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   妊娠24週・死産   
   妊娠7週・進行流産   

Name: さちこ    ..bbtec.net
Date: 2005/04/12(火) 22:53
     削除 
Title: 妊娠24週・死産    
私にとって、初めての妊娠でした。結婚は決まっていたものの、妊娠がわかったのは、結婚一ヶ月前の事でした。わかった当初は、正直いって、うれしさ半分戸惑い半分でした。今まで、もしかして自分は不妊症でないかという勝手な思い込みをしていた為のうれしさと、すでに25歳でしたが、まだ自分の中では、大人になりきれていない部分があり、突然自分一人の体でなくなったこと、ヘビースモーカーで、お酒が大好きな私が日々の生活を改善していかなくてはいけないことに対しての、戸惑いでした。勿論、主人は喜んでくれましたが、妊娠当初は、今考えれば自分勝手な話ですが、自分が母親になる事、これから変わっていくであろう体の変化、出産への恐怖心が強く、何も我慢もしなくてよい、旦那にあたり、おろすのおろさないので、喧嘩になる事も多々ありました。

しかし、妊娠三ヶ月、四ヶ月過ぎ、病院での検診で順調に確実に育っていく我が子を超音波でみるたびに、妊娠当初の悩みなどいつしか消え、体の変化にしろ、つわりさえもすべてがただただ喜びにかわっていきました。そして、五ヶ月、六ヶ月検診にいくたびに順調といわれ、性別も男の子である事も判明し、名前も佑斗ときめました。安定期に入り、安心しきっていました。
なにしろ、初めての妊娠だったので、六ヶ月に入っても、胎動が感じられない事も、私が鈍感なだけだろうと思いこんでいました。

つわりも全く治まり、そろそろ主人と久しぶりに旅行にでもでかけようとした前日に、軽い気持ちで、七ヶ月の検診に病院にでかけました。先生に、「胎動がわからないんですけど」と、明るく質問した私に対して、先生の顔は真剣でした。「成長がとまっている」との言葉に、私は一瞬頭の中が真っ白になりました。何を言っているのか意味がわかりませんでした。先生によると、六ヶ月の検診の直後に赤ちゃんは私のお腹の中ですでになくなっていました。一ヶ月もの間、私は気づいてあげることもできなかったのです。

今すぐにも入院ということでしたが、心の準備ができない私は、翌日に入院することにしてもらい、先生の説明や看護婦さんの話も耳に入らず、ただ、心を緩めると今にも涙があふれそうだったので、我慢するのに精一杯だった事を覚えています。病院をでて、車にのり、旦那に赤ちゃんがお腹の中で死んだという事実を電話で話すと、一気に涙があふれだしました。その足で、初孫を誰よりも楽しみに待ち望んでいた母に会いにいきました。私が、事実を泣きながら話すと母も一緒に泣きました。「お母さんなんだから、しっかりしなさい」と言われ、余計涙がおちました。妊娠したらやめるつもりだったタバコもやめれなかった自分をせめました。順調だからといって、いい気になっていた自分を責めました。

翌日、午前中から入院しました。まだ詳しい説明を聞いていなかったため、旦那と母と姉と待合室で診察を待っていたとき、色々な想いが頭の中を駆け巡りました。いままで待合室の椅子に座っていた時は、我が子がどのくらい成長しているか早く見たいというワクワク感でいっぱいだったのに、今は赤ちゃんが死んでしまったという現実を確かめるために待っているんだということ。隣で座っている妊婦さんや診察を受けている妊婦さんとちょっと前までは同じ立場だったのに、何で私だけ・・・。という気持ちでまたこらえていた涙があふれました。

そして、検診を受け、ひょっとしたら先生の見間違えなだけではないかというかすかな期待は崩れました。佑斗はやはり動いていませんでした。私は悲しさでその動かない佑斗を画面で見る事すらできませんでした。

まず子宮をやわらかくする為に海草をいれました。先生が気を使ってくださり、一番端の赤ちゃんの泣き声が聞こえてこない部屋にしてくれ、その日は旦那とその部屋に泊まりました。そして次の日の朝早くに陣痛を起こす薬を入れました。先生の説明はその薬を、三時間おきに入れて早くて夕方、遅くて次の日にかかるかもしれないという事だったのですが、私の場合は一回目の薬を入れた直後から子宮が痛くなり、薬を入れて、約二時間後にはベットの上で破水をしました。今までに味わった事のない痛みでした。その時の事は痛さで記憶が薄くなってるほどでした。直ぐに分娩室に連れて行かれ、佑斗を出産しました。普通の出産ならここでは、赤ちゃんの産声や喜びでいっぱいはずなのに、私は静まり返った分娩室にしばらく一人でした。むなしさで、一杯でした。

