++山根一男の徒然日記++
山根一男HP 〜やまネット〜

山根一男掲示板

11月 30日(水) 議会初日…今日は、会議四つ
11月 29日(火) 十二月議会一般質問通告
11月 28日(月) 十二月議会の論点
11月 27日(日) 第7回かにNPOフェスタ
11月 26日(土) 帷子ユニックフェスティバル
11月 25日(金) 議会基本条例特別委員会
11月 23日(水) 二つの感動
11月 20日(日) 第26回可児川豪雨災害行方不明者捜索活動
11月 19日(土) 下呂行き鈍行列車
11月 18日(金) マツバギク冬支度
2011年 11月
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 2011年11月1日(火)
 エキスパートスタッフ養成セミナー・岐阜2
 今日は『中間支援組織・エキスパートスタッフ養成セミナー』岐阜会場第2日目である。午前中にはNPO法人Gネット代表 秋元 祥治氏とNPO会計に詳しい税理士 保木 陽三氏のレクチャー。 
 
 午後からは『言葉工房』主宰・大阪ボランティア協会が出版する、日本で一番古い歴史を誇る市民活動情報誌『ウォロ』の編集長を7月まで務めておられた吐山継彦氏の講演とワークショップだった。 
 
 Gネットの秋元氏は、岐阜市柳ヶ瀬に生まれ、10年ほど前まだ学生の頃からNPOを起業し、今では取扱い額年間6000万円にも上るNPO法人に仕立て上げた根っからの起業家である。 
 
 以前から面識はあったが、今日の講演を聞いてますます彼のすごさが分った。また、話し方も上手でまるで落語を聞いているような場面もあり、聞き手を飽きさせない。 
 
 NPO法人Gネットは、学生たちの起業へのインターンシップ等を手掛ける事業型NPOである。職員8名、ボランティアスタッフが30名ほどいて、いずれも若い。(ほとんど20歳代)秋元祥治氏は、経済産業省「地域産業を創りだす33人の演出家たち」に選ばれており、岐阜から全国に発信し続けている。 
 
 おそらく彼は、通常の起業家としても成功しただろうが、NPOでそれをやったところがすごい!彼の話を聴くと、おそらく大半の方はこれまでのNPOに対する認識が変わるだろう。 
  
 NPOは儲けてはいけないわけではなく、儲けを分配してはいけないだけで営業活動等は普通の企業となんら変わらない。ただ、ひとつ押さえておかなければならないことは、企業は儲けるために存在しており、NPOはミッション(団体設立の目的・使命)を実現するために活動する。 
 
NPO法人 G‐net HP↓ 
http://www.gifist.net/ 
 

 午後からは3時間半に渡り、吐山 継彦(はやまつぐひこ)氏の講演とワークショップだった。吐山さんとは大阪ボランティア協会時代(15年ほど前)に『市民プロデューサー養成講座』の企画時に一緒に仕事をした。 
 
吐山継彦氏紹介HP↓  
http://www.sbrain.co.jp/keyperson/K-7964.htm 
 
 『言葉工房』を主宰されているだけに『言葉』に対する思い入れが深い。インターネットが普及した現在のほうが、新聞雑誌の全盛時代よりもさらに「言葉」の持つ重みが増したと言い切っておられた。 
 
 実は吐山氏は、10年ほど前、可児にも3〜5回(回数の記憶はあいまい)くらい来られたことがある。 
 
 現在の可児市NPO協会(かにNPOセンターの運営団体)を設立するにあたり、私はその準備委員会の代表をやっていたことがあり、市からの要請をうけ市民公募で応募してきた委員のNPOへの認識を高めるための研修を吐山さんに依頼したのだ。 
 
 『融合のマジック』これはビートルズのジョン・レノンとポール・マッカートニーの関係性を表現した言葉だったそうだが、そのことをNPO界で広めているのが吐山さんだ。 
 

 終盤に行ったワークショップでも、その言葉が現実となった。今日知り合ったばかりの5人がグループを組んで、たった1時間で中間支援に関するイベント等の企画を練り上げるというものだが見事にそれができた。 
 
 吐山さんは昔、べ平連で大阪城公園に5万人の運動家を集めたという闘志でもある。65歳にはとても見えない。意気軒高で世の中を変えてゆくために常に前を向いて歩き続けている方だと思う。
 

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 2011年11月3日(木)
 平成23年度可児市功労者表彰式
 午前9時30分より可児市役所の正面の総合会館5Fにて、恒例の可児市功労者表彰式があり26名9団体が表彰された。恒例でない点は、これまではいつも表彰状を渡す立場だった山田前市長が、地方自治功労として表彰されたことだ。 
 
 先輩議員の芦田功元市議や可児教和元市議も地方自治功労として表彰された。本当にお疲れさまでした。他に社会福祉功労、教育・体育功労、産業功労、公共事務功労(井戸英彦前教育長)、地域振興功労という項目がある。 
 
 その他、多額の寄附をされた湯の華アイランドの社長、呉本勝男氏などお三方への感謝状の授与があった。基本的には行政並びに行政運営に協力したり貢献のあった方や団体に対する感謝の気持ちを表彰という形で表す会だ。 
 
 議員は国会議員・県議会議員・市議会議員とほぼ揃って拍手をする。いつもは国会議員は秘書が参加することが多いが、今日は今井雅人衆議院議員、藤井孝男参議院議員と本人が参加された。 
 
 来賓の祝辞にもあったが、人口減時代を迎え、また東日本大震災等大きな災害が頻発し、今や価値観や行動原理の変換を求められている、これまでの経験を大切にしながらも、いよいよ新しい価値観、方法で時代を切り拓いていかなければならない。 
 
 まぎれもなく、現代というのは多くの功労者の努力があって成り立ってきたものだが、今までのやり方や価値観をそのまま踏襲していけばいいというものではない。いよいよ一人ひとりの自立性が問われる時代になってくる。 
 
 次はわれわれの番だ。功労者表彰式に出ると、そんな心引き締まる思いがする。
 

>> 返信
 

 2011年11月4日(金)
 民主党東海ブロック地方自治体議員研修会
 4日〜5日と浜松市のホテルクラウンパレス浜松で民主党東海ブロック(愛知・三重・岐阜・静岡)の自治体議員フォーラム研修会があり伊藤英生市議や村上孝志県議とともに参加した。私としては初参加である。 
 
 岐阜県からは27名が参加した。研修内容は静岡県立病院機構理事長の神原啓文氏による『医療における喫緊の課題と静岡県立病院機構の紹介』、静岡県対外関係補佐官 東郷和彦氏(元外務省官僚)による『3.11以降の日本の現状と世界への影響〜国と地方に役割〜』 
 
 静岡大学人文学部教授 日詰一幸氏による『新しい公共政策に伴なうNPO団体の役割と期待』、環境大臣・原発担当の細野豪志衆議院議員(静岡5区)による『福島第一原子力発電事故に学ぶ』というものであった。 
 
 どのテーマも時宜を得たもので圧巻であった。特に細野豪志大臣は、以前にも一度お話を聴いたことがあったが、30代の若さで弁舌さわやか、たえず笑みを絶やさずに放射能汚染について語った。 
 
 除染の問題で今後、大量に出る放射能に汚染された土壌などの中間処理施設(30年間保管)とその後の永久保存施設の設置がポイントになるという考え方を示した。 
 
 この中間処理施設はいわゆるストックヤードと呼ばれるもので、可児市久々利の東海環状自動車道のトンネル工事残土のストックヤードと言いながら永久残土捨て場とされた事例を思い出した。 
 
 この残土に含まれている黄鉄鉱が悪さをして、新滝ヶ洞溜池の魚を大量に浮かせてみたり、極端な酸性水で水質を汚染してしまい、今もこの水の浄化プラントを稼動させている。 
 
 放射能汚染は、この黄鉄鉱の汚染とは比較にならない深刻な問題だが、考えてみれば福島原発の問題が起きる前から、この放射能汚染物の最終処分地は青森県の六ヶ所村以外にはなかった。 
 
 最終処分の方法も決まらない状態でこれまで原子力発電所をつくり続けてきた愚かさが露呈した形だ。私たちの世代の責任で処理するしかないが、本当に大変な課題だと思う。 
 
 一方で、放射能の汚染のない廃棄物、つまり東日本大震災で出た大量のガレキの処理を受けてくれる自治体が増えることを細野大臣からお願いされた。今のところ東京都だけが受け入れている。 
 
 可児市は当初、ささゆりクリーンパークでの受け入れについて、可能としていたが全国的な放射能汚染への不安の高まりの中で、現在は一切受け入れられないとしている。 
 
 しかし、これもおかしな話で「がんばろう日本」と一丸になって東北地方の復興を支援するといいながら、放射能汚染の疑いがあるというだけで、受け入れを拒否する姿は被災地の方々からはとうてい理解できないであろう。 
 
 来週も陸前高田市に行く予定だが、被災地にあってはこのガレキの山がいたるところにあって復興の妨げとなっている。もし、このガレキの山が放射能に汚染されているのなら、それこそ被災地の方々はおちおち外も歩けない。 
 
 東京都は集荷から埋立てまでの間に18回も放射線量を測定し、汚染がないことを確認して処理するという。石原都知事は問題発言も多く、好きになれない点もあるがこの件に関しては立派だと思う。 
 
 自治体は風評被害に惑わされることなく、毅然たる態度で住民に説明し説得して矛盾のない行動をすべきだ。すなわち現状では、口では東北地方の一日も早い復興を唱えながら、行動はその逆となっている。
 

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 2011年11月5日(土)
 帷子花火大会
 直前まで雨が降っていて、開催が危ぶまれた『帷子(かたびら)花火大会』が神明神社東側の帷子東広場を観覧場所として開催された。午後7時から約30分間スターマイン7基を含む800発が秋の夜空を飾った。 
 
 帷子地域の活性化を願う可児商工会議所帷子支部青年部を中心に帷子花火実行委員会が組織され、1年半前から計画されていた。実際に動き出したのは今年の夏頃である。 
 
 私も相談を受け、行政からの支援など模索したものだが、結果的には開催時期が迫っていることもあり、行政からはゼロ回答の中、270万円もの開催費用をすべて民間からの寄附によって開催にこぎつけた。 
 
