++山根一男の徒然日記++
山根一男HP 〜やまネット〜
山根一男掲示板
10月 30日(日)
冨田市政1年
10月 29日(土)
可児市戦没者追悼式と『可児の風』
10月 28日(金)
母を迎えに行く
10月 27日(木)
エキスパートスタッフ養成セミナー・可児1
10月 25日(火)
エキスパートスタッフ養成セミナー・岐阜1
10月 24日(月)
就学前の子どもに関する保育・教育等協議会
10月 23日(日)
広見・長坂・民主党各種団体懇談会
10月 21日(金)
復興支援!ボラバス第4弾・高校生編
10月 20日(木)
西可児中学校区Educe9 公表会
10月 19日(水)
諫早市市議団と交流
←
2011年 10月
→
日
月
火
水
木
金
土
-
-
-
-
-
-
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
-
-
-
-
-
2024年 4月
2024年 3月
2024年 2月
2024年 1月
------------
2023年 12月
2023年 11月
2023年 9月
2023年 8月
2023年 7月
2023年 6月
2023年 5月
2023年 4月
2023年 3月
2023年 2月
------------
2022年 12月
2022年 10月
2022年 8月
2022年 7月
2022年 6月
2022年 5月
2022年 4月
2022年 3月
2022年 2月
2022年 1月
------------
2021年 12月
2021年 11月
2021年 10月
2021年 9月
2021年 8月
2021年 7月
2021年 6月
2021年 5月
2021年 4月
2021年 3月
2021年 2月
2021年 1月
------------
2020年 12月
2020年 11月
2020年 10月
2020年 9月
2020年 8月
2020年 7月
2020年 6月
2020年 5月
2020年 4月
------------
2019年 9月
2019年 8月
2019年 5月
2019年 4月
2019年 3月
------------
2018年 11月
2018年 6月
2018年 4月
2018年 3月
2018年 2月
2018年 1月
------------
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 9月
2017年 8月
2017年 6月
2017年 5月
2017年 4月
2017年 3月
2017年 2月
2017年 1月
------------
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 9月
2016年 8月
2016年 7月
2016年 6月
2016年 5月
2016年 4月
2016年 3月
2016年 2月
2016年 1月
------------
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 9月
2015年 8月
2015年 7月
2015年 6月
2015年 5月
2015年 4月
2015年 3月
2015年 2月
2015年 1月
------------
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 9月
2014年 8月
2014年 7月
2014年 6月
2014年 5月
2014年 4月
2014年 3月
2014年 2月
2014年 1月
------------
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 9月
2013年 8月
2013年 7月
2013年 6月
2013年 5月
2013年 4月
2013年 3月
2013年 2月
2013年 1月
------------
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 9月
2012年 8月
2012年 7月
2012年 6月
2012年 5月
2012年 4月
2012年 3月
2012年 2月
2012年 1月
------------
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 9月
2011年 8月
2011年 7月
2011年 6月
2011年 5月
2011年 4月
2011年 3月
2011年 2月
2011年 1月
------------
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 9月
2010年 8月
2010年 7月
2010年 6月
2010年 5月
2010年 4月
2010年 3月
2010年 2月
2010年 1月
------------
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 9月
2009年 8月
2009年 7月
2009年 6月
2009年 5月
2009年 4月
2009年 3月
2009年 2月
2009年 1月
------------
