++山根一男の徒然日記++
山根一男HP 〜やまネット〜

山根一男掲示板

8月 31日(月) まさか…こんなことが
8月 30日(日) 決算質疑提出締めまで、あと9時間(*_*;
8月 29日(土) 歴代最悪、安倍首相 退陣
8月 28日(金) 新型コロナ対策 市営住宅 調査
8月 27日(木) 福祉支援
8月 26日(水) 人財発掘塾 GO!
8月 25日(火) 明智光秀ゆかりのまち議員連盟 GO!
8月 24日(月) 今日から36日間 9月議会
8月 23日(日) 人生サロン イノベーターの条件
8月 22日(土) ロードサポート 草刈りボランティア募集
2020年 8月
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 2020年8月5日(水)
 余命1週間
 明日は臨時議会、可児市内の全小中学生にタブレ教員にタブレット端末(購入台数8618台)を貸与するため、岐阜市内の業者から6億4467万7千円で購入契約することの可否や、今後1年間の議会内の役職等を決める議会である。 
 
 このタイミングで熊本市内の緩和ケア病院に入院している妹が、強い睡眠導入剤の投与により昏睡状態に陥ったとの連絡が入った。末期がんであまりにも痛みが酷いので睡眠導入剤を投与して来たが、通常の量では効かなくなってしまっているようだ。 
 
 昨年10月頃に余命1年あるかないかと聞かされ、なんとか手立てはないかと心を砕いてきたが、すでに全身に転移しており本人も覚悟を決めていたようだった。 
 
 妹は25年くらい前、まだ乳飲み子がいたころに乳がんを患い、その時は自分の親友で東洋医学を専攻している鍼灸師を紹介し、1か月以上東京で治療した結果全快した。 
 
 今回もその友人にも連絡をとったがコロナ禍もあり、会わせることができなかった、代わりにその友人が尊敬する熊本の著名な鍼灸師を紹介できたが、一度診てもらっただけで続かなかった。もうすでに手遅れだったのかもしれない。 
 

 妹はわけあって、この写真(57年くらい昔の写真)の直後くらいから、別々で暮らしてきた。20年前に父親が亡くなり、一昨年母親が亡くなり…地球上で自分と一番近いDNAを持つ妹が先立とうとしている。兄らしいことは何もできていない。 
 
 熊本の病院までは947q、コロナの影響で夫でさえ面会謝絶とのこと。今は息子が24時間付き添っている。遠く離れて、ただ命が尽きるのを待つしかないのだろうか…
 

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 2020年8月6日(木)
 副議長選 4度目の落選
 今日は午前9時から臨時議会。可児市議会における8月の臨時議会は、人事議会の色彩が濃い。4年に一度の選挙が7月末にあり、8月のお盆前に臨時議会を招集して、まずは役職を決めるのだ。 
 
 議長も副議長も、本来は4年務めても良いのだが、慣例で8月臨時議会で辞表を出し、次の人に変わる。今日がその日だ。議長・副議長は立候補制をとっており、私は副議長選に立候補していた。 
 
 実に4度目だ、議員として6期目16年も務めているのに、まだ副議長は務めていない。少人数会派にとって、議長・副議長はおろか4つある常任委員長ポスト、議会運営委員長ポストもかなり厳しい。 
 
 今回、議長選に立候補していたのは亀谷光議員(9期目:自由民主クラブ2名)と澤野 伸議員(4期目:会派きずな5名) 
 
 副議長選に立候補していたのは私、山根一男(6期目:立憲民主党市民の声2名)と田原 里香議員(2期目:会派きずな5名) 
 
 結果は議長選が亀谷 光議員7票:澤野 伸議員15票。(澤野 伸議員の議長就任は3回目、亀谷 光議員はまだ一度もない。) 
 
 副議長選は山根 一男7票:田原 里香議員11票、無効票(白票)4票。 
 
 会派きずなは、現在可児市議会の中では最大会派5名、次に多いのは可児未来の3名、あとは2名の会派が6つと無所属議員が2名で合計22名。 
 
 今回も思い知ったのは会派単位で票を入れるということ、基礎票が5票ある最大会派は圧倒的に有利となる。 
 
 議長・副議長人事だけでなく、今日は4つの常任委員会(予算決算・総務企画・建設市民・教育福祉)の正副委員長と議会運営委員会正副、広報広聴協議会の広報・広聴両部会の正副部会長決めと16時ころまでかかった。 
 
 結局、私は広聴部会長となった。コロナ禍で滞っている議会報告会や地域課題懇談会、高校生議会などを担当する部会だ。かなりやりがいがありそう。 
 
 副議長選も今度こそはという思いがあったが、まだまだ自分の評価が低いことを知った。白票が4票あるというのも異例で、不徳のいたすところだ。さらに精進して来年もう一度チャレンジしたい。 
 
 別に名誉や権威が欲しいわけではない。選挙で有利になりたいわけでもない。長年可児市議会に身を置くものとして、一度は副議長として議会に貢献したいだけなのだ。義務だと思っている。
 

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 2020年8月15日(土)
 妹の死(その1)

 8月7日に妹はあの世に旅立ちました。覚悟はしていたものの…自分とこの世で一番近い人が亡くなるということことの寂しさはことの他大きい。 
 
 2年前に母親が逝ってから、後を追うように今度は、60歳の妹に先立たれるというのは辛い。 
 
 妹は28年前にも、同じ乳がんで生死の境をさ迷ったことがある。その時も抗がん剤やコバルト治療を嫌がり、私は兄として出来る最大限のことをした。 
 

 幼い頃、父母が離婚し、私は父親につき、妹は母親についた。父親は兄妹とも引き取ろうしたが、4歳の妹は、父の手を振りほどき、母親の元に走ったのだという。兄弟が分かたれるというのは悲しい。妹と生活したのはほんのわずかな期間しかない。 
 
 母親についた妹は、経済的にも相当苦労したようだ。父親に対しては憎しみを抱いていたという。ただ、自分ががんと分かった時に、もう一度父親に会いたいと希望した。 
 
 何かの言い伝えなのか、妹は、父親に浴衣の帯を買ってもらったら…憎しみは消えると思い込んでいた。 
 
 父親に妹ががんであることを伝え、妹を熊本から呼び寄せ、当時は埼玉県に住んでいたので、上野の西郷像の前で28年ぶりの父親と妹の対面を果たした。 
 
 それは、まるで映画のワンシーンのようで一生忘れらない光景だった。その後、上野の松坂屋で浴衣の帯を買い父親は妹に手渡した。 
 
 その後、2ヶ月ほど妹を東京に滞在させ、大学時代の親友で、東洋医学の道に進んだ鍼灸師の友人を紹介し、様々な施術で妹のがんは良くなっていった。 
 
 その友人は、今でも西荻窪で鍼灸院をやっているが、コバルトで焼き尽くされてなければ、がんは直せるという。妹は熊本大学医学部の病院にいたときは、先生はろくに話を聴いてくれなかったが、友人は最初に2時間もかけて話を聴いてくれたという。 
 
