このページは流産・死産経験者で作るポコズママの会が運営するページです。HPでは流産・死産経験者同士の交流ページや心のケアに関する情報が掲載されていますので、是非ご覧ください。
HP(http://pocosmama.jp

こちらのページは、みなさんの流産・死産体験記を「投稿」・「閲覧」できるページです。

<体験談の投稿について>
■ご自分の体験を掲載したい時は「新規投稿」からお入り下さい。
■「タイトル」は流産・死産の週数や原因などを分かる範囲でご記入下さい。
■書き込める文字数は3000字までです。ご注意下さい。
■投稿いただいた内容は、ポコズママの会で内容を拝見した後、公開しております。掲載まで1〜3週間程度かかることもございます。
■多くの天使ママさんが読まれる体験記ですので、病院名などを記載された体験談や天使ママを不安や不快にさせる内容につきましては、該当部分を削除、または掲載をお断りする場合がございます。
■投稿いただいた体験談の著作権は投稿ご本人様にございますが、当会の活動や取材、研究などに使用させていただく場合がございますのでご了承ください。

<体験談の閲覧>
■体験談の表示には「一覧表示」「ツリー表示」「トピック表示」がございます。使いやすい表示でご利用下さい。
■個々の体験談へは返信ができません。
■表示された体験以外のものを読みたい場合は、ページの最下部に「NEXT」をご利用下さい。現在300以上の体験談が投稿されています。
■妊娠週数や原因などキーワードで読みたい体験談を検索することもできます。ご希望の方は「検索/過去ログ」をクリック下さい。
■投稿者がメールアドレスを公開している場合を除き、当会から投稿者の連絡先を教えることはできません。
  <<   新規投稿   トピック表示   ツリー表示   携帯用   検索/過去ログ   ホーム  
 
   妊娠24週・死産   
     ・[192] まくまく 
   妊娠10週・稽留流産   

Name: まくまく    ..bbtec.net
Date: 2005/04/13(水) 00:14
     削除 
Title: 妊娠24週・死産    
結婚して10ヶ月後の2004年8月末、初めての妊娠が発覚しました。超音波検査でぴくぴく動く姿を見たときは、「うわぁ」って声をだしてしまいました。ママになるんだ〜って嬉しくて、それでいてほんとにママになるの?って信じられないような不思議な気持ちでした。私と主人の双方の両親にとっても初孫となるこの赤ちゃんの誕生をみんなで心待ちにしていました。

16週目、当時通っていた産婦人科で、前置胎盤の疑いがあるから今後のことを考え、今のうちに総合病院への転院をすすめられました。そこの産婦人科の先生は男の先生でしたがとても優しく、出産までお世話になりたいと思っていただけに転院は残念でしたが、赤ちゃんのためにベストな状態にしておくためにも総合病院へ転院することになりました。転院先の先生も前の産婦人科の先生とはタイプは違えど信頼できたので、ここで出産まで頑張ろうと思いました。転院先では前置胎盤については今後週数が進むにつれて改善していくことも大いに考えられるので、今はまだ心配しなくてもいいと言われました。次の健診では、胎盤の位置がさらによくなったといわホッとしました。赤ちゃんが少し小さめだといわれ不安になりましたが、「胎盤の位置が上にずれていったとはいえ、やはり低い位置には変わりないからね、赤ちゃんが小さいのは胎盤の位置の影響もあるかもしれない」と言われました。そんなに今すぐ心配するようなことではなさそうだったので、あまり気にしていませんでした。

22週目の12月12日、夕飯の支度をと立ち上がったときにいやな感覚がありトイレに行くと出血!真っ青になりました。すぐ病院に電話をすると、「今すぐ来てください。念のため、入院の準備をしてきてくださいね」と言われました。病院へ向かう車の中で、赤ちゃん助からないのかなぁ…と不安で涙が出ましたが、検査の結果、赤ちゃんは無事だといわれました。でも、私のおなかがかなり張っていてあぶないので、このまま入院して薬を飲んで安静、それでよくならないときは点滴にするとの話になりました。

仕事は病気休暇、突然の入院でかなり気になりましたが、上司からは「仕事よりも、赤ちゃんを第一に考えてね」とありがたいお言葉をいただき、ゆっくり休むことになりました。(職場は小学校なのですが、職員も出産・子育てを経験されている方が多く、妊娠がわかってからはかなり私の体を気遣ってくださってありがたかったです。)そのおかげで出血もおさまり、点滴をしなくてもおなかの張りもなくなってきたので、そろそろ退院という話も出てきた23週目、今度は赤ちゃんがおなかの中でうまく育っていないということがわかりました。それで退院はとりあえず先延ばしになり、小さな赤ちゃんを専門に診てくれる先生が医大病院にいるので、近いうちに外来受診をするよう言われました。

