++山根一男の徒然日記++
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11月 28日(月) 十二月議会の論点
11月 27日(日) 第7回かにNPOフェスタ
11月 26日(土) 帷子ユニックフェスティバル
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11月 18日(金) マツバギク冬支度
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 2011年11月12日(土)
 高校生33名,陸前高田で桜を植える
 11日(金)の19時に可児市役所駐車場を出た。その後、美濃加茂市役所駐車場でも高校生たちを乗せ出発した。可児加茂地区の7つの高校生33名と、スタッフ8名の計41名だ。 
 
 途中、南三陸町や気仙沼市街を通るルートを取った。南三陸町は陸前高田市同様、市街地が消滅したままだ。『復興』とは名ばかりで、かつて賑わっていたであろう市街地が何もない更地になっている。 
 
 ところどころに、敗戦後の日本の空襲で焼き尽くされた町のように、ところどころに三階建て以上のビルや、うず高く積み上げられたガレキの山々が散在している。 
 
 陸前高田市の災害ボランティアセンターに着いたのは12日午前8時10分。実に13時間程かかったことになる。8時30分からの災害ボランティアセンターのオリエンテーションには間に合った。 
 
 実に、この日ボランティアはバス21台660名+個人参加で700名以上だという。そんな中で東京の横河電機ラグビー部の人たちが、ボランティアセンター(ボラセン)8万人目の団体ということで表彰された。 
 
 恥ずかしながら…とおっしゃられていたが、震災後7ヶ月目から4週連続で30〜50名の団体で来られているという。見るからに屈強な男性チームだった。 
 
 とにかくボラセンに来られている人は若い人が多い。20代・30代がほとんどだ。そんな中でもひときわ若い一団だ我がチームだった。さすがに高校生主体のチームは珍しいようだ。 
 
 陸前高田市災害ボラセンに来るのは9月23日以来だが、その時も感動したが、実にシステムが良くできている。気持ちよく、安心して安全に作業ができるように組まれている。 
 
 他のまちの災害ボラセンをすべて見て来たわけではないが、かなりのレベルだと思う。何故そう思うかというと、最後のお見送りの段階まで、すべてきちっと、それも義務感ではない心からの対応をしてくれるからだ。行政職員等は一度は、このシステムを見ておいたほうが良い。 
 
 ボラセンでの受付を済ませ、器材などもお借りして『桜ライン311』の現場に向かった。桜ライン311実行委員会事務局長の佐藤一男氏に案内していただいた。 
 
 その他、全国青年市長会が陸前高田市に開設している『陸前高田市復幸支応援センター』から3名の方がサポートしてくださった。これは趣旨に賛同する49歳以下で当選された全国の市長59市長から成る組織だ。 
 
 陸前高田市の市長がそのメンバーであったことから応援するようになったようだ。この日もそれぞれ稲城市、足利市、茅ヶ崎市の職員の方が来てくださった。どなたも親切でてきぱきしていて、各市の精鋭ばかりだと思った。 
 
 単に陸前高田市役所の応援ということでなく、あらゆる角度からまちの復興をサポートするべく、各会員市から職員が数ヶ月単位で送り込まれる。残念ながら岐阜県には会員市はないが、優れたシステムだと思う。理由はどうであれ、全国の自治体は被災地の復興に直接参加すべきだ。 
 
全国青年市長会HP↓ 
http://www.pear.ne.jp/seinensityokai/ 
  
 さて、植樹の方だが、実は第一回目の桜の木の植樹作業は11月6日に終わっていて、つぎは来年3月の予定だが、私たちの団体(ボラバスねっと・かにかも)の申し出が早かったせいか植樹の苗を残しておいてくださった。 
 

 高校生たちにとっては得がたい体験となった。ただ、考えてみても津波の到達点というのは斜面が多い。かなり急斜面に植えるのだ大変だ。この日は竹駒地区など、実に海岸から5kmも内陸の土地等で植えた。 
  
 誰がここまで津波が押し寄せて来ると思うだろう?きっと、千年先の人からも感謝されるであろう。ただ夢を語るのは簡単だが、実際にそのことを実現させようとしている方の苦労は並大抵なことではない。 
 
 以下、高校生たちが帰りのバスの中で書いてくれたアンケートより、何人か抜粋したい。↓ 
 
『テレビで見るよりもひどく、初め見たときは言葉が出ませんでした。8ヶ月も経った今でも車がたくさん積んであったり、崩壊した建物があったりと、3月11日に起きた地震がどれだけのものだったか思い知らされました。』(高校生女子) 
 
『リアルに目にして心が痛んだ。あったはずのモノが無くなっている恐怖や、今自分に帰る場所がある幸せを感じた』(高校生男子) 
 
『テレビで見るのと実際に見るのは、全然違った。たった一瞬で色んな物をのみ込んでしまって、ありえないと思う。今を生きていることがどんなに嬉しいことなのか改めて思った。』(高校生女子) 
 
『テレビでは見ていたけど、実際にここまでひどいとは思わなかった。同じ地域なのに全く被害のない所との差がはげしくて、びっくりした。すごく心が痛かった。』(高校生女子) 
 
『桜の木を植えてみて、この桜がこれから先に、もし津波が来た時に役に立てばと思いました。今回の活動ではバスも活動でも、ボランティアの方や見知らぬ人のおかげで活動することができました。ありがとうございます。私一人だったら、活動に参加することはなかったと思います。今日感じたことを忘れないようにします。』(高校生女子) 
  

『8ヶ月も経ったので、ガレキとかはほとんど撤去されているかと思ってたけれど、ガレキの山が沢山あるのに驚いた。ここに人が住んでいて、津波が来て多くの被害者がでたかと思うと棟が痛い。』(高校生女子) 
 
『思っていたより(桜の木の植樹は)難しい作業でした。桜の扱いが、中々大変なことに驚いた。今はまだまだだけど、いずれ大きくなったら見に行きたいです。』(高校生女子) 
 
『8ヶ月もたっていて、新聞やテレビでも、復興がどんどん進んでいるようなニュースが多い中、実際に見てみて、ガレキが山のようにある現状にとても驚きました。その中で、前向きな現地の方の姿や、熱心に活動されるボランティアの方々の姿が印象的でした。本当に町が戻るまで、まだまだ時間がかかると思うので、自分のできることをしたいと改めて思いました。』(高校生女子)
 


  今回スタッフとして参加させていただきありがとうございました。学生にとって岐阜に居ては感じる事の出来ない感情を心に持ったと思います。その感情を伝え自分に出来る支えとは何なのかしっかりと考えて行動へ繋げて欲しいと思います。

毎日の生活の中辛く・悲しく・襲ってくる不安・悩みいつ撤去されるのかも解らないガレキ
元に戻る事のない大切な風景
本当の笑顔が戻る為に私たちは何が出来るのだろう?
これからも現地の支えになる事に積極的に参加したい。

今回は現地の方々におんぶに抱っこ状態と感じました。
計画段階で色々と考えられ決まったと思いますが…多くの学生達に参加しやすく現地へ行って欲しいですが…半額でも良いので参加費を頂きその参加費を桜の苗木購入や手入れの費用へ支援できれば良かったなぁ〜と感じました。
お疲れ様でしたm(__)m
こもだ ..11/14 23:22(月)

  こもださん、ありがとうございました。本当に助かりました。
わずかでも参加費を取るかどうかは、かなり議論しました。ただ、今回は赤い羽根共同募金からの支援もあり、高校生も集まるかどうかも分らない状況からのスタートでしたので無料にしました。
山根 一男 ..11/21 1:00(月)
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