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   38週1日 死産   
   妊娠初期 2回目の流 ....   
   10週4日 稽留流産   
   20週 人工死産   
   9週 稽留流産   

Name: 詩織ママ    ..docomo.ne.jp
Date: 2010/12/14(火) 19:06
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Title: 38週1日 死産    
産後6ヶ月で、半年間の契約で仕事に行っていました。
そろそろ退職という時期、下腹部にチクチクした感覚に気づき、すぐに子供を授かった事を悟りました。

その1週間後、検査薬で調べられる時期になったので、ドキドキしながら調べたら、やはり陽性反応がでました。
上の子が1歳になる直前でした。
それからは特に問題なく、順調でした。

お腹の子が女の子とわかって、とても嬉しくて、希望に胸を膨らませていました。
上の子を帝王切開で出産したので、今回も予定帝王切開での出産がきまり、手術の2週間前に検診に行きました。
そのときも、とても元気でした。

手術の前日に入院しました。
胎動を感じにくかったので、心音を確認して貰いましたが、そのときはもう、心音は聞こえませんでした。
パニックになりました。

その後、普通分娩させてくれる病院に転院し、処置を受けて、翌日出産しました。
初めての陣痛は本当に痛く、胸も苦しく、どうして亡くなっている子を出産するのにこんな痛い思いをしなくてはならないの?と泣きました。
生まれてきた子は2,540g49cmの可愛い女の子でした。
2晩、一緒に部屋で過ごしました。
抱っこして、沢山お話をして、本を読んで、キスもしました。
写真も沢山撮りました。
まるで眠っているだけのような我が子。
起きるんじゃないか?という錯覚を最後まで持ちました。

それなのに、退院の日に抱っこをしたら、体がもう壊れそうになっていて、子供が「もう、お別れだよ」と、言っているようでした。
実家に連れて帰り、姪やおば、いとこが来てくれました。
姪達が子供に手紙を書いてくれました。

そしてお見送りに皆で行きました。
私は「ちょっと旅行に行くだけ、すぐ帰ってきてくれるよ」と自分に言い聞かせ、気丈にお見送りしました。
三歳の姪が私を慰めてくれました。大きなぬいぐるみを持ってきて「赤ちゃんこれくらいやった?赤ちゃんの変わりね」と、言ってくれたり、私の髪をくしでといてくれて、思わず抱きしめました。
何故なら、亡くなった私の子は姪にそっくりだったから。
まるで、子供が慰めてくれているようでした。

あれから沢山悩み、落ち込み、考えました。
そして、元々通院していた病院にも不信感を持っています。入院予定の週の初めに「検診に来られないのですか」と電話が有りました。
しかし、毎回、検診が終わった時に「この時期に、次の検診にきて」と言われていたのに、最後の検診では言われませんでした。
もし言って下さっていたら、生きていたのでは無いか、と、主人も母も不信感を持っています。

次に出産するときは、出産させてもらった病院にしようと決めました。先生も、助産師さん、看護師さんもとても素晴らしく良い方ばかりでした。

今、あの子はきっと私の元へ戻ってきてくれると信じて、なんとか生きてます。本当は死んで逃げたいとさえ思いました。
上の子は、あの子が亡くなったとわかる数日前から急に夜泣きが酷くなり、火が着いたように泣いていました。
しかし亡くなっていることがわかった日を境に夜泣きはなくなりました。
今思うと、妹のSOSを知らせていてくれていたのです。
あの子は生きて生まれて来なかったけど、兄妹の絆は有ったのだと思います。
あの子が教えてくれた沢山の事、私達は一生忘れずに生きていきたいと思います。

無事に産んであげられなくてごめん。
でも、私を選んでくれて、ありがとう。
また会おうね。





Name: nene    ..bbtec.net
Date: 2010/12/13(月) 22:30
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Title: 妊娠初期 2回目の流産    
2年前の夏に稽留流産の手術を受けました。
それからは自分を責めたり、また流産になってしまう不安や恐怖から妊娠には前向きになれずに月日が経ちました。

上の子が3才になって、やっと2人目の妊娠を考えられるくらい前向きになることができ、パパとも話し合いをして赤ちゃんを迎える準備をした矢先、妊娠検査薬で陽性が出ました。
パパと私は大喜びして、今度こそは元気に産んであげなくては!と張り切っていました。
まだ病院に行くのは早いだろうと、受診する日を2週間後に決めて、不安と期待を胸に、受診までの一日一日を楽しみに過ごしていました。

しかし受診の4日前に出血してしまい、急いで病院に行くと「赤ちゃんが見えない」といわれ、流産の診断が下りました。
帰りの車でパパに説明をしながら涙がこぼれてしまい、それからどうしても涙が止まりませんでした。

やっと私のところに戻ってきてくれた赤ちゃん。
それなのにまた産んであげられませんでした。
数日しかお腹においてあげられませんでした。
パパにも申し訳なくて泣き続けました。
でも、パパは優しく抱きしめ続けてくれました。

優しいパパと、元気なお兄ちゃんと、少し弱いママ。また戻って来てくれることをずっと待っているから。今度は元気な声を聞かせてね。それまで少しでも強いママになれるように頑張るからね。





