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   36週5日 胎盤梗塞?に ....   
   3度の流産のあと子宮 ....   
   17週5日 原因不明 死 ....   
   29週 新生児死亡  ....   
   9週 稽留流産   
   26週 死産  臍帯ヘ ....   
   新生児死 未熟児 壊死 ....   
   17週 死産   
   7週 完全流産   
   6週 初期流産   

Name: Z    ..sannet.ne.jp
Date: 2013/06/29(土) 01:08
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Title: 36週5日 胎盤梗塞?による死産    
2013年5月17日、38週と5日で息子を亡くしました。
ついに10ヶ月目に入って、週1回の検診になり、いよいよ息子との対面する日も近づいてきた検診の日、赤ちゃんの心音が上手くとれなくて「明日、また来て下さい」と言われました。
その日の夜、赤ちゃんは全然動かなくて、横になってもお腹をとんとん叩いても胎動は感じられませんでした。
臨月に入ったし、そんなものかと思っていました。

翌日病院に行って、心音をとる機械を付けるとしっかり心音が聞こえてきました。「赤ちゃんが動いたら押してね」とスイッチを渡されましたが、押す事ないままに心音をとり終わりました。
エコーの後に内診をして、先生から「今、旦那さんはどこ?どのくらいで戻って来れる?」と言われ、ドキッとしました。
あれ?順調じゃないの?心臓がドキドキして血の気が引きました。

主人が急いで仕事から戻ってきてくれ、先生から「お腹の中の環境があまり良くないので、赤ちゃんを出します」と、告げられました。
すぐに入院して子宮口を柔らかくする処置をして、明日薬で陣痛をおこして出産にしましょう。
予定より早いけど赤ちゃんに会える!
それを伝えた時の嬉しそうな長女の顔が今でも忘れられません。

さっそく病室で処置をして、心音を確認。でも心音がとれずバタバタと先生が呼ばれ、エコーで「まだ動いてる、もう切っちゃいましょう」と緊急帝王切開になりました。
あれよあれよという間に手術室へ移動させられました。
明日まで待つ余裕があったんじゃなかったのか。
「赤ちゃん出ます。16時43分」
赤ちゃんはすぐに奥の方へ連れていかれました。
赤ちゃん泣かない。誰も何も言わない。
私の赤ちゃんは?どこ行った?搬送されちゃった?

手術が終わり、部屋に戻ってしばらくすると、先生が来ました。
もうろうとする意識の中で先生から「赤ちゃんね、お腹の中で亡くなってたの」と、宣告されました。
なぜか私は冷静で、やっぱりと思いました。
赤ちゃんに会う?と聞かれましたが、「会う自信が無い。今はまだ」と断りました。
結局最後まで会いに行く事が出来ず、抱っこをしてあげられなかったのを後悔しています。

その日の夜は痛み止めのせいか、精神が不安定なのか、息子の夢を見ました。なぜ私の所にきたの?何でキズ口はこんなに痛いの?と息子に聞きました。
息子は「指しゃぶりをしに来た。思い出を胸に刻むから痛いんだ。泣くならキズ口もっと痛くするよ」と私に話していました。
入院中は現実を飲み込めず、ただただ痛みに耐える日々でした。
おっぱいが張らないように冷やし続けながら、おっぱいが出ない様に薬を飲んで、病室の外から聞こえる赤ちゃんの声を聞き、なぜ私が…と修行のような苦しい日々を送りました。
でも、赤ちゃんの泣き声を聞くと不思議と私も大声で泣く赤ちゃん欲しいなとも思えました。

退院した日に火葬をしました。
小さな棺に入った息子は、目が主人、鼻が娘、口元が私にそっくりでした。見た目にはどこにも問題が無く死因は分かりませんでした。
火葬後は、毎日、写真とお骨を眺めては泣いていました。
退院一週間後の検診で胎盤を検査してみると、梗塞巣が見られたと言われました。先生にそれは繰り返すんですか?と聞くと先生は力強くそんなこと気にしなくていい!と言ってくれましたが、結果、私が赤ちゃんを育てられなかったんだと自分を責めました。
毎日何をして過ごしていたのか覚えていません。
寝たり食べたり飲んだりする生理現象が起きる自分が許せなかったです。
私が1番辛い!苦しい!悲しい!と叫びたかったけど叫べなかった。誰に何を言われても私には届かなかった。