 ここに至るまでの実行委員長の岡田朋幸氏らの苦労を知っているだけに、夜空に打ち上げられる花火を見上げながら涙が出るほど感動した。 
 
 事故のために可児市で打ち上げ花火が自粛されるようになってから、もう10年近い。そんな中で、それなら帷子地区で、この地域の活性化の願いを込めてと、東帷子古瀬地区の田んぼの持ち主一軒一軒に開催の承諾をお願いして回り、稲刈り後のこの時期ということで快諾してもらっていた。 
 
 それでなくとも日々の暮らしに忙しい30代、40代が中心である。地元の消防団の活動もしている方が多い。市役所や自治連などの協力もほとんど得られない中、何度も挫折しそうになりながら、田んぼの持ち主からいつやるんだと励まされながら開催にこぎつけた。 
 
 協賛企業は個人も含めて195団体にのぼる。地元帷子はもちろん、可児市の主だった企業が含まれている。よくこれだけ回ったなと感心する。 
 
 可児市商工会議所帷子支部青年部のメンバーは、これまでも西可児駅前の冬のイルミネーションや、4年目となる『西可児駅周辺を美しくする会』の清掃活動にも積極的に参加してくれている。 
 
 郷土を愛する若者の情熱と行動力が結実したのが、今日の花火大会だった。九州から連れてきたばかりの母親もとても喜んでいた。会場の帷子公園や周辺の道路は、どこから湧き出したかと思うくらい人でいっぱいで、この地域でこれだけ多くの人を見るのは初めてだ。 
 

 まちに繰り出している人の人数だけでも5,000人はくだらないだろう。いたる所で懐かしい顔にも会えた。家々からも十分楽しめたので、帷子地区の2万2千人の人たちが歓喜した。 
 
 花火が素晴らしいのは、皆が同じ方向を向いていることだと思った。それぞれの笑顔を観ているだけでも、幸せな気分になれる。若者たちのパワーは本当に素晴らしい。帷子地区の住人全体にとっても、今日は新たなスタートの日になった気がする。地域でやれることは地域でやる時代の先鞭をつけたといえる。スタッフの方には心から敬意を表したい。 
 
 


  これは、山根さんのうわべだけの美談である。
来年はもうやらなくてよい、協力しない。との声も多々ある。成功だけを美化して失敗の反省がなされていない。
「初めての事だから・・・」これが実行委員の言いわけである。
良かったことよりも、反省すべき点を反省しないと来年はない。
来年は「初めてだから・・・」の言い訳は通用しない。
通りすがり ..11/7 8:39(月)

  通りすがりさん、こんにちは。
今回の企画に関わった者です。
「反省すべき点」を教示していただければと存じます。次回開催時の参考にいたしますので。
レオン ..11/7 17:05(月)

  一般の市民の感想です。花火とても良かったし自分の周りの人でよくなかったという人いないです…また来年もみたいという人が周りでは100%なんですけど…美談ていうほどの話ですかね。協力しないという企業がいるなんて それはそれでいいのですがね…そういうこと知り得るのはーーーもしかしたら…企業の重要な位置におられる方なのかな…例えば取締役でなおかつ…おっとこれ以上はーーーーwただ運営された方々の苦労を労ったり感謝の意を表してるだけでしょ…普通のことです…美談を作り上げてるって貶める意味不明ですな…
又三郎 ..11/15 18:04(火)
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 2011年11月6日(日)
 かにかも 高校生有志33名 陸前高田へ
 朝9時から、地元若葉台自治会主催の「歩け歩け大会」に参加した。毎年恒例で今年も460名もの住人が応募した。460名という数は単純に計算すると若葉台の人口3200人の約15%にも及ぶ。 
 
 距離は4kmと4.7kmの2コースで私は長い方を希望した。最後にお汁粉のサービスがあったりするが、単純な歩け歩け大会にどうしてこれほど多くの参加者があるか未だに分らない。他の地区はどうなのだろう? 
 
 10時30分からは、西可児駅前パレ・マルシェを中心に青少年育成市民会議帷子支部の恒例行事で、駅前やスーパーの前で道往く人に啓発グッズである使いきりカイロを手渡した。 
 

 14時からは少し足の不自由な母親を連れて、可児市文化創造センター(アーラ)に行き、可児ウィンドオーケストラ第14回定期演奏会に行った。この吹奏楽団は、一昨年前の可児市民ミュージカル「あいと地球と競売人」で音楽を担当してくれた楽団だ。母はとても喜んでくれた。 
 
 そして、19時からは同じ可児市文化センター(アーラ)の2Fデジタルアート工房にて、来る11日夜発、高校生対象陸前高田市行きバスの参加者説明会を行なった。 
 
これまでに桂川博文代表を中心に、可茂地区(可児市・可児郡・美濃加茂市・加茂郡)の9つすべての高校に呼びかけたところ68人からボランティア希望の申し出があった。 
 

 12日が学園祭当日である可児工業高校と、帝京可児高校(私立)を除く7校から応募があり、抽選の結果33名の高校生を選ばせてもらった。特に加茂高校・美濃加茂高校(私立)・八百津高校は二桁の応募があり、競争率は高かった。 
 
 内訳は可児高校(2名)・東濃高校(3名)・東濃実業高校(2名)・加茂高校(11名)・加茂農林高校(3名)・美濃加茂高校(9名)・八百津高校(3名)である。 
 
 申し込み者の約8割近く、参加決定者の7割近くは女性徒だ。加茂高校では10名近い女性徒が、1人で申し込んで来た。すごい覚悟だと思う。それにしても女性パワーの凄まじさはこの年代からしてそうなのか…と男としては少し淋しい気持ちになった。 
 
 先日の民主党の浜松での研修で、元外務省官僚の東郷和彦氏は、最近の若者(主に男子か?)はウォシュレットのない国には行きたがらないと嘆いておられたが、そんな兆候が高校生の段階で顕われているのかもしれない。 
 
 それはそうと、この自ら手を挙げて、選ばれし高校生たちは陸前高田市に行って何をやるか?もちろん復興支援ではあるが、最近の状況としては単純なガレキ処理などの作業依頼は減ってきている。 
 
 そこで、去る10月23日付けの中日新聞他で第一面で紹介された『桜ライン311』の植樹作業を手伝わせていただくことになっている。これは市内の津波到達線173kmに10mに一本くらいの感覚で桜の木を17300本植えるという遠大な計画だ。 
 
桜ライン311 HP↓ 
http://www.sakura-line311.org/ 
  
 これは津波で奥様を亡くされているにもかかわらず、壊滅状態に陥った陸前高田の復興に命をかけておられる戸羽太市長(46歳)の近著で厳しい冬の終わりを告げる桜を被災地に植える夢に共感した地元青年団の団長を務めておられた橋詰琢見氏(34歳)ら有志10名ほどで企画したという。 
 
 ボラバスねっと・かにかも代表の桂川さんは、いち早くこの団体と連絡を取り、岐阜県から行く高校生たちにこの作業を手伝わせてほしいとお願いしたところ、快諾していただいた。 
 
 単なるガレキ処理などのボランティアでは、同じところにまた行ってみようという気にはなれないかもしれないが、若い高校生たちが植えた桜は、いつか彼らが大人になり子どももできた頃、これはお父さん達が植えた桜だよ…と言ってやれるのではないかと思う。 
 
 17300本もの桜の木の植樹には苗木の購入だけでも1億円以上のお金がかかるとされている。当然、穴を掘ったりする労力も必要だ。 
 
 岐阜県には、昭和41年今は廃止されている名古屋と金沢を結ぶ266kmを走る旧国鉄バス名金線沿いに30万本もの桜を植えることを夢見た名金線車掌、故佐藤良二さん(享年47歳・昭和52年没)という偉大な先輩がいる。 
 
『さくら道』名金線車掌 佐藤良二さんのこと↓ 
http://www.bbt.co.jp/bspe/index120.html 
 
 各務原市の桜の回廊計画もある。可児加茂地区の高校生たちの行動が、岐阜県中、いや日本中の復興を願う人たちの心に火をつけてくれることを願う。 
 
 高校生33名を乗せたバスは、11月11日金曜日の19時頃、可児市役所駐車場を出発する。  
 
 

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 2011年11月8日(火)
 エキスパートスタッフ養成セミナー・可児2
 今日は、中間支援組織・エキスパートスタッフ養成セミナー可児会場(可児市福祉センター)2日目。とてもとてもエキサイティングな講演だった。 
 
 午前中は、1番バッターが岐阜会場2日目と同じ、NPO法人G‐net理事長の秋元祥治氏、そして二番手が、わが「かにNPOセンター」事務局長の山口由美子氏だった。 
 
 秋元氏は岐阜会場でのパワフルさを可児でも発揮し、可児・多治見・恵那・関・下呂・美濃加茂等のNPO中間支援組織の度肝を抜いた。山口由美子氏も短い時間で、現在の中間支援組織の現状や課題点などを分りやすく語った。 
 
 思えば、可児市に市民活動センターをつくろうという気運が盛り上がり、私自身もそのことにどっぷりつかっていた頃から早十年が過ぎようとしている。その頃からすると、今のかにNPOセンターはものすごく整っている。 
 
 もちろん可児市におけるNPOの課題はまだまだいくらでもあるが、それでも可児にはかにNPOセンターがあるだけ、解決の糸口が見つかりやすい。かにNPOセンターの指定管理を受けているのが可児NPO協会だが、着実に力をつけてきていると思う。 
 
 可児市はNPOセンターの設立に取り組んでから、すでに10年の歳月を経ているのだが、県内諸都市でも各務原や美濃、郡上、下呂、中津川、瑞浪、土岐などには未だにそのようなセンターはない。 
 
 さて、本日のエキサイティング講座の極めつけは午後1時から4時半まで、びっしり3時間半の講義とワークショップをされたIIHOE人と組織と地球のための国際研究所代表の川北秀人氏である。 
 
