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   妊娠7週・稽留流産   
   稽留流産   

Name: R    ..bbtec.net
Date: 2005/04/12(火) 22:06
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Title: 妊娠7週・稽留流産    
5週4日で初めての診察。「胎のうがかなり小さくて心配」と流産の可能性も五分五分と言われる。それでも2人目の妊娠だったため、‘この子は成長が遅いのかな?‘と心配はしたものの幸せな気分に浸っていた。

その2週間後、今日は赤ちゃんの姿が確認出来るかな?とドキドキしながら産院へ行ったが、姿が見えない。胎のうは大きくなっていた為、少し期待したものの「稽留流産」と書かれた紙を先生から渡される。腹痛も出血もなかったため流産を受け止められず、先生の説明もよく覚えていない。早目の手術が必要と言われ一度帰宅し、再度主人と産院へ行き手術の説明を受ける。

結局翌日手術したが、前処置が痛いのはもちろん、手術自体が想像を絶する痛みだった・・静脈麻酔だったせいか、麻酔の効きが悪かったのか・・1人目を出産した時も看護婦の対応は悪かったが、今回も非常に悪く、悲しい気持ちより激しい憤りを感じた。

術後、看護婦の無神経な世間話を手術台の上で聞いているのが耐えられず、痛むお腹を抱えて病室へ戻る。それでも出産して入院している妊婦さんや赤ちゃん、家族の声が聞こえてきて、手術後約1時間で帰ることにした。

手術翌日は子宮収縮の痛みに涙し、流産とはこれほどツライものなんだと改めて実感。
毎日、手術の痛みと看護婦の対応に腹立たしさを感じ、同じ体験をした人はいないかとHPを検索。このページに出会い、ようやく気持ちが落ち着きました。

そして今日、術後の経過を見るため産院へ。1人目出産時、今回の手術時、私がどれだけ看護婦にひどい対応を受けたか紙に書き出し、先生に渡しました。同じ産院で出産や手術をした人全員、私と同じ気持ちだと言うことも伝えると、先生は忙しい中、全部読んでくれて私に謝ってくれました。一番謝って改心してほしいのは看護婦ですが、私の心はだいぶすっきりとしました。先生も「こうゆうストレートな意見は助かります。貴重な資料としますよ」と言ってくれました。

また手術が痛かったのは、私の血圧が低く、あまり麻酔を強く出来なかったそうです。
それも先生は謝ってくれました。もし病院の対応に不満や疑問を感じている人がいたら、紙に書いて渡すのもひとつの手だと思いますよ。読んでもらえなかったり、解決にならないかもしれないですが、何もしないよりは自分の気持ちに整理がつくと思います。

(掲載日:2004/10/3)





Name: まる    ..bbtec.net
Date: 2005/04/12(火) 22:05
     削除 
Title: 稽留流産    
私の流産体験は4年も前の話になってしまいます。そんな昔の話とはお思いでしょうが、私の中では時が止まったかのように今でも辛い思いが残っています。

私が妊娠したかもと思ったのは4年前の8月でした。今までにないような体調不良が続きました。妊娠に気が付いたのは彼、私の体温が高いと言っていました。9月の始めにドキドキしながら産婦人科へ、しかし、結果は陰性。それでも自分が妊娠していると感じていた私は下旬になり他の病院(婦人科)で診断。結果、陽性。嬉しさと結婚をしていない私にとって未婚という気まずさが同時にきたこと否めませんが、産むこと以外何も考えていませんでした。

離れて暮らしていた彼にメールで「パパになったよ」と伝えると片道一時間の距離を飛んできてくれました。そのあとは、彼の両親に妊娠を伝え、結婚の話になり、今思うとあの頃とても幸せでした。出血のようなものと腹痛がありましたが、妊娠初期はよくあることと書いてあったため私は病院へ行きませんでした。

入籍まであと一週間、私が耐えてきた腹痛がいつも以上に強くなり、夜中緊急で運ばれました。すぐに検査、そして私のお腹には全く成長していない赤ちゃんが2週間近くいたことがわかりました。私は涙が止まらず夜中なのに大声で泣きわめいていた記憶があります。

その後も、彼とは結婚はしていませんが、付き合いは続いています。彼の両親も今までとかわらず接してもらっていると思います。しかし、この頃、彼の友達の出産が続いていて、彼のお母さんが、きっと悪気もなく言ってしまっているのだと思いますが、妊娠中のお友達に私のいる前で「今産んでおけば何人も産める」とか、「うちはまだまだだろうから」という言葉に今も苦しんでいます。私にとってはとてもとてもツライ言葉です。まわりは、きっと私の赤ちゃんのことなど忘れてしまっているのだと思うと、悔しいです。

あの事は私はけして忘れません。そして次に妊娠したときこそは可愛い我が子を抱けることを祈っています。まだ、心にわだかまりが残っているのはよくないことかもしれませんが、私はまだ苦しんでいます。誰もわかってくれないし、4年も前のことなので今更話もできません。一人で苦しむのがとても辛くて長々と書き込みしてしまいました。本当に申し訳ありません。

(掲載日:2004/10/3)



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