12月24日、紹介状をいただき、医大病院を受診しました。その結果、赤ちゃんは23週目で350グラム、かなり小さいといわれました。23週の平均体重は700グラム程度とのことで、350グラムは19週目くらいの平均体重、だから4週くらい成長が遅れていると言われました。原因としては、まず染色体異常があげられるが、それを思わせるような奇形などはまったくみられないので、恐らく染色体の問題である可能性は低いだろうとのことでした。じゃあ、どうしてかというと、まず、胎盤の状態が悪く、表面に血の塊が見え、とても出血しやすい状態であり、その原因は臍帯が通常は胎盤の真ん中から出るのに、私の場合は胎盤の端にぎりぎり出来てしまったので血管がその端っこに集中してしまい、胎盤の状態が悪いとのことでした。そして臍帯が端についてしまったせいで赤ちゃんに酸素や栄養が行きにくい状態になり、うまく育っていないということでした。胎盤や臍帯というのはおなかの中で自然に出来上がるものなので、今から場所を変えることはできない、そしてそれは両親のどちらかに身体的な問題があって良くない場所にできたということではない、誰のせいでもない、もちろん赤ちゃんのせいでもない、妊娠中の生活が影響したわけでもない…とのことでした。

今後については、このまま予定日までおなかにいたとしてもこの赤ちゃんは1000グラムがそれ以下までしか大きくなれないし、まず予定日までおなかで生きていることなど不可能、その前に亡くなってしまうだろうといわれました。どうしても出産する場合は、赤ちゃんがおなかの中で亡くなってしまう前のぎりぎりのタイミングで帝王切開で出産することになるが、それがいつになるかはわからない。今日、明日中ということではないが、1週間後どうなっているかわからない。もしかすると1ヶ月、2ヶ月頑張れるかもしれない、でも、特定できないとのことでした。そしてその出産の日を迎えたとしても、その間おなかの中でどのくらい成長できるかも問題になってくる、時期によっては生まれてすぐ亡くなってしまうかもしれない、生きたとしても、今の時点ですでに酸素や栄養がうまく届いていないので、様々な障害(全盲など。その他神経系統の障害も考えられるそうです。)は避けられないだろう、とのことでした。

初めて聞く話ばかりで最初は頭がまっしろになりました。なんで?どうして?だって胎動だって感じられるのに、なんで?亡くなっちゃうって何??これからどうすればいいの?赤ちゃん、どうなっちゃうの??って。入院していた病院に戻り、主治医とその検査結果について話しました。そして、「酷なはなしだけど、ここで妊娠を続けるかどうか決めてもらうしかないです。2日間、外泊許可を出してあげるから、夫婦でよく話し合ってきてください」と言われました。最後に、「どちらを選んだとしても、自分たちで出した答えが一番正しいんですよ」と言われました。

12月24日、12日ぶりに私はアパートに戻りました。クリスマスイブの夜に、私たち夫婦は今までの人生で一番つらくて悲しい選択を迫られました。夫婦でいっぱい泣きました。人前で泣くことのない主人もたくさん泣いていました。いっぱいいっぱい泣いて、悩んで、苦しんだ末、私たちは妊娠を断念するという答えを出しました。もちろん、赤ちゃんに会いたかったし、私たちが泣いている間もおなかでぴょこぴょこ動いていたので、とてもつらかったです。でも、これから頑張って妊娠を続けて出産までたどりついたとしても、その後は…自分で呼吸できなくて、体中にチューブとか機械とかつけられるかもしれない、痛い思いするだろうな…、そして避けられないであろうといわれている様々な障害のこと…。もちろんどんなことになろうとも、私たちの大事な子供には変わりない、この子のためならなんでもしてあげたい、でも、こどもが背負ってくるであろう障害を私たちは変わってはあげられない…。現実を考え、今回は断念するという決断をしました。私たち夫婦の考えに異論を唱えるかたもおられるかもしれません。でも、病院で言われたように、どんな決断を出しても、自分たちの答えが一番正しいと信じるしかなかったし、この子もきっと私たちの決断をわかってくれるだろう、と信じることにしました。



Name: まくまく    ..bbtec.net
Date: 2005/04/13(水) 00:15
   削除 
Title: 24週・死産(2)    
12月26日、病院に戻り、私たちの出した答えを話しました。翌日に処置を行うということで、大部屋から個室にうつり、その夜ひとりで病室で泣きました。そのうちおなかがいっぱい張ってきて、トイレで出血してびっくりしました。翌朝診てもらうと、主治医は、「この出血は、通常のお産でいうとおしるしのようなもの、子宮口も少しひらいてしまってるから、どっちみち今回はもうとめられないよ。次に期待しよう!次は大丈夫だよ!」と言いました。決断がつらくていつまでも泣いていた私に、親思いの赤ちゃんが、みずから別れを告げたのかもしれません。その後は子宮口をもっと開くための処置がはじまりましたが、本格的な陣痛にはいたらず一晩すぎ、翌朝陣痛促進の座薬を入れるとすぐに痛くなり、破水、その後は赤ちゃんが小さいのですぐに出てきました。

