2.com/blog-category-1.html
>> 返信
2011年8月7日(日)
オペラ&フォーク コンサート
選挙戦が終わって1週間になろうとしているが、かなり多忙な毎日だ。当然、お世話になった人へのあいさつ回りを最優先すべきなのだが、様々な用事がそれに集中することを阻む。
まずは、事務所の撤収作業、これも単に物を運び出せば良いだけでなく、借りていたものを持ち主に返したり、電話やケーブルTVの撤収や支払いなど結構手間ひまがかかる。
すでに8月11日からの新しい顔ぶれによる可児市議会へ向けての動きも活発で、中にはこの時期に最大限のエネルギーを発揮する議員もいる。8月15日の臨時議会では新しい議長や委員長などの役職が決まるが、そのための多数派工作が水面下で進んでいる。
それと、これまで1ヶ月以上停滞していた事柄が、堰を切ったように押し寄せて来る。もう待ったなしだ、具体的には8月19日(金)夜に可児市発石巻市行きの復興支援バスの企画を進めることになった。
そんな中で、今日は午前中にアーラ(可児市文化創造センター)でオペラコンサート、午後一に広見公民館ゆとりピアで、かぐや姫のカバーバンド、フォーエバーズのフォークコンサートがあった。
アーラでのコンサートは、可児オペラグルッポによる、第7回オペラレクチャーコンサートだ。曲目はビゼー作曲のオペラ「カルメン」から、ハバネラや闘牛士の歌など聴かせどころを数曲。
主宰の可児修司(テノール)さんは、音楽大学を出ているわけではない。可児設備という会社を経営しながら、芸術活動を続けており、今年4月には「題名のない音楽会」に出演し、東京フィルハーモニー管弦楽団と共演した。
文字通り草の根から、可児市の文化芸術を支えておられる。共演の鷲見真純(ソプラノ)さんも可児市在住で、各地の音楽賞を受賞するなど可児の宝といっていいソプラノ歌手だ。
←左から可児修司さん、鷲見真純さん、池田千明さん(ピアノ)、加藤美香さん(メゾソプラノ)、早川達志さん(バリトン)
司会者の堀山淳子さんが、敷居の高いオペラをとても分りやすく説明してくれた。可児オペラグルッポの次回コンサートは、2012年3月25日(日)アーラ演劇ロフトでモーツアルト作曲、オペラ「フィガロの結婚」を演奏してくれるという。今から待ち遠しい。
13時30分からは、広見公民館ゆとりピアのエントランスホールでフォーエヴァーズのライブステージがあった。こちらも選挙前から誘われており、聴きに行った。
こちらは岐阜県坂祝町の文化団体「軽音楽サークル」に所属し、10年も前から、主にかぐや姫の曲をカバーし、ハートフルな演奏が好評で、県内外から出演依頼が来るバンドである。
かぐや姫といえば、「神田川」を初めて聴いたときの感動が忘れられない。当時、私は高校生で劇団を主宰していた。メンバーの一人がカセットテープを持ち込んで聴かせてくれた。
以来、大半の歌は知っている。今日も「田中君じゃないか」や「黄色い船」など、かなりマニアックな歌も披露してくれて感激した。会には300人近い方がひしめいていた。
安全で、安心して、楽しく暮らせる可児市。やはりそのキーになるのは音楽だと思う。
この度はお越しいただきましてありがとうございました。
またお会いできることを楽しみにしております。
課にオペラグルッポ ..8/8 8:06(月)
>> 返信
2011年8月8日(月)
第1回会派代表者会議
午前中、第2回目の当選議員全員打合せ会があり、午後2時から標記の「第1回会派代表者会議」があった。7月31日の可児市議会議員選挙での当選者の任期は、8月11日から4年である。
まだ、会派や委員会構成が決まっていないので、議会運営委員会も存在していない。今日の会派代表者会議は、その議会運営委員会(議運)に代わるものといえる。
少し違うのは、まだ役職が決まっていないので、慣例により座長は一番年長の議員がやることになった。それと、可児市議会では一人会派は正式な会派と認められず、議運に代表者を出すことができないが、会派代表者会議には一人会派からも代表を出すことができる。
会派というのは、法的には特に根拠のあるものではなく、町議会などで会派のない議会も多いようだ。政策やスタンスが近い議員同士の集団とも言えそうだが、党派とは違いそれほどの縛りはない。
それでも同じ会派の構成員で賛否が違ったりすると、眉をひそめられたりするので、一般的には統一行動をとることが求められよう。
私は、前期までは可児未来クラブという名の一人会派であったが、今回の選挙で同じく民主党籍のある伊藤英生議員が当選したので、二人で民主系の会派をつくることにした。
その名も『民主ネット可児』。可児市議会に民主の名を冠した会派が生まれたのは初めてのことだと思う。
可児市議会は全部で22名の議員から成るが、会派構成はこの会派代表者会議で明らかになった。最大会派が前期に引き続き、「誠颯会」(せいふうかい)で11名、次が「自民クラブ」で4名(亀谷光議員・林則夫議員・中村悟議員・河村浩志議員)
次に二人会派が三つあるが、私のくじ運良く掲載順では「民主ネット可児」(伊藤英生議員・山根一男)、「可児市議会公明党」(野呂和久議員・山田喜弘議員)、「日本共産党可児市議団」(伊藤健二議員・冨田牧子議員)の順番となる。
一人会派は、今回は「みどりの風」(小川ふき議員)一つだけである。かつて私はこの会派に所属していたが、昨年民主党に入党したときに離れた。
今回、新たに当選した新人、元職8名のうち5名が最大会派に所属することを選んだ。今後の焦点は、議長・副議長と三つの常任委員会、二つの特別委員会、監査役などのポストを誰が射止めるかである。
最大会派は、過半数には達していないが、どの委員会でも当然最大勢力となるので、その気になれば全部のポストを独占することもできそうだ。かつて最大会派はそれに近いことをしてきた。
今期限りで勇退された渡辺重造議員は、8期28年も務めながら最大会派に所属していないために、一度も議長の席につくことはなかった。他所の市では共産党の委員長なども珍しくないが、可児市議会ではない。
ただ、問題は次期の最大会派は7期の可児慶志議員以外は、すべて2期目と新人議員の構成となる。
議長・副議長は、選挙で選ばれる。8月11日から12日の正午までに立候補の届け出をし、8月15日午前中に所信表明演説会があり、午後からの臨時議会で投票により決定される。
また、各委員会の委員長・副委員長は、その構成員の互選により選ばれる。ぜひ、数の論理ではなく、市民にも説明がつくよう是々非々で適任者が選ばれることを願いたい。
久しぶりに投稿します。
いろいろな考えがあっていいとおもっていますが、私は、二大政党政治を好ましいとおもっている人間です。
保守系の圧倒的地盤の多い岐阜県において、可児市市議会において、民主党系の会派が誕生したことは、画期的なことと思う。たとえ二人であっても。
この会派が長い将来成長して、よりよい政策論議ができるようになることを、心より祈りたい。
山根さん、がんばってください。
ジョンソン ..8/9 6:37(火)
市民の“つぶやき”
『最大会派・誠颯会よ奮起せよ!!』
民主党政権になってもうすぐ2年が経つ。
この党、この政権、この2年間で何をやったのか?
何もやっていない。やってきたことは。
日本を貶め、国益を毀損することばかりである。
民主党政権の今を見通していた方もおられるであろうが、ここまで酷いとは思ってもいなかったのではないか?。
政治を普通にやれば、今の状況ってありえないことである。
やはり、普通じゃなかった民主党!
※SAPIO 2011年7月20日号に面白いジョークが載っていた。
【問】:自民党政権が50年かけても達成できなかったのに、
民主党政権がわずか2年で達成したものは何か?
