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9週目 稽留流産
39週2日 常位胎盤早期 ....
Name:
マメママ
..mesh.ad.jp
Date: 2011/02/26(土) 19:35
削除
Title: 9週目 稽留流産
2011年2月22日午後1時、私たちの赤ちゃんがお空へ旅たちました。
待ちに待った妊娠で、本当に嬉しくて。
つわりもかなりひどかったけれど、それもまた幸せの一つでもありました。
彼や、母と、今後の話をたくさんしました。みんなが喜んでくれました。でもそんな日々も長くは続きませんでした。
1月27日初診に行ったものの、この時はまだ何も見えず、4日後の検診で、胎嚢を確認できました。
その一週間後、また胎嚢は大きくなってはいるものの、赤ちゃんの姿は確認できませんでした。
2週間後の検診までが不安な毎日を送っていましたが、赤ちゃんの生命力を信じていました。
しかし9週目となるこの日も、赤ちゃんを確認する事はできず、先生から「稽留流産」と告げられました。
ちゃんとつわりもあり、出血もなかったので、私には受け入れる事が難しく、ぼう然としたまま説明を聞き、次の日に手術の予約をれ入れました。
すぐに彼に電話をすると、私が泣く前に、彼は受話器の向こうで泣いていました。この時初めて、私も涙することができました。
彼とは遠距離なので、手術へも私1人で行く予定でしたが、その日、私のもとへ帰ってきてくれました。その夜は二人で抱き合って声をあげて泣きました。
手術の日は昼前に入院して、すぐに点滴を始め、数時間後に手術を受けました。手術台に乗った途端、緊張とお腹の子に対して「苦しい思いをしてたんではないか」とか「この1ヶ月間ずっと一緒だったのに、この瞬間にこの子と離れてしまう」と考えると、胸が張り裂ける思いでした。
術後、目が覚めると彼は私の髪を撫でながら「辛かったね。よく頑張ったね」と、声をかけてくれました。
「赤ちゃんいなくなっちゃったよ」それしか私には言えませんでした。
すると彼は「大丈夫。マメちゃんは自立心の強い子でしばらく旅に出てるだけだから、いろんな世界を見て満足したらまたここへ戻ってきてくれるよ。その時はちゃんと『おかえり』と言ってあげようね」と言ってくれました。
今はまだ、この現実から立ち直れない状態ですが、一日も早くマメちゃんが私たちの元へ帰ってきてくれる事を信じてもっと体を万全に整えていてあげなければと考えています。
本当に帰ってきてくれるだけでいい。ただ五体満足で元気に生れてきてくれるだけでいい。次にその子を授かる時、願いはこれだけです。
Name:
咲ママ
..yahoo.co.jp
Date: 2011/02/23(水) 23:21
削除
Title: 39週2日 常位胎盤早期剥離
2011年1月23日、午後9時52分、3,140gで第二子である女の子を出産しましたが、午後10時20分、産声をあげることなく亡くなりました。
39週2日、予定日の5日前でした。
原因は常位胎盤早期剥離、起こった原因は不明なままです。
母体にも胎児にも問題はなく、雪の多く降った日「悪条件が重なった」と、医師は言いました。
妊娠9ヶ月の時に逆子になり、戻ったと思ったら切迫早産で入院となりました。
「いつ産まれてもおかしくない」と、言われていました。
37週で退院してすぐに張り返しがきたので、もう1週間入院させてもらったものの、陣痛にはつながらず、そのまま退院しました。
すぐ産まれると思いきや、咲はお腹の中に長く長く居てくれました。
妊婦健診の2日後、健診以来お腹の張りが強まったかなぁと感じてはいましたが、入院してた頃と似た感じだし、痛みはないので様子を見ていました。
23日の午後8時半頃、第一子を出産した時と同様に、下腹部でコツコツとした感じがあり、一気に痛みが来ました。
医師に、「痛みが出たら分娩まで早いから、何かあれば救急車で来なさい」と言われていました。
救急車を待つ間に5分間隔、救急車内ではさらに間隔が短くなり、痛みが増して「出したい」気持ちになりました。
病院に着いて、そのまま分娩台へうつされ、2、3回いきんだらすぐに産まれました。
しかし、産声をあげません。
すぐに声を出すだろうと、私は産んだスッキリ感と満足感でいっぱいでした。
しかし、いつまで経っても声が聞こえないし、医師、看護師は赤ちゃんを囲んでいます。
そのうちに、ポンプみたいなもので蘇生処置をしたり、医師が看護師に指示を出したりするようになりました。
時間とともに、自然と涙が溢れてきました。
まだ、これから大きな声で泣くかもしれないのに。
30分したところで、私の胎盤も出され、医師は、大きな血の塊が胎盤と一緒に出てきた事を確認し「陣痛中か分娩中に、胎盤が剥がれたのだろう」ということでした。
帝王切開に切り替えたとしても、間に合わなかったそうです。
分娩台ですぐつけたNSTでも、心拍数は上がったり下がったりしていました。
そのときまで、陣痛がきて2時間も経っていませんでした。
娘は、咲は、ただただ眠っているようでした。
他の赤ちゃんと何一つ変わりなく、ただ眠っているだけでした。
咲は産まれて3日後、お空に還って行きました。
1ヶ月経った今、私は出産したと思えない程体調は良いです。
その反面、気持ちは、上がったり下がったり。
あの時、入院したままだったら・・・。病院に行っていれば・・・。
救急車内で出したかったのは、咲が苦しくて産まれたかったのか?出してあげたら良かったのか?
なぜ、私なの?なぜ、咲なの?何で胎盤剥離は起こったの?
何で、最後の最後で。
なぜ、あの子だけ逝ってしまったの?私は痛みも何もないのに。
咲ちゃん、苦しかったよね、生きたかったよね。
元気に産んであげれなくてごめんね。
ママのお腹に居て、幸せだった?
あんなに、すぐに産まれると言われていたのに、長くお腹に居てくれて、大きくなってくれてたね。
咲ちゃん、よく頑張ったね。
ママは咲のママになれて嬉しかったよ、幸せだったよ。
ママを助けてくれてありがとう。
産まれてきてくれて、ありがとう。
また、ママのもとへ戻って来てね。
いつでも、いつまでも待ってるからね。
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