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   8週 完全流産   
   誕生死 肺拡張不全、 ....   

Name: まる    ..so-net.ne.jp
Date: 2011/05/24(火) 21:47
     削除 
Title: 8週 完全流産    
念願の妊娠が分かったのが4月23日。
市販の妊娠検査薬で、くっきりと陽性反応が出ました。
それから3日後、産婦人科で胎嚢を確認しました。5週4日でした。
嬉しくて、嬉しくて、夫と大喜びしました。
それから考えるのは子供のことばかり。
「男の子かな、女の子かな」「どっち似かな」「名前はどうしようか」
そのころは初期流産が多いということも知らず、ましてや自分にそんなことが起きるなんて、想像もしていませんでした。
今思えばなんて無知だったのだろうと思いますが、妊娠したら無事に生まれてくるものと思い込んでいたのです。

次の診察は、前回から1ヶ月後、9週に入ったころの予定でした。
そのころにはもう心臓が動いているのが見えるんだろうなと、楽しみに思っていた矢先、トイレで出血していることに気付きました。
痛みは全くありませんでした。
赤茶色の出血でした。

夜9時を過ぎていたので、病院に電話して相談すると、出血が止まらないようなら来るようにと言われました。
その後3時間、量は少ないままでしたが、断続的に出血していたので、「妊娠初期の出血はよくあることらしいけど、念のため診てもらおうかな」くらいの気持ちで病院へ行きました。

エコーで診てもらうと、胎嚢は確認できるけど胎芽が見えない。
卵黄嚢も見えない。袋はまっくろで空っぽでした。
お医者様には「前回の診察から2週間経っているので、もう少しいろいろエコーに映らなければおかしい。成長が遅いかもしれない。
数日後にもう一度エコーで見て、何も映らなければ流産です。」
と言われました。
頭の中が真っ白になり、付き添ってきてくれた夫ともども呆然としながら家に帰りました。

次の診察までのあいだ、ひたすら安静にしていました。
赤ちゃんの無事を祈る気持ちとうらはらに、だんだん茶色い血から赤っぽい血に変わっていき、量も増えてきました。
流産かどうか診断する日の朝には、生理の時と同じような鮮血になり、小さな血の塊も出始めてしまいました。
生理痛のようなおなかの痛みも始まっていたのです。

診断の結果、やはりエコーには空っぽの胎嚢しか映らず、流産が確定しました。
5月16日のことです。8週2日目のはずでした。

8週にしては、胎嚢がとても小さいといわれました。だいぶ前に成長を止めてしまっていたようでした。
ある程度覚悟を決めてはいたものの、涙が止まりませんでした。
4日後に手術をすることに決まり、その日は帰りました。

先生には、「出血=流産ではない。でも、あなたの場合はすでに成長の止まった胎嚢を外に出そうとして出血が起きている。ということは、流産がすでに始まっている可能性がある。
だから急に出血が増えることもあります」と、言われていました。

その夜から急に強い腹痛とともに出血量がぐんと増え、大きな血の塊が出始めました。
明け方に一度おさまりましたが、翌日の夕方から、また痛みが強くなり、その日の夜中にズルっと大きな血の塊とサーッと流れるような大量出血があり、「ああ、私の体から出て行ってしまった」と分かりました。

本来なら翌日の20日に手術のはずでしたが、大量に出血したことを病院に伝えたところ、急きょ診察を受けることになりました。
その結果、ほとんどすべて自然に流れており、完全流産したという診断でした。

あれから5日、あれほどあった出血と痛みも嘘のようにおさまり、普段の生活に戻りつつあります。
妊娠という喜びと、流産という悲しみを味わったこの1ヶ月のことは、きっと一生忘れないと思います。

そして何より短い間でも私のおなかに来てくれた赤ちゃんにはありがとうと言いたいです。
命が生まれてくるのは奇跡なんだと教えてくれました。
妊娠を望んでいたのになかなか授からなかったころ、街中で妊婦さんを見かけると「いいなあ」とうらやむ気持ちがありました。
でも流産してからは、知らない妊婦さんを見ても「どうか無事に生まれてきますように」「何事もありませんように」と思うようになりました。