でも一ヶ月過ぎた頃、泣かない日が増えてきました。
今だに妊娠中行った場所、赤ちゃんの為に食べたものは辛くて体が拒否してます。
前向きになれないし、息子が亡くなった意味も分からない。
1人になると淋しくてしょうがないです。
時間だけ過ぎて私はあの日に置いてけぼりで、引きこもりだし家族以外に会いたくない話したくない。それが正直な所です。
でもこんな事をしていても何も変わらないなぁって思いました。
私が少しでも何かを変えなきゃ、息子からの声が聞こえ無いんじゃないかと。

涙は勝手に出てきてしまうので流しておこうと思います。
ここにこの投稿が出来ただけ前に進んだ証です。
いつか必ず息子に巡り会いたい。
それだけです。それだけを支えにして時期がきたらまた授かりたいと願っております。





Name: きらきらぱんだ    ..plala.or.jp
Date: 2013/06/28(金) 17:23
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Title: 3度の流産のあと子宮外妊娠    
2011年に初めて妊娠しましたが、初期流産でした。
その翌年に2度の初期流産を経験し、不育症の検査をしましたが異常は見つかりませんでした。
医師から「自信を持って次の妊娠に臨んで」と言われた2か月後、子宮外妊娠がわかり、片方の卵管を切除しました。

結婚してしばらく、私自身の体調不良で服薬しており、妊娠ができませんでした。
やっと妊娠ができる元気な体に戻ったというのに、度重なる流産。2度目の妊娠からは、検診で病院に行くのが不安で不安で仕方ありませんでした。
3度目は一度心拍を確認していたのに、次の検診で心拍が止まっていました。
悲しくて悲しくて仕方なかった。でも、夫もショックが大きく、そんな夫を見ると「辛い、悲しい」という気持ちを夫に正直に話すことができなくなってしまいました。

実家の母に話しても、母が私のことを「可哀そうに」と辛そうにするので、心配をかけてはいけないと、あまり多くを話すことができませんでした。
前向きになろうと思い、今まで悲しみを誰かにとことん聞いてもらうような機会がありませんでした。

子宮外妊娠した時は、切除した卵管の写真を見せてもらいました。こんな狭い所で苦しかっただろうと思うと涙があふれました。
ただ、これまで4人もの子が私の子どもになろうと、私のおなかに宿ってくれたことを思うと、これからまたがんばろうという気持ちになっていきました。

でも現実は厳しく、子宮外妊娠から体調が回復して3か月の間に自然妊娠はできず、複数の理由から体外授精をすすめられています。

夫とは流産を経験するたびに絆が深まっている気がして、そのことは本当にありがたいと思っています。
夫と仲良く暮らし、空に帰った子どもたちが「またお父さんとお母さんのところにいきたいな」と思ってくれるような夫婦であり続けたいと思います。
神様を信じて、我が子を抱ける日まで夫婦で励ましあって過ごしていきたいと思います。





Name: なお    ..spmode.ne.jp
Date: 2013/06/26(水) 02:23
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Title: 17週5日 原因不明 死産    
夢のマイホームを建設中、妊娠がわかりました。
引っ越しに重なってしまうな、と、思いながら、つわりの無い順調な妊娠生活に、大丈夫だろうと安易に考えていました。

2人目ということもあり、あまり気をつけずに行動していました。
バリバリ仕事をして、家事をこなし、育児もして、引っ越しの準備も、引っ越し後の片付けもお腹に気を使わずしていました。
ちょっとの出血や張りがあっても、仕事を休めない、忙しいことを理由に受診せず、様子を見ていました。