【答】:自民党政権の良さを国民に認識させたことだ。
次の総選挙は、おそらく自民党が勝つであろう。
これを機会に自民党には大変身してもらいたい。
下野する前の自民党は、けっして保守政党ではなかった。
自民党内の擬似左翼(リベラル派)が、自民党を堕落させてしまった。
憲法改正、自立自尊が自民党の党是であったはずである。
心底から変身し、自民党本来の保守政党に回帰しなければ、日本の国は良くならない。当然、可児市も良くなることはないのである。
honebuto ..8/9 20:38(火)
>> 返信
2011年8月10日(水)
早朝ビラ配り
昨日は新可児駅前と可児市役所前、本日は西可児駅前で午前6時50分からビラ配りをしている。明日、11日は美濃太田駅前で同時刻から行う予定である。
政治のビラではない。8月19日〜21日に運行する、宮城県石巻市向けの復興支援ボランティアバスの参加者募集のためだ。なにしろ、もうあまり時間がなし、お盆を挟むので焦っている。
駅前でのビラの受け取りはいつも通りか…2割から3割くらい。これでも名古屋辺りにくらべると驚異的な数字らしい。ただし、市役所前は職員駐車場から市役所の前の間なので、受け取り率99%!
これは半強制に近いかもしれない。一応、8年間ほど議員をやっているので顔は覚えていただいているのだろうと思う。ひとりでもいいから市職員の中から参加者が出ることを願っている。
今のところ10名ほどの参加希望者がいる。中には地元報道機関の方などもおり、今回も多彩なメンバーになりそうだ。参加者同士が知り合いになれるような働きかけもする。ボランティア精神旺盛な元気のいい人のネットワークを広げたい方には最高のチャンスでもある。
出発は8月19日(金)21時。可児市役所駐車場である。車をそのまま帰ってくる21日(日)早朝まで駐車しておくことも許可をいただいているので、サラリーマン・OLの方でも仕事を終えてから参加できる。
美濃加茂市に寄って、20日(土)早朝には石巻市に到着予定である。昼食はコンビにで各自購入し、クーラーボックスで預かる。その後、石巻市内のガレキ撤去や泥出し作業などで汗を流し、16時頃までには終えて帰路につく。
途中、スーパー銭湯でさっぱりした後は、ほとんどの方が熟睡モードに入り、21日(日)早朝には可児市役所に戻って来る。
参加費は1万円。学生は7000円である。忙しいようだが、効率的に時間が使えて負担が少ない。忙しくてまだ、震災後一度も現地に入ったことのない方でも、参加しやすいスケジュールだと思う。
詳しくは、ネット検索で『ボラバスねっと』で、会のホームページ「復興支援!ボラバスねっと・かにかもに行きつく。その中の申し込みフォーマットをご利用いただきたい。直接、私(山根一男)宛てでも構わない。
yamanet@ma.ctk.ne.jp 090−1821−4777 FAX0574−69−1030
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2011年8月12日(金)
副議長選立候補
今日の正午が、議長・副議長選挙の立候補締め切りだった。11時55分頃、副議長への立候補の届出をした。
当初は、あまり考えていなかったが、回りを見れば副議長に立候補できる資格がある議員があまりおらず、数少ない先輩議員にも見当たらないことから決断した。
ただ、多数決では22名の議員総数のうち、11名を確保した最大会派に勝てない可能性が高い。最大会派以外の自民クラブ4名、私を含めた民主ネット可児2名、可児市議会公明党2名、日本共産党可児市議団2名、みどりの風1名が結束すれば同数の11名だ。
でなければ可児市議会の悪しき伝統、最大化派もしくはそれに同調する会派に所属する議員が、ほとんどすべての役職を独占することが繰り返される。
役職には何があるか?先ずは、議長・副議長。これだけは選挙で行われる。事前に所信表明演説をして議員らにアピールする機会も設けられている。
他には監査役(議員選出)。これは議長などを歴任した超ベテラン議員が務めることが慣例だ。他には議会運営委員会(議運)の委員長、副委員長。これは前年度の議長が納まるケースが多い。
次には、三つの常任委員会、すなわち総務企画・建設経済・文教福祉各委員会の委員長・副委員長。そして、二つの特別委員会(議会広報・名鉄広見線対策)の委員長・副委員長だ。ざっと15のポストがある。
議長・副議長・監査役以外は委員同士の互選となる。総務企画と議運、二つの特別委員会は定員8名、建設経済と文教福祉は7名だ。当然、それぞれ構成員の約半数は最大会派であるため主導権はそちらにある。
議員というのは首長と違い、実績を示しにくい。議員には議決権はあるが執行権がないからだ。よくオレがやったという議員がいるが、やったのは執行部である市長であり、本当にその議員の働きかけでやったかどうかは疑わしい。
だから、議員は役職を欲しがる。選挙のときに経歴欄に○○委員長を歴任した…などと書けるからだ。そのため(私の勝手な解釈)、可児市議会は毎年8月に議長以下、役職を辞任する。
こうして4年間の任期に4つのポストを歴任できるのだ。議長はじめ各役職は4年やっても問題はないのだが…4年間に4人もの議長が登場する。議長は市長と同じく市民の代表なのだが、いかにも軽い。
それでもベテラン議員から中堅、新人とバランスよく議員がいれば、まだそれほど矛盾は目立たないのだが、今回はベテラン議員が6名(その前に辞職された議員を入れると7名)も勇退されバランスが崩れた。
特に最大会派11名の中には、7期目の可児慶志議員以外はすべて2期目か新人議員である。最大会派以外でも、自民クラブの林則夫議員の10期目は別格として、次は同じく自民クラブの亀谷光議員の7期目、そして共産党の冨田牧子議員の6期目までがベテランクラスである。
中堅と言うべき3期と5期の議員が一人もいない。4期は4人いて私もそのうちの一人だ。他は共産党の伊藤健二議員、みどりの風の小川ふき議員、そして、今回当選された元職の中村悟議員だ。
必ずしも期数を重ねたからといって自動的に役職に就くべきではない。しかし、だからといって6期も7期も経験がある議員がいるのに、1期や2期の議員が重要ポストを占めるのはいかがなものかと思う。
いい悪いは別として、必要以上に秩序を重んじるのが議会である。どのような集団でも基本は、経験豊かな方から役を担うのは自然である。中学1年生で生徒会長になったり、二十代で自治会長になるようなことは普通は有り得ない。
会派は政策や研究のために研鑽を積む集団として機能すべきであり、いやしくも役職を手に入れるための手段になってはいけない。議員は、すべからく市民から附託を受けているのであって、それぞれの役職を担うのに最もふさわしい人を是々非々で選ぶべきである。
8月15日(月)午前9時から議会全員協議会(傍聴可能)があり、終了後議長・副議長立候補者による所信表明演説会(傍聴不可)がある。そして、午後1時からの臨時本会議(傍聴可能)において選挙があり議長・副議長が決まる。
各常任委員長の役職も委員会別に互選にて決まる。議会改革を声高に叫ぶのもいいが、われわれ議員は市民から選ばれてその職にあるのであって、役職選びも常に市民に対して説明のつく人選をすべきである。
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2011年8月14日(日)
霞 祥子 in アピタ美濃加茂店
若葉台よもやま大学でもコンサートをやってくれた霞 祥子ファミリーがアピタ美濃加茂店でライブをやるというので駆けつけた。午前11時30分と午後2時30分ということだった。
霞(かすみ)さんは八百津にお住まいで、子育てや長年の教師及び塾講師の生業を清算し、一昨年歌手デビューした。息子さんの宗一朗さんやお父様のテリー小山さんと共に施設回りやステージをこなしている。
宗一郎さんは、最近、東京での録音が決まったとのことで、もしかしたらメジャーデビューかという快進撃を続けている。お父さんのテリー小山さんは3年前に脳梗塞で倒れ、一時は言葉もしゃべれなかったが、人前で歌うことがリハビリになり、今ではすっかりシルバーアイドル気取りの83歳である。
霞さんの底抜けに明るく、超前向きなキャラクターがこのファミリー全体に浸透しており、聴く人を魅了する。
昨年、秋に可児川豪雨災害行方不明者の捜索活動にチャリティコンサートの収益金から、寄付金を贈りたいとの申し出があって知り合った。
彼女の生き方を見ていると、人生いくつになってもチャレンジできるんだなと思う。人々に生きる勇気と楽しさを教えてくれる。
10月7日(金)19時開演で、アーラ(可児市文化創造センター)演劇ロフトで『霞プロジェクトハートフルコンサート』を開催予定である。チケットは1000円、私も預かっているので観覧希望の方は声かけてほしい。(090−1821−4777山根)
