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   妊娠9週・稽留流産   
     ・[164] しおんママ 
   妊娠8週・稽留流産   

Name: しおんママ    ..bbtec.net
Date: 2005/04/12(火) 23:22
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Title: 妊娠9週・稽留流産    
5日前に稽留流産の手術を受けました。経験者の知人から、精神的には、手術直後よりも日が経った方が辛いと言われましたが、その通りです。1週間休んだ職場復帰を2日後に控え、不安もあります。この気持ちを誰かと分かち合いたく、また、この経験談が誰かの支えになれば幸いと、投稿させて頂きます。

私は、3年前に長男を授かり、無事に出産をしました。切迫流産で1週間会社を休んだも、その後特にトラブルがなく出産できました。そして、今年9月、二人目が欲しいな、と思ったその月に、早くも二人目を授かりました。出産は6月下旬。フルタイムのサラリーマンである私にとって、6月出産は理想的です。年度の3月末まで育児休業を取り、保育園にはもっとも入園しやすい「0歳児」枠で申し込めます。同じ0歳児でも、4月にはすでに10ヶ月になっていますから、それまで十分に母乳をあげることが出来るし、体力もついてきています。私のところに来てくれただけでもありがたいのに、更に、働く母親である私にとって最適な時期に来てくれたなんて・・・幸福と幸運に酔う私でした。「しおん」という優しい名前が、自然に頭に浮かび、私は、そうおなかの小さな命を呼ぶことに決めました。

6週に入る頃、二度目の健診。先生が「小さめだけれど、次はきっと大きくなっているから3週間後にいらっしゃい。」私「心拍はどうですか?」先生「小さいけれど、心拍は見えていますね。」でも先生はエコーを私になぜか見せない。この婦人科は2度目で、1度目も先生はエコーを見せなかったから、そういう先生なのかもしれない、と思いながらも少しだけ心に不安がよぎりました。

夫は単身赴任。私は企業のフルタイマー。その週末、長男が水疱瘡にかかりました。月曜日は、私が会社を休み、長男を看病していましたが、おなかと腰に鈍痛があり、義母に来てもらって長男を産んだ婦人科に行きました。担当医師は、腕は一番といわれる医師。「小さいね。心拍も見えないね。週末もう一度受診して、心拍が見えなかったら、だめかもしれない。」と言われました。基礎体温表を付けていたので、週数の数え間違いでもありません。でも、その時点では、私は希望を捨てませんでした。

週末の受診。別の医師でした。沈黙の中、先生がエコーを何度も確認しながら調べています私には見せてくれません。そして、「やはり心拍が確認できません。ただ、もう1週待ってみましょう。」と言われました。私「この状態での流産の可能性はどのくらいですか。」先生「非常に高いです。」先生も看護士も、気の毒そうに、私の顔を見ないでおっしゃるんですね。「次の診断までに出血などする場合はありますか?」先生「もちろんあります。大出血したらすぐに来てください。」

私はその時点で絶望。次の日は体が動きませんでした。しかし、同時に冷静に、仕事をどう切り抜けるか算段する私がいました。私は二重人格か?!と怖くなるくらい。月曜日には、上司に妊娠と流産の可能性を報告。前半の3日間で仕事をすべて片付け、後半2日間と次の週を休むことにしました。前半の3日間は残業もしたし、プレゼンを2時間ぶっ通しでやりました。心の中では血の涙を流しながら。おなかもずっと重かった。産休に入る知人の壮行ランチにも出ました。大きなおなかの彼女は気の毒がってくれながらも、当然、理解はできないようで、それもさびしく感じました。

1週間後の検査で流産確定。6週のサイズで成長が止まっていたそうです。胎児の形もくずれ、とろけ始めているとのこと。手術に対して疑問の残る私は、自然に出てくるまで待つ方がよいのでは?と質問しましたが、母体の安全のために、早く手術をして、前向きに考えましょう!と力強く言われました。確かに、仕事中出血してもまずいなぁとも思い、先生の言葉に従うことに決めました。経産婦のため、当日入院といわれましたが、もっとも体に優しい方法をとお願いし、前日入院でラミナリアを挿入することにしました。入院して、ラミナリアの挿入。経産婦でも3年経つと、子宮口は完全に閉じており、一番細いラミナリアを入れるのも、激痛がありました。夜は眠れず、15分おきに尿意を感じてトイレに行き、睡眠薬をもらってやっと眠ることが出来ました。病院は、長男を出産した時と何も変わっていなくて、当時の幸せな思い出がよみがえり、辛い夜でした。



Name: しおんママ    ..bbtec.net
Date: 2005/04/12(火) 23:23
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Title: 妊娠9週・稽留流産(2)    
手術当日。当日は覚悟が決まっているせいか、また手術という未知の体験に対する興奮のためか、意外に元気なんですね。手術に対する恐怖心もありませんでした。半分、やけくそ、という気分。そして、懐かしい分娩室に。分娩台に横たわり、脚をしばって固定され、まずは腕に筋肉注射。前麻酔とのこと。そして、いよいよ本当の麻酔。「私と一緒に数を数えてください。」と看護士に言われ、「麻酔が効かなかったらどうしましょう・・・。」とアホなことを言って無視され、数を数えました。「11」で、目の前がクラッとして、「12」と言った後、記憶を失くしました。

