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 2020年8月16日(日)
 妹の死(その2:完)
 妹は8月5日頃から昏睡状態となっていた。ただそれは症状ではなく、あまりにも痛みが酷いのでより強い睡眠導入剤を投与しているからだという。 
 
 いずれにしてももう長くはない。せめて死に目に会えないかと病院に交渉したが、コロナ禍の中、親族でも見舞いはできないという。妹の夫も許可されていない。泊まり込みで付き添っている妹の息子だけが傍にいられる。 
 
 緩和ケア病院だというのに…かなり厳しい制限をされている。7日の朝に、病院の先生からそのような電話をもらった。亡くなるのはいつか分からないが、会えるのは病院ではなく葬儀場であることを覚悟して九州に向かうことにした。 
 
 公共交通を使うのに不安があったのと、現地での足を確保するためにも970kmの道のりを車で行くことに決めていた。ただ、出発間際の7日夕方に死去したことを告げられた。 
 
 早かった。現地で1週間くらい滞在することも想定していたが、あっけなかった。飛行機で行くことも考えたが、いずれにしても会えるのは葬儀場しかないので8日のお通夜に間に合うよう涙をこらえて走った。 
 
葬儀場のある熊本県宇城市(うきし)三角(みすみ)町は、私の生まれ故郷でもある。ただし、そこは母親の実家であり、お産のため一時産みに帰ったということなのだと思う。 
 
 天草五橋の1号橋のたもとで、昔は海運で栄えた町だ。2年前に母が亡くなり、実家も売り払われてしまったので、もう三角に行くことはお墓参りくらいしかないと思っていた。 
 

 8日の17時からお通夜式だった。コロナ禍の中、質素なものとなったが…その後も21時ころまで、近隣の方の参列が絶えなかった、妹は母と三角のまちで小さなカフェ等をやっていた時期があり、看板娘だった妹は明るい性格で地域の方からも慕われていたようだ。 
 
 最後の夜は、妹のご主人と息子、私の三人で過ごした、朝食は息子さんが妹の好物をコンビニで買ってきて、棺の前で一緒に食べた。 
 
9日13時から告別式〜出棺〜火葬となり16時頃熊本を出て帰途に就いた。父は約20年前に64歳で亡くなっている。一昨年母親が他界し、今妹がお骨になった。死というのを今まで以上に意識する。父親が亡くなった歳まで、あと1年しかない。 
 
 悲しみと焦りの感情の中で、覚悟を覚える。私は、これまで病気やケガで入院したことがない。それどころか歯医者や耳鼻科、眼科以外で医者にかかった覚えはほとんどない。 
 
 九死に一生を得たような、交通事故や外国旅行で恐い目に遭ったことはあるが、なんとか無事に生きてきている。 
 
 私には根拠のない自信があって、自分がこの社会に対して役割りがある限り死ぬことはない…ということだ。その役割とは何か、これもずっと探し求めているが、明確な答えはでていない。 
 
 漠然と思っているのは『市民活動と政治活動の融合』ということだ。どちらもこの社会をより良く変えてゆく活動だと思うのだが、必ずしもうまくは行ってないという思いがある。その両方を経験している自分には何かしら貢献できることがあるはずだと考えている。 
 
 妹の死を乗り越えて、早くに逝った妹の分まで生きていきたい。それもただ生きるのではなく、社会に何かしらの貢献をしながら自分の存在を燃え尽きるまで前に進もう。 
 
 そんなことをあれこれ考えながら、九州〜関門トンネルを抜け、下関〜長門〜萩〜益田〜浜田〜江津〜大田〜出雲〜松江〜米子〜鳥取〜余部〜豊岡〜京丹後〜宮津〜舞鶴〜小浜〜高島〜長浜〜関ケ原〜大垣〜岐阜〜可児と 
 

 日本海に沿って、ほぼ2日がかりで可児まで帰って来た。途中、出雲大社にもお参りできた。美しい海を見ながら、運転が好きで旅が好きな私にとっては悲しみを、次に続けるエネルギーに変換する貴重な時間となった。 
 
 奇しくもこのコースは、今から45年ほど前、18歳の時に鹿児島から埼玉まで、18日間かけて自転車で走り抜けたコースとほぼかぶっている。まだまだ、やり足りないことはいっぱいある。過去に捉われている時間はない。自分のできる最大限にチャレンジしていきたい。生かされているうちに…  
 
 

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