霞プロジェクト お問合せ⇒090-8737−4488
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2011年8月16日(火)
可児市議会役職決定 臨時議会
昨日、午前9時からの議会全員協議会の後、議長副議長立候補者の所信表明演説会が非公開であった。候補者一人10分。候補者に対する質問時間も10分ある。
議長立候補者に亀谷光議員(7期目)が出ることは知っていたが、他に誰が出るかはあえて聞かないでいた。他というのは構成員11名(議員定数22名)を擁する最大会派のことである。
最大会派は議長候補に可児慶志議員(7期目)、副議長候補に川上文浩議員(2期目)を立ててて来た。所信表明の順番を決めるくじを引き可児慶志議員、亀谷光議員(議長候補)山根(4期目)・川上文浩議員(副議長候補)と決まった。
所信表明演説では、@4期目8年の議員経験から役職を担うべき年代である。A数を頼んでの最大会派の役職独占の阻止。B議長を補佐しながら、議会改革を進めてゆく。の三点を強調した。
結果、議長選挙は可児慶志議員13票、亀谷光議員9票で、可児慶志議員。副議長選挙は川上文浩議員14票、山根一男6票、冨田牧子議員(6期目)1票、無効票1票で川上文浩議員に決まった。
議長選で見る限り最大会派11名プラスその他の会派から2名の議員が投票した。冨田牧子議員は立候補をしていないので、その候補に入れるのはモラル違反であるが、それは言っても仕方ない。6票しかないというのは完敗だ。
続いて自分の所属する建設経済委員会では、副委員長に立候補したが最大会派の川合敏己議員(2期目)に4対3で敗れた。ちなみに委員長は公明党の山田喜弘議員(2期目)だ。
総務企画委員長には最大会派の澤野伸議員(2期目)副委員長には公明党の野呂和久議員(2期目)、文教福祉委員長には最大会派の佐伯哲也議員(2期目)、副委員長には副議長の川上文浩議員。
三つの常任委員会の正副委員長は、全員2期目の最大会派および公明党の議員が占めた。この調子で他の役職も最大会派が占めるのかと思っていたら、議会運営委員会の正副委員長を決めるときに異変が起きた。
議会運営委員会は8名で、私がベテランの亀谷光議員(自民クラブ)を推したところ、選挙になり最大会派の酒井正司議員(2期目)と4対4の同数でくじを引いたところ亀谷光議員が委員長に決まった。
続いて副委員長を決めるのに私が立候補したところ、他にいなくてそのま決まってしまった。その際、少し耳を疑ったが酒井議員から私を推薦する声が上がった。
さらに特別委員会の正副委員長決めでは、私は議会広報特別委員会に名乗りを挙げていたが、実は委員長は狙っていた。これまで渡辺重造議員の指定席で、委員長ポストの中では一番作業(編集)を強いられる役割りで、ある程度の経験と、印刷に関する知識、情熱が必要な内容である。
メンバーは私よりベテランは共産党の冨田牧子議員だけで、あとは二期目の天羽良明議員(最大会派)、建設経済委員会の委員長が決まっている山田喜弘議員、あとは1期目の山口正博議員、板津博之議員、伊藤壽議員(最大会派)河村浩志議員(自民クラブ)である。
委員長に立候補しようと思ったら天羽良明議員から、私か冨田牧子議員を推薦したいと言われ、冨田議員は断ったので私に決まった。副委員長は天羽良明議員で決まった。
名鉄広見線対策特別委員会では、なんと委員長には共産党の伊藤健二議員(4期目)、副委員長には自民クラブの中村悟議員(4期目)に決まった。監査委員にはベテラン10期の林則夫議員(自民クラブ)で決定済である。
おそらく可児市議会で共産党の委員長が誕生したのは、これが初めてであろう。議会運営委員会の正副委員長が最大会派以外の会派から出るのも、かなり稀なことだと思う。
そう考えると最大会派は、要職は占有したものの、議会全体のことを考え小数会派の議員にもある程度配慮したものだった。議長も異例の2年連続就任で、議会基本条例制定に向けてさらに駒を進めて行くことになりそうだ。
可児市議会も大きく変わることだろう。役職が決まったからには、その現実に従って前に進むのみだ。
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2011年8月17日(水)
選挙運動費用会計報告
選挙にいったいいくらかかるか…?あまり公表する人は少ないかもしれない。可児市議選終了後約2週間、8月15日が選挙管理委員会への選挙運動費用の報告書提出締めだった。
他の人はいったいいくらかかっているのか皆目見当もつかないが、一応私が選挙管理委員会(選管)に報告した内容をお伝えしておこう。これも情報公開のひとつである。
支出合計は111万4630円となった。ただし、このうち約25万円は選挙ポスターの公費負担分、また約5万円は、選挙運動参加のボランティアの金額換算で実際にお金は動いていない。
公選法にはよく分からない部分があり、選挙運動は原則ボランティアでやりなさいといいながら、ボランティアで来た人の労働(?)を金額に換算したらいくらになるか明示しなければならない。
正直、選挙運動に参加した人全員の活動を金額に換算することなどできるとは思えない。だから、最低限の5万円である。
そうすると、実費用は80万円程度であるが、ありがたいことに寄付金の合計が政党からの助成金も含めて38万円ほどあった。ただし、供託金の30万円はこれとは別に必要だ。(ただし必要条件を満たしているので、後日返金予定)
支出のほうで一番かかったのが、印刷費で28万8750円。ただし、先に触れたようにこのうち約25万円は選挙ポスター作成費で公費負担の対象となっている。
次が、家屋費の24万404円。これは選挙事務所の家賃や修繕費などだ。候補者によっては自宅や自治会の建物などを使える人がいて、そういう方はあまりお金はかからないだろう。逆にプレハブの事務所などを建てる人もいるが、その場合の費用はこの倍以上になると思う。
次に人件費の22万6600円だが、このうちの約5万円は労働換算で、実際にお金を払ったわけではない。選挙運動で実際にお金を払えるのは、ウグイスさんと運転手、事務員だけだが、たぶん私のところはかなり少ないほうだと思う。
次に広告費の21万2100円だ。これは選挙カー(看板・スピーカーシステム込み)のレンタル費用19万8000円(実際にはもう少し安い)が大きい。
これは、今回はじめて京都府京田辺市にある「選挙レンタカー」という会社から丸ごと借りた。軽自動車なので、乗員が4名までというハンデがあったが、大きな看板と顔写真入りの看板が気に入り、最後には営業の方の熱意に負けた。
四年前は看板は支持者の方に木製でつくってもらい自分の車に乗せた。スピーカーシステムは9万円ほどでレンタル会社から借りた。今回は、少しお金はかかったが、警察への届け出までレンタカー会社が代行してくれたのでとても助かった。
「選挙レンタカー」を利用したのは、岐阜県では私が初めてだったらしいが、これからもっと伸びると思う。看板の巾が普通より15cmくらい長く(もちろん法定内)顔写真入りということもあってとても目立つ。
あとは食糧費6万6179円、通信費3万1367円、雑費3万3240円、交通費14000円、文具費1990円で、合計111万4630円だ。ちなみに、4年前はこの金額が約70万円だったので、それに比べればかなりお金をかけてしまった。
しかし、法定の選挙費用限度額は360万円ほどなので、あまりお金をかけていないほうではないかと思う。ちなみに県議選や市長選では数百万はかかるという。こればかりは、他の方はどうなのか想像がつかない。
ただし、これはあくまでも選挙運動(7月24日〜30日)の費用と、そのための直接の準備行為の費用であるので、そこに含まれない政治活動(例えば後援会入会募集のためのリーフレット等)は含まれない。
多分、ほとんどの候補者はリーフレットは出していたので、実質的な費用は報告した金額を上回ることになるであろう。政治家には4年に一度は必ずやってくる選挙。(参議員議員は別)今日からまた貯金しなきゃ…
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2011年8月18日(木)
明日夜、石巻市へ向けて出発
あっという間に石巻市行き『復興支援ボランティアバス』の出発日が迫っている。20日朝、8時30分には石巻専修大学校内にある石巻市災害ボランティアセンターへ行き、そこから作業現場に向かう。
現地の災害ボランティア団体、アモーレ石巻という団体が水先案内をしていただき、被害が大きかった地域の住宅のガレキ処理や、側溝の掃除などが予定されているようだ。
