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27週 臍帯過捻転 ....
40週6日 死産
Name:
mery
..dti.ne.jp
Date: 2011/06/29(水) 00:50
削除
Title: 27週 臍帯過捻転 死産
昨年の5月30日に結婚して、1年弱で授かった、待望の第一子の男の子を死産しました。
妊娠27週、888g、とてもきれいなかわいい子でした。
3日前の健診では順調でした。
胎動が感じられなくなって受診したところ、心臓が止まっていました。
あのエコー画面は一生忘れないでしょう。
夢だったらいいのにと、思いました。
だけど、悲しい現実でした。
翌日入院して、経膣出産しました。
激しい陣痛は2時間だけでした。
逆子でしたが、足、肩、頭の順で、短時間で出てきてくれました。
「3日間かかるかも。それでも出てこないと帝王切開になる」と説明を受けていましたが、1日半で出てきて親孝行な子だと思います。
陣痛の時、あまりの痛みと、悔しさや悲しさがごっちゃになって
1分でも1秒でも早くうみたくて、泣き叫びました。
「しぬー、しぬ−」と、叫んでたそうです。覚えていません。
こんなに痛いのに、子どもはもう死んでいるなんて、ありえない。
神さまはいるの?どうしてこんなことになるの?私、何にも悪いことしてないのに。
死にたくなりました。
でも、出てきたときは、なぜかすごく嬉しかった。自然に笑顔になれました。
赤ちゃんを胸に乗せてもらって、じっと見ていると、いとおしくて、かわいくて、世界で一番かわいいと思いました。
爪が生えた手足も、私に似て低い鼻も長いまつげも、ぜんぶかわいくて仕方がなかったです。
看護婦さん達も「きれいだね、かわいいね」と、言って下さって、とても嬉しかったです。
病院の方達はとても良くして下さって感謝しています。プロ意識を感じました。
臍帯過捻転が原因だそうです。
交通事故みたいなもので、誰が悪いわけでもなく、たまたま運が悪かったと言われました。
医師は「次は大丈夫、検査の必要もない。45才まで産めるから」と言って安心させてくれました。
私は初産で死産でしたが、年齢は34歳です。若くはないです。
生理が一回きたら次の妊娠をしてもいいそうです。
先日生理が来ました。
早くまた妊娠したいです。今度は最後までちゃんとしてあげたい。
私、いいお母さんに、最高のお母さんになります。
私の場合、今回のことで仕事について考えさせられました。
多忙で動き回り神経使う仕事で、しかも、私の性分で一生懸命やり過ぎてしまいます。
私が動き回りすぎて、感情も上下して起伏があって、気が休まることなんてない毎日でした。
子どもはお腹の中で苦しくなっちゃったのかな?あきれちゃったのかな?と、考えています。
4月の人事異動でも、いい人ぶって、多忙なポジションを引き受けてしまいました。
妊婦なのに。
周りに認めてもらいたい欲があったんだと思います。
私、頑張ってるでしょみたいな。
ちょうど4、5年目で少しずつ仕事のやり方もわかり、乗ってきて、面白くなってきた時期だったのもありました。
でも、自分にとって何が大切か、気付けていなかったです。
私の赤ちゃんは私にしか守れない。
一番大事な物が何か思い知りました。
後悔しています。
後悔しながら、ごめんねってあやまりながら、1日1日生きていきます。
親の気持ちがわかったから、自分の親より先に死ぬことはできないから。
旦那さんの暖かさや優しさや強さも今回の件を通してわかりました。
これまでより好きになりました。
この人と結婚して良かったです。
二人で前に進もうと思います。一からやりなおしです。
Name:
Leo
..bbtec.net
Date: 2011/06/28(火) 12:19
削除
Title: 40週6日 死産
妊娠の経過はいたって順調でした。
だから、陣痛が来たら普通に産まれるものだと思っていました。
陣痛で入院したあの日、マタニティビクスやヨガで仲良くなった、予定日の近いママ達に「いざ!出陣してきます」なんて、のんきにメールして、主人とも「早かったら今日かな?遅くても明後日迄には逢えるよね」と、話していました。
「心拍が聞こえない」と、看護婦さん達が入れ替わり、立ち代わり私のお腹に機械をあてている、その時さえも、亡くなってしまうなんて思ってもみませんでした。
当てる場所がずれてるだけとしか思っていませんでした。
心音を拾っている途中に、隣のLDRから産声が聞こえて、「あっ!産まれた!」と、嬉しい気持ちにすらなっていました。
先生が病室に来て、「今から近くの病院に搬送します。帝王切開で赤ちゃんを出してあげて、蘇生すれば助かるかもしれないから」
信じれないとかそんな感情より、ただただ不安で一杯で、必死に目をつぶっていました。
