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2回目の流産
20週0日進行流産
13週 無頭蓋症
Name:
きらきら
..spmode.ne.jp
Date: 2018/05/30(水) 15:36
返信
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Title: 2回目の流産
結婚して1年で自然妊娠。8週で稽留流産。
その後、顕微授精で妊娠。息子を出産。
5年ぶりに顕微授精で第2子妊娠。
今日、11週で稽留流産だと言われました。順
調だったのに、心拍が確認できないと言われました。
息子はお兄ちゃんになるんだ!と意気込み、毎日お腹を撫でてくれていました。
エコーでは私でもわかるぐらい赤ちゃんが育っていなく、あぁ心臓動いてないなと思いました。
またあの手術を受けないといけない。
やっと妊娠したのに、なんで私だけ…としか今は思えません。
Name:
りとるついんすたーずママ
..home.ne.jp
Date: 2018/05/12(土) 20:07
返信
引用
編集
Title: 20週0日進行流産
二卵性の双子を妊娠中、20週0日で突然陣痛がきました。
分娩時間8時間半、その日に退院して、4日後に火葬という、人生で感じたことのない嵐のような時の流れでした。
夜21時頃、少しお腹が痛い気がする。恥骨辺りも痛い気がすると思い、ソファーで横になりました。
症状を検索すると、子宮が大きくなる時期で下腹部痛や恥骨痛はあるとのこと。
暫くすると痛みはおさまりました。
また出血もお腹の張りもありませんでした。
最近お腹が大きくなってきたので、子宮が大きくなっているのかな、これから2人はどんどん大きくなるのかなと思いました。
その痛みが22時50分頃から激痛に変わりました。それも2分間隔で。
痛みの無い2分の間に夫に声を掛けて、急いで病院に連絡をして直ぐに向かいました。
2分はとても短く、すぐに次の痛みが来ます。
これは陣痛でした。
妊娠6ヶ月で予想もしていなかった陣痛到来。
車の中でも、病院に着いても強い痛みはおさまりません。
医師に告げられたのは進行流産で羊膜が見えているとのこと。
すぐに分娩台へ移されました。
子宮収縮を抑える点滴を受けましたが、陣痛の間隔は開かず、2分間隔のままでした。
初めは足の間に何か挟まっているという感覚だったのが、水風船が挟まっているという感覚に変わりました。羊膜がほぼ出てきていたのです。これはもう危ない状況だと自分でも分かりました。
この時夫は、羊膜の中で元気に動く赤ちゃんを見ました。
「パパ、僕こんなに動けるんだよ」と元気に動く姿を見せてくれたのかな。
お空へ帰ってしまうことを承知で、生きている赤ちゃんを産む。
本当はもっとお腹の中で育ててあげたい、もっと一緒にいたい、一緒に遊びたい。
でも不思議と「きっと今、赤ちゃんも苦しいんだろうな。お互いここまでよく頑張ったよね。苦しいよね。出てきていいよ。ありがとう」という思いでした。
すると「準備を始めます!」と助産師さんが言い、点滴が外されました。分娩が始まります。ついにこの時が来ちゃった…。
生まれてきた2人は、すやすやと寝ているようでした。
そして、2人はただただかわいかった。
暫くすると涙がとまりませんでした。
さっきまであんなに冷静でいられた自分はどこへ行ったのか。
それからの1週間は我が子を探してばかりでした。
2人が命をかけて私の命を守ってくれたのかなと受け入れたと思えば、守れなかった自分を責めたり。
どんなにつらくても朝はやってきます。前へ進まなければ。
命はこんなにも儚いものなのか。
2人が命をかけて伝えてくれたことはなにか、これからの人生で集めて行きたいです。
どうか今出産を控えている方とその赤ちゃんが、母子ともに元気に出逢えますように。
Name:
あき
..yournet.ne.jp
Date: 2018/05/10(木) 13:18
返信
引用
編集
Title: 13週 無頭蓋症
たった13週と2日の命でした。
新婚旅行後、すぐに妊娠がすることができました。
とてもとても嬉しかったです。
口にヘルペスが出来てしまっり、身体の体質が大きく変わってしまって苦労しましたが、成長するのを本当に楽しみにしていました。
しかしながら、その子は胎嚢のみしか育たず、9週で稽留流産の手術を受けることになりました。
とても悲しかったです。
なんとか事実を受け入れ、乗り越えて、きっと帰ってきてくれるはずだから・・・と、前向きに頑張っていたところ、
それから2ヶ月後、すぐにまた妊娠することができました。
今度は胎芽もちゃんと見ることができて、7週目で心臓が動いてるのが見えた時の感動と愛しい気持ちは本当に忘れられません。
不安だらけでしたが、私にとっての「魔の9週」を過ぎたので、もう大丈夫だろう、2度も辛いことが起きることはないだろう、悪阻もあるけど、それも嬉しいことだ。
仕事もほどほどにして、頑張って育てようと意気込んでいました。
11週になり、だいぶ大きくなり、エコーで我が子を見たとき、ピョンピョン跳ねる姿が見えたり、両手で顔を隠す姿が見れたり、本当に可愛くて可愛くて仕方がなかったです。
先生からまた2週間後に診察に来てねと言われ、あれ?そろそろ1ヶ月に1回の診察になるはずだよね?チケット足りるかな?と不思議に思っていましたが、またエコーが見られるから嬉しいし、むしろ2週間でも待ちきれないと楽しみに思っていました。
13週と1日目。
旦那にもピョンピョン跳ねる我が子を見て欲しくて、一緒に来院。
そこで先生はいつも通りエコーをしてくれ、またまた愛しい我が子と対面でき、また大きくなってる!動いてる!とはしゃいでいました。
でも、先生は何も言いません。
あれ?なんで何も言ってくれないの?と思っていたら突然、
「この子ね。とても元気だけど、頭に障害があるかもしれません。頭蓋形成が上手くいっていないかも。下からのエコーでも見てみるね」と、言われました。
崖から突き落とされた感覚でした。
下からのエコーでも頭の形をハッキリ確認することができず、大学病院から来る別の先生にも診てもらうことになりました。
翌日、結果は一緒でした。
「無頭蓋症」でした。。
初期の発達の段階で、おでこから上部分だけがうまく育たず、お腹の中では生きられるが、外に出てからはすぐに死んでしまう病気でした。
原因は、葉酸不足だったり、ビタミンAの摂り過ぎだったり、染色体異常だったり、遺伝子異常だったり、いろんな説があるけれど、
でも原因は不明で、文献には2000分の1の確率で起きると書かれていました。
葉酸はサプリでとっていたし、前回流産してしまったのに、なんでまた私?