出血と張りがいつもより多くなり、やっと受診すると、もう手遅れでした。
胎胞が下がって子宮口が開き、いつ破水してもおかしくない状態でした。

すぐに入院して、2日目の朝方、腹痛がおきました。
陣痛でした。
4時23分、170gの小さな女の子を出産しました。

赤ちゃんには何も問題がなかったのに、全て私のせいで。
後悔と罪悪感でいっぱいです。
待望の女の子だったのに・・・。

一生忘れないでいこうと思います。
できることなら、ママのところに戻ってきて欲しい。
こんな最低なママだけど、もう一度あなたを育てるチャンスが欲しい。
神様、どうかもう一度お腹に宿してください。
いとおしい娘。また会いたいです。





Name: けいすけくんまま    ..ucom.ne.jp
Date: 2013/06/25(火) 14:56
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Title: 29週 新生児死亡 IUGR     
両親が相次いでなくなった後、頑張って前向きになって再開した不妊治療。
2度目の人工授精で思いがけずやってきてくれた親孝行な子でした。

流産の経験があったので、心拍を確認できたときは夫婦でお祝いしました。
つわりもなくて、おなかも小さいままで動きやすい!なんて旅行しすぎたせいかな・・・。
本当は酸素が送られてなくて成長できなかったんだよね。
つらい思いさせてごめんね。

26週目から管理入院していたけど、突然の心拍低下で、生後1日でお空に帰りました。
もっと私に出来ることがあったのではないか。
もう38歳だし、主人に子供を持たせられないのではないだろうか。悲しさと不安でいっぱいです。

でももう少しだけ、治療をしてみようか?とも思えるようになりました。
恵祐君と主人を悲しませないように。前向きに生きなきゃ。






Name: ゆず    ..ogaki-tv.ne.jp
Date: 2013/06/23(日) 21:56
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Title: 9週 稽留流産    
不妊治療して半年、待望の赤ちゃんを授かって喜んでいた矢先、妊娠9週目で稽留流産をしました。
先週まで心音が確認できていたのに、突然心臓が止まって死んでしまいました。

徐々に体は元気になりますが、心の回復にはまだまだ時間がかかりそうです。
なぜ私は元気な赤ちゃんを産んでやれなかったのか、なんで他の人は元気な赤ちゃんが生まれるのに、なんで私だけ!!と苦しむ毎日です。

手術には旦那が付き添ってくれて、意識がもうろうとする中、旦那はずっと、ずっと手を握ってくれていました。心の傷はなかなか消えないけど、次の赤ちゃんができることを楽しみに、また旦那と前を向いて歩いて行こうと思います。
今度は元気に生んであげたいな・・・





Name: さらママ    ..panda-world.ne.jp
Date: 2013/06/22(土) 03:18
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Title: 26週 死産  臍帯ヘルニアの疾患あり    
去年の年末、妊娠が判明しました。
初めての妊娠で、出血して病院へかかると切迫流産だと診断され、しばらくは自宅安静で過ごしました。

11週の頃、産婦人科の先生に臍帯ヘルニアの疑いがあるから、エコー専門の病院を紹介すると言われ、すぐに紹介先の病院に行きました。
そこで、やはり臍帯ヘルニア(5000人に1人の確率で発生する先天性の病気)と診断されました。
「妊娠継続するかどうか旦那様と話し合って下さい」と言われ、妊娠を継続する事にしました。
その後羊水検査をうけたところ、染色体異常はなく、順調に妊婦生活を送っていました。

26週に入り、それまで毎日元気に胎動も動いていたのに、急に胎動が感じられなくなりました。
はじめは寝てるだけかなぁ?と気楽に考えていましたが、2日以上胎動を感じられないことが不安になり、すぐにかかりつけの産婦人科に電話して、夫と一緒に病院に行きました。
夫は「大丈夫だから」と励ましてくれましたが、私は、悪い方向へばかり考えていました。