 兄の親友ということでの安心感もあったのだろう。食べ物や針灸、飲尿療法などあらゆる療法を用いて、体を切ったりはったりすることなく回復に向かった。父親に対する憎しみが消えたことも大きかったかと思う。 
 
 5年後、熊本大学医学部病院で、妹と同じ部屋に入院していた、他の患者は亡くなってしまった中、妹は完全にがん細胞は消えていた。 
 

 長くなってしまったので、今日はここまでにしたい。左の写真は、41年前(妹は19歳)大学の学園祭に妹が来てくれた(その当時、妹は一時的に神戸そごうに勤めていた)ときの写真。大学は大阪経済大学。 
 
 

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 2020年8月16日(日)
 妹の死(その2:完)
 妹は8月5日頃から昏睡状態となっていた。ただそれは症状ではなく、あまりにも痛みが酷いのでより強い睡眠導入剤を投与しているからだという。 
 
 いずれにしてももう長くはない。せめて死に目に会えないかと病院に交渉したが、コロナ禍の中、親族でも見舞いはできないという。妹の夫も許可されていない。泊まり込みで付き添っている妹の息子だけが傍にいられる。 
 
 緩和ケア病院だというのに…かなり厳しい制限をされている。7日の朝に、病院の先生からそのような電話をもらった。亡くなるのはいつか分からないが、会えるのは病院ではなく葬儀場であることを覚悟して九州に向かうことにした。 
 
 公共交通を使うのに不安があったのと、現地での足を確保するためにも970kmの道のりを車で行くことに決めていた。ただ、出発間際の7日夕方に死去したことを告げられた。 
 
 早かった。現地で1週間くらい滞在することも想定していたが、あっけなかった。飛行機で行くことも考えたが、いずれにしても会えるのは葬儀場しかないので8日のお通夜に間に合うよう涙をこらえて走った。 
 
葬儀場のある熊本県宇城市(うきし)三角(みすみ)町は、私の生まれ故郷でもある。ただし、そこは母親の実家であり、お産のため一時産みに帰ったということなのだと思う。 
 
 天草五橋の1号橋のたもとで、昔は海運で栄えた町だ。2年前に母が亡くなり、実家も売り払われてしまったので、もう三角に行くことはお墓参りくらいしかないと思っていた。 
 

 8日の17時からお通夜式だった。コロナ禍の中、質素なものとなったが…その後も21時ころまで、近隣の方の参列が絶えなかった、妹は母と三角のまちで小さなカフェ等をやっていた時期があり、看板娘だった妹は明るい性格で地域の方からも慕われていたようだ。 
 
 最後の夜は、妹のご主人と息子、私の三人で過ごした、朝食は息子さんが妹の好物をコンビニで買ってきて、棺の前で一緒に食べた。 
 
9日13時から告別式〜出棺〜火葬となり16時頃熊本を出て帰途に就いた。父は約20年前に64歳で亡くなっている。一昨年母親が他界し、今妹がお骨になった。死というのを今まで以上に意識する。父親が亡くなった歳まで、あと1年しかない。 
 
 悲しみと焦りの感情の中で、覚悟を覚える。私は、これまで病気やケガで入院したことがない。それどころか歯医者や耳鼻科、眼科以外で医者にかかった覚えはほとんどない。 
 
 九死に一生を得たような、交通事故や外国旅行で恐い目に遭ったことはあるが、なんとか無事に生きてきている。 
 
 私には根拠のない自信があって、自分がこの社会に対して役割りがある限り死ぬことはない…ということだ。その役割とは何か、これもずっと探し求めているが、明確な答えはでていない。 
 
 漠然と思っているのは『市民活動と政治活動の融合』ということだ。どちらもこの社会をより良く変えてゆく活動だと思うのだが、必ずしもうまくは行ってないという思いがある。その両方を経験している自分には何かしら貢献できることがあるはずだと考えている。 
 
 妹の死を乗り越えて、早くに逝った妹の分まで生きていきたい。それもただ生きるのではなく、社会に何かしらの貢献をしながら自分の存在を燃え尽きるまで前に進もう。 
 
 そんなことをあれこれ考えながら、九州〜関門トンネルを抜け、下関〜長門〜萩〜益田〜浜田〜江津〜大田〜出雲〜松江〜米子〜鳥取〜余部〜豊岡〜京丹後〜宮津〜舞鶴〜小浜〜高島〜長浜〜関ケ原〜大垣〜岐阜〜可児と 
 

 日本海に沿って、ほぼ2日がかりで可児まで帰って来た。途中、出雲大社にもお参りできた。美しい海を見ながら、運転が好きで旅が好きな私にとっては悲しみを、次に続けるエネルギーに変換する貴重な時間となった。 
 
 奇しくもこのコースは、今から45年ほど前、18歳の時に鹿児島から埼玉まで、18日間かけて自転車で走り抜けたコースとほぼかぶっている。まだまだ、やり足りないことはいっぱいある。過去に捉われている時間はない。自分のできる最大限にチャレンジしていきたい。生かされているうちに…  
 
 

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 2020年8月19日(水)
 生みの苦しみ
 恥ずかし話だが…ここ数日生みの苦しみが続いている。年に4回この時期はある。もう少し計画的にスパッといきたいものだが、どうしてもぎりぎりまでもつれ込んでしまう。 
 
 いつもひやひやするが…最終的には何とかなる。否、何とかする。それが自信というものだろうか? 
 
 何のことかというと、あと2日、8月21日(金)午前11時に迫っている議会一般質問通告締め切りだ。正式な通告書のフォーマットに、ある程度詳細な質問項目も含めて文書で議会事務局に出さなければならない。 
 
 議員になってから16年ほど、必ず2問以上の質問を出すようにしている。回数にして六十数回、一般質問は各議会ごとに可能で年に4回チャンスがある。私はこれを議員としての最低限の務めと考える。 
 
 ただ、一度でも欠かしたら…多分、2回に1回でいいとか…年に1回でいいとかだんだんやらなくなってしまうと思う。 
 
 議会の役割りとして行政のチェック機能があげられるが、一般質問が多いほどチェック機能は果たされることになる。執行部にとっては、議会一般質問で取り上げられることは、かなり緊張感を伴うものだと思う。 
 
 ただし、一般質問にもいろいろあって、執行部追求型や提案型、あるいは執行部礼賛型(?)もある。要領のいい議員は、ほぼ実現が見えてる事業の提案をして、さも自分の質問で実現したように言う人もいるかもしれない。 
 
 いずれにしても、行政の事務事業を多くの人の目に触れさせる、あるいは事業化しないことを暗に示したりするので、いい面でも悪い面でも行政のやっていること、考え方などを衆知させることになる。 
 