仕方がないという言葉では簡単に片付けることが出来なくて、現にお腹の中で元気に動いてるこの子がいるから本当に辛く、泣くことしかできませんでした。
13週目なので本来であれば分娩するところですが、赤ちゃんもそう大きくなく、母体の負担を考えて、との先生のはからいで、掻爬手術を行うことになりました。
分娩と違って、赤ちゃんをバラバラにして取り出してしまうため、生きてる命をそのようにしてしまうと思ったら本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
手術の日。
処置開始直前で先生が「エコー見ますか?」と声をかけてくれました。
最後まで我が子の姿を見たいとの思いから見ると即答し、見せてもらいましたが、バタバタと足をバタつかせて元気いっぱいに動いていました。
その脚の形が旦那にそっくりでつい笑ってしまいました。
エコー見ながらお腹に手を当て、ごめんね、ありがとね、また会おうねと伝えました。
術後は自分でも不思議なくらいスッキリしていました。
先生と我が子のおかげで、すぐに回復しました。
落ち着いた頃に看護師さんが来て、
「赤ちゃんバラバラになってしまってますが、見られますか?」と声をかけてくださり、会いたい一心で「見る」と即答していました。
赤ちゃんは、たしかにバラバラで、なんとか人の形に整えてくれてたって言うくらい可哀想な姿でした。
でも、ちゃんと、小さな手と足もあって、それぞれの部分はしっかりしてて、よくこんなに育ってくれたね、ありがとうと、とってもとっても可愛くて愛しくて仕方がなかったです。
その見た目から性別は判断出来なかったけど、前日のエコーで股からそれっぽいシンボルが見えたのできっと男の子だったんじゃないかなと、思います。
明日、火葬してきます。
赤ちゃんの箱を、花とお菓子とオモチャでいっぱいにして、しっかり見送ってあげたいと思います。
こんな形でお別れするとは思わなかったけれど、命の尊さ、繋ぐことの難しさ、支えてくれる方々への感謝など、数えきれないほどのことを教えてもらったと思います。
こんなパパママを選んでくれて本当に本当にありがとう。
たった13週2日だったけど本当に楽しかったよ。また会おうね。
昨日の空は本当に綺麗だと思いました。
〜その後〜
火葬を終えました。
術後の診察を受けた後、赤ちゃんを迎えに行き、
お家に帰って、時間まで家の中を案内したり、小さな箱の中に私たちの好きな色のお花や粉ミルクやお菓子やアンパンマンのイラストなど、入るだけ入れました。
赤ちゃんの顔をみて、旦那と一緒にたくさんたくさん泣きました。
この子のために泣いてあげることが、私たちにできることじゃないかと思って、思いっきり泣きました。
火葬場で最期に会いました。
どうしてもお骨を持ってまた一緒に家に帰りたかったのですが、小さ過ぎて残ってないんだろうなと半ば諦めていましたが、奇跡が起きました。
小さな小さな肋骨1本を見つけてくれたのです。
嬉しくて仕方がなかったです。
用意したハート形の骨壷に大切に納め、大事にくるんで一緒に帰ろうとひたとき、先ほどの方が
「待ってください!もう一つありましたー!」
と後ろから呼び止めてくれました。
私たちもすぐに駆け戻り、見ると、たしかに、しっかりとした肋骨がありました。
「こんなに大切に思ってくれてるお父さんお母さんだったから、なんとかまだ見つけられないかなぁと思って、目を凝らしていたら見つけられました。肋骨は心臓守るために1番早く作られて、その分しっかりしてるからこんなに小さな子でも残ったんだろうね」と、言ってくれたのがとても嬉しかったです。とても救われました。
それから3人でまた家に帰ることができました。
お菓子やお花や人形と一緒にリビングで、見守ってくれています。
そこに、息子がいると思うだけで心が温かくなります。
この子にたくさんの笑顔を届けてあげられたらなって思います。
正直、本当はまだ寂しくて寂しくてたまらないですが、息子が残してくれた沢山の奇跡、私たちにとっての宝物たちを、ずっと大事に大事にしていきたいと思います。
最期の日も本当に晴れ渡っていて、綺麗な空でした。
息子にがんばってと言われている気がしました。
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