しばらくして、主人と母が来ました。主人とは母は佑斗を見て、足の形が私に似ていたといいました。可愛かったといいました。私は見てあげる勇気がありませんでした。しばらくして、埋葬代行業者が来ました。看護婦さんに「赤ちゃん連れて行きますね」と言われ、私は赤ちゃんを産んだんだという実感がわき、再び佑斗に対する申し訳なさと自己嫌悪で張り裂けそうになりました。その後、三日間で退院しました。

今、あれから一週間経ち、改めて佑斗に伝えたい事は、六ヶ月間しか命を与える事ができなくて、本当にごめんねと言う事。それから、私に今まで味わった事がないくらいの幸せを与えてくれてありがとうと言う事。そして、あなたは、周りの人間すべてから本当に望まれて、愛されていたという事。この気持ちは一生忘れないけど、どうしても、これから日に日に少しずつ、佑斗の事を考える時間が薄れてくるかもしれないので、今の明確な気持ちを残しておきたくて書きました。

(掲載日:2004/11/16)





Name: りんごちゃん    ..bbtec.net
Date: 2005/04/12(火) 22:52
     削除 
Title: 妊娠7週・進行流産    
結婚してちょうど1年目に妊娠しました。私はもともと生理不順でほぼ毎月のように不正出血がありました。仕事も夜勤があり、生活も不規則なので、より不順になるのかな・・。そんな中での妊娠だったので旦那ともども喜びました。病院にいってもなかなか胎のうが見えず、排卵が遅かったんだろうとのこと。

(10/2)1w後再診「コレかな?」程度の胎のうあり、まだ妊娠確定にはならず残念に帰宅
(10/8)2w後検診胎のう、胎児、心拍確認でき、エコーに映る初体面の命を見て生命の神秘さを実感し感動。「これから一緒に頑張ろう」と話す。しかし胎のうが平均よりも小さいと言われ何週何日かわからず、しっくりいかない。
(10/20)  この間仕事を続ける日勤だけになったが妊娠前より疲れが激しい。つわりがなかった分割と楽だったのかな。
(10/23)起床時微量の出血、微量の腹痛あり病院へ。赤ちゃんは元気に動いており心拍も以前より大きく打っている。数ミリ成長。流産ではなかったが少し安静に・・とのコトで仕事も1w休むことにした。お薬服薬してても茶褐色の出血は量を増していく。
(10/27)一日中寝るのは難しくある程度の家事をしてしまう。出血相変わらず止まらず再診の日。赤ちゃんは元気に成長しつつあった。動脈静脈確認できる。しかし胎のうが成長遅く赤ちゃんは袋の中でいっぱいいっぱいだった。先生もそれをとても心配されていた。小さいなりに出産まで行く人もいるが残念ながら成長しなくなってしまう人もいます。と告げられる。まさか自分に限って成長しないなんて。と思ってしまうが出血量を見て最悪の場合が頭をよぎる。今の段階の出血はどうすることもできないので様子を見るしかないと家に帰される
(10/28)生理2日目の出血にかわる。貧血になるんじゃないかと思うくらい。今日から神戸の親元に休養のため帰ることにする。一応病院へ出血量が多いと電話するが、昨日の診察状況、腹痛が無いことで様子観察の指示。我慢できない腹痛があれば来てくださいと。実家へ帰る。家事をしなくてもいいようにと一日中寝ている状態。
(10/29〜30)日中は何事もなく過ごす。多少の腹痛あるも治まる。就寝時より腹痛が断続的に続く、おならが良く出たのでそういえば2〜3日便が無いと思い出し、そっちの痛みもあるのかと思いながら、どきどきしながら一夜を過ごす。起床時起き上がると同時に今まで味わったことの無いような膣からの排出量を感じ、(このとき覚悟ができた)トイレへ。ぶっ倒れそうになるくらいの血液量。ヨーグルトのような血液でカップ1個分はでていた。慌てて地元へ送ってもらい病院へ。エコーを撮ることに。先生の声がいつもと違うので先生も診る前に察していたんだろう。覚悟は決めたもののエコーに映らない赤ちゃんをみて涙が出る。旦那も仕事先から駆けつけ先生の話を聞く「進行性流産」だった。

帰宅後1日は涙ぐむ。旦那のやさしさに甘えて過ごす。出血は相変わらずあり旦那が鉄分のサプリメントを買ってきてくれる。嬉しかった。
失ったものは大きいが得たものはもっと大きい。赤ちゃんは天に昇ったけどずっとずっと私の中の一部としていてくれている。ずっと一緒なんだと思うようになった。次にむけて頑張ろう。

(掲載日:2004/11/16)



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