 議員として最初の頃は、一般質問のテーマはいくらでも浮かんで来て、毎回4問ずつしていた。ちょうど山田市政の頃で、私も2期目を途中で止めて、山田市政の4期目阻止に立候補したぐらいなので、意気軒高で追及型の質問が多かったように思う。 
 
 ところが冨田市政になってから、少しスローダウンした。質問は原則2問、たまに3問のときがあるくらい。少し手ぬるいと指摘されたこともあったが…セクハラの問題とか、豪雨災害の課題とか場合によっては厳しい質問もしてきた。 
 
 だんだんベテランに近くなってくると、決してネタがなくなることはないのだが、それなりの質問をしようとしてハードルを上げてしまうのかもしれない。 
 
 おまけに今回は、新型コロナウイルスの感染防止の観点から、質問時間が通常の1時間から40分に短縮されている。短めの質問をということになる。 
 
 防災に関することと、生活困窮に関することをやる予定だが、まだまとまっていない。実はその前に、明日、広報広聴運営委員会があり、広聴部会の責任者として、この1年間のビジョンなどをまとめる作業もあり…、まずはそちらを片付けてから…となると、あとはまとめるのは明日の午後と夜しかない。 
 
 21日(金)になることはほぼ確定だが、なるべく早い時間に提出するつもりだ。
 

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 2020年8月20日(木)
 午前中会議4つ・午後はヒアリング10件
 市会議員(市議会議員)の仕事は、文字通り会議ではないかと感じることがある。午前9時から、議会運営委員会・議会全員協議会・正副委員長会議(傍聴)・広報広聴運営会議と4つ連続で会議。12時を回っていた。 
 
 もちろんどれも重要な会議で、議会運営委員会(略して議運)と議会全員協議会(略して全協)は、来週24日月曜日から始まる、可児市議会9月定例会の議案等の説明で、広報広聴運営会議は、この8月に改選があり私は広聴部会の部会長として、この1年どのような方針で臨むかという意思表示・意見交換の場だ。 
 
 内容に触れたいが、まだ一般質問の通告書が仕上がっていないので、またの機会にしたい。 
 
 午後からは、私としては短時間としては最多、10部署にヒアリングをかけた。電話だけのところもあるし、電話してお会いした部署もある。 
 
 福祉支援課・国民年金課・収納課・税務課・介護保険課・施設住宅課・上下水道料金課・防災安全課・特別定額給付金室…基本的に課長と話す。課長が休みの時は係長。 
 
 実際に、一般質問の答弁に立つのは部長や市長だから、最初から部長と話せばいいのかもしれないが…たしか議員に成りたてのころに先輩議員から教わったように思う。まず課長と話すこと。 
 
 答弁の原稿まで課長がつくるのかどうかは知らないが、課長に聴くのが一番良いと思う。今日みたいに10人も短時間に話を聴くと、それぞれに個性があり面白い。もちろん、管理職だけあってそれぞれに見識の高い人たちだ。 
 
 なぜ、そんなに他部署にまたがったかというと、質問のテーマを新型コロナに関連して『生活に困っている世帯や個人等に対する支援』の現状がどうかということを確認したかったからだ。 
 
 ただ、情報が多く多岐にまたがると、それをどう整理して、どのような訴えに結論付けてゆくのか…悩むことになる。 
 
 もう一つは大災害に備えて、ソフト面でどのような準備をしているのか? 
というようなこと、ソフト面とは物資や土木建築等ではなく、人的交流や他組織との連携(協定)など、どのような備えをしているか…というようなこと。 
 
 イメージはできているのだが、それを文言に落とし込む作業が進まない。もう0時を回ってしまった。締め切りまであと11時間。今夜は寝る時間がないかもしれない…
 

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 2020年8月21日(金)
 生活に困っている世帯や人等に対する支援は
 昨夜は午前4時までかかったが、一般質問通告書を仕上げた。『生活に困っている世帯や人等に対する支援はできているか』というテーマだ。 
 
 通常なら、その後、2本目の質問通告書を仕上げるので、たいがい午前6時くらいになっていたが…1本目を仕上げたときに、けっこう大きな質問になっていた。 
 
 大きな質問とは、内容が多岐にまたがったり質問項目が多くて、質疑応答に時間を要する質問だ。『生活に困っている…』質問項目は9つあり、特別定額給付金のことや税、国保、市営住宅、上下水道など管轄する部署数が多い。 
 
 おまけに、新型コロナ対策に関連して、今回に限り申し合わせで、通常1時間のところ40分間で、一般質問を完結しなければならないという条件がある。 
 
 もう1問大規模災害時の対応策についての質問を考えていたが、それをやると時間が足りなくなる可能性が高い。 
 
 苦渋の選択である、というのはこれまで六十数回一般質問をしてきたが、質問項目が1件だけというのは1度もない。最低2問の質問を常としてきた。というのも1問だけでは、時間も短いし、いかにも議会だよりに載せるため…みたいな印象を受ける。 
 
 もちろん1問でも内容を濃くすればいいのだが、自分としては2問以上にこだわり、なかば習慣になっていた。 
 
 でも、これまでの経験からも、今回の『生活に困っている…』質問は、30分以内では収まらない。40分がぎりぎりなところだ。 
 
 ついに1問だけを決意して、午前4時に床についた。ふと思ったことが、1問だけならかなり楽だな…ということだ。 
  
 今日の午前11時が一般質問の通告締め切りだ。これもずっと以前は17時15分だった。それが12時になり、ぎりぎりに出す人が多いということで11時になった。それも11時きっかりではなく、事務局がチェックする時間を考慮して、遅くとも10時半くらいには出さなければならない雰囲気がある。 
 
 いつもぎりぎりだと叱られてきたが…叱るなら出さない人を叱ってほしいと思いつつ、今日はいつもより若干早く10時10分頃に出せた。 
 
 これで7番目ということだ。少ない!議員は22人いるのだ。新人議員など数名が提出はしたものの、チェックが入り文言の修正などで受理されていないケースがあり、私の後に3人ほどいるようだ。それでも10人。 
 
 ともあれ、出せてほっとした。これで後は9月3日(木)・4日(金)の一般質問本番に向けて、さらに質問の内容を高め原稿をつくる。7番目というのは微妙だが、おそらく3日の15時以降になると踏んでいる。
 

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 2020年8月22日(土)
 ロードサポート 草刈りボランティア募集
 ずっと気になっていたのだが…もう、がまんならなくて、草刈りをした。場所は、西可児駅方面から若葉台の入り口の坂道だ。以前にも何度か草刈りや枯れ葉掃除をしたことがある。 
 
 草が道路脇にはみ出て危険を感じるレベルだ。山側から垂れ下がった笹や木の枝も気になる。落ち葉が堆積し、道路幅を狭めている。このような道はこのあたりには随所にあるが、他ならぬ自分が住んでいる団地の玄関口にあたる場所だ。 
 