川北秀人氏紹介HP↓  
http://eco.goo.ne.jp/business/csr/review/kawakita.html 
 
 川北さんはものすごいエネルギーで理路整然ととても分りやすく語る。テーマは『NPOの運営を支えるための2歩先の視野、7つの力』というものだった。 
 
 川北さんは、それこそNPOや企業の人材育成やマネジメントの分野では草分け的な存在であり、特にNPO業界では超有名な方である。そして、当然超ご多忙な方でもある。 
 
 ずっと以前からお名前は存じ上げていたが、実際にお会いしたのは今年1月27日の私のブログにもあるが、東京都江東区で行われたパナソニックNPOサポートの助成金贈呈式だった。そのとき、いつか講師で可児市に来てくださいとお願いしていたが、こんなに早く実現するとは驚きである。 
 
 やはり、そのときに直接会いに行ってよかった。今日、川北氏のレクチャーを受けた可児市を含む、中・東濃地区の多くの中間支援センターのボランティアらの胸に大きなインパクトを与えたのは確かだ。 
 
 16時30分講座終了後、今日の23時以降に福島県のいわき市まで行かれるそうだ。思わず名古屋まで送っていった。政治家の秘書も務めておられた川北氏、引き出しがいっぱいあり、いろいろな話が聴けた。これも役得である。 
 
 

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 2011年11月10日(木)
 エキスパートスタッフ養成セミナー・岐阜3
 10月25日に始まった中間支援組織・エキスパートスタッフ養成セミナーも岐阜会場での最終回(3回目)となった。全体では、11月17日に可児会場での3回目を残すのみである。 
 
 今日は午前中は、岐阜市のふれあい福寿会館で、ぎふNPOセンター事務局長の原美智子氏による『NPO活動資金の集め方』と大垣市の市民協働支援機構 理事長坂忠男氏による『中間支援センターの本来業務と現状』といういう二人の講師によるレクチャー。 
 
 午後からは、お隣の滋賀県か龍谷大学社会学部地域福祉学科教授の筒井のり子氏による『中間支援組織におけるボランティアコーディネーションの意味と必要性』といテーマでお話していただいた。 
 
 筒井先生は日本ボランティアコーディネーター協会の設立に携わり、つい先頃まで代表理事を務めておられた方だ。いわばわが国のボランティアコーディネーターのオーソリティである。 
 
龍谷大学 筒井のり子教授ご紹介HP↓ 
http://www.ryukoku.ac.jp/who/detail/589704/ 
 
 そして、その筒井先生に講師を依頼したのは17年ぶりだということで、お互いに月日の経つ早さに絶句した。あの阪神淡路大震災の前の年、私がボランティアにはまり始めた頃、ボランティアことはじめ講座という企画の中で講師依頼して以来のことなのである。 
 
 ボランティアコーディネーションという概念は、とても広く先生の説明を聴いてその意味がよくわかった。今の日本、ボランティアはいくらでも集まるがボランティアコーディネーションができる人は多くはない。 
 
 まさにこのことが課題である。コーディネーションにもいろいろあるが、行政職員にもこの資質は不可欠である。筒井先生の講義をぜひ行政職員にも聞かせたいと強く思った。 
 
 『自発性を励ますものは自発性しかない!』ボランティア業界の名言だ。いつも前大阪ボランティア協会事務局長 早瀬昇氏の講演などで聞くことが多かったのだが、今日その発祥は筒井のり子先生であることが分った。
 

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 2011年11月12日(土)
 高校生33名,陸前高田で桜を植える
 11日(金)の19時に可児市役所駐車場を出た。その後、美濃加茂市役所駐車場でも高校生たちを乗せ出発した。可児加茂地区の7つの高校生33名と、スタッフ8名の計41名だ。 
 
 途中、南三陸町や気仙沼市街を通るルートを取った。南三陸町は陸前高田市同様、市街地が消滅したままだ。『復興』とは名ばかりで、かつて賑わっていたであろう市街地が何もない更地になっている。 
 
 ところどころに、敗戦後の日本の空襲で焼き尽くされた町のように、ところどころに三階建て以上のビルや、うず高く積み上げられたガレキの山々が散在している。 
 
 陸前高田市の災害ボランティアセンターに着いたのは12日午前8時10分。実に13時間程かかったことになる。8時30分からの災害ボランティアセンターのオリエンテーションには間に合った。 
 
 実に、この日ボランティアはバス21台660名+個人参加で700名以上だという。そんな中で東京の横河電機ラグビー部の人たちが、ボランティアセンター(ボラセン)8万人目の団体ということで表彰された。 
 
 恥ずかしながら…とおっしゃられていたが、震災後7ヶ月目から4週連続で30〜50名の団体で来られているという。見るからに屈強な男性チームだった。 
 
 とにかくボラセンに来られている人は若い人が多い。20代・30代がほとんどだ。そんな中でもひときわ若い一団だ我がチームだった。さすがに高校生主体のチームは珍しいようだ。 
 
 陸前高田市災害ボラセンに来るのは9月23日以来だが、その時も感動したが、実にシステムが良くできている。気持ちよく、安心して安全に作業ができるように組まれている。 
 
 他のまちの災害ボラセンをすべて見て来たわけではないが、かなりのレベルだと思う。何故そう思うかというと、最後のお見送りの段階まで、すべてきちっと、それも義務感ではない心からの対応をしてくれるからだ。行政職員等は一度は、このシステムを見ておいたほうが良い。 
 
 ボラセンでの受付を済ませ、器材などもお借りして『桜ライン311』の現場に向かった。桜ライン311実行委員会事務局長の佐藤一男氏に案内していただいた。 
 
 その他、全国青年市長会が陸前高田市に開設している『陸前高田市復幸支応援センター』から3名の方がサポートしてくださった。これは趣旨に賛同する49歳以下で当選された全国の市長59市長から成る組織だ。 
 
 陸前高田市の市長がそのメンバーであったことから応援するようになったようだ。この日もそれぞれ稲城市、足利市、茅ヶ崎市の職員の方が来てくださった。どなたも親切でてきぱきしていて、各市の精鋭ばかりだと思った。 
 
 単に陸前高田市役所の応援ということでなく、あらゆる角度からまちの復興をサポートするべく、各会員市から職員が数ヶ月単位で送り込まれる。残念ながら岐阜県には会員市はないが、優れたシステムだと思う。理由はどうであれ、全国の自治体は被災地の復興に直接参加すべきだ。 
 
全国青年市長会HP↓ 
http://www.pear.ne.jp/seinensityokai/ 
  
 さて、植樹の方だが、実は第一回目の桜の木の植樹作業は11月6日に終わっていて、つぎは来年3月の予定だが、私たちの団体(ボラバスねっと・かにかも)の申し出が早かったせいか植樹の苗を残しておいてくださった。 
 

 高校生たちにとっては得がたい体験となった。ただ、考えてみても津波の到達点というのは斜面が多い。かなり急斜面に植えるのだ大変だ。この日は竹駒地区など、実に海岸から5kmも内陸の土地等で植えた。 
  
 誰がここまで津波が押し寄せて来ると思うだろう?きっと、千年先の人からも感謝されるであろう。ただ夢を語るのは簡単だが、実際にそのことを実現させようとしている方の苦労は並大抵なことではない。 
 
 以下、高校生たちが帰りのバスの中で書いてくれたアンケートより、何人か抜粋したい。↓ 
 
『テレビで見るよりもひどく、初め見たときは言葉が出ませんでした。8ヶ月も経った今でも車がたくさん積んであったり、崩壊した建物があったりと、3月11日に起きた地震がどれだけのものだったか思い知らされました。』(高校生女子) 
 
『リアルに目にして心が痛んだ。あったはずのモノが無くなっている恐怖や、今自分に帰る場所がある幸せを感じた』(高校生男子) 
 
『テレビで見るのと実際に見るのは、全然違った。たった一瞬で色んな物をのみ込んでしまって、ありえないと思う。今を生きていることがどんなに嬉しいことなのか改めて思った。』(高校生女子) 
 
『テレビでは見ていたけど、実際にここまでひどいとは思わなかった。同じ地域なのに全く被害のない所との差がはげしくて、びっくりした。すごく心が痛かった。』(高校生女子) 
 
『桜の木を植えてみて、この桜がこれから先に、もし津波が来た時に役に立てばと思いました。今回の活動ではバスも活動でも、ボランティアの方や見知らぬ人のおかげで活動することができました。ありがとうございます。私一人だったら、活動に参加することはなかったと思います。今日感じたことを忘れないようにします。』(高校生女子) 
  

『8ヶ月も経ったので、ガレキとかはほとんど撤去されているかと思ってたけれど、ガレキの山が沢山あるのに驚いた。ここに人が住んでいて、津波が来て多くの被害者がでたかと思うと棟が痛い。』(高校生女子) 
 
『思っていたより(桜の木の植樹は)難しい作業でした。桜の扱いが、中々大変なことに驚いた。今はまだまだだけど、いずれ大きくなったら見に行きたいです。』(高校生女子) 
 
『8ヶ月もたっていて、新聞やテレビでも、復興がどんどん進んでいるようなニュースが多い中、実際に見てみて、ガレキが山のようにある現状にとても驚きました。その中で、前向きな現地の方の姿や、熱心に活動されるボランティアの方々の姿が印象的でした。本当に町が戻るまで、まだまだ時間がかかると思うので、自分のできることをしたいと改めて思いました。』(高校生女子)
 


  今回スタッフとして参加させていただきありがとうございました。学生にとって岐阜に居ては感じる事の出来ない感情を心に持ったと思います。その感情を伝え自分に出来る支えとは何なのかしっかりと考えて行動へ繋げて欲しいと思います。

毎日の生活の中辛く・悲しく・襲ってくる不安・悩みいつ撤去されるのかも解らないガレキ
元に戻る事のない大切な風景
本当の笑顔が戻る為に私たちは何が出来るのだろう?
これからも現地の支えになる事に積極的に参加したい。

