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   31週5日 死産 胎盤早 ....   
   8週 稽留流産   
   28週 死産   

Name: 麗星ママ    ..au-net.ne.jp
Date: 2019/07/31(水) 03:36
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Title: 31週5日 死産 胎盤早期剥離    
成人式の日に分かった妊娠。
嬉しい反面どうしたらいいのか不安で、不安で。
でも、この子を絶対に幸せにすると心に誓ったあの日。

悪阻もほぼ無く、昼夜働く私を支えてくれるかのように、何1つ問題がなく育ってくれました。
ただ唯一、逆子が治らないのと体重が少なめとだけ言われていました。
7月29日の朝方、寝られず携帯を弄っていたら、腰とお腹が痛みだしてきました。
でもその時は、陣痛にしては間隔が無いし、況してやまだ陣痛がくる週数ではないだろうと・・・今思うと、馬鹿な考えでした。
便秘薬を飲んだし、そのせいかな?と、トイレに向かうとドバッと出血しました。
明らかにおかしいと青ざめ、病院へ向かいました。
向かってる途中も腰とお腹の痛みはひどくなり、血も止まらない。胎動も2時間くらいないかも。
何となく分かっていた気もします。もう助からないのかもと。

病院に着いてエコーで確認してもらうと、先生が私の手を掴みながら「残念だけど赤ちゃん動いてない。このまま出産しよう。貴方を助ける一番の方法を見つけましょう」と。
悲しみを通り越して、涙も言葉も出ず、頷くことしかできなかったです。
そのまま人工的に破水させ、促進剤を打って出産。
1590g40cmの男の子でした。
本当に可愛くて、愛おしくて。抱きながら静かに泣きました。
私があの時すぐに病院に行っていれば間に合ってたかもしれせん。
昼夜仕事なんて無理しないで、休んでいれば。
ごめん、ごめんとばかり言ってしまいます。
妊娠して旦那とも喧嘩ばかりでした。
いつも喧嘩してる声を聞かせてしまっていて本当に申し訳なくて。私が辛い時泣いてる時は、いつもポンってお腹を沢山蹴って励ましてくれて。とっても優しい子です。

逆子も、産まれる時には治っていました。
産みやすくしてくれたんですかね。感謝しかないです。
これから私は何の為に頑張って生きていけばいいのか分からなくなってしまって。お腹を触ってもぺったんこ。
もう一度ママのお腹蹴って欲しい。
一瞬でも良いから声聞きたかった。どんな形であれ生きてこれから一緒に過ごしたかったよ。
麗星、ママの所に来てくれて沢山幸せ教えてくれてありがとう。





Name: ちゃんこ    ..dion.ne.jp
Date: 2019/07/18(木) 12:29
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Title: 8週 稽留流産    
5月半ばに初めての胚移植で妊娠しました。
44才ですが初めての妊娠でした。
しかし7週でも心拍確認できず、8週で稽留流産と診断されました。
処置については、自然排出と手術どちらでもよいとクリニックの先生から言われ、自然排出を選んで1週間ごとに経過を見ることにしました。

悲しくて、寂しくて、毎日泣いて過ごしました。
自然排出はいつ起こるか、どれくらいの痛みなのかは個人差があるということの怖さもありましたが、悲しさの方が大きかったです。
9週から茶色っぽい出血があり、それが少しずつ増えました。
流産確定後も1週間くらいはつわりが続き、おなかの小さい赤ちゃんはもう眠っているのに、赤ちゃんとつながっていることがむなしいような複雑な気持ちでした。

10週半ば頃から、出血が茶色から生理のようになったものの排出が起こらず、先生からは手術を進められました。
しかし通っていたのは体外受精専門のクリニックだったため、流産手術は他の病院に紹介状を用意してもらいました。
ただ、私としては自分でお別れしたいという気持ちが強く、手術には迷いがあり、紹介状をもらった翌日、一日中悩みました。
ところがその夜、下腹部が張って違和感を覚えたのとほぼ同時に、大量に出血しているのがわかりました。
急いで用意していた生理用おむつに替えました。
そのそばからどんどん出血があり、いよいよ赤ちゃんとのお別れなんだとわかりました。
19:00くらいでした。
体を動かすたびに出血するため、横になりました。
大量に出血したので、ナプキンではなく生理用おむつを準備しておいて良かったと思います。それでも3回ほど交換しなければいけませんでした。
痛みはほとんどなく、ただただお別れの寂しさをかんじました。22:40くらいにおむつ交換しようとしたら、おむつに胎嚢がちょこんと乗っかっていて、あぁ、ほんとにお別れだなと思いました。
胎嚢をクリニックからもらっていた容器にいれ、小さい赤ちゃんにありがとう、バイバイね、と言って手を合わせました。