先生がエコーで赤ちゃんを見た時、いつもは明るい先生の顔が急に厳しい顔つきになり、何度も丁寧に確認していました。
「心臓が止まっている」
静かにそう言われました。
頭が真っ白で、すぐに涙は出ませんでした。
その後一気に悲しみがこみ上げ、大声で泣き叫びました。
幸いGW中で休診だった為、他に妊婦さんは居ませんでした。

ショックで歩く事も出来ず、夫に支えられながらタクシーで家路に着きました。
元々里帰り出産だった為、出産予定先の病院に行き、診察から1週間後に小さな小さな女の子を出産しました。
不思議な事に、子宮口を広げる処置や陣痛誘発剤を全く使わず自然陣痛で出産する事になりました。
「きっとお腹の中の赤ちゃんがママの体を気遣って、自分から降りて来てくれたんだね」と看護師さんに言われました。
親孝行な娘だったなぁと涙が溢れて止まりませんでした。

出産の翌日、棺の中にピンクのリボンが付いたベビー服とパパママの写真、おもちゃ、手紙、沢山のお花を入れて火葬しました。
骨も小さいながらにしっかり残りました。

今も悲しいし辛いけど、7ヶ月間ママになれて本当に幸せでした。
さら、ママのお腹に来てくれて本当にありがとう。
又いつか絶対に来てね。
それまで少しずつ前を見ながら頑張るからね。
パパとママの胸の中にはいつまでもずっとさらが居るからね。
大好きだよ!





Name: りくママ    ..spmode.ne.jp
Date: 2013/06/11(火) 21:33
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Title: 新生児死 未熟児 壊死性腸炎    
3月26日 7ヶ月に入った検診で、逆子になっていると言われました。
その日の夜に破水してしまい、すぐに病院を受診するとNICUのある病院を紹介されました。

紹介された病院で、すぐに出産するか、肺の成長を促す注射をしながら2日間だけ待つか、選択をせまられました。
2日待つことを選択しました。
何とか2日間もちこたえ、3月28日に帝王切開で出産しました。産声を上げて産まれて来てくれました。

即NICUに入院となり、小さな体をみて涙を流しましたが、死産した子が守ってくれるから大丈夫と自分に言い聞かせていました。
子どもには凛空と名付けました。
看護師さんから「暴れん坊の凛空」と言われるくらい、順調に育っていました。
毎日、面会にいきました。
ちょっとずつ呼吸器を外していこうかと言われていました。

ちょうど4週間目の日の朝、病院から連絡があり、私たちが到着した時には心臓マッサージを受けていました。
目の前の光景が信じられず、泣きながら凛空の名前を呼び続けましたが、凛空は二度と目を覚ましてくれず、亡くなりました。

死因がわからないので、解剖を進められました。
迷いましたが、承諾しました。
死因は壊死性腸炎というものです。
解剖しなければ分からなかったそうです。

明後日は四十九日です。
まだ凛空が亡くなった事を信じられず、毎日を過ごしています。






Name: りくママ    ..spmode.ne.jp
Date: 2013/06/11(火) 21:07
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Title: 17週 死産    
平成22年に第2子を妊娠したとき、15週の時にお腹に違和感を感じて受診したところ、子宮頸管が短くなっていて即入院と言われました。
2週間たった頃破水した感覚があり、内診の結果、破水してほとんど羊水がなくなっていました。
「週数がはやいので、出産になったら確実に助からない」と言われました。
このまま諦めるか、転院して人工の羊水を入れて赤ちゃんが大きくなるのをまつか、それでも羊水が増えなかったら無理だと言われました。
私たちは転院する事を決めました。
転院先の病院は、自宅から1時間半ほどかかるところでしたが、お腹の子の命を助けなくてはと思いました。

翌日に転院する事がきまりました。
夜中に陣痛のような痛みがありすぐに対応してもらいましたが、特に変わったところはなく、胎動も感じていました。
翌朝、トイレに行くと赤ちゃんがでてきました。

お腹の子は、家族が離れ離れになるならいいよと出てきたのかもしれません。





Name: 天ちゃんママ    ..mesh.ad.jp
Date: 2013/06/08(土) 22:16
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Title: 7週 完全流産    
妊娠検査薬で2回目の陽性反応を確認してから、産婦人科を受診しました。