今回は現地の方々におんぶに抱っこ状態と感じました。
計画段階で色々と考えられ決まったと思いますが…多くの学生達に参加しやすく現地へ行って欲しいですが…半額でも良いので参加費を頂きその参加費を桜の苗木購入や手入れの費用へ支援できれば良かったなぁ〜と感じました。
お疲れ様でしたm(__)m
こもだ ..11/14 23:22(月)

  こもださん、ありがとうございました。本当に助かりました。
わずかでも参加費を取るかどうかは、かなり議論しました。ただ、今回は赤い羽根共同募金からの支援もあり、高校生も集まるかどうかも分らない状況からのスタートでしたので無料にしました。
山根 一男 ..11/21 1:00(月)
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 2011年11月14日(月)
 西可児駅前早朝行動
 今日は定例の早朝行動、民主党議員団(?)で西可児駅前に朝6時半頃から立った。今井雅人衆議院議員は、都合がつかず今日はパスであったが、岐阜県議の村上こうし議員と同僚市議の伊藤英生議員の三人だ。 
 
 やはり早朝からマイクを持つと気持ちが高揚する。若い伊藤英生議員は、パンチがあり要点を押さえた演説をする。市議に当選するまで、8年以上努力してきただけに根性はただ者ではない。 
 
 拙著:『脱サラ市会議員奮闘記』に出てくる、9年前、私が初めて市議会議員に挑戦しようと16人の友人たちに意見を聞いた(これを瀬踏み行為という)ところ、唯一その場で協力を約束してくれたのが伊藤英生氏であった。 
 
 今は二人で『民主ネット可児』という会派を組んでいる。民主党岐阜四区総支部の彼は事務局長、私は副支部長という関係でもある。国政レベルのことでは何かとままならぬことが多いが、せめて地方から名実ともに市民本位の政治を目指して行きたい。 
 

 午後からは、アーラ(可児市文化創造センター)で可茂地域市町村議会議長会議員研修会に参加した。全国市町村国際文化研究所客員教授で、岐阜県副知事も務めた大野慎一氏の『議員にとっての地域防災』というテーマで話された。 
 

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 2011年11月16日(水)
 津山・福山 建設経済委員会行政視察
 昨日・今日と岡山県津山市と広島県福山市へ建設経済委員会の行政視察へ行って来た。8月に新メンバーとなり、だいたいこの時期に、各常任委員会ごとに委員会の所管に関する行政視察が入る。 
 
 これはおそらく日本中同じ傾向と見えて、他所の議会もこの時期の視察が多いようだ。昨日も名古屋に出る名鉄線で、お隣の犬山市議会の行政視察メンバーと隣席になった。 
 
 昨日は、津山市で『つやま新産業創出機構による産業振興策』について、説明を受けた。これはたいへん参考になった。津山市は人口10万7千人と可児市と大差なく、何よりも可児市とは歴史友好都市である。 
 
 これは、合併前の兼山町がそうであったのを可児市として引き継いだもので、一度、この件一般質問もしたことがあるが、あまり可児市民には知られていないと思う。 
 
 その由来は、1603年それまで兼山の城主(城の名前は金山城)だった森忠政公が、美作一国18万6500石の国持ち大名として津山へ移封されたことに拠る。 
 
 研修終了後にお城も観てきたが、金山城くらいのイメージでいたが、とてもとても立派なものであった。私は城が好きで、各地のお城を見てきたが、天守閣こそないが、津山城のその石垣は熊本城を思い起こさせるほど重厚なものである。 
 
 おそらく殿様と一緒に、兼山の侍たちも大勢津山に行ったことだろう。今でこそ兼山は小さなまちだが、その昔は現在の可児市、美濃加茂市、多治見市辺り全体を支配していたのである。 
 

 津山市はいわば親戚筋にあたる。こういった歴史的な縁は大切にすべきだと思う。視察時にも冨田可児市長から、津山市長宛の親書が山田委員長の手によって津山市の副市長に手渡された。 
 
 つやま新産業創出機構であるが、これは産官学民の協働により、津山市の得意とするステンレス産業や、食料産業、人材育成などをつなぐシステムであり、行政では直接手を出せないようなことでも、機構という仕組みを使って自由にできるのが良い。 
 

 B1グランプリで見事、準優勝となった『津山ホルモンうどん』もこういった基盤があって生まれてきたものである。可児市の場合は、商工会議所や市役所の商工観光課辺りが取り組んではいるが、津山市の『機構』のように体系立てられたものではない。大いに参考になった。 
 
 そして、今日は広島県の福山市に『ばらのまち福山の取り組み』について行生視察に行った。福山市は市制95年、口47万人の堂々たる都市だ。 
 
 ばら制定都市会議というのがあって、全国でばらを市の花に制定している22市町が加入しており、毎年会議が行われる。今年は福山市であったが、来年5月には可児市で開催される。 
 
 私もばらが好きで、我が家にもばら園(10品種10本程)を開設したが、この夏の暑さで見事に枯らしてしまった。ばらは手間がかかるが、その分優しさや思いやりの心が醸成されるという。 
 
 可児市には栽培品種数で世界一と言われている花フェスタ記念公園があることから『ばらのまち可児』というキャッチフレーズで、「かに乙女」という可児のばらまで制定したが、福山市の取り組みを聞いたら、少し恥ずかしくなった。 
 

 福山市は1956年春『戦後の荒廃した人々の心に潤いを』という思いから、地域住民が現在のばら公園に1000本のばらを植えたことからスタートしている。現在、市内に70万本程度のばらが植えられており、これを平成28年には100万本のばらのまちにする計画だという。 
 
 家を新築した人にばら苗を2株配ったり、公園のばらのオーナー制度や、ばら苗を育てる方、ばらの花壇をつくる方に補助金を出したり、ばらに関するだけで24項目に渡る施策を推進している。 
 
 予算は1900万円ほどで、福山市の規模からいえばそれほど大きな予算ではない。それでいてまちの知名度やイメージアップ、市民への協働意識と「ローズマインド」言われる「思いやり」と「優しさ」を育む効果が期待されている。 
 
 可児市の場合は、ばらを活かした観光と交流のまちづくり事業として、地域活性化戦略会議で検討中というが、もっとばらに特化した取り組みがあっても良いのではないかと思う。 
 
 おそらくこういうことは、命がけで取り組むような職員か市民が一人でもいれば進むのだろう。もしかしたらそういう方はすでにいて、私が知らないだけかもしれないが…この件、担当部局とよく話し合ってみたい。 
 
 


  津山市には、2007年に「可児市・津山市歴史友好都市縁組津山・赤穂の旅」のメンバーに兼山歴史研究同好会の一員として参加しました。

兼山では、以前から犬山城の天守閣は兼山城から移築したということが定説となっています。
いざ現場に行きましたが、大きさに驚きをもつことは無かったことを思い出します。

なかなか、進捗状況が進んでいなかったことが、懸念されていましたが少しは進みかけていることが確認できてほっとしました。
mario66 ..11/17 11:08(木)
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 2011年11月17日(木)
 エキスパートスタッフ養成セミナー・可児3
 10月25日から岐阜市でスタートした中間支援組織・エキスパートスタッフ養成セミナーも可児市会場での3日目、岐阜・可児の通算6日目の最終日を迎えた。 
 
 今日も3人の講師による講義と、最後は私の進行役での全体討論会で締めた。場所は可児市福祉センターである。 
 
 午前9時30分からは、森のなりわい研究所代表の伊藤栄一氏。可児市の景観アドバイザーもされており、6〜7年前だったか私が南帷子小学校のPTA会長だった頃、校内にある『わんぱく山』の修復計画策定についてアドバイスをいただいたこともある。 
 
 テーマは『中山間地におけるNPOの役割』。森林のこと、林業のこと、生態系について伊藤栄一氏は、元岐阜大学の先生であり造詣が深い。一見、中間支援組織と森林については、関連がなさそうであるが、全国でも2番目に森林比率の高い岐阜県としては押さえておかなければならないテーマだ。 
 
 午前中後半は、税理士の保木陽三氏による『NPO法人の手続・会計・労務』。通常なら2〜3日かかるテーマを、1時間でポイントだけ学んだ。中間支援組織に携わる方なら知っていなければならない最低限の知識である。 
 
 午後からは、東京のシーズ・市民活動を支える制度をつくる会のプログラムディレクター関口宏聡(せきぐちひろあき)氏による『NPO法人への寄附税制改革と利用のポイント』だ。 
 
 このシーズというのは、特定非営利活動促進法の制定や、今回の改正などに大きな役割を果たしたNPOである。たまたま、現在は副代表だが、これまでシーズを引っ張ってこられた松原明氏と大阪にいた頃知り合っていたので、講師にお願いした。 
 
特定非営利活動法人シーズ・市民活動を支える制度をつくる会HP↓ 
http://www.npoweb.jp/ 
 
 本人は来られないということがだ、関口宏聡氏を講師として指名いただいた。今回のセミナーで私が唯一会ったことのない講師であり、多少の不安はあった。 
 
 12時30頃、日本ライン今渡駅まで迎えに行った。とても若い方であり、びっくりしたが、とても気さくな方であった。 
 
 講義は2時間の予定が、質疑を入れたら2時間半、さらにその後の討論会にも参加いただいたので結局4時間半もつき合っていただいた。話はとても上手でポイントを押さえ、とても分りやすく説明していただいた。 
 
 私もNPO法の改正については、字面上では理解していたつもりだったが、説明を聞くほどに、その改正が今後のNPOの進展にどれほど多くの影響を与えることになるか想像できるようになった。 
 
 そして、これは犬山駅まで関口氏を送っていく中で確信したが、この改正NPO法こそ民主党政権、中でも『新しい公共』という概念を力説した鳩山元首相の功績である。 
 
 簡単に言えば、改正NPO法とは認定NPO法人の資格を取りやすくする法改正である。認定NPO法人とは、通常のNPO法人よりも、より高いランクにあり税制上の優遇措置が得られる。 
 
 優遇措置とは、例えば個人なら認定NPO法人に寄付をした場合、寄付金控除が受けられるし、法人の場合は損金算入限度額の枠が拡大され、相続人は、寄付をした相続財産が非課税になる。 
 
