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   妊娠20週・子宮頚管無 ....   
   妊娠12週・稽留流産   

Name: nasa    ..bbtec.net
Date: 2005/04/12(火) 22:14
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Title: 妊娠20週・子宮頚管無力症    
2004年8月25日 20週で子宮頚管無力症の為、長男・柊を死産しました。

結婚5年目、3年間の不妊治療、3度目のICSIではじめての妊娠でした。今までの辛い治療がやっと報われて、夫婦で大喜びしました。妊娠初期には切迫流産と診断され、2週間ほど仕事を休んで自宅安静したりと大変ではありましたが、8月11日には無事に戌の日の安産祈願も済ませ、ここまでくればもう大丈夫と安心していました。

前日の夕方くらいからおなかが張り出しました。今思えば、そのときすぐにでも病院に行けばよかったのですが、もう病院の診療時間も終わってるし、明日病院に行けばいいかな…と思ってその日は早めに寝ることにしました。

夜中の4時ごろ、おなかが痛くて目が覚めました。トイレに行くとほんのちょっぴり、糸くずくらいの出血がありました。(あとから先生に聞くと、それが「おしるし」だったらしい…)おなかは時々強く痛んでましたが、ガマンできない痛みではないので、朝一に診察してもらうように、早めに病院に行こうと思いました。そのときは、それが陣痛だなんて夢にも思っていませんでした。

病院について内診するやいなや、いつものんびりしている先生が「まずい!!」と叫びました。すでに子宮口は2cm開き、胎胞が膣に出てきている状態でした。先生は「たぶん赤ちゃんはダメでしょう…もう出てきそうだけど、まだおなかの外で生きていけるほど大きくなっていません。でも、何とかしてくれそうな病院に救急車で搬送します。そこでも結果はどっちに転ぶかわかりませんが、最善の治療が受けられる所なので、まだ希望を捨てないで。家族の方をすぐ呼んでください。」と私に言いました。搬送先の病院はそこから結構遠いのですが、母子総合医療センターというものがあり、その手の治療は随時行っているそうで、そこならうまくいけば胎胞を子宮に戻し子宮口を縛る手術までもっていけるかも知れないとのことでした。エコーではまだおなかの中の赤ちゃんは元気に動いているので、大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせてはみたものの、涙がどんどん出てきました。

主人に電話を入れて、すぐ病院に来るように言いました。外回りの仕事をしているため、到着までには少し時間がかかるとのこと。身内の同乗がないと救急車は出発できない為、何度も「まだ?」って電話しましたが、主人がやっと病院に到着したのは最初に電話を入れてから2時間後のことでした。

救急車に乗ったとたん、陣痛がどんどん強くなっていきました。同乗してくれた看護士さんが、おなかが張るたびに赤ちゃんの心音を図ってくれました。心臓の音は何事もないかのように、ほんとに元気にバクバク聞こえてきます。「赤ちゃんもがんばってるので、お母さんもがんばって!」そう何度も励ましてくれました。

50分後、搬送先の病院に到着しました。到着した時には、陣痛は1分間隔になっていました。胎胞もすでに膣いっぱいに出てきている状態だったそうです。「張り止めの点滴で陣痛を止めることができれば手術は可能ですが、もうここまでくるとそれは無理でしょう…。一応最大量で点滴をしてみますが、改善されないと判断すれば、すぐに分娩に切り替えます。」しばらく点滴で様子をみましたが、やっぱりこれ以上は無理と判断されすぐに分娩室に移されました。

さっきまで赤ちゃんの心音は聞こえていた…。まだ元気に生きているのに、私のせいで死んでしまう…。赤ちゃんに申し訳ない気持ち、お別れしなくてはいけない寂しさ、陣痛の痛みとで分娩室で泣き叫び続けました。

しばらくして破水し一旦陣痛が遠のいた為、分娩室からICUに移動しました。まだおなかの中には赤ちゃんがいる。でも羊水ももうなくなっちゃたし、今頃赤ちゃんは苦しんでるのかな…。それとももう死んじゃったかな…。そんなことを考えてずっと泣いていました。隣の分娩室からは赤ちゃんの産声が次々聞こえてきます。再び陣痛が始まって分娩室に入り、2回ほどいきむと静かに小さい赤ちゃんが出てきました。赤ちゃんはすぐに先生がついたての向こうに持っていって、会うことはできませんでした。

病室に戻ると、看護士さんが来て「赤ちゃんに会いますか?」と尋ねてきました。その時、私たち夫婦は赤ちゃんに会うことをためらっていました。会ってしまったら、その姿をいつまでも思い出して立ち直れないんじゃないかと思ったからです。看護士さんは「本当にきれいな赤ちゃんなので、是非会ってあげてください。」と言ってきたので、次の日まで考えた結果、会うことにしました。

看護師さんが病室に、ケーキでも入っているかのような小さな白い紙の箱を持ってきました。箱を開けると、278g・23cmの小さな小さな男の子が横たわっていました。その子を見たとたん、涙が溢れてきました。でも、次の瞬間笑顔になってました。横にいた私の主人も、母も。鼻は私似、おでこは主人似ですっごく可愛かったんです!!その子を見ると不思議なことに、みるみる元気が沸いてきました。「赤ちゃんは死んでしまったけど、私たちは父親・母親になったんだ。親として、この子に恥ずかしくないように生きなければいけない。クヨクヨなんてしていられない!」そんな気持ちでした。

名前は「柊(しゅう)」にしました。予定日が1月だったので、冬にちなんでこの文字を入れたいねって話してたのを思い出して。結局、夏生まれになっちゃったけど(笑)。

次の日、柊は小さな骨になってうちに帰ってきました。

これから不妊治療を一からやり直しです。もし再び妊娠できたとしても、子宮口を縛る手術をしたりと出産までの道のりはかなり厳しいようです。でも、柊の顔を思い出すと辛い治療も頑張れそうです。

柊、私たちのところにやってきてくれてほんとにありがとう!
パパとママは柊からすごいパワーをもらったよ!!

(掲載日:2004/10/8)





Name: 豆のママ    ..bbtec.net
Date: 2005/04/12(火) 22:13
     削除 
Title: 妊娠12週・稽留流産    
結婚して7年・・・初めての妊娠・・・とても嬉しくて主人も親も友達、近所、会社の人たち
みんなが豆ちゃんの誕生を楽しみにしていたのに・・・それは、叶わなくなくなってしまいました。

5週目妊娠判明。6週問題なし。8週の時心臓が動いていたのを見て感激。
4ヶ月12週目、検診で大きくなっている豆ちゃんを見られると思っていたら豆ちゃんは、心臓を動かしていませんでした。

??なんで??ビックリしてショックで涙がとまらないまま、次の日主人に付き添われ豆ちゃんとお別れをしました・・・。 麻酔きれてきて主人が私の手を握り声を上げて泣いていたのを覚えています。いつの日かこの人との豆ちゃんを生みたいと強く思いました。頑張ります。

(掲載日:2004/10/9)



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