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 9月
2008年 8月
2008年 7月
2008年 6月
2008年 5月
2008年 4月
2008年 3月
2008年 2月
2008年 1月
------------
2007年 12月
2007年 11月
2007年 10月
2007年 9月
2007年 8月
2007年 7月
2007年 6月
2007年 5月
2007年 4月
2007年 3月
2007年 2月
2007年 1月
------------
2006年 12月
2006年 11月
2006年 10月
2006年 9月
2006年 8月
2006年 7月
2006年 6月
2006年 5月
2006年 4月
2006年 3月
2006年 2月
2006年 1月
------------
2005年 12月
2005年 11月
2005年 10月
2005年 9月
2005年 8月
2005年 7月
2005年 6月
2005年 5月
2005年 4月
2005年 3月
2005年 2月
2005年 1月
2011年10月15日(土)
民主党 全国幹事長・選挙責任者会議
人生には自分の身に降りかかることで、驚くべきことがたまにある。民主党県連事務局から、全国幹事長・選挙責任者会議に幹事長代理で出てくれと言われたときには耳を疑った。
民主党岐阜県連の幹事長は岐阜県議の渡辺崋山氏だが、他にも県議だけで7名はいる。市議も何人もいるのに、何故、自分に行けと言われたかよく分からない。しかし、名誉なことだし、一度は中央の舞台を見てみたいという気持ちはあるので、二つ返事で参加した。
召集者は輿石 東幹事長である。昼食会もセットされており、私の隣は樽床伸二幹事長代行だった。一応、先週も今井雅人代議士と共にお会いしているので、面識はあった。というか、面識のあるのは樽床さんだけだった。
13時から会議は始まった。千代田区平河町の都市センターホテルである。ここは、研修などで何度か来ている。ドアを開けてびっくりした。マスメディアのカメラの砲列が…50人以上はいたと思う。
テーブルには各県のプレートがあり、岐阜県は私一人、つまり代表である。全国幹事長・選挙責任者会議は、7月以来…つまり、野田政権が成立して初めてだという。それだけマスメディアの注目度も高いわけだ。
冒頭、野田総理の挨拶があった。一国の首相が出席する会議に自分が出ているということにも感動したが、野田総理の挨拶の素晴らしさにもさらに感動した。
今の民主党が、国民の期待に十分応え切れていない状況を素直に認めながら、これから落ちた雪だるまの頭を、また載せ直すように、一致団結して乗越えて行こうという趣旨だった。
後に発表があったことだが、今度の民主党のポスターのタイトルは、野田首相の横顔に「ひとつひとつ乗越えていく」という。まさに、今の民主党政権の状況をそのまま謳ったものだ。
野田首相の挨拶は、簡単明瞭の中にも言葉のめりはりもよく誠意と熱意を感じ、ユーモアも交えて完璧なスピーチだった。約5分弱だと思う。録音もさせてもらった。家に帰って妻に聴かせても素晴らしいと言った。
続く輿石 東幹事長の挨拶の後は、マスコミ関係は退席となった。党務報告として樽床伸二幹事長代行、仙谷由人政策調査会代行、平野博文国会対策委員長、高木義明選挙対策委員長、広野ただし広報委員長からそれぞれ報告の後、質疑応答となった。
私も知らなかったのだが、輿石 東幹事長を本部長とする陳情要請対応本部というのがあり、総理経験者をはじめとする126名もの役員がいる。確かに、私も一昨日坂祝町と御嵩町、七宗町、白川町の陳情要請を聞いただけでも、あのボリュームなので全国となると…地方自治体だけではなく、各種団体もあるので大変な量となる。
その他、質疑が相次いだ。TPPの問題、議員や公務員削減の問題、党員サポーター獲得の問題、沖縄における候補者擁立の問題、農作物の風評被害に関する問題、地域主権改革の問題…まさに、現時点の政策課題が噴出した幹事だ。
全部で、18都府県に及んだ。予定の2時間をオーバーして議論は続いた。私はといえば、準備不足もあり質問はできなかった。少し情けなくなった。皆さんの活発な議論の応酬を聴くだけで精一杯だった。
国政となると凄いものだ。自分の勉強不足をひしひしと感じながら会場を出た。下りのエレベーターでは仙谷由人政調会長代行と同じだった。センターを出たとたんにメディアに掴まった。
たった一人の記者の質問に答えたら、まるでえさに群がる鳩か鯉のように…(失礼)あっという間にNHKはじめ十数社の記者に囲まれた。一応、会議が終わった後司会者から注意は受けていたが、それが現実になった。
記者さんたちは、会議の内容を知りたいらしい。特にTPPのこと等だ。当りさわりのない受け答えをしたつもりだが、根堀り葉掘り聞いてくる。そして、皆さん名刺を渡したがる。
過去には私も、マスコミに意図しないことを書かれて往生した経験もある。しかし、それは可児市のことで、まるで人数が違う。ほうほうのていで逃げ出してきたけど、正直何を書かれたか不安この上ない。
得がたい体験をした一日だった。
>> 返信
<<BACK 13日 各自治体からの陳情・要望受付
NEXT>> 16日 第25回行方不明者捜索活動
| 携帯用 |
| RSS |
| 検索 |
++ Powered By 21style ++