 こんなとき、議員なら市にかけあって草刈りを要請するのだろうが、私はこの程度のことで税金を使って草刈りをさせるのには抵抗がある。草はすぐに伸びるものだし、まずは地元でやれることはやるべきだ。 
 
 ほんの1時間くらいだが、一番気になるところは刈れた。ちょうど地主の方にも会えて、刈った草や枝を敷地内に捨てることの許可ももらった。 
 
 実は、私は大の草刈り好きで、特に人目の多い所に草が生えていると刈りたくなる。まして自分の住んでいる近隣とか、駅前とかが草ぼうぼうだと、そこに住んでいる人の意識まで疑われそうでいやなのだ。 
 

 まさに、その駅前、西可児駅前のロータリーも気になる。都会から来た人が、西可児駅に降り立ったら、草深い田舎に来たなと感じるだろう。荒れたイメージでもある。 
 
 西可児駅から、広陵中学校へ、さらに岐阜医療科学大学に続く通学路も、だいぶ草深くなってきた。5月頃にはけっこうきれいにしたのだが、やはりこの時期は草の成長が早い。 
 
 可児市の中心街、下恵土の大きなホームセンターの回りも気になる。セイタカアワダチソウだろうか人の背丈くらいに伸びている。団地だと、たとえ市道でも自分の家の前の道路くらいはきれいにするものだが、商業地だとそうでもない。ただ、ホンダベルノの店の前はきれいだ。 
 
 いつも車に草刈りの道具は積んである。しかし、草刈りはできても一人では、西可児駅周辺くらいが精いっぱいだ。 
 
 議員であれば、自分だけでやるのではなくて、地域や市全体で草刈りをするような仕組みをつくることが大事だとは思うのだが…、西可児駅周辺を美しくする会は、そのような思いで10年以上前に立ち上げたのだが、いまだに大きな動きにはなっていない。 
 
 ひとえに自分の力不足だと思うのだが、草の成長は待ってくれない。時間ができたときに気になったところからやる。たいがい夕方近くだ、自分の畑仕事や、西可児駅前と西可児中下の花壇への水やりもあるので、結構忙しい。 
 
 ただ、考えようによっては、議員にはたとえ何もしなくても歳費が支払われている。可児市議で月40万円。余った時間で草刈りをしても、それはボランティアというより仕事と考えても良いと思う。 
 
 草刈りをするために議員に選んだんじゃない…そんな暇があれば、政策をつくれ、行政をチェックせよ…と怒られそうだが。無論、私も草刈りばかりしているわけではない。ほんの夕飯前の仕事だ。 
 
 たぶん、私と同じように草が気になる方もいると思うのだが、なかなか一人ではやれなかったり、刈った草の処理なども大変なので二の足を踏まれているのだろう。 
 
 そこで、もし私と同じような思いをしている方、一緒にやれるタイミングがあればやりませんか?ライングループとか作って、草刈りをやれるときに、一緒にやれる人がつながってやる。二人になるだけでも、ずいぶん効率が良くなると思う。有志の方あれば電話ください(090−1821−4777山根)
 

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 2020年8月23日(日)
 人生サロン イノベーターの条件
 『人生サロン』という、いささか重い名前のイベントに行った。正式には信雄とノン子の人生サロンという、主催者の大島信子さんがこれまでの人生の経験やネットワークをフルに活かして、毎月1度第4日曜日のお昼前後に開催している。 
 
 場所は、国道21号線、可児から土岐方面に向かい御嵩を過ぎて瑞浪市に入ってすぐ鬼岩ドライブインと呼ばれる、車のパーキングエリアみたいなところの一番奥『やすいや』という店舗である。 
 
 以前は食べ物屋をやっていたのだろうが、ほぼ廃業した感じで月に1度、この人生サロンのときだけ店を開けるということになると思う。 
 

 『大道芸劇場』とも謳っている。今日もウクレレ演奏や、ガマの油売りの芸を披露した方、落語をされた方…皆プロはだしだ。 
 
 参加者も大島信子さん、通称ノン子さんの人脈で遠く一宮や多治見からも来られる。私もノン子さんも知り合いだが、お世話になっている人が出演している関係で毎回といっても今回が3回目くらいだ。 
 
 コロナ禍で休止していたが先月から再開され、今日が再開2回目だ。先月の開催以降、またコロナの感染が気がかりな様相だが、三密を避けるように様々に工夫し、そもそもそれほど多くは集まらない。せいぜい10名前後。 
 
 先月も今月も、出演者はコロナ禍以前から4か月とか5か月ぶりに、人前で芸を披露するという。ギャラも払える人数ではない(参加費は無料…だが、食べた分くらいは払う) 
 

 でも一応に嬉しそうだ。落語や詩吟、講談にしても、やはり人前で披露することが演芸や演奏する方の生きがいなんだと強く思った。 
 
 コロナ禍の現在、人を集めること、集まって話すこと、歌うこと自体が悪に見られる雰囲気がある。自粛警察という言葉もある。「何もしないのが美徳」「誰とも会わないことが正義」みたいな風潮はないだろうか? 
 
 コロナ禍というが、これはコロナ戦争だと思う。戦争という言葉は好きではないので、あまり使いたくはないが、人類に仕掛けられた目に見えない侵略戦争なのだと思う。 
 
 負けてはいけない。人類が皆、何もしない、誰とも会わない…となれば、その発展は終わる。無論、無理はいけない。必要最小限でいい。感染症防止策をしっかりとって新たなことを起そうとする人を、支えられる人は支えるべきだ。 
 
 もちろん、今は何もしたくない、どこにも行きたくない、誰にも会いたくない…という方に無理強いすることはない。ただ、何かしようとする人の足を引っ張ることはしてほしくない。動きたくないひとは、動きたくなるまで静観していてほしい。 
 
 いつだって、世の中動かそうというイノベーターは100人のうちせいぜい2〜3人、それを支える人が数人から十数人、逆に何でも反対し足を引っ張る人も数人、そうだそうだとけしかける人が数人から、十数人。 
  
 間の50人〜70人はどっちでもいい、もしくは無関心。これはコロナに関係なく、常にそういうものだと思っている。でもイノベーターの数人ががんばっていくので、世の中は少しずつでも良い方向に向かうのだと思う。 
 
 自分は、ずっとイノベーターか、もしくはイノベーターを支える数人のうちの一人でありたいと思って行動している。
 

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 2020年8月24日(月)
 今日から36日間 9月議会
 今日から可児市議会9月定例会が始まった。最終日は9月28日で、36日間ある。 
 
たぶんよその議会に比べても、長い方だと思う。といってもその間、毎日会議があるわけではない。特に議場を使って行われる「本会議」というのは、36日間のうち4日間くらいしかない。 
 
