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7か月 死産
胞状奇胎
7週 化学流産 20週 子 ....
Name:
もも
..home.ne.jp
Date: 2017/03/14(火) 22:47
返信
引用
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Title: 7か月 死産
2016年8月末、生理が遅れていることに気づいてわかった、初めての妊娠。
正直、最初は今後の生活とか、仕事とか、どうしようという気持ちのほうが大きかった。
でも、今の会社で産休・育休をとって産むと決めて、9月に入籍、10月に新居に引っ越した。
すごくバタバタしてたけど、大きくなっていくお腹が愛おしくて、幸せだった。
つわりは妊娠初期から始まり、安定期に入ってもおさまるどころか酷くなっていった。お腹の張りも出てきて、お医者さんから診断書をもらった。
でも、仕事は替えがきかなくて、休みながらも出勤していた。
お腹の赤ちゃんがどうか無事でありますようにと毎日祈りつつ、仕事してた。
元々、長時間残業しなければ終わらない職場だったこともあり、マネージャーに相談して、12月には現場を異動させてもらう予定だった。
でも、人事異動がうまくいかず、結局異動の話はなくなった。結構絶望的だった。
妊娠6か月に入ったあたりから、ちょくちょく胎動を感じ始めてた。
朝7時、出勤中の電車の中、お昼の12時、夜寝る前23時。
家にいるときは話しかけたり、朝の電車の中では、お腹に手をトントンしてお返事してた。
定期検診も、どんどん大きくなる我が子がとっても可愛らしく、エコーで見るたび、つわりの辛さを忘れられた。
性別も男の子と分かり、旦那は大喜びだった。
11月の半ばを過ぎたころから、胎動の回数が減っているような気がした。
すごく心配で、病院にかけこんで、エコーで我が子を見せてもらった。
そのときはちゃんと心臓が動いてて、元気いっぱいドクドクと心拍が聞こえた。
ほっとしたけれど、あとかた思うと、これが息子の元気な姿をエコーで見る最後の日となった。
年末、仰向けになったとき、ふと、あれ?お腹小さくなってる?
お風呂に浸かって温まっていたとき、あれ?おへその周りだけ白くで冷たい。
心の中がザワザワ。
どうか、気のせいでありますように。
12月30日、これが感じた最後の胎動だった。
新年が明け、1月6日に定期検診。
息子の心臓は止まっていた。
なんとなく、頭の中にちらついていたことが現実になってしまった。目の前が真っ暗になった。
なんで?なんで私の息子なの?春に産まれる予定だったのに。
ちょうど7か月に入ったところだったのに。
幸せから一変、涙の日々になった。
連休明けに出産の予定になった。
今まで入院なんてしたことなかったのに、人生で初めての入院がまさか死産での入院になるとは思わなかった。
看護師さんの計らいで、個室にしてもらえた。
ぼうっと病室から外を見ていたら、窓に小さな子供の手形がうっすらあることに気づく。
前の人が子連れで、その子がイタズラしたのかな?って思ったけど、あとで掃除の人が来て、窓を拭いていった。
翌日、また外を眺めていたら、手形が残っていた。
「あ、息子なんだ」と、なんとなく思った。
「よし、明日は分娩日。産むぞ!ママ、頑張るからね!」って心の中で息子に話しかけた。
分娩日、初めての陣痛とか出産とか、不安は色々あったけど、もうひたすら息子の名前を心の中で叫び続けた。
1時間ちょっとで産まれた。
お腹の中で亡くなって時間が経ってるから、体が損傷してしまうかもしれないといわれていたけど、五体満足で産まれてきてくれた。
手の指の形は旦那そっくりで、立派なちんちんもついてて。
本当に天使だった。
息子に会えて、こんなに穏やかで愛おしい気持ちになったのは初めてだった。
しばらく、母と旦那と、息子の可愛らしい姿を眺めていた。
そのあとは葬儀屋さんと息子のお別れ会や火葬の日程の話し合いになった。
お別れが近づいてくる。
病室で息子に手紙を書いた。
天国に届きますようにと願いを込めて。
お別れ会は旦那と私の親族が集まった。
冷たくなってしまった息子の頭をいっぱい撫でてやった。
火葬の時、息子に書いた手紙とお花をいっぱい棺に入れた。
小さな小さな棺だけど、重みはしっかりあった。
あんな小さな体だけど、私のお腹の中で元気いっぱい生きててくれたんだと思うと、愛おしさでまた涙が溢れた。
焼きあがったお骨を旦那と丁寧に拾い集めた。
小さな骨壺でも十分すぎるくらい、お骨は小さく、可愛らしかった。
家に帰って、早速息子のコーナーをつくった。
祖母が編んでくれた毛糸のおくるみで骨壺を包み、お花を飾り、お菓子と、アンパンマンの人形をたくさん飾った。
