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2011年5月21日(土)
第17回若葉台よもやま大学終了
おや?と思われた方もいるだろう。若葉台よもやま大学『特攻の真実と平和』講演会は5月22日(日曜日)に終了した。このブログの構造上、一日に複数のコマは入れられない。
したがって、一日のうちに書きたいことが二つも三つもあると困る。同じコマに入れると長くなり過ぎ、関連性のない出来事をひとつのタイトルでくくることもできない。
それで、22日のことを21日のスペースに書くことをお許しいただきたい。時系列でいくと22日のコマに書いた『復興支援ボランティアバス』が、この若葉台よもやま大学より先に来る。
若葉台よもやま大学は、4年前から地元若葉台の数人で始めた。高齢化最先端の団地若葉台では、アーラ(可児市文化創造センター)はおろか、地元の帷子公民館でさえ遠くて足が運べないという方が大勢見える。
65歳以上の方だけでも1100人以上いる。この中で、老人会(光寿会という)には行っておられるのはせいぜい50名ほどなので、ほとんどの方はそれぞれに生活されている。
シルバー生活を謳歌されている方も大勢おられると思うが、独居の方も100名以上おられ、中には孤立しておられる方もいると思う。それで、いろいろなテーマで(よもやまとは四方八方という意味)それぞれの方が興味を持たれそうな講演や演奏会を、歩いて行ける集会場で行うことを続けている。
それが『
若葉台よもやま大学
』だ。生涯学習の一貫とも言えるが、完全な民間ベースだし、会場が自治会の集会所であり自由がきく。当初は夜開催することが多かったので、イベント終了後に飲み会をセットしていた。学習というよりも、交流を主眼に置いている。
初年度は、市のまちづくり振興助成金5万円をもらっていたので、年8回というペースだったが、昨年からはすべて開催協力金300円の中でやるようになり、今年はこれが第一回目だ。
どれくらいの方が来てくれるか、皆目検討がつかなかったが、何回もやっているとある種、直感のようなものが働く。それにしたがって椅子を並べると、不思議なことにたいがいその通りに人が集まる。
集会所といっても、若葉台の場合は人口が3200人あり、小さなまちの公民館くらいの大きさである。希望は100名以上だったが、100名を超えたのはオペラコンサートのときだけで、講演会では50名を超えることはなかった。
50〜60名くらいかと思ったら59名、スタッフ入れて63名だった。テーマが『特攻の真実と平和』ということで、今までになく男性層が多かった。
メディアもケーブルテレビ可児、中日・岐阜新聞と取材に来てくれた。中学校の校長先生や青少年育成市民会議の代表の方も来ていただいた。県議の村上こうしさんや衆議院議員の今井雅人さんも来てくださった。いつになく多彩な方に来ていただき嬉しかった。
私もこれまでに数多くの講演会やシンポジウムの司会をやってきたが、86歳というご高齢の講師は初めてだった。その板津忠正さんのお話は、年若くして散っていった多くの特攻隊員のそれぞれのエピソードや時世の句の暗唱、遺書の朗読など…まるで講談師のように興味深い話が続く。
2時間近く、こちらから休憩を入れましょうと言うまで、ずっと立ったままで話し続けられた。実戦の話や不時着の状況、知覧特攻平和会館設立の苦労話など、すべて実際に体験されてきた話なので重みがあった。
特攻隊員を応援していた地元の知覧高等女学校の女性徒が、想いがつのって憧れの特攻隊員の飛行機に紛れ込んで、一緒に死のうとしたことなど、映画の題材にでもなりそうな実話を披露してくださった。
当時のパネル写真や遺書のコピーなど、多くの資料も貸していただいたので会場は、まるで知覧の特攻平和会館が引っ越してきたかのような賑わいだった。60名ほどの中ですでに知覧特攻平和会館に行ったことのある方が10名ほどいたのには驚いた。
この日は、朝8時過ぎに被災地宮城県岩沼市から帰ってきて、家に帰る間もなく軽トラを調達して、手伝いの人とともに帷子公民館に舞台を借りに行った。舞台を返しに行った頃には17時を少し回っていた。当面の課題がひとつ終わった…。
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