気づいたら、ベッドに寝ていました。口の中が乾き、うまく声が出せないのに、涙はどんどん出てきて泣いていました。目を開けると世界がグルグル回り、頭を少しでも動かすとベッドごと虚空に落ちそうな感じがしてまた泣きました。しおんちゃんは、行ってしまった。私の体は空っぽになった、そう思いました。

今日まだ、出血はあります。朝起きて、何かしようと思っても、体が動きません。「できる」と思っても、いざ行動しようとすると、気持ちが萎えてしまいます。ホルモンの大きな変化も影響しているのだと思いますが、この虚無感、喪失感は、普段前向きでアグレッシブな私にとっては初めての気持ちで、とまどっています。医師の話では、胎死の原因は、半分が胎児、半分が母体の内膜にあるとか。内膜にある場合、流産手術によって、すべての悪い内膜を取り去ったので、次の妊娠は生理再開後早ければ早いほどよいそうです。その原因を探るため、早速、基礎体温をつけるよう指示されました。

私は、二人目が欲しい。やっぱり欲しいです。ただ、同時に、私は働きたい。そして、仕事の休みやすさ、保育園の入りやすさを考えると、計画妊娠したほうが母子両方にとってよい。。でも、今回の経験を通して、「子どもは授かりもの」「そうやって自分の生活第一に、子どもも計画しようとするずうずうしさがいけなかったのかな」とも感じます。「自然に妊娠できただけでも良かったと思ったら。」「もう一人子どもがいるのだからいいじゃない。」「初期の流産はよくあること。自然淘汰だよ。」と周りは励ましてくれます。でも、そうではないですよね。確率の問題でない、事実、私の上に起こったこと。そして、生まれることが出来なかった子どもの代わりはない、ということ。

いろいろなことが勉強になりました。人は経験して初めて分かることが、この歳になってもあるのですね。また、「努力すれば何でもできる」と思い上がっていた私にとっては、自分ではどうすることも出来ないこともあるのだと、知りました。今はまず、私自身の心と体を回復させます。次はよい報告が書けますように、この体験談を読まれる方々にも、将来赤ちゃんが来てくれますように、祈っています。また、このHPを開設・運営されれいる方々に、感謝します。

(2004/11/27)




Name: ちびみー    ..bbtec.net
Date: 2005/04/12(火) 23:18
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Title: 妊娠8週・稽留流産    
結婚して一年がたち、そろそろ子供が欲しいと思っていた時の初めての妊娠でした。生理予定日の一週間前からお酒が急に飲めなくなったり、何よりも食べることが大好きなのに食欲も激減してしまい「何かおかしい・・・」と感じました。早いかな〜と思ったけど病院へ行きまだ4W3Dとの事で二週間後に受診予定でした。しかし、一週間後夜勤中に出血と腹痛におそわれました。次の日病院にいくと切迫流産の疑いがあるとの診断。二週間の安静と言われました。先週よりは育っているから二週間後にまた受診してくださいといわれ帰宅。二週間の間は徐々につわりも出現し、この夏何をやっても痩せなかったのに体重も2キロ近く落ちてしまいました。その間仕事も休み安静にしていました。

二週間後受診にいくと、その頃はもう7Wを過ぎていたので心拍を確認できるかなと思い病院に行きましたが確認はできませんでした。また一週間後にきてくださいと言われ帰宅。その時点では親に報告していなかったので親からの宅急便が届いたのでTELしたところ新潟の地震と重なってしまいました。お互い震源地からは離れているものの、結構揺れを感じました。タイミングが良いのか悪いのか電話をかけたと同時に地震発生。これは、言わないほうが良いって事なのかも・・・と思い報告しませんでした。

同じ医療従事者として医師の言葉やエコーのやり方などから今回はもしかしたらだめのかも・・・という思いがありました。そして一週間後、なぜかその日の朝からつわりが無くなった。「育ってないね・・・すぐに出さないで自然に出てくるのを待ちましょう。お母さんのせいじゃないよ。受精卵の異常だからね。」自分自身でも予感はしていたけれども言葉が出てこなかった。その日から一昼夜泣き続けました。涙が止まらなかった。でも、つらいのは私だけじゃない、夫も同じように辛いんだと思いました。以前夫が「子供が欲しいから結婚した訳じゃない、私と一緒に人生を歩んでいきたいから結婚したんだよ。結果として子供が授かればそれはそれでいい。」と言ってくれた言葉を思い出しました。ずっと泣き続ける私を見ている夫の顔は今までに見たことのない悲しい顔でした。泣き続けた夜、夫と二人で泣きました。今まで泣いてたのが嘘の様に涙が自然に止まりました。私は一人じゃないんだと思いました。

自然に出て来るのを待ちましょうと言われたが、一回だけ出血しただけで腹痛だけが持続していた。仕事を再開したものの、午後になると下腹痛が増強してきた。心身ともにかなりぼろぼろになり限界だと感じ手術することにした。手術はあっという間の出来事だった。次の日から今まであった下腹部の違和感が嘘のように無くなった。

今回、自分が新しい命を授かる事が出来る身体であること。少しの間でもマタニティライフを体験できたことはすごい経験だと思いました。手術や受診時の医療者の何気ない言葉がどれだけ勇気づけ、安心させ、傷つけ、不安にさせるかがわかりました。いつお空に旅立った赤ちゃんが戻ってきてくれるかはわかりませんが、それまで今よりもっと素敵なお母さんになれるように自分自身を磨きたいと思います。

(掲載日:2004/11/27)



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