胎嚢の大きさが少し小さめだけど、2週間後に受診するときには、赤ちゃんの大きさから予定日なども分かるでしょうと言われました。
「ただし、このまま大きくならないなら流産となります」とも言われましたが、だいたいの妊婦さんにこのように言っているんだろうと思っていました。
先生からの「おめでとうございます」という言葉が忘れられません。

前年に入籍はしていたものの、お互いの仕事のために離れて暮らしており、3月下旬の結婚式、私の退職を経て一緒に暮らし始めた矢先の出来事で、びっくりしたというのが一番大きな気持ちでした。

失業給付を申請しようとしていたところに妊娠が判明したので、延長申請とするためハローワークで延長理由を話し、書類に予定日や母子手帳のコピーを付けなければいけないことを知りました。
この日は書類だけもらって帰宅して、早く母子手帳が欲しいなあと思っていました。

5月10日
この日以降、前日以前と腹痛の感じが変わりました。
今までは弱い下腹部痛が時々という感じが、腹部全体で強い痛みが頻繁にあるという感じになりました。
このときはわかりませんでしたが、今思えば、この日くらいから流産が進んでいたと思います。

翌日、赤ちゃんの予定日を聞くのを楽しみに受診しました。
それなのに・・・
前回の受診時より胎嚢は大きくなっているものの、心拍が確認できず、赤ちゃんの姿も見つかりません。
胎嚢の大きさも小さく、流産の可能性が高い。
念のため1週間後の再診で確定できるであろうとのことでした。
茶色のおりものがあるが、子宮の壁からの出血ではないから大丈夫とも言われました。

流産が実感できなかったのか、頭が混乱していたからか、診察室で涙は出ませんでした。
ただ、説明している先生の顔を見たら泣いてしまう、という気持ちはあって、途中から先生の顔は見れなくなっていました。
待合室に戻ってからもぼうぜんとして、早く家に帰りたい、そんな気持ちでした。

家に帰ってからは布団に突っ伏していましたが、何故だかいつもみたいにご飯つくらないと、と昼食だけは元気なふりして作った覚えがあります。
結局、長く続かずこの日から泣いて過ごしました。

5月13日の午後から茶色のおりものが増え、腰痛が強くなってきました。
30分も座っているとつらくなってきます。

この日は健康診断を受診しており、問診票に「妊娠していますか」の項目がありました。
3回の問診で「今、何週ですか?」と聞かれたり、精神状態の項目で引っかかり、流産の確定診断待ちの状態であることを話すことになったりして、その度に泣いてしまいました。

運動をするプログラムもあり、健診の病院での医者の指示で見学になったのに、インストラクターに上手く伝わっていなかったようで、見学理由を聞かれ「妊娠していて」としか答えられず、帰り際に「赤ちゃんがんばって」なんて声をかけられたりしてまた泣いてしまいました。

翌日の夕方、出血が鮮血にかわり、量も多くなってきたので、心配になって受診しました。
妊婦さんに会いたくないので車の中で待機し、最後の患者が帰ってから受診することにしました。
胎嚢の様子は前回と全く変わっておらず、出血は流産が始まっているからで、今日、明日のうちに流産するかもしれないとのこと。

帰宅後、さらに腹痛がひどくなり、立っておられず、膝から崩れました。息もできず、脂汗が出るほどの激痛に襲われ、そのうち出血したのを感じ、トイレへ行きました。
大出血の中にレバー状の塊が多数あり、動くたびに出血がひどくなります。
トイレの中を見ると4〜5cmくらいの薄いピンクの胎嚢らしきものと、いくつかに分かれた血の塊。

胎嚢が出た時の感触は、明らかに血の塊の時と違って弾力と大きさを感じました。
赤ちゃんだとすぐに分かりました。
病院に電話して指示を仰ぐと、子宮内容物をビニール袋に入れて、翌朝一番に外来受診するようにとのことでした。