 初日の今日と、9月3日・4日の一般質問、9月28日の最終日、採決の日だ。 
 
ところが、コロナ禍で議会も密にしてはいけないという考えから、これまで会議室でやっていた予算決算委員会と議会全員協議会を、議場でやるようになった。ちょうど私の席がそうだが、議場に机を持ち込んで、議員と議員の間に空席をつくった格好だ。 
 
 議場(本会議場)は、どこの市役所でもそうだと思うが、庁舎の上層階にあって一番立派な部屋だ。何が立派なのか…たいがい絨毯張りになっている。 
 
 議員は入る時、出るときに一礼をすることが慣行となっている。ある意味、神聖な場所という位置づけがあると言わざるを得ない。そんな立派な議場も、これまでは1議会4日間プラス臨時議会1日として、年間17日しか使われてなかった。 
 
 まあ、可児市議会の場合は、他に高校生議会、子育て世代議会(ママさん議会)、小学生議会などで数日使うことはあった。 
 
 それが、コロナ禍が原因ではあるが、かなり利用する日数が増えた。今日の本会議は、ほぼ議案説明だけなので45分で終わったが、その後の予算決算委員会は、同じ本会議場で16時過ぎまで続いた。 
 
 明日、明後日まで予算決算委員会で、一般会計・特別会計・企業会計まで含めると約633億円になる可児市令和元年度決算の説明がある。 
 
 あくまでも説明だけで、ごく単純な質問以外は8月31日までに電子データにまとめて、決算質疑として提出することになっている。 
 
 その決算質疑にたいする、執行部の回答を訊くのが9月7日・8日で、決算認定について分野別(総務企画・建設市民・教育福祉)に分かれて、協議するのが9月10・11・14日、予算決算委員会として討論・採決するのが15日となっている。 
 
 9月議会の日程が長くなるのは、この決算審議にかなり日数をかけるからだ。よその議会のことは分からないが、決算審議に時間をかけるのは可児市議会の特色になっていて、今はコロナでお休み中だが、全国からの視察対応では各議会から感心された。 
 
 もちろん完ぺきというわけではなく、633億円もの市の支出をチェックするのに十分だとは言えないかもしれないが…かなり改善はされてきている。以前は、決算審査は9月議会ではなく12月議会だった。決算質疑も、有志議員がするだけだった。 
 
 ともあれ、これからしばらくは決算審議のために数百ページはある決算資料の読み込みやヒアリング、条例改正案や請願・陳情に対する考察・審議、9月3日か4日に行われる一般質問の原稿づくりなど…忙しい日々となる。  
 
 

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 2020年8月25日(火)
 明智光秀ゆかりのまち議員連盟 GO!
 議会中であるが、先週末から今週にかけて…コロナ禍に阻まれて、一度は諦めかけていたプロジェクトに相次いでGOサインが出た。 
 
 一つは岐阜県明智光秀ゆかりのまち議員連盟(以下、議連)の設立。今年1月頃から3月にかけて、大河ドラマ『麒麟がくる』の人気を背景に、可児市をはじめ、明智光秀にゆかりがあると名乗りを上げている8市町の議員でつくる議員連盟だ。 
 
 8市町とは、可児市の他、岐阜市・大垣市・山県市・恵那市・瑞浪市・土岐市・御嵩町だ。この8市町は、岐阜県大河ドラマ「麒麟がくる」推進協議会として、昨年から協議会をつくり共通のパンフレッツトなどをつくっている。 
 
 だが、行政同士、あるいは首長同士のつながりはあるが、議員同士はつながりも交流もない。そこで、明智光秀を共通のテーマとして、観光やまちづくりを企てている市町の議員同士、情報交換しながら互いに郷土のために汗を流そうという趣旨で動き始めた。 
 
 言い出しっぺは、先輩議員の亀谷 光議員だ。昨年7月の選挙で可児市議選史上初の3000票超えで9選を果たしたベテラン議員だ。歴史や文化・芸術にはめっぽう強い。私と同じ若葉台という団地に住んでいる。 
 
 亀谷議員の情熱と人脈でここまで来たといっても過言ではない。私は趣旨に賛同しサポートしてきた。事務局長という立場で、書類づくりや計画づくりに3月までは奔走していた。 
 
 それが、当初の予定では今年3月30日に可児市で設立ミーティングをする予定だったのが、新型コロナの影響でとん挫してしまっていた。 
 
 その時点で可児市議のメンバーは10名、可児市以外の7市町の代表7名も決まっていたが、会議ができなかったのでそれから先が進まなかった。 
 
 そこで、当初は8市町の合同会議を経て、議連の設立となる計画だったが、8市町の代表が設立趣意書にサインした時点で設立されるということに改変した。 
 
 8月21日に大垣市の代表(公的な代表という意味ではなく、趣旨に賛同する議員の代表1名のこと)のサインをもらい、これで8市町が揃った。 
 
 なので、まだ全員が一堂に集まってはいないのだが、規約上、議連は設立されたことになる。当初は、設立記念イベントの実施や記者会見なども予定していたのだが、現在は白紙の状態。 
 
 どの議会も、現在は9月議会で忙しい状況なので、今すぐ次の動きをつくることは難しいが、コロナの影響なども十分加味しながら、今後、議連の活動に息を吹き込んでいきたい。 
 
 地方議員は、意外とよその議会・議員との交流は少ない。議長会とか、各種議員研修会はあるのだが(今はコロナ禍で、慎重になっている)、わりとあっさりした関係で、個人的な関係を別にして、近隣自治体の議員同士が集まって話し合うようなことは極めて少ない。 
 
 議員連盟というのも、国会議員には沢山あるが、地方議員にはほとんど聞かない。岐阜県でも初となる可能性が高い。 
 
 私は事務局長として、今後の道筋をデザインしていかなければならない立場で身が引き締まる思いだ。私はNPOの経験から、何もお膳立てのない無の状態から組織を立ち上げることを何度もやってきた。ある意味得意とするところだ。 
 
 明智光秀はあくまでもきっかけで良いと思っている。今後の展開として、8市町の議員は合計159名いるが、それらの議員にも呼びかけ、それぞれの郷土の歴史や観光、まちづくりに熱心な議員の横のネットワークをつくりたい。 
 
 それは、身近な市町の議員同士のつながりとなり、必ずそれぞれの市町の住民の福祉にも役に立つことと信じている。 
 
※もう一つのプロジェクトを書くと長くなるので…とりあえずここまで
 

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 2020年8月26日(水)
 人財発掘塾 GO!
 昨日のブログでお伝えした コロナ禍に阻まれて、一度は諦めかけていたプロジェクトで復活したのがこれだ。 ↓※2番目の人財発掘塾開催事業 
 
https://www.city.kani.lg.jp/secure/4271/tuika%20kettei.pdf 
 
 昨年、市議として6選目を果たした頃からあたため続け、秋ごろに希望のまちづくりグループという市民有志の会を、ある方と共に立ち上げ、議論を重ねて来た。 
 
 どうしても予算が必要なので、市のまちづくり助成制度を活用しようと、企画書をまとめていた4月初めに新型コロナが発生し、人を集めるイベントの企画ははとても難しいと、一度は諦めた。 
 