6月に行った、宮城県岩沼市の現場は、海岸から3km以上内陸で、床上までの浸水はあったものの、住居の破損はそれほどでもない地域だったことを思うと、石巻の現場は相当ひどい状態のようだ。
ところで、まだ人数が定員に達していない。主催者入れて32名。昨日、久しぶりに私がこれまでに関わってきた団体や個人など、アドレスを登録している数百人の方に一斉メールを送った。
このブログを読まれている方の中にも、もしかしたら私からの一斉メールを受けた方がいるかもしれない。もしかしたら数年ぶりかもしれない。よほど打つ手がないとき、事態が深刻なときに行う。
以前は9.11アメリカのテロ事件のときに、行った記憶がある。冷静な対応を呼びかけたのだが、中には反発する方も見えて、特に男性の中には好戦的な方がいることを知った。
横道にそれてしまった。とにかく件数で数十件、対象人数で数百人にメールしたところ、今朝お一人の方が友人から転送されてきた是非、参加したいという春日井市の男性から連絡があった。
一人でも参加者が増えてよかったと思ったら、大阪の学生さんがキャンセルしてきて、結局今のところ数は変わらない。かろうじて赤字は回避できるラインにはこぎつけている。
しかし、東北に愛と勇気を届に行こうとしているのに、空席があるのは誠に残念だ。今からでも遅くはない。バスは明日19日、金曜日21時過ぎに可児市役所駐車場を出て、21時30分には美濃加茂市の日本昭和村駐車場(道の駅)で、さらに人を乗せ、石巻を目指す。参加希望者は山根(090−1821−4777)まで
詳しくはボラバスねっと・岐阜HPへ↓
http://volubus.blog89.fc2.com/
女性参加者が十名ほどいることもあり、着替えのためのテントがいるということになり、ずいぶん久しぶりに我が家のコールマン5人用テントを近くの公園で張ってみた。
子どもたちが小さい頃は何度か使った記憶があるが、前回いつ使ったか記憶にない。ここ数年はいいとこデイキャンプだからだ。15年くらい前に神戸で買ったテントだが、全く支障なく張れた。
当時としてはそこそこの値段もしたが、大したものだと感心した。さて、明日はどんな素敵な人たちとの出会いがあるのだろう…。とても楽しみだ。
遠路の強行軍そして暑い中のボランティア。大変でしょうが、行きたくても行けれない人たちの分までがんばってください・・・
先日、石巻市復興支援のTシャツを買ったら、発送元が岐阜県内でしたよ^^。
http://www.reishinomaki.jp/
「負げねど!」「んだべ!」って心意気がいいですね。
ほ゛にょ ..8/19 10:42(金)
ご苦労様です。
既に指摘されていますが、
震災ボランティア自体悪い事ではありません。
しかし政権政党公認議員が、
一般人の善意(寄付、ボランティア活動など)
に頼ろうとする状態に違和感を感じます。
ほとんどの一般人は、現政権の幼稚さゆえ
ゆとりは有りません。 なぜ、そんな人達に助けを求めるのでしょうか。
政権政党に助けて欲しい人々が、ほとんどです。
これらの同様な手法の呼びかけは、
地方議員などより人気タレントの方が
数百倍の効果を発揮すると思います。
“民主党公認 可児市議会議員”
としての
責務、仕事の優先順位、目指すものは
何か 先ず、
市民に示されるのは、いかがでしょうか。
職員等 ..8/21 17:09(日)
パホーマーのパーホーマンス!
ですな!!
× ..8/23 15:12(火)
皆さん、様々な情報やご意見、叱咤激励ありがとうございます。私は私の持ち味を活かしながら、新たなる課題に向けてまい進するのみです。私が一番やりたいこと、そして得意とするところは、市民力の行政への参画です。ありふれた言葉で言えば、市民参画です。市民のための、市民による、市民の政治です。この大目標に関しては、冨田市政と同一視点だと思っています。というか…これからの地方自治ではそれでなければできないのです。財政の逼迫により、可児市においても、平成30年度から先は(何も手を打たなければ)投資的経費がゼロになることが分かっています。道をつくってくれ…とか、図書館を建ててくれ…とかいう、新たなことを始める予算はまったくなくなってしまうのです。高齢化による福祉的経費の増大が想像以上に早いテンポで進みます。もはや、行政に頼る時代は終わりつつあります。市民の力で、特に元気でリタイアされた方々の優れた能力を活用して、市民サービスを向上させるしかないのです。それが嫌なら北欧のように消費税を30%くらいにするしかありません。私は、何でも行政に頼るこれまでの日本のシステムを改め、市民が自発的に市民福祉やまちづくり分野にも参画してゆき、行政コストを抑えるとともに、参加する方の収入増やいきがい度アップにつながるような社会の構築を目指します。平たく言えば「新しい公共」の構築です。これは民主党の政策とも一致しています。キーワードはNPOの活性化です。今年度末には、日本国の債務残高は1000兆円を超えます。歴史上、これだけの借金を抱えた国家は存在しません。もう、選択肢は『市民参画』しか残されていないと私は考えます。
山根 一男 ..8/24 12:38(水)
職員等さんへ
あなたのこの発言を、今もボランティアを求めている東北の被災者の前で話すことができますか?意味が分かりませんか?実際に東北地方の新聞社にでも投稿してください。どういう反応があるかわかるはずです。そこまでの勇気がありますか?一般市民の立場と市の職員の立場では、発言の重みは全くちがいますが、あなたが「職員等」と名乗っているので少し心配しています。
市民等 ..8/30 22:17(火)
市民等さん(山根さん)へ
色々な人に上記を見てもらいました。
8/24からの山根さん市民等さんのコメントは
議論が全く噛み合っていません。
なぜでしょうか不思議です。
したがって、どの様に返信する事が最善か
非常に困惑致しました。
特に政権政党の政治家であれば
市民が精神的、経済的に平穏となる環境を生み出し、自然発生的に、
ボランティア希望者が増える社会環境を構築する事、
より大局的な立場の活動こそが職務と思います。
ボランティアは専門のNPO、有名タレントの方が活動に長けています。
このブログは東北の人も容易に閲覧可能です。
私は主張を変える必要は無いと考えます。
職員等 ..9/13 19:20(火)
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2011年8月20日(土)
可児市発、復興支援!ボラバス石巻
19日の21時過ぎに予定通り、可児市役所を出発した。その後、当初予定では美濃加茂市役所を予定していたが、おん祭のために駐車場が使えず、急遽日本昭和村駐車場(道の駅)を利用させてもらった。
参加人数は32名、今回はそのおん祭のためか、前回(6月)に活躍したスタッフのひとりが参加できなかったせいか、美濃加茂市民はゼロ、可児市からの参加者は私たちスタッフ2名を含めて14名であった。
これは可児市社会福祉協議会が、災害ボランティア登録されている可児市民(300名くらいか)に、メールやFAXで紹介してくれたのが大きい。結局、新聞の告知にも載らなかったわりには、よく集まったと思う。
遠くは京都市、敦賀市、亀山市などから、岐阜市からも4名、愛知県から7名ほど…かなり広範囲から来られている。震災後ずっと、現地に行く機会を探していて、ネット上からボラバスねっとのHPにたどり着いた方が多い。
全体的に若い。二十代三十代が多い。高校生も3名。最高齢は71歳の方だった。どの方も自ら進んで参加を決意された方たちだけに、積極的な方が多い。夏休みのせいか教師が3〜4名参加されていた。
20日午前8時30分には、石巻市災害ボランティアセンターとなっている石巻専修大学キャンパスに着いた。100以上のテント村ができており、全国から学生らが長期滞在しているようだ。
大型バスも数台来ており、ボランティアでごった返していた。大学がこのような災害救援の拠点となることは素晴らしいと思った。多くの若い人達のボランタリーな行動力に胸が熱くなった。
作業現場は門脇地区という石巻港に近い場所であった。近くの石巻中部自動車学校が、ご好意でトイレ等を貸してくれた。大勢のボランティアが入る場合にトイレの確保は重要で、場合によってはレンタカーを借りてピストン輸送しなければならないケースもある。
門脇地区の特徴は、家々は一見普通に建っているのだが、よく見ると1階部分が目茶目茶で、人が住める状態ではない。かなり広い範囲がゴーストタウンと化していた。
私達が担当したアパート群も56戸あるというが、誰も住んでいない。生活の跡をそのまま残したまま、震災後5ヶ月経っても何も変わってはいない。ここに住んでいた住人は無事だったのだろうか?今は避難所や仮設住宅に身を寄せているのだろうか?
