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   13週 流産 臍帯過捻転 ....   
   2度の初期流産   
   腺筋症で妊娠、9週で ....   

Name: yuu_mama    ..ocn.ne.jp
Date: 2016/08/14(日) 14:53
  返信  引用  編集 
Title: 13週 流産 臍帯過捻転での死産    
皆さんの投稿を読ませていただきながら気持ちを整理しています。
第1子を流産しました。

平成28年8月1日、16週での「助産師外来」で普段通りエコーを診ていただく中、胎児の動きを認めないので「眠っているみたいですね、赤ちゃんは寝たり起きたりを繰り返しているのですよ」と言われたのが始まりです。
その後、心拍を確認するもののなかなか確認できず「わたくし助産師なので・・・検査技師に診ていただきましょうね」と言われました。
心拍を確認するだけなのに、そんな大変なことはないだろうと思いながら、まだその時点では混乱にも至っていませんでした。
でも、検査技師さんでも心拍の確認ができず、何度も確認しようとする様子はすぐに分かりました。
胎児のサイズをみていく中で、<12w3d>との表示に目が行き、ようやくその意味を理解しました。
もっと精密なエコーで医師に確認していただきましたが、やはり心拍は確認できませんでした。

医師からは、「通常一度の診察で確定することはしないこと、今回3人の目で確認し、見解は一致したものの、あってはならぬことではあるが見逃しの可能性もあること。とても重要なことであることから再度日を置いて診させていただくのが良いと思いますが、いかがでしょうか」とのことでした。
5日後に「子宮内胎児死亡」と診断を受け、妊娠16週であったのに対し、胎児は<13w2d>との結果が出ていました。

12週以降ということで前処置として1日、分娩に1日と、少なくとも2泊3日の入院をする旨を聞きました。
胎児のサイズが小さいこともあり、前処置の子宮頸管拡張のためのラミナリアは、計4回、徐々に増やしていきました。
3本までは処置時の痛みと、その直後15分程度痛みをがまんすれば、あとは部屋でリラックスして過ごすことができました。
しかし、最後の挿入で生理痛に似た腰部の鈍痛と子宮痛が起こり、夫に腰を擦ってもらいながら過ごしましたが眠れず、睡眠導入剤をいただいて就寝しました。
腹巻にカイロを貼って腹部や腰部を温めると楽でした。
助産師さんもレンジで温めるタイプの湯たんぽを用意してくださいました。

2日目は分娩のために朝から食事なし、ラミナリアを抜くことで嘘のように痛みがなくなりました。
その後、朝7時に陣痛誘発剤と水分補給のための点滴を受けて部屋で安静にして過ごしました。
1時間経過後には強烈な生理痛のような痛みがあり、分娩室へ。
胎児のサイズから子宮口が4cm程になっていれば分娩できるとのことでした。
分娩台に上がろうとした時に破水し、痛みが嘘のようになくなりました。
分娩台にあがってからは10分程で分娩したようです。
力み方もわからぬまま、助産師さんの誘導に合わせるようにして3回程力みました。正直、どのタイミングで我が子を出産したのか分かりませんでした。

13週程度ですと、胎盤も完成していないこともあり、分娩時に胎盤がきちんと出てこない場合があるそうです。
幸いエコーで確認してもらい、きれいに出たことが分かり、手術はせずに済みました。
先生からは、「赤ちゃんが亡くなってから長い間お腹の中にいたので少し浮腫んでいました。へその緒が一部糸のように細くなっていました。」と説明を受けました。

シルバーのトレーにタオルやガーゼを敷いていただいた上に眠っている我が子をみた時は、なぜか一瞬目にできただけで満足だったんですよね。夫や実母が赤ちゃんを見たいと言ってくれたことは大きな救いでした。

私はできるだけ悔いのないように自分が納得いく形で送り出してあげたいという思いの元、棺や枕・お布団、骨壺、入れてあげたい玩具やお菓子など分娩前に用意を済ませていたので、気持ち的な安心感があったと思います。
火葬の手配も自分で行いました。小さい小さい子なのでお骨が残るのかがとても気がかりでした。今は火葬が自動運転で火力を弱くする等はできないことを告げられ不安でしたが、分娩から3日後の15時〜火葬の予約を取りました。

クリニックでの納棺では、助産師さんが「良かったね、かわいいお布団だね」などと9cmの小さな我が子を、ひとりの人として丁寧に接してくださいました。その優しさが嬉しいのと、悲しさで涙が止まりませんでしたが、本当にありがたかったです。

実家に帰ってから火葬までの間はドライアイスを防水シートで包み棺の底に入れ、その上にお布団を敷いて、ガーゼに包んであげて寝せてあげていました。真夏の時期ですが、部屋の冷房とドライアイス、時々乾いてきてしまったらお水をふくませてあげることで、十分3日間過ごすことができました。
抱っこをしたり写真を撮ったり。
小さくてかわいそうかなと思いましたが手形も取りました。
臍の緒を希望したところ、いただくことができました。
なかなか写真を撮ることは悲しくて苦しくて抵抗がある方もいらっしゃるかもしれませんが、残しておけるものをできるだけ沢山残すことは、その後の気持ちの安定に繋がるような気がします。