結局、手術は不要となり、翌日体外受精のクリニックに胎嚢を持参して体に残留していないか調べてもらいました。
私の初めての妊娠が終わりました。

手術を一日中悩んだ日の夜、小さい赤ちゃんが「自分でお別れできるからもう悩まなくて大丈夫だよ」と言っているようでした。
痛みや苦しさもなくやさしい赤ちゃんだなぁと思います。
流産してしまったのは人生で一番悲しい出来事です。でも最悪だとは思えません。
それは、ほんの短い間だったけど妊娠して小さい赤ちゃんを想って過ごす日々は人生で一番しあわせでだったからです。

凍結している胚はあとわずかにありますが、44才であり厳しさを感じます。新たな採卵も相当厳しいと思います。
もしかしたら今回が最初で最後の妊娠かもしれず、流産という悲しい結果になりましたが、そのお別れの仕方も自分で納得した終わり方にしたいという想いがあり自然排出にしてよかったと思います。
もう1ヶ月ほど仕事を休んでいますが小さい赤ちゃんがくれたお休みだと思います。
今でも涙があふれます。でも、小さい赤ちゃんにはたくさんのありがとうを言いたいです。





Name:    ..plala.or.jp
Date: 2019/06/28(金) 22:58
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Title: 28週 死産    
3週間ほど前に第3子となる女の子を死産しました。
上2人は男の子で待望の女の子だったのですが、まさかこんな事になるとは思いもせず、ただただ現実が受け止めきれず絶望の中にいます。

赤ちゃんの胎動がないと気づいたのは夜中4時。
すでに他界している父の葬式の夢を見て号泣して目覚めました。
そのあとすぐ、赤ちゃんの胎動がないと感じ、自分にそんなはずはない。寝てたから気づかなかっただけだと言い聞かせながら、
胎動を感じるのを待ちました。
私の職場は総合病院で、産婦人科もそちらの病院で診てもらっており、出勤の前に診てもらおうと身支度をしながら心を落ち着かせていました。

しかし、やはり胎動を感じることはなく、不安な気持ちを感じながら先生に診てもらいました。
エコーを当ててもらい、先生も、胎動がないなんてそんな事あるかーと不安をかき消そうとしているかの様におっしゃっていましたが、一気に顔色がくもり、心臓が動いてないと言われました。
不安が一気に絶望へ変わり、大声で泣き叫びました。
主人にも来てもらって、医師から人工的に陣痛を起こして産むという旨の説明を受け、そのまま入院。
入院した産婦人科病棟は以前私も働いていた病棟で、以前の同僚達と顔を合わせる事がとても辛く、また申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

その日は子宮口を広げる処置をして、次の日お産という流れになり、お産の前日は個室でひたすら泣いていました。
夜も、悲しさと不安で押しつぶされそうになりました。
次の日、朝から陣痛促進剤を投与され、2時間で出産しました。
赤ちゃんを産むまで、心の中では「もしかしたら産んだ途端生き返って産声が聞けるかもしれない」と期待してしまう自分がいました。
しかし、そんなはずもなく。
とても静かなお産で、いきむ頃には痛みもなく、産まれた事が分からないくらいでした。
助産師さんに「産まれました」と言われ、大声で泣きました。
でも同時に、生きて産んであげる事は出来なかったけれど、痛みを味わって、きちんと外の世界に産み出せてあげられて良かったと少し安心しました。

赤ちゃんをお見送りするまでの一日、産んだ日から次の日まで病室で赤ちゃんと過ごしました。
子守唄を歌ってあげたり、色んな話をしたり、顔や手に触れたり。上の子2人は母にみてもらい、夫と赤ちゃんと3人で過ごせた事は良かったなと思います。

そして赤ちゃんのお見送りの日。この日は私の誕生日でした。
そんな日に可愛くて愛おしい我が子を天国にお見送りしなければならない。本当に残酷でした。神さまなんていないと思いました。
赤ちゃんが火葬炉に入っていく、その姿を見て、生きていてこんなに辛く苦しい事がほかにあるのだろうかと、本当に生きて来た中で一番辛い出来事になりました。
そして、火葬した後骨壷を抱え家に帰り、上の子2人に赤ちゃんの事について「遠くお空にいったんだよ。お星さまになっちゃったんだよ」と説明しました。
上の子は5歳になりますが、なんとなくわかっているようで、涙ぐんでいましたが、泣いてはいけないと思ったようで、すぐに「じゃあ赤ちゃん居なくなっちゃったから、似顔絵描いてあげよう」と言って、思い描いていた赤ちゃんを描いて骨壷の横に飾ってくれました。

赤ちゃんをなくしてから毎日泣いています。
1人になると余計に考え、自分に自信がなくなり、夫に対しても信じてあげる事が出来ず様々な良くない事を妄想してしまいます。
そして心から笑えず、子供たちにもきちんと向き合えきれていません。本当に自分がどんどん壊れていくのが分かります。
赤ちゃんと過ごすはずだった、もう二度とやって来ない未来は絶望でしかありません。






 
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