石巻市の被害は甚大で、死者・行方不明者の合計は5000人を超える。全壊家屋の件数も28000軒を超えるというのだから壊滅的な被害である。沿岸部の無残な建物は撤去されてはいるが、1階部が破壊され、かろうじて建っている建物は無数にある。
道路脇には写真のような広告塔がいまだに転がっていた。作業内容は、住宅の床下にもぐってのヘドロの撤去が主で、皆泥だらけになって働いた。私達の一団32名に加えて、他所の団体も40人くらい来ていたがとても1日やそこらで終わる量ではなかった。
現地で岐阜市議の大西隆博氏と落ち合えた。「いじめはなくせる」の著書があり、中学校教師から岐阜市長選に挑戦し、落選したものの今春、市議に当選した彼である。
7月より1ヶ月以上被災地を回って、ボランティアセンターや避難所の現状把握、各地のNPOや地域団体との連携を拡げている。今必要なのは被災地と応援できる地域とのコーディネート役であり、身体を張っての彼の行動力には感動を覚えた。
被災地では現地の方はもちろん様々な方が行動している。そういった方の後方支援も含め、私たちにできる被災地支援はまだまだあるはずだ。現地に行くといろんなことが見えて来る。
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2011年8月21日(日)
「市長が変わると、議会も変わる!?」
瀬戸市で開催された、古巣の『自治ネット』(無党派・市民派自治体議員と市民のネットワーク)主催のタイトル名の公開講座に、今度から同会派となった伊藤英生市議を誘って参加した。
朝、石巻市から帰ったばかりだが、家で寝るよりも熟睡できたので問題はなかった。日曜日を有効に使えるのが、0泊3日ボラバスのいいところだ。
自治ネットは、8年以上前はじめて議員に立候補した頃からずっとお世話になってきたが、無党派とは言えなくなった頃から疎遠になってしまった。当初のメンバーからはかなり変わり、この日も70名以上の参加者だったが、当初からの知り合いは二人だけだった。
ひとりはこの会の代表者であり、本日の話題提供者でもある海住恒幸松阪市議で、もう一人が神谷明彦氏(51歳)は、なんと8月7日の選挙で東浦町長になっていた。
町議を3期務め、4月の統一選で4選を果たしたが、8期32年、76歳でさらに町長を続けようとする現職候補に待ったをかけるべくの挑戦だったようだ。
ほとんどすべての組織が現職候補についていたがそれをひっくり返した。
本日の講師である山中光茂松阪市長も同じような経緯で市長になった。現在、就任2年7ヶ月で弱冠35歳である。当選当時は全国最年少市長だった。
三重県議を1期目の途中で辞めての市長選で、自民民主相乗りの現職候補者を打ち破っての当選だった。医師でもあり、松下政経塾出身者でもある。アフリカでエイズプロジェクトなどにも参加している。
ひげ面で、とても市長という雰囲気ではなかったが、話し出すほどに聴く者を魅了し、すっかりファンになってしまった。偉そうなところがなく、それでいてへりくだったところもなく、自然体で理想論を語り現実的に政策を推し進めてゆく。
議会との対立もさぞ激しいと思いきや、議会のほうから折れてくることが多いようだ。自民でも民主でもない市民党なのだ。メディアを120%活用した徹底した情報公開と市民参画を進めている。
その上で市民に責任と役割りをになってもらうという手法だ。具体的には来春には市内四十数か所の小学校区ごとに、自治連やPTA、高齢者団体等を網羅した地域協議会を設立し、各地区ごとにどの事業に予算を重点配分するのかを決定してゆくというものである。
その分、これまでにあった補助金は大幅にカットされ、50%以上の補助は補助とは言えないということでカットされる。医師会など2700万円のもの補助金をカットしたという。
道路に使うか、福祉的な分野に使うか、生涯学習的なことに使うかは地域で決める。地域のことは地域で決める、かなり先進的な取組みだ。そのための職員配分も増やし、市長も地域に出向いて説明の毎日だという。
名古屋市の地域委員会のことは、徹底して批判していた。投票率が10%前後では地域の代表とは言えないという論点だ。その点、可児市のまちづくり協議会にも当てはまる。可児市の場合は選挙ではないが、任意にまちづくり協議会を設立できる。ただ、住民がその組織を住民の代表組織と認めるかどうかについては課題が残る。
議会改革のこと等についても、目からうろこの話題が百出した。一度、松阪に視察に行ってみたくなった。民意をどう捉えるか?特に、議会として民意をどう捉えるかは、今後の市議会の存亡を分ける課題だと思った。
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2011年8月22日(月)
東日本大震災・福島の現状を聞く
午後1時から、支援者の方に誘われてタイトル名の講演を一宮まで聴きに行った。以前に若葉台よもやま大学で、特攻の話を聞かせていただいた86歳の板津忠正氏もいっしょだ。
一宮は愛知県で、正直あまり縁がない。距離はそう遠くはないが、直接通じる道がなく、少し行きにくい。その一宮市に褐ワ和電気工業という会社があり桔梗倶楽部という組織が主体になって毎月講演会をやっているというのだ。同行した板津忠正さんも以前に講師を頼まれたことがあるという。
講師は、福島市在住の心理セラピスト佐藤瑛気(えいき)氏だ。ともあれ、有益な話であればどこへでも行く。特に私も福島県の状況には心をいためている国民のひとりである。
後で新聞を読んで知ったことだが、この佐藤瑛気氏の福島県の現状についての講演は、二日前の20日火曜日に他ならぬアーラ(可児市文化創造センター)でもされたようだ。
しかも、複数の方からその講演に誘われていた。が、その日は石巻市に行く予定になっていたので、興味はありながらも、特に講師の名前をチェックすることもなく断っていた。
縁があるのかも知れない。佐藤氏は、歳の頃は30歳代後半くらいに見えた。小学校2年生の女の子を連れて、福島市から岐阜県の高山市清見に疎開(?)してきた体験を話してくれた。
奥さん、つまりその女の子のお母さんは福島に残したままである。夫婦で話し合い、夫である瑛気さんのほうが、仕事柄自由度が高く、長期間離れることが可能だったからだという。
福島市は原発から50km以上離れていて、当然避難勧告などは出ていないのだが、土壌や大気の汚染は少なくとも岐阜県よりはかなりひどい。部屋の窓を開けることもなく、公園に行っても誰もいないそうだ。
小学校2年生といえば、生き物や植物など、なんでも興味を持つ年頃だが土や水、空気にすら安心して吸うことができない。幼い子どもほど、放射線の吸収の度合いが高いということもあり、現在の福島市では安心してのびのびと子育てできる環境ではなく、真剣に住居を移すことも考えているとのことだ。
放射能爆発した原発から、数十キロ離れた福島市でそのように思う方がいるのだから、もっと近いところにいる方は日夜そのような不安におびえているのではなかろうか。
私もえらそうに言いながらも、福島県にボランティアで行くかと聞かれたら言葉を濁してしまうだろう。宮城県へ向かう復興支援ボラバスのルートでさえ、福島県を通る東北自動車道は避けて、山形県から入るべきだとこんこんと意見を言ってくれた方がいたくらいだ。
もちろん私は福島県や福島県民に対して何の偏見もないし、放射能汚染に対して過剰に反応する思いはない。ただ、見えないだけに、わからないだけに放射能汚染が恐いだけだ。
安全の基準はあってないようなものだ。人間には個人差個体差があり、ある人にはなんともなくとも、自分には影響があるかもしれない。もっともこれはインフルエンザなどの病原菌なんかでもそうかもしれない。
しかし、やはり違う。放射能汚染にはワクチンはない。そして、焼こうが水に溶かそうがその毒(?)が消えてなくなることはない。現在の人類の科学文明では放射能汚染はコントロールできないのだ。