つらくて悲しくて落ち込む私を支えてくれる夫や、優しく見守ってくれる友人の大切さに改めて気付かせてくれました。
思い込みかもしれないけど、私のおなかから出て行くのも、病院で流産と確定して私の気持ちに区切りがつくのを待ってくれたと、そう思っています。

いつかまた赤ちゃんがおなかに宿ったあの幸せな気持ちを感じたい。そして今度こそこの手に抱きたいです。
まだまだ涙は止まらないし、悲しみを忘れられる日が来るのかわかりませんが、前向きに生きていきたいです。





Name: 宗磨    ..ocn.ne.jp
Date: 2011/05/17(火) 20:59
     削除 
Title: 誕生死 肺拡張不全、肺低形成    
2011年1月29日、3,672gで生まれました。
分娩室に入って3時間半。
初めての子、初めての出産でした。

宗磨は、産声をあげませんでした。
たくさんの先生たちが蘇生活動を行ってくださっているので、この子が泣き始めるのを、私は信じて疑いませんでした。
1時間半が経過して、主人が涙を流していても、それでも私は、この子は大丈夫だと思っていました。

その後、先生から心臓が止まったままだといわれ、蘇生できないような雰囲気を悟り、主人が「分かりました」と、言いました。
それから、みんな私の顔を見るのです。
「分かりました」とは、言えませんでした。
何が起こったのかすら理解できないまま、蘇生を諦める、それを自分が決めるのか、しかし、嫌だとはいえない状況。
解りたくありませんが「ありがとうございます」と、言ったように思います。

初めての出産は想像以上の痛みの末、衝撃的な結果となってしまい、放心状態の心と体では理解できませんでした。
いきみすぎて疲れていました。

次の日、先生が「どうしてこうなったか納得ができないから」とレントゲンをとってくださり、肺が未成熟で呼吸ができなかったせいだとわかりました。

宗磨は大きく育っていたので、こんなことになるのは先生も今まで経験がないそうです。それを何回も言われました。
何回も言われると、また、なんで宗磨だったのか?なんでそうなってしまったのか?その思いが繰り返されます。

妊婦中、私に大きな筋腫があったほかは、赤ちゃんは元気だと、いつも言われていました。張りどめの薬をのんだり、自宅安静を指示されても、赤ちゃんが元気なのが救いだったし 楽しみでした。
どんどんと蹴って痛くて、男の子だからワンパクなんだと、いつも言っていました。
逢えるのが、本当に楽しみでたまらなく、幸せな妊婦生活でした。

まさかこんな事になるとは 思いもしませんでした。

それから2か月、泣かない日がありませんでした。
誰にも会いたくないし、誰とも話したくありませんでした。
主人の父母、私の父母、主人、それ以外の方とは話ができませんでした。話していてもだんだん泣けてきました。
お葬式はつらかった。
デパートもテレビも、一緒にお花見する予定だったので、桜だってつらかった。
よその赤ちゃんをみるのもつらい。特に男の子の赤ちゃん。
抱くと泣けてしまうだろうな、何で宗磨はいないかなと、考えます。
もしかしたら、宗磨を連れて笑っていたかもしれないのに。

うちは生まれてきたので、死産という診断にはなら、出生届をだしてすぐに死亡届をだしたので、戸籍には残っています。
それはよかったねと、主人は言っていました。

もうすぐ4ヶ月が経とうとしています。
話したくなってきたのです。
「うちの子は確かにいたんだよ」「ちゃんと生きていたんだよ」と。

占いで宗磨の事を聞いたら「元気だったとしても、いずれは同じ結果だっただろう」と言われました。
そして、宗磨は私たちの子としてまた生まれ変わって来てくれるといってもらえました。
それを信じて、いまは待っています。
宗磨はきっと私たちに何かを言いたくて、伝えたくて、生まれてきたのだと思うから、その答えを日々探して行きます。

また逢えると信じてます。
また逢いたいのです。



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