電話をしている間に、うそのように腹痛がひいていきました。
数時間前、病院で胎嚢が確認されたのがうそのようでした。
その後、夕飯を食べ、シャワーを済ませ、就寝するものの、再び強い腹痛が襲ってきてあまり寝られませんでした。

朝になって受診すると、子宮の中身はほぼ出ていて、完全流産との診断が下りました。

数日は、子宮が元に戻ろうとする痛みで、かなり強く苦しみました。10日ほどで出血がおさまりました。
心身ともに痛い思いをたくさんしましたが、赤ちゃんには本当に幸せな時間をくれたことを感謝しています。

流産してから1か月が経とうとしています。
普段の自分だったらきっと気にならない、ほんの少しのショックですぐに心のバランスが崩れて泣いてしまいます。
おまけに、友人知人も誰もいない知らない土地、主人は2週間の出張のために不在で、寂しくなってきてしまい…こんな場があったことに感謝しています。
一番心に響く言葉は経験した人からの言葉です。





Name: m    ..panda-world.ne.jp
Date: 2013/06/07(金) 13:50
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Title: 6週 初期流産    
ママは19歳、大学2年生です。
パパは26歳の社会人で、私たちは未婚です。

生理が少し遅れていることに気がついたと同時に、あなたがお腹にきてくれたことがわかりました。
妊娠検査薬を使った5月20日のことは、よく覚えています。
仕事から帰ってきた彼は、すぐに私を抱きしめて「おめでとう」と言ってくれました。
学生であり未婚であること、私自身の経済力の無さ。
ものすごい不安に押しつぶされそうになりながらも、さまざまなことを二人で乗り越える決意をしたのです。

5月29日、あなたが育つための小さな小さな袋が見えましたね。ママ、とても嬉しかったんだよ。
だけど、その翌日から出血が始まりました。
すぐに病院に行きましたが「薬を飲んで安静にするだけ」と言われました。「流産かもしれないから、覚悟は必要だ」とも言われました。
とても怖かったけど、私はあなたを信じました。きっとすくすくと育ってくれると。

その日に、流産の可能性もあることも含め、親族へ報告をしました。実家の両親や彼の家族は驚いていましたが、喜んでくれました。
時期を見て入籍し、切りのいいタイミングで大学を中退することに決めていました。

出血は3日間でおさまりましたが、今思えば、本当に大量の出血でした。確かに、それまであった吐き気や胸の張りも、出血とともにおさまっていたこと、本当はそれで少しずつ覚悟していました。
それでももちろん、最後まであなたの生きようとする力を信じました。

6月6日、出血が始まってから1週間後。
エコーは、本当にきれいで何も見えませんでした。
「赤ちゃんの袋、流れちゃったね」と、先生は言いました。
何度も聞きました。
どこにもありませんか?もうだめですか?と。
やっぱりあなたは、もういませんでした。

あなたは、本当にあっという間に居なくなってしまいました。
それでも、あなたが私のお腹に、私たちの間にきてくれたことは、今まで生きてきた中で何よりも素晴らしかったよ。
若くて未熟な私の中にも、少しずつ芽生えていく母性は本当に愛おしかったんだよ。
きっと色んなことを、伝えるために来てくれたんだね。
だけど今はまだ、あなたの不在を悲しむことしか出来ません。
ごめんね。

パパとはずうっと一緒にいるよ。
ママは泣いてばかりだけど、パパはとても前向きです。
パパが言うように、きっとあなたはまた私たちの所にやってくる。そのときは、あなたが安心して育ってくれるようにしておくからね。

短い間だったけど、私と一緒に生きてくれて、本当にありがとう。
しばらく泣いてばかりいるかもしれないけど、そんなママをどうか許してください。
こんなに未熟で幼いママだったけど、何よりもあなたを愛したよ。これから先も、ずうっと愛しているからね。

最後に、私の中に宿った小さな生命と私の身体を案じてくれた周りの人々への感謝と、この文章を読んでくださって、あの小さな生命のことを知ってくれたあなたへ感謝します。
ありがとうございました。



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