震災が引き鉄になったとはいえ、ここまで原子力を推進してきたことには全国民に責任がある。私たちは取りかえしのつかないことを進めているのかもしれない。その評価ができるのは、数百年、数千年後の日本民族(存在していたら)なのかもしれない。
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2011年8月23日(火)
真夜中の豪雨 105 mm/時
本日午前2時頃から、雷を伴う激しい雨が可児地域を襲った。昨年7月15日のゲリラ豪雨を彷彿させる降りだった。真夜中の雷も明らかに落雷したよう凄まじい音だった。
ただ、午前3時を過ぎた頃から少し収まり、4時過ぎには小雨になっていた。その頃までは起きていたのだが、午前4時45分と5時25分に議会事務局から以下のようなメールをもらったときには熟睡してしまっていた。
面目ない限りだ。午前3時過ぎに災害対策本部が設置され、約2時間後の午前5時15分には解散されたという。職員の皆さん、消防団の皆さんの迅速な行動には頭が下がる。また、逐一知らせてくれた議会事務局職員にも感謝したい。
非常時に議員は、何の指示命令系統も持たないので、状況は職員に聞くしかない。22人の議員が皆それをやれば、かえって担当職員の邪魔をすることにも成りかねない。こういった場合、議員は地元の安全を確保、確認するくらいしかないのだろうか。
以下、災害告知メールを転記◆◆◆◆◆↓
前線に伴う大雨対策のため3時05分に災害対策本部が設置されましたのでお知らせします。
2時15分 市道50号線アンダーパス封鎖
3時42分 60cm冠水、4時03分排水完了
広見村木、中恵土、下恵土地区で道路冠水、床下浸水情報があり現在現場対応中。
3時42分 土砂災害警戒情報発令。
4時10分 災害対策本部会議。
消防団は車庫待機、危険個所の確認中。
現在はレーダーによる雨雲もほとんどなくなり災害が拡大する恐れはないものと思われる。
4時45分発信 議会事務局
現在市内降雨 0mm
可児川水位 4:30以降下降中
木曽川水位は上昇中。4:50現在3.23m(警戒水位は5.5m)
被害状況
春里地区矢戸川堤防20m崩壊
中恵土公民館付近道路上マンホール周辺陥没
広見石井(旧学校前駅)名鉄踏切冠水
土田可児川駅南踏切遮断機故障
市道50号アンダーパス4:50通行止解除
5:15 災害対策本部解散
引き続き建設部、水道部、環境部は継続対応します。
5時25分発信 議会事務局
転記ここまで↑↑↑↑↑↑
午前9時頃だが、兼山に住む友人から連絡が入った。自宅近くで水があふれ、市職員や土木会社の人が作業をしているという。
私の住む若葉台界隈でも相当雨が降ったが、昨年の7.15豪雨災害のときほどではないという思いはあったが…とりあえず近所で異常がないかどうか点検したあと、ともかく兼山に行った。
行ってみてまず驚いたのは、兼山の市街地に入る県道が通行止めになっていた。急いで水があふれているという地点に行ってみると、5〜6人の土木会社の方がユンボで水路の土砂をすくっていた。
連絡をくれた友人や、その水路のすぐ横に家がある方が来て説明してくれた。その方は、元市PTA連合での知り合いだった。家の中まで案内してくれて被害状況を伝えてくれた。
幅は60cmくらいしかない狭い水路なのに、2tダンプにして10杯分以上の土砂をかい出していた。未明にかけて、水路をあふれた水でこの辺りいったいが池のような状態になったという。
その元PTAの知り合いの家は床下浸水である。このようなことは、昨年7月15日の豪雨災害のときと、7年ほど前に一度だけあっただけで、それ以外は土地の古老に聞いても事例はないという。
明らかに、ここ数年で水道(みずみち)が変わったのではないか、特に、上流の谷からの水も、この水路付近にあふれ出し、水量が増えたのではないかとの推論である。
でなければ、この1年で2回もの越流は説明できない。事実、この水路から一軒おいた宅地では、庭が川の状態であった。最高雨量時からすでに7時間以上経っているのだが、山に降った雨が伏流水となって溢れ出ていた。
現場は森蘭丸らの墓がある可成禅寺の近くで、150mほど上流地点では昨年7・15豪雨災害で大規模な土石流が起き、あわや人家を押し潰す寸前のところまで来ていた。
現在は、土石流の現場もコンクリートで固められているが、いつなんどき、付近の山が崩れるかもしれず、地元の方々の意見や経験にはしっかり耳を傾けるべきだ。特に、今回のような大水が出た直後なら、豪雨時に水道
(みずみち)がどのようになるかを検証しやすい。
急傾斜地の安全安心には、相当の課題が残されているが、まずは目の前で起きたことについての検証を、市役所は地元の方と共に迅速に行ってほしい。
早速、土木課や防災安全課に状況を伝えた。今回の雨量が、昨年7.15豪雨に対してどれくらいだったのかを防災安全課に聞いたところ、なんと時間雨量では昨年の豪雨のそれを上回ったいたことが分った。
23日午前2時から3時までの可児市役所の雨量計は、なんと105mmを記録しており、昨年の豪雨時の最大時間雨量91.5mmを上回っている。ただ、降り始めてからの総雨量で、昨年の豪雨時は約7時間の間に260mmだったのに対して、今回のそれは午前2時からわずか2時間の間に160mmという値だった。
夕刊で八百津で時間雨量59.5mmと出ていたが、その頃可児市では100mm以上の豪雨だったことになる。昨年の7.15豪雨は130年に一度というデータだが、この分ではいつその数値を塗り替えてしまってもおかしくない。
こうなって来ると過去のデータに拘泥されることなく、地域の人と行政がしっかりスクラムを組んで、ことに対処してゆくしかない。今後は、ハザードマップつくりがより重要な取組みとなって来よう。
先日(8月23日豪雨)は視察ニ来ていただきありがとうございました。市役所からはあれ以来 誰も来ていません。今回の台風も心配しておりました。他県では鉄砲水による被害も出ており、今後もまだまだ心配が続きます。何かとお忙しいかと思いますが、今後もよろしくお願いいたします。
takahashimayumi
..9/4 11:22(日)
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2011年8月24日(水)
総務企画委員会 傍聴報告
午前9時から総務企画委員会を傍聴した。9月1日から九月定例議会が開会になるが、この時期の委員会開催は珍しい。協議題は2件、@組織機構改革素案について A平成24年度予算編成方針についてだ。
どちらも、かなり重要な案件で、この時期に委員会を開催するということは、市長の情報公開方針により、特に予算については編成前の段階から市民にも公開するという方針に基いて、その一歩手前で議会に説明しておこうというものだと理解した。
総務企画委員会は、三つある常任委員会の中で唯一、構成員が8人である。委員長は澤野伸議員(誠颯会:2期目)副委員長は野呂和久議員(可児市議会公明党)、他の委員は可児慶志議員(議長・誠颯会:7期目)、伊藤健二議員(日本共産党可児市議団:4期目)、小川富貴議員(みどりの風:4期目)、天羽良明議員(誠颯会:2期目)、山口正博議員(誠颯会:1期目)、河村浩志議員(自民クラブ:1期目)となっている。
傍聴者は議員ばかり、私を含めて5人、1期目の方が2人、2期目の方が2人。私は自分の所属する委員会以外も基本的にはすべて傍聴するようにしている。特に1期目、2期目の頃は習慣にしていた。
さて、組織機構再編の内容だが、かなり驚くべきものだ。ただし、素案であり考え方を示したものだ。したがって、変更される可能性もあるので理解いただきたい。現時点では議員でも総務企画委員と傍聴していた5名しか知らない。
総務企画委員会は公開されており、私は議員であると共に、市民の代表として傍聴しているので、議員として知りえた情報を私のブログを読んでいただいている方にお知らせする。