無事に火葬が済み、ほんの僅かですがお骨を残してくれました。しっかりと鎖骨1本がそのままの形で残りました。
私達夫婦は葬儀をせず、家族のみで火葬という形を取りました。今はお花、お水、お菓子をお供えして、お線香を焚いて彼を想っています。気持ちが落ち着いたらお墓に埋葬する予定です。

今回の流産を経て私が感じたことは、例えお腹の中で我が子が亡くなっているとわかっていても母親になれたこと、それはかけがえのない事実であると。周囲の人は「次があるから大丈夫」等と励まそうとして言葉を掛けることがあるかもしれません。それは私にとって、次があれば今回の流産がなかったことにされるようでとても苦しいのですが、忘れなくていいんですよね。私はむしろ「次に進みたいのに進めないのではなく、進むのが怖い」のです。また同じ経験をするのかもしれないという気持ちは払拭できませんし、初産婦であった私は生を受ければ当然のように我が子が育つと思って過ごしていたため、もしも…もしも次に子を授かることができたとしても、今回のような気持ちで過ごすことはまずできないと感じています。「心配」ではなく「恐怖」なのです。

私と夫は仲の良い方だと思っていますが、それでも物事の捉え方には温度差があります。それによって悲しむこともあります。そんな時は夫にポコズママの会のサイトを見てもらったり、逆に夫の立場で物事を考えることも私自身必要かなと思っています。

最後に、我が子を亡くした事実は何も変わりなくとも、やはり周囲の方の寄り添う気持ち・共感が必要ですよね。子を失った事実だけでも苦しいのに、周囲に理解してもらえないことは本当に辛いことです。私もまだ日が浅く涙が尽きないのですが、こうして自分の気持ちを発信することで整理することもひとつの手段であると思っています。





Name: なお    ..ocn.ne.jp
Date: 2016/08/11(木) 16:48
  返信  引用  編集 
Title: 2度の初期流産    
不妊クリニックに通い始めて8ヶ月で待望の妊娠。
でもなかなか胎嚢が確認できなくて、やっと確認できたと思ってもすごく小さくて。
心拍を確認することなく、自宅にて自然流産してしまいました。

泣いて泣いて、しばらくはふさぎこんでいたけど、それでもやっぱり子供がほしくて。
そしたら、まさか、流産後1回の生理を見ただけで再び自然妊娠することができたのです。
きっと急いで帰ってきてくれたんだと思いました。

前回はなかった食べつわりに、胎嚢は平均より小さかったけど、医者に前回は言われなかった「1週間後には心拍確認できると思うよ」という言葉に、今回こそは大丈夫という自信を持って臨んだ6週5日の検診。
エコーにはぽっかりと黒い袋しか見えず、卵黄嚢すら見えず、またも心拍は確認できませんでした。
流産を待つのは精神的につらいけれど、医者の勧めにより自然に流れるのを今待っているところです。

検診の前日、嫌な夢を見たんです。
病院で、今まで見えていた胎嚢が消えてると医者に言われる夢。
夢で人が消えるというのは、その人とのつながりが消えるということを暗示するそうです。
正夢になってしまいました。

どうして私ばかり2回も続けてって思いました。
姉はすんなり希望通りに2人産んでいるのに。
流産が確定した日は、もう生きたくない、私も一緒に消えたい、死んでしまいたいと主人に泣いて訴えました。

本当に誰もかれも皆憎くて、あっけらかんと明るく流産を告げる医者にも、他の妊婦さんにも憎しみを持ってしまいました。
流産をした人にさえ、他に元気な子供がいるからいいじゃないか、私には一人もいない、と最低なことを思ってしまいました。
流産した悲しみは子供がいようといまいと一緒のはずなのに、どうしてもそう思ってしまうのです。

心拍すら確認できていないくせに、心拍確認後に流産した人のほうが、後期流産のほうが、死産の方がきっともっとつらいのに。
本当に最低だとわかっているのに、まだどうしてもその思いを消すことができません。
すみません、これを読んで不快に思う方がたくさんいると思います。
でもあともう少しだけ、自然流産するまではこう思ってしまうことを許して下さい。
本当にすみません。

私には子供を産むことができるんだろうか?
心拍って本当に確認できるの?
初期の流産は受精卵の問題だと言われているけど、そんなに2度も連続しておきてしまうほど私は運が悪いの?
運ってどうしたらよくなる?
最初の子は私にも妊娠できるんだと教えにきてくれたのかもしれないけど、じゃあ次の子はなぜすぐ流産してしまうのに、つらいだけなのに、きてくれたのか…。

