++山根一男の徒然日記++
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10月 30日(日) 冨田市政1年
10月 29日(土) 可児市戦没者追悼式と『可児の風』
10月 28日(金) 母を迎えに行く
10月 27日(木) エキスパートスタッフ養成セミナー・可児1
10月 25日(火) エキスパートスタッフ養成セミナー・岐阜1
10月 24日(月) 就学前の子どもに関する保育・教育等協議会
10月 23日(日) 広見・長坂・民主党各種団体懇談会
10月 21日(金) 復興支援!ボラバス第4弾・高校生編
10月 20日(木) 西可児中学校区Educe9 公表会
10月 19日(水) 諫早市市議団と交流
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 2011年10月29日(土)
 可児市戦没者追悼式と『可児の風』
 午前10時からアーラ(可児市文化創造センター)小劇場で毎年恒例の可児市戦没者追悼式があった。 
 
 以前は、市内各地区で行われており、私も帷子地区の追悼式に何度か参列したことがあるが、数年前からはこのアーラで一括して行われている。理由は、会を仕切る遺族会の方が年齢を重ね、各地区ごとの開催が難しくなってきたことにある。 
 
 市議会議員は来賓ではないが、市民の代表ということもあってか参加するのが恒例となっている。戦後66年ということになるが、何年経とうが私たちは今日ある我が国の繁栄が、戦没者たちの尊い犠牲の上に成り立っていることを忘れてはならない。 
 
 年に一回、このような機会に接せられることを有難く思う。さて、追悼式(式典)自体は黙祷と、市長・議長・県知事(代理)・県議・遺族会代表らの挨拶を聴くことと献花することだけで、40分ほどで終わる。 
 
 
式典終了後に市民グループ「可児の風」による『平和を祈る朗読』がある。これが圧巻である。式典だけで帰ってしまう来賓や議員が多いが、私は彼らの朗読はぜひ一聞の価値があると思う。 
 
 実際に戦争体験者からの伝聞を基にした朗読で、可児市内の身近な地名や○○さんの家とかいうような超具体的な事がらがちりばめられていて、戦争がこの可児市においてもあったことが、現実感を持って知ることができる。 
 
 今日の話は、昭和20年6月20日と26日、そして終戦前日の8月14日に、ここ可児市で何があったか…という話である。 
 
 6月20日は、広見周辺に初めて焼夷弾が落とされた日だという。何軒かの家が焼かれたという。 
 
 6月26日は午前11時30分頃、下恵土上屋敷周辺にB29爆撃機から22発の爆弾が落とされ、合計26人が犠牲になったという。御嵩の駐在所からはいち早く警官が負傷者の安否を尋ね歩き、負傷者は土田の東濃病院(現在の岐阜社会保険病院)に運び込まれたという。 
 
 8月14日は、広見駅(現在の可児駅)で機銃掃射を受け、貨車3両に積まれていたドラム缶に入ったガソリンが爆発を起こした。同じ頃、美濃太田駅では機銃掃射により二人が即死したという。 
 
 平和な時代に生まれ育った私たちには、想像もできない出来事が、わずか66年前の可児市でもあった。テレビや映画と違って朗読というのは妙にリアルで心に残る。 
 
 舞台に上がられていたのは女性が大半の12名ほどのグループだったが、ぜこういった朗読を、特に市内の小中学生にはぜひとも聞いてもらいたいと思った。「可児の風」の活動には敬意を表したい。 
 
 詳しい時間を聞き漏らしてしまったが今度、11月27日(日)にはアーラで発表会があるようだが、時間が許す限りぜひ参加してみたい。 
 
 

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