 ところが現在は、この認定NPO法人の資格を取るには国税庁の認定が必要で、かなり難しい。全国にNPO法人は4万4千以上あるのに、認定NPO法人は238しかない。 
 
 岐阜県には、高山市のソムニードと、岐阜市のいのちの電話の2件だけだ。改正NPO法では、認定NPO法人の条件が大幅に緩和され、3000円以上の寄付者が100人以上いればいいようになった。 
 
 その他にも、沢山条件はあるのだが、これなら取れそうだというレベルに下がってきた。本格的な施行は来年4月だが、すでに要件の緩和などは行われているし、来年1月からは市町村単位でも条例制定により6%の税額控除ができる。 
 
 これに県による4%の控除と、国税所得税分40%を加えると、例えば認定NPO法人に1万円寄付した場合、5000円が還付される。このことは、つまり5000円しか寄付していないのに、寄付先のNPO法人には1万円が入ることになる。 
 
 NPOには17分野、今回の改正でさらに3つ増えて20分野がある。国際協力や 
福祉・環境・まちづくりなど社会的課題の解決を図るためにあらゆる分野がある。 
 
 認定NPO法人が増えれば、自分が応援したいNPOに寄付することによって、自分で税金の使い道をある程度決めることができるようになるのだ。信託銀行による応援したいNPOへの生前贈与みたいな制度もスタートする。 
 
 NPOにどうやったらお金が回るか?今後の『新しい公共』推進のカギを握るテーマだが、今回の改正NPO法により、少なくとも寄付税制においては、各国と比べても遜色ないものとなる。 
 
 ここまでこぎつけるのにシーズはじめ、NPO業界と民主党議員の大きな支えがあった。今度は地方の番である。可児市も早急にこの改正NPO法を受けての施策を考えなくてはならない。 
 
 関口氏は、法改正にも携わって来られただけに、分りやすく自信に満ちた説明ができるのえある。数多くのNPOと接触する中間支援センターの職員については特に有意義な講義内容であった。 
 
 さすがに全国レベルの講師陣は強力だった。それとともに県内の中間支援組織では、ほとんど職員の研修体制というものがないことが判明した。今回の講座でこのセミナーは終わったわけではない。来年3月まで各種研修が続く。私はその企画をしなければならない立場にある。 
 
 ぎふNPOセンターにいたときにもできなかった、県内の中間支援組織のネットワークができつつあることが嬉しい。
 

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 2011年11月18日(金)
 マツバギク冬支度
 このところ、空いた時間を利用して西可児駅周辺の植栽ます(街路樹の下など)のマツバギクの手入れをしている。空いた時間、それも暗くなりかけの夕食前の1時間程がほとんどなので、たいがい一人でやる。 
 
 今日は、明日雨が降りそうなのでもう少し早い時間にした。何をやるかといえば、伸びすぎたマツバギクを抜いて、あまり生えていない部分に植え替える。 
 
 写真に写っているが、一部九州から移植してきたガザニアも株分けする。春でも遅くはないのだが、体験的に冬を乗越えた株は強い。4年も続けていると、現在はほとんどの街路樹下にマツバギクが自生するようになった。 
 
 悩みは花いっぱい運動のときに、雑草と間違えられるのか一部抜かれてしまうことだ。それでも、以前よりはだいぶ認識されるようになったみたいで、今年はほとんど抜かれはしなかった。 
 
 ただ、花いっぱいで植えられる植栽ますはごく限られている。街路樹のない一部の植栽ますだけだ。駅前の一等地には、ぜひバラなども植えられたらいいと思う。今年は予算があまりないのでチューリップを130球ほど植えた。 
 
 公共の土地を花いっぱいにする。やらされているのではなく、自らやる。これは結構楽しい。たった一人であっても、来年5月頃にこの辺りいったいにピンクの花のじゅうたんができると思うとわくわくする。 
 
 西可児駅周辺を美しくする会の一員としてやるので、一応大義名分は立つ。ぜひ、この楽しみをお分けしたい。自分の家の花壇や畑の手入れをするよりも、やりがいはある。一緒にやれる方募集中!(希望者は山根携帯090−1821−4777まで) 
 なお、今度西可児駅周辺を美しくする会として、大々的に清掃活動をするのは、12月25日(日)午前9時30分からの予定である。
 

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 2011年11月19日(土)
 下呂行き鈍行列車
 今日は朝から雨だった。9時30分から、第30回目となる可児農業祭が、花フェスタ記念公園で開催された。今日と明日の二日間、このときとばかりに、普段は800円の入場料が必要な花フェスタ記念公園がタダになる。 
 
 おそらく農業祭は、経済効果でいえば可児市最大のお祭りだ。あいにくの雨だったが、それでも大勢の方が集まって来る。私も野菜や果物、お弁当、花苗など両手に持ちきれないくらい買い込んだ。 
 
 さて、表題の件だが18時より、下呂の水明館において山田良司衆議院議員の政治パーティがある。さて、どうやって行こうか?普段はほとんど車だが、パーティであるのでアルコールはつきもの。電車で行くことにする。 
 
 下呂に行くには高山本線に乗らなくてはならない。高山本線は可児市を通っていない。最寄の駅は、お隣美濃加茂市の美濃太田駅である。ただ、美濃太田駅は車なら15分程度だが、電車だと乗り換えによっては1時間ほどもかかる。 
 
 結局、新可児駅から太多線に乗り換え、美濃太田駅に行くルートでは時間の乗り合わせが悪く、名鉄犬山駅に出て、鵜沼でJR高山本線に乗り換えるルートをとった。 
 
 こういうルートで美濃太田駅に行くという発想がなかったが、西可児に住む者にとっては、このルートのほうが効率的だということに気づいた。 
 
 15時07分鵜沼発の高山行き鈍行に乗り込むことができた。下呂までの小一時間、あいにくの雨だったが、素敵な景色の連続で飽きなかった。その昔、高校時代頃、各地の鈍行列車を乗り継ぎ、全国を渡り歩いた頃のことを思い出した。 
 
 私は学生時代に8日間かけて、シベリア鉄道でヨーロッパへ行ったり、新婚旅行も車中3泊、ロスアンゼルスからニューヨークまで列車の旅をしたくらいなので、鈍行列車に揺られることは苦でもなんでもない。 
 
 車窓からの風景に癒され、こころも開放できて満たされた時間を味わえた。ワイドビュー飛騨(特急)で行くという方法もあったが、それだと30分も時間を短縮できるが、時間に間に合うなら鈍行列車で行程そのものを楽しみたいと思った。 
 
 とは言いながら、来週月曜日に可児市議長を通じて、市長へ提出する提言書の整理などをしていた。30分も余計に列車に揺られることのほうが、贅沢なのだと思った。 
 
 さて、下呂に着いた。水明館は下呂駅のすぐ近くだった。600人も入れる大きな宴会場があり、市議も来賓待遇でリボンをつけられた。国会議員だけで8人もいて、県議や首長、市議・町議も大勢いた。 
 
 その中で、ゲストは蓮舫行政刷新大臣だ。約15分間、これまでの国政の動きや、明日から始まる新たな事業仕分けの話などを、よどみなくメリハリ良く語られた。 
 
 私が驚いたのは、その間一度もかむことも、言いよどむこともなく情熱的に、とても聞き取り易い声で話された。山田良司衆議院議員の挨拶後は、多くの方が蓮舫大臣を囲み、SPも絶えず回りを囲んでいて、握手も名刺交換もできなかった。 
 
 とにかくすごい人気だ。昨年度のこのパーティのゲストは野田さんであり、過去には菅さんや鳩山さんもゲストで来ているので、この会のゲストになった方が次々に総理大臣になってゆくのだという。それで次は連 
 
 残念ながら、こちらに来る途中に、あまりにも慌てたために、携帯(スマホ)を忘れて来てしまった。蓮舫大臣とは、テーブルも隣だったのに、ツーショット写真はおろか、1枚も写真は撮れなかった。 
 
 さて、下呂で一泊したいところだったが、明日は1ヶ月ぶりの可児川豪雨災害行方不明者の捜索日である。今井雅人代議士、村上こうし県議と共に、また鈍行列車で(夜は鈍行しかない)美濃太田まで帰った。
 

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 2011年11月20日(日)
 第26回可児川豪雨災害行方不明者捜索活動
 昨日の雨とはうって変わっていい天気になった。昨年の7.15可児川豪雨災害で未だ行方不明になっている佐藤正二さん(当時54歳)と、細田由里さん(当時46歳)のボランティアによる26回目の捜索活動を行った。 
 
 いつものように午前9時30分に、可児市土田の可児川下流域自然公園市営駐車場前に集まった。国道41号線からこの場所に入る「大脇交差点」が改修され、入りやすくなった。 
 
 すぐ近くの湯の華アイランドでは200万人達成記念の催しをやっている。今まで、あの細い道を通って200万人ものお客さんが、温泉に来れれたということに驚嘆する。名実ともに可児市最大の観光スポットとなっている。 
 
 さて、今日も20名弱の行方不明者ご家族や捜索ボランティアが集まった。これまでと違ったのは、朝の時点でどこを捜索しようか方針が定まっていなかったことだ。 
 
 一応、ここ数ヶ月捜索スポットとしていた、扶桑緑地公園河岸は台風15号豪雨により、堆積物がほとんど流されてしまったので、今日は可児川と木曽川の合流部分、特に右岸側を捜してみたいということになっていた。 
 
 ただ、昨日の大雨で川の水が増水していることと、可児川河口(木曽川流入部)右岸へ降りる道が分っていなかった。以前には、水量が少ない時期に左岸側から川を渡って捜しに行った経緯はある。 
 
 しかし、それほど力を入れて捜してはいなかった。豪雨時には可児川から木曽川へ一気に流された可能性が高いと見ていた。ところが、先日の多治見で、行方不明だった子どもが遺体で見つかった事故で、小さい川が大きな川に合流する右岸側だったということで、別の角度から検証した。 
 
