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 2020年8月15日(土)
 妹の死(その1)

 8月7日に妹はあの世に旅立ちました。覚悟はしていたものの…自分とこの世で一番近い人が亡くなるということことの寂しさはことの他大きい。 
 
 2年前に母親が逝ってから、後を追うように今度は、60歳の妹に先立たれるというのは辛い。 
 
 妹は28年前にも、同じ乳がんで生死の境をさ迷ったことがある。その時も抗がん剤やコバルト治療を嫌がり、私は兄として出来る最大限のことをした。 
 

 幼い頃、父母が離婚し、私は父親につき、妹は母親についた。父親は兄妹とも引き取ろうしたが、4歳の妹は、父の手を振りほどき、母親の元に走ったのだという。兄弟が分かたれるというのは悲しい。妹と生活したのはほんのわずかな期間しかない。 
 
 母親についた妹は、経済的にも相当苦労したようだ。父親に対しては憎しみを抱いていたという。ただ、自分ががんと分かった時に、もう一度父親に会いたいと希望した。 
 
 何かの言い伝えなのか、妹は、父親に浴衣の帯を買ってもらったら…憎しみは消えると思い込んでいた。 
 
 父親に妹ががんであることを伝え、妹を熊本から呼び寄せ、当時は埼玉県に住んでいたので、上野の西郷像の前で28年ぶりの父親と妹の対面を果たした。 
 
 それは、まるで映画のワンシーンのようで一生忘れらない光景だった。その後、上野の松坂屋で浴衣の帯を買い父親は妹に手渡した。 
 
 その後、2ヶ月ほど妹を東京に滞在させ、大学時代の親友で、東洋医学の道に進んだ鍼灸師の友人を紹介し、様々な施術で妹のがんは良くなっていった。 
 
 その友人は、今でも西荻窪で鍼灸院をやっているが、コバルトで焼き尽くされてなければ、がんは直せるという。妹は熊本大学医学部の病院にいたときは、先生はろくに話を聴いてくれなかったが、友人は最初に2時間もかけて話を聴いてくれたという。 
 
 兄の親友ということでの安心感もあったのだろう。食べ物や針灸、飲尿療法などあらゆる療法を用いて、体を切ったりはったりすることなく回復に向かった。父親に対する憎しみが消えたことも大きかったかと思う。 
 
 5年後、熊本大学医学部病院で、妹と同じ部屋に入院していた、他の患者は亡くなってしまった中、妹は完全にがん細胞は消えていた。 
 

 長くなってしまったので、今日はここまでにしたい。左の写真は、41年前(妹は19歳)大学の学園祭に妹が来てくれた(その当時、妹は一時的に神戸そごうに勤めていた)ときの写真。大学は大阪経済大学。 
 
 

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