 自分が心の底からやろうと決めたことを、諦めた事は、自分の人生でそうないのでとても悔しかった。心からやろうとしたことを諦めるのは、自分に対する不信感、つまり自信喪失につながる。 
 
 なので、5月6月頃は傷心の日々で、ひたすら自分にこもっていた。世間全般も巣ごもり状態だったと思う。ほとんど人に会わず、会合も行事もないので、畑仕事や日曜大工、部屋の整理や過去の手紙、カセットテープなどの処分とか、きわめつけは彫刻…忙しいときにはとても出来ないことができた。   
 
 7月になって、まちづくり助成の再募集があると知った。一度消えたチャンスがまた巡って来た。 
 
 内容については、まちづくり助成制度に申請した企画書をそのまま以下に掲載する。長くなるが関心ある方はお読みいただけるとありがたい。今すぐは動けないが、今後、人財発掘塾を一緒に企画する人も、参加したい方も求めていきたい。 
 
 
事 業 計 画 書 
 
事業名  人財発掘塾開催事業 
 
実施主体 (団 体 名) 希望のまちづくりグループ人財発掘塾チーム 
 
(代表者名)  小栗 眞理子 
 
事業概要 SDGsをベースとした、主にシルバー世代向きの5回連続講 座である。現役時代の経験やスキルを活かして、地域で活躍 する人を掘り起こし、その叡智を活かすための連続講座であ る。多様な能力とやる気がある方が出会うことによって、身の 回りや社会全体の課題解決のためにイノベーションや政策提言等を行いながら、ずっと住み続けられる魅力あるまちづくり を目指してゆく。 
 
事業の目的 コロナ禍で、人と人のつながりによる社会的課題の解決や 自己実現の機会が失われつつある。だが、人が人と出会うことによって、新たな価値が生まれ、社会を変えていく原動力となってゆくことに変わりはない。この事業により、自分が人財だと自負する人が集まり、受講することによってSDGsの理解を深め、さらなるスキルアップと意識を高め、共感する人同士が繋がり合うことで社会的 課題の解決や自己実現につなげること。 
 
事業内容 @メインターゲットはシルバー世代など、実務経験があり、これまでの経験やスキル・人間関係などを活かしながら、新たな事業を起こしたり、地域課題解決の方策を求めている人である。 A全5回 2ヶ月間に渡って、SDGsの観点から企画力アプ・コミュニケーション力アップ・人間関係構築・資金調達、宣伝力アップなどの講座を展開する。5回目は受講者同士のセッションとする。 
B単なる座学ではなく、参加者同士がつながりあえるような仕組みをつくる。 
C5回の講座終了後もネットワークをつくり、それぞれの夢や計画の実現のために定期的な会合(オンラインも可)を継続し、講座修了生有志によって、新たな『人財発掘塾』を企画する。 
 
事業期間   事業開始予定日 令和2年 11月 23日 
事業完了予定日   令和3年  1月 23日 
 
月別計画 内 容 (日時は変更の可能性あり) 
 
11月23日〜1月23日 第1回『人財発掘塾』〜地域における社会的課題とは・SDGs的な視点によるソーシャルビジネス入門〜 
第2回『人財発掘塾』〜コミュニケーション能力アップ・どう人を巻き込むか〜 
第3回『人財発掘塾』〜プレゼン力・企画力アップ・今必要なSDGs的な視点 
第4回『人財発掘塾』〜心理学を応用した人間関係構築法 
第5回『人財発掘塾』〜総括プレゼンテーション〜 
事業の効果 連続講座を受講することによって、もともとやる気があり、専門的な能力を持った人同士が結びつく。 
 
講座終了後に共感した人同士がSDGs的な視点を持った新たな事業を起こしたり、地域や社会全体の課題解決のために立ち上がることが期待できる。
 
           事業チェックシート 
 
 可児市の最大の資源は人財だと思う。社会を変えたい!地域を良くしたい!社会的な課題に取り組みながらも収入も確保したい!過去の経験やスキルを活かして社会に貢献したい!自分の能力をさらに伸ばしたい!共感できる人と出会い何かを企てたい!というような、人生前向きな人を集めて、それぞれのスキルをアップしつつ、互いに切磋琢磨する中で社会のニーズに合った自己実現にもつながる事業を創り出せるしくみをつくる。 
 
 
収 支 予 算 書 
事業名称 
  人財発掘塾開催事業 
科   目 予 算 額(円) 
内  容 
収入の部 
可児市まちづくり活動助成金 120,000  
 
入場料・寄付金 90,000 
参加費6,000円×15名 
 
自己資金 30,000  
合   計 240,000  
支出の部 
講師料 120,000 30,000円×4名 
講師交通費 60,000  
告知・宣伝費 25,000 チラシ・ポスター作成 
通信運搬費 15,000  
備品・消耗品費 8,000 名札・B紙・事務用品等 
会場・設備費 8,000 主にマーノ 
茶菓代 4,000 お茶 
 
合   計 240,000  
 
 

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 2020年8月27日(木)
 福祉支援
 9月3日(木)登壇予定の今議会の一般質問のテーマは『生活に困っている世帯や個人等に対する支援はできているか』というものだ。 
 
 これは、4月末に可児市が新型コロナウイルス感染症に対する『可児市総合支援対策』に示された5つの柱のうちの一つで10項目から成る施策を検証することが第一の目的だ。 
 
 可児市総合支援対策【第1弾 緊急支援段階 4月補正予算】に5つの柱とは、@雇用の維持と事業の継続のための支援(10項目) A生活に困っている世帯や個人等に対する支援(10項目) B子育て世帯、子ども達への支援(8項目) C感染拡大防止策の徹底と今後への備え(3項目) D地域経済活動の回復である。 
 
 Aの生活に困っている世帯や個人等に対する支援だけでも10項目あり、そのうち8項目について質問する。そのうちの第1番目は、例の特別定額給付金事業だ。 
 
 国の政策であり市民一人当たり10万円の給付を行うもので、可児市においては8月18日で締め切られた。予算総額は102億9000万円という空前の金額だが、最終的に残ったのは240人分程だ。生活困窮者等、本当に必要な人にまで行き届いたか?というのが質問項目になる。 
 
 他に国保の減免や、市税の徴収猶予、市営住宅の一時提供、上下水道料金の納付猶予等…それぞれに成果を訊く。 
 
 それはそうと一般質問にはある程度のリアリティがあった方が良い。机上の空論や数字の羅列では説得力もない。 
 
 そこで今日は、以前からとても気になっていた年上の友人夫婦を伴って、市役所や社協を回った。70歳代と50歳代の夫婦で年金生活者、奥さんは障がいをお持ちで、年金だけでは食べて行けないのだが、奥さんの介護で思うように仕事につけない。生活には相当困っていることは以前から分かっていた。 
 
