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妊娠13週・死産
妊娠7週・稽留流産
Name:
にゃんこ
..bbtec.net
Date: 2005/04/12(火) 23:44
削除
Title: 妊娠13週・死産
まだ新婚と呼ばれる私たちは30代。出産は早い方が楽だよね、そう言っていた矢先に妊娠が分かりました。母譲りなのかつわりも酷くなく、順調な経過を辿っていました。ところが12週の時点で胎児に脳瘤があるという診断を受けてしまいました。調べたところ、この症状が出るのは確率の問題だそうです。原因はいくつかあるようですが葉酸の不足が一番に考えられます。妊娠が分かってからは葉酸を摂取していました。すぐに妊娠するとは思ってなかったし、偏食でもないので、それまでは摂取していませんでした。中枢神経系の異常なので他にも異常を伴う事が多く、色々資料を見ても「予後は絶対不良」と書かれています。この先好転する可能性も低く、どれだけ他の異常が出るか分からないし、妊娠を諦める事にしました。
週数が進んでいるので、陣痛促進剤を使って出産という事になりました。たまたまハイリスク出産を多く引き受けるような病院に通院していたので特に不安はありませんでした。予定分娩と同じように朝、入院しました。着替えと検温、血圧、検尿。その後、担当医から流れの説明があり昼食後は特にする事もなく本を読んだりして過ごしました。食事前や処置前後には検温、血圧チェックがある以外は、しんどくないし入院している気がしなかったです。
夕方に、子宮口を広げる処置がありました。棒を挿入して、それに水分を吸収させふくらませる方法です。特に痛みもなく、直後はお腹が重い気がしたけれどすぐに違和感はなくなりました。一緒に座薬で入れた痛み止めが効いていたようです。ただ、妊娠以来の便秘で貯まっている分が出てきそうになり困りました。トイレに行っても良いけど、ガーゼとか入れてある物が落ちたらナースを呼ぶように言われビクビクで何度かトイレに行きました。翌朝早くに分娩室に移動するので、荷物の準備をして寝ました。座薬のせいか眠りは深かったです。
翌朝9時を回り、誘発が始まりました。陣痛を起こすホルモン剤を3時間毎くらいに入れていきます。直接入れるのは聞いていましたが、個体なのか液体なのか聞くのを忘れていました。入れる時に、重い感じがするのと感覚で液体を注入されていた気がします。1回目を入れる前に昨夜入れた棒を取り出しました。違和感を感じていた訳ではないけれど、ちょっとした開放感がありました。ホルモン剤の影響で発熱や吐き気が出る事があると言われました。陣痛を和らげるので解熱剤は使いたくない、とも。1時間程で効いてくるはずですが、あまり変化もなく分娩台の頭側を上げてゴロゴロしたりトイレに行ったりしていました。途中何回かナースが様子を見に来てくれて、室温や明かりの調整をしたりしてくれました。
1時を回り、2回目の誘発をしました。熱も37.5度くらいで寒く、タオルケットをしっかりと被って寝ていました。途中トイレに行ったら少し出血していました。その事をナースに告げると、薬が効いてきているという話。内診があり、膝までの上着1枚にさせられました。そして、お尻の下に大きな吸水パッドが敷かれました。股の所で半分に折って臍付近までカバーする格好です。この後、頭痛が酷くなり熱も下がらず、ぐっすり寝てしまいました。
5時頃、内診で胎児が下に降りて来ていると言われました。この頃は少し頭痛や熱が楽になり、ずっと同じ姿勢で腰が痛くなってきたので分娩台で頭側を上げていた気がします。何回かパッドを替えてもらいました。
8時前、痛みが規則的になってきました。1分痛くて、3分お休み。時計で確認しますが頭痛で数字が覚えられません。痛いのかどうかも自信がなくなってきました。羊水も同間隔で出るので、たぶん痛いんだろう、という感じでした。9時前の内診。この時、ドッと中の物が出て行きました。膣で引っかかっていたそうです。全部を出し切った訳ではなく、応援の医師が呼ばれました。痛いお腹を外から押さえて残りを取り出しました。何回もエコーで確認し、やっとOKが出ました。鈍いものの陣痛が来ているお腹を男性にグイグイ押されるのは、本当に痛かったです。その後、ウテメリンの注射をされました。
10時過ぎ、外で待機していた夫も呼ばれ胎児を見せてもらいました。頭にはエコー通り大きな瘤ができていました。腹壁も破れていました。心停止はどの時点だったか分からないそうですが、こんな状態でよく心臓が動いていたなあと正直驚きました。身体を拭いてもらい、着替えをして11時まで経過観察のため分娩室にいるように言われました。
特に異常もなかったので、記入した母子手帳を渡してもらい、ベッドで元の部屋まで連れて行ってもらいました。部屋で検温、血圧チェックがあり、2時に再検温、血圧チェックすると言われました。それまでにトイレなど立つ場合は倒れる事があるので必ずナースコールするよう言われました。1時、ナースコールをして検温などしてもらってトイレに行きました。分娩室でお腹を押された時、膀胱も近いので、ものすごくトイレに行きたくなったのです。が、直後にトイレは許されるはずもなく我慢しているうちに忘れていたのが蘇ってきたようです。