鼻に酸素のチューブをつけられた瞬間、一気に涙が溢れて、鼻が詰まっしまいました。
でも、お腹の赤ちゃんの為に、精一杯酸素を吸っていました。
私に出来る事はそれしか無かったから。
遠くから聞こえてくる救急車の音がドンドン大きくなってきて、私がいる病院の前でとまりました。
今でも救急車の音を聞くと、あの瞬間に引き戻されます。
救急車の中でも怖くて目を開ける事はできず、ただなぜか「大丈夫絶対助かる」そう、思ってました。
搬送先の病院について、着ていた服を脱がされたり、足に何かソックスの様な物をはかされたり、目をつぶりながらも、帝王切開の準備をされてるんだと分かりました。
お腹にエコーらしき物を当てられ、先生の低い「う〜ん」という声が2回聞こえた時に、「ダメなのかもしれない・・・」と初めて思いました。
私の母親が病院で先生から受けた説明は「もう、心臓が止まってしまってます」
なんとなく、分かってしまっていました。
涙が止まらなくなって、病院に向かってる主人に必死の思いで、「赤ちゃんもう死んでる」と伝えました。
不安で、怖くて、母親が横に居てるのに、それでも主人に1秒でも早く逢いたくて、心の中で早く来てほしいと叫んでいました。
「陣痛が規則的に起こってるから、母体を第一に考えて、自然分娩で出産します」と、先生はとても丁寧な説明をしてくれました。
でも、その時の私は「考えられない、死んだ赤ちゃんなんて産まれてくるわけない」そう思っていました。
だけど、声を出す事すら面倒臭くて、何も言えませんでした。
主人は何度も「帝王切開で少しでも早く出してあげて欲しい、亡くなった赤ちゃんを何時間もお腹に入れたまんまで、母体は本当に大丈夫なのか?」と先生に質問をしてくれてました。
病室で、母親が私に「少しでも早く外に出してあげような」って言ってくれたひと事で、少しだけ気力がでました。
看護婦さんが色んな提案をしてくれました。
「赤ちゃんが産まれて、抱っこしたいとか、お風呂に入れたいとか、服を着せてあげたいとか、写真を撮りたいとか、したい事を色々考えてみてね」と。
「死んだ赤ちゃんを抱っこなんて、出来ないし、お風呂に入れるなんて考えられない。あり得ない」そう思っていました。
だけど、我が子を見た瞬間、その全部をしたいと想う自分がいてました。
たとえ産声をあげなくても、息をしていなくても、私達にとっては可愛い我が子。
抱っこする事を拒んでいたのに、自分でもビックリしましたが、頬ずりしていました。
正直、亡くなった赤ちゃんを見るのが、怖くて仕方なかったのです。
産まれた時に、看護婦さんが「赤ちゃん抱っこする?」って聞いてくれたけど、「ハイ」と言う事は出来ずに、黙ったまんまでいました。
看護婦さんは、何か感じるモノがあったのか、そっと私の側に赤ちゃんを連れてきてくれました。
今となっては、あの時色んな提案をしてくれた看護婦さんに感謝の気持ちで一杯です。
退院して、お葬式も済んで少し落ち着いて来ました。
入院中、看護婦さんから「お家に戻って、少し落ち着いたら又、悲しくなると思う」と、聞いてました。
今まさに、「こういう事を言ってたんだな」と、感じています。
我が子への感謝の気持ちはたくさんあります。
「ママにしてくれてありがとう」心からそう想っています。
だけど、まだやっぱり受け入れられていない自分がいます。
ふとした時に、意味もなく「なんで?」と思ってしまう自分がいてます。
人生の残酷さは、日常生活のいたる所に転がっていて、産まれてくる子供の為にと、資料請求していた学資保険のパンフレットが届いたり、ベビー用品のカタログが届いたり、準備していた紙おむつを、処分の為に、泣きながら小分けにしないといけなかったり、今迄は微笑ましいと思ってた光景がふいに、視界に入ってきたり、ほんの小さな事がきっかけでむなしい気持ちになって、「なんで、我が子は今ここに居てないのか、いつこの悲しさから抜け出せるのか」そんな気持ちになってしまいます。
この悲しみを耐え忍ばないと、私はもう一度、我が子を抱っこする事は出来ない。
もしも又、赤ちゃんが欲しいと自然に想う事が出来、授かる事が出来る時まで、この悲しみを耐え抜かないとダメなんだと、言い聞かせています。
妊娠、出産の奇跡を身をもって体験しました。
当たり前では無いという事。
そんな機会があるのかは分からないけど、今回私が経験したことを今後また誰かのために・・・と、思います。
人生で一番悲しい出来事、今だ抜け出す事、抜け出す方法すらわかっていません。
こんな想いをしてる分、今回の事を受け入れる事が出来た時、私は人間として深みが出るそう信じてます。
主人と2人、あの子が深めてくれた絆を大切に、ゆっくりゆっくり進んでいけたらと想ってます。
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