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33週 一卵性双生児 ....
38週1日 死産
Name:
ゆに子
..nagoya1.commufa.jp
Date: 2010/12/18(土) 23:26
削除
Title: 33週 一卵性双生児 死産
結婚して10年、不妊治療でやっと授かった赤ちゃん。
双子と分かって、喜びも楽しみも大きかった。
切迫早産で28週から入院していた。
張り止めの点滴が離せない生活だったけれど、主人に支えられ、赤ちゃんのことだけ考えて過ごすことができた。
たくさんお腹に触れて、たくさん語りかけて、本当に幸せだった。
病院にいるから、安心していた。
突然、力強かった胎動がおとなしくなった。おかしいかな?と思ったけれど、看護師さんのチェックで「大丈夫」だと言われて就寝した。
翌朝、一人の心音が取れなくなっていた。
先生が「心臓が止まってる」と、言った。
看護師さんが「もう一人は助けようね」と言った。
それなのに、主人に連絡している間に、もう一人の心臓も止まった。
もともと帝王切開の予定だったから、産声を聞けない分娩に耐える気力は無いと思い、帝王切開で双子の男児を出産した。
温かくて、寝ているように可愛い赤ちゃんだった。
数日たって、どんどん実感する喪失感。
なぜ元気に産んであげられなかったんだろう?
私がママじゃダメだったのかな?
なんでこんな目に遭わなきゃいけないの?
お腹にいた時、二人は幸せだったのかな?
会いたいよ。
抱っこしたいよ。
何を見ても、何をしても、お腹に二人がいた頃を思い出す。
悲しくて、切なくて、死産がこんなに辛いものだなんて。苦しいよ。
今はまだ“空から見守ってくれてる”と前向きに捉えることはできない。
まだ二人がいないことを認めたくないんだろうな。
二人が私の元にやってきてくれた意味があるのなら、その意味を知りたい。
そして去った意味も。
不妊治療を受けて“授かることは当たり前じゃない”と思った。
そして今“この世に誕生することは当たり前じゃない”と思う。
こう思えるのって死産や流産を体験したから言えるけど、何事もなく出産してる人には分からないんだろうな。
命の重さを知った人たちにこそ、また赤ちゃんが降りてきてくれたらいいなぁ。
Name:
詩織ママ
..docomo.ne.jp
Date: 2010/12/14(火) 19:06
削除
Title: 38週1日 死産
産後6ヶ月で、半年間の契約で仕事に行っていました。
そろそろ退職という時期、下腹部にチクチクした感覚に気づき、すぐに子供を授かった事を悟りました。
その1週間後、検査薬で調べられる時期になったので、ドキドキしながら調べたら、やはり陽性反応がでました。
上の子が1歳になる直前でした。
それからは特に問題なく、順調でした。
お腹の子が女の子とわかって、とても嬉しくて、希望に胸を膨らませていました。
上の子を帝王切開で出産したので、今回も予定帝王切開での出産がきまり、手術の2週間前に検診に行きました。
そのときも、とても元気でした。
手術の前日に入院しました。
胎動を感じにくかったので、心音を確認して貰いましたが、そのときはもう、心音は聞こえませんでした。
パニックになりました。
その後、普通分娩させてくれる病院に転院し、処置を受けて、翌日出産しました。
初めての陣痛は本当に痛く、胸も苦しく、どうして亡くなっている子を出産するのにこんな痛い思いをしなくてはならないの?と泣きました。
生まれてきた子は2,540g49cmの可愛い女の子でした。
2晩、一緒に部屋で過ごしました。
抱っこして、沢山お話をして、本を読んで、キスもしました。
写真も沢山撮りました。
まるで眠っているだけのような我が子。
起きるんじゃないか?という錯覚を最後まで持ちました。
それなのに、退院の日に抱っこをしたら、体がもう壊れそうになっていて、子供が「もう、お別れだよ」と、言っているようでした。
実家に連れて帰り、姪やおば、いとこが来てくれました。
姪達が子供に手紙を書いてくれました。
そしてお見送りに皆で行きました。
私は「ちょっと旅行に行くだけ、すぐ帰ってきてくれるよ」と自分に言い聞かせ、気丈にお見送りしました。
三歳の姪が私を慰めてくれました。大きなぬいぐるみを持ってきて「赤ちゃんこれくらいやった?赤ちゃんの変わりね」と、言ってくれたり、私の髪をくしでといてくれて、思わず抱きしめました。
何故なら、亡くなった私の子は姪にそっくりだったから。
まるで、子供が慰めてくれているようでした。
あれから沢山悩み、落ち込み、考えました。
そして、元々通院していた病院にも不信感を持っています。入院予定の週の初めに「検診に来られないのですか」と電話が有りました。
しかし、毎回、検診が終わった時に「この時期に、次の検診にきて」と言われていたのに、最後の検診では言われませんでした。
もし言って下さっていたら、生きていたのでは無いか、と、主人も母も不信感を持っています。
次に出産するときは、出産させてもらった病院にしようと決めました。先生も、助産師さん、看護師さんもとても素晴らしく良い方ばかりでした。
今、あの子はきっと私の元へ戻ってきてくれると信じて、なんとか生きてます。本当は死んで逃げたいとさえ思いました。
上の子は、あの子が亡くなったとわかる数日前から急に夜泣きが酷くなり、火が着いたように泣いていました。
しかし亡くなっていることがわかった日を境に夜泣きはなくなりました。
今思うと、妹のSOSを知らせていてくれていたのです。
あの子は生きて生まれて来なかったけど、兄妹の絆は有ったのだと思います。
あの子が教えてくれた沢山の事、私達は一生忘れずに生きていきたいと思います。
無事に産んであげられなくてごめん。
でも、私を選んでくれて、ありがとう。
また会おうね。
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