12月28日の午前10時30分、25センチ、380グラムの小さな小さな男の子が静かに産まれました。生きて会うことはできなかったけど、24週頑張ってくれた赤ちゃんに感謝の気持ちでいっぱいでした。一緒にすごした時間は宝物でした。主治医は思いをひきずってしまうから母親には対面させないという考えでした。私は主治医を信頼していたので、それに従い、主人だけが赤ちゃんと対面しました。会えなかったけど、24週おなかの中にいたので、私は赤ちゃんのことはよくわかっているつもりです。生まれてくる前から、男の子だろうなっていう勘も当たったし。赤ちゃんは、翌日、主人の実家のお墓のすぐとなりに埋葬されることになりました。ふたりで赤ちゃんに手紙をかきました。赤ちゃんには服を着せて、手紙、お花、くまのぬいぐるみを一緒に埋めました。私は入院中だったので、ベッドの上でずっと赤ちゃんのことを考えていました。今回は会えなかったけど、きっとまた別のかたちで私たちのもとにきてくれると信じています。

あれから3週間たちました。自分の実家に帰っていたときは情緒不安定になり、両親にやつあたりしたり泣いてしまったりしました。両親は私がどんなにイライラしても、やつあたりしても黙ってみていてくれました。それまでずっと我慢していたのが、実家に帰って一気に出てしまったのだと思います。その後は少しずつ心が落ち着いてきて、昨日アパートに帰ってきました。また主人とふたりで頑張っていこうと思います。今すぐは無理ですが、時間がたってもっと元気になったら次の妊娠のことも考えたいと思います。その日がくるまで今は心と体をゆっくり休ませたいと思います。

(掲載日:2005/0202)




Name: らるふ    ..bbtec.net
Date: 2005/04/13(水) 00:13
     削除 
Title: 妊娠10週・稽留流産    
2005.1.8。私のお腹から赤ちゃんがいなくなりました。ちょうど、10w0dでした。結婚7年目、子供を望んでから3年目初めての妊娠。基礎体温もつけていたし、妊娠にはすぐ気づきました。眠気が強くなる位でたいしてつらい思いもしないので、夫婦で親思いのいい子だって話してて、本当に幸せがお腹につまってる感じ。

右の卵巣が腫れて子宮の裏側にまわりこんでいる状態(妊娠初期にまれにあるらしいんですが。。)の為、年明け早めに受診。7週目まであんなにピコピコ元気に動いていた心臓が見つからない。先生も、こっちが痛い位いろんな角度から診てくれたけど、赤ちゃんの形も気になるって。再度、週明けに確認しようと言う事で帰宅。帰り道やっと頭が動き出す。どうしよう!気づけば歩きながらぼろぼろ泣いてるし。足元がふわふわしてる。主人にどう話そう。。っていうか、お腹痛くないし全然わかんない!夫婦で商売しているので、そのまま店に行ったものの、主人の顔を見るなり号泣。説明したものの、仕事なんて出来るはずもなく一人帰宅。家でただただあふれる涙を流しっぱなしでした。

二日後、夜に生理が始まったような感覚があり、手足が冷たくなったので、トイレに行き、やはり出血。病院に電話をし、すぐ診察。もう赤ちゃんの影が薄くなってるし、心臓の動きも確認出来ない。今回は残念だけど・・・と言われました。そのまま手術になり、言われるまま着替えて手術台に乗り、点滴から麻酔を流し、ぼんやり新生児の泣き声を聞きながら目をつぶりました。

起こされて目を明けると、主人が横で困ったような顔で立っていました。ああ、いなくなっちゃったんだと漠然と思ったけど、涙はでない。ベッドまでは歩いて帰る。麻酔が効かなかったらしく、辛そうだから追加したと看護師さんに聞いた。翌日、朝の診察で今回のデータを検討して次の妊娠につなげていこうねと先生に言われ、少し前向きになる。

出血も痛みも自覚しないまま退院。病院にいる間、一度も泣かなかった。最初の心音がないと言われた日から私はずっと赤ちゃんに話しかけてきた。お別れになるかもしれない私たちの子に、伝えたいことがありすぎて泣きながら話した。本当に自分を責めるのはたやすいことだ。でも、そうじゃなく、短い間でも私をママにしてくれたこの子に、生まれてくる事の奇跡的なことを教えてくれた子に答えるには、命を大切に前向きに生きる事なんだろうなと思う。大泣きしながら、歩いたっていいよね。ただ、抱きしめてあげたかったよ。忘れるなんて、意味がない。あの時間が私には有難かった。ショックだったけど。自分とも話が出来た時間だった。

(掲載日:2005/02/02)



過去ログへの書き込み・返信は出来ません。




 
NEXT >>  [ 1 , 2 , 3 , 4 , 5 , 6 , 7 , 8 , 9 , 10 , 11 , 12 , 13 , 14 , 15 , 16 , 17 , 18 , 19 , 20 , 21 , 22 , 23 , 24 , 25 , 26 , 27 , 28 , 29 , 30 , 31 , 32 , 33 , 34 , 35 , 36 , 37 , 38 , 39 , 40 , 41 , 42 , 43 , 44 , 45 , ... ]
 
 
削除・編集   管理者画面   RSS   + Powered By 21style +