1月は毎日毎日泣いた。泣いて泣いて泣きまくって、夜になると不安と寂しさが襲ってきた。
今は泣く回数は減ったけど、それでも受け入れるにはまだまだ時間がかかると思う。
我が家の天使は、私たち夫婦、家族に大切なことを教えてくれた。結婚するまでは旦那と喧嘩する日々だったけど、息子が来てくれた時から、すごく仲良しになった。
当たり前に授かって、当たり前に産まれて、当たり前に元気に育つわけじゃない。
人生は、この世は、いつ何が起こるか分からない。
息子のおかげで、今まで当たり前だと思っていたことに、改めて感謝しようと思えた。
息子に沢山のありがとうと、愛を送り続けたい。
Name:
MOON
..dion.ne.jp
Date: 2017/02/23(木) 21:20
返信
引用
編集
Title: 胞状奇胎
妊娠7週で流産宣告。
自然排出を待つ中でいきなりの胞状奇胎の疑い。
大学病院に転院して2日後に入院、2度の手術。
自然排出を待つ中で流産のことを少しずつ受け入れ始めたと思っていたのですが、急に、癌になるかも?子宮摘出や抗がん剤使用の可能性?とパニックになりました。
仕事関係の人には事情を説明して、調整の協力を得ることが出来ました。
あれよあれよと言う間に手術が終わりましたが、出血が多く、術後少し体調が厳しい状態ですが、だいぶ回復してきたと思っていたら、
事前に妊娠を伝えなければならなかった人への説明、
しばらく休んでいた習い事の仲間からの「お休みが長いからおめでたかと思ってたよ」という、他意のない言葉。
職場での他のかたの産休報告。
その場では平気なつもりでも、ふとした拍子に涙が止まらなくなります。
あんなのが良いなと思って見ていたバギーも見るのが辛い。
まず自分の体をしっかり治して、次へ進めば良いと思っていても辛くなる。
誰かに聞いて欲しいと思うこともあるけれど、聞かされた方が困るだろうと思う。
親にもこれ以上心配かけたくないので話せない。
夫は話せばきちんと聞いてくれるけれど、毎回ではきっと疲れてしまうだろう。
何処か、話を聞いてもらえるような場所を探した方が良いのだろうか。
Name:
まな
..yournet.ne.jp
Date: 2017/02/22(水) 02:42
返信
引用
編集
Title: 7週 化学流産 20週 子宮内胎児死亡 17週 血腫完全破水 人工死産
先週、3番目の赤ちゃんの火葬と納骨を終えました。
2度目の妊娠の時、女の子だと判明して安定期を迎えた直後に心拍停止による子宮内胎児死亡。
産声を上げない我が娘を出産しました。
そして数ヵ月後の検査で抗リン脂質抗体症候群である事が判明。
元々膠原病患者なので覚悟はしていました。
また、子宮内膜症・子宮線筋症・子宮後屈といった症状とともに、
30代後半での出産というハイリスクも。
2年後、3度目の妊娠。
抗リン脂質抗体症候群の認定を受けていたので、今回はヘパリン&アスピリンが使用出来る事でとても安心していました。
苦手な注射も頑張りました。
けれど、17週で血腫による完全破水。
週数が足りない事、羊水がゼロに近い事、
羊水が無いという事は今後、肺が育たず、骨の成育にも障害が出るという事、
破水したという事は数日中に陣痛がくるかもしれない、と。
たくさんの説明を受けました。
取り急ぎ、感染症を防ぐ為の抗生物質の点滴を使いつつ、様子見でそのまま入院になりました。
けれどそんな中、赤ちゃんは元気に心臓を動かしていました。
羊水の無い窮屈な子宮の中で頑張って生きててくれました。
まるで赤ちゃんが「ママ大丈夫だよ!僕頑張るから!」と言ってくれてるみたいで、エコーと心音を聴く度に涙が止まりませんでした。
私に出来る事といえば、3食の病院食を無理でも食べて、赤ちゃんに栄養を送る事だけでした。
そして陣痛どころか、何の痛みも無いまま数日が過ぎていきました。
もしかしたらこのまま順調に週が過ぎていき、無事出産を迎えられるのではないかと錯覚してしまいそうなほどに。
しかし現実は甘くなく、羊水は戻らず厳しい状況が続きました。
そして夫と何度となく話し合う中で『人工中絶』の言葉が。
「これ以上、赤ちゃんと私を苦しめたくない」と言って夫は泣きました。
理由にしたくなかった。
諦めたくなかった。
けれど、私と夫は決断しました。
娘の時と同じ過程で出産しました。
18cm、168gの可愛い男の子でした。
娘の時は生きて欲しかったと願い、息子は自らの決断で命を奪ってしまった。
今も葛藤しているし、悔しさや悲しさで胸が張り裂けそうな毎日です。
また同じ事が起こるかもしれないと思うと、次の妊娠が怖くて仕方ありません。
もう失いたくない。
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