なんだか真っ暗な迷路の中にいる気がします。
でも自分がどうしたいのかわからない中、ひとつだけ明かりがあります。

実は検診前に見た夢には続きがありました。
医者は「今まで見えていた胎嚢は消えちゃったね、でもその代わり2つ胎嚢が発生してるよ」と言ったんです。

これが今の私の唯一の希望です。

きっとまた妊娠できるという暗示なのだと、その2つの胎嚢は出産できると信じたい。





Name: METAKO    ..zaq.ne.jp
Date: 2016/08/08(月) 10:00
  返信  引用  編集 
Title: 腺筋症で妊娠、9週で自然流産    
5年前に腺筋症と診断され、妊娠は難しいと言われていましたし、41歳という年齢。
完全に諦めていたところ妊娠。
検査薬で陽性、エコーで胎嚢が確認ができたときには「奇跡の赤ちゃんだ!」と主人と二人、天にも昇る気持ちでした。
それが妊娠5週のことでした。

12日後に再度エコー。
7週目だから胎芽が見えて心拍確認もできるやろか、母子手帳ってどうやってもらうんだろと胸を膨らませて内診を受けたら、
医師から「4週6日の胎嚢の大きさ。次回この辺に赤ちゃんが見えたらいいですね」とのこと。

7週1日のつもりで来たのに。
「それってどうなんですか?成長遅くないですか?」と聞いても「普通です。2週間後また診ましょう」と言われ、ほんまかいな?と思いました。写真を見比べても前回との大きさの変化があまりないし。

数日前に見た夢を思い出しました。
夢の中ではおじいちゃんと呼んでいましたが、現実には面識のない青い服を着た男性が天国に行くというのので数人でお見送り。
ハグしながら「さよなら」という夢。

赤ちゃんは男の子で、その時還っていってしまったんじゃないか。

ひどい貧血だったため妊娠が分かってから毎日通院で仕事を休んでいたんですが、数値がよくなり2週間後まで来なくていいと言われたので、家にいても暗くなっていってしまうし、職場復帰しました。

1週間後お腹の張りが強かったし、たまたま休みがあったので、受診。
エコーを確認したところ「5週4日の胎嚢の大きさ。胎芽はまだ見えない。」とのこと。
8週1日の計算で基礎体温もつけており、排卵日にずれは考えられないことを言ってみましたが「でも1週間分大きくなってるから2週間後また診てみましょう」とのこと。

確かに胎嚢は成長してるし大丈夫と思おうと自分に言い聞かせました。

9週3日夕方から少量の茶色の出血。
翌朝、鮮血に変わったため、主治医はいない日でしたが、病院へ。「胎嚢の大きさは4週6日。胎芽見えず。週数的にこの大きさだと今回は残念です。自然に胎嚢などが出てくるので出たらナプキンごと袋に入れて持ってきてください」とのこと。

その晩、生理痛のような痛みがあり、異臭のする膜のようなものとレバー状の塊が少し出て「始まってしまった」と思いました。
どんどん痛みは増し、どばっと塊が出ました。
まだまだ痛みは増す一方で、意識が朦朧としてきて歩き回ったりしゃがんだりいろんな体勢をとりながら耐えました。
「腺筋症だし普段の生理もひどいだろうけど、それ以上の痛みが来るから鎮痛剤飲んでいいから」と医師には言われていたので、主人も「何で鎮痛剤飲まないの?」と不思議そう。
赤ちゃんはもう亡くなってるのに、それか、はじめから赤ちゃん成長できてないのに馬鹿だと言われてもこの痛みから逃げたくないと思いました。

夜更けに、またどっと塊が出ました。
すると今までの痛みが嘘のように引き、ああ、出てしまったんだと思いました。

その後は生理2日目ほどの出血が続き、また少しだけ塊がでました。
明け方には生理3日目くらいの出血量に減ったので、病院に行き、当直の医師に診てもらいました。

土曜の早朝だったので主人に車で連れて行ってもらったのですが、車に乗るまで我が子の入った袋を胸に抱えて泣いている主人を見て、また出産を終えたママに会いに来てる家族と待合室が一緒になって、また、泣いている主人を見て、たまらない気持ちになりました。

その後、子宮収縮剤を飲むとショック状態になってしまい、救急車で病院に逆戻りしたり、
もう3日目になるのに相変わらずの出血量と夜寝られないくらいの腹痛が続いているんですが、ここで皆さんの体験を読ませていただき、励まされたので、なるべく早く書き込みたいと思い、投稿させていただきました。

今思えば、抱えきれないほどの仕事を抱えて心身ともにいっぱいいっぱい。
ヘモグロビンの値もかなり悪くなってるのに、病院にはいけない状態だったので、「一旦仕事手放して、貧血の治療して」と言いに来てくれたのかもしれません。だから貧血が落ち着いたら帰って行ってしまったのかなと。

今はまだしんどいし、今回いろんな医師に診てもらいましたが、みんなが「うわっ」というくらいの腺筋症。
それに加えて来週42歳になってしまうので、もう次は考えられないけど、1回だけでも短期間だけでも母にしてくれたのは感謝です。

妊娠から無事出産までたどり着けるのは奇跡。
職場に一人いる妊婦さんの後輩を大切にして、私自身は体を大切に、今まで以上に夫婦仲良くやっていこうと思いました。






 
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