トイレに行けて、やれやれ。この後は朝までぐっすり寝ました。
3日目。熱も下がり、鈍い腹痛もあるけれど経過は良好。午後から診察を受けOKなら退院、という事になりました。この日から抗生剤と、胸の張り止めが処方されています。退院までに死亡証明を発行してもらい、それを遺体と一緒に葬儀屋さんに渡す作業をしなければいけません。市役所に火葬許可証を取りに行く事や火葬は葬儀屋さんに代行してもらいました。午後になってから担当医の説明、診察、葬儀屋さんの到着、霊安室でのお別れ、支払いと慌しく時間が過ぎました。まだ小さいから、火葬すると何も残らないので霊安室が最後のお別れになりました。経過によっては、もっと日数がかかる可能性もありましたが最短の3日で退院する事ができました。費用は25万ぐらいでした。
胎動を感じるのはまだまだ先だったし、私がお腹に話しかけたり名前をつけたりするタイプじゃなかったのはある意味、救いでした。救える命と救えない命があるのは自然界では当然だし、今回たまたま救えない命をつかんでしまったとキッパリと諦めています。でも、何でだろう。退院してから暫くは、今まで経験した事ないぐらい情緒不安定でずっと泣いていました。背徳の念にかられます。自分の判断が正しかった自信はある。でも、あの時期で決めてしまって良かったのか?この先、妊娠しても同じ事になるのでは?私、処置によく耐えたなあ…。色んな思いが頭をグルグル回っていました。
退院からしばらく経って。お腹に残留物が残っていないか入院していた病院に再診を受けに行きました。外来と入院の担当医は別ですが、外来担当医の先生の顔を久しぶりに見て話をしていると何だか安心してきました。今度はちゃんと身体も準備しておけば、大丈夫な気がする。何かあっても、この先生に見てもらったら解決できるわ、って。また妊娠できたら同じ2人の担当医にかかりたいです。悲しい思い出ばかりじゃ嫌だから。
(掲載日:2004/12/14)
Name:
ルル
..bbtec.net
Date: 2005/04/12(火) 23:43
削除
Title: 妊娠7週・稽留流産
2004年12月3日に流産の手術をし退院しました。
生理予定日に妊娠検査薬でうっすら陽性。本当は6週目ぐらいで受診したかったけど、4週4日目で、うす茶色のおりものがでていたので、早いと思いながらも初診を受けました。
エコーでみても早すぎて確認できず、尿検査をすると薄く陽性反応。妊娠はしていますと言われ、出血も止まっているが、念のため流産を防ぐ薬を処方していただき、次週に小さな胎嚢が確認できました。2?か3?の小さな胎嚢でしたが確認が出来たということで安心したのもつかの間、次回受診日の朝、目が覚めると赤色の出血があり、その日に入院しました。
結局出血、腹痛は治まらず、エコーで胎嚢は確認できるもの、大きくなっておらず、8割、9割型、流産の可能性がありますといわれ、2回の血液検査(ホルモンの値)を比較し、流産の診断がつきました。腹痛にも耐え、出来ることはしても、報われないこともあるのだなって思いました。
入院中、二人部屋にもかかわらず、一人で使わせていただいたり、回診以外にも、先生自身か部屋に来て、症状の説明、検査結果が届く時間など、とてもわかりやすく、ゆっくり説明してくださり、色んな面で配慮して下さったのもあってか、わりと落ち着いて入院生活を過ごせました。
私の場合は入院をして良かったと思います。流産という結果は多分同じだっただろうけど、出来ることはしたという思いもあり、なによりも病院にいる、いつでも見てもらえるという安心感はありました。(毎日わが子への不安はありましたが・・・)病院関係者の前では泣きませんでしたし、新生児をみても、自分の子とは別だと思ったので、悲しい気持ちにはなりませんでした。睡眠不足もあってか、麻酔もきき、痛みを感じないまま手術を終えることができました。「子供が親孝行してくれたのかな」なんて勝手に思ったりしするとまた涙が出たり・・・・。
親や主人、亡くなった子供のために元気にならなくてはと思いながらも、ふとわが子の事を思い出すと涙が溢れてきます。いつになったら元気になるんでしょう。病院の受付の仕事をしていますが、笑顔で接する自身がまだありません。。。
今日、超音波写真を可愛い封筒にいれて、寂しがらないようにと大事なアルバム(結婚式の時)
に挟みました。すぐ赤ちゃんできるよ、とか言われても、亡くなった我が子はどこにいるんだろう、寂しがってないかな・・・など思うと、次の赤ちゃんの事とかまだ言わないでって思ってしまう・・・。昨日このホームページにたどり着きました。日記みたいにかいてしまいましたが、同じような経験の人がいて、同じような子供達がいる。ここに投稿させて頂いた事で、亡くなった我が子は一人ではなくこれから沢山のお友達ができるんだなって思います。
とにかく残された私達も生きていかなくてはいけません。しっかり前を向いて歩いていかなくてはと思います。もうちょっと時間はかかりそうですが・・・読んで頂いてありがとうございました。
(掲載日:2004/12/14)
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