このページは流産・死産経験者で作るポコズママの会が運営するページです。HPでは流産・死産経験者同士の交流ページや心のケアに関する情報が掲載されていますので、是非ご覧ください。
HP(http://pocosmama.jp

こちらのページは、みなさんの流産・死産体験記を「投稿」・「閲覧」できるページです。

<体験談の投稿について>
■ご自分の体験を掲載したい時は「新規投稿」からお入り下さい。
■「タイトル」は流産・死産の週数や原因などを分かる範囲でご記入下さい。
■書き込める文字数は3000字までです。ご注意下さい。
■投稿いただいた内容は、ポコズママの会で内容を拝見した後、公開しております。掲載まで1〜3週間程度かかることもございます。
■多くの天使ママさんが読まれる体験記ですので、病院名などを記載された体験談や天使ママを不安や不快にさせる内容につきましては、該当部分を削除、または掲載をお断りする場合がございます。
■投稿いただいた体験談の著作権は投稿ご本人様にございますが、当会の活動や取材、研究などに使用させていただく場合がございますのでご了承ください。

<体験談の閲覧>
■体験談の表示には「一覧表示」「ツリー表示」「トピック表示」がございます。使いやすい表示でご利用下さい。
■個々の体験談へは返信ができません。
■表示された体験以外のものを読みたい場合は、ページの最下部に「NEXT」をご利用下さい。現在300以上の体験談が投稿されています。
■妊娠週数や原因などキーワードで読みたい体験談を検索することもできます。ご希望の方は「検索/過去ログ」をクリック下さい。
■投稿者がメールアドレスを公開している場合を除き、当会から投稿者の連絡先を教えることはできません。
  <<   新規投稿   トピック表示   ツリー表示   携帯用   検索/過去ログ   ホーム  
 
   16週 子宮内胎児死亡   
   9週 初期流産   
   13週 胎児水腫 ・  ....   

Name: 31歳のママ    ..ap.mvno.net
Date: 2017/02/10(金) 00:26
  返信  引用  編集 
Title: 16週 子宮内胎児死亡    
お腹を自然と撫でる癖、お腹に語りかける癖が、いつの間にか自分のなかで出来ていました。

診察台に横になり、先生に見てもらっているとなんだか表情がくもってきて・・・
「赤ちゃん心臓が止まってるね」と言葉を聞いたときには、頭が真っ白になった。
なんで?いつ?どうして?
すぐに主人は来てくれた。
「今日か明日に入院して、出産するよ」
迷わず明日にした。
少しでも赤ちゃんと一緒にいたい。撫でてあげたい。声をかけてあげたい。

翌日13時には入院だったので、少し早く家を出て赤ちゃんへのプレゼントを買った。
買い物中に泣けてきた。
使っている姿が見たかったな。

入院してすぐにラミナリアを挿入。痛かった。
初日はラミナリアのみ。
生理痛みたいに腰とお腹が痛いけど、我慢できる痛みだった。
2日目はラミナリアを取り出して、陣痛促進膣剤を入れた。
2回目の促進剤のあとからしばらくして痛みがきた。
いきみ逃しの呼吸をしてると…破水?すぐに処置室へ運ばれ処置台へ。
陣痛が始まってから30分ですべてが終わった。

赤ちゃんとの対面。
可愛かった。目を閉じてる姿が主人にそっくり。
しっかりと男の子のものがついていた。
会えた喜び。別れの寂しさ。いろんな感情がいりまじっていた。
そばにいてやれない悔しさ。
犬のぬいぐるみをママの代わりに側に居させてもらった。

もっと一緒に居たかった。
もっと全力で守って、もっと愛してあげたかった。
沢山のことを教えてあげたかった。

泣き虫なママでごめんなさい。
それでも、ママのお腹を選んでくれてありがとう。
ママにしてくれてありがとう。





Name: あすか    ..au-net.ne.jp
Date: 2017/01/09(月) 13:51
  返信  引用  編集 
Title: 9週 初期流産    
28歳で初めての妊娠して、初期流産でした。

かなり早い段階で病院へ行って、小さな袋が見えていると言われ、すぐに主人に報告し、喜び合いました。
何回目かの検診のときに、袋が大きくなっていないから、残念だけどだめですねと言われました。
気のすむままこのままでいていいよと言われましたが、手術を受けることにして、予約しました。