 木曽川の水位が高い場合、ちょうど今日もそうだったが、可児川の水流はすんなり木曽川に流れずに、合流部分で渦を巻いたり滞留する可能性がある。であれば、右岸側の砂の中に埋もれている可能性は否定できない。 
 
 いろいろ右岸側への降り道を探していたが、リリアーヌ(木曽川ベリに建つ素敵なレストラン・捜索活動に多額のカンパをしてくださっている)の方から情報をいただき、道が見つかった。 
 
 深い竹やぶの中を蛇行しながら進んでいくと、ちょうど可児川が木曽川に合流する右岸側に出た。砂がうずたかく溜まっている。ただ、7.15豪雨からは1年4ヶ月経っており、今年9月の台風15号による豪雨では、7.15豪雨以上の水位に達したようである。 
 
 まさに130年に一度と言われた豪雨が、2年続けてこの地域を襲ったことになる。半年ぶりに可児川のこの辺りの捜索をしてみると、以前にはなかった漂着物が、以前より上の部分にまで達していた。 
 
 
あまりの砂の量に、少しへこみながらも久しぶりのシャベルによる捜索活動となった。どこからが昨年の7.15豪雨時の層か見極めながら、かなり広範囲に捜さなければならない。 
 
 やはり、こうなるともっと人手とシャベルがいる。次回は12月18日(日) 
午前9時30分から、いつもと同じ可児川下流域自然公園市営駐車場前に集合して行う。お時間のある方、ぜひ捜索ボランティアに参加してほしい。(問合せ⇒『可児川豪雨災害行方不明者のご家族を応援する会』事務局:山根一男090−1821−4777) 
  
 
 


  複数名からの意見です。 
捜索も良いと思いますが、もはや可児市を訴えた方が被害者様や市民の為になると思います。

 市の問題点は、あらゆる場面で明らか。
正確に責任取らせないと担当者が交代すれば忘れ去られ、責任感も薄れ同様の過ちが繰り返される恐れが有ります。
そして未来への迷惑につながると思われます。 
 現状、被害者様ら限定的に考え行動されているように見えます。

 被害者様は大変お辛いとは思いますが、今度は市民や、ドライバーの為どうかご一考お願い致します。
匿名 ..11/21 13:39(月)

  忘れてはいけない。そのために冨田市長は当時の市長ではないが、災害対策に力を入れている。
今年の9・20の対応の速さは昨年の7・15とは明らかに違う。

無責任な事を書くお前が迷惑だ!
被害者の方々のために行動して何が悪い。
そういうお前は何をした!一度でも捜索に協力したのか?
お前の考え方が未来の迷惑だ!!!!!
XX ..11/22 8:28(火)

  今回捜索活動に参加したものです。一応不明者のご家族の一人のお話を以前伺いました…可児市を訴えても例え損害賠償が金銭的にされても失った家族戻って来ないから…だから訴訟しないと…基本的に私は可児市の責任を追及するのが妥当だと考えます。震災 と原発で今現在困っている人ほとんどがいずれ訴訟なり補償求めて行くでしょうね…可児市の責任は追及することも大切だし…行方不明者の家族の気持ちも考えないといけなくて…想像するに山根さんは市の責任についても考えられておりなおかつ金銭的な補償で解決できないこと両方考えられていると思います。山根さんが市を訴えることはできないしーーーーってことで匿名さん いかがでしょう…
a to z ..11/22 20:36(火)

   これが、民間の道路だったら、訴訟反対の方々は同じ考えになるのでしょうか。

 “訴えても失った家族戻って来ない”とは良く有る話ですが、訴えなかったらなおさら、得るものが有りませんし、真実すら不明です。
舌を出している奴が居ないとも限りません。
 
 東北の震災関連でも既に訴訟を起こしている人がいます(幼稚園バス関係他)。 理由は、真実が知りたいなどです。
我々市民は、なぜあんな場所で酷い目を見なければならなかったのか、事実が解からないままです。

 冨田さんが力を入れているから良いとは
山田さんと代わり映えしない現状見る限り
甘いと思います。 力抜くと批判されそうな表面的部分だけはパフォーマンスもするでしょう。騙されたらいけません。
>対応の速さは昨年の7・15とは明らかに違う。

当たり前!!

-
原発の話とも共通しますが、
水のそばに地下を置く時のあるべき管理に加え、
あの場所自体の危険性は、
充分認識されていたそうです。
人災です。a to z さん山根さんは、セクハラで市を訴えているではないですか。
重要度はこちらの方が上です。
 補償をしていただかないで
被害者の方々は生活が困らないのでしょうか。捜索活動に参加されている方々は、そんな側面からも、被害者の方々へ思いやってはいかがですか。
匿名 ..11/23 23:08(水)

  匿名さんへ…おっしゃることは充分わかります。がセクハラ裁判にしても市を訴えるまあ原告になれるのはセクハラ被害を受けた本人で
山根さんは議会で可児市の対応証拠改ざんなどについて追及する立場だと思いますが…勿論被害にあった方ともお会いしていて相談も受けたり支援に回ったていると思います。山根さん本人はセクハラで市を訴えているとありますが山根さんが市を訴えられる権利ないですよ。豪雨災害についても市を訴えることができるのは豪雨災害で直接被害を受けた人家屋の浸水なども含めて…山根さんは豪雨災害に関して議会において市の責任を追及できてもそれが山根さんの仕事であり山根さん自身が原告になりえることはないですが…匿名さんあなたが豪雨によって何かしら精神的被害など受けたと言うなら…匿名さん自身が原告になって市を訴えることは可能だと思いますが…民事裁判でしょ…山根さんの行方不明者捜索活動と それから被害遇われた方の支援 例えば弁護士に紹介するとかは可能ですが…山根さんは豪雨災害についても市議会で質問しているはずですが…それが議員のすべきことであり山根さんが市を訴えるってのは…何を?裁判制度の基本わかってらっしゃるのかな…匿名さん いいですか豪雨災害で被害遇われた行方不明者捜索活動と市への責任追及は大いにリンケージしていますが
それぞれ山根さんの立場では両方ともなすべきことをしているはずですが…ね もう一度言いますが匿名さんのご意見の趣旨には勿論賛同できる部分もありますが基本的に裁判制度について理解されていないようなので…長くなりましたが書き込みしました。セクハラ裁判について過去のブログさかのぼって見ましたが相談やセクハラ裁判の傍聴はされている。市を訴える原告なら傍聴席でなくて原告の席に座るはずですが…以上
a to z ..11/25 7:53(金)

  訂正致します。
誤>山根さんは、セクハラで市を訴えているではないですか。

正>山根さんは、セクハラで市を訴えている側を支援しているでは無いですか。
-
 a to z さん 直接の被害者で無くとも、本件で市を訴える事は可能だと思います。

 裁判外紛争処理も可能なはずです。この手はたぶん強制力などが無いですが、支援者の方々はこれらの努力はされていませんか?
それとも市と個人的に話し合いで解決したのでしょうか。 それならまだ解かりますが、問題を掘り下げると、県や国に責任が有るかも知れませんよ。(地下などの法律はここ数年変化しています。法律の不備かも知れない。)

 当事者訴訟ができなかったとしても、行政訴訟可能と思います。 特殊なので、弁護士で無い私は断定できません。
行政訴訟は普通の民事訴訟とは異なり、裁判所が職権で証拠調べをする事が出来る為、被害者側が明確な証拠を持参できなくても真に迫ると思われます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%8C%E6%94%BF%E8%A8%B4%E8%A8%9F
行政訴訟...客観訴訟 客観的(非個人的)な法秩序の適正維持を目的とする訴訟

 主張しないと扉は開かない仕組みになっています。 できれば支援者の方々は、落としどころがどうなったのか、告知いただければ幸いです。

 被害者様は、精神的負担がかかり上記の件は冷静に判断出来ないと思いますし、これ以上辛い状況は避けたいと思われるでしょう。

 重大な過失による人災にしか私からは見えません。 支援者の方々は全員、天災だから仕方無いと言うお立場なのでしょうか。

山根さんは政権政党公認なのだから、もう少し大局的に動けると思われます。うやむやばかりでは困ります。↓


>お二人が災難に遭われたのは、市道上のことで何ら落ち度はない。
>落ち度があるとしたら市や県のほうだ。
>いずれ裁判にでもなれば明らかになるだろう。
>人の命がかかっている。うやむやにはできない。http://www.th21.jp/adiary/diary3.cgi?id=yamanet&action=view&year=2010&month=12&day=12#12_12
匿名 ..11/25 11:57(金)

  これ以上ああだこうだ言うのは場所的に妥当でないので最後にお答えしますね。天災だろうが人災だろうが関係なく捜索活動しているわけですから…個人的にはハザードマップに唯一アンダーパスのところが警戒視されていてそれに対応していなかった不作為は人災とは思います。しかしながら司法の判断にゆだねるしかないし…支援者の誰も天災!!仕方ないなどとは思わないと思います。山根さんが国政で政権与党公認の議員であろうと野党の公認だろうと司法に介入したら三権分立の根本に抵触しませんか!?裁判になればそれはそれで支援していくでしょうね…山根さんが仮に…政権与党公認の議員だと司法ー圧力加えたらそれこそ三権分立の根本に抵触しませんかね。よくわからないが…今はまだ市役所の責任追及の時期ではないのですよ…行方不明者の家族の方がまだその時期ではないと考えているなら…それにしたがって捜索活動続け…裁判になれば自然と被害遇われた方の支援や援助するでしょう…意味わかりますか 匿名さん!
a to z ..11/25 18:28(金)

  訴訟は困る。市が負けたら巨額の税金が減る...迷惑。不況で財政難。うやむや...泣き寝入りして欲しい。
市民Z ..11/25 21:22(金)

  もうやめときましょ…市民z さんは身内が災害にあっても訴訟しないでね。あるいは市の施設利用などコミュニティバスに跳ねられようと市を訴えないでね。この発言は許せないが法治国家のなんたるかも知らないお方は---自分の無知と自己中心さがわかってない…本来ならスルーしとけばいいのだけど…久しぶりに頭きた--大変残念な人ですね。
a to z ..11/26 3:08(土)
>> 返信
 