 以前にも、この友人には、生活困窮者窓口を紹介したりしていたが、なかなか長続きせず、対応にいつも文句を言っていた。20年近い付き合いがあり、このところ体力の衰えを感じることが多くなっていた。 
 
 夫婦と共に、まず生活保護の窓口を尋ねた。そうするとすでに昨日、ひとりでその窓口を尋ねたとのことだったが、その時は、仕事探して頑張りましょう。不動産を持っているので、生活保護は難しいというだけの結論で終わっていたようだ。 
 
 今日は、奥さんも一緒だし、私は窓口の担当者よりも当事者のことを良く知っているし、気心も知れているので、かなり突っ込んだ話ができた。担当窓口の職員もとても我慢強く、当事者の話を聴き、適切なアドバイスをくれた。 
 
 当事者はどうしても不動産を手放したくないということで、それなら、その土地を生かして収入を得る道を探ったほうが良いということになった。 
 
 障がいを持つ奥さんは、福祉的就労なら可能ということで、就労支援B型事業所を紹介してもらった。その足で、住居近くのB型事業所を2軒ほど尋ね、そのうちの1軒を奥さんは気に入ってもらえた。 
 

 定員20名のところ現在は12名ということで、十分就労可能ということが確認出来た。奥さんは障がい者手帳をもらった8年ほど前から職にはついていなかったがB型なら9時〜16時で平日無理なく勤める事が出来そうだ。 
 
 さらに社会福祉協議会に行った。20万円を据え置き期間1年で借りられる小口緊急融資制度があり、コロナ禍以来すでに700人以上、1億4千万以上を融資しているという。相談受付だけで3週間近く待たされると聞いていたので、相談予約だけのつもりだったが、申し込み用紙をもらい、それを郵送するだけで良いのだという。 
 

 基本は勤労者向けだが、自営業であってもコロナ禍で収入が、それ以前より減って生活に困っているということを証明できれば良いとのことだが、それを証明する書類等の添付は必要ないとのこと。これには驚いた。 
 
 今、まさに困っている人を救済するための緊急貸付だと思った。しかも、申し込みの説明書にはこう書かれている。『今回の特例措置では新たに、償還時において、なお所得の減少が続く住民税非課税世帯の償還を免除することができることとしています。』 
 
 とある。つまり、1年後も住民税非課税世帯で、なお所得が減少しているようなら償還を免除するとなっているのだ。現在、問い合わせや貸付を受けている9割以上は外国籍市民だという。 
 
 ともあれ、今の彼に20万円あれば、生活困窮から抜け出せる方法が見つかる公算が高い。ほぼ半日だが、当事者夫婦だけではなかなか活路が見いだせなかったようだが、一気に光が見えて来たと喜んでくれた。 
 
 議員が一緒に回るということの効果も少しはあるのだろうが、それ以上に当事者だけでは解決策が見いだしにくい中、その人を知る第三者が入ることによって好転する事があることを知る。 
 
 
 

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 2020年8月28日(金)
 新型コロナ対策 市営住宅 調査
 昨日、14時頃から有志議員で可児市営住宅 11ヶ所を一気に回った。私の一般質問『生活に困っている世帯や人等に対する支援はできているか』で取り上げるコロナ感染症に対する可児市総合支援対策の中に、〇市営住宅の一時提供 〇市営住宅の家賃減額・家賃徴収猶予 というのがあるからだ。 
 

 可児市の市営住宅は11ヶ所、戸数にして285戸だ。一番規模が大きい東野住宅で88戸、建設年度は昭和46〜51年、床面積は34u〜49.6uで、家賃は収入や部屋の広さにより月8,900円〜30,700円の幅がある。 
 

 一番新しいのが兼山の柳栄住宅で戸数16、中層耐火構造4階建、平成20年建設、44u〜59uで家賃は、13,100円〜40,500円である。 
 

 新型コロナ対策として、貸し出されたのは兼山の城山住宅で7戸用意したうち6戸は埋まっている。6件すべて外国籍市民だとのこと。 
 
 もう一つの市営住宅に関する施策、市営住宅の家賃減額、家賃徴収猶予は、このように説明されている。 
 
 市営住宅の家賃の支払いが困難な場合、収入減少後の所得階層に見合った家賃に減額します。また、入居者のい置かれている状況に応じて、家賃の徴収を猶予し、納付時期の相談に応じます。 と書かれている。 
 
 コロナで収入が減少した世帯には、たぶん大変ありがたい措置で、さぞ多くの方が減額を希望されたと思いきや…希望されたのは全部で253軒の入居世帯のうち3軒だけだという話だ。 
 
 市営住宅に住んでおられる方の中では、コロナ禍で収入が減り、家賃を少しでも安くしたいという世帯がそれほど少ないのだろうか? 
 
 そこで、今回の質問の疑問点だが、様々なコロナ対策の告知方法が適切だったのか?という疑問が湧いてくる。基本は、市のホームページで知らせた。市の広報に載せたということで終わっているようだ。 
 
 東野・桃塚・広見ヶ丘・清水・下切・広眺ヶ丘・瀬田・新兼山口・霞・城山・柳栄…可児市の11の市営住宅を回るのに要した時間は約3時間、どの住宅にもコロナ感染症対策としての家賃減額等についての張り紙はなかった。 
 
 253戸なら、全軒ポスティングしてもしれている。本気で困っている人を助けたいと思うのならそれくらいやってもいいのではないかという意見が、一緒に回ったメンバーの中から出た。 
 
 ただ、このことはまだ、正式の場所で問い合わせていないので、もしかしたらやっているのかもしれない。そのことは3日の一般質問で質すつもりだ。 
 
 新型コロナ対策として、うたれた施策であっても利用者が少なければ、その施策が魅力あるものではなかったか…周知不足ということになる。 
 
 まだ、コロナ禍は終わったわけではない。これまでの対策・施策が実際に機能しているかどうかを検証し、より有効な施策を打ち出してゆく必要がある。
 

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 2020年8月29日(土)
 歴代最悪、安倍首相 退陣
 あっけない幕引きとなった。早くこの日がくることを願っていたが、民主的な手続きによる退陣でないのは残念だが…とりあえず日本の危機は回避できるかもしれないという希望が出て来た。 
 
 良くも悪くも、一国の宰相だから最低限の敬意は表したい。7年8ヶ月という激務をこなして来られた事にはご苦労様と言いたい。 
 
 負の功績は沢山あるが、日本国民の幸せにつながるような功績はひとつもない。最悪の功績は、特定秘密保護法の成立に始まり、集団的自衛権の行使容認を閣議決定、安全保障関連法(戦争法)の成立、武器輸出の解禁等、ともかくも日本を戦争できる国に仕立て上げようとしてきたことだ。 
 