暫くして、別の日にドロッとした塊が出てきて、ああこれが赤ちゃんの塊なんだと思いました。
たーちゃんという名前を付けていました。
楽しみにしていました。

悲しくて悲しくて人生で一番たくさん泣きました。
できたことをもっとちゃんと喜んであげていたら違ったのかなとか。
身体がだるかった時に無理したのがいけないのかなとか。
後から後悔がたくさん出てきました。
初期流産なので染色体異常とか、ほとんどこちら側に原因はないってわかっていても、考えてしまいます。

今思えば、それまでずっと風邪のような症状でだるかったのが急によくなったんです。
きっとそのタイミングでたーちゃんは天国に行ってしまったのかなと思います。

もうすぐ流産から一年が経ちます。
立ち直れていないのかな。
妊婦さんを見るのが嫌で仕方ないのです。
職場の忘年会なんかで同じテーブルになっても嫌で仕方ない。
そんな心が狭い自分も嫌です。

昨日、主人の同僚達と飲むことがあり、そのうちの1人が妊婦の妻を連れてきていて、またうまく説明できないで悲しい気持ちになりました。
主人が悪いわけではないのにそのことでもやもやします。





Name: 08251128    ..bbtec.net
Date: 2016/12/27(火) 13:12
  返信  引用  編集 
Title: 13週 胎児水腫 ・ 8週 不全流産    
この6ヶ月の間に二人の子供を亡くしました。
1人目は7月の頭に妊娠がわかり、切迫流産も経験しましたが、12週初めまでは順調に育っていました。
次の3月に生まれてくるはずでした。

茶色のおりものがうっすら出て、おかしいなとは思いました。
走ったり、重いものを持ったり、仕事をしすぎたとかもなく、まったく心当たりがありませんでした。
なんとなく嫌な感じがして産院を受診したところ、
「赤ちゃんの首とおなかにむくみがある」と言われ、
隣の市の大きな病院を紹介されました。
この時点であまりよくないと言われました。

紹介された病院で告げられた病名は「胎児水腫」というものでした。
妊娠初期での生存率はほぼ絶望的。
万が一生まれてこられたとしても長くは生きられない。
それが数時間なのか、数週間なのか、数年なのかはわからないけれど。
そして私たちの子は、先生の見立てによるとこのままお腹の中で死んでしまうだろう、と。
そこまで酷く症状が出てしまっていたようです。

今週中に決断すれば初期中絶で処置できるが、もう少し迷うなら中期中絶処置になる。週数が進めば進むほど、精神的にも身体的にも辛くなりますよと言われました。

夫は私の体を優先して、初期でいった方がいいと考えが固まっていたようですが、私はすぐに決断ができませんでした。
なかなか決められないでいる私に「そんなすぐに決められないよね。悩んで当然だよ、この子のおかあさんだもん」看護師さんが優しく声をかけてくださいました。
「こういうことは本当に人それぞれだから。心拍が止まるまでおなかにいれときたいっていう人もいれば、早く楽にしてあげたいっていう人もいる。あなたの気持ちに従うことが一番大事」
そう言われて気持ちが少し落ち着くと同時に、この子が生まれてくることは万に一つもないのだと悟りました。
初期中絶でいくことに決め、病気発覚から入院手術まであっという間のできごとでした。

先生にも看護婦さんにも本当恵まれ、生きている子とおんなじように扱ってくださったのが嬉しかった。
手術後、病室で目を覚ますと「おかあさん、頑張ったね。今赤ちゃん連れてくるから、いっぱい抱っこしてあげてね」と白い綺麗な箱に入った赤ちゃんを連れてきてくださいました。
赤ちゃんの体はバラバラになってしまっているので箱は開けさせてもらえなかったけれど、箱に「〇〇(私の名前)ベビー」と付箋が貼ってありました。
先生がへその緒も残してくださいました。
か細くて弱弱しくて、でもちゃんと赤ちゃんとつながっていた証。

火葬する日の前日に母乳が出ていることに気付き、さらに悲しくなりました。もう飲んでくれる子はいないのに、私の体は育児をしようとしている。
夫に報告すると「間に合ってよかった」とぽつりと言いました。
お別れをする前におっぱいが出たから、天国まで行く途中おなか減らずにすむね、と。
一度も涙を流さない人でしたが、私と同じくらい悲しんでいるのだと気づきました。