 2011年11月23日(水)
 二つの感動
 午前10時からのアーラ映画祭で『幸せの太鼓を響かせて〜INCLUSION〜』という題のドキュメンタリー映画を観た。11月18日から映画際をやっているが、なかなか観られない。今日は午前中ぽっかり穴が明いたので、観ることができた。 
 
 映画は、知的障がいを持つ青年たち6人が和太鼓を通して、成長し有名になるほどに経済的にも安定し、幸せを掴んでゆく様を描いている。太鼓の腕も障がい者だから…という妥協はなく。全国2位に入った実力がある。 
 
『幸せの太鼓を響かせて〜INCLUSION〜』予告編↓ 
http://inclusion-movie.com/ 
 
 太鼓に関することだけではなく、メンバーの家庭の様子を通じて発障がい児に対する早期療育の大切さなど、随所に知的障がい者に対する問題提起とその解決への糸口が示してある。制作総指揮は、あの細川護煕元総理の奥様、細川佳代子氏である。 
 
 長崎県の雲仙コロニーというのがモデルとなっているが、以前は多くの知的障がい者を郊外の寄宿舎に住まわせ、つまり社会からは隔絶させていたが、あるときから障がい者を単身とかグループで町に住まわせる方針に転化したという。 
 
 これは題名にある通り、インクルージョンの考え方で、これまではどちらかと言うと障がい者を、人里離れた施設等に追いやる傾向があったが、現在は町中で、多くの人が住む中でいっしょに生活するという方向にある。 
 
 映画終了後に、30分ほどの時間だが監督の小栗謙一氏のトークがあり、会場からも3名ほどの方が質問した。この監督のことはよく知らなかったが、ドキュメンタリー映画に長けた監督だと思った。 
 
 監督の最初の1ヶ月間ほどは、カメラはまわしてもほとんど没にするという。相手がカメラを意識しなくなったときからがスタートだという。 
 
 ドキュメンタリー映画といえば、私は映画ガイアシンフォニーを思い出す。1番から6番まであり、自主上映の草分け的存在だ。大阪と可児で、私はこの映画の主催を10回以上やった。 
 
 人的なネットワークと資金集めに、どれだけお世話になったか知れない。今の自分の政治・市民活動の原点がこのガイアシンフォニーにある。 
 
 
 ぜひ、この知的障がいを持つ和太鼓のプロ集団『瑞宝太鼓』の生の演奏をアーラで聴いてみたいと思った。一緒にやれる人がいれば、招致委員会をつくってもいい。 
 
 午後からは帷子公民館で『地域ふれあいコンサート』に嫁いだ娘とその子、つまり孫3人を連れて聴きに行った。 
 
 南修治さんのお名前は以前から聞いていて関心を持っていた。たまたま、帷子公民館の案内回覧で見つけた。50人ばかりのミニコンサートだが、それだけにアットホームな雰囲気だ。 
 
南修治氏ホームページ↓ 
http://www.jius.enat.jp/puro.html 
 
 さすがに孫たちは静かに聴いていることができず、そわそわし出した。そうするとたぶん民生委員の方たちか、スタッフの女性たちが三人の孫たちをそれぞれ別室で面倒見てくれた。 
 
 南修治さんはカウンセラーでもあり、いじめや不登校等、大勢の子育てに悩む親たちのカウンセリングもしてきただけに、曲の合い間の語りがとても 
情熱的で腹におちる。 
 
 最近、死の淵に立つような大きな病気をされたようだが、声を聴く限り細い身体にすごいパワーの持ち主だ。恵那市の山村に住んでおられるとのことだ。 
 
 私の勝手な感想だが、さだまさしと水谷修(夜回り先生)を足して2で割ったような…歌もトークも素晴らしい方だ。ここしばらくご無沙汰している、若葉台よもやま大学にでも来てくれないかと秘かに思い、名刺をいただいた。
 

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 2011年11月25日(金)
 議会基本条例特別委員会
 午前9時から議会基本条例特別委員会が開かれた。このところ急ピッチで開催されており、来週もある。さらに、委員会だけのSNS(ネット上での情報提供・意見交換等)で会議ができる仕組みもあり、今までにない特別委員会となっている。 
 
 今日のテーマは、前回の引き続き、可児市議会のあるべき姿とその方策についてで、活発に意見交換された。この特別委員会の定員は12名で2期以上の議員で構成されている。 
 
 1期目の議員もオブザーバー参加は可能で、今日も一期目の議員はほとんど傍聴に来ていた。傍聴者に意見を求められたとき、唯一意見を述べたのは、私と同じ民主ネット可児の伊藤英生議員だけだった。 
 
 可児市議会のあるべき姿とは、本当に基本中の基本の議論だが、ここが大切である。議会基本条例というのは、市議会の憲法のようなものだ。制定するだけなら、他所の真似をすればすぐにでもできる。 
 
 が、このように議員間の議論を積み上げて、しっかりと方向性を定めることが大切だ。今のところ、基本的な方向は『市民の信頼に応える議会』ということになっている。 
 
 このところ、当初は市民に信頼される市議会だった。信頼される〜と信頼に応える〜というのは、似ているようだが、かなり違うと指摘した。つまり、後者はすでに信頼されていることを前提にしていることだ。 
 
 この点、7月の市議選で50%にも達しなかった低投票率から考えても疑問符がつくが、あまり自虐的になってもしかたない。これまで以上の信頼を勝ち得て、それにどのように応えていくかという方向性を模索している。 
 
 その目玉のひとつが、市民への議会報告会である。可児市議会としてはまだやったことがない。私は、個人的には過去4年間、このブログで呼びかけて開催してきたが、正直ほとんど数人しか集まらない現状があった。 
 
 今日の会議では、来年2月12日(日)に広見公民館ゆとりピアで可児市議会として初めての「議会報告会」を行うということで仮決定された。詳細は今後検討される。 
 

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 2011年11月26日(土)
 帷子ユニックフェスティバル
 午後1時から、第7回目となる帷子ユニックフェスティバルが、帷子(かたびら)公民館であった。早いものでもう7年か…という思いがある。1回目〜3回目くらいまでは、PTA役員をしていた関係もあり、主催者に近い側にいた。 
 
 ユニックというのは、可児市独特のネーミングで、地域のスポーツ・文化クラブである。元々は文科省の政策で21世紀型のスポーツ・文化クラブを地域ごとにつくるということが始まりだった。 
 
 可児市で先行したのが帷子で、いまでは概ね中学校区単位で設立されている。ただし、帷子地区には二つ、否正確には1.5の中学校区となっている。広陵中学校と西可児中学校だ。 
 
 このうち西可児中学校は、帷子の半分と春里地区が校区のため1.5という表現をした。このいびつさが後々もユニックの担当地区の区分けを分りにくくした。 
 
 
苦節7年だったと思う。現在もスポーツ少年団を中心に組織されているが、なかなか市民全般には広がっていかないという現状がある。子どもは小学生は多いが、中学生や高校生は非常に少ない。 
 
 市は総合型地域スポーツ・文化クラブ推進事業として各地のユニックに財政支援している。平成22年度決算では、中部108万円、帷子80万円、東可児54万円、蘇南100万円、蘭丸の里14万、その他備品購入費として約128万円、臨時職員賃金約868万円で、合計約1,508万円である。 
 
 当初はここまでお金をかける予定ではなかったはずだが、やはり地方においてはこのようなクラブの維持発展は難しそうだ。上手に管理運営できるNPO法人でも現れればいいのだが、今のところは地域力と市役所の力にかなり支えられて存続している。 
 
お詫び:東可児ユニックの平成22年度決算が540万円と表示されておりました。54万円が正しい金額ですので訂正いたします。大変失礼いたしました。
 

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 2011年11月27日(日)
 第7回かにNPOフェスタ
 朝から可児市福祉センターにて、第7回目となる『かにNPOフェスタ』に参加した。先日、私が事務局長を務める、復興支援!ボラバスねっと・かにかもの出展が決まり、出展者としても参加した。 
 
 出展ブースは、主会場である大ホールではなかったが、けっこう入れ替わり立ち代わり、いろいろな人が来て結構忙しかった。主に、今月行った陸前高田市での可児加茂地区7つの高校の33名による桜の木に植樹作業の模様等展示した。 
 

 会としては6月に宮城県岩沼市、8月に宮城県石巻市、9月に岩手県陸前高田市、そして11月の高校生主体のバスと計4回支援活動を行っている。参加者は延べ150名ほどになる。 
 
 かにNPOフェスタももう7年になるかと思うと感慨深い。夕方に高山で、民主党岐阜4区支部の幹事会があり、あまり他の団体のブースを見る時間はなかったが、それでも既知の団体が多く、中には久々に会う方もいて忙しかった。 
 
 障がい者施設の手作りパンやらケーキ、ジャム、おにぎりや焼きソバとしこたま買い込んでしまった。こういうところへ来るとつい財布の口が緩んでしまう。買い物すること自体が社会貢献になるからだ。 
 
 NPOフェスタも7回目ということだ。年々参加団体や人も増えているようだが、それでも限られた人しかこの場所に足を運ばないのではないかと思う。秋は福祉フェア、産業フェア、農業祭など大規模なフェアが目白押しであるが、そんな中でNPOフェスタの特色を出すのはたいへんだと思う。 
 
 それでもここへ来れば、市内外で『新しい公共』に取り組んで、がんばっている多くのNPO関係者にも会えるし、貴重なイベントだと思う。来年、4月からのNPO法の全面改定により、この社会におけるNPOの存在はますます大きくなってゆく。このフェスタが、そんなNPOの可能性を考えるきっかけになればと思う。
 

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 2011年11月28日(月)
 十二月議会の論点
 午前中から午後にかけて総務企画委員会を傍聴した。30日からスタートする可児市議会十二月定例会を前に、このところ各常任委員会が頻発して開催されている。 
 
 こんなことは今まであまりなかった。それだけ可児市議会が活性化していることの証しともいえる。何がそんなに問題になっているのかといえば、来年4月からの市役所の組織・機構改革についてである。 
 