 もう一つ、官邸の力を増強し、忖度と迎合の政治を恒常化させたこと。森友学園を巡る問題、加計学園を巡る問題、桜を見る会、公文書偽造、統計調査の改ざん…枚挙にいとまがないが、皆根本は同じ安倍首相にある。 
 
 日本を世界で一番経済活動がしやすい国にしたい…みたいなことを言っていたが、文字通り アベノミクスしかり、大企業や軍需産業、富裕層、お友達、そしてアメリカに対する甘い対応。 
 
 歴代最長の在任期間だというが、憲法をないがしろにし、市民に背を向けながら強いものに迎合する歴代最悪の首相であったと…多分、歴史が評価すると思う。
 

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 2020年8月30日(日)
 決算質疑提出締めまで、あと9時間(*_*;
 明日の午前10時が、令和元年度可児市歳入歳出決算審査にあたっての質疑提出締め切りである。フォーマットに従い電子データで予算決算常任委員長宛て、提出しなければならない。 
 
 令和元年度可児市歳入歳出決算は、一般会計で約349億1700万円、国民健康保険事業など特別会計が、約199億3400万円、水道事業など企業会計が約84億4800万円、合計約633億円である。 
 
 この他にも令和2年度補正予算についても審議する。議会として、議員としてもっとも重要な仕事の一つである「税金の使い道」について妥当かどうかを審査する、そのための質問をあらかじめ提出するのが、明日の10時締めなのだ。 
 
 この回答は9月7・8日の予算決算委員会で執行部からある。昨年の決算審査だと全部で100件くらいの質問が出た。以前は200件近かったように思うが、最近は政策提言等に結びつくような質の高い質疑を求められるので、件数が減っている。 
 
 私は質より量だと思っているので、とにかく人よりは多めに出すように心がけている。現時点(午前1時)で10件ほど出来ているが、20件くらいは出したい。 
 
 予算決算委員会は、議長・監査役を除く20名という大所帯な委員会だ、ほぼ全議員といってもいい。20名で100件の質疑だと、一人あたりは5件程度となる。 
 
 中には出さない議員もいるし、私のように20件出す議員もいる。私は20件でも少ないと思っている。決算の歳出部門だけでも事業項目(費用項目)は419あった。 
 
 事業というと、例えば子育て健康プラザ管理運営事業というだけでも、5,596万円ありその内訳は、各種業務委託料とか電気使用量(1159万円)とか…さまざまある。(人件費は別) 
 
 数億円単位の事業もあれば、数万円の事業もあるが…要は市役所がやっているすべての業務である。いくらでも質問はある。 
 
 逆に質問をしないのは、行政への白紙委任となり、良きに計らえと言っているのと同じで議会としてのチェック機能を果たしていないことになる。 
 
 あとは時間とのたたかいだ、昨年度の決算書と対比しながら、疑問に思うことを文書にしてゆく。議員から一つも質問が来ない部署(課長)は、ほっとする反面、寂しいのではないかと思い…なるべく多くの部署に質問を投げるようにしている。 
 
 
 

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 2020年8月31日(月)
 まさか…こんなことが
 昨日のブログでは、決算質疑について大見得を切った… 
 
 朝5時までかかって14件の決算質疑を仕上げた。最低到達ラインの20件には満たない。午前4時を過ぎると、さすがに頭が回らなくなってきて、なかなか質疑が出てこない。 
 
 あきらめて寝ることにして、午前10時の提出期限前に、あと数件でも決算質疑が浮かべば付け加えることにしていた。だが、朝5時までの作業はリズムを壊す。 
 
 締め切り前の9時半頃から再びパソコンに向かったが…とんでもないことが起こった。少なくとも、その時は今起こっていることが信じられなかった。 
 
 朝5時までかかって打ち込んだ、14件に呼ぶ令和元年度可児市歳入歳出決算の質疑項目が消えていたのだ。今朝、念を押しながら保存した、質疑がしまい込んだはずのファイルどこを見ても出てこない。 
 
 焦った(*_*; 締め切りの10時まで15分くらいしかない。今朝、打ち出した紙ベースの決算質疑はあるので、それをFAXした上で、データを再構築して送ろうと思って相談したが、いかなる理由があろうとも約束が1番、10時までにデータで届けない限り無効だとの見解。 
 
 実は、私はこれには前歴があり、4ヶ月ほど前のこと、それまで6年以上使っていたEPSONのパソコンから、レノボのパソコンに交替した直後だった。 
 
 3月に行った一般質問を議会だよりに掲載する締め切り直前、いざデータを送ろうとすると空になっていて…事情を話し、紙ベースの原稿はプリントアウトしてあったので、締め切り間際にFAXで送り、1時間後にデータを打ち直して送った。六十数回の一般質問で、初めて議会だより原稿締めに間に合わなかった。 
 
 それでもお昼12時締め切りが、13時までには打ち直して送れたので、業務的にはほとんど支障はなく…ことはそこで済んだと思いきや、ある会議でやり玉に挙げられた。 
 
 議会だよりの発行に責任を負うべき、広報部会長の立場にありながら、締め切り時間に遅れるとは言語道断…とのことで、規約通り議会だよりへの掲載を見合わせることになってしまった。 
 
 慣れないパソコンで、作成した文書が正しく保管されなかったポカミスとはいえ、約束した時間に間に合わなかったのは確かなので、甘んじてそのような処分を受けたばかりだった。 
 
 今回は、データが消えたというよりは、確かに保存したはずのファイルが空になっていた。10時を過ぎ…諦めた。今年度予算も昨年度決算も20件以上質疑を出していたのが、今回はゼロだ。 
 
 ただ、決算質疑は消えてしまったわけではない。現在は毎日が決算を審査する日々であり、直接各部署に問い質せばいいのだ。9月7・8日の予算決算委員会でも追加質疑はできる。 
 
 でも通告なしの質疑は、昔は普通にあったが今はよろしくないだろう。執行部に極度な緊張感を与えることになる。 
  
 ・・・・いろいろ考えているうちにはたと気が付いた。データが消えた理由だ。ふだんほとんどの文書データはワード形式で保存するのだが、この決算質疑はエクセル形式なのだ。したがって、ほとんどの書類が収まっているファイルにはワード文書だけで、これはエクセルのファイルに保存されていた。 
 
 絶句とはこのこと、あまりにも単純なミス。結果、余裕を持って提出物を仕上げないから…こういうことになると、いつものお叱りを受けそうだが…。 
 
 毎日のように、何かしら締め切りがある。締め切りがあって…表現が汚くても申し訳ないが、火事場のクソ力的な行動ができる。 
 
 相変わらず時間に追っかけられる日々が続きそうだが、少しでも余裕が持てるよう努力するしかない。
 

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