可児市役所の組織機構再編は、来年(平成24年)4月1日からのスタートを視野に入れて、十二月議会で議会に提案され、議決されれば1月15日の『広報かに』で正式に公表される。九月議会でも、もう少し具体的なプランが出されるようだ。
大きなポイントとしては三つ。一つ目は、企画部門と経済部門の統合だ。企業誘致や観光産業の育成強化など、地域経済の活性化を進め、市の活力を将来に渡り持続させるため、政策立案と経済・産業振興を所轄する部を新設するとしている。
二つ目は、市民参画と協働によるまちづくりを推進する部を新設するとしている。現在、この分野を担っているのは、まちづくり推進課だが、この課を部に昇格させるようなイメージで私は捉えた。
三つ目は、教育委員会事務局の再編で、具体的には教育委員会の業務をスリム化し、義務教育に注力できる体制とするとなっている。つまり、公民館やアーラ(可児市文化創造センター)、図書館など生涯学習や文化・スポーツ、青少年育成などは教育委員会から市長部局へ移管するとしている。
三つ目の件は、私が六月議会で一般質問した、公民館を地域のコミュニティセンターとすべきだという提案の前提となるもので、我が意を得たりといったところだ。二つ目もしかり、時代の流れでもある。
いよいよ冨田市長の真骨頂が形に成りつつある。同時に説明された、平成24年度予算編成方針も含めて、これから市民、議員を問わず議論の対象となることだろうが、形に成る前からしっかりと説明責任を果たすということは、これまででは考えられなかった。大きな前進である。
組織機構再編については、7月に答申のあった行政評価懇談会からの意見もかなり取り入れられている。どのような組織にするのが、可児市民にとってより良いのか、また、平成24年度予算はどのような分野に力を入れるのか?ぜひこのブログ上でもご意見をいただきたい。
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2011年8月25日(木)
南帷子小『夏休みキッズクラブ』見学
明日で『夏休みキッズクラブ』も終了するとのことで、地元でもあり実質的なキックオフともいえる5月23日に帷子公民館で行われた第一回会合に出た私としては是非、見届けておきたかった。
5月23日の会議(私のブログから)↓
http://www.th21.jp/adiary/diary3.cgi?id=yamanet&action=view&year=2011&month=5&day=23#5_23
当初は、夏休み地域児童クラブモデル事業として計画されたものだった。背景には冨田市長の選挙公約の中に、放課後児童クラブの6年生までの延長ということがあった。
現在は、3年生までしか児童クラブでは預かってもらえない。しかし、単純に6年生までの延長では、莫大な費用がかかる。市民力の活用で、この課題をクリアできないかという考え方がある。
しかし、このことが改選前の六月議会では大きな問題となり、これは現在の児童クラブとまぎらわしいという一部議員の指摘から、名称変更を余儀なくされた。子どもの安全を盾に、あくまでも従来型の児童クラブの推進を主張する議員もいた。
7月21日から、明日8月25日までの間の26日間、朝8時から夕方6時まで1年生から6年生までの子どもを預かるというものだ。保護者負担は、26日間分で1万円、スタッフはボランティアが主だ。
結果、18名の子どもたちが参加(実際は16名)ボランティア登録者は、43名と子どもより、めんどうを見る大人のほうが多くなった。これは品川帷子地区連合会長はじめ、多くの地域の方のご尽力の賜物だ。
子どもたちを見ていると、2年生〜4年生くらいが多かったが、屈託がなくどの子も楽しそうだった。鳩吹山に登ったり、市政バスで市内を見学したり、ソーメン流しとか…屋外に出るプログラムも豊富で、とてもよく練られた内容だ。
これだけ濃い内容のものを、ごく短期間につくり上げたこども課の職員や帷子地区の有志の皆さんのご苦労に敬意を表したい。合わせて自分は何もやっていないのだが、さすが帷子、人財の宝庫…と誇らしい気持ちになる。
私は、たった1時間半ほどいたに過ぎないのだが、もう子どもたちはなついてきて、別れ際が寂しかった。連合会長の品川さんなどは、シナちゃんと呼ばれて子どもたちのアイドルとなっていた。
キッズクラブは、子どもたちやその親たちが、第一の受益者だと思うが、それに携わる大人たちにとっても、屈託のない子どもたちと接する良い機会になると思った。
別に、子どもらに勉強を教えるわけではない。子育てを終えた大人たちはごまんといる。そういった方々にとっても、子どもに接する喜びを享受できる機会になろう。
今後の課題は、これを今後どのように展開してゆくかだ。モデル事業にしては、あまりにも良くできているので、他の地域で同じことができるかどうか少し不安になる。
また、夏休みなどの長期休暇だけでなく、普段の日の放課後にも適用してゆけるのか、既存の小学校3年生までの児童クラブとどう住み分け、もしくは融合していけるのか…難しい課題が山積している。
ただ、何よりも嬉しいのはボランティア主体でも、ここまでできるという好事例を創ってくれたことだ。もちろん、地域団体に多くの負担をかけた点も考えなければならないが、市民参画による事業の新展開について先鞭をつけた功績は大きい。
可児市に住みだして30数年になりますが、地域のことだけでなく隣近所のことさえ何も知らずに過ごしてきました。定年になり有り余る時間をどう過ごそうかと日々悩んでいたところへ、ボランティアの募集!多少私で役に立てるかと心配しながら応募しました。実際に参加してみて子供たちとともに遊び、学ぶ楽しさであっという間に時間がたちました。子供たちから元気をもらい生活に張りができました。また、ボランティアの方たちのさまざまな能力に接することができ、素敵な人たちが可児市にたくさん見えることもわかりました。そのような方たちに囲まれ守られ30数年生活してきたのだと思いました。
機会があればボランティアに自分のできる範囲で参加したい。何かの形で地域に関わりたいと考えている方が多数見えると思います。いろいろなことを企画していただけることを期待しています。
初めてのボランティア ..8/26 7:52(金)
初めてのボランティアさん、ご投稿ありがとうございます。43名の応募されたボランティアのお一人と受け止めました。あなた様のような方が、今回の事業を支えてくださいました。ボランティアは人のためにすることだけど、それは必ず自分のためにもなることだと私も思います。限られた人生を何に使おうが自由ですが、初めてのボランティアさんのように、子どもたち、その親たち、そして新しい取組みに挑戦した帷子自治連を中心としたネットワーク、さらに新たなる課題にチャレンジした健康福祉部こども課…から感謝されつつ、自分も元気になるという生き方はとても素敵です。ぜひ、さらに新たな分野にもチャレンジしていってください。
山根 一男 ..8/28 1:47(日)
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2011年8月27日(土)
可児市議選分析
真夏の熱いたたかい可児市議選が終わってから、そろそろ1ヶ月となる。お世話になった方々へのお礼も終えていなければならない時期だが、これがなかなか終着点というものがない。
極端にいえば私に投票してくれた1590人の方全員に言いたいくらいだが、そんなことができるはずもない。公選法上、礼状などを出すことも禁じられているし、ネット上でのお礼もグレーだ。
そうこうするうちに、今まで止まっていたことや、新たな市議会での役割り、そしてもう九月議会が始まる。怒涛のように、やることが押し寄せてくる中、どうしても不義理になる方が出てきてしまう。申し訳ないが、今後の私の市政への取組みの中でお返ししてゆくしかない。
支援者の中で、今回の選挙結果を4年前(2007年)の市議選との対比の中で、分析していただいた方がいる。意外な結果で、少し気が楽になった。手前味噌になるが、お伝えしたい。