 十二月議会では、議案58号として、平成24年4月1日より、組織機構再編により従来の企画部と環境経済部を廃止して、企画経済部と市民部を新設するとなっている。 
 
 これに伴ない、一番大きな変更点は、これまで教育委員会の所管であった生涯学習や文化・スポーツ、青少年育成などを市長部局(市民部)に移すということだ。 
 
 つまり、各公民館やアーラ(可児市文化創造センター)練成館などのスポーツ施設の管理なども教育委員会の手を離れ、市長部局に移管される。 
 
 新設される「市民部」は、まちづくり支援のことから、公民館、市民文化、多文化共生、人権、男女共同参画、戸籍、環境保全、環境衛生、スポーツ振興、図書館など…市民に関わりの強い部門を一気に集約するという構想だ。 
 
 教育委員会の所管は、一部文化財や郷土歴史に関することは残るが、基本的に、小中学校の学校教育に集中する。 
 
 公民館などの事業を市長部局に移すことは、すでにお隣の美濃加茂市などでは済んでいて、私も以前から提案してきているので、望ましい変更である。 
 
 ただ、幼稚園を教育委員会から、保育園と同じ健康福祉部こども課の所管にするなど、細かい点において一部の議員からは問題視する声がある。今日の総務企画委員会でも、組織機構再編の意図が分らないなどという、異論が多数聴こえてきた。 
 
 まだ十二月議会は始まっていないので、建設経済委員会に所属する私としては、正式にはこの組織機構再編についての説明は聴いていない。議案に直接関係する文教福祉委員会と総務企画委員会では、説明されていてすでに相当の議論がされている。 
 
 この辺り、現時点では議会内部でもかなり温度差があるが、この議案を可決すれば、議会内の三つの常任委員会(総務企画・文教福祉・建設経済)の所管部署も大幅に見直さなければならないことであり、大きな影響がある。 
 
 冨田市政にとっては就任から1年を経過し、庁内のヒアリングや意見調整を踏まえた上で、いよいよ新体制の色を出して行こうという重要な議案である。 
 
 組織機構再編の基本的な考え方として、@市の活力と魅力あるまちづくりを推進する組織、A効率的な組織、Bわかりやすい組織 としている。 
 
 真に市民にとって望ましい形の市役所組織改革となるよう十分な議論を尽くしていきたい。
 

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 2011年11月29日(火)
 十二月議会一般質問通告
 ずいぶん前から準備していたつもりだが、やはり今回も直前になってしまった。今日の16時が、明日から始まる可児市議会十二月定例会の一般質問締め切りだった。 
 
 おまけに14時から、明日の議運(議会運営委員会)のための打合せが入った。簡単な打合せのつもりが、1時間半におよび、残り30分で通告書を2枚仕上げた。 
 
 もちろん、頭の中やノートには構想は書いていたが、通告書はそれをパソコンで書式にしたがって書かなければならない。要旨の部分は、100字以内と決まっており1字でもオーバーすることは許されない。 
 
 ともあれ、今回もぎりぎりながら16時1分前には出せた。議会事務局に行くと私の他にも二人議員がいた。ぎりぎり組みが増えたようだ。事務局には申し訳ないが、締め切り前のエネルギーで書き上げるのが習慣になってしまったようだ。 
 
 結局、16番。一番最後だ。議長を除く可児市議会議員の人数は21人なので、今議会では5人を除いて一般質問する。たぶん、今までで一番多い。おかげで、私の知る限り、初めての一般質問三日目に突入する公算が高い。 
 
 今まで、一般質問の日は三日用意されていたが、いつも二日目、それもお昼を過ぎるか過ぎないかというところで終わっていたのだ。それでその日程だが、12月7日(水)・8日(木)・9日(金)である。毎日9時から始まる。 
 
 私はおそらく9日の午前中だ。恒例により以下に、通告した私の一般質問の項目を公表しておく。他の15人の一般質問も、それぞれに聴き応えのあるものである。時間の都合のつく方はぜひ、議場へ足を運ばれたい。 
 
 山根一男一般質問通告(平成23年12月議会) 
質問1 件名:経費節減のための電力供給元切り替えについて 
 
■答弁を求める者:・総務部長            発言時間:10分 
 
質問要旨:東日本大震災に因る福島原発事故以来、電力供給に対する市民の関心が高まっている。当市においても節電努力等によって消費電力を大幅に削減しているが、さらに電力供給元の選択による削減の可能性はどうか。 
 
質問内容: 
 
○これまでに電力自由化制度による電力削減を検討したことはあるか。また、市内の公共施設で契約電力50kw以上の施設数はどれほどか。主な施設の電力量、およその年間費用も例示しながら説明いただきたい。合わせて、市全体での電力消費はどれくらいになるか。 
 
○行政経費削減の手段としての電力供給元の選択について、その考え方と実現の条件、考え方はどうか。 
 
 
質問2 件名:平成24年4月施行の改定NPO法への対応はどうするのか 
 
■答弁を求める者:画部長・副市長         発言時間:10分 
  
質問要旨:  
  来年4月1日より、NPO法(特定非営利活動促進法)が大幅に改正される。具体的には税額控除等の優遇が得られる認定NPO法人の認定基準が大幅に緩和される。改正をにらんだ市の対応について問う。 
 
質問内容: 
○すでにNPO認証の事務事業については、市町村でも対応できるように権限委譲されているが可児市の対応は。 
 
○NPOもしくはNPO法人の推進について、かにNPOセンターと市の役割分担はどうなっているのか。 
 
○NPO法改正においては、認定NPO法人に対する市民税の税額控除枠が6%認められているが、可児市の対応は。 
 
○NPO法改定を含めて、NPO全般もしくは「新しい公共」の考え方等についての職員への研修などは成されているのか。また、今後の予定は 
 
 
質問3件名:市民との協働をどう進めてゆくのか 
 
■答弁を求める者:・企画部長・市長        発言時間:10分 
質問要旨:  
 今後の市政運営に関して参画と協働が大きなポイントとなることとなる。特に協働の部分について、具体的にどのような事務事業について、どう進めてゆくのか、またその実績について問う。 
 
質問内容: 
 
○これまでに市政運営の中で、市民との協働についての事例について説明いただきたい。 
 
○今後の市民との協働を進めてゆく上で、注意すべきこと、必要なこと、方策、具体的案、数値目標などあれば説明いただきたい。 
 
                             以上
 

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 2011年11月30日(水)
 議会初日…今日は、会議四つ
 市議会議員というのは、よく市会議員とも言われるが、文字通り会議が仕事なのかと思う。たぶん、そう間違ってはいないと思う。何かを実践するというよりは、会議を通じて仕事をするのが王道だと思う。 
 
 そういう考え方でゆくと、私のように結構実務に手を出すのは、あまり褒められたことではないのかもしれない。そう思いつつ、いろんなタイプの議員がいてもいいのではないかと甘えてしまう。 
 
 今日から十二月議会が始まった。12月22日までの23日間が会期である。といってもずっと会議をやっているわけではない。今日の本会議自体は、議案説明と人事案件などの即決が二件あったくらいで55分で終了した。 
 
 しかし、その後議会広報特別委員会の会議が1時間30分くらい。こちらは私は委員長なので司会進行を含めて、今後の運営にも責任が多い。方向性として、議会だより(紙媒体)の編集発行もさることながら、議会ホームページの充実などネット環境の整備にも力を注いで行くことを確認した。 
 
 午後1時からは、議会運営委員会。こちらは副委員長なので、委員長よりは気が楽だが、やはり緊張感は高い。議会運営委員会は、それぞれの会派や常任委員会、議長・副議長らが参加する。市議会のだんどりを決める会議だ。 
 
 ちょうど2時間、休憩もなく話し合った。予算決算特別委員会(来年8月からは予算決算常任委員会)の設置が合意された。議長、監査役を除く20名の議員がその構成員となる。 
 
 当初は、それぞれ微妙に意見の違いがあるが、時間をかけて合意してゆき最終的には案がまとまった。ひとつのテーマ(課題)で2時間みっちり話し合うということは、意外に少ない。結構、充実感のある会議だった。 
 

 夜7時からは、市役所正面の総合会館3Fで、かにロードサポーターの会議だった。こちらは議員としてではなく「西可児駅周辺を美しくする会」の事務局長としての参加だ。 
 
 この会議は年に一度だけだ。市内のロードサポーター、この日は23名が参加した。「西可児駅周辺を美しくする会」は完全ボランティアの会だが、他はほとんどが自治会そのものか、それに近いグループだ。 
 
 かにロードサポーターは、市内の市道最低500mの区間を、年最低3回は清掃活動をすることを条件に、認められる市民グループだ。実態としては、自治会の役員らが年二回の花いっぱい運動のときと、もう一回道路の草引きや清掃をしている。 
 
 設立時には10万円の器材などの準備金が提供される。二年目以降は5万円となり最低3年間は続けなければならない。 
 
 結構年配の方が多い。作業が大変だとか、集めた草を取りに来てほしいとか5万円では足りないとかいったぼやきが多く聞かれた。 
 
 残念ながら、市に協力してやってやっている…という視点から発言をする方が多いように感じた。でも、清掃するのは自分たちが住んでいるまちなのである。 
 
 私の考え方は、公共の土地の維持管理をさせてもらっていて、そのための経費として年間5万円もいただいているという気持ちだ。 
 
 もともとロードサポーターの考え方のベースはアダプト・プログラム(里親制度)といって、公共の土地(この場合は市道)を里子に見立てて、その場所の面倒を見るというボランティア施策である。 
 
 ぜひ、この考え方、方策をどんどん進めて、さまざまな方面に応用できないかと思うが…ただ、行政が直接それをやると、参加者に行政に対する何でもおねだりする体質が見え隠れしてしまう。 
 
 純粋にボランティアの行動や考え方ができるコーディネーターを増やしてゆく努力が大切である。今議会の一般質問では、行政と市民との望ましい協働のあり方についてしっかり問うつもりだ。 
  
 
 

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