病院への付き添いや書類の手続き、火葬の手続き、自宅と病院の往復・・・夫は悲しむ暇もなく淡々と進んでいく現実に奔走し、泣き続ける私に寄り添ってくれていました。

産後休暇をもらって約2か月後に職場へ復帰しました。
私の勤めている職場は妊婦さん向けの事業や赤ちゃんの健診など、母子保健事業を行っている職場です。
悔しかった。
幸せそうな妊婦さんや、赤ちゃんを抱っこしたお母さん、目に映るものすべて聞こえてくるものすべてが、羨ましくて妬ましくて気が狂いそうでした。
この人たちと私はなにが違ったんだろう、なんで私の赤ちゃんが・・・この人たちの赤ちゃんも私の子と同じ病気になってしまえばいい、堕ろすか死ぬのを待つか選ぶことになってぐちゃぐちゃに悩めばいい、そんな最低なことを考えながら仕事をしていました。
そんなことを考える自分がすごく嫌だったし、恐ろしかった。
他のみんなは、妊婦さんや赤ちゃんのために一生懸命仕事をしているのに、自分のような人間がここにいていいのか、笑顔を張り付けて健やかなふりをして、心の底では妬ましく思いながら、この職場にいていいのか。

自分もちゃんと赤ちゃんを産むことができれば、きっとそんなことを考えずに済む。
元の自分に戻ることができる。

そう思って先生のOKが出てすぐに妊娠を意識し始めました。
11月半ば、生理予定日から2週間経ってやっとうっすら陽性反応が出ました。
嬉しいはずなのに、不安ばかりが膨らみました。
この子も病気になってしまったらどうしよう、またダメだったら不育症?私に何か原因があるのかな?
無事に生まれてくるというイメージが全く持てませんでした。

一方で、もしこの子が順調に育って生まれてきたら、前の子のことを想う時間が減ってしまう、前の子が寂しがるんじゃないか、裏切ってることにならないか、と申し訳ない気持ちにもなっていました。

8週目でようやく胎嚢が確認でき、来週には心拍が確認できるでしょうと言われた矢先に出血。
日曜日だったことと、腹痛はなかったので、診察を受けず、一日安静にしているようにと指示されました。
翌日受診したところ、もう赤ちゃんはいなくなっていました。
内容物が少し残ってしまっていたので、その日の午後に手術をしました。
麻酔が完全に切れるまで病室で休んでいたのですが、赤ちゃんの泣き声やお見舞いに来た人たちの幸せそうな笑い声が聞こえてきて、声を殺して泣きました。

もし無事に生まれてきていたらどんな子だったんだろう、男の子だったのかな、女の子だったのかな。
今回きてくれた子を想うことができたのは、手術から一日経ってのことでした。
おなかにいるときに考えてあげればよかったのに、もうあの子はいない。
せっかくきてくれたのに結局私は自分のことばっかり、前の子のことばっかりで、あの子を置き去りにしていた。寂しい思いをさせてしまった。
自分はなんてことをしてしまったんだろうと、言いようのない後悔に襲われました。

3日間有給休暇をいただして出勤すると、ちょうど赤ちゃんの健診の日でした。
いつも見ている健診室がものすごく遠い場所のように感じました。自分には一生辿り着くことができない場所。

夫にも上司にも「まだ若いんだから大丈夫、次があるよ」と言われましたが、次ってなんだろうと思ってしまいます。
だってもうあの子たちは帰ってこない。

赤ちゃんなら誰でもいいんじゃなくて、私はあの子に会いたかったのだと、叫びたい。
お顔を見たかったし、抱っこしておっぱいを飲んでほしかった。
ハイハイする日、ママと呼んでくれる日、ランドセルを背負う姿。あの子たちの成長を見たかった。

一人目の病気がわかってからずっと沈み込んだままの私に、文句も言わずイラつきもせず、優しく支えてくれる夫のためにも早く元気にならなくてはと思いますがなかなか前を向けずにいます。
どうしたらいいのかわかりません。
また笑顔で赤ちゃんを授かれる日が来てほしい。






 
NEXT >>  [ 1 , 2 , 3 , 4 , 5 , 6 , 7 , 8 , 9 , 10 , 11 , 12 , 13 , 14 , 15 , 16 , 17 , 18 , 19 , 20 , 21 , 22 , 23 , 24 , 25 , 26 , 27 , 28 , 29 , 30 , 31 , 32 , 33 , 34 , 35 , 36 , 37 , 38 , 39 , 40 , 41 , 42 , 43 , 44 , 45 , 46 , 47 , 48 , 49 , 50 , 51 , 52 , 53 , 54 , 55 , 56 , 57 , 58 , 59 , 60 , 61 , 62 , 63 , 64 , 65 , 66 , 67 , 68 , 69 , 70 , 71 , 72 , 73 , 74 , 75 , 76 , 77 , 78 , 79 , 80 , 81 , 82 , 83 , 84 , 85 , 86 , 87 , ... ]
 
 
削除・編集   管理者画面   RSS   + Powered By 21style +