4年前と今回と、連続で立候補した方は22人の現職市議中15人だ。新人の方の得票数というのは、期待票もあり読めない。トップ当選の伊藤壽議員は、新人で2458票という得票数であった。伊藤氏は、選挙戦直前の市幹部職員からの転進で意表をつかれた。
地盤である大森にそんなに票があるとも思えない。4年前には肥田正志議員が出ているが、1696票だった。4年前と今回は、投票率が69.02 %から49.76%と、約20%も激減しているので、これは驚異的な数字だ。たぶん、市役所OBの方が相当頑張ったのだろう。それも人徳である。
新人はさておき、議員にとって選挙が通信簿のようなものだと考えた場合、4年前に比べて、今回どれくらい票を伸ばしたかということが重要である。
20%近くも投票率が落ちた中で、得票数が伸びた議員は三人しかいない。1位が川上文浩議員で122票(単純得票率対比106.19%)。2位が酒井正司議員で78票(105.63%)、そして3位は私、山根一男わずかに25票の上積み(101.60%)である。
三人に共通することは、偶然なのかブログを書いていることだ。ついでに申し訳ないがワースト3も紹介させてもらうと、1位が佐伯哲也議員−1301票(55.35%)、2位が小川ふき議員−779票(57.57%)、3位が冨田牧子議員−611票(67.18%)。
共産党は伊藤健二議員も−418票(78.72%)と票数を減らしているので、今回の選挙では二人しかいない女性議員、そして共産党議員が大きく票を減らしている。これは、何故かあの電子投票のときと似ている。(あの時は小川ふき議員と伊藤健二議員は落選)
単純に考えれば、約20%の投票率下落によって、今回の票数に138%かけた数字が前回の票数に匹敵する。
さらに細かいことだが、得票率トップの川上議員の住む広見には、前回は永井孝昌(973票で落選)元市議がおり、今回は宮嶋健太郎氏が挑戦したが587票で終わっている。
2位の酒井正司議員の住む、鳩吹台には4年前は副議長まで務めた角真一郎(1019票で落選)元市議がいた。また、鳩吹台を含む帷子小学校区でいえば、前回1222票で落選した玉置武司氏は出馬を見送った。
私の住む若葉台は、前回に続き亀谷光議員(今回2143票:前回2379票)と前出の佐伯哲也議員がいて三者とも当選した。さらに同じ小学校区の光陽台で新人の出口忠雄議員が1051票で当選している。
ただ票数だけを見ていると、私は1591票で22人中13位(4年前は19位)と中位にいるが、このように分析してみると激戦地区にあって、それなりに評価を頂いていることが分った。
投票率が激減した中、(4年前は参議院選挙と同時だった)それでも私に投票していただいた多くの市民の皆さんの期待に応えるべく、これからあと3年11ヶ月頑張っていきたい。
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2011年8月29日(月)
双子の葡萄
長い間、ぶどうを食べてきたが、こんなのは記憶にない。ぶどうの房がくっいているのである。枝(?)の部分は一ヶ所なので、ひとつの枝に房が二つついていたことになる。雪だるまのような珍しいぶどうだったが、食べてやった。
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2011年8月30日(火)
第6回いじめ防止第三者機関検討委員会傍聴
19時から、可児市役所向かいの総合会館4階で開催された、いじめ防止第三者機関検討委員会を傍聴した。久々である。第1回目か2回目を傍聴した記憶があるが、それ以来だ。
この委員会は、市長公約でもある学校現場からいじめをなくすための第三者機関をつくることを検討するものである。今日が、市長への答申案をまとめる最終回になる可能性が高いということで、かなり忙しかったが傍聴することにした。
傍聴者は私を含めて5人、議員は私ひとりだった。市議会の委員会審議などでもここ数年議員以外の傍聴者があった記憶がないので、5人というのはすごい数なのだ。
ひょっとして、市議会も平日夜7時からとかにすると傍聴者が増えるかもしれない。
検討会のメンバーは6名、中部学院大学こども学部教授の喜多一憲氏他スクールカウンセラー等、男性1名女性4名。特筆すべきは、冨田市長が最初から最後まで話し合いに参加し、最後には傍聴者に向かって、今日は意見が言えなかったでしょが、何かご意見があれば直接私に言ってほしいと言われた。
多くの首長は最初の挨拶だけして、後日答申案を受け取るだけ…というのが普通だろう。まして、トップが傍聴者まで気にかけ、声をかけるというのとはほとんど有り得ない。市民を大切にする市長の人柄を感じた。
結局、いじめ防止第三者機関設置に関する提言書は、数ヶ所の修正のみで認められ、今回で検討委員会の役割りは終了した。あとは、正式に市長に答申し、いよいよいじめ防止第三者委員会が立ち上がることになろう。
内容的には特に新鮮味は感じられなかったが、市民主導で約半年に渡って検討するというプロセスが重要だと思った。ただ、現状では絵に描いたプランにすぎないので、しっかりとした人選をして、この委員会が可児市から不幸ないじめを駆逐してくれることを願っている。
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2011年8月31日(水)
薬師寺管主山田法胤師講演
午後1時からアーラ(可児市文化創造センター)小劇場にて、法相宗大本山 薬師寺管主山田法胤師の講演があった。5月に開校した、岐阜コミュニティ創造大学の主催である。
岐阜コミュニティ創造大学は、私が理事&事務局長を務めるNPO法人NPOなんでもサポートセンター岐阜の事業として進めているので、自分は主催者に近いところにいるが、岐阜コミュニティ創造大学は、スタッフが豊富なので、議会も近いことから失礼していた。
小劇場は約300人が定員だが、1F席はあらかた埋っていてほっとした。お坊さんのお話をお寺以外で聴くというのは珍しいが、薬師寺ともなるとちょっと違うようである。
山田法胤師は昭和15年生まれ、岐阜県の根尾村(当時)のご出身。普通の家に生まれ55年前に薬師寺に入ったが、、その後管主にまで上り詰められた。
薬師寺は西暦680年ころの建立という。岐阜県というか、美濃の国との関係も深い。初めて知ったが薬師寺とか東大寺、法隆寺といった奈良のお寺は檀家が無く、葬式もやらないそうだ。
いわば全国民が檀家のようなもので、歴史上天皇家ともつながりがあるようで、10月には管主以下40人ほどで伊勢神宮にお参りに行くと聞いてびっくりした。神仏分離というのは明治以降のことで、その昔は密接な関係があったのだろう。
本日のテーマは『人生の生き方〜日本のこころ〜』ということであったが、法胤師の軽妙な話術のそこここに、こころに響く一言がちりばめられていた。
良い話を聴けた。終了後、一般質問の通告書を議会事務局に出しに行った。今日の16時が締切り。私は13番目だった。いよいよ、明日9月1日から九月定例議会が始まる。
忙しいのですね。東北の状況、千東さんのカメラ(カニバラ)で見ました。議員だとちらちらとしか写して貰えないのですね残念。
山田法胤師は昭和15年生まれ、岐阜県の根尾村(当時)のご出身。これにはびっくり私も
昭和15年9月18日に岐阜県の根尾村下大須で出生。根尾は広いけど薬師寺管主になるまでの生きざまを知りたい気分です。 来月には
先日の一宮で白鴎大学の福岡教授が講演されるみたいですが、行かれますか(期日は知りません)先日より3倍くらいの人間が集まるとおもいます、ご検討ください。
サンデー
..9/4 12:01(日)
サンデーさん、山田法胤師と同郷、同年代とはびっくりです。福岡教授の話は、日程が合えばぜひお願いします。
山根 一男 ..9/5 4:38(月)
>> 返信
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