Name: ちひろちゃんのママ    ..plala.or.jp
Date: 2010/12/06(月) 22:05
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Title: 10週4日 稽留流産    
「そろそろ赤ちゃんがほしいな」と思っていたころに妊娠が判明しました。
つわりはしんどかったけれど、毎日が楽しくて、心拍が確認できた時は本当に嬉しかったです。

母子手帳をもらって「妊婦になれた」という自覚がわいてきた矢先、医師から「赤ちゃんが9週の大きさから育っていない」「心臓も止まっています」と告げられました。
「お母さんが悪いわけじゃない」と言われたけど、何がいけなかったのか、重たい物を持ったから?仕事で無理をしたから?走ったから?自責の思いに潰されそうになりました。
信じられませんでした。
だって、まだお腹の中にいるのに、心臓が止まっているなんて。

病院から自宅に戻った後、夫と一緒に泣いて泣いて、その日の夜に初めて、お腹の中にいる赤ちゃんと3人で、最初で最後の遠出をしました。
赤ちゃんの名前も決めて、綺麗なイルミネーションを見て、思いっきり泣きました。

産んであげられなかった赤ちゃん。
この子はほんの少ししかママのお腹にいられないとわかていたけど、私たち夫婦に愛されるために、私たちをパパとママにしてくれるために来てくれたんだね。
でも、忘れ物をしたから今だけお空に帰って、忘れ物が見つかったらもう一度パパとママのもとにもどってくるんだよね。
またあなたに逢えるまで、パパとママは待っているからね。





Name:    ..plala.or.jp
Date: 2010/12/05(日) 10:44
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Title: 20週 人工死産    
結婚して7年目、不妊治療の末、体外受精で念願の赤ちゃんをやっと授かりました。

以前に6週目で流産をした事があったので心配していたのですが、妊娠経過は順調で、大きくなるお腹に語りかけては、赤ちゃんが産まれてくるのを、とても楽しみにしていました。

早ければ、そろそろ性別が分かる頃かなぁ?と期待して検診に行った18週の時、赤ちゃんに病気が見つかってしまい「多嚢胞性腎(ポッター症候群)」と言われました。
残念ながら、両方の腎臓が機能していないので、このままお腹にいても腎不全を起こして亡くなってしまう事があること。
もし産まれても、生存率は0%だということなどの話がありました。

20週2日、25cm、394gで産まれ、そしてお星様になりました。性別は8割男の子と聞いていたので、お星様になっても、いつでも思い出せるように、星という字を使い「龍星」と付けました。
愛しいわが子を自らの手でサヨナラするのはとても辛く、今でも龍星が産まれたい時に産んであげられなかった事を思うと、胸が締めつけられる思いです。

龍星、元気に産んであげられなくて、ごめんね。ずっと大好きだよ。





Name: カズママ    ..docomo.ne.jp
Date: 2010/12/03(金) 10:06
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Title: 9週 稽留流産    
結婚後すぐにでも子供が欲しかったのですが、生理不順のため、不妊治療に2年かかって1人目を授かりました。

また2人目もやはり、自然に授かるのは難しかった為、不妊治療を再開しました。
再開して1年半後に妊娠が判明しました。3歳になった上の子は赤ちゃんが大好きだったので、家族皆で妊娠を喜び合いました。

排卵日の確認ができていたので妊娠週数に間違いはありませんでした。5週で胎嚢が確認されて、その後6週での検診もありましたが、胎嚢は成長しているものの胎芽が確認されず、今回の妊娠は何か違うようだと、漠然と感じていました。
同じ頃に上の子供が、今まではお腹に向かって赤ちゃんと話し掛けていたのが、急に「赤ちゃんは空にいる、友達の赤ちゃんがたくさんいる」と言う様になりました。

その後7週の検診で胎芽は確認できたものの、心拍の確認はできず、その時に先生より、流産の可能性が高いことを告げられました。頭の片隅で、何か違う、流産かもと感じてはいたものの、直ぐに受け入れる事はできず、同じ日に違う病院へ行きましたが、やはり同じ様なことを言われ、頭が真っ白になりました。

それでも次の検診までの1週間、急成長を見せてくれるかもしれないと無理矢理にでも思い、毎日祈る様にお腹の赤ちゃんに話し掛けていました。
しかし、そんな願いも虚しく、8週の検診でもやはり心拍は確認できず、確実に流産だとの宣告を受け、手術を受ける事となりました。

ショックのあまり、手術の日も、それ以降も、泣いて過ごす日々ですが、今回宿ってくれた赤ちゃんが何かを伝えにきてくれたと感じ、仕事に育児、家事に追われていた自分に「ママ、少しゆっくり休むといいよ」とのメッセージだったと感じています。
手術後、しばらくは仕事を休んでゆっくりしています。
まだ悲しみは癒えません。この先も、忘れる事はありませんが、私にまた妊娠できる喜びを与えて、たまにはゆっくりすることも大切と教えてくれた赤ちゃんの気持ちを受け止め、前を向いて歩いていきたいと思います。



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